2055年 12月15日(水)

第149話

 台場を仮拠点とし通学を再開してから三日目。キャンパスのある台場公園へと出向くべくいつもの時間帯に部屋を出た時雨と凛音は、その道中喧騒と人だかりに対面していた。

 台場には高架モノレールが掛かり、その高架は全域に蜘蛛の巣状に張り巡らされている。それはフロート区画の台場公園に連なる桟橋にも言えた話だ。そのため学生寮のある地点から台場公園までは高架モノレールを用いて通っている。

 そのモノレールのターミナルにて無数の蟻聚が犇めいているのが見えた。


「どうしたのだろな」

「さぁ……」


 混雑ということはないだろう。この朝の時間帯とは言っても、そもそも台場にはほとんどただの民間人はいない。

 台場は本島とは違ってレッドシェルターに次ぐ工業発展フロート区画なのだ。勿論スファナルージュ第三統合学園の学生はいるが、それ以外に住民のほとんどはスファナルージュの工場関係者だ。

 織寧重工系列も元々はこの台場を生産場として活動していたが、今やそれすらなくなっているわけで。通勤途中の社会人などもいない。

 そもそもかなりの定員を受容できる。となれば乗客があぶれその人物がごねているという線もなくなる。

 誰かがターミナルから機内に搭乗するのに手間取っているのだろうか。


「時雨、凛音」


 少し離れた位置から眺めていた時雨たちの元へ、同様に人だかりから距離を取って確認していたと思われる真那が声を掛けてきた。

 この時間帯は酷く冷え込むこともあって彼女の吐く息は白く氷結している。あまりこの極寒空間に長時間待ちぼうけにされるのは好ましくないのだが。


「この雑踏、どうなってるんだ」

「私が来た時にはすでにこの状態になっていたわ……いえ、更に人が集まっている分、人口密度は大分上がっているけれど」


 真那の言うようにさらに数名の学生がその群衆に加わっていた。

 彼らはターミナルに何やら怒声やら野次を浴びせている。全自動無人モノレールであるから野次を飛ばしても何の意味もないのだが。

 あたかもデモ運動でもしているように見えるが実際はそうではない。


「どうにも高架モノレールの電力が停止しているようなのよ」

「電力?」


 言われてみてモノレールが動いていないことに気が付く。確かにこの機体はターミナルに着くと数十秒ほど停止はする。

 とはいえそれはスキー場のゴンドラのようなもので、乗客が乗り込み次第動き出すはずなのだ。しかしモノレールは扉すら開いていない。

 時代の片隅に置き忘れられたようなその佇まい。仕事したくないからお前ら自分の足で歩けよとでも職務放棄宣言をしているようだ。


「どうして電気が止まっちゃったのだ?」

「停電でも起きてるのかね」

「それはないと思うけれど……」


 自分で言ってはみたもののその線がないことは周囲を見れば明白だ。工場の電気は変わらずついているし凍結防止か街灯も微弱な光を放っている。


「あまりの寒さに、モノレールも働きたくない病を発症させたのかもしれませんね。惰眠ばかり貪る時雨様のように」

「そう言うこともあるか」

「まあ雪などが降っているわけでもありませんし、わざわざ動かないモノレールの復旧を待つ意味はないでしょう。幸い台場公園までの桟橋には歩道もありますので」

「歩けという意味か」

「そうです。ただえさえ豚足なんですから、少しくらい自分の体を動かさないと唯奈様みたいなトリアシルグリセロール体型になりかねませんよ」

「……余計なお世話よ」


 同様に待ちぼうけを食らっていたのかあるいは今来たのか。もしくは凛音の監視をしていたのか。いや流石にそれはないだろうが。脇を通過して唯奈は直足で洋上を乗り越えていく。それを見て他の学生たちもモノレールは使えないと踏んだのだろう。

 不平不満を愚痴に変えて漏れ出させながらも、アメーバのように増殖を続ける一方だった人の塊が一斉に動き出した。そうして学生たちは彼女に次いで桟橋を越えていく。



 ◇



「遊園地なのか?」


 昼休みの時いつものように女子学生たちに絡まれていた凛音がそんなことを呟くのが聞こえた。

 購買部で仕入れた惣菜パンにかぶりつきながら彼女たちの会話を耳で拾う。


「そうそう、今ね台場に新しいレジャー施設が建設中なんだって」

「遊園地というのはあれなのか? いわゆる乗馬マシンみたいなのが、グルグル回るやつがあるとこなのか?」

「何その卑猥な言い回し……誰の入れ知恵?」

「ショーヨーなのだ」

「和馬くんサイテー、ちょっと幻滅したかも」


 軽蔑するような視線を背中に受けて和馬がその表情を歪めさせる。冷や汗が伝っているのが見えた。

 ネイのガッツポーズを見れば、彼女が幼稚ないたずら心で仕組んだと解釈して間違いあるまい。


「それで、その回転乗馬マシーンがどうかしたのか?」

「まあそれ多分メリーゴウランドだよね。確かにあるね、多分」

「もうすでに建造自体は終わってるっぽいよ?」

「そこまで規模は大きくないけど、ちょー楽しそうだよね!」

「えーまじー? あれはないっしょー。メリーゴウランドとか幼稚園児用って言うか? おままごとの延長って言うか? ウチたちみたいなレディには、とーぜん観覧車じゃね?」

「観覧車って、山口ミーハーねぇ」


 どうにも低能な女子高生の会話。いまいち凛音はその会話に入りきれていないようだが、そもそも特別混ざりたいとも思っていないようで。

 彼女たちの興味がその遊園地に逸れたのを見計らって、こっそりとその大衆環視から抜け出し鎖世の元へと向かっていた。

 食事もせず目を瞑って瞑想していた彼女に対面するように机の上に飛び乗る。あまりにもマナーのなっていない行為だったが特に咎める者はいなかった。凛音のことはある種の愛玩動物的な目で見ているのかもしれない。

 鎖世も鎖世で凛音のそういった行動に慣れきってしまったのか特に反応をしない。凛音を見上げながら彼女が話題の提供をしてくるのを黙って待っている。


「サヨ、遊園地というものを知っておるか?」

「恐怖、高揚といった感情を左右することで人間の興味関心を刺激する、様々なアトラクションの用意されている施設という見識で間違いないのなら、知ってる」

「サヨは行ったことがあるのか?」

「ないわ」

「行きたいとも思わぬのか?」

「興味がないから」


 本当に興味がないのか鎖世は淡々とそう応じる。

 凛音の方は少なからず興味を湧き出させているのか、どうにかして鎖世に行きたいと言わせたいようだ。おそらく彼女と一緒に行こうとでも考えているのだろう。


「遊園地ねえ」

「行ったことあるのか?」

「いやまあ普通の人生送ってきた奴なら、行ったことくらいあるだろうよな」


 和馬は元々ただの一般人だったという。詳しいことは知らないがリミテッド建立に伴って居場所を失った彼はチンピラの道に落ちたとか。

 どうやって更生したのかは知らないが、何であれ元々は周りの学生と何も変わらない一般市民だったということだ。

 時雨や真那などはそう言った普通の環境で育ってはいない。それ故に普通や平凡といった環境にいまいちピントを合わせられなかった。


「しかしまあ今のご時世遊園地だなんてリミテッドも平和になったもんだねぇ」

「リミテッドにはもともとそう言った娯楽施設はありませんでしたからね。仮初の安寧を獲得していたとはいえ、そんな敷地はありませんから」


 まったくもってネイの言うとおりだと言えよう。リミテッドはイモーバブルゲートに囲われ絶対不可侵の領域になっている。そうして外界との境界を設けることで自分たちの活動領域をも明確にしてしまっているのだ。

 制限され拡張の赦されない領域がリミテッド。その打開策として、一時期23区の地下に新しい空間を設ける次期都市開発計画も発案された。

 地盤の問題やその他の理由からその計画も破綻となった。その名残である地下空間が本拠点たるジオフロントであることは言うまでもないだろう。


「総面積621平方キロメートル。総人口は720万人。数年前のデータだから今はもう少し人口自体は減っているでしょうけど……」

「単純計算すると一平方キロメートル内に11594人の人口密度。都心と言えど、かなりの密集率とだと言えるでしょう。ただえさえ足りない敷地であるというのに、それを大幅に消耗して娯楽施設を建築するなど……正気の沙汰とは思えませんね」


 腕を組んで熟考する真那にネイが同調する。小規模な施設だとしても膨大な敷地を要するだろう。

 そこに数百、数千人という人間が住めるほどの敷地であるはずだ。それを浪費するなど建造主は一体何を考えているのか。そもそもとしてそんな暴挙を防衛省が許すというのか。


「ニュースで見た」

「何を見たというのだ?」

「その娯楽施設、国営」


 鎖世が言うように国営ということは当然民間企業による創設ではないということだ。

 

「今のリミテッドにおける国営機関、何があったか」

「スファナルージュとか、後は織寧重工の後釜になる生産重工企業じゃねえの?」

「他には水産業、林業、農業系列の第一次産業も国営ね。レッドシェルターに居住権があったと思うわ」


 真那はそんなことまでなぜ知っているのかと思うような知識をさらけ出す。


「同様に加工業の第二次産業、そしてその他の第三次産業の一部も国営機関だと言えますね。この場合、娯楽業の位置する第三次産業が遊園地の設営を管轄していると言えるでしょう」

「紛れもなく国営ということだな」


 つまり防衛省の許可の元、建造しているということか。あの防衛省が、それも左翼派と右翼派とに分裂し佐伯が実権を握っている今の恐怖政権が。

 よもや住民の娯楽のことなど考えているとは到底思えないのだが。一体何を考えての娯楽施設の建築だというのか。


「きな臭いな」

「それに、台場に設けるというのも少し気になりますね」


 話の流れをうかがっていたのか疑念交じりの面持ちで発言したのは泉澄だ。


「確かに比較的敷地面積に余裕がある台場ではありますが、そもそもこの台場は本島から切り離された工業発展群なのです。重工業生産を主とした、レッドシェルター外部最大の発展区域ですし……住民も少ない以上、このフロートに娯楽施設を作るのは少々無駄な気がします」


 確かに言われてみればそうだ。ここには民間人がほとんどいない。

 ここ半年以内にスファナルージュ第三統合学園が建造されたため学生たちが千人規模で移住してきたものの、それすら先日のアイドレーターの企てで大幅に減少した。

 もし遊園地が完成したとしてもそこに通うのはせいぜいこの学園の学生くらいであろう。

 勿論設立の暁にはリミテッド全域から娯楽を求めて民間人が押し寄せることであろうが。そうはいっても、そもそもこの工業地帯フロートに人を集める意味が解らない。


「ネットワーク上から、その娯楽施設に関する情報をいくつか見つけました」

「詳細は?」

「台場敷地内、特定座標E26・N34に位置して建造途中の中型遊園地。正式名称は台場海浜フロート。アトラクション数は二十二個で中規模な娯楽施設であると言えるでしょう」

「特定座標E26・N34って……確か」

「はい、織寧重工跡地になりますね」


 それを聞いて先日ここに戻ってきたばかりの時のことを思い出す。

 台場に来たのは真夜中であったためその全容は明らかにはなっていなかったが、確かに織寧重工跡地に何か建築物があるのは見えた。

 なるほど陥落したあの敷地にその台場海浜フロートを創建していたのか。


「だが織寧重工って……」

「どうしたの?」


 手洗いに行っていた紲が教室の入り口から顔を覗かせる。目があったのを見て何か質問があると直感的に感じたらしい。


「織寧重工跡地の話なんだが」

「ああ、台場海浜フロートのこと?」


 どうやら知っていたらしい。


「紲様、その台場海浜フロートに関して建設を容認したのですか?」

「容認ってどういうこと?」


 織寧重工の破綻は事実上、織寧社長の失脚ではなくレジスタンスの破壊工作として報道された。結果織寧重工はその本社の陥落以外に、何かしらの賠償金を請求されることもなかった。

 織寧重工陥落後社長が絶命した以上、その所有権は紲にある。


「相続するもよし、売却するもよし。当然あの本社のあった敷地も、相続権は紲様にあったはずですが……」

「ああそのことなんだけど……私じゃ何も活かすことはできないから。色々、お金とかリミテッドの復興に回してもらったんだ」


 その話は以前聞きうけていた。紲は彼女のバックアップとなる莫大な織寧重工の遺産を自ら手放したのだ。

 自分が自立するまでの養育費だけ手元に残し、その他の資金は全て他の重工業に流した。

 それらは織寧重工が防衛省の手引きで軍需業界の頂点にのし上がり、下請け企業に格下げされた重工企業への投資だった。

 彼女としても罪悪感があったのだろう。不正を働いて業界を牛耳るようになった父親の暴挙に。それによって理不尽な仕打ちを受けた重工業界に対して。


「敷地に関してはどうすればいいか解らなかったから……妃夢路さんにお願いしていたんだけど」

「妃夢路? どうしてあいつに」


 その名前に胸騒ぎを禁じ得ない。


「あの時はスパイだなんて知らなかったから……レジスタンスに任せようと思って、妃夢路さんにお願いしたんだよ」


 その選択は致し方ないものだと言えるだろう。時雨たちですら妃夢路の暗躍には気付けなかったのだ。あくまでも一般人に過ぎない紲に妃夢路の策略に感づけという方が無理な話だ。


「妃夢路か……」

「臭いますね」

「ああ、ただ防衛省が容認したというだけなら大して気にも止めなかった。だが妃夢路が絡んでるとなるとな」

「しかし妃夢路様は陸准尉であって防衛省関係者です。第三次産業には万に一つも接点がありませんが」

「そうだとしてもレッドシェルター内部にいる以上、第三次産業に介入して娯楽施設を建てることが不可能だとは思えないわ」


 皆が熟考し唸る。どうしても防衛省が何かしらの策略のために娯楽施設を創設するメリットが見えてこない。

 たとえばアトラクションと称して大量虐殺兵器でも開発しているならば話は別だが。レジスタンスが遊園地を利用するかどうかなんて予測の立てようがない。

 第一に無数の民間人が利用することは間違いなしだ。民間人を大量に巻き込んでの虐殺劇などを繰り広げる意味はない。

 何よりこちらの位置を正確に特定できているのだから、わざわざ遊園地など立てて殲滅を執行する手間が解らない。もっと確実な手段があるだろうに。


「まあ現状じゃ何とも言い難いな」

「オープンは今月の十六日のようです」

「十六って明日?」


 情報の収集は完全にすんでいるのかネイが即答する。


「それは酷く性急な気がしますね……通常設立が完了したとしても安全面の点検にかなりの期間を要すると思いますが」

「台場海浜フロートの建設自体はだいぶ前から進行していましたので、一応点検は済んでいるようですね」


 そう言うことならば安全面に問題はないのか。何となく腑に落ちず釈然としないながらも結局納得する。

 通常のレジャー施設として何の問題もなく運営されるのならば気に掛けることでもない。そもそもどうせあの遊園地に行くつもりなどないのだ。

 たとえ妃夢路が時雨たちを殲滅するために何かしらの仕掛けを施しているのだとしても。近寄らなければいい話。


「それで、いつ行くのだ?」

「さっきも言った。私は興味ない」

「だがリオンは興味があるのだ。だからサヨも興味があるのだ」

「それは曲解」


 どうやらそんな危惧など何一つ抱いていない者もいるようだが。

 何であれ凛音にも危険性がないとわかるまでは近寄らせない方がいいだろう。事が起きてからではもはや取り返しがつかないのだから。


「でも、凛音がそこまで言うなら」

「ほんとかっ? ならば、後から時間を決めて、」

「凛音殿、遊園地に遊びに行かれるのでござるか。であるならば小生もつれていくでござ――」

「ふんっ!」

「おっふん!?」

「――ということなのだ、じゃあ約束なのだぞ!」

「ええ」


 これくらい未然に防げるのが理想と言えるだろう。凛音が関わることになると、唯奈の観察眼と反射神経は人外のそれにも匹敵するが。

 凛音は何が起きたのか知る由もなく駆けてくる。鼻血を噴出させ赤い尾を引きアーチを描いている明智が、自分の直上を通過していくことにも気が付かずに。

 狙い澄ましたように明智は窓を突き破って下界へと落下していった。


「シーグレ」

「遊園地は禁止だ」

「!?」


 提案が出される前に禁ずる。凛音は意表を突かれたようにその場に仰け反って硬直した。すぐに全身の筋肉に活力が取り戻される。


「どういうことなのだっ」

「諸事情は後から話す。いろいろ問題がある。危険がないと解るまでは台場海浜フロートにはいかせられない」

「ひ、酷いのだ、横暴なのだっ」


 愕然としていた様子の凛音だったが意味を理解して腹部を拳で殴打しはじめる。エルボーほどではないにせよかなりの衝撃が鳩尾に走っていた。


「我慢してくれ。安全のためでもある」

「リオンは安全よりも楽しみを優先させたいのだ」

「そうも言っていられない。迂闊に敵の術中に嵌れば最悪抜け出せなくなる。自分から敵の罠に足を踏み込むバカはいない」

「とーさまも言っていたのだ。火のないところには煙は立たぬのだ。遊園地は火を使わないのだぞ? 火災には発展しないのだ」

「それは意味をはき違えているような……」


 苦笑する紲とは逆に時雨は厳格な態度で凛音のわがままを一蹴する。今の状況いつ防衛省の手が及んでもおかしくない。

 彼女を一人きりにするのは問題だし、かといっても複数で出向いては一気にレジスタンスの主力を失う可能性もある。

 ここは彼女に状況の深刻さを汲んでもらうしかないわけだ。


「ではあれです。危険がないと判断され次第、皆さんで行くというのはいかがでしょうか」

「皆でか?」

「はい、もちろんクレア様も同伴させてです。幸正様の了承を得れば、クレア様も拒む理由はないでしょう」

「本当か?」


 勝手に話が進んでいた。凛音はしばし熟考する仕草を見せた後小さく頷いて応じる。極力外出できないクレアのことを気遣ってのことだろう。

 彼女が外に出る機会が設けられるなら自分のわがままを抑制する気概はあるらしい。なんだかんだで妹思いの少女なのだ。


「その峨朗を説得する役割だが」

「時雨様に決まってるではないですか」

「どうせそんなことだろうと思った」

「一番の攻略の難関要素たる幸正様は、その滲みだす鬱陶しい主人公オーラで懐柔してくださいますから。頭の腐った婦女方も歓喜です」

「烏川時雨はともかく筋肉ハゲダルマのそんな要素、誰も求めてないと思うけど……」

「ほぅ、唯奈様はホモもいける口ですか」

「んなわけないでしょ」

「まあ仕方ない、クレアに罪悪感を感じさせない第一の方法は、峨朗を通すしかない」


 そうは言いつつも懸案事項が絶えない。現在進行形で裏切り遂行中の幸正を前に冷静を保てるのだろうか。

 彼の挙動一つ一つに動揺し焦燥を抱き何かを感づかれるのではないか。そんな悪寒が相次いで噴出してくる。


「台場海浜フロートに関しては今後もネットワーク上から定期的に情報を収集しておきます」

「そうしてくれると助かるわ」

「そう言えば大手の動画投稿サイトに台場海浜フロートの宣伝CMが投稿されていたよ?」

「CM……嫌な予感しかしないな」


 アイドレーター日報やそれを模倣したような一成のリバティ日報。αサーバーの配信に関してはいい記憶は何もない。


「あはは……心配しなくても、山本一成さんとか倉嶋禍殃さんは出てないよ」


 嫌な予感が芽生えているのを感じ取ったのか紲が苦笑しながらそれを否定した。


「普通の集客用番宣CMだったよ? 確かこの辺に……あれ?」


 ビジュアライザーを弄っていた紲が不意に困惑の声を漏らす。

 ホログラムウィンドウを操作していた彼女の指が同じ部分を何度もタップを続けていた。反応していないのか。


「おかしいな、ネットに繋がらない……」

「不調か?」

「うーん、端末の他の機能自体は何もおかしくないんだけど……時雨くんのはどう?」

「時雨様の端末は一般機とは違って軍用ビジュアライザーですので。区におかれた中継電波塔ではなく直接レッドシェルターから電波を受信しています。それ故に電波は繋がっていますが……確かに台場の電波塔を中継にアクセスすると、何も表示されませんね」


 先ほどの紲と同様にネイはウィンドウを連打していた。ということは紲の端末がおかしいというわけではないらしい。


「駄目ね」

「リオンのは何だがザーザーしてるのだ」

「電波障害な。ちなみに俺のもだ」

「ということは電波に問題が……?」


 耳を澄ませば教室の中でも電波の不調に苦言を漏らしている者たちがいる。どうやら全員のビジュアライザーが電波を受信できなくなっているらしい。


「ネイ、さっき一般機は各区に配置された電波塔から電波を受信しているって言った?」

「はい。真那様の危惧しているように、あの時利用されたと踏んだものと同じ電波塔です」

「あの時? 何の話だ?」

「アイドレーターですよ。我々が殲滅作戦に乗り出した時のです」


 そう言われて何のことだが思い当たる。倉嶋禍殃を討伐するに至ったのは、彼がリミテッドを混迷に陥れようという配信をしたがためだ。

 洋上発電所に核を落とすというブラフで防衛省とレジスタンスの勢力をリミテッドから引き離した。そうして彼は主力部隊が外に漏れているうちにリミテッドにノヴァを出現させたのだ。

 彼が全域のデルタサイトの機能を停止するために用いたのは、旧東京タワーの送受信機能。それを各区に設けられた中継電波塔を介して、デルタサイトの機能を不全に貶めるECM妨害電波を拡散させた。


「まさかこれも……」

「いえ、そう言うわけでは無いようですね」


 脱獄した倉嶋禍殃、また彼がECMを発信したのかと危惧するがそれはネイの言葉によって相殺される。


「あ……繋がった」


 その意を問おうとするとそれを遮るように紲の声が上がった。

 彼女の持つ端末の表示ホログラム。確かにそのウィンドウの内側には目的の動画投稿サイトが表示されていた。


「よかったぁ」

「電波塔が復旧したのか。だがどうして違うと言いきれる」

「簡単な話です。もし前の手口でデルタサイトの機能を抑制する場合、ECMは継続して発信し続けていなければいけないのです。これまでの事件のように破壊したり電力を遮断しているわけでは無く、あくまでも妨害しているだけですから」

「ECMが遮断されれば、デルタサイトがまた機能してしまうということですね」

「はい、今の電波障害はあくまでも数十秒以内のことでした。その程度のブランクではノヴァが出現できるナノマシン大気濃度にはなりえません。そもそも、今この区画のナノマシン濃度が上昇した気配すらありませんでした」


 つまり妨害電波が発信されたというわけでは無いのか。


「あくまでも電波塔の不調でしょう。管理局に整備の申請をしておいた方がいいかもしれませんね」


 事件性がないことを理解してそっと胸を撫で下ろす。


「ギルティに発展しなくてよかった……」


 泉澄もまた安堵からかため息をついていた。これ以上もともと自分の父親であった彼に事件を起こして欲しくないのかもしれない。

 訣別したとしても彼と生活した期間がなくなるわけでは無い。たとえ仮初でも親子であったことには変わりないのだから。

 その彼女の発言からはその訣別への揺らぎを感じさせる一節が読み取れた。


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