2055年 12月27日(月)

第193話

「シール・リンクを借りたい」


 目覚めてすぐにジオフロントに呼び出された。また何か不測の事態が生じたのかと内心勘ぐりながら出向いた管制塔にて対面した棗の第一声がそれだ。


「こっちからお願いしたいくらいだ」

「お待ちになられてッ!?」


 棗の要求を躊躇なく快諾しようとした時雨を、ネイが誤った敬語表現みたいな口調で制する。

 珍しく動揺している人工知能を尻目に見つつビジュアライザーを操作し、口うるさいファイルの送信コマンドを入力する。


「いやですから待ってくださいってば!」


 口では制せないと判断したのか、彼女は送信コマンドの入力を瞬時に抹消し、無数のポップアップウィンドウをビジュアライザー上に展開させた。

 どうやら視覚的に操作の邪魔をしたいらしい。実際ウィルスソフトに感染しているのかと錯覚するくらいのポップアップに打つ手を無くす。

 コマンド操作で人工知能に敵うはずもなく、致し方なく抗議するように両の腕を掲げて憤怒を顕す人工知能を見据える。


「何だよ」

「何だよじゃないですよ、なに何気なく厄介払いしようとしているんですか」


 厄介者の自覚はあるのか。


「そんなことはどうでもいいんです。私と時雨様はかれこれ二年以上共に生きてきたんですよ? 生きる時も死ぬ時も共存し、霊となった後も共に現し世をさまようと誓った仲ではありませんか」


 素直に気持ち悪い。


「……とにかくです。もう少しくらい躊躇してくださらないのですか」

「何を躊躇しろと言うんだ。俺からしてみれば常駐ウィルスを締め出せるならそれに越したことがないんだが」

「酷! 素直に酷! というか素直が酷い!」

「素が出てるぞ」


 どうやら躊躇いもなく彼女の転送をしようとしたことが不満らしい。しかし年中無休に無銭賃貸を強要する彼女をこれ以上留めておく理由などはない。


「というか棗様も何ですか、問題ごとを持ち込んで。不服ではありますが私は時雨様のナビゲーターという設定ですので浮気は出来ないのですが」

「シール・リンクの力を借りたい事案が生じている」


 ネイの茶番などに付き合うつもりはないようで端的にそう述べる。

 そうしてシステムコンソールを幾つか操作していたかと思うと、厳重なセキュリティロックの重ねられた情報を展開させる。

 素人目に見てもその厳重さが並のものでないことは明らかだ。


「何ですかこれ」

「君達がU.I.F.のコンボイから奪取してきた発信機内部へのアクセスに必要なセキュリティ解除プロセスだ」

「想定通りといいますか想定以上といいますか。頭が痛くなるほどの膨大なセキュリティですね」

「この発信機は単なる情報端末じゃない。LOTUSがリミテッドのセキュリティシステムにアクセスする上で必要な工程を内蔵した言わば脳幹部に当たる機構だ。命令信号を送るLOTUSが俺たちの手中にないためにセキュリティに介入することは無理だが、これがあればLOTUSの管理するセキュリティシステムの関与している情報にアクセスすることが出来る。それ故に、厳重な鍵がかけられていてもおかしくはない」

「何となく要件に見当がつきました。つまりそれを解読するのに私の力が借りたいと」


 話が早くて助かると棗は特に感心した様子もなく話を続ける。


「昨晩の時点で解析課に解析を始めさせたが、成果は芳しくない。認証が十段階ほどに重なっているせいで、解除しても別の認証の解除に取り掛かっているうちに元の状態に復元してしまうんだ。だがシール・リンク、君ならば複数の認証を同時進行で解除することが出来るだろう」

「しかしそっちにネイを送る必要はあるのか? サイバーダクトでどうにかならないのか?」

「サイバーダクトはセキュリティレベルが高度な場合も解除が可能な万能システムだが、この発信機のセキュリティは一般的なそれの数十倍に重ねられている。サイバーダクトに六十秒間という制約がある以上、リスクマネジメントを加味すれば半日以上時間を要することになる。それに、そのような危険を犯す必要はないだろう」

「……時雨様もとんだブラック企業に就職したものですね」


 社畜のように強制労働されるのはお前だけどな。


「俺たちは利潤目的で活動しているわけじゃないため、企業ではない。強いて所属を声明するのならばNPO法人だ」


 ネイが問題視しているのはそんなことではない気がするが。

 何であれ、これはレジスタンスが防衛省攻略を達成するために避けては通れない道だと言えよう。ネイもそれは理解しているようで、やれやれと言わんばかりに肩を竦めてため息を付いてみせる。


「致し方ありませんね。尽力しましょう」

「お前端末間移動できるのか?」


 てっきり出来ないものかと思っていたが。彼女が時雨の端末に現れてから幾度と無くアンインストールを試みたが、根本となるファイル自体が見つからなかったのである。そのため半分地縛霊的なものと解釈していたわけだが。


「端末間の移動はできませんが、オンライン通信で別の端末にアクセスをすることは可能です。まあアクセスとは言っても私のディープランニングシステム自体を転送先に配置するため、時雨様の端末に常駐できなくなりますが」

「つまりどういうことだ」

「簡単にいえば、元のファイルは時雨様の端末に残したまま、別の端末にシステム移動するということです。クラウドシステム的なものなので、転送先で私が稼働している限り、時雨様の端末で活動することはできなくなりますがね」


 そういう話を聞いていると、やはりネイはただのプログラムなのだなと実感させられる。あまりにも感情豊富な口うるさい人工知能なため時折失念してしまうが。彼女はただのプログラムだ。

 本人に言えば確実に抗弁してくるため口にはしないが。まあ口にしなくとも、思考自体を読み取られている気がしないでもない。

 ネイはそれ以降ほとんど口答えもなく、おとなしく棗の用意した解析用のデバイスに転送された。デバイスと言っても巨大なハードウェアで、それ一つでジオフロントの管理ができてしまうのではないかという解析コンピュータシステムデバイスであったが。


「烏川、君には新しい任務を与える」

「課題をクリアしてすぐに任務か。やっぱりブラックだな」

「U.I.F.の襲撃前日、話題に上がった薬物について覚えているか」

「民間に出回っているっていう例のアレのことだろ。倉嶋禍殃くらしまかおうのスタビライザー的な。物質解析ができたのか?」

 

 ジオフロント襲撃によって解析システムが全て破壊され、物質解析に必要な機材が失われた。

 U.I.F.からの支援も満足に受けられないのに、軍需支援を最も必要としている現状では解物質析課の物資支援など後回し状態なわけで。まともに解析は進んでいないとの事だったが。


「進捗は前回のままだ」

「なら何をすればいいんだ。サンプル回収か?」

「サンプル薬物は民間に出回っているものを可能な限り回収しているため余裕がある。その薬物に関して有力な情報が民間から寄せられた」

「民間から……? それ信用して良いのか?」

「何とも言えないな。情報はリミテッドの住民であれば誰でも利用可能な情報発信サイトを用いて送られたものだ。民間人が用いることは勿論、防衛省の人間が俺たちを罠にかけるために送付したという可能性もないとはいえない」

「で、肝心の内容は?」

「それはぼくの方から説明いたしましょう」


 昴の登場する機会は大抵この言葉から会話に介入してくるケースが多い。

 それだけ東・昴というこの齢十五歳の少年が、年齢を遥かに超越した知識容量と思考回路を有している証拠であろう。

 子供であると侮るなかれ。彼はリミテッドの改革に欠かせない人間だ。


「そうですぞ、昴様はリミテッドの今後に不可欠な存在。言わば街の形成システムの脊髄と言っても過言ではないでしょう、形骸けいがい的なものですが」

「何気なく思考を読んでくるのやめてくれないか」


 時雨の周りには読心術のエキスパートが多すぎる気がする。それだけ人生経験が豊富な人間たちだということだろうが。


「ぼくたちが追っていた薬物の流通元ですが、それをレジスタンスの情報網で特定することはかないませんでした。ですが昨晩αサーバーにて一般ユーザーによる動画の公開がなされました。とある地点にて薬物の密売をしているという趣旨の動画で、レジスタンス宛に公開したものではありませんが……情報として捨てがたい物ではあるでしょう」

「公開した人間の特定は出来ております。マジョリティID対応者の牧田春男という男性で、渋谷区在住、中小IT企業に勤めていますな。社内センサーの情報からして欠勤や遅刻などのペナルティを負っている様子はなし。街角スキャナの記録に顔認証システムで照らし合わせても、これまでの防衛省による施策の実行された地点に関して一致するデータはなし……この男自体は白でしょうな」

「で、問題の薬物の伝染元はどこなんだ?」


 酒匂から送られてきた動画公開主の詳細をわき目に確認しつつ話の本題に取り掛かる。情報局の者たちが白というのならば白なのだろう。


「廃墟された重工企業の倉庫です。調べた所、織寧重工の下請けにあたる企業のものだと考えられますね」

「廃墟ということは既に廃業になっているのか」

「織寧重工が陥落した時点でそれは免れない結果だったといえるでしょうな。以前烏川殿方が出向いたという工場とは違い、織寧重工グループ本社が事実上物理的に潰れた後に、数珠つなぎ的に潰れたようですが」


 織寧重工の下請けということも気になる。あの企業が防衛省直下の官営であったことは発覚している。アメリカの高周波システムを横流しするという形でラグノス計画に関わっていたこともだ。

 その織寧重工グループの下請けということは、織寧社長が新型A.A.の格納に用いていたあの廃工場と同じように、薬物の伝染元に防衛省が用いていないとは言い切れない。


「つまりその工場に出向いて調査しろと。もし件の情報が間違いないもので薬物の伝染元になっているなら、焼却してしまって良いのか」

「件の薬物の性質が未だ判明していない以上、俺達が手を下す必要があるものなのかどうかも不明だがな。それでも防衛省が世間に流している可能性が拭えぬ以上、早急に不安の種は潰してしまうに限る」

「もし黒だったら間違いなく戦闘になるわけだが。ネイを預けてしまっている以上、こちらの戦局が不利にならないか?」

「ソリッドグラフィにて廃工場内にユニティ・コアの反応がないことは確認できている。斥候を送り危険がないことを確認してから君に出向いてもらいたいのが本音だが、生憎その廃工場は地下に埋め込まれる形で設計されている。そのせいで外界との繋がりが一つしかない。斥候による大胆な部隊捜索をして敵に感づかれたら厄介だ」


 だから事前の哨戒もなしに単独で危険地帯に乗り込めということか。

 ユニティ・コアの反応がないということは、少なくとも最も厄介なU.I.F.やA.A.は常駐していないということ。

 潜伏しているとしても生身の人間のみなわけだ。一成のメシアに関してはソリッドグラフィで観測できないため予測しきれないが。


「解った、やるよ」

「U.I.F.による迎撃がないと分かっているとはいえ、ここが伝染元ならば戦闘は免れえない。君以外にも数名調査員を派遣する」

「動員するメンバーは?」

「管理課、今手の空いているスタッフは?」

「柊と和馬、ロジェの遺伝子二人、その父親、聖、霧隠……HQヘッドクォーターの東と酒匂を除けばそれくらいだろう」


 伊集院の返答からして、大規模作戦の直後ということもあり現状そこまで任務に駆り出されているわけではないことがわかる。


「柊は狙撃専門だから現場が地下の今回は却下だ。峨朗姉妹はこれ以上レジスタンスの活動に参加させるのは好ましくない。峨朗には既に姉妹の監視役を一任させている」


 ついでに月瑠も却下にしていただきたい。


「霧隠に関しては峨朗姉妹の監視役を怠ったとして集中教育を養成課の人間にさせている。どちらにせよ動員は不可能だ」


 月瑠を却下とした理由については問うまでもなく理解の域らしい。

 

「現状手が空いているのは和馬と聖といったところか。昨日の任務と同じ編成になるが構わないか」

「真那は昨日の作戦で負傷したんだ。安静にさせてくれないか」

「それもそうだな、聖の状態はどうなっている」

「昨晩の時点で医療機関に彼女の身を受渡している。本人は健常を誇示しているが貴重な人材だ。脳障害は残らないとの診断であったが、万が一の事態になったら問題だ、今回の動員は避けるべきだな」


 であれば和馬との共同ということになるだろうか。彼は幸い先日迎撃を受ける前に地下から撤退していたため、負傷はしていないとのことだった。

 負傷といえば結局泉澄の容体はどうなっているのであろうか。昨晩就寝前に確認した所、キメラの機体ごと地下から回収されたとのことであったが。

 彼女が地下に落下し海水に呑まれたのは港区台場メガフロートの末端。しかし機体が見つかったのはメガフロート外だったという。それだけ漂流されたのか。


「風間なら既に復帰している。今はアーセナルにてキメラの試乗演習をしているはずだ。一時的な疲弊障害が何度かみられているから作戦には参加させられないが、後から会いに行くといい」

「そうか、無事か」


 絶対安静というわけでもないようだ。泉澄はその生真面目過ぎる性格もあって、自身の精神衛生状態に関して盲目になるところがある。

 あくまでも演習とはいえ、キメラはA.A.と違って完全マニュアルマシンである。肉体的にも精神的にも多大な負荷がかかっておかしくない。あまり無理をし過ぎないで貰いたいものだが。


「今回の調査はとくに急を要する事案でもない。急いで出動する必要はないが、君が今から出動を考えているなら輸送班と和馬に伝達をするが」

「ああ、それで構わない」


 革命を目論む異端分子がレジスタンスだ。今できることは、ただ改革の布陣を着実に敷き詰めていくことだけだろう。


「アナライザーはこちらで預からせてもらう」

「は? 何でだ?」

「私がいないと時雨様はインターフィアも駆動できませんし、指向性マイクロ特殊弾を撃つことも出来ないじゃないですか。出来ることは通常弾による射撃のみ。持っていても足かせとなるだけではないですか」


 確かにそれもそうだ。何だかんだ言っても自分はネイの力にだいぶ頼りきっていたのだと再確認しつつ、アナライザーをソリッドグラフィ上に置く。

 敵の布陣が潜伏しているかもしれない場所にアナライザーなしに足を踏み込むのは多少不安が残る。とはいえ通常兵装は欠かさないわけで。

 それにアナライザーは現状ネイとの唯一のコミュニケーションツールでもある。これを失うとインターフィアを始めとした技巧が使えなくなるわけだ。


「そう言えば、発信機の解析はどれくらいで片付くんだ」

「シール・リンクのやる気次第といえるな」

「セキュリティ状態を実際に触れて確認してみないことには何ともいえません。まあ一般的な高レベルのセキュリティを複数重ねているのであれば、それを紐解くのにかかる時間はだいたい推計できます。まあ五、六時間ってとこでしょう。調査が終わった頃には少しくらいは何かしらの情報をつかめているんではないでしょうか」


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