第171話

 レジスタンスの医療病棟に足を踏み入れたことは初めてではない。レッドシェルターに拘禁され公開処刑されかけていた唯奈を奪還した後、彼女はしばらくこの病棟にて療養をしていた。

 それはジオフロント増設以前の話で増設後ここに訪れたことはない。病棟自体はジオフロント内部に移転しその規模もいくらか拡張している。個室もかなりの数があるようで、そんな中特別セキュリティの分厚そうな部屋に案内されていた。


「ああ、こんにちは時雨さん真那さん」


 窓のない室内に横たわっている人物は昴である。

 足に包帯を巻かれ何をするでもなく天井を俯瞰していた彼は、扉が開く音を耳にしたのか顔を見て素性を認識していた。


「こんにちは、昴様」

「大変そうだな」

「いえ、大丈夫です」


 足のことを指摘するが彼は肩を竦めて平気を装う。その傷は先日台場海浜フロートにて起きた襲撃の際に負ったものだ。


「おふた方は何用で?」

「特別目的もないんだが……単純に見舞いだ」

「そうですか、気にかけてくださってありがとうございます」


 昴は凛然とした面持ちで頭を垂れ微笑む。幼少の少女を思わせる無垢なる微笑みではあったが、彼はあくまでも男である。

 

「ですが別にぼくに対して見舞いなど、してくださらなくても構わないのですよ?」

「昴様の御体は、いわばリミテッドの体系そのものだと言えますぞ。昴様はこの世界の統治を担っていくお方。その昴様の足が負傷したとあれば、ライフライン系統すべてがダウンしたものと考えるくらいの思考を心掛けた方が良いのではありませぬかな」

「ふふっ、酒匂さんは大げさですね」

「大げさなどではありますまい。過小評価していると言っても間違いではないと自負しております。何と言っても昴様の大切な御身体なのですからな」

「……酒匂さん」

「昴様」

「はいはい脳内バラ色展開はそこまでにしてください。真那様には少々刺激が強すぎる薄い本展開になりかねませんので」

「?」


 泰造と昴の間に展開されていた形容しがたい(というよりも形容したくない)空気を、ネイが払拭する。

 昴は時雨たちの視線にさらされていたことに気が付いたのか、その頬を僅かに朱に染め咳ばらいをした。


「失礼しました」

「何故いま赤面したんですかねえ」

「……それで、折角お見舞いに来てくださったのです。手ぶらで帰らせるのも僕の顔が立ちません」

「療養中だ、気を張らなくてもいい」

「いえ、これはただの話の皮きりなので気になさらなくて構いませんよ」

「何か土産物でもあるの?」

「ええ。土産物というよりは証拠ですかね」


 昴の声音が少し曇る。証拠という言葉からしてあまり軽視していいものではなさそうだ。


「酒匂さん、あれを」


 泰造が部屋の壁際に据え置かれたデスクから、何やら取り出すのを見据える。小さなアタッシュケースのようだ。


「これを」


 彼が差し出してきたそれを反射的に受け取るが、ケースのサイズにしては重量があまりない。中に収められている物は小さな物なのだろうか。

 泰造に解除コードを教えてもらい開錠する。中には何やら押し潰れた指先程度しかない金属の塊が収納されていた。


「これ……弾丸?」


 脇からケースの中を覗きこんできた真那が不審そうな声を上げる。

 彼女の言うとおりこれは紛れもないただの弾丸だ。しかも薬莢が接続されていないことを見ても使用済みである。なぜこのような物を厳重なロックを用いて収納しているのか。


「この弾丸は4.6×30mm弾の弾頭部分です。H&K社の開発している弾丸ですな」

「あまり汎用性のない弾丸ね、一部の短機専用かしら」

「現状リミテッド内部で使われている武器で言えば、MP7A1あたりですかな」

「風間が使っているやつか」

「この弾丸がどうかしたの?」

「それは、ぼくの右足から摘出されたものです」


 一瞬昴の言葉の意味を理解できなかったが、すぐに視線は彼の包帯によって固定されている足に向けられる。


「東が襲撃を受けた際に撃ち込まれた奴か」

「はい」

「この弾丸、短機関銃専用なんだろ? だが襲撃は遠隔狙撃って……」


 そこまで言いかけて口を噤んだ。そう決まっていたわけではないのだ。唯奈の証言から色々と狙撃したとしてはおかしな点がいくつもあることが判明した。

 とはいえ現場には無数の警備アンドロイドが巡回し近接からの襲撃など不可能とされ、結果どのようにして昴が狙われたのかは判明していなかったのである。


「もしかして……この証拠って」


 何やら考え込み始めた真那。彼女の端正な顔立ちも今や苦悩に歪み、彼女の思考が時雨らとって良きものではないことは明確だった。彼女のそんな表情を見ているうちに真那の思考に思い当たる。

 短機関銃専用の弾丸である4.6×30mm弾。しかもこれを用いることが出来る個体は数が限られ、リミテッドでメインに使われている物はMP7A1だけだという。

 

「もしかして、風間を疑っているんじゃ……」

「そうではありません」


 危惧は彼らによって否定される。昴の言う証拠というのはそう言うことではないのか?


「確かにその可能性を危惧しなかったわけではありませんが、ぼくが襲撃を受けた時、風間さんは和馬さんと共に行動していました。凛音さんを捜索するためにです。彼らは台場のB-2ブロックを捜索していたということで、その時間帯の監視カメラの映像を確認しました」

「結果は?」

「無論白でした。少なくとも風間さんではありません」


 それを聞いて胸を撫で下ろす。泉澄が裏切りなどするとも思えないが彼女が疑われているのは生きた心地がしない。

 彼女が元々アイドレーターの人間であったという前提もある。いまだに泉澄を信頼していない下級構成員も少なくないと聞く。


「この弾丸からして襲撃が狙撃ではないことは明らかですな。MP7A1の有効射程は精々二百メートル。的が外れて足に着弾したのだとしても、それ以上の距離があったとは思えませんな」

「つまり、襲撃者は近距離、中距離からの襲撃を仕掛けてきたということ。しかし、あの状況では無事に離脱することも難しいはず……」

「結局、あまり状況は進展しませんね」


 昴は申し訳なさそうに幼い顔を苦笑させる。狙撃の線がないと解った時点で少なからず状況は進んだはずだ。未知数の領域からの狙撃でないならば犯人を絞ることもできる。


「現状、犯行に用いられたMP7A1の出所を追っている所です」

「何か手がかりでもあるのか?」

「弾丸から、これがレッドシェルター内部で開発されたものであることは解りました。無論リミテッドに出回っている弾丸の類は、全てレッドシェルターで開発されたものではありますがな。我々レジスタンスも例外ではありますまい」

「つまり、手掛かりナシということね」

「指紋やその他の生体反応は一切検出されませんでした」

「一切ですか。拭き取ったりしただけでは、完全にDNA情報を抹消しきれないはずですがね。かなりの抜かりなさと言えます」

「弾丸は一度ぼくの体内に混入してしまいましたので。ぼくの生体情報で上書きされてしまったのが、一番の原因ですかね」


 おそらく弾丸を用いた人物のことを言っているのだろう。唯一の痕跡たるこの弾丸からも犯人の特定はできないようだ。


「そう言えば、船坂さんの所へは行かれましたか?」


 アタッシュケースを酒匂に返しているとふと思い出したように昴が声を掛けてくる。


「一命は取り留めたと聞いたが……どうなっている」

「九死に一生は得ましたが、現状も辛うじて生存しているような状況です。船坂さんの肉体的な損傷は、銃撃を受けた左胸部、右腹部、右肩上腕部に留まるものではなかったようで……」

「どういうこと?」

「その後のジオフロント火災に伴って、いくつかの内臓器がやられてしまったようでしてな……面会は出来ない状態ですぞ」


 それは本当に一命を取り留めているのだろうか。いやそもそも一命を取り留めているだけであって、命に別条がないなどとは言われていない。

 彼は今も死に瀕している。安堵など出来る状態にはないのだ。


「しかし、不可解です」


 昴は口元に手を押し当て眉根を寄せる。


「何がだ?」

「あの不死身の英霊イモータルスピリットとまで呼ばれた船坂さんが、無防備にも銃殺されかけたことがです」

「襲撃を受ければ、どれだけ戦場慣れしている人間でも襲撃者に後れを取ってしまうものではないのですか?」

「確かにそれはそうですが、問題なのは船坂さんが襲撃を受けた状況です。前にも提示されましたが、弾痕のすべてが体の前面に位置していましたので。おそらく加害者は船坂さんと同じ統率室内部にいて、目の前から発砲したものかと考えられます」


 その発言を耳に想像を膨らませるのは妃夢路による発砲である。

 加害者として最も有力なのは彼女で間違いあるまい。諜報員としてレジスタンスに潜入していた彼女ならば、不意を衝いて船坂を撃ち殺すこともできるだろう。

 それにしても、どうにもそれ以外の理由があったように思えて他ならない。これまでの船坂と妃夢路の接し方を見て来て、彼らの間には同期だとか同じレジスタンスだとか格式的な関係では説明が出来ない、確かな絆があるように思えていたのだ。

 その絆に対する慢心、いや信頼が船坂の思考を鈍らせたのではないか。そう思えて仕方がなかった。


「船坂さんの容体を確認したいところだけれど……あの様子だと、面会もできなそうね」


 昴の病室を後にし船坂が療養を受けているという施設に出向いた。彼は無菌室に隔離されているようで入室を拒まれたのである。

 ガラス越しに見た彼は何やら機械的な管や点滴やらに繋がれ、とうてい無事とは言い難い状態だった。

 あの管などの医療器具が彼の命を繋ぎ止めている生命維持装置なのだろう。彼の回復を願うばかりだ。


「さて現状私たちのできることをするとしましょうか」

「俺たちの出来ること……か」


 ジオフロントの復興は伊集院を始めとした復興局の人間が行っている。

 ウロボロスや防衛省の動向を探る役目は棗がその全般を担っていることだろう。介入する余地などなさそうだが。


「何を呆けたような反応をしているのですか。時雨様がこの場に出向いた理由は、何もレジスタンスの活動に準ずるためではないでしょう」

「凛音のことというより、峨朗一家のことね」

「仰る通りです。レジスタンスの索敵斥候その他は、数百名規模の構成員が行っています。いまさら私たちが参加したところで、何か状況が進展することもないでしょう。ましてや、ウロボロスも防衛省も鳴りを潜めている現状では」

「そうね。それなら私たちは私たちにしかできないことをすべき」

「目前に差し迫っている問題の究明のために、わざわざ台場から出てきたのではないですか」

「だが何が出来る」


 確かに彼女の言う通りではあるが、そもそも台場からこの場に出向いた理由は伊集院に会うためである。

 その目的が達成された以上目的らしい目的があるわけでもない。というよりも現状何をすればよいのか解らず宙ぶらりんな状態であるわけで。


「今の段階で何か知ってそうな人間は、皆洗ってしまっただろ」

「確かにこの案件に関して情報を有しているとすれば、これまでの経歴として、防衛省に関与していた人間に他ならない。でも私も時雨も、何もアニエス・ロジェが死去した事件については知らなかったわ。そう考えれば元重鎮の人間くらいしか知っている人間はいなさそうだけれど……」

「レジスタンススタッフの経歴は殆ど知らないが、防衛省というか自衛隊の階級を持っているのは、伊集院、酒匂さん、船坂、それから峨朗くらいだな」

「恋華もだけれど……現状接触できそうな相手はもういないわね」


 真那は医療病棟の内壁に背中をつけてまぶたを落とす。思案顔になった彼女のことを眺めながらまた必死に頭の中を探った。他に何かを知っていそうな人間はいないものか。


「月瑠様も元TRINITYではありますが」

「……霧隠が何かしらの情報を持っているとは考えにくくないか」

「ですね」


 苦肉の策として提示しただけだったのかネイは躊躇なく断定する。

 そもそも月瑠は伊集院に雇用される形で防衛省に所属していた。その彼女が伊集院以上に何かを知っているとは考えにくい。

 

「そもそもTRINITYの人間だからと言って、それらの情報に精通しているとは考えにくいかもしれないわね」

「TRINITY、執行部はあくまでもただの暗殺部隊ですからね。情報局人間にどこまで伝達されているかも定かではありません」

「防衛省では、定期的に軍法政策会議が行われていた。そこに集まる人間は少数精鋭だったが、その会議でそう言った細やかなことに触れたことは殆どないな」


 レジスタンス対策の任務が発令されたりだとか任務に関する会談がメインだった。

 おそらく薫や紫苑ですらこの情報については何も知らないだろう。最後のTRINITYである一成は何か知っていてもおかしくはないが。

 目先の行動に目処を立てられずあてもなくジオフロントに舞い戻る。そうして復興を推進しているその軍需施設を見渡した。


「結構進んでいるんだな、復興」

「大損壊を受けた襲撃事件でしたが……このままならば、半月もあれば元の状態に戻れるかもしれませんね」


 不在を狙った防衛省による襲撃。あの際、妃夢路の工作によって爆発事件が起こされ、この場の機能はその殆どが損壊していた。

 海外諸国の密接な国際協力が功を奏し少しずつだが着実に再興されてきた。


「あれは何だろうな」


 そんなジオフロントの中にいくつか見覚えのない施設を見受ける。

 格納施設の傍に増築された大規模な製造プラント。軍事クレーンやタービンが配列を組むその場所は、何かを製造する場所に間違いはない。

 軍用機などを製造する目的の施設にしては少々その構造が歪だ。そもそも大型軍器の製造プラントとなれば、各パーツの製造から始めなければならない。この規模では確実に不可能だ。

 そもそも軍用兵器の類は全て海外諸国から軍支給を受けている。新たに製造をしなければならないほど軍事力は切迫していないはずだが。


「ここは二足歩行無人機の製造プラント、アーセナルだ」


 その場に立ち止って整備用ドローンが巡回するそのエリアを見渡していたところ、棗が歩み寄ってくる。何かしらの会場指揮を執っていたのだろう。

 彼は電子コンソールらしきものを他のスタッフに手渡し現場監督を全て彼に委任する。


「二足歩行無人機?」

「ああ、前に伝達したとは思うが、A.A.をモデルとした二足歩行兵器だ」


 そう言えばそんな話を聞いたように気もする。


「ユニティ・コアを導入し動力源とした兵器のことですね」


 記憶の糸を収束するようにネイが問うた。

 リミテッドに用いられている自立駆動型機には、全てそのユニティ・コアが仕込まれている。ユニティ・コアがLOTUSから送られるプログラムを仲介し、自立駆動機の統制を図っているわけだ。


「ユニティ・コアの信号受信機能はシャットアウトしているんだよな」

「勿論だ。そうでもなければLOTUSにこちらの軍用状況を察知されてしまうからな」

「その肝心の二足歩行無人機が見当たらないのだけれど」

「現状整備中なんだ。まあそうだな、実際に目にしてもらった方が、共通見識を持ってもらうためにもいいだろう」


 アーセナルと呼ばれた兵器製造プラントを見渡す真那。そんな彼女の疑問を解消するように、棗は先ほどスタッフに渡した電子コンソールを再びその手にもつ。

 そうしていくつか操作していたかと思うとアーセナルの床が重低音と共に開閉していく。ハッチのようなものが配置され更に地下に格納空間が位置しているのだろう。

 やがてアーセナルにせり上がりその場に存在したものは、人型をした軍兵器である。二十機ほどの巨体が隊列を組んでいる光景には圧巻の一言だ。軍用A.A.に酷似しているが、その胸部装甲にはO.A.の刻印。


「O.A.?」

「アウター・アグリゲートの略称だ」

「アウター……アウターエリアで活動することが多いレジスタンス仕様ということね」

「この二足歩行無人機の名称だ。以降はO.A.と呼ぶ」


 棗がO.A.と呼ぶ兵器を見上げる。軍用A.A.と大した外見的相違点はない。その胸部装甲には円形に発光する機構が埋め込まれている。あれがユニティ・コアだろうか。


「ユニティ・コアというのはこいつの動力源なんだろ? こんなむき出しにしていていいのか」

「勿論よくはない。先も言ったが今は整備中だ。出撃時にはユニティ・コアを防護する装甲で覆われる」

「これはA.A.やその他に対抗できる軍事力を有しているの?」

「知っているだろうが、A.A.は織寧重工が新型機として開発した試作機をモデルに開発された。科学開発班の手によって、彼奴等の機体に改良が施されていないのならば、固体の軍事力だけで言えばこちらが一歩勝るだろう」

「だが無人機なんだろ。戦闘プログラムはどうなっているんだ?」


 ユニティ・コアを用いた伝令機能をシャットアウトしているのだから、防衛省の用いる兵器のような用途はなしえない。


「遠隔で操作するためのモジュールを組み込んでいる。勿論、操作するのはLOTUSのようなAIではなくレジスタンスのスタッフだがな」

「AIではだめなのか?」

「駄目ということはないが、そもそも俺達にはLOTUSのようなハイスペック人工知能がない。あれはリミテッドのセキュリティシステム全てを掌握しているバケモノAIだ。それに生半可な機能のAIで立ち向かえば完膚なきまでに叩き潰されるだろう」


 棗は淡泊にそう告げた。確かにそれはそうだ。

 LOTUSのセキュリティにはこれまで幾度となく接触してきた。その度にその脅威性を垣間見て追いやられてきたのである。現に突破しようとしているレッドシェルターの防衛網もその管理をしているのはLOTUSだ。


「…………」


 どうやら棗のその意見に納得のいかない人物もいたようで。ネイは不機嫌のような陰気な顔つきになって腕を組む。その目には明らかなる抗議の色が滲んでいる。大方、LOTUSに対し自分が劣等的な立場にいるという棗の発言が納得できなかったのだろう。

 とはいえ彼の発言は正しい。ネイはこれまでLOTUSのセキュリティと幾度となく対峙してきた。その度侵入を妨害され弾きだされている。認めるのは癪なことだろうが、LOTUSの方が数段上位互換であることに間違いはない。

 彼女もそれは頭で理解しているのだろう。納得は行かない様子だがあえて撤回を要求するつもりはないらしい。


「レジスタンスの戦線へのO.A.の導入は、あくまでも俺たちの物質的な軍事力の底上げに過ぎない。防衛省がレッドシェルターという牙城に閉じこもり、排他的な姿勢を貫いている以上は……どれだけ戦力の増強を図っても、それは防衛力の増強には繋がらない」


 モニタを操作してA.A.を地下の格納庫に収めつつ棗は神妙な面持ちでそう告げる。


「事実上レッドシェルター突破における最大の障害は、高周波レーザーウォールかしら」

「ああ。あれがレッドシェルターの外周区に展開されている以上、そこは絶対不可侵の領域であり続けるわけだ」

「私たちは今後の指針として、どういった行動に出ればよいのですかね」

「正直その答えは俺にも解らない」


 彼はそう言い切った。レジスタンスの牽引者として彼には明確な目的意識を持ってもらう必要がある。

 それでも彼のことを責めることは出来ない。防衛省は明確過ぎる最大の壁を自分たちの活動領域に敷いているのだ。その壁を踏み越えることは容易ではない。今出来ることは棗の言うように自分たちの防衛力の増強に他ならないのだ。


「そう言えば……例の二足歩行兵器はどうなったんだ」

「キメラのことか」

「ああ、倉嶋禍殃の置き土産のな」


 ジオフロント自体はもともと倉嶋禍殃率いるアイドレーターが拠点として用いていたものだ。倉嶋禍殃が研究し開発していたと思われるマシンが、その名残としてジオフロントの格納施設には取り残されている。キメラと名称付けられている機体だ。

 防衛省によるジオフロント襲撃の際、何故倉嶋禍殃があれを持ち出さなかったのかは未だ不明なままであった。


「あれは元より存在していた格納庫に保管したままだ」

「移動はしないのですか?」

「未知数な機体である以上、解体して研究するためにもそうしたいのは山々だがあれを動かすことが出来ずにいる」


 棗は悩みの種が頭の中で芽を出しはじめたかのように、その顔に苦渋の憂慮を張り付けてみせた。

 そうして彼は格納施設の末端へと時雨らを誘導する。そこにはセキュリティが解除された状態で放置されている格納庫が配置されていた。


「どうしてロックを掛けないの?」

「このセキュリティは倉嶋禍殃が施したものです。それ故、私達ではロックを掛けることも、外すこともできないのです」


 こちらの姿を見受けたのかジオフロントに降りてきたばかりのシエナが会話に介入してくる。その後ろには例のごとく般若の面を被ったような兄が控えていた。


「そう言えばそうだったな」

「今この格納庫のロックが解除されているのは、時雨様もご存じのことではあると思いますが、泉澄様の助力があった故です」


 それに関しては実際に体験して解っていることである。

 実際にしばらくこのセキュリティは解除できず難航していたが、泉澄の生体情報がこのセキュリティを解除する鍵となっていることが判明した。おそらくは倉嶋禍殃がそう設定したのだろうが彼の意図は定かではない。

 棗が格納庫の堅牢な機械仕掛けのゲートを開くと、そこには前見た状態のままでキメラが佇んでいる。

 従来のA.A.が人型をしているのに対し、この機体はどちらかと言えば獣の姿を想起させられる。装甲にはchimeraの文字が刻まれ、やはり悪趣味なネーミングが記憶違いではないことは確かだった。


「それで、動かせないというのはどういうこと?」


 真那は格納庫の内側に入り至近距離から巨体を見上げては不審げに問うた。


「この機械はO.A.や新型A.A.とは違って、遠隔操作型もしくは無人機型の類ではない」

「誰かが搭乗し、操縦しなければ機能しないということですかね」

「そうだ。だがレジスタンススタッフが搭乗しシステムを起動させようとしても、機体そのものを動かすことは叶わなかった」

「起動できなかったって、主電源を稼働できなかったということ?」

「いや、メイン電源自体は稼動できた。だが……」


 ルーナスは真那の脇を素通りしメシアの接続されているクレーンに歩み寄る。最下部に設置されているモニタを操っているようだが、どうやら思うように操作が出来ていないようである。モニタには拒絶を意味するマークの表記。


「見ての通りです。私たちでは解析不能なセキュリティが掛けられており、操縦が出来ない状態になっています」

「セキュリティとは、LOTUSによるものですかね」

「いえ、もしそうであるのならば時間をかけることで解除は出来ます。ですがこのセキュリティに使われているコードはこれまで確認したことのない物でした」

「それはつまるところ私でも解析が出来ないということでしょうか」


 ネイは不満をその顔に張り付けて腕を組む。あえて検証してみるつもりはないようだ。

 実際にこの機体が格納されていた格納庫のセキュリティに干渉した時、彼女は倉嶋禍殃が設定したセキュリティの前に成すすべもなく敗退した。

 自称ハイスペック人工知能の彼女ではあるが、見栄を張って今度は出来ると言えるほどの自尊心はないようだ。


「電源は稼動できてもメインエンジンが点火できない状態なのです」

「俺はマシン系統の知識は乏しいし、全くの見当違いな発言かも知れないが……A.A.を含めリミテッドの軍用機は全てユニティ・コアを動力源に行動しているんだろ。それなら一律して、同じ構造になっているんじゃないのか」

「貴様の足りない思考力にしては的確な指摘だと言える。確かに一般的にリミテッドの機体にはユニティ・コアが用いられているが、このキメラにはそれがない」

「ないって……どういうこと?」

「言葉通りの意味です。存在しないのです。ユニティ・コアが」


 シエナは発言した自分自身もその言葉を正確に認識しきれていないのか、肩を竦めてみせた。

 しかしユニティ・コアがなければ、そもそも動力が存在しないのではないのか。


「その点この機体は不可解なのです。胸部装甲を展開しユニティ・コアを探してはみましたが存在していません。それだのに、前述の通りキメラはメイン電源の稼働を果たしています」

「つまり……独自の動力源を確保しているということですかね」

「この機体に如何なるセキュリティが施されているか解らぬ以上、現状解体などは出来ない。だが構造を解析した結果、小規模な核融合装置が内部に埋め込まれていることが解った」

「核融合装置って……この機体の内部にか?」

「驚愕するのも解ります。実際、普通ならば考えられない組織だと言えるでしょう。通常かなりの規模の空間を必要とする原子炉の機関が、この機体の内部に収束して埋め込まれています」


 実際にこのキメラはユニティ・コアではなく核融合炉を動力源として稼動している。

 倉嶋禍殃はただの偶像崇拝者だと思われているが、その実かなり頭の切れるサイエンティストなのかもしれない。

 そもそも彼はラグノス計画が考案されていたころの化学開発部門局長だったという。さすればナノマシンを開発したのも彼という可能性があり……いやこれ以上の考察は邪推と言えるだろう。


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