第178話
棗は円卓を迂回し、卓上のソリッドグラフィに前のめりになる。その指をホログラムに触れさせ幾つか操作すると、東京湾周辺に赤いポインタが百近い数出現した。
確認するまでもなくユニティ・コアの反応。U.I.F.やA.A.、警備アンドロイドの情報だろう。
「多いな……」
「M&C社のコンボイ襲撃時点ではここまでの数は集まっていませんでした。数時間前にレッドシェルターから、数十の反応がこの場所に移動を開始したのを観測しました」
「おそらくは我々が襲撃地点に駆けつけることを見計らってのことでしょうな」
「正確な情報は現状ないが、ソリッドグラフィから観測できる数値を提示すると、U.I.F.が六十二、三派遣されている。他にA.A.が十三機、航空支援のヘリが六機配置されているな」
確かにソリッドグラフィ上にはヘリを示すマーカーが六つ浮遊していた。その内部では赤いマーカーが幾つか点滅している。搭乗員であるU.I.F.だ。
その他のマーカーは全て、イモーバブルゲート直下の地下に位置している。M&C社のコンボイが経由していた地下貿易経路で間違いない
「かなりの厳重警備態勢だな。まるで俺たちが出向くことを見越しているみたいだ」
「それは間違っていないでしょうね。ここまで徹底した監視となるとU.I.F.部隊の大部分をここに投入していることでしょう。この場に絞って、レジスタンスの接触に備えていると踏んで間違いありません」
「先刻棗が言ったように、この場には地下運搬経路を経由し、敵の監視網を潜り抜けねばならん。更に、この付近には地上に出るためのターミナルが存在しない」
この隠密作戦では完全に隔離された空間に侵入しなければならないわけだ。
「以上の点から、航空支援なども出すことが出来ない。そもそもとして、この場所はイモーバブルゲートに限りなく近い地点でもある。高周波レーザーウォールがある以上、ヘリで接近することすらままならないだろうが」
同時にソリッドグラフィの観測結果を見れば、既に六機の敵機が巡回していることも見て取れる。これらの機体に紛れてこの区域の上空に滞空することも容易では無いだろう。
「だが支援を要請できないなら、そもそも強攻策を使うことも出来ないんじゃないか」
潜入を捕捉された場合の突破口として導入する強攻策。てっきり航空からの猛襲などを仕掛けるものかと思っていたが、地上から完全に隔離されている地下ではそれも儘ならない。
地下運搬経路の一本道しか逃走経路がない以上、包囲網を築いてU.I.F.を牽制することすら出来ない。
苦肉の策である最終手段、強行突破を用いても限りなく死と隣り合わせな作戦を決行しなければならないのか。
「この状況のまま作戦に挑めばそうだがそれでは君たちが危険過ぎる」
「どれだけ性急を課された事態であっても、デルタボルト襲撃時の様な事態は避けねばならんからな」
「あれは左翼派の佐伯・J・ロバートソンが右翼転覆の過程で行った作戦だった。親父が厳戒な人事管理体制を築いていれば、あのような事態にはならなかったはずだが」
「……話を戻すが、何のサポートもなしに君たちを潜入させるわけには行かん」
きまり悪そうに腕を組んだ伊集院は急に真面目くさった顔で話を回帰させる。父親の威厳・貫禄など微塵にも感じさせない男だ。
「作戦はあるの?」
「ああ。壁の外のM&C社に連絡をつけ潜水艦を待機させている」
「潜水艦? 軍需を運搬していたバージニア級原子力潜水艦か?」
「いや、その護衛艦である汎用型の潜水艦だ」
「壁の外のそれも洋上に潜水艦を配備して、何か意味があるの? 潜水艦にどんな装備を積んでいても壁を超えた攻撃は不可能よ」
真那の疑念も当然のものであった。イモーバブルゲート直下と言っても壁の内側なのである。万物の侵入を阻む高周波レーザーウォールの展開された壁のだ。
そんな難攻不落の鉄壁の外側に潜水艦を用意して何の意味があるのか。壁を超えられない以上強攻策には成り得ない。
「潜水艦の目的は、兵器による物理的な敵陣営の撲滅ではない。あくまでも連中を地上に焙り出すことが目的だ」
「地上に? どうやって?」
「それに関しては後ほど話す。U.I.F.のブラックホークの滞空する更に上空にステルス輸送機を対機させておく。連中が地上に出てきた後、強攻策に出る」
全容が不明瞭すぎてさっぱり強攻策の手段が解らない。
「そうだろうな、今は手段についてだけ説明する。敵陣営の殆どはA.A.やU.I.F.の兵士だ。統制化された軍隊であるその要素を突く」
「……ユニティ・ディスターバーか」
すぐにピンときた。A.A.やU.I.F.と言われ思い当たらないわけがない。
これまでユニティ・コアを用いたそれらの兵器軍隊に対して、あれほどまでに効果的な牽制効果を発揮した軍需は存在しない。
「柊奪還作戦やその他の作戦において検証的な意味も兼ねて用いた結果、ユニティ・ディスターバーには期待以上の効力があることが判明した。今回俺たちの接近を待ち構えている防衛省の連中は、確実に俺たちを捕縛するためにかなりの軍隊を編成している。それは連中の学習力のなさの問題にも繋がったな。二度もユニティ・ディスターバーを使われ足止めをされたのにもかかわらず、奴らはA.A.とU.I.F.の兵隊で軍隊を編成している」
ソリッドグラフィ上に百近い数で点滅する赤いポイントを見れば明白だ。
ソリッドグラフィは人間の生体情報を観測するものではない、ユニティ・コアに搭載された発信機を観測し表示させる。
その前提を鑑みれば、防衛省が百以上のA.A.やU.I.F.を動員していることは火を見るよりも明らかだ。学習能力の低さが見て取れる。
「佐伯め、転覆など企てず私を追い出すような愚行に及ばなければ、このような思慮の足らぬ動員などすることはなかっただろうに」
「老骨の伊集院様、一応の確認ですが、伊集院様が省長の座についたままであれば、ユニティ・ディスターバーの危険性を考慮し、ユニティ・コアを用いた軍隊編成はしなかったのでしょうか」
「ふん……無理だ。そもそも私はユニティ・ディスターバーなる存在すら認知していなかったからな!」
「エンプロイヤー、そこを威張って言っても流石にアホっぽいですよ」
「霧隠、君に阿呆と言われる日が来るとはな」
「どんぐりの背比べですね」
ㅤひどいっすよぅと伊集院の胸板をぽこぽこと連打する月瑠を見てのネイの表現は、この上ない最適解と言えた。
「ユニティ・ディスターバーを用いて敵勢力の無力化を図ることは解ったわ。でも、そもそもどうやってユニティ・ディスターバーを現地で調達するの?」
脱線しかけていた論点を無理やり回帰させた真那は、ソリッドグラフィ上の一地点を指差す。赤ポイントの密集するイモーバブルゲート近辺だ。
「リミテッド外周区には人が住んでいない。高架モノレールが設置されていないわ。だから前みたいにモノレールに車載して現地に輸送することも出来ない。輸送車両に積むにしても、地上を走行すればそれだけで防衛省の航空部隊に観測されて爆撃されかねない。確実性に欠けるのではないの?」
「その疑問は最もだが、今は時間が惜しい、詳細は君たちが現地に向かう中途で説明する」
要領は掴みきれなかったが、とにかく今は黙って作戦に参加しろということだろう。そんなこと言われなくとも既に精神的な準備は整っていた。
「これは何?」
任務を果たすべく会議室から退室しようとして、だが真那はソリッドグラフィの一部分に目を向け不審げな声を発した。
彼女の目線を追うと、襲撃地点から数キロほど離れた市街地内に、一桁数のマーカーが点滅している。
「別区画の警備か? だがどうしてこの場所だけに……」
「それは警備ではない」
「どういうこと? この反応は警備アンドロイドの物?」
「いや、間違いなくU.I.F.のものだ。その場所は港区都渋谷区のちょうど境になる地点で、つまり富裕層区画である港区と庶民層区画である渋谷の境界という意味でもある」
23区における社会の枠組みの物質的な区別化といえば、一般市民エリアとレッドシェルターという領域の区別であろう。だがそれ以外にも所得の違いで一般市民エリア内部に区分けは存在している。
それが富裕層区画と庶民層区画で、前者は都心部の港区、中央区に限られた領域に住む人間たちのことをさす。IDカードの種類にも比例していて、所謂富裕層の人間は利用金額高が高めに設定されているマイノリティカードを有している。反対に庶民層はマジョリティカードだ。
「庶民層区画と富裕層区画の境界地点であることに、なにか意味があるのですか?」
「庶民層と富裕層との優遇の格差は、何も月間利用高に限った話ではない。日常生活、主に交通面においても優遇されている」
「ああ、自家用車の所有権ですか」
「何の話だ?」
「時雨様も知っているでしょう。一般市民エリア、正確には庶民層区画に居住する庶民は基本的に自家用車を持つことが出来ません」
そういえばそんな話を聞かされたことがある。おそらくは化石燃料の削減のためであろう。リミテッドという閉鎖空間は、デルタサイトの輸出以外に外との公益は実施していない。つまり自国の産出できる資源以外に化石燃料を取得する手段はないのである。
ましてやリミテッドは23区に限られた極狭の区画。新たに区画内部から化石燃料を産出することは不可能に近い。つまり現状、これまで蓄えてきた莫大な燃料だけで賄っているということである。
むろんレジスタンスの用いている車両や防衛省のそれらも、一切化石燃料を用いない循環システムによる走行を用いているが。
「リミテッドの駆動にはほとんど化石燃料を用いませんが、それでも全く使っていないわけではありません。そのような困窮している中で庶民層に自家用車などもたせられないのは必然」
「だが一般市民エリアではなく庶民層と言い改めたあたり、富裕層区画はそうではないんだろ」
「珍しく的確な質問だといえますね。時雨様の仰る通り、富裕層区画すなわちジオフロントのある港区、また中央区は富裕層区画指定されていて、その内部に居住する住民に限り、自家用車の所有を法的に認められています」
「あまり車両は見ないけれど」
「高架モノレールがあるからだ。事実、庶民層は自家用車の取得を禁じられているが、それでも交通手段に不便性はほぼない。だが従来の公共機関のみが適用されているだけであれば、確実に運行ラインに滞りが出る。モノレールはリミテッド全域に張りめぐった高架全てを高頻度で巡回しているため、その滞りを解消している」
つまり高架モノレールがある以上、自家用車を用いるよりも前者を使ったほうが利便性に秀でているということなのだろう。
それに富裕層区画の人間は自家用車の取得を許されているとはいっても、基本的にモノレール推奨であることには変わらないだろう。
「話を戻しますが、前述の通り、庶民層区画において自家用車を所有することはリミテッド新法に反する行為だと言えます。そして、その場所に目的不鮮明のU.I.F.がいる、その意味は……」
「シール・リンクの推察は大方当たっている。このU.I.F.たちは、渋谷区内で自家用車を所有していた庶民層から、それらを押収しにそこに出向いたようだ」
「U.I.F.が自家用車押収のために、わざわざ庶民層区画に?」
「疑問に思うのは解るが、規範は今の防衛省にとって最も必要なルールだ。連中が何を目論んでいるのかは知らないが、一般市民による暴動など起きないに越したことはないからな……とにかく今は時間が惜しい。君たちは今任務の出動に遅れないようにしてくれ」
作戦の全容は掴みきれぬまま、棗が航空部隊に無線でステルス機を八機現場に出動させる旨を指示するのを片耳に挟みつつ会議室を出る。
軍需貯蔵庫にて武器弾薬を調達し足速に出口に向かった。
「ありゃ……O.A.が見当たらねえな」
格納施設の傍に増築された大規模な製造プラント。軍事クレーンやタービンが配列を組むその場所はアーセナルだ。
ここは二足歩行無人機、すなわち新型A.A.の試作機情報からレジスタンスが独自開発したO.A.──アウター・アグリゲートの製造プラントである。
このジオフロントにおいて最も軍事施設らしいそのプラントには、以前は隊列でも組むように配置されていたO.A.の姿がない。
「整備にでも出しているのか?」
「ここはO.A.の開発整備プラントよ。他の場所に持ち出す理由は見当たらないわ」
「ということは……もしかして今回の作戦に使うのか」
確証がなかったからだろうが、それに和馬や真那が応えることはなかった。何となく強攻策の大まかな作戦概要を理解できた。
「そういや風間はどこに行ったんだ?」
「そう言えばいないな」
ジオフロント入り口に待機していた車両に乗り込むと同時、泉澄がついてきていないことに気がついた和馬が不審げな声を擡げる。車両内部にも外にも彼女の姿はない。
「泉澄なら、棗に呼ばれていたわ」
どうやら強攻策に出る部隊と時雨たちは、現地に出向くまでもなく別行動らしい。
「自称烏川の世話係の風間が、烏川に付き従ってねえなんてな」
「いや、四六時中世話をされているわけじゃないぞ。そもそも、最近はジオフロントの増設作業に加わってほとんど会ってもいなかった」
きっと時雨と真那が個人的にアニエスに関する情報を追い回していたことを気遣ってのことでもあったのだろう。
時雨自身甲斐甲斐しく身の回りの世話をされるのはどうにも落ち着かなく、彼女にはレジスタンス自体のサポートをするように提言していたこともあるのだろうが。
「増設作業ねぇ」
「……何か気になるのか?」
思案顔で復唱してみせた和馬に確認するが、彼はしばらく何かを考え込んでいるようだった。
「どうにも、最近風間の様子がおかしい気がしてな」
「風間が? どうおかしかったんだ?」
「お前さんらが一号や二号に取り巻く謎をおっている間、風間と別の任務にあたっていたんだが、どうにも上の空っつうかよ。あの無駄のない性格の風間が、いくつか致命的なミスをしてよ」
「致命的?」
「そのミスによる副次的なイザコザはなかったんだが、どうにもその前から何考えてんのかわからねえ挙動をしてる。何か気になることでもあんのかね」
「時雨様が真那様とばかり愛の逃避行をしているため、ヤキモチでも焼いているのではないですか?」
「愛も逃避行もないだろ」
ㅤそもそも伊澄が時雨に対して抱いている感情は間違いなくそういう類のものでは無い。あれは彼女の卓越した忠誠心のなすものだ。
「んにゃ、そういう感じでもないんだがな。なんつーか……いや、何でもないわ」
何かを言いかけ和馬はだが二の句を噤んだ。代わりに肩を竦め視線を後方に向ける。一瞬の一瞥であったが、何となくジオフロントの最奥部に配置されたとある施設を俯瞰しているようにも思えた。
過剰すぎると思えなくもないほどに分厚い鉄板で構成された監獄。倉嶋禍殃が投獄されていた施設。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます