第185話
それその物が小型の車両かと錯覚するような堅牢で巨大なタイヤ。それが地の凹凸に跳ね上がるたびに、骨の髄にまで染み渡るような衝撃が全身に突き立つ。
黒幕の貼られた防弾ガラスからは当然外の光景など視認することが出来るはずもなく、ただこの護送車両に運ばれるがままでいるほかなかった。
本来護送車といえば運転席と隔離部屋との間には細かい木目の柵が築かれているはずであるが、この車両はそんな生半可な境界などでは済ませてくれない。
A.A.の搭載しているチェーンガン弾幕を受けてなお耐えうるのではないかという鉄板のような壁が配置されているのだ。
アナライザーも没収されている以上、操縦者を人質にこの状況を覆すという一縷の可能性も見込めなさそうである。
ましてや簡易椅子に横たわって微動だにしない真那を抱えなければならない状況とあれば尚更だ。額からの出血は収まっているようだが、まだ安堵などできようはずもないのだ。
「HQとの通信は回復しないか」
着実に時間とレッドシェルターまでの距離が縮まっていく中、何度目ともわからぬ疑問を投げかける。
「先程も申し上げましたように、通信妨害を受けているため無線の回復の見込みはありません」
対してネイはどこか呆れたように溜息を漏らしてみせた。
「俺達の状況は正確に本部に伝わっているのか……」
「この護送車に乗せられるまでは無線が生きていたので、ある程度の状況把握はできているでしょう。またジオフロントにはソリッドグラフィもあります。時雨様の正確な位置情報は逐一伝達されているはずですが」
「だとしても……この護送車にはA.A.が随伴しているはずだ。簡単にはレジスタンスの接近を許してくれないだろうな」
車窓がブラックアウトしているためまともに外の光景など俯瞰しようもなかったが、間違いなく護送車一台だけということはあるまい。捕虜として捕らえレッドシェルターに護送している以上、厳重な防衛網と厳戒なる警戒態勢を築いていてしかるべきだ。
まあ本当の意味での厳戒態勢ならば、時雨と真那が二人だけ車両内部に残されるという処置は取らない。U.I.F.の一人や二人監視につかせてもいいかと思うが。
流石に背中側で施錠されている枷が解かれることはなかったものの、ある程度拘禁室内部であれば小回りがきく。
とは言え今は体力を温存しておくべきだろう。そう判断し持ち上げかけていた腰を落ち着かせた。
「この車両に拘禁されてから三十分くらいか……今どの地点を走行しているんだ」
「レジスタンスの襲撃を避けるべく遠回りしているとして、おそらくは渋谷を経由するつもりでしょう」
「渋谷?」
「正確には渋谷と港区の区境地点といいますか。あそこには今、確か別のU.I.F.部隊が滞留しているはずですからね」
「一体何の話だ?」
ネイの言葉の真意を読み取れず不審な声を漏らす時雨に、ネイは無言でホログラムを転写する。簡易ソリッドグラフィである。
彼女がいう渋谷の地点を見るが何かしら変わった様子はない。ただいくらかのユニティ・コアの反応があるだけだ。
「……いやその反応が問題なのか」
「ええ、この作戦に乗り出す前に、新たな伝令があったではないですか。渋谷と港区の区境地点でU.I.F.が一般市民の取り締まりに出向いていると」
そういえばそんな話があった。
富裕層区画である港区、そして庶民層区画である渋谷区。その二つの違いは所有するIDに毎月自動的にチャージされる月間使用額の差異だけではない。
交通関係にも言えた話で庶民は基本的に自家用車の所有を赦されていない。今回そんな庶民が自家用車を利用したとして、U.I.F.が庶民層区画にわざわざ出向いて取り締まっているという。
天下の防衛省直下の大組織『鉄のような無人軍隊』であるU.I.F.が取り締まりなどと違和感しか残らない。今のリミテッドにおいて規律は何よりも重要なものであるのだとか。
「まあその場所にU.I.F.が集まっているのは、車両の取り締まりをしているからだとして……それでどうしてこの護送車両はそこに向かっているんだ?」
「さぁ、何とも言えませんがね。おそらくは人事の関係でしょう。時雨様と真那様を捕縛したということで、何かしら人の入れ替えが必要になったとか……あるいは単に合流することが目的か。いつレジスタンスの別部隊が襲撃を仕掛けてきてもおかしくはありませんからね。防衛省からしても防衛力は大きい方が安心でしょうから」
少なくとも状況が好転することに繋がるわけではないようだった。
この状況下、流石に棗がレジスタンスを動員して時雨らを救出する作戦を組むとは思えない。あまりにも危険過ぎるからだ。
受け身態勢で居てもこの監獄車両から抜け出すことは出来ないだろう。
「とはいえ、この車両の中で何が出来るってんだ」
見渡す限り頑強な鉄で構築された車両の壁しか視界には映らない。腕力でどうこうなる物でもないだろうし、唯一あれに孔を開けられるであろうアナライザーも押収され手元にない。
真那は依然として気を失ったままだ。命に別状はないだろうが無茶をして症状が悪化したら最悪だ。
冷たい座椅子に横たわる彼女を脇目に伺う。手枷を付けられているため彼女の頭部の傷の応急処置も出来ず、自然に血が止まるに任せていた。
幸い傷は深くなかったようですぐに出血は治まったものの、全くの影響なしとはいかないだろう。もしかすれば脳内出血でも起こしているかもしれないし、無理に動かしてしまっては最悪の事態になりかねない。
「薬一つで簡単に治療できる肉体になってしまってたからな……普通の人間の身体のことはさっぱり解らない」
「何ですか時雨様、女性の肉体美という未知なる理想郷に思いを馳せ、妄想をふくらませているのですか」
「そんな冗談言える状況でもないだろうにな」
「真那様の純真無垢な寝顔に見蕩れている所申し訳ありませんが、時雨様、確かに今は何も打つ手のない状況ではありますが、すべきことがあるのではないですか」
「今自分で何も打つ手が無いって言っていなかったか」
「この状況を打開するための打つ手、ですよ。今できることはいくらでもあるでしょう。そう例えば今回の作戦の目的の達成度の確認とか」
「目的……ああ、発信機のことか」
ネイの言わんとしていることに思い当たって、両の手の自由のきかぬ状態のまま真那ににじり寄る。そうして背中側で拘束されている手のひらで真那の衣服をまさぐり発信機の有無を確かめる。
「ないな」
「車両に連れ込まれる際に回収されたのでしょうね。しかし真那様をここに連れ込んだ時の一成様は……どこかお伽話の騎士のような佇まいと威厳を醸していましたね」
「頼むからやめろ」
とにかく今は何が出来るか考えるのが先決だ。
車両に揺られている現状、冗談ではないがネイのよく言うドナドナ状態と何ら変わらない。
時雨らは屠殺場に向かう荷馬車に乗せられた家畜と同じだ。目的地につけば公開処刑か、あるいは人智を超えるほどの残虐の限りを尽くされるに違いない。そんなのは御免だ。
「何としてでもここから離脱する」
「言うだけ簡単だな」
ネイではない、勿論真那でもない声。それが突然割り込んできた。はっとして身構えるも車両内部には誰もいない。最大にまで神経を研ぎ澄まし何者かの奇襲に備える。
車両は依然として揺れ続けているが、目的地に着くまでは危険がない保証などはない。道中で抹殺される可能性だってあるのだから。
ネイがインターフィアを発動させたのか視界が情報化され、車両の構造もまた様々な情報の集合体として認識される。それによって車両の操縦をする者の姿を視認することに成功した。
車両の内部装甲にA.A.のそれと同じグラナニウムでも用いられているのか、その姿は明瞭には映らない。それでも、ショルダーハーネスが引きちぎれんばかりに張り詰める筋骨は見間違えようがない。
完全なる無毛地帯と化している頭部が極めつけだ。先ほどの重低音の声を耳にすれば、その人物を特定するに十分な情報が揃っていると言えよう。
「峨朗……!?」
驚愕に戦慄を押し隠せない。何故彼がこの車両の中に。それも運転をしているのか。それ以外にも様々な疑問が脳内に渦巻いては漂流する。
しかしそれらを言葉にするよりも先に疑問の根源が再度口を開いた。
「U.I.F.の頑強な布陣の中、この護送車は走行している。貴様はその状況下で、どう事態を覆すというのか」
ハンドルを握る幸正は振り返りもせずに単調な声音で問うてきた。時雨の拘禁されている側と運転席との境には分厚いグラナニウムの鉄板が築かれているから、振り返った所で赤錆くらいしか見えないだろうが。
それに答えない。それよりもまず正確な状況把握に努める必要があったからだ。
彼が防衛省の護送車両に搭乗し革命軍を護送しているこの現状が指し示すことはただ一つ、幸正が防衛省の指示を受け活動しているということだ。
彼の背信行為に関してはこれまで様々な事実から確証つけることができていたが、それはあくまでも状況証拠に過ぎず、物的な証拠には何も繋がっていなかったのである。昴を銃撃した犯人である証拠も、防衛省にレジスタンスの情報を密告している諜報員であるという証拠も。
偶然隔離施設にてクレアに遭遇したが、彼女の口からも幸正が内通者であるという言質は取れなかった。
だがその不透明性が明瞭かつ明快な物へと变化した。彼は確かに裏切っていたのだ。
「頑強な布陣……な、防衛省の忠犬が言うならそうなんだろうな」
言葉で彼を責めることは出来たが今はそんな場合でもない。
幸正に対する憤怒や疑念は無数に存在する。しかし確定した『彼が諜報員である』という事実を今更再確認する為に時間を割く理由もない。これからこの布陣が大きく変化するというのなら、今打てる手立てを最大限に活かすことに尽力すべきだ。
幸正の裏切りが発覚して状況は悪くなったようにも感じられる。だがそれはあくまでも精神面における環境の話だ。
先ほどとは異なり今は運転席に搭乗している幸正とのコミュニケーション(と言うにはあまりにも一方的だが)手段が開通しているのだから。彼が敵であろうとそうでなかろうと関係がない。確かな情報源がそこにあるのだ。
「で、俺達はどこに連行されているんだったか」
「問うまでもないことだろう。レッドシェルターだ」
「それにしては車両の進行方向が少しずれているだろ」
「それに関しても愚問だ。先ほど貴様自身がシール・リンクから情報を抽出し、結論に達していただろう」
幸正は一切こちらに振り返ることもせずに、ハンドルを握ったままただ黙々と応じてくる。
そんな彼の隣には見慣れないシルエットが腰を落ち着かせ、何やら無線で更新を図っている。どうやら今向かっている区界での合流に関する話であるようだ。
「じゃあネイの考察の通り、一般車両の不法所持の取り締まりをしているU.I.F.と合流する目的なのか?」
「そうだ」
敵に回っている状態の幸正であれば、こちらの質問に対し何も返さぬほうが自然な気もするが彼は存外親身に返答をする。無論声のトーンも仕草も無機質だが。
「合流地点にて一度車両は停止するが、その隔離空間が外界に開放されることはない。離脱の可能性を抱いているならば無意味だ。諦めることだな」
「こっちの思考もお見通しってことか」
「先に言っておく。この車両は貴様個人の力でどうこうできる物ではない」
「ご親切にどうも」
「これは貴様に対する助言でも何もない。忠告だ」
変わらずの平坦なトーンでそう呟いた幸正だったが視線を振り向かせたのが解る。堅牢な壁越しに目線があった。彼は時雨のことを視認できていないはずだが、確かに視線が交わったのである。
一瞬の交錯。インターフィアによって意識と感覚を厳戒に研ぎ澄ませていなければ、交わったことにすら気付かないほどの一瞬。幸正からの何かの伝心を感受した──そんな感覚に陥る。
忠告、そう述べた瞬間の彼の思考を読めたわけではない。だがそれは単純な警告や脅迫といった威圧的な物ではなく、何か別の意味を揶揄するような抽象的な感慨を得たのである。
それから彼は何も発言しようとはしなかった。さらなる情報の流出を促しても彼は一切反応せず口を噤んだままで。ただ無慈悲に時間が経過し着実に目的地へと進行していく。
「現在座標から推察するに……おそらく取り締まり地点まで後一キロ程度でしょう」
ガタガタと揺れる車両の中、半ばやけになりつつも思考を展開させる。
幸正は合流地点での離脱は不可能といった。しかしそこを越えたら後はレッドシェルターまで車両が止まることはないだろう。動けるのは今しかないのだ。
車両唯一の堅牢な扉に視線を注ぐ。その施錠が弱まることなど当然無いわけで、頑丈な錠は到底自力では破壊することなどできようはずもない。それでも何もせずにこの好機(と言うにはあまりにも粗末過ぎるが)を逃す理由はなかった。
ハッチにまで歩み寄り深呼吸し全力を膂力に集中させる。さんざん温存した体力を全て注ぎ込んだ渾身の一撃を叩き込んで、それでも錠を破壊できないようならばもはや打つ手はない。
「ハッチを破壊できたとして、そこからがさらに過酷な状況と言えるでしょう」
運転席の二人に聞こえないほどに極小な声量でネイが告達してくる。
インターフィアで透視した外の状況、この車両を囲うように数台の車両とメシアを筆頭とした四足・二足歩行兵器が走行している。既に兵装は展開されていて、いつレジスタンスや第三勢力の襲撃を受けても対応できるような体制が整えられていた。
おまけに意識不明状態の真那を抱えている。彼女の安否を前提にこの逆境を覆すことなど到底不可能に近い。
「ここまで進退窮まっていると、もうどっちに転んでもデッドエンドしか見えなくなりますね」
「レッドシェルターに連行されたら極刑は確実だろ。少なくとも防衛省の権威と犯行声明の礎になるのは御免だ。それなら戦死してやるさ」
「そもそもハッチを破壊できるかどうかも不明瞭なところですが」
「アンチマテリアルは……」
「あれはただのデバイスなので、時雨様の全力の殴打に耐え切れないでしょうね」
瞼を落として再度膂力にエネルギーを充填させる。
凛音と違って肉体はあくまでも通常の生身のものと変わらない。リジェネレート・ドラッグによる驚異的な再生力があるにしても、生身を超越するような頑丈さはない。
全力でこのハッチを殴打できたとして、ハッチよりも先に腕が反動でへし折れたり、ましてや引き千切れない保証もどこにもない。だが少しでも歪みを生むことが出来れば離脱できるかもしれないのだ。
「ちょっとまってください」
好機はネイの言葉によって削減される。ただえさえ時間がないというのにこの人工知能は一体何を待てというのか。
「車両がコースを外れました」
「え──?」
その意を尋ねる暇すら与えられない。嘔吐感を醸すような強烈なGに見舞われる。グワンと脳天が明転するような視界が回転するような浮遊感。インターフィアを正確に作動させることも儘ならず、外の状況を認識しきれない。
路上を走行していなことだけは確かだ。車両が投擲された投石機の石のように不確定方向の回転をその身に滑空している。その状況から数秒後に如何なる事態に投げ込まれるかは明確だった。
重力が働いている以上、飛翔すれば放物線の頂点を通過した時点で落下運動に入り、落下すればいずれ地面に叩きつけられる。
地上が急激に迫ってきていることを肌で感じ上下のひっくり返った車両の中、シェイカーの中の氷塊のようにシェイキングされながらも真那の手首を掴んだ。そうして座椅子の手摺を力任せに鷲掴む。
衝撃態勢を整えきる直前に、車体が重力と走行時の殺しきれなかった加速のままに地上に叩きつけられた。
「ぐぁ……ッ」
どのような状況に瀕し車体が中空に投げ出されたのか、またどれほどの高度から落下したのかは計り知れないが、衝撃からして先ひどまで走行していた路上よりも高度が下がったことは間違いない。
先程まで走行していたのが元々高速道路だったのに対し、下公道にでも落ちたのか。詳細は分からないが、落下によって車両の内部構造が大きく変容していた。ハッチ付近の隅が溶接に失敗したかのようにひしゃげ、金属が金属らしからぬ形状にねじ曲がっている。
ハッチが衝撃で吹き飛べばよかったが、不幸なことにねじ曲がった金属装甲がハッチの接続部に突き立ち、開閉部を完全にクラッシュさせていた。もはや力技でどうこうできる次元にはない。
「おまけに……火炙りですか」
落下の衝撃でエンジンがやられたのか既に火の手が上がっている。ガソリンと煙の強烈な臭いが充満を始めていた。
「まずいですね、この状況」
「爆発しかねないぞ……」
「それよりもまず焼死体と化しかねませんね。それ以前に、ガスがこれ以上充満すれば窒息死という可能性も出てきます。装甲に穴が開いているにしても、この速度での充満ですと、致死濃度は免れないでしょう」
力任せにハッチを蹴るが接続部はびくともしない。代わりに指の骨が粉砕するような耐え難い激痛が爪先に襲来する。穿たれた穴をこじ開けようとするが、グラナニウム金属の強度は尋常ではない。断面が手のひらに突き刺さり流血するのが関の山であろう。
悪態をつきつつ、少しでも真那の生存確率を高めるべく、依然として意識不明なままの彼女の口元を手ぬぐいで覆う。
時雨の場合は回復できるが彼女はそうもいかない。まあ肉体的な損傷ではなくガス窒息の危機をリジェネレート・ドラッグで回避できるかは微妙なところがあるが。
「正直まずいな……」
「……神は得てして、時雨様のことをとことん追い詰める趣味があるようですね」
「は?」
「窒息死するよりも先に銃殺されそうです」
ネイのその言葉が紡がれ切る前にハッチが吹き飛んだ。車体が大きく跳ね上がる衝撃とともに、あっけなく結合部のひしゃげたハッチは外界に投げ出される。
闇夜を照らす月光が車内に注ぎこみ、視界にはその光を背に佇む巨体が映り込む。
「峨朗……!」
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