第168話
祭り会場に凛音の姿はなかった。手分けして彼女の捜索をすることにした。祭り会場内部の捜索は時雨と真那で会場外部はその他で。クレアには自室に戻ってもらい先に帰宅していないかを確認してもらうことになっている。
この会場内部に留まっているのならばまだ探しようがあるが、外に出てしまっているのならば捜索は難航することだろう。
「とは言っても、もうそろそろ見つけるどころか探すことすら困難になりますね」
使われていないアトラクションの壁に手をつき空を仰ぐ。既に世界は闇に閉ざされ、月も黒い雲に隠れてしまっている。
明かりという明かりは疎らに並んでいる電灯くらいのものだが、それも無駄な電力の削減か八割以上が消灯し残りのものも点滅している。
「くそ……俺はバカか」
アトラクション待機施設の壁に拳を打ち付ける。ぱらぱらとコンクリの塗装が剥がれ落ちるが、当然それで彼女が見つかるはずもない。なす術もなく壁に背をつけずり落ちる。
「時雨様がニワトリ並の思考力しか持ち合わせていないことは周知の事実ではありますが……何を卑下されているのですか?」
「勘違いしていた。凛音がもう大丈夫なんじゃないかと。自分で立ち上がろうとしてるんじゃないかって、勝手に思い込んでいた」
凛音は祭りを謳歌しているように見えた。それが心配をかけぬように、という気概故の表面上の物であることは理解していたが。
それでも凛音は乗り越えられると思ってしまったのだ。彼女が抱えている重責や混濁した感情の波に、気がついてやることが出来なかった。
「凛音は何も乗り越えられてなんていない。自分の内側のどす黒い何かにずっと怯えていた」
「慰めるつもりはありませんが、時雨様だけの責任ではありませんよ。それに、今は後悔していても状況は何も好転しません。後悔し何とかしたいと思っているのならば、懺悔するよりもまず凛音様を見つけることが先決ではありませんか?」
たしかに彼女の言う通りであるがどうやって見つければいいと言うのか。
台場全域をくまなく探すのにも凄まじい時間を浪費するし、もし本島へと移動してしまっていたのだとしたら。悠長に時間をかけて探している猶予などはない。
「では、あれを使ってみてはいかがですか?」
ネイが指さした先はとあるアトラクションだ。一際背の高い灯台のような形状をした建造物。おそらくは展望台。確かにあの高さからなら、この周辺一帯を見渡すことが出来そうである。インターフィアを用いれば高台から凛音の姿を発見できるかもしれない。
「あれは……」
ふと途中で足を止めた。黄泉の国への入口のようにも思える厚く濃い闇の中に、仄かな光が灯ったのである。今にも消え入りそうな色の微かな光芒。それは観覧車から発せられていた。
当然動くことなく、死んだように固まって微動だにしない巨大なシルエット。その一番下部、地面に最も近い地点のゴンドラの中。何度かほのかな光が靄の中の木枯らしのように瞬いている。
光が反射し一瞬人影が映る。ゴンドラのなか座席に蹲る小さな影。暗くシルエットしか見えなかったが、それでも自分の確信を疑うことなく進行方向をゴンドラへと変更した。
ゴンドラの扉が開いているためか冷たい風に吹かれ扉はギィギィと耳障りな音を奏でている。吹き付ける風に全身を打たれても彼女はやはり動かない。
「こんなところで何やっているんだ。風邪引くぞ」
「…………」
項垂れたように大きな耳を萎れさせている凛音。
彼女は声が聞こえているのかいないのか、こちらに一瞥をくれることもなく膝を抱え込んでいる。
先ほどの光はどうやら彼女が手に持っている小さな金属板が電灯の光を反射していたようである
「おい、こんな場所で、」
「時雨様」
悲哀が映し出されているかのような哀愁の漂うその姿。耐えきれなくなって声を掛けようとするが連なる言葉を呑む。
じっと凛音のことを見つめ、すぐにその瞳に時雨など映っていないことを理解した。今彼女は、自分の中に芽生えている何かと対面しているのだ。
これは長期戦になりそうだなと思いつつため息をついて、出来るだけ揺らさないようにゴンドラに乗り込む。そうして冷たい外気を取り込まぬようゴンドラの扉を閉めた。錆び付いた金具が不快音を吐き出すが、それでも凛音は眉一つ動かさない。
向かい側に腰掛けようとして、彼女が浴衣しか身にまとっていないことに気が付く。ずっと外気に晒され続けていたのだとしたら相当凍えていたはずだ。自分が着ているコートを彼女の肩に羽織らせ、そうして向かい側の座席に腰掛ける。
凛音がその手に持っている金属板はドッグタグだった。細い鎖に繋がれ彼女の首に掛けられている。
以前慰霊碑で行われた追悼の儀式の際、それを手放さなかったのか。しかしその形状は慰霊碑に嵌めんだタイプのものとは違う。目を凝らして見ると、そこには異国文字が刻まれている。
Aviation / OR-9 / Major
Agnes Loger
(Jeudi/15/Avril/1989)
「アビエーション……なんだこれ」
「フランス語ですね。空軍准尉アニエス・ロジェ。1989年四月十五日、木曜日生まれ……なるほど」
自分の母親のドッグタグ。それを彼女は常に首にかけ持ち歩いていたのか。
しかし凛音は先日写真を見るまでアニエス・ロジェの記憶は失っていたはずではないのか。
「……なあ」
彼女が名前を呼んだ。聞き漏らしてしまいそうな程に微かな弱々しい声。先ほどと同じ体勢のまま手のひらの中のドッグタグを見つめている。
「どうした?」
「……なんでリオンを探しに来たのだ」
「何でって、いなくなったからだ」
「リオンはずっと探しているのだ。リオンが見つけねばならぬ、リオンだけの場所を……それなのにリオンはまだ見つけられないのだ。なぁシグレ、教えてはくれぬか? どうすれば見つけたいものを見つけられるのだ?」
そこまで言いきり凛音は僅かに頭をもたげる。そうして大きな双眸で時雨を見つめた。
優しい、されど儚く脆い感情を顕にして。街灯を反射させた光が朱色の瞳に反射しワインレッドに染め上げる。不安に顔を曇らせ、深い懸念に惑わされるように目を伏せた。
「やっぱり……ばけもの、なのだな」
「そんなこと」
「なくはないのだ。リオンはずっと分かっていたのだ。自分の中にあるショードーがな。戦場で戦うたびに、リオンの中の血が騒ぐようになってたのだ……それでも、そんなことないと言えるか? シグレ」
その言葉に何も返すことが出来ない。凛音の言葉もまた真実であると直感的に判断してしまう。彼女にそんな環境を強いた陰謀に、残酷な現実を突きつけられるのだ。
衝動に従え。凛音はこれまで幾度となく、その言葉と理念に従い軽率な行動を起こしたり、逆に人の命を救う行為を行った。
それを聞いたとき特に感慨も得なかったわけだが……今ならば、それを凛音に吹き込んだ幸正の意志が垣間見れるような気がする。
衝動に従う。それはその都度その都度、発作的・本能的に行動しろという意味ではない。戦場における彼女の獣としての衝動に従い兵器と化せ。そういう意味なのだ。
「そうなのだ。何も間違ってないのだ。リオンをバケモノと呼んだあやつらの言葉は何もおかしくないのだ」
否定出来なかった時雨を凛音は非難の目で睨むわけでもない。痛ましい彼女の姿を見ていられず肩に手を差しのべる。
「ずっとそんな格好してたのか? 寒かっただろ、ほら早く帰るぞ」
「その必要は無いのだ。リオンは……寒さを感じないからな」
伸ばした手を凛音は見つめるだけに留めた。寒さを感じない。それは知っていた。
凛音はあたかも変温動物のように体温の調節を自動で行っている。血中のナノマシンを駆使した変温機能だ。それを初めて聞いた時は驚嘆はしたものの、素直に便利だと思ったものだ。いま改めてそれを聞かされ思ってしまった。
「ノヴァみたい、だろ」
凛音はそんな思考を読んだように呟く。喉が締め付けられるような感覚に陥り何も言葉が絞り出せない。
彼女にだけはその言葉を言わせてはならなかった。たとえ誰がそう謂おうとそれは中傷の域を出ない。だが凛音本人が口にしてしまえばそれは。
「わかってるのだ。最初からずっとわかっていた。リオンはもはや人間ではないのだ。リオンは、リオンは、ただの────」
その言葉が紡がれ切る前に少女の小さな肩を鷲掴む。彼女の脆い内側を包み込むように優しくではなく、肩を砕きそうなほどに強く。今にも消え入りそうな凛音という少女を繋ぎとめるべく膂力の限りに拘束する。
「っ……」
凛音はそんな時雨の身体を押しだそうとした。きっとこのままでは懐柔されてしまうと感じたのだろう。故に力の限りに胸を押し返そうとする。それでも肩を掴む手を振りほどきはしない。
「離す、のだ……」
肩を押し込まれる力が増し肋骨に尋常ならざる鈍痛が走る。それでも離さない。離してしまえば手のひらから全て抜けて出てしまう気がしたから。
「もう嫌なのだっ! リオンはもう、バケモノを見るような目で見られるのは嫌なのだ……っ」
「何も知らない連中の誹謗中傷だ。お前がそれに翻弄される理由はない」
「それだけじゃではないのだっ、リオンはずっと、そういう目で見られてきたのだっ」
彼女の過去。出会うよりも前の話。時雨の知らない彼女の過去だ。
C.C.Rionマスコットとして人に愛されながら、彼女はきっと自分の存在にその在り方に疑問を抱き続けてきた。
「離せシグレっ、リオンに構うなっ! リオンをひとりにするのだっ!」
感情を顕にする少女の姿は酷く弱々しい。強固な身体の内側には孤独で壊れやすい何かがある。
「もう、嫌なのだっ……! もうこんなのは嫌なのだっ! そんなふうに、リオンがノヴァなのだと蔑みの目で見られ続けるなら、リオンは────」
――――いなくなった方が、よいのだ。
紡がれてはいけなかったはずの言葉が。遮る間もなく夜の闇に溶け込んで消えた。
凛音は脱力したように胸を押し出す力を失わせていく。それに感化されるように時雨もまた彼女を解放していた。後退しそのまま対面の座椅子へと腰を落とす。
「言わせたくなかった、そんな事はな」
「ごめんなさいなのだ」
「謝るなら最初から、そんなことは言うな」
「……ごめんなさいなのだ」
彼女はアニエス・ロジェのドッグタグをきつく握りしめたまま、絞り出すように謝辞を繰り返す。どこか機械的な彼女の様子に胸の詰まりを抑えられない。
彼女はいつからここまで弱々しくなってしまったのだろう。いや違う、そんなもの最初からだ。最初から彼女は自分の弱い部分を快活な笑顔で覆い隠し、愛嬌を振りまいてきた。すべては周りの人間のために。
「本当にいなくなってもいいと、思っているのか」
「…………」
「自分がいなくなってそれで周りが嬉しがると、そう思っているのか」
彼女は何も答えない。答える術を持たない。それは彼女自身がその答えを持っていなかったからである。
凛音は衝動的にその喪失感を吐き出すことしかできなかったのだ。
「自分が誰にも必要とされていないと思っているのか」
「そうだろ」
「そんなわけありません。私たちは皆、凛音様のことを必要としています」
「シグレとネイは優しいから、そう言ってくれるのだ。でもそうではないのだ。リオンのことを真に必要としてくれている者など……いはしないのだ」
そう呟いた凛音は自棄になっているという様子でもない。どこか冷静に分析しその上で導き出した結論という印象を抱かされる。
「凛音様、その発言は少々無責任すぎやしませんでしょうか。時雨様やその他のレジスタンス構成員はともかくとしましょう。確かに、同じ目的意識を抱く者達が集まった団体がレジスタンスです。それ故に、利害の一致という感情論に準拠しない団体意識が生まれているのも事実。それ故にレジスタンスの人間が凛音様を真に必要としていると断言しきることは出来ません。とはいえ、凛音様にはクレア様がいらっしゃるではありませんか」
「…………」
「クレア様は凛音様の実の妹であり、血を分けた仲ではありませんか。そのクレア様との絆まで疑うようでは、その論はただの暴論にしか成り下がりません」
ずっとともに過ごしてきた妹であるクレア。その存在は凛音にとって最も掛け替えのない物であると言えるだろう。それは逆もまた然りであり、クレアも凛音のことを常に必要としてきた。
彼女の存在以外に何を必要とするのか。クレアが求めているという事実だけで、十分凛音は自分の存在理由を証明する理由にはなりえないか。
「クレアか……」
「何か思うことでもあるのか」
「……何でもないのだ」
彼女は歯切れ悪く小さな頭を振るった。何かを思いつめていることは事実であろうが、その内容は不鮮明で。
凛音が考えていることなど理解が及ばない。言い知れぬ不安感のようなものを抱かされる。根源的に何かをはき違えているのではないかと、そんな違和感に襲われる。
凛音が何に苦悩し何に犯されているのか。その答えに本当に辿り着けているのか。何も解っていないのに、解ったようなふりをしているだけではないのか。
そんな取り留めもない根拠も何もない不審の念に駆られるのだ。
「なあシグレ、必要とされるというのは、どういうことなのだ?」
「一緒にいて欲しいと思われることだ」
「それなら、きっと凛音は必要とされていないのだ」
「だからそんなことは」
「そうなのだ、リオンには解るのだ」
断言する彼女の声音には物言わせぬ圧力がある。
彼女は伊達や酔狂で弱音を吐いているのではない。何か彼女がそう断言し得るだけの確信を持っている。故に何も返せない。
「……迷惑をかけたのだ」
「いや」
「そろそろ、帰るのだ」
凛音は平たんな口調で告げ立ち上がる。そうしてゴンドラの扉を開け、寒空の下に躍り出た。
「ネイ」
「一応申しておきますが、私に問われましても凛音様の心境など分析できませんよ」
彼女にも理解不能であったらしい。致し方なく彼女の抱える苦悩を分かちえないもどかしさに苛まされながらも背を追いかける。その合間に無線を飛ばした。
「こちら烏川、凛音を発見した」
「こちらHQ、状況は?」
「第三組織の介入があったわけじゃない。心配はない」
「了解しましたぞ。各方面に捜索の手を伸ばしているスタッフには、私の方から伝達をしておきます」
「ああ、頼む」
凛音の隣に並び立とうとして寸前でその歩を緩める。
彼女の一歩後ろの位置を歩んだ。何となく凛音が並び立つなという態度を醸しているような気がしたのだ。あくまでも感覚的な物ではあるが、あながち間違っているようにも思えない。彼女は今、何にその心を責問されているのだろう。
考察が実る間もなく、モノレールに乗った時雨たちはやがて学生寮に帰還する。室内には凛音が帰宅した時に備えクレアが待機しているはずだ。
「……おかしいですね」
自室の扉に手を掛ける直前にネイが怪訝な声を漏れ出させた。
「どうした?」
「電気が付いていません」
確かに曇り戸の奥から光が漏れ出してきている様子はない。
この状況にふと既視感的な物が脳内に芽生える感覚に陥る。つい昨晩も、同じようなことが起きなかったであろうか。
「まさか……」
鍵を開錠するのももどかしくノブに手を掛けると呆気なく扉は開いた。鍵はかかっていないらしい。その条件が更に焦燥を加速させる。
扉を開け放ち靴を履いたまま廊下に乗りあがる。そうしてダイニングまで疾走し、あるべき姿を探した。
「いない……」
「時雨様、電気を」
ネイに促されるようにして蛍光灯を点灯させるが、やはりクレアの姿はなかった。
「まさか、またあの連中に」
「いえ、その可能性はなさそうです」
「どうして分かる」
「前回とは違って部屋が一切荒らされた形跡がありませんし、それに、靴跡は今しがた土足で乗りあがった時雨様と凛音様の物しかありませんから」
「悠長に靴を脱いで拉致ることはない、か」
言われてみればそうだ。第一に、これは楽観視と言えるかもしれないが、先日のようなことがあった後同じことを繰り返すことはないだろう。
何と言っても前回クレアを連行した人物たちは、ただの女子大生であるからだ。現状の自分たちの境遇に痺れを切らしたただのエゴイスト。
凛音を迫害しようとしただけの彼女たちが、再び自分から危険に首を突っ込むとも思えない。
「なら、クレアは……」
「…………」
寡黙にも何も発言せず、ただ黙って自分達しかいない室内を俯瞰している凛音。普段の彼女ならば、凛音の不在に何かしら狼狽の反応を見せそうなものであるが。
部屋中を見渡す。彼女の痕跡はないか。綺麗好きのクレアが欠かさずに掃除をしている部屋だけあって、何か異常があればすぐに目につく。
整頓された空間に彼女の所在を手繰る糸は見受けられない。
ベッド脇のデスクの卓上には、いつものフォトフレームが健在である。伏せられた状態は、祭りに行くために部屋から出た状態のまま全く変わっていない。
「ガスマスクがありませんね。自発的に外出したと考えて然るべきでしょうか」
「クレアはあの後、この部屋に帰ってきていないのか」
「いえ、それはないでしょうね。鍵が開いていましたし、それに暖房が効いています。いつの時点で部屋を出たのかまでは判りかねますが、少なくともいったんこの部屋に戻ってきたことは事実でしょう」
「こちら柊、緊急事態発生よ」
クレアの所在に一切の見当がつかず途方に暮れかけていた時。無線から唯奈の声が反響した。緊急事態と聞いて、よもやクレアに関することかと気が逸る。
「クレアのことか?」
「二号? 何のことだか知らないけど、その父親の話」
「父親……峨朗がどうかしたのか?」
見当が外れて落胆しかけるも気落ちしている時ではない。幸正のことで緊急事態となれば、看過していていい状況ではないだろう。
「ハゲダルマが消えた」
「消えた……? どういう」
「言葉通りの意味。一号が見つかったって報告を受けてハゲダルマに一号のことに関して話をつけに行ったんだけど、どこにもいないのよ。どこに隠れ潜んでいるのかは知らないけど、でも待機場のスタッフに聞いても姿は見ていないらしいし」
「一時的にどこかに出かけているだけじゃないのか?」
「それなら緊急でこの周波数なんて使わないわよ」
彼女が無線を掛けてきた周波数は時雨、真那と唯奈、それから棗などだけが知っている周波数である。
無論幸正に関する情報の共有のための周波数であり、防衛省の人間やレジスタンスの諜報員として紛れ込んでいる人間に察知されないための物だ。
凛音の様子を脇目に伺う。彼女が会話には興味などを示さずじっとベッド脇に立っているのを確認し、廊下に躍り出た。
「その口ぶりからして緊急性のある事態に発展しているということですかね」
「そう言うこと。詳しいことは皇棗が話すわ」
「ああ、そうしてくれ」
無線に棗の声が割り込んでくる。無線越しには、そのバックグラウンドで何やら喧騒が渦を巻いていた。
彼がいるであろうジオフロント管制室内で、あわただしくスタッフたちがやかましい音を立てているのだ。一体何があったというのか。
「東が襲撃を受けた」
「襲撃? どういうことだ」
「数十分ほど前だ。台場で祭りの主催をすべくジオフロントから遠征していたはずだ。その際、何者かに襲撃されたらしい。右足に銃撃を受けた。幸い傷自体は大したことがない。問題なのは、台場で襲撃を受けたということだ」
「襲撃ですか……それで損傷は足を撃たれただけであったのですか?」
「酒匂が付いていたからな。迅速な応戦によって最悪の事態は免れた。敵は単独犯であったようだ。酒匂の乱入の後、敵は離脱を図った」
「敵の特定は……」
「残念ながら出来なかった」
闇夜に紛れての犯行であったことと、酒匂が昴から離れて追跡できる状態ではなかったためだという。
犯人の特定には至らなかったものの、酒匂の対応のおかげで昴が命を落とすことにならなくてよかったと言えるだろう。
「だが、どうして昴様を……」
「目的は十中八九、皇太子としての東・昴の末梢だったのでしょうね。防衛省がリミテッドにディストピア体制を強いている現状、私たちが反乱を起こし粛正を図れば、その後の統治者が必要になる。でも、あくまでも革命軍であり、かつリミテッドにおける、これまで様々な人的被害を間接的にではあるけれど出してきた蜂起軍でもあるの。当然、私たちレジスタンスが管理体制を掌握できるはずがない」
「それ故の、皇太子か」
「ええ。これまではあくまでもリミテッドの象徴としてしか扱われてこなかった皇太子である東・昴。臣民からしてみれば、その存在は唯一自分たちの統率者として信頼できる存在になりうるわ。レジスタンスに所属しているという前提を、既知としていなければだけれど」
なるほど、つまりレジスタンスの足掛かりを崩しに来たのだ。
たとえレジスタンスの蹶起によって革命が成就しても、昴がいなければリミテッドは統治しようがない。最終目標の瓦解を試みたのだろう。
「先ほども言ったが、問題は襲撃が今君たちがいる台場で起きたことだ。俺たちは現状可能な警戒網を台場に敷いている。地下運搬経路、航空、水上、水中警戒。それを怠らずに監視体制を築いていたのだから、U.I.F.が台場に紛れ込む余地はなかったはずだ。にも拘らず事件は起きた」
緊急事態というのはすなわちそれに直結しているのか。昴の襲撃は外部から参入した勢力によるものではない。そもそも単独犯という前提条件もある。
「襲撃が起きた時の東・昴付近の監視体制はどうなっていたの?」
「祭りの開催であるからして、護衛は酒匂しかついていなかった。また、探査ドローンの監視データにアクセスしたところでは、襲撃時、付近に生体反応は見つけられなかった」
「遠隔からの狙撃の可能性が高い。もしあの場で発砲していれば、警備アンドロイドが銃殺執行プログラムの下に銃殺を執行していたはずだからな」
「あの場には警備アンドロイドがいたの?」
「ああ、警備アンドロイドや探査ドローンは、生体反応が多く分布する地点に集まるようプログラムされている。故に祭りが行われていた時、台場に分布する内の十二パーセントほどが、台場海浜フロートに集結していた」
確かにその状況であるならば至近距離からの襲撃は不可能だろう。
警備アンドロイドは例えそれがレッドシェルターの人間であっても、許可のない発砲をした場合、執行プログラムが起動するように設定されている。
十二パーセントもの数の警備アンドロイドの密集する中で、襲撃を仕掛けたとは思えない。
「……不可解ね」
棗の言葉に納得しかけるものの唯奈は怪訝そうな声を上げた。
「どうした」
「台場海浜フロートは工業地帯に面してる。数多の工場に囲われる形になっているから、狙撃なんて出来ないはずだけど」
「その工場の中から狙撃したんじゃないのか」
実際、例の水底基地への潜入任務の前に時雨と真那は近隣の建造物に狙撃ポイントを置いた。
「確かに台場海浜フロートを狙撃できるポイントはある。でも、東・昴と酒匂泰造は祭り開催の後、待機室に移動していたはず。皇棗、襲撃はどこで受けたって?」
「台場海浜フロート園内の発券施設内部だ」
「発券施設は北口にしか窓がないはず。後は天窓があったっけ。けど台場海浜フロートの北方面には、烏川時雨が以前狙撃ポイントにしたような建造物はない。狙撃ポイントにできる地点からは、施設内は死角になっていたはずね」
「ふむ」
「そもそも、スナイパーライフルで足を撃たれて軽傷って言うのも気になる。中口径なのか大口径なのか知らないけど、かなりの致命傷になってもおかしくないはず。東・昴が襲われた時の状況をもっと詳しく聞きたいところね」
それに関しては現状連絡が途絶えているとのこと。しかし唯奈がいうのならばそうなのだろう。つまり、襲撃は付近から行われたということか
「酒匂泰造たちが狙撃されたと勘違いしたのは、きっと窓越しに銃撃を受けたからね。少なくとも、敵は中距離以内にいたはず」
「だが、警備アンドロイドの厳重な警戒体制の中にいたということになる。犯人はどうやって警備アンドロイドの目を欺いたんだ」
それに唯奈は答えない。解答を持ち合わせていないということだろう。
「まあそれはいい。それよりも今注視せねばならないことは、襲撃者に関することだ」
「外部からのU.I.F.の侵入の線が薄いとなると……事前に台場に潜入していたということになりますかね」
「台場の住民情報は、レジスタンスの監査科が厳重な警備体制をもって管理している。防衛省の人間が潜り込んでいる、ということはなかったはずだが」
「まあ実際、妃夢路様のような諜報員が介入していれば、話は別でしょうが」
ネイの的確な指摘に棗は痛いところを突かれたのか押し黙る。妃夢路のことは禁句と言える。そんな甘いことは言っていられないが。
「それで、話は原点に戻るわけ」
「原点?」
「幸正のおじさんのことね」
復唱した時雨の疑問に答えるように真那が呟いた。
「そう。東・昴襲撃のタイミングで失踪したハゲダルマ。この状況だけ見れば、怪しいのはアイツなわけ」
「確かに状況的にはその可能性も拭いきれないが……だがどうして」
「いまさら何言ってんのよ。ハゲダルマが謀反を企てていること自体は、最初から解っていたでしょ。祭りの主催として東・昴が牙城の外に出てきたのに乗じて動いた。それだけのこと」
つまり幸正が東を襲撃して殺害に失敗し、そのまま台場から離脱したということか。
「断言はできないが、可能性は非常に高いだろう。襲撃時、台場海浜フロートに残っていた人間は、凛音の捜索に乗り出していた君たち以外には、誰もいなかったはずであるからな」
現状ではまだ断言はできないが彼らの推測はおそらく誤っていない。昨晩怪しげな通信をしていたという事実もある。
もしかすればあのときネイの盗聴を掻い潜って、この襲撃に関する計略でも話していたのかもしれない。あくまでも憶測の域を出ないが。
「何であれ、峨朗の裏切りの線は、この一件によって更に色濃くなった、彼奴の捜索部隊を派遣する。おそらくは、すでに台場にはいないだろうが」
「東・昴の厳重な警備体制も確立すべきね。また同じことがあったとして、次はどうなるか解らないし」
唯奈の言うとおり、今回昴が軽傷で済んだのは運がよかったからだろう。敵の照準が少しでも逸れていれば最悪絶命していた。
「今後はもっと厳戒な姿勢を貫いてもらう必要がありそうですね」
「台場は安全圏であると楽観視していた。それは愚考だったな。今のリミテッドに、俺たちにとっての安全圏など存在しないというのに」
棗は悔いるように、後ろ髪を引かれるような悔恨にまみれた声を漏らす。
彼が全面的に悪いわけではない。軽率にもジオフロントから出て、祭りの主催をしようなどと考えた昴にも問題はある。
「しかし良心の呵責に翻弄されている時ではない。俺は今から可能な限り厳重な警備態勢を敷く。君たちも、重々自身の安全は心得ておいてくれ」
「言われるまでもないわね。自分の身は自分で護れる」
「頼もしい意見だが、それが出来ないかもしれないのが現状だ。妃夢路に続き、峨朗にも裏切りの疑いが掛かった。仲間内で疑心感を抱かねばならぬ状況に疲弊気味だろうが、その状況に翻弄されていては本末転倒であると言える。信頼できる相手を選別し、共に助け合ってくれ」
「それは無理難題。この状況、誰を信用しろってのよ」
「少なくとも、この無線周波数を共有している相手は信頼しているのではないのか」
「……ま、それは認めるけど」
棗の的確な指摘に、唯奈はぐうの音も出ないと言った様子だ。
根拠も何もなく味方すら疑うようになれば、精神状態を正常に保てなくなるだろう。そうなってしまうくらいならば、ごく僅かの味方の裏切りの可能性を無視してでも、信頼すべき相手を見出すべきだ。
時雨にとっては、この場にいる皆が信頼に足る仲間だと言える。勿論、今無線に参加していない月瑠や和馬、泉澄と言った者たちもだが。
「報告は以上だ。何かあるか?」
「そう言えばクレアが見当たらない」
「さっき二号の名前を出していたわね。いないって言うのはどういうこと?」
「私たちが部屋に戻った時点で部屋には居ませんでした。ただ、何者かに連れ去られたという可能性は乏しいです」
「たんに外出しているだけではないのか?」
「ないとは言い切れないが、状況から判断して多分それはない。それに、クレアは峨朗に外出を禁じられていると言っていた」
「幸正のおじさんに……」
真那は苦虫を噛み潰したような苦悶の声を発する。他の者たちも大体の状況は把握したようで、無線越しに聞こえる声は酷く陰鬱な物だった。
「多分、峨朗に同行しているんだろうな」
「共犯という線は考えにくいな。東を襲撃した人物が単独犯であったことを鑑みて。おそらくは台場からの離脱に際して、峨朗に同行を指示された、といった所か」
「ハゲダルマが襲撃をした情報は、二号には伝達されていなかったはず。あの子のことだし、指示されればついて行ってもおかしくはない」
普段から幸正に対し強迫観念にも似た畏敬を示すクレアである。無条件に彼の言葉に従うだろう。
「でも、幸正のおじさんはどうしてクレアを……?」
「それに関しては判断しかねるな。何であれ、現状どれだけ考察を重ねても、それは推測の域は出ない。まず今はすべきことを率先してする時だ。君たちも気を付けてくれ。くれぐれも寝首をかかれないように……通信、終了する」
無線会議はそれにて途絶えた。
「とーさまは、行ったのだな」
迂闊。無線に集中していたせいで現実において注意散漫になっていた。
開かれたダイニングへの扉から出てきたのだろう凛音が俯いたまま呟く。
「いつからそこに……」
「あーあ、時雨様、何度同じ失敗を繰り返すつもりなのですか」
呆れ果てたようにネイはため息をついて見せる。それに言い返す余裕など心中には存在しなかった。
この間の一件といい、あまりにも注意散漫すぎるのではないだろうか。前回は幸正に関することを聞かれずに済んでいたからよかったものの、今回はそう言うわけにもいくまい。確実に聞かれていた。
「とーさまは、行ったのだな」
凛音は再度同じことを呟いた。曖昧な表情を浮かべて。
鬱蒼とした雨が降り始めるのかにわかに晴れ渡るのか、予測もつかない空のような。まあ後者である可能性はほぼないのであろうが。
「いや違う、凛音。峨朗は別に、」
「いいのだ」
いまさら弁解の余地などないと理解しつつも弁明を図る時雨を、感情の起伏乏しく制した。彼女はゆっくりと時雨の目をその二つの大きな双眸で射抜く。
血のようにどす赤いその瞳には、判別しようがない感情が渦を巻いているばかりで。凛音は全てを理解してしまったのか。
「それよりシグレ、お風呂には入らなくてよいのか?」
「え?」
「クレアがお風呂を沸かしてくれていたみたいなのだぞ?」
「風呂って……こんな時に」
「今は夜なのだぞ? 夜にお風呂に入らずして、いつ入るというのだ?」
返答に詰まり狼狽する時雨に凛音は訝しそうな顔をして見せた。
窓の外を伺えばすでに夜のとばりが降りている。確かに入浴する時間帯ではあるがそう言う問題ではない。凛音は今、無線を聞いていたのではないのか。
「……俺は後ででいい、凛音が先に済ませてくれ」
「そうか? わかったのだ」
それについて問うことは出来なかった。実際は何も聞いてなかったとしたらそれでいい。ここで聞くのは逆効果だろう。
もし聞いていたとして、何故それについて言及してこないのかと問うた場合、凛音はどのような反応をするのだろう。全く予想がつかなくて言葉を濁したのだった。
「ふむ」
「どう思う?」
凛音の消えたバスルームを俯瞰しながら唸るネイに問う。彼女はしばらく応じなかったが、思案顔のまま鬱屈そうに開口する。
「何とも言えないですね。ただ、先ほどの無線を聞かれていたことは確実でしょう」
「この無線周波数、凛音は知らないはずだが」
「時雨様はインカムを使用せずスピーカーで会話していたではありませんか。この至近距離で聞かれていれば、当然聞こえていたことでしょう」
インカムを使っていれば凛音に話の全容を悟られることはなかったはずだ。
無論発言からある程度の推察を図ることは出来ただろうが。その全体像は不明瞭なまま、幸正に関する会話であることだけを認知されていたはず。
どうしてこう何度も、自分の迂闊さを悔いる目になるのか。
「でまあ聞かれていたことは確実として、凛音様の反応が少々不可解ですね」
「少々って度合じゃないようにも思えるが」
「いえ、なんとなく凛音様の思考が読めないわけではないですから」
「何か解るのか」
ダイニングに移動しながら、凛音の思考に関して何か理解が及んだのかと確認する。
「凛音様の行動をプログラム的に考察するのならば、複数の可能性に分けられます」
「人間の思考回路は、プログラムとかそう言うものでは分析できない気がするが」
「感情という物は複雑であるようで、その実ずっと単純な物なのですよ。それこそプログラムのように」
そう言いつつも彼女の言葉には少しの自信も感じられない。あくまでもネイの考察は客観的に見た印象としてとらえた方がよさそうだ。
「その中でも最も有力と思われる説は、自身の精神を保とうとするが故の行動でしょうか。自分の父親に猜疑が掛かっていることが解り、そしてその猜疑が全くの見当違いでないことを理解した。それによる精神的なショックは、ただの共通意識関係でしかなかった私たちとは比べようもないことでしょう」
「つまり発狂しないように、表面上だけでも平常心を保つことでセーブしてるということか」
「あくまでも可能性のうちの一つですがね」
コートを壁に掛けベッドを正す。出かける前にクレアが整えてくれていたようで、ホテルのベッドメイキングもかくやと言う整頓ぶりではあったが。
マットレスに腰掛け再度部屋の中を見渡した。これと言って留意すべき違和感は存在しない。しいて言えばクレアがいないことだ。
「そして、別の可能性」
途端にその声色が変わる。
「正直これはあまり考えたくはありませんが……実際にショックなど一切受けていない可能性」
「そんなこと、あり得るのか」
「発症による精神状態の乱れが観測されたばかりですからね。如何なる症状が起きていてもおかしくはありません。自分の周囲の環境の変化に対し、鈍感になっている可能性もあるわけです」
「鈍感って……父親がおかしなことをしでかしているんだ。それに、妹まで失踪して、」
「そのことですが」
ネイの神妙な声が発言を遮った。その言葉にどこか鬼気迫るものを感じて思わず息を潜める。
「実は先ほどと今とでは、この部屋に大きな変化が表れているのです」
「変化?」
「はい。些細な変化ですが……凛音様の心をゆすぶるには、十分すぎるほどの変化が」
彼女の次の発言が紡がれるのを黙って待つが、ネイは何も続けない。代わりに視線をベッド脇の卓上へと移行した。そこにはフォトフレームが置かれている。
それは以前クレアに預かっていて欲しいと言われた時に時雨が置いたまま、ずっとそこにあったものだ。
すぐにその変化に気が付く。先ほどまで伏せられていたフォトフレームが表向きになり、額の内側がさらけ出されていた。
「……!?」
唖然とし顔面から血の気が引いていくのが解る。動悸が形を成すように脳を揺さぶっていた。
「なんだよ、これ……」
自分が見ている物が信じられない。目の前の現実よりも、自分の視覚が不全に陥っているのだと思い込むほどに。
目を擦っても、依然として額縁の内側の光景はそこに染みついたままだ。
セピア色のキャンパスの中に佇む四人の男女。内側の少女二人のうち、その片方の顔面が真っ黒に塗りつぶされていた。クレアに覆いかぶさる凛音の顔が。
「……前提的に、考察し直す必要がありそうですね」
幾重にもペンで往復させたのだろう、輪郭すら判別できなくなっている。一家団欒を思わせるはずの記憶のシャッターに、暗幕の軋轢が刻まれていた。
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