第195話

 αサーバーからの一般人による不審情報。それが示す織寧重工の下請け企業の廃工場は渋谷区の庶民層区画の外れにあった。正確にはその区画にある小規模な工業地帯で、アップダウン型の工場群衆地になっている廃れた帯域である。

 当然市街地からは一定の距離をおいているため住民は殆どおらず、人気のないターミナルに輸送車両は踊り出る。

 

「ホース1、目的地に到着」

「こちらHQ。フェネック1、2を哨戒可能地点に降ろし速やかにターミナルから地下に移動せよ」

「ホース1、了解」


 輸送車両を運転している構成員ホース1が無線機で棗と端的に連絡を取る。

 人気のない工場密集地とはいえ、航空からの索敵が行われればすぐに捕捉されてしまう。ましてやここは一般車両の所有が認められない渋谷区のど真ん中、車両が出動しているだけで酷く目立つ。

 かつ車両がこの庶民層区画を走行しているだけで街角スキャナが反応し、警備アンドロイドが沈静システムを稼働させてしまう。

 現状ターミナルから地上に上がり街角スキャナの監視されていない地点にとどまっているが長居は無用だ。速やかに退散すべきである。

 棗の指示通り輸送車両は時雨フェネック1和馬フェネック2が地に足を降ろすなり、迅速に地下運搬経路へと姿を消した。


「さて、件の廃工場はどこかね」


 和馬は簡易ソリッドグラフィをビジュアライザー上に展開させつつ、肉眼で目的施設を探る。

 しかしここは小規模といえど立派な工場群集地帯である。似たような外装の工場ばかりで目的地がどこにあるかは不明確だ。

 彼に促されるように周囲を見渡すと視界が一瞬暗く影の色に滲む。頭上をハンドボールサイズのユニットが浮遊していた。


「まだ武器は取り出すなよ、ドローンが巡回している」

「あたぼうよ」


 いつになく武装の露出がないように心がけていた。持てるだけの弾薬とライフル類を詰めた金属製のバッグを背に、さり気なくドローンの死角へと身を潜ませる。

 普段アナライザーのみを装備している時雨にとっては、街角スキャナやドローンのスキャンは気にも留めないほどの些細な障害でしかないためだ。アナライザーはIDユニットであって武装扱いにならないためである。

 通常の武器弾薬の場合はそうは言えない。明らかに武装と判断しうるそれを装備していては、即効でアンドロイドに蜂の巣にされてしまう。

 

「しかしこのライフルバッグ、どうして連中のスキャンを無効化出来るんだ?」


 時雨とは違って平然とドローンのスキャン領域を闊歩する和馬を俯瞰する。

 ドローンのスキャンは赤外線とサーモセンサを用いているため、肉眼で見えない場所に隠しても意味が無い。保安検査場のスキャナと同じようなものである。それだのにドローンは和馬をスキャンした後何事もなかったように頭上から姿を消した。


「グラナニウムよ」

「A.A.の装甲に使われている特殊金属か」

「お前もレッドシェルターを通過した時に体験しただろ、A.A.の装甲に使われているグラナニウムは事実上絶縁金属だ。熱伝導もほとんどしないしスキャナも通さない。そいつをこのライフルバッグには一定量組み込んでる。勿論、保安検査場とかだと何も透視されねえから不審がられてとても使えたもんじゃねえがな」

「そんなものどこで仕入れたんだ」

「簡単なハナシ。敵さんのA.A.の残骸をちょいと拝借しただけよ。まあそのせいで100パー純度のグラナニウムってわけにはいかなくなったけどな。まあ量産品だからそれこそ純度はかなり低いけどな」


 和馬は何故か得意気にそう言ってライフルバッグをトントンと叩く。

 もしかすればこのグラナニウムを大量に回収することで、レッドシェルターへの潜入を実現可能に出来るのではないかという希望的観測が脳裏をよぎる。

 しかしそれは事実上無理な話だろう。グラナニウムイコールA.A.ではないし、レッドシェルターを通過するには居住権が必要となる。ましてや唯奈奪還の際、試作機の移譲という名目でグラナニウムの特殊素材を活かした潜入を成功させた。

 先日のユニティ・ディスターバー対策といい防衛省の未然対策能力はお墨付きだ。同じ轍を踏むことはないだろう。


「んで、結局どの廃工場よ」

「フェネック1からHQへ、調査ポイントのロケーション確認を頼む」

「こちらHQ、誘導します」


 昴の誘導に従い工業地帯を抜けていく。

 どうにも寂れた雰囲気が全体に漂っているのは、おそらくこの工場群全てが織寧重工グループの下請け団体だからであろう。

 事実上織寧重工が廃止され、数珠をつなぐように下請け企業が倒産した。殆どが廃業になっているようで、最初の印象に違わず全く人の気配を感じない。


「東、この工業地帯で機能している工場はどれくらいあるんよ?」

「事前調査ですと十六工場が機能しています。ただしその全てが織寧重工グループとは無関係の別の大手企業のものですね」

「十六か、少ないな」

「それだけ死んでる工業地帯の一部が、例の薬物の伝染元となると……やっぱ怪しいわな。人がいないこの場所を選んだこともそうだし、織寧重工グループの傘下企業であったってことも気になるしよ」


 限りなくグレーであるといえるだろう。U.I.F.の迎撃がないにしても用心して調査した方が良さそうだ。

 目的の廃工場まではしばらく距離が開いていた。それは工場周辺の監視体制を危惧してのことであったのだろう。徒歩で三キロほど進んだ先に、他と大して変わらない外装の廃れた工場が見えた。


「突き当りに見える工場が調査ポイントです」

「ここか」


 気を引き締め和馬に目線で合図を送る。入り口の堅牢な扉の両側に身を潜める。そして壁越しに生体反応がないかを耳で確認する。

 聴覚で感じられる反応はないがそれはあくまでも生身の感覚器官。インターフィアの多用で電子化された感覚では多少なりとも不安感が拭えない。

 ここは普段から人間としての感覚で戦場に臨んでいる和馬の感覚に頼るほうが得策だと言えよう。

 彼はライフルの銃口を下げゲートの錠に触れる。するとあろうことか呆気無く扉はきしんだ音と共に僅かに開いた。

 どうやらこの工場自体は現代のセキュリティ技術に追いつく前に建築されたもののようで、軍事施設などに用いられる高高度セキュリティは対応していないようだ。

 それでも一切のセキュリティを展開させずに工場を放置しておくのは明らかにおかしい。たとえそれが廃工場であってもだ。

 リミテッド住民には階級差はあれど、みな等しく居住権と一定額の電子マネーを交付される現代では食に困ることはない。しかしそれは住むべき家に困ることがないというわけではない。住居の公布をされるわけではないため、職を持たぬ人間は給与がなくホームレスに成り下がる。

 それがイモーバブルゲートという23区とその外との間に設けられた絶壁のもたらした副次的被害だといえるだろう。

 事実、それが建造されてから職場をなくした人間が無数に続出したのだから。浮浪者が使われていない工場などに住み着いているケースも少なくはない。それ故に、施錠のされていないこの廃工場は非常に怪しいのである。

 和馬はすこしばかり悩む様子を見せたが、眉根を寄せ目線と指先で突入を示唆する。和馬が蹴り開けた堅牢な扉をくぐり施設内に飛び込んだ。

 明かりの一切存在しない暗闇の中をライフルライトで照らし、動くものがないかを探る。五感という五感を研ぎ澄まし僅かの変化も逃さぬよう注意する。

 

「クリアー、生体反応はない」

「まだ安心するには早いぜ、痕跡がある」


 ライフルを下げた時雨に対し注意深く室内を観察していた和馬は、天井から近い蛍光灯のあたりに手をかざす。


「まだかすかに熱がある。一時間かそこら以内に人間がいた証拠だな」

「調べてみたほうがいいな」


 再度感覚を研ぎ澄まさせ入り口エントランスのブレーカーに歩み寄った。そうして電気を点灯させようとレバーに触れる。


「待て、つけたらやべぇ」

「罠か?」

「ああ、電気系統がどうにもおかしい。断線された後に強引に繋ぎ直されてやがる」


 とっさに手を離して和馬が調べているブレーカー系統の配電を視認する。たしかに彼の言うように、電線が無数に押し込まれた配電のうち太い電線がビニールテープで無理やり修繕されていた。

 繋ぎ直された電線をたどると小型の爆弾が接続されている。


「通電による爆発をおこす雷管が使われてんな。迂闊にも電源を入れたらドカンだ」


 背筋がひやっとする発言をした彼は、手際よく電線を切断し起爆要因を排除する。


「明らかに黒か」

「だな、この様子じゃ他にも爆弾が仕掛けられている可能性があんな、十二分に気をつけとけよ」

 

 和馬はこちらを一瞥するでもなく、ライフルの銃口で暗い室内を示す。奥に進めという指示だ。今は彼に従ったほうが生存率を少しでも上げられそうだ。

 彼に先んじて歩を進めつつ無線を開通させる。

 

「フェネック1からHQ、電気系統に爆弾が仕掛けられていた」

「例の薬物の電線元と踏んで間違いなさそうですね」

「罠が仕掛けられていたということは、敵が潜伏している可能性も限りなく高いですな。フェネック1、フェネック2、十分に注意を怠らぬよう心がけてくだされ」

「ミッションを更新します。生体反応に注意しながら、薬物伝染の痕跡を探してください」

 

 どうやら敵陣の渦中に赴いて、手土産もなしに帰還することは許されないらしい。和馬に次いで暗がりの中を進んでいく。


「どうにも嫌な場所だな」

「罠のことか?」

「それもそうだが、それだけじゃねえ。全く人間の気配がしねえんだ」


 少しずつ暗闇に慣れ始めている目で周囲を注視する。確かに人の反応がない。

 先ほどの電源の痕跡は確かに誰かが一時的にこの施設内にいたことを示す証拠にはなりうるが、少し奥に進んだこの場所では全く反応という反応がないのだ。

 通常どんなに廃れた施設でも、数日以内に人間の出入りがあれば、その痕跡は残る。こんな暗がりの中でも、例えばホコリの状態だとか空気の汚れようだとか些細な変質ではあるが何かしら残るはずであるのだ。

 しかしここにはそれすらない。あるのは廃れた施設の鼻腔をツンと突く赤錆の臭いだけだ。


「HQ、そっちから施設内の状態をサーチ出来ないのか」

「ソリッドグラフィで観測できる以上の情報は仕入れられない。現場にいる君たちの五感が最も鋭敏かつ正確だといえるだろう」


 棗がそういうのだからそうなのだろう。


「ヘッドクォーターは役に立たない、か」

「心配はありません時雨様、いざというときは私を呼び戻してくだされば」

「今そっちにいるんだから、俺の端末に戻ってくるのは無理だろう」

「無理ではありませんよ。多少クラウドシステムの中継を必要としますので、しばらく時間を要することになるかと思われますが。まあ確かに、オンライン移動のため即座に呼び戻すことは出来ないので、いざという状況で役に立てぬかもしれませんが」


 つまりは役に立たないという解釈で問題あるまい。

 これは自分と和馬の反射と感覚しか頼りにできないということか。せめてインターフィアだけでも展開できればよいのだが。

 とは言え現状彼らの注意勧告がないということは、少なくともU.I.F.やA.A.それに警備アンドロイドやドローンの接近もないとうこと。


「気は抜くなってんだ」

「だが」

「ユニティ・コア搭載の機体だろうが生身の人間だろうが、使ってる武器が変わるわけじゃねえ。生身の兵隊だって同じ銃を使ってんだぜ。不意を突かれての銃撃じゃ、相手さんが誰だろうと俺たちは致命傷を負わされるってことだ」


 確かにそれはそうだ。リジェネレート・ドラッグという万能ドラッグを普段から多用しているため感覚が鈍っていた。

 生身の人間は弾丸一つで死に追いやられる可能性がある。時雨だって脳幹直撃すればドラッグを打つ間もなく即死だろう。

 ましてや敵の位置情報も、そもそも敵の有無すらまともに認識できていない状況を鑑みれば。明らかに不利だ。

 依然として人間の痕跡が感じられない。本当にこの施設は薬物の伝染元なのか。そもそもその薬物は一体何なのか。それが防衛省の流出させたものだとして、如何なる理由でそんなことを目論んだのか。


「……烏川、これ見ろ」


 屈みこんだ和馬は、何やら煤けた碁盤上のタイルに指先を這わせ訝しんでいる。

 周囲を警戒しつつ彼のそばに歩み寄ると、タイルとタイルの接合部を指でなぞっていた。


「どうした?」

「この部屋のこの部分だけ、どうにも床の設計がおかしい」

 

 彼が何を訝しんでいるのかわからず屈み熟視する。そうしてようやくいわんとしていることを理解した。

 タイルの隙間が僅かに数ミリだけ開いていて、正確には接合されていないのである。それに対し、それ以外の地点のタイルはしっかりコンクリートで舗装されている。


「隠し経路か、どうやって気づいたんだ」

「この部分だけホコリが被っていなかったからな。それに、強引にオブジェがここに移動されている痕跡があった」


 そう言って彼はライフルを構えつつ、脇に聳えている巨大な螺旋状のオブジェに向ける。

 確かに言われてみれば、これまで通過してきた空間に設置されていたオブジェは、それぞれ決まった壁面に配置されていた。このオブジェは部屋の中央に据え置かれている。明らかに怪しい。

 

「それによく見てみろ。この隙間の周囲だけ他よりもホコリが堆積していねぇ」

「最近このタイルが開いた証拠か……どうする?」

「この中を探る必要はあるが……どうにもおかしいぜ」


 おかしい、という言葉の意味は単純明快だ。そもそも何故これを隠匿しようとした人間は、明らかに怪しまれる配置にオブジェを置いたのか。

 ホコリの状態やタイルの隙間を隠すためのように一見思えるが、事実その隙間に気が付かなかった。

 対してオブジェの移動は一目瞭然。明らかに手を加えないほうが侵入者の目を欺くには得策だったといえる。仮にも天下の防衛省がこんな解りやすい痕跡を残すものか。

 そんな違和感と不信感が地響く様な震動になって解消される。


「烏が──」


 気づけば目の前にいたはずの和馬がいなくなっていた。そうではない。なくなったのは彼の姿にとどまらず部屋の光景全て。

 そして全身に伸し掛かる重力。唸るような空気の音が耳元をかすめ上方に流れていく。

 甲高い音を立てて外れたタイルが視界の隅をかすめ、勢い良く暗黒の中へと飲み込まれる。落下していた。


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