第174話

「すでに無線を発信しています」


 準備万端なネイの繋いだ無線。そこからすぐに誰かの声が反響する。


「ふむ……無線越しにロジェのクビレを受け継いだ遺伝子の気配が二つほど観測でき」


 無線は途切れた。十中八九ネイがブチッたのだろうが。不穏因子が除外され平穏が訪れたと思ったのも束の間、悪夢が着信となって再来する。

 しかし状況の伝達が必要である以上無視もできない。致し方なくネイはその無線を受信することにしたようだ。


「何故切る」

「犯罪の臭がしたからですよ変質老骨男。それよりも、先ほど二つの遺伝子、と言っていましたね。何故クレア様の存在を認知していたのですか」

「例え空間的な距離があったにしても、無線周波数を通じ、ロジェの遺伝子を察知することくらい朝飯前だ」

「またブチりますよ」

「む、むぅ」

「親父、与太話は他所でやれ。それより、その場にクレアがいるのか?」


 どうやら目的の相手も司令塔にいたらしい。怪訝な声音でクレアの所在を確かめてくる棗に応じる。この場に出向いて彼女に遭遇した旨を簡潔に伝達する。


「……構わない、連れ戻せ」

「いいのか?」

「ああ。少しばかり不可解な点もあったからな」

「不可解な点?」

「それに関しては君たちが帰還してから説明する」


 真那と眼を見合わせると、彼女は少しばかり困ったように肩を竦めてみせた。何であれ今はクレアの本部への合流を促すべきだということだろう。

 足速に施設外に出ると、すでに凛音たちは高架モノレールのターミナルに辿り着いているようだった。

 クレアに関しては逃げ出そうとする様子はないものの、凛音にがっつり手首を拘束され狼狽の色は隠しきれていない様子である。そのガスマスクの放つ異彩さもあって酷く民間人の注目を浴びていた。当然だが。

 居心地の悪いまま到着した港区ターミナルに足をおろし、地下運搬経路に進入する。やがてジオフロントに到達した時まで誰一人言葉を発しようとしなかった。

 会議室に着く頃には、ソリッドグラフィを囲うようにして見慣れた顔ぶれが揃っていた。棗が緊急収集したのだろう。


「さて……」


 皆の顔は晴れず鬱蒼とした空気の中、口元で指を組み肘をついた伊集院が密集した髭を震わせた。


「御苦労、烏川、聖。私の元へロジェの遺伝子を導いたこと感謝す」

「お膳立てはなしだ。クレア、君の立場を表明してくれ」


 何事もなかったように、皆の視線は伊集院ではなくクレアへと向けられた。


「立場、ですか?」

「そうだ。君が今いかなる派閥に属し何をしているのか。俺たちに敵対しているのか、あるいはその意志はないのか。全てだ」


 到底十三歳児に対する質問だとは思えなかった。とはいえこの猜疑は致し方ないものだろう。皆もそれを理解しているからこそ、何かしら要求の改善を申し立てるものはいない。


「棗、お前の目は節穴か、ロジェの娘にクビレ属性以外の派閥があるか、いや、あるはずがない」

「私に敵対の意思はないのです。でも今、属している派閥は、よく分からないのです」

「それってどういうこと? 筋肉ハゲダルマにただついて行っただけってこと?」


 唯奈の声音は少々辛辣だ。それはクレアを責めているわけでは無いようで。きっと彼女にこうして詰問せねばならないことに、辛酸を嘗めるような気分になっているのだろう。


「それは……」

「俺達としても、元々仲間だった人間を責めるようなこたしたくねえがな。だが状況が状況だ。少しの不穏分子でも、排除する必要があるわけだ」

「…………」


 その言葉の通り和馬のこめかみには僅かに青筋が浮かんでいる。叫び出したい衝動を無理やり押さえ込んでいるのだろうか。


「私は多分、まだレジスタンスの人間なのです。でも……U.I.F.の人とも、繋がりはあるのです」


 どうやら判断に間違いはなかったようだ。幸正がU.I.F.に密会していた時点で、幸正と防衛省との間につながりのあることはほぼ確信していたが。

 クレアと防衛省の繋がりに関しては不明瞭なままだった。しかしこうして彼女の口から言質が取れた以上、その繋がりも色濃くなった。否定しきれぬほどに。


「それはつまり君たちは妃夢路と同じ、防衛省の内通者ということか」

「それは違うのです」

「違うというのはどういうことですか?」

「私たちは内通者ではないのです。レジスタンスの情報は何も防衛省に流していないのです」

「ふぅむ、そう言われましてもな、簡単に信じるわけにも行きますまい」

「それでも本当なのです」


 どこか訴えかけるようにクレアは皆の眼を直視する。内気で臆病な普段の彼女からは考えられないようなことだった。

 客観的に見て、クレアの瞳に他者を欺こうとする人間のそれは見えない。しかしこれまで彼女は欺き続けてきたのだ。見た目の印象など全く判断材料には成り得ないわけで。


「では、何が目的で防衛省に接触していたのですか?」

「それは……」


 彼女は返答に窮したように口を噤んだ。それは返すべき言葉を見失ったというよりは、返すべきか返さぬべきか判断しかね逡巡しているようにも思えて。

 こればかりは話したくないならば話さなくてもいいと看過できる事案ではない。最悪レジスタンスの存亡に関わる問題なのだから。そのことはクレアも理解しているのだろう。それ故にそのような言葉を発することを待っている様子もなく、しばしして控えめに開口する。


「リジェネレート・ドラッグ、なのです」

「ドラッグ……? もしかしてその供給のために、防衛省に接触してたっていうわけ?」

「妃夢路さんがレジスタンスから離脱して、リジェネレート・ドラッグの供給ラインは遮断してしまっていたのです。なので私は……」


 それは思いがけない発言だった。てっきりリジェネレート・ドラッグは妃夢路離脱後も、何かしらの手段で仕入れていたと思っていたのだ。

 しかし考えて見ればそれは難しい話でもある。リジェネレート・ドラッグはそもそもサイボーグのような存在の肉体構造の再編成のために開発された為の物であり、当然民間で生産できるものではない。ナノマシンの本質的な構造配列などを解明できていない以上、海外諸国が生産できるはずもない。

 つまりそれを供給しうる手段は防衛省から流すしかないということなのだ。妃夢路は離脱し、防衛省と直接的な関係のあった昴や酒匂、伊集院はすでにレッドシェルターにすら足を踏み入れられない。

 唯一レッドシェルターに入ることが出来るシエナとルーナスも、第一次・二次産業の面に置いて国家運営に加担しているだけで、軍事それもナノマシンの関わるラグノス計画へのアクセス権限はない。

 結果的に、レジスタンスはこれまでのようにリジェネレート・ドラッグを仕入れることは出来なくなっていたはずなのだ。

 その事実確認を皆も出来たようで互いに顔を見合わせ勘ぐり合う。やがてそれらの視線は棗へと注がれた。人員の配属管理を統括しているのは他でもない彼なのだから。


「リジェネレート・ドラッグの仕入れに関しては、確かに峨朗の管轄だ」

「……嘘を付いているわけでは無いようね」


 再び視線はクレアへと集中する。彼女はガスマスクを掻き抱き臆しながらも、ゆっくりと深呼吸をして次なる質問に備える。

 沈黙した所で状況が改善することはないと理解しているが故だ。


「何が故に、レジスタンスから距離を取る必要があったのだね」

「防衛省からお父様に連絡があったのです。指示に従わない場合、リジェネレート・ドラッグの供給を絶やす、と」

「指示っていうのは?」

「それは……わからないのです」

「分からないだと? 君はいかなる指示を出されたかも知らずに、それに応じたというのか?」

「なのです……お父様は指示の内容を知っているようなのです。でも、私には教えてくれなかったのです」

「……どうにも、嘘を付いているようには見えませんね」


 注意深くクレアのことを伺っていた昴が思案顔で腕を組む。


「君の言い分は解った。だが未だに解明できていない疑念がある。東を襲撃したのは、君たちか?」

「ぇ? 昴さん、なのです?」


 訝しそうにクレアは視線を棗から昴へと移行させた。そしてその右足に包帯を巻かれていることを理解したのか、何度か目を瞬かせる。


「何か、あったのです?」

「先日の追悼・地鎮祭の時、何者かの襲撃を受けたのです」

「不意をついた襲撃でしてな。警備アンドロイドの防護網があったはずなのですが、何者も観測できませんでしてな」

「その時間帯、峨朗さんだけ居場所を特定できずにいました。その直後クレア様とともに失踪したため、一番襲撃者として可能性が高いと判断していたのですが」

「私は……分からないのです。あの時、凛音さんがどこかに行ってしまって、私は凛音さんが帰宅した場合のため、部屋に戻っていましたので」


 それは疑いようもない真実だ。確かにそれは時雨が出した指示である。

 指示されすぐに部屋に向かったかは定かでないが、凛音とともに部屋に戻った時点ですでにクレアは部屋にいなかった。しかし彼女がいた痕跡はあったため、部屋に戻っていたという言葉に嘘はない。


「単独犯、か」

「峨朗父も関与していない可能性がある」

「何であれ現状クレアの証言を受け入れよう。まだ完全に信用できたわけではないが……」


 案外あっけなく棗はクレアの言葉を受け入れた。信じるに足るアリバイがあったからだが。


「ふむ。ロジェのクビレ教を世襲し神の化身が真の意味で悪に染まるわけがない。当然のことだ」

「クレア、君の言葉だけで君の立場を判断することは出来ない。まずは君の身体検査をさせてもらう」

「は、はいなのです」

「柊」

「はいはい」

「不審物の有無を調べるだけにしとけよ」

「当然でしょ。こんな時におかしな事なんてしないわよ」

「こんな時じゃなければするんだな」

「……行くわよ二号」


 悪魔の逆鱗は不発に終わった。今は和馬を蹂躙する気分ではないらしい。

 二人が会議室から消えていくのを尻目に伺いつつ他の者達の顔を盗み見る。皆が限界まで表情をしかめさせ神妙な面持ちを浮かべている。


「どう思いますか」

「クレアの言葉におそらく嘘はない。本当に知らないのだろう」

「さっきも思ったけどよ、やけに寛容だな。何か根拠でもあるのか?」


 和馬も同じ思考に至っていたようで、不審げに棗を見やる。


「ああ、少しばかり不可解な点がある。それを考慮し、クレアが、いや峨朗が襲撃には関わっていないと判断した」

「そういえばさっきも無線で同じようなことを言っていたわね。一体何のことなの?」

「それに関しては東から話してもらう」


 どうやらこの会議の際にその不可解な点とやらに関して提示することは予定されていたようで、昴は呼ばれるよりも早く酒匂に何やら指示を出していた。


「酒匂さん、あれを」

「畏まりましたぞ」


 指示を受け酒匂はデスクの下から何やら取り出す。小さなアタッシュケースだ。

 それには見覚えがあった。彼が電子キーを解錠すると、中には押し潰れた指先程度しかない金属の塊が収納されている。弾丸だ。


「4.6×30mm弾……昴の足から摘出されたものね」

「はい、前にも申し上げたとおり、これは襲撃の際、足に撃ち込まれたものです。襲撃の犯人を特定すべくぼくたちはこの弾丸について解析しました。どの所属の人間が扱っているのか調べようとしたんです」

「だがそこで件の不可解な点に接触した」

「はい。4.6×30mm弾。この弾丸なのですが、どうやら、レッドシェルター内部において、U.I.F.にも自衛隊員にも配給されていないようなのです」

「どういうことだ?」

「この弾丸が汎用性の乏しい弾丸であることはご存知ですね。リミテッドで生産されている武器で言えば、短機関銃MP7A1にしか用いることが出来ません。ただ、MP7A1はその弾丸の汎用性の低さもあって運用されていないのです」


 つまり幸正がそれを手にする手段はなかったということか。

 警備アンドロイドの銃殺執行機構にMP7A1が導入されているため、防衛省が兵士の武器に導入していないという可能性は考えていなかった。

 現状レジスタンスには銃火器を生産できる技術はない。すべての軍兵器はM&C社から流通されそれを用いている。だが記憶の限りでは防衛省と同じ理由でMP7A1は導入していなかったはずだ。

 であるからして、幸正がレジスタンスの軍需倉庫からMP7A1を持ち出したという線もなくなる。


「そう言えば風間、お前のMP7A1の弾丸はどこから仕入れているんだ」

「倉嶋禍殃がジオフロントに大量に弾丸を備蓄していたので、それを用いています。いずれ枯渇するでしょうが、ずっとこのMP7A1を用いてきたので……なかなか他の銃火器は慣れないんです」

「確認はしましたが、ジオフロントにも風間さんの持っている物以外のMP7A1はありませんでした。とは言え、泉澄さんには和馬さんと共に凛音さんを捜索していたという完璧なアリバイがあります。つまり幸正さんにはおそらくMP7A1を手にする手段はなかったはずなんです」

「幸正のおじさんが犯人じゃないとして……それなら犯人は、どうやってMP7A1を仕入れたの?」

「現状把握している情報を整理すると、海外からの流通の線が薄いことから、MP7A1を所有している可能性がある人物は、風間を除けば一人に絞られる」

「……倉嶋、禍殃」


 その正体を確認する前に泉澄が行き着いた。


「なるほどね」

「ジオフロントには残されていなかったようですが、僕にMP7A1を使わせていたのは倉嶋禍殃です。倉嶋禍殃が持っていても、おかしくは……」


 泉澄はどこか複雑な表情でそう告げる。決別した相手とはいえ、泉澄は救済自衛寮を出てから何年間も禍殃と共に行動してきたのだ。

 父親のような存在であった彼の犯行であることを認めるのは、泉澄としては苦渋を舐めるようなものだろう。

 勿論あの男は父親を名乗れるほどまっとうな人間ではなかったが。娘を駒扱いするような非道であったのだから。


「でも、倉嶋禍殃が昴を襲撃する理由は何?」

「狂った偶像崇拝者の行動に意味なんて見いだせるのか?」

「確かに倉嶋禍殃はノヴァをフォルストと呼んで偶像を崇拝していた。でもだからといって、狂っていたわけではないわ」

「聖の言うとおりだな、倉嶋禍殃は教信者であったからこそ、ノヴァ崇高に準拠しない無為な襲撃などをする人間ではない」


 確かに彼が引き起こした災厄はいずれもノヴァを用いたパンデミックだ。彼が意味もなくノヴァを用いずに襲撃を目論むなど腑に落ちない。


「何であれ峨朗の仕業ではない可能性が高い」

「とはいえ、何の疑いもせずにロジェの娘を引き戻すのは些か危険ではないのか」

「無論クレアには監視の目をつける。峨朗、もしくは防衛省その他の勢力にコンタクトを取った場合は、無線を傍受しその立場を明確にする。まずは身体検査の結果を見てからだ。何かしらの不穏因子を抱えていた場合は、相応の処置を取り」

「その必要はないっぽいけどね」


 棗の言葉を遮るように外から扉を開けた唯奈。どうやらクレアの身体検査は済んだらしい。

 クレアの姿は見えない。おそらく検査の後、他のスタッフに身柄を預けて来たのだろう。


「済んだのか」

「盗聴器やそのたぐいは無し。X線で体内も一応調べたけど、不審物は発見できなかった。人間爆弾ということもない」

「そうか」

「で? お偉いさん方の判断はどういう形で落ち着いたわけ?」

「現状では重観察対象として監視の目を置く」

「つまり拘禁はしないってわけね。アンタがそんな寛容な対応するのは正直拍子抜けだけど、まあそれでいいならいいんじゃない?」

「でも、まだクレアから聞き出さなければいけいないことが沢山あるわ」

「ハゲダルマの場所はわからない、って話。どうやら例の隔離病棟にはハゲダルマの許可をもらって出向いたらしいけど、指示されたわけではないみたいね。連絡を待て、って言われていたみたいだけど」

「クレアのビジュアライザーは押収し解析班に検査させている。無線の着信次第、傍受する態勢も整えている」

「全面的に二号を追い詰める形で気分は悪いけど、まあ仕方ないわね」


 現状取れる対策はこの程度だろう。

 複雑な心境に胸を焦がされているように顰めっ面のままの唯奈が席に腰を落ち着けるのを俯瞰しつつ、思考を展開させる。

 クレアの話から彼女自身の立場はだいたい理解できたものの、幸正に関しては未だに闇に紛れたままだ。

 彼が防衛省に接触していた目的がリジェネレート・ドラッグの入手だとして、それを隠匿していた理由がわからない。

 リジェネレート・ドラッグの入手に不可欠だとしても、その旨を説明し、その上で策を講じればもっと効率的、且つ不和の生まれない手段も見出だせたかもしれないのだ。

 だのに独断で防衛省に接触し未だに姿を眩ませていることを見れば……クレアの話した事実以外にも解明しきれていない秘密があるのではないか。クレアの認識していない幸正の裏切り行為が。


「峨朗の動向が読めない以上は、クレアへのコンタクトを待つしかないな」

「すでに俺達の元へと連行されたことに気がついている可能性もある。峨朗が裏切り、かつクレアもまたそれに加担を続けている可能性を捨てきれないうちは、常に俺たちは危険と隣り合わせだ……そうだ、もう一つ案件がある」


 一拍置いて、棗は何やら思い出したように返しかけていた踵を再びこちらに向ける。

 

「何やら、不審な薬物がリミテッド中に出回っているらしい」

「不審な薬物?」


 唐突な案件提示に皆が当惑の表情を顔面に貼り付ける。それと同時に、皆が何かに思い当たったように眉根を寄せていた。


「もしかして、スタビライザーか?」


 和馬の懸案はどうやら同じであったらしい。薬物と言われた時点でその存在が脳裏に浮かんでいた。

 スタビライザーと言うのは、以前スファナルージュ第三統合学園に潜伏しているアイドレーターの構成員を特定するために入学した際、構内に出回っていた薬物である。

 リジェネレート・ドラッグによく似た形状のインジェクターに収められた薬物で、倉嶋禍殃はそれを出回らせることで学生の行動を制御し、殺人劇を引き起こさせた。


「まだ件の薬物を解析できていない」

「おいおい、レジスタンスの解析班ってそこまで無能だったかよ?」

「以前のジオフロント襲撃によって解析システムが全て破壊された。電子プログラムの解析は人工知能によってまかなえるが、物質解析にはそれなりの機材が必要とされる。イモーバブルゲート外部からの支援が今後滞り無く進めば解析することもできるが……」

「まあ現状じゃどんな薬物かも解ってねえってことだな」

「そうだ。薬物がどこから出回っているのかが判明次第、伝染元を叩く。君たちが迂闊にもその薬物を服用するとは思えないが、各々、注意しておけ」


 彼のその発言が会議の幕引きを告げた。棗は会議室から姿を消す。幸正の監視のため司令塔にでも向かったのだろう。

 その棗の尻を追いかけるように伊集院も立ち上がり颯爽に立ち去っていく。こちらは監視云々の責務ではなく、アニエスの遺伝子がいなくなったため興味が薄れたのだろう。

 昴や酒匂はしばらくその場に留まっていたものの、情報局管轄者としての職務を果たすべく姿をくらます。

 

「はぁ……最悪」

「どうしたよ」

「愛玩すべき相手に、どうして猜疑の目を向けなければいけないのかしら」

「愛玩とかもはや包み隠さなくなったな……お前さん」

「そうね……そもそもクレアがこうしてこの場に帰ってくることがあるとも思っていなかったから」


 今はクレアのいない会議室の何処かを俯瞰しながら、真那は眉根を寄せる。

 レジスタンスに背を向け距離をおいたクレア。その時点で、すでに敵対姿勢を築いたものかと思っていたのに。こうして戻ってきた。こんな事態は想定していなかった。


「なぁ、クレアはこの後どうなるのだ?」


 肩口をこんこん叩いてくる凛音を見下ろすと、彼女はどこか不安げにその耳をピンと突き立てている。


「皇も言っていたがクレアは今後監視体制に置かれる。勿論極端な監視が行われることはないだろうが」

「そういうことではないのだ。どこで寝泊まりして、どこで一日を過ごすのだ?」

「それに関する指示はなかったな」

「まあ指示がないなら、これまでどおり、アンタの部屋で過ごすんじゃない?」


 やはりそうなるのか。正直あまりクレアと凛音を長時間同じ場所にいさせることには不安を隠し得ない。

 隔離病棟でクレアと遭遇した時の凛音にはどこか違和感を覚えた。偶発的に遭遇したはずの彼女に対し、凛音は幾許かの衝撃や驚嘆を受けた様子もなかった。あたかもクレアがその場に訪れることを知っていたように。

 そしてクレアの行動原理が彼女自身の口から語られたと言っても、クレアがアニエスに関する情報を何か隠匿していることに変わりはない。

 

「ま、今日はもう遅い時間だし、二号連れて帰ったらどう?」

「現状最も厄介な問題を投げてきたな」

「アンタの部屋に一号がいる以上アンタに投げるのは当然でしょ。まあ、二号のことで何か問題があったら私に言いなさい」

「十時になる前に無線すればいいのか」

「何でよ」

「風呂に同伴するとかそういう話なんだろ」

「私は普通に協力してあげるって言ってんのよ」


 容赦のない蹴撃がくるぶしに直撃する。唯奈は思わずその場にかがみこんだ時雨のことなど気遣うことなく、背を向け皆が去った扉へと離れていく。

 扉のノブに手をかけそこで歩を止める。そうして振り返ることなく呟いた。


「この再会が、一号や二号にとっていい結果になればいいけど」


 そうなることを願う他あるまい。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る