第150話

 放課後までに学内では何度も電波不調が生じていた。

 どの不調もわずか数十秒程度でECMの拡散が成せるほどの時間でもなかったが。とはいえこう頻度が高すぎると何かおかしいと思わざるを得なくなる。

 第三者の介入と考えるのは気が早いかもしれないが、とはいえ何者かの手が加わっていてもおかしくはなかった。


「ただ今、業者の者を向かわせています、結果が出るのは数分後になります」

「悪いなわざわざ」

「いえ、これも仕事の一環ですから」


 他の学生が下校を始めたころシエナが学園へと出向いていた。偶然通りかかったわけでは無く時雨が呼びよせたのである。


「それにしてもスファナルージュ・コーポレーションの権力は偉大ですね……電力会社に対してここまで手を回すのが早いなんて」

「いえいえ、ただ担当区画の人間に整備を促しただけですから」


 リミテッドにおいて電力会社は一律して防衛省の管轄内にある。それ故に迂闊にレジスタンスが整備申請を出すわけにはいかなかった。

 とはいえ早急な復旧が見込まれる以上は悠長に整備が完了されるのを待ってはいられない。シエナに頼みスファナルージュのルートで整備申請を出してもらったのだ。


「こんな雑事に権力を使わせてる」

「雑事と言えどアイドレーターの策謀である可能性がある以上、原因究明は早急に行う必要がありますから」

「単純に整備不良だと思うが」

「それに関しては担当局の人間の応答があってからですね」

「それからシエナもう一つ聞きたいことがあるわ」


 この問題に関しては現状で為せることもないため会話を終了しようとするが、それに真那が横やりを入れてきた。


「どうなさいましたか?」

「織寧重工跡地に建設途中のレジャー施設なのだけど何か知らないかと思って」

「レジャー……もしや台場海浜フロートのことですか?」

「ああ、あの遊園地胡散臭くて少し調べたんだが、よく解らなくてな」

「胡散臭いというのは一体どういうことでしょうか」


 どうやら彼女は妃夢路が絡んでいるということも知らないようだ。新たな情報を仕入れられるとも思えないが情報の共有は必要だろう。

 端的に先ほど辿り着いた結論を彼女に話し聞かせた。


「なるほど……建設に防衛省が関わっている可能性ですか」

「ええ、レジャー施設を作る目的が不明瞭だけど無関係とも思えなくて」

「ふむ……お兄様」

「かしこまりました」

 

 彼女の後ろに無言で控えていたルーナスがどこかに無線で連絡をつけ始める。話の内容からして遊園地の情報を集めるようにということらしい。

 誰に連絡をつけたのかはわからないが情報に精通した仲間でもいるのかもしれない。


「妃夢路様、またその周囲の局員と第三次産業のつながりについて調査してみます」

「ああ、頼む」

「現状では何もお役にたてず申し訳ありません……今や、唯一レッドシェルターに忍ぶことが出来る人間でありながら」

「いやシエナたちは十分頑張ってくれている。そもそも妃夢路と違ってシエナもルーナスも防衛省局員じゃない。仕方ないことだ」

「ありがとうございます。至らない身ではありますが今はできることをさせていただきますね」


 気負うことはないだろうにシエナはその目を伏せる。誰よりも義務感と正義感の強い人材なのだ彼女は。


「こちらHQ、オーバー」

「どうやら整備の結果が出たようですね」


 彼女の無線機から聞こえてきた声は電力会社ではなくレジスタンスのHQ、すなわち本部であった。

 シエナが一度その本部を通じて連絡するように電力会社に指示を出していたのだろう。その仲介をさせたのはおそらくは無線による言質を抑えるため。

 レッドシェルターへのアクセス権があるシエナだ、レジスタンスHQの周波数を存在しない何かしらの通信網の周波数にでも偽装し、連絡させたのだろうか。


「台場一番電波塔に関してですが不備は見つかりませんでした」

「見つからなかったということは何もおかしな場所がないということですか」

「なら電波障害はいったい何だってんだ」

「詳細は判断しかねますが、電波塔の電波送受信記録には確かに本日の午前九時あたりから、一時間おきに電波の送受信遮断形跡がありました」

「九時からということは俺たちが気付いた前からか」

「その遮断の原因は究明できないの?」

「その点に関しましては確証はありませんが、」


 得心はいっていない様子の無線先の隊員。彼は曖昧な前置きに次いで、電波塔への電力の供給のストップが問題であるかとと述べた。


「その時間帯、電波の遮断に重なるタイミングで電力が一瞬枯渇してしまう現象が起きているのです」

「電力の枯渇……解りました、では台場の電力供給ラインについて調査を進め、どの分野に過剰な供給がなされてしまっているのか解明してください」

「了解しました」


 シエナは指示を終えると無線を終了してビジュアライザーも消灯させる。そうして何やら考え込むようにその唇に指を押し当てていた。


「一時間おきですか」

「電波塔への電力供給が遮断されていた件。それが一度ならず何度となく起きていることは、供給ラインの整備不良によるものだとは考えにくいだろう」

「それに供給ラインに不備があるならば、そもそも短時間で復旧することは不可能に近いですからね」

「ということはやっぱり人為的な遮断?」

「そう考えるのが自然でしょうか」


 人為的に電力を遮断されたとする場合、それを成せるのは一体誰か。


「電力の供給ラインはどうなってるんだ?」

「原則、地下運搬経路のように地下にはり巡った配線を介して供給しています。やろうと思えば誰でもその配線を断線させることは可能でしょうが、問題なのは、素人手でそれを行えば自動的な復旧は見込めないということですね」

「どういうこと?」

「電力供給の配線は単純な電線のようなものではなくパイプ状の太い金属管です」


 一昔前の電線と違って現代の電力供給は地下空間に開通されている。それ故に電波の停滞や物理的な損耗を避けるために、特殊なパイプ管を用いているのだとか。


「その電力供給を遮るということはすなわち断線させるほかないということ。供給元の管理局ならばコマンドひとつで行えるでしょうが」

「つまり物理的に配線を切るとなると、完全に配線が分断されて供給が再開できないということ?」

「はい、少なくとも数十秒で戻すのは無理でしょう」


 ならば管理局の人間の仕業か?


「それは違います、時雨様」

「え?」


 可能性を口ずさむ前にネイに否定される。


「電力会社は確かに防衛省の管轄内にありますが、各区の電力制御はその区の支部で行われます。本部が防衛省直下にあるというだけで、その支部自体は民間企業。そもそもとしてそのようなことを行う理由がありません」

「支部に防衛省の人間が介入している可能性は?」

「ないとは言い切れませんがそのような脚のつく行為はしないことでしょう。民間企業とあればそのセキュリティはがばがばです。私の技能があれば、もし介入していた場合、逆探知によってその詳細を取得できてしまいますから。防衛省とてそのような失策には及ばないかと」


 よく解らないが管理局の人間が電力を意図的に遮断している可能性も薄いということか。

 しかしそれならば一体何が原因なのか。まったくの見当もつかない。


「今はあまり強迫観念にとらわれても致し方ないです。ヘッドクォーターに電力供給の詳細の探求を依頼はしましたので、結果が出次第、連絡をそちらに回すようにいたします」

「何から何まで済まないな」


 これが私の役割ですからねとシエナは細い腕に力こぶを作ってみせる。


「ふん、シエナ様はその寛容な御心でそう申し上げているが、かといって貴様がシエナ様のご厚意を甘んじていい理由にはならない。そのことは肝に銘じておけ、烏川しぐ――」

「もうやめてくださいお兄様……あまりスファナルージュの痴態をさらさないでください」

「し、シエナさ、あぃたたたたたっ」


 シエナに耳を引っ張られルーナスは引きずられるようにして離れていく。

 彼女たちが教室の外へと姿を消すのを呆けつつも眺めているとチャイムが響いた。午後六時を報せる鐘である。


「……俺たちも帰るか」

「ええ」


 教室を出て最短ルートでキャンパスから身を乗り出す。すでに日は落ち、淡い闇が風に吹かれる膜のように雲のない空をさまよい流れていた。

 街灯の類はいくつか並んでいるもののほのかに道が照らされている光景はどこか不気味だ。足元から伸びる影は闇の中に吸い込まれ、その先は殆ど何も見えない。


「くしゅっ」

「かなり冷え込んできたな……」


 くしゃみをする真那の手首を掴んでモノレールのターミナルへと急ぐ。

 素直についてきた真那は白い息を吐き出し時雨の背中に腕を押し付けるようにして歩いていた。単純に寒いが故の行動であったのだろうが途端に邪な感情が芽生え始めてくる。

 こんな風に彼女のことを意識することなど、これまでは殆どなかったというのに。時の経過の成す感情への悪戯は、だいぶ顕著にその効能を発揮しているようだ。


「……まだ動いていないのか」


 凍える前にと急ぎ足で赴いたターミナルにて立ち尽くす。モノレールはターミナルに停車した状態でその動きを止めていた。雪すら降っていないというのに、あたかも冷気に晒され凍結してしまったような佇まいだ。

 機内のライトはついていることから電力が完全に落ちているわけではないようだが。

 

「この様子だと、皆徒歩で桟橋を渡ったみたいだな」


 復旧までしばし時間を要すると考えていいだろう。こんな険しさを感じるような冷たい風に晒されながら、洋上の桟橋を越えなければいけないのか。

 立ち呆けていてもモノレールは一向に動き出しそうにない。致し方なく徒歩で渡ることにした。


「寒いわね」

「その声音は少しも寒そうではないがな」


 赤く耳が滲んでいることを見れば実際に寒がっているのは分かるが。あまり苦にしていないような彼女の反応に思わず突っ込む。

 最近色々と変化を見せる真那であるが感情表現に疎いのは変わらないらしい。駆け足で学生寮にまで向かった。


「あれ? どうしたのでしょうか……」


 真那を女子寮の入り口まで送り届け帰宅した自室にて。バスルームの扉が開いていたためそこから中を覗くと、クレアが浴槽に対面して首をひねっていた。


「どうしたんだ?」

「時雨さん……おかえりなさいなのです」

「風呂がどうかしたのか」

「どうかと言いますか、何だかお湯が張られないのです」


 そう疑念気に呟く彼女の前にある浴槽には明らかに水面が形成されている。

 近寄ってみてその言葉の意味を理解する。張られていた液体は湯ではなく水なのだ。熱せられている様子がない。


「故障か」

「どうなのでしょう……温められないのです」


 何度か既に追い焚き機能を使うことを試みているようだが依然反応している様子はない。このままではこの部屋での入浴はできないか。とそう思ったところで、ネイがシャワーを使えと指示を出してくる。


「なんでだ」

「いいから試してください」


 急かされ致し方なくバルブを回転させる。クレアに掛からないようゆっくりだすと案の定冷水が噴出した。

 すぐにそれらが熱気を持ち始める。はっとして手をかざすと悴んだ指先にチクチクとした熱が突き刺さった。途端にバスルームに蒸気が立ちこめる。


「どうなっているんだ」

「なるほど、やはりそう言うことですか」


 バルブを締めつつどういうことかと目線で問う。


「この施設の湯張りシステムですがお湯を沸かすのには電力を用いています」

「オール電化というやつか」

「それでしたら、シャワーから出る水も冷たいままのはずです。ただこのシャワーやスパウトから出る水の熱する手段は電気ではなくガスです。ここから考察できることは、供給ラインのうちガスは変わらず機能しているものの電気が機能していない」

「電気……もしかして」

「はい。どうやらまた起きているようですね、例の現象が」


 ビジュアライザーを操作していた彼女はネットワークに繋がっていないウィンドウを見せつけてくる。

 クレアが湯を沸かそうとし始めてからすでにかなりの時間が経過しているはずだ。一体どうして未だに電気の供給が止まっているのか。


「……ナノマシン濃度はどうなっている?」

「心配なさらなくてもECM電波は発信されていません。デルタサイトも機能しています」


 一抹の安堵感を感じつつもバスルームから出て改めて考え直す。

 先ほどシエナたちと話し考察していた電波塔の不備。あれは電波塔に不備があったわけでは無く、単純に電力供給がなされていなかった。

 その原因は地下配線の断線ではない。とは言っても以前のアイドレーターのように、デルタサイトの機能を抑制すべくECM電波を送信しているわけでもない。

 詮ずるところ問題は電力供給元にあると考えられる。


「台場以外はどうなっているんだろうな」

「少々お待ちを。レッドシェルターの電波につなぎなおします。ああ、得に電波障害などが起きている様子はありませんね」


 彼女がかざすウィンドウにはワールドラインTVによるニュース速報が流れている。とくに何かしら電力系列における問題が報道されている様子もない。一体どういうことか。


「あの……どう言うことなのです?」

「今日の午前中から、電力の供給システムに問題があるみたいなんだ」


 何も聞かされていないクレアに解説をしてやる。しばらく話を無言で聞いていた様子の彼女であったが、不意に納得が言ったように柏手を打った。


「ああ、そう言うことだったのですか」

「どうした?」

「お昼ごろも同じ現象が起きていたのです。電化製品が動かなくなったりで……困っていたのです」

「電化製品……ビジュアライザーや電波塔だけじゃないのか」


 学園にいて気が付かなかったがかなりの電子機器が使えなくなっていたということか。

 ブレーカーでも落ちたのかと勘繰るがどうやらそう言うわけでもないらしい。わずか数十秒で復旧したとか。


「どういうことなのでしょうかね」

「きな臭いな」

「現状から憶測できることは、この台場全域における電力の供給ラインに異常がきたしていること。その異常とは短時間のうちではありますが電力の供給が遮断されるというもの。ただし時間が経てばすぐに復旧する」

「そんなことが起きる原因は何だ?」

「電力が足りていない、ということでしょうか……?」

「一番的確な回答だとは言えますが、しかしそれも気になりますね」


 確かに台場の電力供給ラインは台場のみに張り巡っていて本島には繋がっていない。そのため台場の電力がシャットアウトしても管轄の異なる本島の電力には影響しない。


「とはいえ台場だけ独立した電力源を確保しているのは、台場がリミテッドにおける有数の重要な工業地帯であるからです。それ故に発電される電力は膨大で、到底普通に生活している分には、電力が枯渇することなどありえないはずなのですが」


 確かにこれまでこのような現象が起こったなどと聞いたこともない。

 先ほどの学生たちの反応から鑑みてもそれは明らかだろう。つまりこれは異例の事態と言えるわけだ。

 

「よく解らぬのだが電力はどこで作られておるのだ?」


 会話を小耳にはさんだのか菓子パンを頬張った凛音が問うてくる。


「発電は主に地熱発電ですね。後は水力発電でしょうか。イモーバブルゲートの高周波レーザーウォールを維持するために洋上発電所にて莫大な発電を行っていますが、やはり台場の電力源は別途のようです」

「発電所……それって工業地帯の中にあるあれなのです?」


 どうやらクレアは思い当たりがあるらしい。

 

「どれだ?」

「台場には巨大な工業地帯がありますが、その中に水力発電所があるのです。ここから結構離れた場所になりますが」

「水力発電所というのは……どこなのです?」

「海岸沿いに設けられています。水処理施設と合併している施設になりますね。まあ小規模ではありますが、地熱発電所と合わせて発電できる電力は、本来台場でフル活用しても余りあるほどであるはずなのですが」

 

 その電力が今は枯渇している。いや枯渇というのは語弊があるかもしれない。枯渇していれば、そもそも数十秒で電力供給が復活したりはしない。

 枯渇というよりは瞬間的な電力消費許容量をオーバーしているのだ。本来台場のフルシステムが同時しても電力は足りなくなることなどありえない。

 限界値にまで達したところで停電現象が生じることなどありえない、というのがネイの見解であった。


「そう言えば朝の高架モノレール、あれも止まっておったよな」

「あれが停止していたのも電力が供給されていないからか」

「歩きでガッコーまで行くのはきついのだ」

「ご立腹のところ申し訳ありませんが、文句はその現象を引き起こしている人物に仰ってくださいね」

「待てよ。あのモノレールは朝から一切動いた形跡がなかった。他の電化製品と同じなら時間が経てば動き出すはずじゃないのか? もしかしてあのモノレールが電力遮断の要因とか」

「別にあのモノレール自体はそこまで電力消費が多くはありません。おそらくは予測不能の電力不足に緊急停止システムか何かが作動しただけでしょう」


 まあ確かに常にリミテッド全域を数百という数が行きかっているのだ。

 たった数機で台場が停電するならおそらくリミテッドの交通網はまともに機能していないことだろう。


「何かが莫大な電力を消費しているのは必然。しかし一体何が……」

「工場とかが原因でしょうか」

「それらも大した消費ではありませんし、第一にそれならこれまでこのような現象が起きてこなかったことが不可解です」

「つまり、これまでの台場にはなかった物が原因なのか?」

「そう言うことになりますね」

「これまでの台場にはなかった物……」


 考える。これまでこの土地になかったもの、それは何だ。

 レジスタンスもある意味最近来たばかりだが特に莫大な電力の消耗に加担した覚えはない。ならば何かの施設か? 新しく建造された何か――。


「あの遊園地ではないのか?」

「……台場海浜フロートか」


 確かに時期は合う。あの娯楽施設が設立されたのはごく最近だ。

 明日運営ということもあって何かしら電力消耗の激しい機械でも作動させているのかもしれない。


「それは考えにくいですね」


 それすらネイは否定する。


「何でだよ」

「先ほども言いましたが、従来の台場工業地帯の必要とする電力を差し引いても、発電した電力はあまりあるのです。たとえ娯楽施設が一つ作られ、そのアトラクションがフル稼働しているのだとしても大した圧迫にはなりえません」


 確かにそうだろう。工場や発電所で巨大な機材を無数に稼働させるのとアトラクションを数十稼働させるのでは、電力消費の桁にかなりの差が着くだろう。


「それは遊園地は大して電力を使わないからか?」

「そう言うことになりますね」

「その台場海浜フロートが普通の遊園地ではないとしたら」

「どういう意味ですか?」


 台場海浜フロートは織寧重工跡地に建設されている。これは先ほど紲に教えてもらって知ったことだが、その土地の所有権は妃夢路に委託している。


「つまり遊園地の建設には妃夢路さん、いえ防衛省が関わっているかもしれないということなのです?」


 十三歳児ながら非常に物分りがいい。海浜フロートは名目上ただの遊園地であっても実態は異なる可能性がある。

 何と言っても左翼派が牛耳っているあの防衛省が設立を打診した施設だからだ。

 住民の娯楽のためにそんな土地や労力の無駄につながることをするはずがない。


「たとえば超電力兵器とか、そう言う物を内包してて……」

「それはないですね」


 時雨の発想はやはり即否定された。


「何故ならば海浜フロートを建設したのは民間企業だからです」

「第三次産業は国営じゃなかったのか?」

「その通りですが建設業務を受け持ったのは民間企業なのです。第三次産業、その国営機関が行ったのはあくまでも施設の設計。ただの民間人に過ぎない人間が、軍用兵器など作るはずがありません。この区画において無許可の軍事兵器の所有、生産開発といった行為は全て極刑に処される重罪ですので」

「防衛省の許可を受けて作った可能性は?」

「絶対にありえないとは言い切れませんが。そもそも民間人が多数集まる娯楽施設にそんなものを作る意味がないと判断したのは、時雨様本人ではありませんか」


 確かにその通りである。非人道、非情な左翼派閥の連中とは言え無意味な殺生は避けたいはずだ。ただえさえリミテッドの人口は少ない。僅か数百万人。

 それに恐怖政権と言えど圧政にも限度がある。無意味な殺戮は住民の精神を恐怖に染め反乱の可能性を高めかねない。

 極力被害は押さえたいはずだ。勿論、娯楽施設を兵器にする意味自体がなさそうだが。


「状況から詮ずるに、私たちの意図しない要素が電力を過剰に消費していると考えるのが妥当でしょうね」

「リオンたちの意図しないというのは一体何なのだ?」

「言葉のとおりです。今意図していない予想の斜め上をいく何か。ですね」

「……掴みどころがないな」

「確信が見えないからこそ、意図せぬ要素であるのでは?」


 言葉遊びも甚だしいが確かに彼女の言うことは正鶴を射ている。

 視野に映る要素では到底電力を枯渇しきることはできない。つまり予想の外側で、何かしらの要素が電力を貪っているということなのだ。

 懸念すべきことは一体何がそれだけの電力消耗に繋がっているというのかという疑念。

 リミテッド有数の工業地帯である台場海浜フロートの電力を不足させるほどの稼働力。

 もはや何かしらの危険な兵器でも動いているのではと考えざるを得ない。それはただそう言った危ない要素に対面しすぎたからかも知れないが。

 全くの見当違いでもない気がするのだ。不安な予感が隙間風のようにその懸念の合間を縫って吹き抜けてくる。


「まあその解答はシエナ様からの連絡があり次第、ですかね」


 シエナは台場の電力供給システムを調べると言っていた。

 どの要素にどれくらいの電力が使われているのか解れば、電力を圧迫しているものの正体にも辿りつけるはずだ。


「お風呂、どうしましょう」

「シャワーでいいんじゃないか? いやそもそも、まだ電力供給は停止したままなのか?」

「ちょっと待ってくださいなのです……あ、あったかく出来るのです」


 バスルームに向かった彼女の声がしばらくして聞こえてくる。

 色々と不穏要素が相次いで出て来てやまないが現状ではあくまでも考察段階を脱しえない。あれこれ考えても解決に至ることはなさそうだ。今はシエナからの連絡を待つほかないだろう。


「なぁ、シグレ」

「なんだ?」

「この写真なのだがな、この者は一体誰なのだ?」


 呼ばれて振り返る。凛音はベッド脇の棚に置かれたフォトフレームを持ち上げ、額の内側を凝視していた。

 一瞬まずいと動揺するものの、ここに置いておくことはクレアも容認していた。見られてまずいものではないであろうし特に凛音からそれを取り上げることはしない。


「その銀髪の女性のことか」

「うむ、クレアと同じ色の髪のやつなのだ」

「それは……」


 教えるべきか否か悩む。クレアは凛音にその女性の正体を悟られないようにとしていた。何を意図しての行動かは図りかねるが勝手に教えてしまってもいいことではない気がする。

 とはいえ凛音はその存在について知りたがっている。これまでの言動からして、母親について何か知りたいと思っていることも明白だ。彼女の気持ちを汲んでやるならば教えるべきなのだ。凛音の母親であると。


「ここにおるのはリオンなのだ。だがな、この者のことは覚えておらぬのだ」


 何も言わずに黙り込んでいる時雨に見かねたのか凛音が二の句を継いだ。

 彼女はその耳のない状態の自分を自分であると自覚している。となればそのころの記憶全てを失っているわけではなさそうだ。

 だのに母親に関する記憶だけ彼女の脳から抹消しているというのは、一体どういうことなのだろうか。


「シグレはこの者が誰なのか知っておるのか?」


 写真から目を反らし向けられた双眸に黙秘する。勝手に話していいことではない。

 峨朗一家の間に何が起きたのかはわからない。だが何であれこれはあくまでも峨朗一家の問題だ。第三者である時雨が介入していいことではない。

 それ以前にクレアが凛音に隠しているのには何かしらのわけがあるはずなのだ。そこには母親の存在を知られてはならない理由がある。


「それは……お母様なのです」


 凛音に答えたのはあろうことかクレア本人だった。

 バスルームから戻ってきたばかりなのか、赤く滲んだその手を胸に押し付け彼女は静かに呟く。


「それは私と凛音さんのお母様なのです」

「かーさま……?」


 何かを決意したようにその手をきつく握りしめてクレアは宣言する。

 対し凛音はその瞳を大きく見開いて、改めて額縁に視線を落とした。そうして閉口したままじっと母親の姿を見つめ続ける。

 その瞳に渦巻く感情は計り知れない。悲しみなのか慈しみなのか。寂しさなのか嬉しさなのか。あるいはその全てなのか。


「そう、なのか」

「…………」

「この者がリオンのかーさまなのか」


 惑うような複雑な表情を浮かべていた。実感が湧いていないようにただ緩やかな起伏を描いて。

 凛音は静かに額縁を元あった卓上に伏せる。そうして小さく深呼吸をすると、それ以上何も母親について訊問しようとはしない。

 その顔には何の邪気もない単純な感情が張り付いているだけで。


「そう、なのか」


 ただ、そう独りごちただけであった。



 ◇



「ウロボロスの研究は進行していますか?」

「可もなく不可もなくっていう所だね」


 佐伯の単刀直入な質問に妃夢路は間を置かずして応じた。


「あんだ? そのウロボロスってのは」

「ギリシャ神話に出てくる自身の尾を噛む蛇のこと」


 軍法政策会議が終わったばかりということもあってか、会議室に残っていた薫が口を挟んでくる。そんな彼に同伴していたその妹が教える。


「そんくらいは知ってる。そう言う意味で聞いたんじゃねえ」

「防衛省におけるウロボロスという要素に関して、かい?」

「そうだ」

「伝達書類に全て記されていたはず。兄さんが確認していないのが問題」

「確認も何もあるか。伝達になんであんな原稿用紙数百枚分はありそうな無駄な書類がくっついてんだよ。読む気失せるわ」

「詳細書類は確かにかなりの量があった。でも本題は最初のページにすべてまとめてあったけど」

「るっせぇ、紫苑が口頭で説明すれば手間が省ける話だろうが」

「その方が手間かかる気がする」


 無精者であるところは相変わらずであるらしい。紫苑は納得がいかない様子ではあったが、苦言を吐くこともなくその詳細について語る。


「ラグノス計画次期拡張段階ウロボロス。この名称に聞いたことはない?」

「ない」

「最初から話さなければならない?」

「自分で考えろ」

「説明を受ける側であるのに、どうしてこうふてぶてしいんですかねぇ」


 くくくと笑いを口元から漏れ出させつつ佐伯は呆れたように手をひらひらと振るってみせた。


「はぁ……ラグノス計画は、Reconstruction and AUGmentatioN of HOmo Sapiens、つまり、人類種の再構築・拡張計画の略称。その目的は、ナノテクノロジーを用いた人類種の在り方を書き換えること」

「ラグノス計画の何たるかくらいは理解してるっつーの」


 薫とて防衛省の目的を理解せずに活動してきたわけでは無い。その本質を見極めその上で佐伯たちに加担しているのだから。

 ラグノス計画の目的はナノテクノロジーによる人類の統一だ。統一というのは抽象的表現で、つまるところはナノマシンを用いた世界の掌握。恐怖政権によってすべての国家の軍事力を抑制し圧政を敷くこと。

 最終的には大日本帝国という新たな肩書を持って、世界全てを日本の統一下に収めることにある。


「そのラグノス計画の次期段階ってのは、どういうことよ」

「そのままの意味だよ。ナノテクノロジーを全世界に蔓延させるための計画さ」

「あ? 現時点でも世界中にノヴァがはびこってんだろ」

「その通りさ。ただ僕たちの管理体制に問題があったせいで、今は本質的な意味でナノマシンを制御し切れているとは言い切れないだろう?」

「その理由は知らねえけどな」


 ナノマシンの統制が全くできていないわけでは無い。

 もし出来ていないのであるならば、そもそもナノマシンはその侵略に際限を見出さず人類は滅亡していたことだろう。デルタサイトの抑制周波数など一切関係なくだ。

 それでもあたかも自身の四肢や指関節のように自由自在に操れるわけでは無い。どうしてそれが不可能になっているのか薫は知らない。それを知っているのは、おそらく一成や佐伯くらいのものなのだろう。


「まあ今ナノマシンは僕たちの命令によってある程度の制御はできている。だけどそれじゃ足りないのさ」

「どういうことだよ」

「僕たちの管制下にある限り、ナノマシンはその殺戮性を発揮しきれない。本当の意味で世界を恐怖の渦中に飲み込むことが出来ない。どうしてか解るかい?」

「さぁな」

「それはね、あくまでも僕たちが人間だからさ。僕たちは情ある人間故に、本当の意味で残忍にはなれない。僕たちの命令ひとつで人類が滅びるとして、僕たちにはその命令を下すことが出来ない。それは僕たちが人間であるからだね」

「何がいいてえんだ?」

「真のリバティに迫るには、僕たちは非情にならなければいけないということさ」


 一成は不気味な笑みを浮かべる。何かをあざけるような人智を超えた不吉の悪さ。


「アダム、あなたの説明では全く要領を得ませんよ」

「あれ、そうかい? 困ったなぁ。僕ほどの存在ならこの説明で簡単に理解が出来るのだけどね」

「山本一成が説明しているのだから当り前。まあ、私が説明するさ」


 呆れたように妃夢路はそのサングラスを持ち上げる。


「立華兄、核抑止力はどうして成り立つと考える?」

「アンだよ脈略無く」

「いいから答えたまえよ」

「あーめんどくせえな……核抑止はあれだろが。互いが核を作ることで、二か国間に核を使うことに対する躊躇を生み出す論だろ」

「論理としてはそれで正しい。だがね、それだけでは全面戦争は回避されないのさ。その状況あっても先制攻撃に出れば、自国の被害を抑えて敵国を殲滅しきることはできるかもしれない。何かしらの危機的状況に陥った場合、無鉄砲に核発射のボタンを押す頭のいかれた人間もいないとは限らないからね。撃墜されて迎撃されるかもしれないけどね。けどそれは核戦争の口火になる。それ故に、それだけじゃ本当の意味の核抑止にはならないのさ」

「……言葉遊びに付き合ってる時間なんざねえ」

「現実逃避しない、兄さん」


 兄の思考力の低さと知識欲の無さに呆れてジト目を向ける妹。兄はそのわき腹に遠慮のない肘を叩き込む。


「核抑止を本当の意味で機能させているのは、その各国間の硬直状態ではない。その核発射ボタンを押すことに対する恐怖心なのさ」

「国の未来を担う者と言えど人間ですからねぇ、罪なき命を数万、場合によっては数億と奪うその選択を、平常心で出来る人はそういませんよ」


 佐伯は心にも思っていないような発言を作ったような悲哀顔で嘯いてみせた。薫にとっては無性に癪に触る態度だ。


「そう、人間は同じ人間の命を奪う時、ほぼ確実に罪悪の念に駆られる。それが無数の命に手をかけるという状況とあらば。人間は窮地に立たされていたとしても、自分の手によってそれだけの罪を犯すことが出来ない。当然さ」


 これは単純な感情論だと言えるだろう。人物次第では人格が異常に狂ってしまっていれば、人の命など何の躊躇もなく殺してしまう。万、億という数であってもだ。

 一国の管理を担う人間は基本的にそのような狂った思考では務まらない。それ故に核抑止論は機能する。


「……それは分かったが、それがラグノス計画の次期段階とか言うのにどう関係してくるんだっての」

「ナノマシンによる世界統一も同じさ」

「私たち人間は人類を死に追いやることに少なからず躊躇いを覚える。だからナノマシンが私たちの制御下にあるうちは、決して本当の意味での恐怖政権は築きえない」

「どうしてだ?」

「今聞いたとおりさ。まともな人間には恐怖という自制心が働くからね」

 

 一成はそのない前髪をかき分ける仕草をしつつ述べた。薫には彼らが何を言わんとしているのかいまいち理解が出来ない。

 それは自分の知能がこの場にいる者の中で最も劣っているからということは重々理解していた。とはいえ一成たちの説明が要領を得ていないのは事実だ。


「それ故に僕が考案したのがウロボロス計画さ」

「何でもかんでも、計画とつければいいわけでは無いと思うけど」

「このウロボロス計画、その本質はね。現存しているナノマシンにとある要素を付け加えるということなんだ。なんだかわかるかい?」

「現代兵器でも搭載させんのか?」

「ん~、薫くんは相変わらず頭が固いね。何でもかんでも武器武器とそんな物騒な思考は控えるべきなんじゃないかな」

「メシアとか頭の痛い名前を付けたマシンに無駄兵器搭載しまくってるてめえには言われたくねーよ」

「頭の痛い? 面白いうことを言ってくれるね。メシアは僕がイヴを全てのギルティから解放するために、この世に君臨した救世主なんだ。むしろ崇高してもらってしかるべきだと思うんだけどなあ」

「その考えは気持ち悪い」

「きめぇ」

「気持ち悪くはあるね」

「確かに、気持ち悪いですねぇ」

「……まったく、君たちにはこの神の物にも等しいネーミングの良さが解らないというのか。まあダニに人間の思考を理解させようとするものなのかね」

「あ? どっちがダニだくそが」

「兄さん、言葉が汚い」

「話が進みませんよ」


 険悪化しかける空気を佐伯が払拭する。一成は改まったように咳払いをすると再度無い前髪をかき上げた。


「まあ、そう言うことさ」

「何がそう言うことだ。結局ウロボロス計画とやらの本質を聞いてねえ。ナノマシンに、何の要素を付加するってんだ?」

「それに関しては単純明快。核抑止力に似た人間の躊躇というものを、根本からひっくり返す要素」

「そう言うお膳立てはいらねえ」

「はあ、この僕が折角アダム式説明術を披露しようとしたというのに……仕方ないね。じゃあ端的に答えるよ。ウロボロス計画によってノヴァに付加するもの、それは――」

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