第181話
「ネイ、ここから一番近いターミナルはどこだ」
「台場工業地帯に位置しています。直線距離で言えば五百メートル弱といったところでしょうか」
「足をなくした以上、徒歩で行くしか無いか……仕方ないな」
いつこの瓦礫を蹴散らして新たなA.A.が突っ込んでくるかも解らぬのだ。嘆いている時間的猶予はない。
真那を引っ張り起こし駆け足で地上に出るためのターミナルに急ぐ。その間にHQに対し現状報告をする。
「無事か」
「なんとかな」
「発信機は奪取できたか?」
無線越しに発せられた棗の声。激戦をくぐり抜けた時雨たちに対する賛辞や労りなどほぼなく、まず任務が遂行されているかの確認をしてくる。
癪にさわるがそれに対する反抗心は抱かない。それほどまでにこの発信機が重要なものであるが故だ。
「ええ、持っているわ」
真那の手には車両内で確認した件のガラス詰めのCPU的なブツが収まっている。
「よし、君たちはそれを本部に届けることを何よりもまず優先しろ」
「私達はどこに向かえばいいの?」
「君たちの向かっているターミナル上空に航空支援ヘリを対機させている。君たちを確認次第ランディングする。それで離脱してくれ」
「了解した。強攻策は使わずに済みそうだな」
「……であればいいが」
曖昧な返答を残して無線は遮断された。
航空支援ヘリを脱出口たるターミナル上空に配備するということは、それすなわち強硬手段として対機させていた航空支援機を分散させるということか。いや先ほどの棗の曖昧な口振りからしてそれはなさそうだ。
慎重派の棗のことである。おそらく完全にミッション区域から離脱するまでは強攻策とやらを保たせるはずだ。
「ネイ、連中に追いつめられるとすればどの経路だ」
「この地点は23区外との境界地点であるため、23区内のように運搬経路がクモの巣状に張り巡らされているわけではありません。それはつまり敵にこちらの大まかな位置情報を観測されかねないということになります。次のターミナルまでは一本道ですから」
「つまるところ、ターミナルまでの一本道で遭遇したら最悪ってことだな」
「ただし、件のターミナルは台場の工業地帯にあります。先ほど迎撃を受けた地点は座標的には別のフロートになるため、敵陣営はターミナルに向かう前に海を跨ぐ必要があるわけです。であれば、東京湾の水深の低さを利用し、地底に築かれているこの地下運搬経路を用いて一直線にターミナルに向かえる私たちのほうが有利です」
「でも、相手はブラックホークを対機させていた。先に向かわれている可能性もあるのではないの?」
「その辺りは棗様方の抜かりが無いでしょう。なにかしらの形で足止めを行っているはずです」
不確定要素が多いが、自分たちの手で通路を潰してしまった以上、この脇道のない経路では一本道にしかなり得ない。
確実に歩まねばならない道であるため勘ぐった所で回避など出来ないのだ。
「でも私たちは徒歩よ。ブラックホークを足止めできても、先に敵がランディングゾーンに到着してしまう可能性が高い」
「確かにこれからずっと徒歩で向かうのであれば厳しいですがね、ここまで来る際に用いた車両があるではありませんか」
ジオフロントからこの場に出向いた際、なにも徒歩や高架モノレールを経由して来たわけではない。敵の陣営に捕捉されぬよう、任務執行地点からある程度離れた地点に車両を停車させていたのである。
そんな想起を展開させているうちに、闇に滲んだ通路の先に車体が見え始める。
「車両に乗れば連中より先にターミナルに向かえる。何とか離脱できそうだな」
車両にまで駆け寄り安堵の息とともに慢心を漏らした。
「──それは慢心だね、時雨君」
安堵の息は爆風によって掻き消される。突如通路全体に吹き込めた粉塵に枯れ枝のように吹き飛ばされていた。
「どうして、こんなに早く──」
捕捉されたのか。その真那の疑念は粉塵が晴れると同時に解消された。車両があった場所には瓦礫が山積し、吹き散らされたガソリンに引火したのか黒煙が通路中に蔓延を始めていた。
瓦礫の中央には四足歩行生物を模した様な金属の塊が君臨している。
認識しがたい兵器ポッドを無数に搭載したその獣は、上方から差し込む仄かな月光を全身に浴び、蠱惑的な鈍色の光を反射させる。メシアだ。
どうやらターミナルから地下に侵入してくるわけではなく、直接地面を崩壊させ地上と地下とを強引に開通させたらしい。
月光が差し込んでいるあたり海底に経路が移行する前に襲われたようだ。
「この僕が、みすみすイヴを拉致するのを見過ごすと思っていたのかい?」
ノイズがかった拡声音。確かめるまでもなく声の主は推察できた。
それに応対している余裕などはない。メシアの掲げられたアームは倒れ伏したままの真那へと向けて叩きつけられようとしていた。反射的に前に立ちふさがると同時、盾にするように構えていたはずのライフルが粉砕した。
無数の破片となって分散したそれは盾としての意味をなさず、受け止めきれなかったメシアのアームはもろに肩口にめり込む。
肩骨から肩甲骨あたりまでがぺしゃんこになるような激痛と、襲いきたどうしようもないほどの横揺れ。肺が潰れたのが解る。脳震盪に似た症状に苛まされつつ為す術もなく弾き飛ばされた。
「が……ッ」
鉄筋コンクリート製の硬質な壁に背中からめり込んだ刹那、完全に意識が飛んだ。
◇
「これは異常事態ですね、エンプロイヤー」
無線音声で大まかな状況把握をした月瑠は、焦燥と緊迫に駆り立てられつつ、仁王立ちしてソリッドグラフィを俯瞰していた伊集院に声をかける。
彼は年齢に相応したような十分に蓄え揃えた髭を指先でさすりつつ、苦渋に塗れた顔で「ふぅむ」と言葉にならない弱音を漏らす。
ソリッドグラフィ上では、作戦の決行地点たるイモーバブルゲート直下の運搬経路から五百メートルほど離れた地点に変化が生じている。
台場メガフロートの内、海洋を間に挟んだ地点のすぐ脇つまり貿易港メガフロートの一部の地面に巨大な突貫が穿たれていた。
「HQ、聞こえるか、応答しろ」
棗は取り乱しこそしていないものの真剣その物の声音で無線機を鷲掴む。すぐに同じジオフロント内部にいるであろう情報統合局の人間に繋がった。
「はい、聞こえています」
「東、状況は正確に把握できているな。緊急事態だ。強攻策を使う」
「潜水艦への伝達は酒匂さんに担当させます」
「既にハープーンの発射準備は整っているようです。皇殿の発射指示の待機状態にあるようですな」
「件の強攻策は数珠つなぎに手順を踏む必要がある。間違っても誤射しないようM&C社に釘をさせ」
「仰せのままに」
棗は酒匂の発言を耳にするよりも早く無線を遮断する。そうして別の周波数に合わせた。
「強攻策ですか?」
無線が開通すると同時にシエナのノイズがかった疑問が発せられた。どうやら先の全体周波数で大まかな状況把握は済んでいるらしい。
「すぐに準備しろ」
「時雨様方の救出目的で工業地帯にランディング準備を始めている機体を呼び戻すにはしばしの時間を要しますが」
「構わない。その機体には万が一に備えその地点で対機させろ」
「ということは、ステルスヘリの準備を始めろということでしょうか」
「そうだ」
強攻策を展開するための指示伝達。それが満了するのに六十秒と要さなかった。
棗は鳴り止まぬ指示と伝達に駆られながら、時雨と真那の救出のための段取りを着実に進めていく。
そんな息子のことを脇目に俯瞰しつつ、伊集院は再度大地に穿たれた突貫の解釈を展開させる。
「穴……か」
「どう思いますかエンプロイヤー」
「これはミステリーサークルだ。なにが原因で生じた現象であるかは図りかねるが、自然が我々レジスタンスの妨害をしたことは明白だな。つまり、レジスタンスは大自然から見ても明確な悪であるということだろう」
「どうやら老朽化が進行しているのは外見的な容姿に限った話ではないようですね。前頭葉が加速度的に退化していることが今の発言から見て取れます」
上の空で紡がれた伊集院の解答に採点をつけたのは、当の質問者である月瑠ではなく、無線の繋がる先にいるはずの人工知能であった。
「ホログラフィさんじゃないっすか。今そっちどうなってます?」
「正直良い状況だとはいえませんね。そこの老骨男の推察は百パーセント外れているので正しい回答を見込めないと判断し、模範解答を提示しますと……自称アダムの某前髪チャイニーズ男の乱入を受け、皮を剥がれ、逆さに吊るされ冷凍保存されている豚ほどに満身創痍な状態にあります、時雨様は」
「つまりアダムセンパイの襲撃で超デンジャラスなシチェーションに直面しているわけですか」
成立しているかも解らない問答の末に現状の把握に成功する。
つまるところ自分がミステリーサークルだと解釈したこの謎の穴は、アダムこと山本一成によって故意的に生み出されたものであるということだろう。そう推察しつつ、伊集院は絶え間ない疑念に翻弄される。
「しかし何故奇襲に勘づけなかった。ソリッドグラフィで観測している以上、彼奴の動きに気づかぬはずがない。事実、私はなにも観測しなかった」
「月瑠様のクビレに見惚れて観測を怠ってたんじゃないですか?」
「ふん。ロジェの血を引かぬ霧隠風情のクビレにこの私が……ふぅむ」
鼻で笑った伊集院であったが尻目に月瑠の横姿を伺いその言葉に詰まる。そうして改まったように髭を擦った。
「さすがの私も下らない歓談で無駄に時間を要する余裕はないため、端的に答えます。まず観測し得なかった原因はソリッドグラフィがユニティ・コアの反応しか感受出来ないという性能の機械であるからです」
「したらば、彼奴はA.A.を使わずに地上と地下とを開通させたというのかね」
「A.A.が二足歩行兵器という意味だと解釈して良いのなら、答えは是です。月瑠様は以前目にされたと思いますが、防衛省は織寧重工の開発したA.A.以外に大型四足歩行兵器を有しています。勿論、レジスタンスが織寧重工本社を陥落させることで取得を妨げた新型機のワイヤラブル、その試作機のことでもありません」
「ああ、機械なのに、アダムセンパイの超エキセントリックなアダムアボイダンスを体現したあの機体のことですか」
「──メシアか」
伊集院は月瑠の想起を耳に挟むよりも先に検討をつけていた。
ジオフロントに格納されている倉嶋禍殃が開発したと思われる機体キメラ。あれに対を成すような形状、そしてそれを凌駕するほどのセンスの欠片もないネーミング。
「なるほど、あれらの動力源にはユニティ・コアが使われていなかった。それ故にソリッドグラフィでは観測し得なかったということか」
「ですね」
「ふん……どうだ棗よ、この洞察力、お前の父親の右脳は未だ衰えてなどいないぞ」
「今更気づいても遅いんですよ老骨野郎。そもそも左脳です」
「右脳が違うのう」
「頭を使ったつもりでしょうが、口頭での回文は人間の知能指数・触発的な解析能力では認識できる許容範囲を逸脱しているため、ただのアホにしか見えませんよ」
暴言とも取れるネイの罵倒であったが、伊集院はそれに抗議する気すらおきなかった。それよりも気がかりなのは捕捉された潜入組の安否である。
「詮ずる所、烏川と聖は未だ生きているのか?」
「屠殺処分はまだですね。現状、真那様も時雨様もU.I.F.に拘束され自力での脱出ができない状態に陥っています」
「捕まっちゃったわけですね。超ピンチですか」
「私がこうして連中に気取られずにHQに連絡出来ている点を見れば、そのセキュリティ体制はガバガバですがね。とは言え物理的な拘束を受けているので、先程言ったように自力で離脱することは不可能かと」
「や、やばいじゃないですか」
「そのための強攻策だ」
伊集院とて、この逆境において何の打開案を有さずに歓談に勤しんでいたわけではない。彼の中には、この状況を絶望と釈るにはあまりにも悠長過ぎる油断があった。
「棗よ、強攻策の成功率はどれほどだ」
「場合と状況に左右されるが、シュミレーション通りに事が進むと仮定するならば、九十パーセント以上だろう」
強攻策展開の準備を整えた棗が額に滲んだ汗をぬぐいつつ平坦に答えた。
「結構楽観的なんですね」
「懸案事項があるとすればハープーンの火力だ。必要以上に水中貿易港に損壊を与えた場合は……第二次災害を招きかねない。そう考えれば、成功率が九割以上でも、一割に天秤が傾いた時のリミテッドの被るダメージはかなりのものになる」
「……と言うかですね、あたし未だにその強攻策というものがどういうものなのか理解していないんですけど」
ㅤ話の流れについていけていない様子の月瑠。その反応に見かねたのか小さくため息をついて棗は月瑠に向かい立つ。
「峨朗凛音程ではないものの、君はかなりのルールブレイカーだ」
「名前が
「そしてそれと同時に計画を破壊する疫病神でもある。この作戦を無事完遂させるために敢えて説明は省いていたが……もう話してもいいだろう」
「今ものすご~く失礼なこと言われた気がするんですけどぉ」
「そうだぞ棗、多少性格や根気強さ、協調性に難があったとして、それはクビレの魅力次第で容易く埋めることが出来る溝だ。霧隠の思慮浅さをあまり責めるものではない」
「何度も言うが親父、お前も霧隠と大差ない思慮の浅さだ。まあいい、この作戦の肝について説明する」
棗はしばし脳内で話の要点をまとめ、どうすれば目の前で興味深そうな顔を浮かべている脳天気な二人組にわかりやすく説明できるかを模索した。
結果、一から詳細を全て説明する他ないという結論に至ったわけだが。
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