第186話
反射的に車内の遮蔽物に身を潜めようとしたが、踵を返し真那の手首を掴んで開け放たれた外界との境界を転がり抜けた。
ハッチを破壊したのはおそらく銃器のたぐいではなく爆発物だ。弾丸で吹き飛ばせるほどあのハッチは軟弱な設計ではなかったろう。時限式の爆薬などではないだろうから手榴弾のたぐいか。何であれ即座に時雨らを葬れる爆発物を有していることは間違いがない。
逃げ場のない車内にいては袋のネズミだ。車外に転がりだし車体の影に真那を突き飛ばす。そうして幸正が兵装を切り替えるよりも先に彼に肉薄した。
銃器を手にした相手との遠距離、中距離戦では勝ち目がない。だがインターフィアを用いて五感と反射神経を人外値にまで加速させたならば、接近戦で幸正に劣ることはない。そう判断しての肉弾戦。
「ッ、は──!」
数瞬後には硬いアスファルトに後頭部を叩きつけられていた。首元にアサルトライフルの銃口をつきつけられ一寸の身動きも取れなくなる。
「侮られたものだ」
「く、そ……ッ」
「黙れ」
「このまま黙って殺されて堪」
「黙れと言っている」
反撃しようとしたところを幸正は平坦な声で制した。こんな状況下で、なぜか反撃のために掲げた手を静止させてしまう。
彼の声は威圧的でも憤怒にかられているわけでもなかった。ただ何故か反撃してはならないという思考が脳裏をよぎったのだ。
「起きろ」
幸正はあろうことか銃口を首筋から引かせると襟首を掴んで立ち上がらせてくる。
何が何だか理解が追いつかぬままに彼を睨もうとするが、幸正は既にその場にいない。はっとして振り返ると、彼は真那を担ぎ上げアサルトライフルを片手に駆け出していた。
「お、おいッ、どこに──!」
「黙れ、直ぐに連中が来る。その前に身を隠せ」
彼は振り返ることもせずに応じて物陰に身を隠した。
状況把握が完全にできていなかったが、護送車の助手席でもう一人の局員が死亡しているのを視認する。
落下が死因でないことは明白だった。その側頭部には惨たらしい弾痕が刻み込まれ、サイドガラスは血糊がクモの巣状に這っている。幸正が銃殺したのである。
それを認識し彼の言葉に従うほかないと考えた。真那を抱えた幸正が潜伏している塀に転がり込み、そこから様子をうかがう。
幸正の言ったように直ぐにヘリのローター回転音が拡大していく。希望的観測で思考をフル回転させても、それがレジスタンスの機体でないことは間違いがない。
「構えろ」
真那を遮蔽物に寄りかからせた幸正は一瞥することもなくアサルトライフルを放ってくる。
それを片手で受けようとして手枷で両の手を繋がれていることを想起する。同様に状況に思考が行き当たったのか、幸正は続けて手枷のアナログ鍵を転がしてきた。指先で迅速に解錠し、遮蔽影からライフルの銃口を覗かせて接近してくる機影を探す。
車両はどうやら元々ハイウェイを走行していたようである。それが幸正によるハンドルの不制御で下道に転落したわけだ。横転し大破炎上する護送車の立ち上がる煙を見れば、自分たちが下道に潜伏していることは火を見るよりも明らかだろう。
ブブブというローターの回転音が拡大し、やがて暗雲の合間から差し込む月光を背景に黒く滲んだ機影が直上に到達する。
莫大な光源たるフラッシュライトが大破車両の付近をスポットライトのように右往左往し、潜伏する時雨らの位置を特定しようとしている。
「反撃はするな。あの高度だ、ここから射撃したとして撃墜することは不可能だ」
「そうはいっても、何もせずに隠れているだけではジリ貧だろ」
危惧を具象化したようにハイウェイから幾つかの影が飛び出してくる。
頑丈なガードレールをあたかも飴細工のようにいとも容易く歪曲させて下道に滑り混んできたその影は、熟視するまでもなくA.A.だ。赤外線を搭載したスキャナで策敵されれば位置は確実に捕捉される。
「もう俺たちを捕虜にするなんて選択肢はないだろ。きっと場所を特定されたら最期だ」
「黙って俺の言うとおりに行動しろ」
思わず垂れ流した弱音を幸正は冷静な口調で一蹴する。軍人としての経験のなす業か、あるいは何かを確信しているがゆえの余裕か。何であれ、彼の冷静沈着には眼を見張るものがある。
しかし今は感心している余裕すらない状況だ。予測通り、ものの数秒で位置を特定した様子のA.A.はその重兵装を展開する。
単身砲砲口を機械音とともにこちらに向け、何やらレールガンと思しきモジュールを形成させる。インターフィアによって加速化情報化されているがゆえに、既にプロジェクタイルが装填されていることも認知できていた。
射出までどれだけの段階を踏む必要があるのかは知らないが、後数秒で車両は重力に逆らって地上から跳ね上げられることだろう。
皮一枚で繋ぎ止められていた頸が、強風でも吹けば一瞬で引きちぎられてしまいかねない退っ引きならない状況に発展していることだけは間違いがない。
「……ッ」
同じ体勢でライフルを構えている幸正を伺う。本当にこの男の言葉を信用していいものか。
彼が何を考え護送車両から救出したのかも分からないのだ。状況的にはより一層死に近づいたような気がしないでもないが。
ここで助けたからといって彼がレジスタンスの味方である保証などはどこにもないのである。もしかすればこの出来事自体が、防衛省のシナリオ通りなのかもしれないのだ。
「俺のことが信用ならないか」
心理状態を察したように、幸正はこんな状況下であるのに悠長にもそう呟く。
「それで構わん。だが今は黙って従え」
「なにを……」
「伏せていろ」
新たな光源が生まれた。A.A.やブラックホークのフラッシュではない。今にもプロジェクタイルを吐き出そうとしていたレールガンモジュールが爆煙光を噴出したのである。
レールが圧縮熱によって溶解しねじ曲がる。電磁に誘導され発射されようとしていたプロジェクタイルは、衝撃によろめいた機体の腕部を捻じ曲げ地面に突っ込んだ。
火薬を用いないレールガン故に新たな爆炎が迸ることはなかったが、アスファルトを深くまで抉った弾丸は無数の砂塵とコンクリ片を巻き上げる。一瞬にして周辺一帯を石灰石の白幕が覆い尽くした。
「ついて来い」
その場の全ての人間の視界が奪われる。その隙を見逃さず幸正は真那を抱えて潜伏地点から転がりでる。
A.A.の赤外線機能を駆使すれば、離脱を図る時雨に照準を定めることなど容易いこと。しかし今回に限ってはそうはならなかった。A.A.には人間が搭乗していたためである。
自動遊撃プログラムではなく人間の反射神経に起因した機体の制御。人間の反射が状況把握に追いつくまでの時間があれば、その場からの離脱を図ることなど容易いことであった。
「さっきの爆源、ロケランだろ、味方がいるのか?」
迅速にハイウェイに到達し、先行する幸正の背に追随しながら声を潜めて言及する。それに彼は答えずただハイウェイを爆走する。
このまま平坦な高速を走っているだけでは、数十秒と要せずに位置は再捕捉されてしまう。一体どこに逃げようと言うのか。
更に状況は悪変する。向かう方向ハイウェイのど真ん中には、交通を制限するための頑強なバリケードが敷き詰められているのだ。そこには軍用車両がいくつも停車し、何台ものタンクトランスポーターすなわち戦車運搬車が屯を組んでいる。
それらが積載しているのは軍用ではない一般車両。講ずるまでもなく件の一般車両押収取り締まり地点に違いない。
「っ……もう追い縋られます」
数十メートルという距離を空ける間もなく、火花を散らしながらA.A.が一機急接近してくる。
逃走する時雨らを肉塊──それどころか血飛沫にすら変えかねない破壊力の速度を持ってだ。
A.A.が通過しようとしていた足場のコンクリートが弾けた。
「! また弾頭による爆発……!」
タイヤ式の車両であればはまって抜け出せなくなるほどの深い溝。それが爆発によって突如生じA.A.は脊髄反射的な回避を試みる。脚部関節を強引に牽引し跳躍する。間一髪で突貫を飛び越えた機体は、そのままこちらに接触することなく前方地点に着地した。
イレギュラーな事態にも即対応する軍用二足歩行戦車。それは一瞬にして踵を返しこちらを向くとチェーンガンを回転させる。
またもやその背面装甲に爆発が生じた。ロケットランチャーであると推測できる爆来に、さすがのA.A.も前のめりによろめいた。
その機体の側面装甲に背後から急接近した何かが強襲を仕掛けた。黒塗りの一般車両である。タイヤが摩擦で火花をちらし焦げ臭さを充満させるほどのドリフト。進行方向を急激に変換させた車両が後部車体を側部装甲に叩きつけた。
装甲車両の正面からの衝突にも絶えたA.A.も、方向転換による足場の不安定性さもあって不意をついた横薙ぎの強襲には絶えられなかったらしい。
掬うように足を取られ膝関節が緩衝材の無いガラス細工で出来ているかのように軋めく。そして呆気無く足場を崩されハイウェイから場外へと撥ね飛んだ。
「これは……」
黒塗りの車両はA.A.への強襲の際の反動を受けながらもドリフトを継続し、時雨の目の前に滑りこむ形で停車する。タイヤが焦げる不快臭が鼻腔を刺激するほどの近距離で停止していた。見間違えようもなく一般車両である。
運転主の技術かあるいは不幸中の奇跡的な幸いか、グラナニウムの塊に突っ込んだというのに外的損傷は殆ど見られない。それどころか外装は執拗なまでのコーティングをしているかのように光沢があり、特徴的な流線型のフォルムは芸術的な機械感を醸している。
突然の事態に硬直しつつ護身のためにライフルを掲げようとして、その前に車両のフロントドアが内側から開く。
「乗れ!」
「……皇!? ってうぉ!」
この場でお目にかかれるとは思っていなかった男の顔に思わず驚愕を露わにし。その驚愕が解釈に変わる前に背中を力任せに押し出される。
もはや蹴り飛ばしたと言っても過言ではない様な鈍痛を患いつつ、車両の後部座席に転がり込んだ。
「持っていろ」
時雨と同様に、あたかも物でも扱うように粗雑な扱いで真那を放ってくる。
反射的に彼女を受け止めると既に幸正は車内に乗り込んできていた。時雨の押し込まれた後部ではなく前部座席にだ。
「出せ」
「掴まっていろ!」
助手席についた幸正の指示を仰ぐまでもなく、棗はアクセルを全開にまで踏み込んでいた。
腸が煮えくり返るような遠心力に振り回されながらも、バックガラスから次期追いすがってくるであろう敵陣の様子を探る。
先ほど下道に下落したA.A.や、その他の機体もまた既に態勢を立て直しこの車両の追跡モードに入っている。かなりの速度を出しているはずだが距離を空けることは叶わなそうだ。
「逃走経路の確保は?」
「残念ながら、逃走が実現しうる経路に達するまでかなりの距離を走行しなければならない。このハイウェイは直線二キロほど下道への出入り口もない」
つまり二キロ走行する間、時間を稼げということか。
「いや、この車両がU.I.F.が取り締まっていた一般車両であることは分かっているだろう。連中のタンクトランスポーターが随所に設置されている。あれを障害物にして抜ければ、A.A.の足を止めることが出来るかもしれない」
「A.A.の機動性は360度死角なしだ。希望的観測にすぎないのではないか」
「それなら二キロ持ちこたえてくれ。加速するぞ」
「……峨朗を信頼するんだな」
久方ぶりの幸正との再会、この状況であまりにも冷静に彼を受け入れている棗に多少の驚きの訝しみを隠せない。つい先程まで彼に裏切られていると考えていたのである。今だって裏切られていない確証などはどこにもない。
ハンドルを握り縦横無尽に車両を操る棗。彼は一瞬足りとも前方から視線を逸らすことなく唇だけ震わせて応じてくる。
「状況が状況だからな」
「そうはいってもだ」
「君を助けたのは、他でもない峨朗だ」
そう言われては返す言葉もなかった。それに今は悠長に問答している様な状況でもない。
先ほど幸正から渡された鍵を使って真那の手枷を解除し、彼女を座椅子に横たえる。そうしてハーネスでその体をしっかりと固定する。これで多少の衝撃でも車外に弾き出されることはないだろう。
前髪を指先で払って額の傷の状態を確認する。すでに出血は収まっており傷跡も大したことはなさそうだ。もし真那の額に一生消えない傷跡でも残されていたら、一成に対しどれ程の憤怒を向ける事になるか自分でも判断できない。
「聖の容体は?」
「不幸中の幸いか命に別状はない。だがしばらく目は覚まさなそうだ」
「ならいい、確か発信機は聖がもっていたな。有無を確認しろ」
「ああいや、それが……山本一成に回収されたんだ」
「なんだと?」
全て言い切る前に、棗の切羽詰まったような言葉が割り込んでくる。
「つまり、今ないのか?」
「あ、ああ」
「……作戦変更だ、進路を切り替える」
ハンドルを強引に切り替え棗は車体を百八十度回転させた。結果、彼の言葉の通り進路は真反対に変更される。すなわち背後の敵陣に向かう方面にである。
「何してる」
「発信機を手にできなければこの作戦の意味がなくなる。何としてでも奪取しなければならない」
「奪取って……真那は瀕死だし敵は大量だ。まさに多勢に無勢状態だぞ。こんな状態でどうやって奪取するっていうんだ」
「状況が不利なのは最初と変わらない」
「今回は敵に追われている身だ、最初よりも更に悪い状況で──」
「ブラックホークが接近している」
「迎撃しろ、峨朗」
静止になど耳もかさず棗は幸正に迎撃指示を出す。はっとして視線を上げると加速度的にヘリが近づいてきていた。当然である、自分たちで連中の方へと接近しているのだから。
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