第196話

「烏が……ッ、ちッ」


 目の前から消えた時雨、その行き先は床に展開された穴を見れば明白だった。

 竈の蓋が大きく口開いたように底の見えない隠し通路が空いている。既に落下した時雨の姿は何も見えない。

 

「チクショウ……行くしかねえ……が──ッ」


 時雨に次いで飛び込もうとした矢先、和馬は跳ね上がっていた。

 落下するはずが身体は重力に逆らい数メートルほども叩き上げられ、そのままタイル上に尻餅をつく。

 何が起きたのかと脊髄反射的にライフルを構えつつ隠し経路の状態を伺うが、そこには穴らしい穴は何もない。


「どうなってやがる……ッ」

 

 口では状況に追いつかない思考を紡いでいたが、脳は正確に状況を理解していた。

 分断された。完全に敵の策略の上で和馬たちは踊らされていたのである。それを察し彼は無線が繋がるのを待たずに伝令を放つ。


「フェネック2からHQ、フェネック1が地下に消えた!」

「烏川さんが地下に……? ッ、和馬さん、今すぐそこから離脱してくださいッ」


 不審そうな声で応じた昴は突然豹変したように声を荒げた。


「その部屋に突如、数個のユニティ・コア反応が出現しましたっ!」

「な……」

「武装犯を検出──銃殺執行権限を強行します」


 周囲に取り巻く反応の正体に辿り着く前に、聞き慣れない電子音が染み渡る。アンドロイドだ。

 反射的に和馬はその場から回避した。その直後にタイルの破片が彼を襲う。無数の弾丸が彼をホーミングするように発射されているのである。

 弾幕は数方向から迫り、確実に和馬の生命を絶とうとしてくる。彼は脳で動くよりも先に筋肉を反応させオブジェをその場に蹴り倒した。

 重たいコンクリ像がオフィスデスクに叩きつけられ、それらを巻き込んで横転する。生まれた障害物が間一髪で弾幕を遮り、その隙を逃さず、和馬はオブジェを力任せに足で押し出した。

 勢い良く転がっていく螺旋像はそのまま一機のアンドロイドに衝突し銃撃の方向を狂わせた。

 生まれた包囲網の隙間から矢のように飛び出す。そうしてそのまま通路へと躍り出、全力で入ってきた入り口へと爆走する。


「どうしていきなり反応が……」

「正確なことはわかんねえが、おそらく烏川が飲み込まれた地下空間から出てきたんだ」

「電波暗室が地下に広がっているということですか?」

「それとも新種のECMかもな、ユニティ・コア観測電波を妨害する的な。まあよくわかんねえけど、とにかくここにいたらやべぇ、拾ってくれ!」

 

 工場内から青空の下に踊り出るなり新たな弾幕が襲い来る。銃声を聞きつけた周囲のアンドロイドがこぞって集まってきたようである。

 異変を察知したHQか迅速に手引をしてくれたいたのか、ここまで和馬たちを誘導したホース輸送車両が接近してきていた。それに乗り込み和馬は運転席に叫びかける。


「ホース1、このまま地下運搬経路に入れ!」

「しかしそれでは逃走経路を捕捉されて──」

「既に地下運搬経路を使ってることはバレてんだ、それより早くしねえと蜂の巣になんぞッ」


 続々とアンドロイドが集まってきていた。視認出来るだけでも数十はある。

 通常この区域にこれだけの数が集まることはありえない。事前にこの付近に待機させていたとしか考えられない。

 確実に調査隊を殲滅するために。この罠を仕掛けたのだ。



 ◇



「ホース1、A.A.の追撃がある前にターミナルを破壊しろ。そのまま敵の包囲網から離脱するんだ。酒匂、ロケーションに集中しているユニティ・コアの反応は、どれほどの範囲にまで広がっている」

「半径1.2マイルと言ったところですな。0.32%の密集率、周囲の被害状況から察して敵の武装はMP7A1で間違いありますまい」

「周囲に狙撃歩合がいないことを確認次第、ホース1の誘導に入れ」

「了解」


 迅速に体制を立て直すための段取りを棗は整える。無線からの情報でしか認識することは出来ないが、離脱できたのは和馬だけのようだ。

 時雨はまだ施設地下に閉じ込められているままであるわけであるから、迂闊にミッションロケーションを爆撃するわけにもいくまい。

 ことが思うように転じなかったことに対する苛立ちと焦燥感を無理やり抑えこんで、棗は別の周波数に切り替える。


「HQからイーグル部隊、フェネック部隊が謎の迎撃を受けた。航空部隊の出動を許可する。イーグル1から8までの機体を展開、ロケーション空域の制空権を握り、防衛省の機体を近づかせるな。イーグル部隊の統率はイーグル1に一任する」

「イーグル1、了解」


 航空部隊への指示を飛ばし続けて遊撃部隊への指示を急ぐ。


「HQからウォッチドッグ1、応答しろ」

「こちらウォッチドッグ1、感度良好」

「遊撃部隊の出撃を命ずる。24小隊を指揮し、ロケーション陸域の包囲網を築け。武装展開を許可する」

「武装しているアンドロイドの処置は」

「殲滅を許可する。ロケーションに何者も近づかせるな」

「ウォッチドッグ1、了解」


 そこまで指示をして一息つく。これでロケーション周囲の安全は確保されたはずだ。

 イーグルを八部隊滞空させているため、防衛省の機体が接近してもしばらく時間稼ぎをすることが出来るはずだ。地上からの突撃や遠距離からの迫撃などは、十式戦車を中心としたウォッチドッグ部隊が迎撃できるはず。

 それだけでは終わらない。時雨の救援リリーフが必要である。


「HQからフェネック3、ウォッチドッグ部隊とイーグル部隊が突破口を開き次第、二部隊をもってロケーションに突入しろ。目的はフェネック1の救出だ」

「フェネック3、了解」


 フェネック部隊はその他の部隊よりも実践に秀でた突撃兵部隊である。二部隊での突撃であれば返り討ちにされることはないはずだ。


「しかし、これだけでは安堵できませんね」


 酒匂が和馬を輸送しているホース1に随時指示を送っている脇で、昴は淡麗な指先を口元に這わせて思案している。


「烏川が敵陣渦中にいる状況は変わらないな」

「それに、この状況はすべて敵の仕込んだ計画の内であるとしか考えられません。その目的は、先のアンドロイドの襲撃で侵入者を殲滅することか、あるいは──」

「潜入者の、孤立化……」


 昴が憶測を言葉にするよりも早く真那が介入した。

 司令塔の入り口に立って視線を伏せているのを見れば、一部始終をそこで聞いていたことは疑いようもない。私服を身に纏っているのを見れば、病室からここまで一目散に走ってきたことは一目瞭然だった。


「聖さん、お怪我の療養は……」

「治療は済んでいるわ。心配は無用よ昴様」

「外傷的な損傷は回復していても、脳への障害がないとは言い切れない。君にはそのための療養待機を出していたはずだが」

「仲間が危機的状況にあるのに、あるかもわからない後遺症に怯えて、病室に縮み困っているなんて出来ないわ」


 彼女はあまり感情的にではないものの、確かな意志を持ってそう告げる。どうやら棗が命じた所でその意志を曲げるつもりはないらしい。

 使命感の強い少女である。それをレジスタンス総司令として理解している棗は、それ以上療養を強要するつもりはなかった。

 それよりも今は、解決すべき課題がレジスタンスの進行方向に聳えているためである。


「とにかく時雨へのコンタクトをとるのを先決すべきではないかしら」

「それはもう何度も試みています。しかし無線が繋がる様子はありません」

「地下空間が電波暗室になっているという説が濃厚か……」

「それなら、ネイのクラウドシステム経由で、時雨のアナライザーにアクセスする手はどうかしら。有事に備えてレジスタンスのハードウェアにも、ネイの交信プログラムを移植していたでしょう」

「それが……発信機の解読のために、一時的にネイさんのディープランニングシステムをレジスタンスの統合ハードウェアに移動させているのです。ネイさんの意識が時雨様の端末にない以上、クラウドシステムによるアクセスは不可能でしょう」

「でしょうね」


 巨大なハードウェア専用のホログラム投影機上にて等身大で腕を組んでいるネイ。

 彼女の反応からはまるで危機感を感じられないが、時雨の置かれている状況はかなりせっぱ詰まっているようだ。


「電波暗室ということは、ネイも時雨のところへ移動できないの?」

「はい、私のファイルは時雨様の端末にあるとはいえ、クラウド経由でこちらに移動しているため、移動にはオンラインが前提となります。しかし時雨様は知っての通り電波の届かないところにいるため……事実上現状デイダラボッチです」

「私達ができることは、施設外部からの敵友軍の接近を阻むことだけなの……?」

「先ほど、リリーフにフェネック部隊を二つ送り込んだ。ウォッチドッグ部隊の援護のもとで建物内のアンドロイドを全て殲滅次第、地下に突入させる予定だ」

「……棗さん、フェネック3からの伝令です」


 噂をすればなんとやら、突撃兵部隊の進捗報告だろうか。


「施設内のアンドロイドを鎮圧することに成功し、地下への通路を爆弾によって開通させる作業を展開しているとのことです」

「開通次第、突入しろ」

「フェネック3、了解。起爆まで、7、6、5、4、3──ッ!? 総員、退避ッ!」


 設置した爆弾が爆発することはなかった。代わりに、怒涛のような班長の指示が轟く。


「フェネック3、どうした!」

「時限式の爆弾が作動しました! 室内に設置されていたオブジェです!」

「解除は不可能なのか」

「リミットが三十秒しかありません、外部へ持ち出している余裕も無いでしょう!」

「HQ了解、すみやかに離脱しろ……クソッ」


 無線が途切れるなり棗は堰を切ったようにコンソールを殴打した。

 フェネック部隊の離脱は成功しただろうが、このままでは施設自体が爆発によって陥落するだろう。

 爆弾の破壊力にもよるが、少なくとも隠し経路のある部屋は瓦礫の山になるはずだ。これでは時雨の救援など不可能になってしまう。


「おそらくは爆弾が起爆準備にはいるときに放出する微弱な電磁パルスに反応して、時限開始するタイプの信管を使っていたようですね……リリーフ部隊が爆弾を使うことは想定済み、ということですか」

「こちらの手はすべて読まれているということね」


 不安の影が胸の内側を這いずっていくような不吉な感覚に陥りつつも、真那は邪推を振り払い思考を繰り返す。

 地下で何が起きているのかはわからないが、瓦礫を撤去してからの救援等と悠長なことを言っていては、時雨の心臓がいくつあっても足りないだろう。

 この罠が潜入者を隔離するためのものであったことは明白。であれば隔離空間に防衛省の計画に必要な要素が詰まっていることも明白だ。

 こうして真那たちが時雨の救援に四苦八苦することも、正攻法では助けだすことが出来ないことも。


「伊集院、ロケーションの地下に運搬経路は位置していないか」

「ない。最も近い地点でも、数十メートルは離れているな」

「その地点から地下を掘り進めるのは……効率的ではなさそうね」

「23区の地下は、地下運搬経路をクモの巣状に張り巡らせるために、地盤を硬変させている。専用の掘削機でも調達しなければ無理だ。爆発で掘ろうなどと考えれば、生き埋めだな」

「それなら、下水道や地下電線の配管は?」

「それもない。ライフライン系統はすべて断絶されている」


 絶句。しかしそれと同時に納得もする。防衛省はレジスタンスが地下運搬経路を活用していることを周知としている。それ故に外界から完全に隔離されたその空間を選んだわけだ。事実上時雨を隔離するために。

 手も足も出ないとはこのことだろう。思考回路が次第に戦慄に染まり始めていた。

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