第167話

 屋台群に戻った頃には祭りは佳境に向かっていた。佳境とはいっても祭りの終了を飾る花火打ち上げがあるわけでもない。

 季節上、七時を回ったこの時間帯はひどく冷え込むのだ。雪は降っていないが今にも降り出しそうな空の色を見ても、あまり遅くまで祭りを運営するのはスタッフ達の体にも毒となる。


「あ、時雨様……」


 時刻の問題もあって人の姿が疎らになっているためか、泉澄達とはすぐに合流できた。時雨の姿を見つけるなり彼女は足早に近寄ってくる。どうやら凛音たちの世話をしてくれていたらしい。


「どこにいらっしゃったのですか?」

「ああまあ……ちょっと密談をだな」


 泉澄は時雨の隣に唯奈と真那を見受けてか、不意に口元に手を当て僅かに頬を朱に染めた。


「密談。人気のない場所。な、なるほど」

「おい何か勘違いしているな」

「し、時雨様は中世日本の、歴史に名前を残した偉人たちにも劣らぬ威厳をお持ちではありますが……その、現代において言えば一夫多妻制というものは基本的に身持ちが緩いと言いますか、一般的に申し上げますとあまり褒められた行為では」

「だから違う」

「ちょっと風間泉澄。その勘違いは看過できないわね。誰がこんな害虫とそんなことするもんですか。聖真那と烏川時雨が乳繰り合ってたとしても私は一切無関係だから。知ってる? 人間とノミは共存できないのよ」


 さりげにノミ扱いされていた。


「ま、私はそこのモフモフたちをモフモフしに……じゃなくて監視してくるわ」


 唯奈は凛音たちと合流すべく泉澄を引きつれて離れて行った。

 したらば、その場には時雨と真那だけが残されることとなるわけで。口元に手を据えて何やら思慮顔の彼女のことをなんとなく眺める。


「なんですか、視線だけで孕ませられるような犯罪者の目で見つめて」

「どんな能力だそれ」

「何?」


 ネイの発言に意識を吸い寄せられたように、真那はきょとんとした顔で目を見つめ返してくる。


「いやなんでもない」

「そう」


 質疑応答は成立しないようで真那は興味もなさそうに相槌を打った。


「推測するにあれですね、真那様も浴衣姿だったらよかったのに、とでも不純なことを考えていたのでしょう」

「それは果たして不純なことなのか? というか違う」

「浴衣?」

「凛音様やクレア様が浴衣姿で登場しましたので。時雨様は期待していたのかもしれませんね」

「期待も何も、俺と真那は一緒にここまで来たんだが」

「浴衣……そうね、祭りなら普通は浴衣を着るべきなのかしら」


 真那は失念していたとでも言わんばかりに腕を掲げて袖を見据えている。


「もしかして興味あるのか」

「浴衣には興味がないけれど、でもそれが祭りの衣装としての正装なら、着てみたかったかもしれないわ」

 

 その返答には思いがけなさがあった。装束やアクセサリなど、それどころか自身を飾るという欲求には一切の関心を示さなかった真那がそんなことを言おうとは。


「でも、やっぱり興味ないわ」

「祭りにもか?」

「それは……解らない」


 彼女は一瞬の間を置いたのち、複雑な心境に惑わされるような顔をして見せた。どうやら普通の生活にとことん疎い人物は凛音やクレアに留まらないらしい。

 真那も防衛省に所属する以前は、救済自衛寮経営主の一人娘として閉鎖的な生活を強いられていた。そんな彼女であるからこそ祭りという世俗のう気慰みには疎遠なのだろう。


「今夜は真那も精一杯楽しんだらどうだ」

「祭りを?」

「ああ。俺も娯楽に精通してるとは言えないが……少なくとも真那よりは普通の娯楽を嗜んでいると思う」

「それは時雨が私をエスコートしてくれるということ?」


 純粋無垢な表情でこちらのペースを乱してくる真那。いやそもそも今の発言で乱される自分もどうかとは思うが。


「まあいざという時は、一般人が一般人の見本の皮を着て歩いているような存在の紲様の挙動をパクればいいのです。さすれば、自然と普通の楽しみ方を理解できるでしょうから」


 その発言は地味に紲に失礼ではなかろうか。

 

「まあでも確かにネイの言うとおりかもしれないな。紲も言っていたが、一緒にいるだけで楽しい関係もあるとは思う。それぞれ楽しみ方なんて違うだろうが、一緒にいて楽しい相手と一緒に過ごせるなら、場所の関係なく楽しめるんじゃないか」

「と、真那様が一緒にいて真に愉悦を感じ得る相手が自分であると自信満々に公言する時雨様でした」

「そう言うつもりでいったんじゃない。それに俺は真那にも、今くらい戦いに明け暮れているんじゃない普通の真那でいて欲しい」

「普通の私?」

「ああ、普通のありのままの真那だ」

「ありのままの、普通の……」


 真那は静かに復唱した。何かを感じ入るように。言い知れない名前のつけられない感情に翻弄されるように。


「時雨は私と一緒にいると楽しいの?」

「いやに率直だな。まあ、多分そうだな」

「そう……それなら私も時雨と一緒にいる時が楽しいわ」


 真那は少しも楽しくなさそうに淡々と告げる。そう言うあたり少なくとも時雨と一緒にいることに不快感を抱いているわけではないらしい。それが解っただけでも上々と言えるだろう。


「では、普通の楽しみ方という物を演じてみようではありませんか」


 ネイはどこか面白がるようにそう告げる。


「あれなんてどうでしょうか、射的屋台」


 ネイに促されるようにして祭りの渦中に身を投じるなり、彼女は比較的客の少ない屋台を示す。赤く彩られた棚には様々な物品が整列している。

 一般的な屋台に置かれているぬいぐるみや貯金箱、家電ゲーム機と言ったような物を初めとし、中には用途不明な物品も紛れ込んでいる。

 

「射的か」

「これはどういう目的の屋台なの?」

「店側が用意している実弾銃を用いて、身動きが出来ずに配置されている幼気な商品を狙撃するゲームです」

「明らかに間違っているだろ」

「なお陳列されている商品ですが、内側には小動物がコンクリ詰めにされていて、着弾すると生血が撒き散らされるという粋な仕様がありまして、」

「そんな仕様の屋台があったら、速攻で問題になっているだろうな」


 まさかと思って屋台の様子を伺うが射的に興じている客が気味悪がっている様子もない。あくまでも普通の屋台だ。


「普通におもちゃの銃で商品を落とせば、それをもらえるってシステムの屋台だ」

「おもちゃの銃? それって精度は正確なの?」

「いやまああくまでもおもちゃだ、正確じゃないんじゃないか?」

「モデルは猟銃みたいだけれど……見る限り、明らかにあれは火薬ではなく空気で弾丸を射出しているわ。あれではまともに狙った対象物に着弾しない。それどころか、至近距離で狙撃しても強風が吹いただけで軌道が大幅に逸れてしまう。何の演習にもならないわ」


 楽しむことと演習を同義にするなよ。


「祭りの醍醐味は、疑似的な戦闘訓練をすることで破壊衝動を中和し、満足中枢を刺激することではないの?」

「どんな血祭りだ」


 どうやら真那は凛音以上に娯楽に疎かったようだ。これは難航しそうである。


「そもそもあの猟銃、ダブルバレルなのに、弾丸が片方からしか射出されないような設計になっているわ。重量的な問題もあるし設計に無駄が多すぎる」

「柊みたいになっているぞ」

「見過ごせない危険性があったから指摘しただけよ。あれを用いてもし内部で弾丸でも暴発すれば、危害が及びかねないもの」

「空気銃が暴発なんてするか」

「時雨、さっきから文句ばかり」

「それはこっちのセリフだッ」


 淡泊に発言を続ける真那。らちが明かないと判断し彼女の手首を掴んで射的の列に並ぶ。まずは実践させるべきだろう。射的に楽しみを見いだせるか否かは、それから判断すればいい。

 やがて回ってきた順番で真那は屋台の前に立ちおもちゃの銃を手に取った。


「軽量ね。銃身に対してこの重量だと素材に不安が残るわ」

「おもちゃの銃だからガスとか使っていない。安心しろ」

「ガスすら使わない空気銃なんて、飛距離に問題があるのではないかしら」


 真那は分析しながらも射的銃を構える。

 一寸のブレのない構えには感服するが、ぱしゅんと間抜けな音を立ててはじき出されたコルクの弾丸は、的を大きく外れて屋台の奥壁に弾けた。


「……精度は最悪。飛距離も五メートル程度ね。有効射程は……百五十センチといったところかしら。そもそもショットガンなのにどうして散弾じゃないのかしら」

「まあコルク銃だしな」

「この銃の構造について、少し聞きたいのだけれど」


 真那は不平顔で屋台の主に声を掛けていた。


「この銃は空気銃だけれど、明らかに圧力が不足しているわ」

「え?」

「そもそもこの銃では、あの商品の半分以上が落とせないわ。ガスを使わずに空気で商品を落とさせる趣旨の屋台であるなら、せめてパスカル度数を大分底上げしないといけない」

「いやだがこれ以上空圧を上げると、ゲームバランスが……」

「ゲームバランスが聞いて呆れるわ。そもそも現状この射的屋台には、ゲームバランスなんて成立していないもの」


 抗議を始めた真那の姿に心中驚いていた。あの真那がたかが屋台の仕様にケチをつけるなどと思っていなかったためだ。

 店主には気の毒だがそんな真那の姿に高揚を感じずにはいられない。彼女が素の感情を露わにしてくれるなどと思ってもみなかったから。

 ただし彼女の後ろで順番を待っている客や彼女以外におもちゃの銃を持っている客が、好奇の視線を真那に遠慮なく向けているのにはいい気がしなかったが。

 

「ひ、聖さん、これはただの遊びで……」

「遊びでもシステムに不備があるのは明らかに問題よ。前提的に手に入れることが出来ない設計だなんて横着もいいところだもの。こんなもの、客から資金を巻き上げるだけの経営側の都合のいいシステムでしかない」

「うっ……」


 慈善営業であるために料金は請求されていないのだが。


「弾丸が対象物の中心点に着弾してもこれではびくともしないわ。空圧を変えられないのなら、せめて商品を落とすことが出来る配置にするべき。それに当たれば獲得できる重量の商品も、極端にサイズが小さすぎるわ。焦点がまともに定まらないおもちゃの銃ではあてることさえ適わない。照準精度を少しくらい上げていないと、この屋台は射的屋台として成り立たない……その程度の配慮もできずに経営に乗り出すなんて、狂気の沙汰ではないわ」

「…………」


 真那の正論に対し返答に窮したのだろう。店主は何も言い返せない。

 確かに真那の言い分は正しい。この空気銃ではおそらく商品に当たってもその殆どがびくともしないだろう。

 しかし祭りの屋台とはそう言うものではないのか。第一前提として屋台主が儲けるために設置されるものが、屋台なのである。ゲームバランスを注視して簡単に商品を獲得できる仕様にすれば、経営は破綻するだろう。

 勿論この祭り自体はレジスタンス主催のもので利用するのに資金などは要さない。つまり屋台側の利益などはそもそも存在していないのだが。

 

「何より問題なのは弾丸として用いているコルクね。いまさらこの素材に関して難癖付けるつもりはないけれど、でもこのコルクは重心が中心に来ていないわ。ところどころ欠けているし、これが照準のズレの原因の一端でもある。せめて使い捨てにして、常に客に対して新品を提供していれば、もう少し難易度は下がるかもしれな――」

「まあ真那、その辺にしとこうな」

「――どうして止めるの?」


 店主に潤んだ目でヘルプサインを出され、流石に見るに堪えなかったため真那の肩を後ろから掴んだ。

 不服そうに振り返った彼女だったが、その拍子に皆の視線が自分に集中していることに気が付いたのだろう。


「ごめんなさい。営業妨害ね」

「いや、こちらこそ中途半端なサービスを提供し誠に申し訳なく……」

「アンタは悪くないから頭挙げてくれ」


 気の毒な店主にそう声を掛けつつ野次馬を睨みつける。見世物じゃないぞという意志は伝わったのか学生たちは分散し始めた。

 とは言っても後ろに列が出来ている以上、あまり独占するわけにもいかない。営業妨害にならないよう一旦自分たちは列の最後尾に移動する。


「どうしたんだ真那、お前があんなに躍起になるなんて」

「別に……何でもないわ」


 真那は無表情でその首をふるう。なんとなく彼女の執拗なまでの抗議には理由があるような気がしていた。

 自分の狙撃が大きく外れたことに対して、苛立ちを隠せず店主に文句を垂れたわけではあるまい。

 となれば必然的に真那の行動原理に目処はつけられる。この射的屋台にて欲しい商品があった。そう言うことではなかろうか。


「何か、欲しい物でもあったのか?」

「……なくはないわ」


 半信半疑になりながらも問いかけると予想外にも真那は肯定して見せた。

 物欲がほぼゼロに近い真那が何かを欲しがるだなんて。祭りに来てからという物、知らない真那の本質を度々垣間見ている気がする。


「何が欲しいんだ?」

「……あれよ」


 真那は目線だけ陳列棚に向けた。視線だけではどれのことであるか判別しかねたが、先ほどコルク弾が向かった方向から大まかな位置を特定する。どうやらアクセサリ系統であるらしい。


「意外だな……真那がアクセサリを欲しがるなんて」

「特別欲しくはないわ」

「欲しくないのか」

「でも、欲しい」


 発言が迷走気味だった。一体真那は何を思ってアクセサリなどを欲しがるのか。


「正確には、どの商品が目当てなのですか?」

「あの金鎖よ」

「金鎖……?」

「ネックレスのことではないですかね」


 なるほど。ネックレスならば普段から身に着けていても特別目立つことはない。装飾趣味がない真那が欲しがっても比較的違和感は軽減される。


「ネックレスは三種あるようですね」

「三種?」

「どうやら花を模した形状であるようです。左から順に向日葵、薔薇、蓮……真那様はどれをご所望なのですか?」

「どれでもいいわ」

「いや選ばないと狙いようがないだろ」


 そう述べると真那は思案顔になる。


「私、花の知識なんてないわ」

「そんな知識なくても単純に気に入ったデザインを選べばいいんじゃないのか?」

「ネックレスに何かしらの効能があるだなんて考えていないけれど……でも、全く意味のない物を身に付ける趣味はないわ。身に着けるのなら、意味のあるものにしたいもの」


 そこは真那のこだわりであるらしい。まあ自分で欲しいと言ってはいたが、結局邪魔になるだとか考えているのだろう。

 であれば真那にこの俗世のアイテムを常備させるためにも、それらしい理由があった方がいいかもしれない。


「では、それぞれの花言葉を提示いたしましょう」

「花言葉?」

「花には、その特質などによって象徴的な意味を持たせた花言葉が存在するのです。オリーブが平和のような。ちなみに百合の花は純粋という意味ですが……百合の素質がある唯奈様は、贔屓目で見ても到底純潔であるとは言い難く――」

「ふんっ」

「がはっ!?」


 後頭部に水風船が炸裂した。柊の奴め中身がC.C.Rionと知っての暴挙か。


「まあそんな感じで花にはそれぞれ意味があるのです」

「面白そうね」

「ではまずは向日葵から……花言葉は『あなただけを見つめます』『光輝』『熱愛』『愛慕』『崇拝』」

「純愛のイメージかしら」

「あながち間違ってはいないでしょうが、少々愛に固執した印象も見受けられますね」


 向日葵、それを耳にして最初に思い浮かんだ意味合いは純愛ではない。時雨にとって向日葵と言えば、どちらかと言えば忌まわしい記憶の方が色濃く感じられる。

 救済自衛寮。あの場所にも地一面を覆い隠すように向日葵が咲き誇っていた。あの向日葵は夏の陽気さを体現させているようで、その実、真実を追い隠す仮初の防壁だったようにも思えてしまう。

 救済自衛寮のどこかの施設を思わせる外壁。あの養成施設はその物理防壁だけでなく、向日葵というカモフラージュによってその本質を外界から閉ざしていたのだ。

 壁の内部に渦巻くラグノス計画の真相など外には一切感じさせることをしなかった、そんな。

 向日葵の意味する『熱愛』の意味は、その本質を隠ぺいさせるためのあくどさから来るものに思えて仕方がない。


「…………」


 それと同時に、頭の中にはもう一つの印象が芽生えるのだ。救済自衛寮の立ち並ぶ向日葵の中に幼き黒髪の少女の影が揺れる。


「薔薇は『愛』『美』『あなたを信じます』『清廉』」

「率直過ぎて、胡散臭いわ」

「ちなみに昔のネット界隈では『ホモ』の意があったようですね。今は廃れてしまったようですが」

「ホモ?」

「ホモセクシュアルの略で男同士で愛に溺れることです。酒匂様と昴様のような関係のことですね」

「おい」


 それはあまりにも偏見ではなかろうか。あの二人は確かに主従関係以上の親しさがあるが、しかしそれは決して同性愛に発展しているわけでは……、


「なくも、無いかもしれない……」

「酒匂様が昴様を見る目は、明らかに慈しみ以上のものがありますからね。ちなみに受けは酒匂様でしょうね」


 しかし薔薇か。最近そう言えば、何度か薔薇を目にする機会があった気がする。

 記憶に鮮明なのは救済自衛寮に出向いた時のことだ。廃墟と化したあの場所の中で、時雨と真那は枯れた赤黒い薔薇を一輪見つけた。

 あの時はその薔薇に関して深く考えなかったが、そう言えば知り合いの中に、常に胸に薔薇をさしている人物がいたような気がする。


「何故かしら……寒気がするわね」

「同感だ、不思議なものだな」


 同じ人物が頭に浮かんだのか、真那はその身を掻き抱くようにして不快感を露わにす。

 あの男が救済自衛寮に薔薇を落としたのかは解らないが、もはや薔薇のイメージはあの男でしかない。そう考えると薔薇の花言葉は途端に色あせる。愛も美も。歪曲した意味合いになりかねない。


「最後に蓮の花に関してですが、その意は『遠ざかった愛』『雄弁』『神聖』『清らかな心』などですね」

「蓮……ロータスね」


 真那が複雑そうに復唱する理由は解る。レジスタンスが活動するにあたって最大の障壁となるもの、それこそがLOTUS。

 あの人工知能が厳重なセキュリティをリミテッドに敷いているからこそ行動は制限される。あれがなければ、こんなにも肩身の狭い環境で活動することもなかったはずなのだ。


「あまりいい因縁のある名称ではありませんがね。ただ蓮には他にもさまざまな意味合いがあります。花言葉に限らず、仏教的な意味を上げるとすれば極楽浄土の象徴でもありますね。仏教界では蓮はこの世で最も美しい物であるようです」

「私は仏教徒ではないのだけれど」

「どの教えに属しているかなどはこの際関係ないのですよ。単純に目にして美しいと思えれば、それでよいのです」

「どうして蓮は最も美しいと言われているんだ」

「蓮の花は泥水の中で育つからですよ」


 ならば逆に汚いものではないのか。


「泥水の濃度が濃いほど蓮の花は大輪の花を咲かせます。真水に近いきれいな水である場合、小さな花しか咲かせません。この属性は人生に置き換えて考えることが出来ます。ここにおける泥水とは、すなわち苦悩、悲壮、苦行に値します」

「つまりは、どういうこと?」

「蓮は大輪を咲かせるためにこの上なく汚い泥水を必要とします。つまり人間が本当の意味で強くなり本当の自分を咲かすためには、数多の苦行を乗り越えなければいけない。蓮の花が泥水の中からしか立ち上がらぬように、人間も苦を越えてこなければ己を発揮しきることが出来ない……そう言う意味合いがあるのでしょうね」

「私たちレジスタンスは今、その苦を乗り越えている真っ最中なのかしら」


 蓮が花開くように天命を成就させるべく戦い続けている。

 蓮のように花開くためにLOTUSを乗り越えなければいけないというのも変な話であるが……確かに蓮は今の時雨たちによく似ている。泥水の中で芽吹く時を待ち続けるつぼみのようなものなのだ。


「あくまでもこれは仏教における教えですがね。ただ真那様がこれを聞いて、少しでも蓮に魅力を見いだせたのならば、これを選ぶのも手かもしれません」

「そう……」


 真那は特別感銘を受けた様子もなく静かに相槌を打った。そうして再び順番が回ってきたとき射的銃を手に構える。どうやらどのネックレスにするかは決まったらしい。

 新たに後ろに客が並んではいないがここにいれば店の邪魔になるのも事実。いつまでもここで立ち往生しているわけにもいくまい。店主も鬱陶しそうにため息を絶やさずにいた。

 

「でも……どちらにしても、ここからでは狙えないわ」


 真那は照準を合わせながら不満を吐き出す。まあ確かに先ほど盛大に照準から逸れたのである。狙った獲物を射落とせるとは思えない。


「真那様、その体勢では当てるのは厳しいですが、もっと至近距離から撃てば確率的には狙えなくもないですよ」

「けれど、ここに敷居があるわ」

「それはあくまでも、客が棚に近づきないようにするための処置です。身を乗り出す分には厳禁ではありませんよ。ですよね、店主様」

「あ、ああ、勿論だ。いくらでも身を乗り出してくれ」


 どうやら店主は颯爽に立ち退いて貰いたいようである。半分やけになったようにそう応答してきた。


「そう……」


 真那はネイに指示されたように、敷居に肘をつき身を乗り出すようにして照準を改める。

 その動きが完全に静止したと思った刹那、間抜けな音が銃口から噴射された。吐き出されたコルク玉は放物線を描き、目的のパッケージから十数センチ逸れた地点を通過する。


「……この距離でも照準が逸れるわね」

「風も吹いていないんだがな」


 とはいえ真那のことだ、彼女の命中精度が迷走しているわけではあるまい。どうやら彼女の使う射的銃の精度が狂っているらしい。


「仕方ないわ……時雨、支えて」

「敷居棚を?」

「私の身体をよ」


 解ってはいたが勘違いではないことを確認するために問う。自身を支えられる限界にまで身を乗り出した真那の後姿を眺める。

 身を乗り出しているわけだから当然だが、彼女の控えめな臀部が惜しげもなく突き出されている。


「早くして」


 邪な視線を向けられているとは知らず(そんなつもりはないが)真那は急かしてくる。

 反射的に目を反らしながら深く息をつく。そうして意を決すると彼女の背中に覆いかぶさる形になった。


「凛音様やクレア様には絶対に見せられない体勢ですねえ」

「頼むから黙ってくれ」


 華奢な脇腹を抑えながら、無心になる。これはあくまでも頼まれたからやっているだけであるのだ。そう自分の心に言い聞かせながら、接触する真那の肢体の柔らかさを脳内からシャットアウトした。

 そうこうしている内に真那が引き金を振り絞る。累計で三度目の間抜けな音が吹き散らされたすぐ後に、相次いでコルクが何かにぶつかる音が反響した。そして落下音。どうやら目的の商品の狙い撃ちに成功したようである。

 コルクは弾けた拍子にその軌道をずらし別の方向へと飛来していた。それによって立ち並ぶ残り二つのパッケージをも叩き落とす。


「結局全部落ちたな……」


 真那の身体から自身を離れさせながら彼女を引き戻した。真那は乱れた裾を治しながら、得意げな顔をするわけでもなくそうねと呟く。


「ほい、商品だよ」


 店主に獲得した三つのパッケージを手渡される。それを真那の手に落とすと、しばらくの間彼女はそれらをじっと眺めていた。


「……これはいらないわ」


 彼女は逡巡するそぶりすら見せずにそのうちの一つをゴミ箱に捨てる。


「捨てるのはもったいなくないか」

「だって……持っているだけで呪われそうなんだもの」


 ゴミ箱を眺めながら不快気に無愛想な返答をした真那。釣られるようにして捨てられたパッケージを伺うと薔薇のネックレスであった。

 なるほど、これは無条件に捨てられても致し方ない物品である。


「例のリバティ人間が発狂しそうですね」

「妥当な処置だろ」

「違いありませんね」


 満場一致らしい。


「時雨、上げるわ」

「俺に?」

「ええ。二つ持っていても仕方ないもの」


 真那はパッケージのうちの一つを手渡してくる。どうやら向日葵のネックレスであるようだ。正直このような装飾品に興味はないため渡されても困るのだが、真那の厚意をむげにするわけにもいかずそれを受け取った。


「真那様、折角獲得したのですし、つけてみては如何ですか」

「そうね」


 特に拒む理由もなかったようで真那はネックレスの鎖に首に通す。

 異物感でも感じたのか彼女は違和感を表情にしてその顔に張り付けつつ、首から垂れる金属をその手で掬った。


「どうかしら」

「いいんじゃないか? 蓮のデザインは大人っぽいし、真那に似合うと思うよ」


 素直に思ったことを口に出す。実際、蓮の均整のとれた形状は真那との不思議な一体感が感じられる。大分精緻な設計になっているようで真那が付けても見劣りしない物だと言えるだろう。


「似合う……それは、普通ということ?」

「いや普通じゃなく、見栄えがいいって意味で言ったんだが」


 褒めたつもりだったが真那は明らかに不服そうな顔を浮かべる。彼女の納得できる返答ではなかったらしい。


「普通ではないの?」

「ああ、そうだな。綺麗だと思う」

「……そう」


 賛美を仄めかしたつもりであるのに、やはり真那は眉の辺りに遺憾な線を刻んでいる。これでも駄目なのか。

 救済の手を求めてネイにアイコンタクトを贈った。人間観察については何者よりも秀でているネイである。真那の意図も正確に汲んでくれることであろう。


「……真那様は時雨様のように単純平凡家畜然とした思考の持ち主ではないので、私には判別しかねます」


 どうやら自称超ハイスペック人工知能様にも理解は出来なかったらしい。ネイが解らないことを時雨が解るはずがないではないか。


「不満だったか?」

「別に不満というわけではないわ」

「だが明らかに違う感想を求めていた感じだったが」

「それは……」


 真那にしては珍しく言いよどみ二の句を噤む。


「誰だって見た目を褒められれば喜ぶ。だから褒めたつもりだったんだが」

「それに関してはありがとう。でもそう言うつもりで聞いたのではないの」


 真那は悲哀とも落胆とも取れない感情を表情に表していた。指先で蓮を弄びながら彼女は目を伏せる。


「私は普通の私でありたいのよ」

「普通の真那? 真那は真那だろ」


 抽象的な発言の意図が読み取れず彼女のことを見つめる。真那は返答に窮したように眉根を寄せた。


「時雨は、私に普通の私でいて欲しいと言ったわ。ありのままの私で……だから、普通の私になろうとしたのだけれど……」


 そこまで言われてようやく思い当たる。それは先ほど自分で言った言葉だ。

 確かに真那には戦いなどに明け暮れない普通の生き方をしてほしいと言った。


「普通の私という物にいまいち理解が及ばなかったのだけれど……でも普通の女子なら、こう言ったアクセサリに興味があるということは知っているわ」

「いや、俺の言った普通の真那と言うのは普通の女と言う意味ではないんだが……」


 ようやくして真那の行動原理に名前が付けられた。

 興味がないと言っていたネックレスを欲しがった理由。それは普通の女子らしさを獲得しようとしたが故の行動だったのだ。

 おそらくは学生生活を送る中、彼女なりに普通の女子高生という存在の分析をしていたのだろう。

 

「普通の女子は、貴金属などの装飾品で自分を着飾る傾向にあるわ。だから普通の女子を演じるには、貴金属を身につければいいと考えたのだけれど」

「あながち間違ってはいませんが、少々極端すぎますね」

「なら、時雨はどういう意味で言ったの?」

「単純に、ありのままの真那でいて欲しいと思ったんだ。普通の女子学生らしくという意味ではなく……なんていうか、色々なことに翻弄されてばかりではなく、たまにはやりたいことをやって羽を伸ばして欲しかったんだよ」


 これに関しては時雨の発言の仕方の問題だと言えるだろう。真那が普通の生き方などに理解がないとは解っていたのだ。であるならば抽象的な表現などせず率直に言うべきであっただろう。


「そう……それなら、これはいらないわね」

「いや待った」


 かけたばかりのネックレスを外そうとする真那に静止をかける。


「どうしたの」

「それは掛けたままでいいんじゃないか」

「このアクセサリには何のタクティカル・アドバンテージもないわ。身に着けていても邪魔になるだけ」

「そう言う戦術効率的な考え方ばかりじゃなく……普通に、自分を着飾ってもいいんじゃないか」

「それは、私に普通の女子になれということ?」

「違う。単純に……似合っているしな。つけていてもいいんじゃないかと思っただけだ」


 自分でも何を言っているのかは解らない。時雨たちはレジスタンスなのだ。自分を着飾ったところで何が変わるわけでもない。それでも、なんとなく真那にはそれを身に着けたままでいて欲しかった。

 これは感情の押し売りに過ぎないのだろうが。新鮮な真那の姿にちょっとした高揚を覚えていたのである。


「そう……解ったわ」

「邪魔ならつけなくていい」

「いえそう言ってくれたんだもの。外す理由はないわね」

「そうか」

「ええ」


 感情表現の起伏はあくまでも乏しく彼女は鎖にかけていた指を離す。代わりに襟を引っ張って鎖を胸元に落とした。


「さて、嫌がる真那様に強要したのです。時雨様も掛けましょう」

「いや俺はいい、男に向日葵なんて似合わない」

「そもそも家畜に装飾品は不釣り合いです。身の程を知りやがってください」

「どっちなんだ」


 手に持つパッケージを見下ろす。特につけない理由はなかったが、真那とペアルックになると考えると少々気恥ずかしい。

 一瞬逡巡したがやはり生身につけることは拒んだ。箱に入った状態ではかさばるため中身だけ出してポケットにしまい込む。


「付けないの?」

「金属アレルギーなんだ」

「半分金属化してるくせに良く言います。色ボケ時雨野郎様。末永く爆発しやがってください」


 そうだった。

 時間帯の問題もあって結局射的屋台しか訪れることが出来なかった。皆の所在を確かめようと疎らになり始めている人ごみに視線を流す。

 金魚すくいに和馬が躍起になっているのは、後ろに控えているクレアのためか。彼の足元に積み重ねられた破けた和紙の数は尋常ではない。

 クレアはクレアでガスマスクの代わりに顔を隠すためのものか、狼か狐か分からないようなお面を付けている。顔を隠していても動揺ぶりは手に取るように解った。きっと金魚をすくえない和馬が、放送禁止ワード指定されるような発言を連呼しているためだろう。


「どうでもいいですが、金魚すくいという名称は酷く皮肉じみていますね」


 彼の奮闘を目にしていたのかネイが突然脈絡のないことを呟く。


「果たして金魚は、人間によって養われる環境を救いとしているのか。生物というものは根源的に何者かに支配されることに拒絶反応を抱くものです。金魚然り、勿論人間然り。あ、時雨様のような家畜は、こき使われることに性的快感を禁じ得ないのでしょうが」

「人間も、か……ラグノス計画のことか?」


 後半の発言はスルーする。


「そうでもあり、そうでなくもあります。ただひとつ言えることは、時雨様があの水槽の中に入るべきだと言うことですね。同種の人間にあたかも内面を覗きこまれるように俯瞰される……害虫の時雨様にはぴったりの好待遇じゃないですか」

「それが言いたかっただけだろ」

「ふふふ」


 貫禄まで感じさせるほどのドヤ顔。こいつの行動原理は其の八割くらいが時雨への罵倒で構築されているのではなかろうか。ネイを黙らせるべくビジュアライザーを小突く。

 次第に雑踏は減っていき祭りの終局が際立ち始める。屋台もその殆どがかがり火を落とし始め、台場海浜公園は少しずつ闇に飲まれ始めていた。


「ありゃ、ちっこいの一号はどこだ?」


 解散しようという話になったころ不意に和馬が欠員に気が付く。見回してみた限り疎らな人間たちの合間に彼女の姿はない。

 

「ごめんなさい……っ、僕が付いていながら凛音様を見失ってしまいました」

「いや風間のせいじゃない。皆の不注意だ」


 失態を顕にし必死に頭を下げる泉澄。それを宥めつつ再度彼女の姿を探した。特徴的なオオカミ耳型のフードは視界に収まらない。


「あたし、十五分くらい前に凛音センパイと一緒に輪投げをしましたよ」

「十五分前……その後どこに行ったのか解らないか?」

「すいません。気が付いたらいなくなっていたので」


 つまりここ十五分以内に姿を消したということか。何者かの襲撃を受けたのかと考えるがその可能性は薄いだろう。あの雑踏の中に凛音はいたのだ。紛争でも起きれば騒ぎになっていて然るべきだろう。


「件の女子学生たちに連れて行かれた可能性は拭いきれませんね」


 ネイの推測に背筋が凍る感触を覚える。ざわざわと胸の中が喧騒にまみれ鼓動が早鐘のように加速する。

 もしそうであるのならば最悪だ。せっかく皆のおかげで凛音が笑顔を取り戻し始めていたというのに。またあのようなことが起きれば今度はどうなるか解ったものではない。


「凛音なら、数分前にお手洗いに向かった」


 そんな懸案を鎖世が払拭する。


「え、でも、いなかったよ」

「いなかったって手洗いにか?」

「うん……今私、お手洗いから戻ってきたところだけど、個室は全部空いていたよ」

 

 嫌な予感が冷風と共に全身に吹き付ける。連行されたわけではないということは、凛音は自発的に姿を消したということになる。

 だがどこに。何故。そこまで考えたところで先ほどの唯奈の問いかけを思い返すのだ。凛音の心境に関して指摘され凛音は立ち直れると応じた。だが……、


「っ……」


 自らの取り返しようのない迂闊さに後になってから気が付く。


「リオンは、化け物なのか……?」


 瞼の裏側に、憂愁の影が指した凛音の嘆きが張り付いていた。

 


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