第64話

 帰還した教室内部。退屈そうに明日のための設営を離れて俯瞰していた唯奈が、こちらに気づいて歩み寄ってくる。


「校内の点検は終わった? 巡回員さん」

「めぼしいことは何もなかったが」

「一応確認だけど……風間泉澄、おかしな言動はなかった?」


 同伴を申し出た泉澄のことを疑っているのだろう。


「特に怪しいところはなかったが……まあ白だという確証はない」

「それでいいわ。過剰すぎるくらいに疑り深いほうがいい」

 

 真那もまた情報共有の目的か話に介入してきた。


「そうはいっても、本来疑るべき対象である葛葉美鈴くずはみれいには、いまだに接触できてないわけだけど」

「捜索範囲を広げたほうがいいんじゃないのか?」


 教室が凛音色に染まっていくのを脇目で伺いながら提案する。


「現状で私たちは校舎内、それからこの学校の敷地全域を監視してるわ。これ以上監視の目を広げても仕方ないもの。この区画の外に葛葉美鈴がいるのなら、そもそももう私たちの関与するところじゃない」

「校内で失踪者が出ない限りは関係ないということか」

「そう。私たちは慈善事業じゃないもの。リミテッド全域を常に監視して、一つも被害を出さないなんて無理な話よ」


 実際真那の言うとおりだろうが、そもそも当初の目的はアイドレーター局員に接触することではなかったのか。


「いま私たちが取り組むべきことはもはや局員との接触ではないわ。何であれ、この校舎内で学生たちが失踪するのを黙ってみている手はないもの」

「まあ、この失踪事件を追っていれば、おのずと葛葉美鈴の所在にもつながるでしょ。葛葉美鈴が局員ならの話だけど」

「葛葉美鈴だが、サーモセンサーに関してはどうなってる?」

「先日の遺体発見から生体識別をしていませんね」

「当然ね。私たちが潜入したことは気づかれているでしょうし」


 ネイの言うとおり葛葉美鈴の自室から女子学生の遺体が発見されて以来、葛葉の所在がつかめなくなった。もとより場所の特定はできていなかったが。

 一日二回、確かに自室のサーモセンサーが彼女の存在を証明していたのだが、あの日以来サーモセンサーは何の生体反応も掴まなくなった。時雨たちが葛葉美鈴のことを疑っていると感づいたが故だろう。

 最後の手がかりさえ失ってしまったということだ。


「そういえば、あの女子学生の身元は分かったのか?」

「遺体のこと? もし酸性薬物で指紋と声帯、網膜が焼き潰されていなかったのなら、今頃特定できてたんじゃない?」

「犯人はそこまでしてたのか」

「どうして遺体の正体を隠してるのかは解らないけどね。今は血液検査をしてる。ただ血液中になぞのやくぶが蔓延してて、細胞がことごとく破壊されてるみたいなのよね」

「腐乱もかなり進行していたわ。スタビライザーの影響を鑑みたとしても、遺体の状態からして少なくとも一週間は経過してる。素粒子レベルの解析でいま特定を急がせてる。明日には解るんじゃないかしら」

「そのスタビライザーの回収、どうにかならないものか」


 スタビライザー。校内中に出回っていた薬物だ。それが失踪事件に絡んでいると判明した時点でレジスタンスはその押収を始めた。その流通ルートはいまだにつかめておらず押収の成果も芳しくはない。

 いまだに失踪が続いているところを見ると、これまで通りスタビライザーは蔓延を続けているのだろう。


「思い切って、スタビライザーの本質を明かせばいいんじゃないのか?」

「失踪事件を起こしている原因だ。これを摂取すると半覚せい状態になって、なんでも命令に従っちゃいますって? 馬鹿ね、そんなことしたら校内がパンデミックになる。この失踪事件が事件であることを、明確化させてしまうだけでしょ」


 呆れたように唯奈は肩を竦めて見せる。確かに言われてみればそうなることは明白だった。


「何より、スタビライザーの存在はマスコミに知られないほうがいいわ。下手にマスコミやその界隈がこの事件にかかわったりでもすれば、状況が悪化しかねない。私たちの存在もきっと公にさらされる」

「マスコミは馬鹿に出来ねえしなぁ」


 和馬は両の手をヒラヒラと振るい小さく首をふるってため息をつく。そうはいってもスタビライザーの蔓延を止めない限り、この事件は解決につながらないだろう。

 校内で躍起になって監視を続けているのに、アイドレーターの尻尾すらつかめていない現状。スタビライザーの流通が失踪事件そのものに直結している可能性がある。


「まずは明日の文化祭。一般人に紛れ込んでアイドレーター局員が侵入してくる可能性があるし。そうなれば確実に潜入してる構成員に接触するはず。私たちが動くとしたら、それは絶好のチャンスに他ならないかもね」

「当日は私たちも武装しておきましょう」

「武装って大丈夫か」

「ええ。文化祭に伴って、学校の敷地内における警備アンドロイドの数が軽減されるのよ。大勢の一般人が入場するから」

「まあ十分の注意を払う必要はあるけどね。万が一、私たちの武装をアンドロイドに感づかれたりしたら。民間人が無数に集まるる中で、銃撃戦に発展なんてことになりかねない」


 想像にたやすいながら想像したくはない状況だった。この間の講演会会場のように無数の一般人が殺害されるのはもう見たくはない。


「とりあえず明日のことに関してはまた放課後でいいんじゃない」

「あ、センパ~イ! 戻ってたんですか? それでですね、さっき凛音センパイとも話してたんですが、明日のプランなんすけど」

「時雨、霧隠月瑠のことは上手くあしらっておくこと」


 ため息と共に真那が指示してくる。言われるまでもないがため息をつきたいのはこちらの方なのだ。


「それが一番難関な任務な気がするが……霧隠、明日なんだが」

「無理とは言わせませんよぅ。あたし的に言わせてもらいますと、ここまであたしに期待させてからのドタキャンはブシ道にかけます。センパイは何気にフェミニストですし、そんなことしないでしょうけど」

「そうだぞ? シグレ。約束を破ったら、ハリセンボン飲まなきゃならないのだ」

「前も言ったが明日はだな」


 凛音を味方につけてきた月瑠。どうせまたセンパイセンパイと強調して手駒にしたのであろう。


「センパイ、背水のJINってやつですね。にしてもなんて渋い言葉ですかね。いかにもジャパニーズニンジャ道って感じがして超エキサイトです。それでいて、バリバリ西洋の蒸留酒とコラボレーションしてるあたり、ある種のカルチャーショックを覚えますね」

「ジンとはなんなのだ? ジョーリューシュ?」

「あれですよ。ロシアのウォッカと組むことで、遺憾なく危ない人演出ができる麻薬みたいなものです。『黒と黒が混ざっても、黒にしかならねぇよ』って言って、善良な市民を黒く染めていくジャパンのガンマンで、」

「……すまん、やることあるからまたな」

「あ、逃がしませんよセンパイ!」


 またもや偏った知識をひけらかしている月瑠。逃れるチャンスかと踵を返そうとしたが、彼女は条件反射的に時雨の手首をつかむ。


「あ、窓の外に自由落下中のサムライが」

「何言ってんですか頭大丈夫ですか」

「というのは冗談で校庭を忍者が時速八十キロで走行して」

「もう騙されませんよ。前回それでついつい意識をそらされましたからね」


 どうやら筋金入りのあほでもないらしい。


「でもあたしは仮にもモダンジャパニーズニンジャの末裔です。そんな簡単に騙されてちゃ、信頼を糧に市場経済の模範になることなんて、」

「かと思ったら、校舎の壁を忍者が這いずって屋上まで登ってったぞ」

「まじっすか!? それマジモンのジャパニーズニンジャじゃないですかぁ! 凛音センパイ、見にいきますよ!」

「ニンジャなんているわけないの――ぬぁ!?」


 凛音の襟首をつかんで月瑠は教室から姿を消す。


「……烏川くん、ちょっと可哀そうだよ。一緒に回ってあげたらいいんじゃないの?」


 その光景を見ていたのか紲が小さく声をかけてくる。

 どこか申し訳なさそうな顔をしているのは自分が介入すべきことではないと思っているからなのか。だが声をかけてしまうあたり紲は気遣いのできる人間なのだろう。


「紲は当日、どうする予定なんだ」

「うーん、特に考えてはないかなぁ」

「なら霧隠と回ってくれないか? 無理な相談だとは思うが」

「え? う~ん、それは別にかまわないけど。でも霧隠さんはそれじゃ喜ばないんじゃないかなぁ」

「霧隠は友達がいないんだ。紲が一緒に回ってくれたら無条件に喜ぶぞ」

「そうじゃなくてね……」


 どこか呆れたように紲は言葉を噤む。

 それにしてもやはり彼女の様子は至って平然だ。心の内側には大きな欠落を抱えているのだろうが。

 紲は時雨が思っていたよりもずっと強い少女なのかもしれない。この様子ならきっと、この逆境を乗り越えられるはずだ。


「紲は強いな」

「え?」

「その強さが羨ましいな。俺は失ってしまったのかすら解らないものを、未だに受け入れられずにいるのに」


 脳裏には少女の姿がちらついていた。長い黒髪。透き通るような肌。彼女が時雨の名前を呼ぶ声が遠くから聞こえてくる。そんな気がした。


「私は、強くなんてないよ」

「…………」

「だって私は、心の中にぽっかりと空いちゃった穴を、まだ全然埋められてないもん」


 その言葉に何も返せない。考えが甘かった。そんな簡単に近親者の死を受け入れられるはずなどないではないか。

 紲は今もなおその心をむしばまれ続けている。本来隠し切れないほどの切望や痛みを無理やり押し隠しているのだ。

 それだのに、その優しさや健気さに甘えていた。一瞬でも自分の罪を正当化しようとしていた。そんな自分に虫唾が走る。


「すまない」

「どうして謝るの? 烏川くんは何も悪くないよ」

「…………」

「悪いのはレジスタンスだもん。烏川くんはその悪から私を護ってくれた。謝ることなんて何もないよ……そう言えば、まだお礼も言ってなかったね」

「……やめてくれ」

「ううん、やめないよ。だって私は烏川くんに本当に感謝してるから……あの時は助けてくれてありがとうね」


 その優しさが、純粋さが痛かった。どこか取り繕ったような笑顔。内側にはとてつもないあふれ出しそうな負の感情を抱えて。それでも感謝し笑い続ける紲。

 そんな彼女にかける言葉を持たない。ただ唯奈や真那、和馬の視線を感じ胸騒ぎがやまなかった。彼女たちの視線は時雨に問い詰めてくるのだ。それでいいのか、と。



 ◇



「それでは、そろそろ向かいましょうか」


 空が明らみ始めた頃、佐伯はいつも通りの目立つ一張羅のまま、そう言った。


「こんな時間帯にこんな目立つ格好で、さらにこんな揃いも揃ってていいのかよ」

「いいのですよ。こそこそするよりはこの方が堂々としていていいでしょう。こっちのほうが意外と不信がられないものですよ」

「そうはいってもよ。この間皇太子のクソガキと酒匂のジジイが脱走してからよ。レッドシェルター内の警備体制もきつくなっただろ。そんな簡単にアポイントなく外でれんのかよ」

「心配性ですねえ立華薫。事の流れに身を任せれば、意外と波は思ったように事を運んでくれるものです。その波に逆らわなければいいのですよ」

「意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ」

「兄さん、小言が多いと将来はげる」


 用意していたブラックホークに乗り込んだ佐伯。彼を追うように乗り込もうとして、薫は考え直し掛けていた足を下した。そうして病み上がりの紫苑の背中を押すようにしてブラックホークに乗り込ませる。


「おやおや、立華薫は、妹にずいぶん優しくなったものですねえ」

「……シスコン?」

「うるせえ」

「でも、おしり触ってる」

「うるせえ! とっとと乗れノロマ!」


 無理やり紫苑を押し込むようにして薫は彼女に次ぐ。薫がそのままブラックホークの扉を閉めると、佐伯は操縦士に話しかけているところだった。


「発進させてください。目的地はレッドシェルター内部、区画B-38です」

「お言葉ですが局長、その地点は、」

「ええ、承知していますよ」

「見聞ではありますが、これ以上あの施設に立ち入るのは、」

「構いません、向ってください」

「は、はい」


 どこか動揺している操縦士に佐伯は平坦な声音で指示する。

 平坦だったがどこか迫力のある声。それでいて、その顔に浮かんでいるのは満面の不敵な笑み。

 薫は、自分ですらその顔で見られれば平常心ではいられないと思った。佐伯は何を考えているのかさっぱり読み取れない男なのだ。


「監視の目をかいくぐるため迂回せねばなりません。目標地点までは6.9マイルほどです」

「時間はいくらでもありますよ。ゆっくり向かおうではないですか」

「あんま悠長にしてらんねえぞ」

「あまり急かすものでもありませんよ、立華薫。事は性急に進むものではありますが、それに便乗しては足を掬われますよ」

「何わけわかんねえこと言ってんだこのインテリ野郎」

「一成はすでにB-38区に出向いています。妃夢路も待機しているはずですね」


 ビジュアライザーで誰かと諸連絡をしながら佐伯が淡々と返してくる。


「今回もあのババァに使わせるつもりか? アレを」

「ババァとは失礼ですねえ。妃夢路はまだ26ですよ」

「答えになってねえよ。前回しくじった補佐の妃夢路に、またアレをさせるつもりなのかって聞いてんだ」

「そのつもりですよ。前回はレジスタンスリーダーの介入により、私たちの計画は破綻してしまいましたがね。今回は失敗が許されません」


 一切の躊躇のないその発言に薫は狂気にも似たものを見つける。まったく、相変わらずこの男の考えていることは計り知れない。

 この不気味で不敵な笑みの内側には。どんな卑劣で冷徹な鋭利な刃物のような残酷さが張り付いているのか。薫をそれを想像しただけで鳥肌が立った。


「……局長」

「なんですか?」

「後方に機影を確認しました。装甲ヘリです」

「ふむ。機体番号の解析を」

「B2周波数を用いていています。アルファ航空部隊です」


 伊集院省長の差し金だろうと佐伯は推察する。


「速攻で感づかれてんじゃねえか」

「まぁ、我々は以前から重監視対象にカテゴライズされていますからね。致し方ありませんねえ」

「機影は後方1.2マイルを追尾してきています。如何しますか」

「構いません。そのまま目的地に向かってください」

「いいのか? ばれちまうぞ」

「ええ構いませんよ。少なくとも省長は、我々が実際にアレを使わない限りは、手を出してこれませんですからね」

「いや、B-38区は立ち入り禁止区域だぞ。それも封鎖レベル高度の」

「そういえばそうでしたねえ」


 先ほどの鋭利な雰囲気から一変、佐伯は間抜けな面をした。

 

「面倒ですが迂回しましょう」

「索敵レーダーにはどう対応しますか」

「ECMを発動してください。先日、化学開発班ナノゲノミクスで開発した、例のジャミングコードはこの機体に搭載されているはずですよ」

「かしこまりました」

「一旦摩天楼区画に入り、高層建造物を遮蔽物にして敵影から逃れてください」

「右旋回します。衝撃に備えてください」


 操縦桿を握っている操縦士が機体を旋回させる。機体はそのまま、高層建造物帯へと飲み込まれていった。

 薫は視界が回転する中で視界の端に巨大な建造物を見受ける。巨大なサルベージ機のような、もっと歪な機械の塊。巨大な長い鎌首をもたげレッドシェルター外周区に鎮座しているそれは。


「明日で、すべて終わる?」


 それが薫たちの目的地。防衛省に仇なすものたちへの死の宣告だ。



 ◇



「佐伯局長の機体が旋回軌道に入りました。アルファ部隊の追尾を振り払うつもりのようです」

「そのまま追尾を続けろ」


 無人機を遠隔操縦している部下に指示をして伊集院は眉根を寄せる。

 もとより佐伯に関しては何か裏で企んでいるとは推測していた。このタイミングで何か行動に移すとは考えていなかったが……。

 

「特殊なECMが発生中! 索敵レーダーが機能していません!」

「佐伯の開発したジャミングコードだろう。肉眼で追尾しろ」

「高層建造物帯に侵入した模様です。この位置での追尾は危険かと」

「ならば一時追尾を中止だ。奴らの目的地にはおおよそ目途が立っているからな」

「デルタボルト、ですか?」

「十中八九そうだろう。陸上制圧部隊をデルタボルトに送り込め。アジン、ドゥヴァ遊撃部隊もだ。万が一に備え、ベータ、デルタ航空部隊の配備もしろ」

「それだけの兵力を投入するのですか?」

「佐伯相手だ。兵力不足はあっても過剰ということはあるまい。レジスタンス以上に手のかかる男だからな」

「了解いたしました。分隊アジン、ドゥヴァ、ベータ、デルタに告ぐ。各部隊から一個中隊の部隊編成を至急行え。デルタボルトへの出撃体制に移る」


 無線機でそう指示を飛ばすのを伺いながら、伊集院は無人機が送信してくる光景を見やる。高層建造物帯に飲み込まれたブラックホーク。その機影はもはやどこにも見当たらない。


「佐伯……いったい何を考えている」


 いやな胸騒ぎを感じながら伊集院は通信室を後にした。

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