第130話

 シトラシアに入店してからはや三時間ほどが経過していた。 

 たらい回しにされるように優姫に連れまわされたが、さすがに疲労が蓄積し始め、休憩もかねてこの飲食店系列をすべて内包しているらしい飲食ブースへと足を運んだのである。


「和馬くんは何にする?」

「ハンバーグで」

「普段全然ハンバーグ食べてくれないのにここで注文するの? そんなに食べたかったのなら今夜も作ってあげるのに」

「あほか。お前が作るからハンバーグにありつけない生活を送ってきたんだよ。久々にハンバーグらしいハンバーグが食いてぇんだ」

「むむぅ……なかなか和馬くんの口に合う蜂蜜の分量が見いだせないんだもん」


 二人掛けの席に腰を下ろし背もたれに背中を凭れかけさせる。

 確かに(名目上は)荷物持ちとして付いてきたわけだが、優姫の買い物量は尋常ではなかった。

 これまでこういった普通のショッピングをしたことがなかったからであろうが、ここぞとばかりに散財しなくてもいいではないか。和馬のIDカードだったら即効で底をついている額を使ったことだろう。

 注文を済ませさりげなく優姫の様子を窺う。周囲を見ては何が楽しいのか嬉しそうな表情をしていた。この顔を見られたのだから別に荷物持ちであってもついてきた甲斐はあったかもしれない。


「やっぱり、カップル客が多いね」

「皆して浮かれやがって」

「クリスマスはやっぱり特別だもん。皆楽しみにしてるんだろうね」

「サンタの出現をか? 夜な夜な年端もいかない小幼児の部屋に忍び込んでは、わざわざ自分の痕跡を残してく偏屈ジジイだろ。そいつがツノ生えたウマ乗ってスカイハイするだけの日じゃねえか。何がそんなに楽しいんだ」

「トナカイは馬科じゃなくてシカ科だよ。それに、サンタさんを楽しみにしてるわけじゃなくてね……例えばクリスマスのデートとかそういうのをだよ」

「他のカップルに自分のオンナを見せびらかすのがそんなに楽しいのかよ? 俺のオンナが一番かわいいって自慢すんのがそんなに楽しいか?」

「なんでそんな卑屈な思考に発展するかな……」

「悪いな、そういう性分なんだ」


 優姫は和馬を困ったような目で見つめてくる。さりげなくそんな彼女から目を逸らした。

 優姫との関係といえばそれは酷く曖昧で歪だ。どれだけみっともなく否定したところで、周りから客観的に見てみればこれもまたデートだろう。恋人に見えているんだろう。だがそうではない。


「私が和馬くんの居場所を作ってあげる。だから和馬くんは私の居場所になって」


 初めて出会った時の優姫のその言葉。きっとそれが契機だ。

 当初廃れきった自分の心にポッカリと空いてしまった穴を埋めるために、お互いの存在を求めているのだと考えていた。

 そんなおかしな関係性もあって、互いが互いに執着のようなものを胸に潜めていても本当の意味で求め合うことが出来ずにいる。

 自分の中にある感情がそんなものでないことは理解している。そんな複雑に絡み合った正体不明の物などではない。もっと明確な感情だ。

 

「……なあ、葛城」

「どうしたの?」


 彼女の方はどうなのかと思った。彼女は一体どうして和馬の傍にいられる環境を求めるのか。


「いや……なんでもない」


 野暮だと判っている。それでも確かめずにはいられなくなる。優姫は最初から和馬に対し純粋な偽らざる感情を向けてきていたのに。

 自分のどっちつかずさ優柔不断さ。それに翻弄され優姫にこれ以上接近していいのかそんな疑念と懸案ばかりが募る。

 変えなければ進むことさえ出来ないことは解っている。解っているがどうしてか彼女に触れることを心のどこかで恐れていた。


「あ、来たみたい」


 微妙な空気は注文していた料理が届くことで払拭される。

 注文したハンバーグはレトルトか冷凍食品然としていて、見た目的には優姫の作るものの方が数段旨そうである。

 だが保証して言えよう。味に関してはその位置関係が真逆になる。

 優姫の注文はC.C.Rionマスコットの顔を象ったオムライスだった。ここまで日常的にC.C.Rionと相対していると気が狂いそうになる。


「あ、和馬くん、待って」

「ん?」


 ハンバーグにナイフを突き入れようとした寸前、優姫がそれを静止した。

 

「和馬くん、ズボンの後ろにゴミついてるよ」

「後ろ……? お前この位置関係でどうやって……」

「それはいいじゃない。不衛生だし、食事の前に取ったほうがいいかも」


 目の前に座っているはずの優姫が不審な発言をしていた。訝しく思いつつも立ち上がり自分の尻を見るために振り返る。

 なんだ? 何もついていないじゃないか。彼女が何をしたいのかよく判らずに体勢を元に戻そうとした瞬間。

 ぶちゅぅぅぅぅぅううううううう。

 奇妙な効果音が聞こえてくる。視線を前に戻すが目の前の光景に何ら変化はない。

 強いて言えば、ハンバーグにフォークを突き立てた際にできた穴が心なしか広がっている気がするが。まあ気のせいだろう。


「あ、ごめんね和馬くん。気のせいだったみたい」

「……何だってんだ?」


 不審さはあったが優姫が意味深なのは今に始まったことではない。特に気にも留めず食事に集中することにした。

 せっかくのまともなハンバーグなのだ。堪能しなければ。これからしばらくは、あのムショ飯よりも不味いダークマターと毎晩対面することになるだろうし。

 一口大に切って口に含んだ。口内に広がったソースの酸味と弾ける肉汁の旨味。


「これだよこれ、これがハンバーグなんだよ。ああうまいなぁ……くそ、涙出てそう」

「それレトルトだよ……? そんなに感動しなくても」

「隠し味に蜂蜜なんて邪道アイテムぶち込む奴にはわかるまい。やはりハンバーグはありのままの、肉の旨味を最大限に引き出した味こそが最高なんだ。葛城も食えばわかる。このジューシーな肉汁に、どこかまろやかなデミグラスソース。レトルトなりに頑張って主張しようとする玉ねぎとニンジンの甘味。そして極めつけは、はらわたが煮え返りそうな強烈な甘味――――ん、だと……っ!?」


 リバース仕掛けた。反射的に未消化の雪崩を水の逆流で押し返すことに成功する。

 すさまじい甘味。味覚をマヒさせるレベルの。全てぶちまけずにいられたのは、ひとえに度重ねてきた優姫のハンバーグという試練の賜物だろう。

 

「溢れでんばかりのあまりにも主張しすぎなこの強烈な甘さは……間違いない、奴だ……ッ!」

「一口食べるだけでわかっちゃうんだね。和馬くんも本当は蜂蜜が大好きなんじゃない」

「その口ぶりから察するにハンバーグに蜂蜜を注入したのはやっぱお前か」


 迂闊だった。この優姫が蜂蜜の入っていないハンバーグを食べさせるわけがない。用心して掛かるべきだった。これは自分の失策だろう。

 悪気があってやっているのか本当に旨いと思ってやっているのか。前者ならば極刑ものの悪行ではあるが嬉しそうにはにかむ顔を見せられると弱い。

 説教しようと持ち上げかけていた腰を下ろした。我ながら現金な奴である。


「だが、この際はっきりと言っておいた方がよさそうだな」

「どうしたの?」


 小さく小首を傾げて問いかけてくる彼女に一瞬狼狽える。

 笑顔を壊したくないなどというのはエゴに過ぎないのだ。たとえ彼女の笑顔が天秤にかけられるのだとしても。今後迷わず自分の身の安全を取るだろう。

 これ以上蜂蜜を摂取させられては糖尿病になりかねない。

 

「いいか。もう迷わんズバリ言わせてもらう。お前のハンバーグは、というかその内側の蜂蜜と本体とのコラボレーションはだな。言葉に言い表せないほどに、まず――」

「美味しく、なかった……?」


 彼女の表情が曇る。それを見て悟る。彼女はいつも美味しい物を食べてほしくて作ってくれているのだ。


「ま、まず……」

「そっか、ごめんね、美味しくないもの食べさせちゃってて」

「…………」

「やっぱり下手なのに隠し味なんてしたのが、最初から――」

「まず最初に口に含みたくなる最高の出来栄えだよチクショウ!」


 そんな顔されたら不味いなんて言えるか。

 知らず知らずのうちに天秤は彼女の笑顔に傾いていた。ああもう仕方ない。ドナー契約してたら臓器って提供してもらえるんだっけ……。


「ほ、ほんと?」

「ああほんとだよほんと、超好き、めっちゃ旨い、人類未踏の領域……にしても、なんか最近この辺区画整理でもあったのか?」

「どういうこと?」

「俺が療養機関から回復してから、なんかこの辺の区画の人事異動が多発してるだろ? 渋谷駅周辺だけかと思ってたが……」


 話を逸らそうという話題の転換ではあるが実際に気になっていたことでもある。

 何より気になったのは渋谷駅周辺区画の人口密度である。

 渋谷駅周辺は確かにチンピラたちを隔離するために区画外に位置してはいた。だが軍用A.A.の配備されていた場所からほど近い。

 それ故に紛争に巻き込まれぬよう、この区画に住んでいた者たちも別の場所へと移転していたと聞いていたのだが。

 あの人間たちでごった返すスクランブル交差点を見た限り、人口が激減したという印象はなかった。


「ごめんね、話そうと思ってたけどあんまり機会がなくて」

「ってことはなんか知ってんのか?」

「和馬くんの言う通り、あの区画の住民たちは和馬くんたちが原宿に隔離され始めた時期から引っ越しを始めてた。実際、一週間以内には、あのあたりの人口は元の半分以下になってたみたい」

「見た感じじゃ、そんなに減ってはなかったがな」

「うん、あの人たちがあそこに戻ってきたのは、つい最近のことなの。マスメディアで取り上げられていたんだけど、実はね、例の脱走作戦が勃発した後、原宿は……大規模な区画清掃がおこなわれたんだって」

「清掃?」

「えっと……」


 その言葉に嫌な予感がよぎる。優姫の言い辛そうな顔を見ればこの予感は間違っていないだろう。優姫が話そうとしなかった理由はそれか。


「いいよ、何言っても。今更驚いたりしねえ」

「うん……あの脱走作戦は明確な反乱行為として処理されたの。つまり暴動として。防衛省は反逆行為に対して制裁を辞さない。結果あの区画にいた皆が……」

「……掃除されたわけか」


 小さく頷く優姫。やはりか。なんとなく想像はついていた。防衛省が原宿のチンピラの覇権場としたのには理由があった。

 それは連中が暴動を起こすのを待ち一掃する機会を得るための政策。彼らが駆除されるのも時間の問題だったろう。

 その状況を間接的にでも作り出したのは自分だ。連中がどんなクズ達だったにしてもやはり胸に蟠りは残留する。


「まあ、なんか読めた。つまりあの区画はもう危険区域ではなくなったから、一般市民たちも戻ってきたわけだな」

「うん。あの区画はもとよりリミテッドの中でも比較的発展していた区域だったから。もちろん原宿は解禁されてない。変わらず立ち入り禁止区域指定はされてるけど……でも軍用A.A.は撤去された」

「チンピラたちがどんな方法で駆除されたのかは知らねえが……住民を戻すってことはそれなりの制裁だったみてえだな」

「彼らにもリミテッドのマジョリティ個人IDは生きていたから。あれを探査して生存者がいないかを調べたみたい。結果はゼロだそうよ」


 あの区画では脱走計画に伴って派閥外のチンピラが一掃されていた。それ以前にも野垂れ死んでいた者たちも多々いた。

 既に死者が無数にいたことを考えれば確実なIDの探査など無理な話であろうが。たとえ生き残っている者がいてもごく少数だろう。

 彼らとてバカではない。再び暴動を起こすことはないだろう。


「それじゃ近いうちに開放されるかもしんねえな」

「多分清掃作戦の痕とかが残ってると思うから……それも全部なくなって、あとは民間用高架モノレールとかが建設されたらすぐかな」

「ただでさえ土地不足の現状だしな」


 またあの部屋に戻ることが出来るのかもしれない。

 脱走に失敗しても成功しても二度と訪れることが出来ないと思っていたあの部屋にだ。


「いつかあそこに戻りたいね。和馬くんの部屋に」


 同じことを考えていたのかもしれない。優姫はこちらの顔を優しげに見つめていた。


「今更何言ってやがる」

「ごめんなさい不謹慎だよね。あそこ、和馬くんは嫌な思い出ばかりって言っていたのに」

「そういう意味じゃねえ。俺のじゃなくて俺たちの部屋だろ」

「え?」


 戸惑ったように目を見返す優姫。なんとなく気まずくて頬をポリポリと掻きながら目を逸らす。


「十日くらいしか同居してなかったが……それでも俺にとっちゃ、あそこはもう俺と葛城の部屋だ。確かに嫌な記憶が染みついてやがるが、葛城と一緒にいた時の記憶は楽しかった記憶ばっかだからな」

「和馬くん」

「部屋を後にしたときはもう一生戻ってくるもんかって考えていたもんだがな。お前との記憶が嫌に鮮明に残ってんだ。俺だっていつか戻りたいって思ってる」

「……そっか」


 彼女はそれしか言わなかった。心なしか嬉しそうに頬を緩めたような気もする。まったくこの女はどうしてこう他人のことで自分のように喜んだりできるのだろうか。


「ま、俺のマジョリティカードじゃあ家賃ぜってえ払えねえけどな」

「もう情緒ってものを知らないんだから……それじゃ、そろそろここ出よっか」

「あ、ちょっと待ってくれ」


 食事を済ませ立ち上がろうとした優姫を制止する。

 

「ちょっと寄りたいところがある。しばらくそこで待っててくれないか?」

「う、うん」


 戸惑っている優姫を置いて飲食店を後にした。さてあのテナントはどのフロアにあったろうか。




「で、次はどこ行くんだ?」


 食事を済ませた後シトラシアを出て町中に躍り出ていた。肌寒い中、さっさとどこか屋内に入りたくて問いかける。


「この辺で、デートスポットってどこなのかな」

「デートに関して俺に聞くんじゃねえよ。これまで一度も経験したことねえんだぞ」

「何言ってるの? 今してるじゃない」

「……まあ、そうだな」

「否定しないんだね」

「なんか拒んでんのもばからしく思ってな。別にデートでいい気がしてきた。葛城と一緒にいるのを見られても何の抵抗もねーし。それに、ただの荷物持ちにしては楽しすぎるからな」

「……そっか」


 自分からデートだと言い張ったくせに。戸惑ったような仕草をした後、優姫は途端に照れたように目を逸らす。

 耳元が赤く染まっているのは寒いからだろう、そうに違いない。


「和馬くんは、どこか行きたいところとかないの?」

「……別にねーな」

「楽しんでるって言ってくれた手前、その返答はないんじゃないかな」

「デートと言うよりお前といるのが楽しいんだよ。別に場所なんかどうだっていいさ」

「なんで和馬くん、そういうことを突拍子なく真顔で言うの……?」


 普段の仕返しであると言えば優姫はきっと解っていないように小首を傾げるのだろう。こいつは常に無意識で鼓動を加速させて来るのだ。まったく罪な女である。


「それならちょっと行きたいところがあるんだけどいいかな。屋外なんだけど」

「屋外? どこに向かおうとしてんだ?」

「それはついてからのお楽しみかな……ううん、多分楽しめないけど」


 どうやら楽しいデートスポットというわけではなさそうである。

 優姫が行きたいというのならいいだろう。少なくとも例の隔離区画ほど危険な場所ではあるまい。

 優姫に連れられるがまま高架モノレールに乗り込んだ。

 港区駅周辺から全域に広がるように出ている高架。その中でも、乗り込んだのはまさに都心エリアの千代田区へと向かうモノレール。

 その時点でなんとなく目的地に予想がついた。同時に優姫が不安そうな顔をしている理由にも検討を付ける。

 

「六日後のことなんだけどさ」


 聞いてほしくなさそうな面持ちの優姫にそれを問うのははばかられた。だから話の転換もかねて持ち出そうとしていた話題を振る。

 

「六日後って……クリスマス?」

「頭に害虫でも沸いてそうな周りの連中に合わせてワイワイやるつもりは毛頭ねーけどさ。でも、なんだ。せっかくのクリスマスなわけだし、それに葛城もなんかしたそうにしてたしさ」

「和馬くん……ありがとう」


 嬉しそうにはにかむ。この笑顔が見れるだけでもこの話題を出してよかったと思う。どれだけ懐柔されているんだ。緩むな引き締まれ表情筋。


「でも特別なことなんてしなくてもいいの。私だって、和馬くんが言ってくれたのと同じだもん。和馬くんがよかったら、クリスマスも一緒に過ごせたらうれしいかな」

「……反則だろ」


 有象無象のカップル連中に断言できる。俺の(隣にいる)オンナが一番かわいい。なんて言ったら周りの者たちと同類になってしまいそうなのでやめる。

 迂闊にも頬がたるみそうになるのを優姫に気取られないようにしながら、座椅子に深く背中を凭れかけさせる。


「落ち着け、こういう時はメタ認知だ」

「メタ……?」


 心を落ち着かせるその方法を知らなかったのか優姫が不審そうに見てくる。それに構う余裕もなく自分を客観的に見ることにした。

 頭に血が上ってるな。鼓動が早くなってるぞ。心なしか体が熱い。過剰に優姫を意識しちまってる。頭に血が上ってきた(意味深)。

 

「おかしい、客観的に見てもただの浮かれ野郎じゃねーか」

「大丈夫……?」

「いや大丈夫じゃないな。どうやら俺は有象無象の頭に害虫が沸いてる輩とさして変わらんらしい」


 年中無休発情期の犬じゃあるまいし。

 チンピラ時代、散々こき使われてきた桐生の傷だらけの顔を脳裏に思い浮かべる。途端に高揚していた感覚が薄れ始めた。


「まあ特別何もしないにしてもだ」

「本当に何もしなくていいんだよ。静かな場所で和馬くんと一緒にいられれば」

「そうはいってもな、今のリミテッドに静かな場所なんかないにも等しいぜ」


 モノレール内部の電子ポスターを見やる。そこには中央区、渋谷区、新宿区、港区の全域でクリスマスに乗じて開催される屋内フェスタの広告が張り出されている。

 渋谷区でやるというのはまあ十中八九渋谷駅周辺区域だろう。あのあたりに和馬の部屋はあるわけで自宅で過ごすにしても些か賑やかすぎる。静かに過ごせようはずもない。


「なんか完全防音の、貸し切り部屋でも取って過ごすか?」

「都心で借りられる設備なんて……そんなお金あるの?」

「ないな」

「私は払えるには払えるけど。でも、そんな部屋で過ごすのはちょっと……」


 顔をしかめるのも無理はない。ムードどこ行った状態だ。かといってクリスマスのために都心エリアから離れるのも徒労な気がする。

 

「都心でそんな都合いい場所なんてあるか?」

「う、ううん……」

「静かで人が極端に少なくてよ、しかもムード満載な場所なんて……」

「あ……」


 言っていて思い当たる節が芽生えた。優姫も同様に思い当たったのか見つめてくる。こんなに身近にあったではないか。

 隔離区画・原宿。原宿ヒルズを中心とした摩天楼。その中のシトラシア最上階の部屋。つまり隔離区画内の和馬の部屋だ。

 あそこならば渋谷駅からも離れているため騒音という騒音もなさそうだ。


「でも今あそこ、立ち入り禁止区域指定されてる……」

「いやそもそもムードがあるのかは微妙だが。まあ入れないことはないだろうな。軍用A.A.が撤去されたわけだし」


 あるとしても例えば旧東京タワーに敷かれている赤外線センサーのようなものだろう。厳戒態勢は敷かれていないだろうし、少なくとも軍用A.A.のように即射殺されることはあるまい。


「あそこ、もうチンピラたちの清掃は済んでんだろ? 今もまだU.I.F.いんのか?」

「ううん、清掃自体は十二月十三日と十四日に行われて、今は警備アンドロイドとドローンが配備されてるだけってマスメディアでは言ってた」

「なら危険はないか」

「……そうだね。まさか、こんなに早く戻れるなんて」

「まああくまでも立ち入り禁止区域だから、中にいるのがばれたらやべえけどな」


 考えてみればあの区画の方が自分たちにはらしい気もする。

 区画外部は危険もないし不自由しない生活が送れておまけに空気も新鮮だ。だがなんとなく場違い感があった。

 だからこそ和馬も優姫もあの場所に、というよりはあの部屋に戻りたいだなんて酔狂なことを考えているわけだ。

 

「……ついたみたい」


 そのうちモノレールは停車する。車窓から見えた光景から自分がどこに向かっているのかは既に分かっていた。

 実際にその地に足を下ろし荘厳なまでなその区画を目の当たりにすれば、思わず息を呑みかねない。


「ここが……レッドシェルターか」


 総面積11.64平方キロメートル。人口一万二千人。リミテッド23区のうちの都心エリア、そのまた中央区に位置する千代田区。

 防衛省含む国の存亡のために必要な様々な機関が混在し、中心部には防衛省を構成する幹部級の人間たち、情報統合施設・帝城が存在する。

 国の政策指針を決定するのは全てこの区画内部でであり、事実上リミテッドを支配しているのもそうだ。正確にはこの内側にある防衛省だが。

 それがレッドシェルターだ。


「やっぱり俺を連れてこようとしていたのはここだったか」

「うん……いきなりごめんなさい」


 目の前には先日目にしたばかりの巨大な機械が鎮座している。五メートル間隔で配備されたそれは軍用A.A.。

 その後ろには一定間隔で赤外線展開プログラム装置、またセントリーガンが設置されていた。さらに高周波レーザーウォール。

 たとえこの巨大な殲滅マシンの壁を突破できても抹消レーザーの壁に阻まれるということだろう。

 通行許可の下りていない者がここを越えようものならば、無数に設置されている固定砲で問答無用で狙撃されるわけだ。


「お前の両親、レッドシェルターの人間だったんだな」

「うん、私の家、レッドシェルターに多額の資金を投与した資産家なの。ごめんなさい黙っていて」


 そっと振り返った彼女がどうしてそんな辛そうな声を出すのか。それは言うまでもなく優姫本人が自分の家に絶望しているが故だ。


「あなたも――――私とおんなじなのね」


 初めて出会った時彼女はそう言い共感し好奇心をくすぐって近づいてきた。あたかも同じ境遇なのだと同じ環境で追い詰められている存在なのだと。そういう姿勢を見せていたのである。

 だのに蓋を開けてみれば、まさかその優姫の両親はリミテッドの現状に関係する人物だった。そこから想像するに彼らは東京都都市化計画に携わっている。間接的に優姫もだ。

 おそらく彼女の心の中には、嘘が露見したことへの後悔や罪悪感と言ったものが取り巻いているのだろう。


「まあ、知ってたけどな。お前がマジョリティカードでもマイノリティカードでもない赤いカードを使っていた時点で。あれはカルテブランシェだ」


 Carte Blanche

 優姫が持っていたカードは白紙小切手カルテブランシェだ。海外で扱われているいわゆる最高級のクレジットとは別種。

 実際そのカードはブラックカードでもクレジットカードでもなく赤いIDカード。

 リミテッドでしかその効力を発揮できない海外ではただの紙切れ。だがリミテッド内部ではそれは夢のカードとなる。利用限度額の設定もなく使用者のどんな我欲に満ちた欲望も実現させる。

 これはレッドシェルターのごく一部の人間しか持っていないと言われている。想像に足る範囲でいえばスファナルージュ・コーポレーションの本社や、防衛省官吏、国家官僚といったところであろう。

 故に優姫がそんじょそこらの金持ちの令嬢でないことは理解していた。おそらくは、スファナルージュ・コーポレーションとだって資金貢献額では肩を並べられるレベルの大富豪令嬢。


「……怒らないの?」


 優姫はどこか拍子抜けしたような、また惑ったような目で見返してくる。


「何に怒るってんだ?」

「だって私、黙ってた。自分の家がリミテッドを成り立たせた家柄であること……」

「別に話さなきゃいけないってことはないしな。それにそれは家柄の問題だ。お前が言い出しにくい気持ちもわかるし罪を感じる必要もねえ」


 彼女の事を慮ったわけではなかったが素直に思ったことを述べた。

 彼女がどのような環境で育ったかはこの際関係ない。彼女自身はその環境を疎んでいたのだから。

 一つだけ懸念がないわけではない。現代のリミテッドの体制に不満を抱き犯行姿勢を見せているのは一般人ばかりである。レッドシェルター層の人間である優姫が何故同じ思想を持っているのか。

 家に半監禁状態にされていたのが嫌で逃げ出してきたのは解るが、リミテッドに不信感や不満を抱くのは些か違和感を抱かずにはいられない。

 本当はそれ以外の理由があるのではないのか。


「和馬くんは……やっぱり優しいね」


 優姫の笑顔。それを見るだけで惑う。

 疑念はピースのように枠の中填る場所を探しては迷走を繰り返し。やがて消えた。


「和馬くん……これって」

「なんか事件でもあったのか?」


 不意にサイレン音が響き始める。体の内側から不安感をあおるようなこの音には酷く聞き覚えがある。

 リミテッド内部で犯罪行為などが起きた際に警備アンドロイドが対象を駆除するときの合図だ。今から犯罪者を射殺することになるから近隣住民は早急に退避してくださいね、という合図。


「つっても、こんなレッドシェルターのすぐ近くで犯罪行為なんか犯す奴いんのか?」


 こんな軍用A.A.の前で。そんな無謀行為に事を及ぼさせるのは、とんだ酔狂か相当の自信家かバカしかいない。

 そもそもここにはほとんど人は寄り付かない。実際問題周りには誰も人という人はいなかった。

 そこまで考えたところで脳裏に一つの仮説を抱く。半年ほど前から活動が活発化してきたレジスタンス。彼らが暴動を起こそうとしているという可能性はないか。

 彼らならばレッドシェルター周辺で問題を冒すことは何らおかしいことではない。何故なら彼らの目的はその内側にあるだろうから。


「ここは危険だな……隠れよう」

「え? あ、うん」


 どこか上の空の優姫を引っ張るようにして近隣の施設へと小走りで向かう。

 レジスタンスの行動指針は計りしえないが和馬たちが人質に取られるという可能性もなくはない。そんなことになっては状況を混乱に陥れかねない。複合施設の陰に身をひそめ様子を窺った。


「なんか、結構な数だな……」


 集まってきたアンドロイドの数は二桁を越えている。

 上方にはその半分ほどの探査ドローンが浮遊し対象を探っている。それらは先ほど和馬たちがいた辺りを巡回しては何かを探していた。

 考えるまでもなくレジスタンスの痕跡だろう。


「でも、あんなところにレジスタンスなんかいなかったけどな……何を追って、あいつらここまで追跡してきたんだ?」

「う、うん」


 やはり心ここにあらずといった様子の優姫。その表情には動揺まで見て取れる。

 突然のアンドロイドの接近に驚いたのか。それにしてはこのおののき様は極端すぎる。それよりは自分の身に危険が迫っているのを理解したかのような。なんとなく嫌な予感がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る