2054年 12月24日(木)
第131話
きたるクリスマス。耳をつんざくようなやかましい目覚ましの音で意識が覚醒する。
目覚めの気分は最悪でギンギンと痛む頭を押さえながらベッドから立ち上がる。
朦朧な思考でアラームを止めようと手を伸ばすと、ビジュアライザーの代わりに冷たい感触が指先に伝わった。
ワンテンポ遅れてガラスが割れるような鋭い音が響く。カーペットの端から露出したフローリングにはじけて割れたのは安物の焼酎瓶だった。残っていた中身が漏れだしカーペットを濡らしている。
「あちゃ……」
部屋の中を見渡すとなんとなく安心感が芽生えてくる。
明度調節のメモリを最大にまで下げているため真っ黒になった窓。メモリを動かせばそこには原宿に無限に広がる摩天楼が広がっていることだろう。
ここは原宿の中心地原宿ヒルズの周囲一帯に建築されている建造物のうちの一つ、シトラシアの最上階だ。マンション施設の部屋は言わずもがな和馬が二か月半ほど滞在していた場所。
「……イヴか」
部屋を見渡しているうちに状況判断が可能になっていく。
十二月二十三日つまり昨日、和馬と優姫は立ち入り禁止区域指定されていたこの区画へと忍び込んだ。
生存しているチンピラを見つけるためかドローンの配備数がやけに多いなか、何とか捕捉されずにここまで来たのである。すでに無作為銃殺権限はアンドロイドから剥奪されているため、もし遭遇したとしても発砲はされないはずだったが。
痛むこめかみを抑えつつハンガーにかけることもなく乱雑に畳んであった衣服を手にとった。
割れた瓶は昨日飲んだやけ酒の跡。
ビジュアライザーで確認した時刻は既に夜中。なんとなく机の引き出しを引っ張り出すと、その奥に収納してあった小さな革張りの小箱を取り出した。
「和馬くん、なんか凄い音聞こえたけど。大丈夫?」
金具が軋む音と共に開かれた扉の向こう側から優姫が顔を覗かせていた。反射的に手に持っていた小箱を再度引き出しの中に叩き込む。
「あ、危ないよ、そこから動かないでね」
彼女は床一面に散らばったガラス片を見て渋い顔をすると、一度廊下を駆けて行きすぐに雑巾とホウキを持って戻ってくる。
ガラス片を手際よく片付けカーペットに染み込んだ酒を雑巾で拭いながら小さく溜息をついた。
「ダメだよ寝酒なんてしたら。そんなことしてるから周りからチャラいって言われるんだよ」
「お前、初めて会った時、俺に酒盛って泥酔させただろ」
「もう仕方ないんだから。和馬くん、今後飲みたくなったらお酒じゃなくてC.C.Rionを飲むこと、いい?」
「あんでだよ」
「いいから! 和馬くんの部屋の冷蔵庫に入れておくから、ちゃんと飲んでよ?」
「この部屋には冷凍庫しかねえよ」
カーペットを拭い終えると彼女はそれらを持って部屋から出ていく。華奢な背中を目で追うようにしながら人知れず安堵の息を漏らした。
今一度小箱を取り出すとこじ開けるようにして蓋を開く。蛍光灯の光を反射して中の物が瞬いた。
自分の性格上、こんなことをするという思考に思い至ったこと自体些か意味不明である。これを用意した以上は行動に移さざるを得ないのだが。
「しゃらくせぇ」
小箱の中の金属を鷲掴むと中身だけポケットに落とし入れる。
自分の中でいまいち形のなさない感情を押さえ込むように、寝癖で乱れた髪をさらに掻き乱した。
「綺麗だね」
窓際に佇む優姫。窓に手をついてネオンの光に彩られた摩天楼を見つめている。その瞳はほのかな光に照らされ色付いている。
廃れほろんだ原宿には到底不相応な無限に広がる
「こんな場所、さっさと逃げ出したいってずっと思ってきたのによ……また戻ってきちまったんだな」
「和馬くんはここにいるときの方が活き活きしてる」
「それはあれか、俺はやっぱ闇の住人だっていうそういう中二病全開な」
「そうじゃなくて……ここには思い出がいっぱい詰まってるから。いい思い出もそうじゃない思い出も。それに」
「俺たちの思い出がだな」
優姫は意味深な目線を向けてくる。何を言わんとしているのかはなんとなく解っていたがそれは無視する。
「お前の言う通り、俺にとっちゃこの場所とこの部屋は、思い出とか色んな感情の巣窟なのかもしんねえな」
「私はここが大好き。和馬くんはここにはこの光が眩しすぎるって言ってた。でもね、私はそうは思わないの。だってここは和馬くんがいる所だもの。最初から暗闇なんかじゃない。光が当たって影が差していただけなんだよ」
「葛城が俺を照らしてできた暗闇だな」
「ううん。私じゃない。和馬くんは最初から私にとっての光なの。だって和馬くんの心はとっても優しくて……温かいもの」
そう言って優姫はそっと和馬の手の甲に触れた。それに応えることはなかったが彼女の指に自分のそれを重ねる。もう直視できなかった現実から逃げたりはしない。
「ねえ和馬くん、あの原宿二番街のネオン看板、壊れちゃったみたい」
彼女が見つめる先には爆破か何かに巻き込まれたのか根元からへし折れている看板が倒れている。今はネオンも消えているため見つけるのにも手間取った。
きっと防衛省がチンピラたちを一掃する際に行った爆撃か何かによるものだろう。
「出会いの場所なのに……」
「不吉な話だな」
「でもほら、倒れて地面との高さの差もほとんどなくなってる。私と和馬くんの距離が縮まったってことじゃないかな」
「こじ付けにもほどがあるってもんよ」
「そういうのは雰囲気の問題なんだから」
そういう物かと思いつつ再びパノラマに目を落とした。
確かに彼女の言う通りかもしれない。和馬と優姫の関係はこの部屋で変わり続けた。和馬の中の彼女の印象もきっとそのまた逆も。この部屋は二人の関係に変化を与える場所なのかもしれない。
物足りなさがあるとすれば。
「こんな時に雪でも降ればロマンチックなのに。だなんて考えてそうな顔」
「そんな人間に見えるか? 俺」
「見えないかも」
控えめながらも朗らかに笑う彼女。薄暗い月明かりとモニュメントの発する青白い光。それを纏ったブロンド髪の少女は幻想的な美を持っていた。
確かに考えた。ホワイトクリスマス。もし今日がそうだったのならばドラマチックな演出になっただろう。だがこの方がいいのかもしれない。
今年の初雪は二人の関係が本当の意味で始まった瞬間を飾った。そして次にそれが降るとなればそれは関係が終わる瞬間。
「なんて、オカルト過ぎるけどな」
「あ……」
不意に静寂に包まれていた世界に透き通るような鐘の音が反響する。近くからではなく離れた場所から響いてくるその鐘の音が示すもの。
今年のクリスマスの到来。おそらくはクリスマス企画で鳴らされている物だろう。日付が更新していた。
「リミテッドもなかなか粋なイベントしやがる」
「リミテッドというよりは多分スファナルージュ・コーポレーションがやってるんだと思う。クリスマス企画、あそこが開催してたみたいだから」
「……なんだこれ?」
鐘が鳴りやむと同時、静かに伝わる波紋のような透き通った声が空間を振動させる。歌だ。
白く滲んだ世界だ
歩んできた道は ひどく荒んでいたね
孤独に満ちたその道を
やっぱり僕はひとりで歩んでいたんだ
聞いたことのある声だ。和馬が隔離区画に閉じ込められる前から流行っていたNEXUSというネットアーティストの歌に違いない。
邦楽なんてものに精通はしていなかったが、日中から街中でそればかりが流されていたら頭の片隅くらいには残るというものだ。
「NEXUSの新曲かな、でも聞いたことない曲」
和馬と違って優姫はある程度NEXUSについて知っているようである。静かにつぶやいた後、瞳を閉じてその歌に聴き入っていた。
遠く離れたどこかで 鐘がなる
誰と誰を祝福する 優しい音色かな
なんて 僕はロマンチストだ
今の状況を表しているような歌詞に思わず皮肉気な息が漏れる。
思えば彼女のどこに惹かれたのだろう。その類希なる容姿か。その笑顔か。あるいは自分に似た境遇に親近感でも湧いたのか。
心のどこか 内側から何か叩いてる
苦痛の叫びが 聞こえてくるんだ
ねえ きみは今どこにいるの?
いま どこで同じ雪を見てる?
いま どんな夢を見てるかな
思考を止めた。そんな思考のサイクルはするだけ無駄だ。
優姫は今この場所にいる。和馬の隣で静かにその曲に耳を傾け身を任せている。
荒ぶる気持ちを 何と表現しよう
Blessing snow is falling dance.
自分でも名前が付けられない わがままだ
Don’t lose to sadness. Throw lowly of heart.
この感情に名前をつけるとしたら、それはきっと彼女を求め必要としているが故のものなんだろう。だから今日こうして彼女と向かい合っているのだ。自然と焦燥が胸を蝕む。
「気の利いたことでも言おうとしてるの?」
「ご名答、だが三流ポエマーの俺には甚だ無理な話だったぜ」
ポケットに手を入れ冷たい感触を探す。すぐに指先に何かが触れた。
「だけど、俺はやっぱり照らされる側にいたい。俺はずっと優姫、お前に照らしていてほしい」
「和馬くん」
「お前さ、前にこう言ったよな。お前は俺の居場所になるから俺が優姫の居場所になれって」
「う、うん……」
突然の話題に彼女は緊張したような面持ちで見つめてくる。自分の緊張を気取られぬようポケットの中の感触に意識を集中させる。
「いろいろ考えたんだけどさ、お断りだそんなの。俺はお前が現実を逃避して逃げ出せる場所になんかならない。逆もまた然りだ。俺はもう逃げたりしない」
立ち上がり彼女の手を取って同様に立たせる。そっと彼女を見やった。視線が交差して心臓が鷲掴まれたように苦しくなる。
逃げ出さないといったばかりなのだ。ここで逃げ出せばずっと逃げ続けることになるだろう。
「ずっと近くにあった。大切なものはさ。だけど俺は多分それを無意識のうちに陰に隠しちまってたんだ。その感情が芽生えていることに気づかないふりをしてた」
「…………」
「だけど、もうそれも終わりにしようと思う」
掴んだままだった手のひらを放した。ポケットから取り出したそれを彼女に渡そうとして。
「優姫、俺はさ、お前の」
乾いた炸裂音が弾けた。続いて窓に巨大な亀裂が走る音。
ピシピシと少しずつ亀裂は進行していく。その亀裂の中央にはドス黒い赤の色が滲んでいる。
「和馬、く……ん?」
今にも消え入りそうな優姫の声。
蒼白な彼女の目は和馬の腹部に向けられている。その彼女の目線を追うように自分の腹部を見下ろす。真っ赤に染まっていた。
「あ……が――――ッッ!?」
途端、脊髄を抉り抜かれるような形容しがたい激痛が襲い来た。脳髄が弾けたのではと錯覚するような激しい横揺れ。
気づけば顔面から冷たい地面に叩きつけられていた。
「和馬くん……和馬、くんッ!」
名前を叫ぶ優姫の声が聞こえる。
痛い。
痛い痛い痛い痛い。
声が出せなくなるほどの凄まじい痛み。腹部からどくどくと生命線があふれ出す。額から熱い感触が滴り頭部から出血していることを曖昧な思考で理解した。
何が起きたのか解らず困惑しながらも、無理やり頭の向きを変えようとして動かないことに気が付く。何者かに後頭部を押さえつけられている。
「よぉ、久しぶりだなぁ? 和馬、よぉ」
ドスの利いた声には聞き覚えがあった。
「き、りゅう……!?」
この声はチンピラ時代つるんでいた桐生の声だ。
赤らむ視界の中視認できた男の顔には、見覚えのない醜い生傷が無数に刻まれている。
まともな施術も当然受けられていないため腐食の進行し始めている顔面。それだけでは彼が桐生であることを認識するには足らない。だが聞き間違えようもない、彼だ。
「会い、たかっ……たぜこのクソ野郎がッッ!!」
「ァ……ッッ!」
彼は頭部を踏み潰していた足で顔面を蹴り上げてきた。再び脳髄が破裂しそうな衝撃が襲う。
「なんで俺がいんのか不思議そうな顔してんなぁ? んなもん、てめえをブッ殺すために決まってんだろうがよアァっ!?」
「ッ、がッ!」
「このクソガキァ! よくも俺たちの計画をメチャクチャにしやがったな! おかげで俺たちは壊滅だ! 全員ぶっ殺されたぞクソ野郎がッッ!!」
度重なる猛攻に意識を失いかける。
「おいてめえら、その女捕まえとけ」
数人の取り巻き連中はそのまま優姫の肩を蹴り飛ばし地面に倒れ伏せさせる。
「優姫に手ェ出してんじゃ……ぐぁああああああッッッ!」
立ち上がろうとした和馬を桐生は錆び付いた鉄パイプで力任せに殴打する。脇腹を殴打され腹部から更に血潮が吹き散らされた。
堪らずその場に崩れ落ちた和馬の視界に、男たちの汚い手で優姫の衣服が破り剥がされていく様が映る。
彼女の素肌が露出し男が下卑な手つきで彼女の体を弄ぶ。
「おいお前、和馬を抑えとけ。このオンナが落ちてく様、じっくりと味合わせてやんねえと済まねえからな」
背中を踏まれ後頭部の髪を掴まれる。そうして無理やり顔を持ち上げさせられた。視界の中に最悪な光景が映り込む。
「やめてっ、お願いッ、やめてよ!」
「ヘッ、いつまでそんな強気に喚いてられッかな!」
「きゃっ!」
桐生は優姫の顔面を蹴り飛ばした。そうして自身のベルトに手を掛ける。
「桐生ッ! てめえッ!! その汚ぇ手を離せ!! このクソ野郎が!!!」
腹の激痛を忘れて転がっていた鉄パイプで上に伸し掛かっている男の横っ面を張り飛ばした。そうして優姫に覆い被さる桐生の背中に殴りかかる。
直ぐに不良たちの矛先は和馬に移行し鈍器によって全身が打ち据えられる。凄まじい痛みと屈辱を感じながらもささやかな安堵を感じていた。
標的が自分に移動しているうちに優姫が逃げてくれるなら。この男たちによって彼女が穢されるのを止められるならば。
それならば自分の命すら惜しくないと思ったのだ。だのに。
「……ッ! 和馬くんから、離れてっ」
願いなど虚しく彼女は無謀にも殴りかかる。
男たちの落とした鉄のバットで桐生の肩を強く打ち据えた。だがひ弱な少女の一撃だ。
「うぜぇんだよこのクソ女が!」
桐生は呻き声を漏らしただけで、振り向きざまに鈍器で優姫の体を打ち据える。
華奢な彼女は悲鳴を上げる間もなく跳ね飛ばされ。
「優姫――――ッ!?」
背中から亀裂の走った窓ガラスに叩きつけられた。
そこからの光景はスローモーションに写る。
ピシリ。ピシリと。
「優姫……優姫ッ!!??」
朦朧な意識の中でただ腕を伸ばす事しかできない。
限界まで耐えきろうとした窓は残酷にも砕け散り。優姫は光の取り巻く摩天楼の下、闇の渦巻く中へと吸い込まれていった。
最悪なクリスマスを終焉へといざなうように、残酷なクリスマスソングもまた静かに終曲を迎える。
心に渦巻いてるのは きっと後悔かな
でもこんなこと 伝えられるはずもなくて
ばかな僕は 君を手放してしまったんだ
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