2055年 10月19日(火)

第65話

 文化祭は予定通り着実に行われているようだった。近年リミテッドでは見なくなった華やいだ喧噪。学生たちが開催するその祭には、推測していた以上の一般客が押し寄せた。


「この数は想定外ね」

「最近の失踪事件がマスメディアで取り上げられた以上、この祭りに参加する一般客は少ないと思ってたが……これは俺たちの監視の目も薄まりかねねえ勢いだな」


 そんな光景に思わずと言った様子で和馬と真那が印象を口に出す。

 怒涛のように校門から押し寄せる人の波。たかが統合学院の学園祭にこれだけの数の来客があるものなのか。

 リミテッドは確かに衰退を続けているが自治体による定期的な町おこしや夏祭りといったイベントは欠かしていない。一般層がここまで来場するのは明らかにおかしい。


「まさか、アイドレーターの介入か? この会場で何か行動に出るために、目くらまし代わりに客を殺到させた?」

「いえ……というよりは、あれが原因ではないでしょうか」

「あれって、うちのゼミの出し物か?」


 ネイが見やる先。確かに一般層の半分近くが、時雨たちのゼミの出し物の場所に集まっている。すなわちC.C.Rionスタンドの場所に。


「一般層向けにC.C.Rionスタンドの公開ってしたか?」

「物事の根幹に直接的に関与しない民間人というものは、見聞に弱いものです。マスメディアによる世論操作に踊らされて、ということはよくありますからね。大方、スファナルージュ・コーポレーションのマスコットである凛音様の存在を嗅ぎ付けたのでしょう。マスメディアがそれを一般向けに公開した」

「ああ、そういえば今朝ワールドラインTVでうちのゼミのスタンド販売について取り上げられてたよ」


 同様にその人口密度を呆けたように見ていた紲がそう言った。しかし今更の話であるが、なぜここまでC.C.Rionは人気があるのか。

 確かにスファナルージュ・コーポレーションのネームバリューは甚大だ。レーションやC.C.Rionはリミテッドの生活基準を支えている。

 それにしてもこの人気の度合いは少々目を疑わずにはいられない。


「C.C.Rionが人気というよりは、凛音が人気なのか」

「おもに邪まな性犯罪者の目をした中年層のオヤジにね」

「この文化祭会場に来てる来客皆が皆、そんな人間ってことはないだろ」


 といいつつも確かに唯奈に発言は的を射ている。見回せば明智のような変人たちが無数に見て取れる。

 その圧倒的な人気の成果なのか、あるいは不運なことなのか。C.C.Rionスタンドは教室から進出し結局校舎外で販売されていた。屋内だと混雑するからだろうか。


「でもまあ今回ばかりは、そういう連中の気持ちもわからないではないわ」

「わかるのか」

「だってあのモフモフが直絞りしたC.C.Rionよ? 希少価値の塊じゃない」

「価値はともかくまあ希少ではあるわな」

「それにモフモフが直接スパークリングマシンにかけて完成させてるんだから。皆目の色を変えてしまうのも無理はないわ」

「直絞りはともかく、スパークリングマシンには手すら触れてないぞ」

「……まあ、私はそんなもの興味ないわけだけど」

「今更ごまかしても遅い」


 これが凛音の人気の度合いということか。彼女は基本的に分け隔てなく接することができる純真無垢な少女でもある。こういった人徳があるのも当然といったところか。


「C.C.しぼっちゃうぞ?」

「もっとなのでござる。凛音殿、もっと絞るのでござるっ」

「C.C.しぼっちゃうぞ?」

「もっと思いゆくままに、小生のC.C.Rionを絞りつくすでござる!」

「C.C.しぼっちゃうぞ?」

「……小生、生を実感したのでござる」

「ぬぁっ、いい加減うるさいのだぁ!」


 凛音の販売しているスタンドにしがみついている明智。あまりにもしつこかったためか我慢がならなくなったように凛音が発狂する。

 

「またあの男……粘着して」

「穏便に済ませておけよ」


 フルーツナイフを手に立ち上がった唯奈をなだめる。アイドレーターが行動を起こす前に殺人事件が起きかねない。


「柊、着信はいってるぞ」

「なによこんな時に……烏川時雨、アンタの端末にもよ」


 はっとしてネイの展開されているビジュアライザーを見やる。確かに着信が入っていた。

 

「無線か」

「皇棗ね。でも、二人同時に着信なんて」

「この周波数使うなんて珍しいな」

「何かあったのかもしんないわね……」


 唯奈と目配せをして物陰に移動する。何であれ棗からの連絡とあれば周囲の人間に聞かれるわけにはいかない。

 

「メイデイ! メイデイ!」

「なんだ……!?」


 無線をつないだ瞬間、船坂の怒涛にも似た遭難信号が響いた。


「こちら和馬、どうした?」


 それに和馬の声が応じる。


「アウターエリア第三駐屯地が狙われた!」

「――! ちょっと、それどういう意味!?」

「説明している時間はない! 今すぐそこから離脱しろ!」

「ブラックホークE03! 駆動部を損傷!」

「く――E03! 予備エンジンを稼働させろ! ムーブ!」

「予備も破壊されています! 高度を保てません!」

「くそッ!」

「こちらB07! 機関部を損傷しました! 墜落します!」


 怒涛のような指示とバックグラウンドで響く爆音。無数の爆弾頭がさく裂したような、そんな。いや違う、これはヘリが地上に落下した音だ。

 一瞬にして連鎖的に爆音が反響する。巨大な瓦礫が崩落する衝撃音も響いていた。


「くそっ! 操縦士! 右旋回しろ!」

「ナノマシンの侵攻に呑まれます! 上昇します!」

「!? 地上に機影を確認! 無人型A.A.だ! 数30以上!」

「RPGを確認しました! 回避します! ……くっ、レーザー誘導ミサイルです!」

「どけ! 俺が撃ち落とす!」


 炸裂する銃撃音。船坂がドアガンでミサイルを撃ち落としているのがわかる。


「エンジンをやられました!」

「各自降下用パラシュートを使え!」

「このままでは……墜落します!」

「いいか聞け! この駐屯地は壊滅した! その会場も狙われるかもしれない! すぐに――ッ! 総員! 離脱し――」


 彼の言葉をかき消すように最大級の爆音がとどろいた。その爆音も鼓膜を破壊したかと思われたその炸裂も、途絶える。

 無線が断絶していた。


「一体、何が、」

「まさか、嘘……」

「駐屯地が壊滅って、一体……」

「言葉どおりの意味。私たちの駐屯地が特定されたのよ」


 同様に無線を聞いていたのか真那が冷静にそう告げる。そんなことは分かっている。

 状況がうまく整理できていなかった。駐屯地とはアウターエリアに存在するデルタサイトを設置したレジスタンスの一時拠点だ。

 初めて時雨が出向いたレジスタンス保有の施設である自衛隊広報センター。あそこも駐屯地だった。あの場に関しては確か以前第一駐屯地であると聞かされていた。今の無線に於いて船坂が居た地点ではあるまい。


「それだけじゃない。今の無線を聞いた限り、もう駐屯地は完全に壊滅しているでしょうね」

「船坂は? 船坂はどうなったんだ」

「あの様子じゃ無事に離脱できたかは怪しいわね……それより、今はそんなことはなしてる場合じゃない」

「そんなことって……」


 あまりにも冷静な、いな冷徹な唯奈の言葉。


「船坂が死んだかも……しれないんだぞ」

「狼狽えないで。私たちは常に死と隣り合わせの場所で戦ってるのよ。船坂義弘だってその覚悟はあったはず。私たちはそれを気にしている余裕はないの」


 彼女のその発言に時雨は言葉に詰まる。

 

「問題なのは操縦士の発言ですね。私の聞き間違いでなければ、確かにナノマシンといったように聞こえましたが」

「ええ間違いはないわね。とにかく今は皇棗に連絡を取らないと」

「すでに繋いであるわ」

「各々、先ほどの船坂からの無線で、現状は把握しているな」


 無線音声が再び流れる。ビジュアライザーにはいつにない棗の深刻な顔が写っていた。


「皇、一体何がどうなってるんだ?」

「状況整理は後だ。まずは至急、合流する必要がある」

「文化祭の監視は?」

「凛音、及び和馬が残り継続して監視を続けろ。クレアもだ。烏川、聖、柊は峨朗と合流しろ」

「それはいいけどよ、だがここからそっちまで結構距離あんよ?」

「ヘリを用意しています、もうすぐ校舎に到着します! 皆様、屋上のヘリポートにて待機してください!」


 無線に介入してきたシエナの声。確かに本島のほうから一機のブラックホークが急接近してきていた。


「あ、センパイ、見つけましたよっ! さぁはやく、会場回りましょうよ~」

「悪いが今は時間ないんだ!」

「……あー! どこ行くんですかぁっ! あたしに超ロンリネスなフェスティバルを過ごさせるつもりですかっ!? センパイのケチ~!」


 月瑠を押しのけてそのまま屋上へと急ぐ。

 ヘリポートにはすでにブラックホークがランディングしていた。離着陸の時間的猶予もないのか機体は浮遊したままだったが。


「ランディングゾーン到着。皆様乗ってください!」

「こんな目立つ形でいいのか?」

「そんなことを気にしている余裕はない、ぐずぐずするな」


 ルーナスとシエナに引きずり込まれるようにして搭乗する。皆が乗ると同時、重厚なドアが幸正によって閉められた。


「合流いたしました」

「了解した。俺のほうも陸上遊撃部隊を編成完了した。これから装甲車両で向かわせる」

「皇。現場の状態はどうなっている」

「ソリッドグラフィで、イモーバブルゲート外の状態を確認しているところだ。少し待て」

「航空支援部隊の編成はどうすべきだ?」

「それに関しては東・昴が手配している」

「ね、ねえ、いい加減どうなってるのか説明してくれない?」

「申し訳ありません唯奈様。ですが今は、これを装備してください」


 矢継ぎ早に指示や命令が飛び交う中、シエナはアタッシュケースを渡してきた。それからいくつかのライフルケースを。

 中には真那や唯奈の銃火器、無数の弾丸が収められている。アタッシュケースには戦闘服の予備が詰め込まれていた。


「これから何が起きるかわかりません。いつでも戦闘に参戦できるよう着替えてください」

「解ったわ」


 シエナに指示され真那は躊躇なく制服のブレザーに手をかける。そうして素早く脱衣し素肌を露出させた。

 反射的に目をそらそうとしてそんなことをしている時ではないと判断する。


「アンタに肌見られるなんて屈辱、耐えらんないかも」

「あのな柊」

「解ってるわよ。でも一瞬でも見たら潰すから」


 何を潰すのかと確認する余裕もなく急いで戦闘服に着替えた。全員が着替えたのを確認して、操縦席にいるルーナスと幸正の傍からシエナがこっちへと向かってくる。


「できるだけ重武装でお願いします」

「一体どこに向かっているんだ?」


 ライフルケースから自動小銃アサルトライフルを一丁取り出しながら、疑念を口に出す。

 ケースにはこれ以外にもいくつもの銃火器が詰め込まれている。内壁にはRPGロケットランチャーも立てかけられていて。これまでの派遣任務とは違う武装の仕方だった。


「まず、突然このような状況になってしまったことお詫び申し上げます」

「それは仕方ないけど、私たち今何が起きてるのかさっぱり解ってないわよ」

「それは承知の上です。まず、現状を皆様に正確に把握していただく必要があります」

「壊滅した駐屯地というのはリミテッドじゃなくて、アウターエリアのあっちよね?」


 先ほど棗が旧東京タワーにいるのを確認できたから、それは間違いないはずだ。


「はい。第三駐屯地である会館施設です」

「さっき無線でナノマシンがどうのって聞こえた。まさか、ナノマシンの侵攻を受けて壊滅したわけ?」

「その通りだ。無数の無人兵器の襲撃もあったが、直接的な壊滅の原因はナノマシンだ」

「待って。確かにイモーバブルゲート外にあるから、高周波レーザーウォールに護られてはいないわ。でもあそこにはデルタサイトが設置されていたでしょう。どうしてナノマシンが発生したの?」


 ナノマシンの活動を抑制するデルタサイトがある限り、あの拠点はナノマシンに呑まれることはありえない。

 可能性としてはデルタサイトの電力が落ちたか、あるいは破壊されたか。もしくは――――。


「デルタサイトは関係ない。ナノテク弾頭が落とされた」


 言葉を失う。

 ナノテク弾頭、すなわちナノマシンを内蔵した弾頭。それが意味することはデルタボルトが使われたということに他ならない。


「本日明朝、無人の軍用車両とA.A.がレッドシェルターを通過したのを観測しました」

「それに気づいた私たちは、一個中隊を送った」

「レジスタンスの駐屯地に向けて、か?」


 銃火器の整備を念入りにしつつスファナルージュ兄妹の言葉に耳を傾ける。


「はい。どうやって正確な位置を特定されたのかもわかりません。ですが敵軍が駐屯地に向かっていることは明白でしたので」

「本拠地に向かったのは船坂副司令率いる航空部隊だ。目的は敵軍を撹乱することだったが、間に合わず敵勢力は本拠地に辿り着いてしまった」

「そして午前10時22分。レッドシェルター外周区、デルタボルトからプロジェクタイルが発射されました」


 10時22分。時間的にはあの無線のほんの数分前。


「迂闊だった。そもそも敵陣営の外側、すなわちアウターエリアに俺たちの拠点はある。そこにナノマシンの弾頭を撃ち込むことに防衛省が躊躇などするはずがない。……位置を特定されればその時点で狙撃されることは明白だった」

「もしかして……ナノマシン含有量はそのままで使われたの?」

「はい、被害の規模から鑑みますに……これまでとは違って、おそらく規定量である180グラムのまま、増減なく用いられました」

「でも、あの駐屯地は比較的イモーバブルゲートに近い位置にあるわ。最悪、その狙撃でイモーバブルゲートが破壊される可能性だってあったはず」

「その事実が、俺たちに隙を生み出していたわけだ」


 真那の言うとおり、それだけの含有量のナノマシンならばリミテッドにも被害を及ぼしかねない。何故、防衛省はそんな暴挙に及んだのか。


「……佐伯・J・ロバートソン」


 真那の呼び上げた名前。それを聞いて皆が眉根を寄せる。

 昴から聞かされていた話によると、佐伯やTRINITYの人間たちがおかしな行動に及んでいることが多かったとか。

 これまでのデルタボルト狙撃はすべて佐伯の企んだ計画かもしれないとまで言っていた。あの男ならやりかねない。


「ソリッドグラフィの照会が完了した。データを送信する」

「私の端末に表示します」


 シエナのビジュアライザー上に小型のソリッドグラフィのようなものが出現する。そのホログラム模型は一地点を拡大した。アウターエリア駐屯地だろう。


「ひどい光景……」

「完全に壊滅してるな」

「付近にブラックホークは確認できなかった。地上のA.A.や車両もすべて、ナノマシンの侵攻を受けて消滅している」

「生体反応もないのか?」

「現状、確認できていない」

「そんな……」


 本当に船坂はナノマシンに呑まれてしまったのか。本当に命を落としてしまったのか。こんなにも呆気なく弾頭は彼の命を奪ったというのか。


「デルタボルトが使われたことはもはや間違いないと言っていい」


 やはり棗は船坂の死を悼むことはしない。そんな時間的な猶予がないからだ。何故ならなさねばならぬことがあるから。


「君たちに新たな任務を与える」


 皆の意識が切り替わるのが解る。

 ブラックホークのフロントガラスの向こう側に高層建造物帯が広がっていた。

 リミテッド内部でももっとも技術の進んだ区画。レッドシェルター。高周波レーザーウォールに囲われた絶対不可侵の領域。

 その外周区には、僅かにウォールをまたぐ形で身を乗り出す奇々怪々な施設がそびえている。まがまがしい機械が聳え立つ。人の命をあっけなく貪り食らう怪物の爪牙。


「これよりデルタボルトへと潜入しそのコアを破壊。狙撃手を……殺害しろ」


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