2055年 10月18日(月)

第63話

「センっパーイ!」


 休日明け月曜日。やかましい喧騒が廊下を走って近づいてきた。


「霧隠……自分の教室に戻れ」

「出会い頭にそれは連れないっすよぉ。今日は授業ないじゃないですか。だからあたし、自分の教室にいなければならない義務はないんですよ」


 得意げに彼女は胸を張る。まあ確かに月瑠の言葉はあながち間違っていない。今は件の文化祭の準備期間だとかで授業が免除されているのだ。

 

「その準備期間も、今日で終わりなわけですがね」

「まったくだな……本来なら、文化祭なんて参加しない予定だったのに」


 すでに日付は十月の中盤を超えて、文化祭当日の十九日は明日に差し迫っていた。

 当初の予定ではこの時期にはすでにアイドレーター局員を特定していたはずだったのに。そしてこの学生生活ともおさらばしていたはずだったのだが。事はそう円滑には進んでくれなかった。

 前回、葛葉美鈴の自室から女子学生の遺体が見つかって以来、情報という情報が何も入らなかったのである。監視対象は特別怪しい行動に出るわけでもなく、葛葉美鈴に関してはいまだに消息すらつかめていない。


「そんなこと言って、実はセンパイも楽しみだったんですよね。ええ、分かります」

「何を根拠に言ってんだか」


 正直文化祭という学校内でもまつりごとには興味がなかったが。だが今目の前で喚いている人物のせいで、日付を覚えてしまった。


「いよいよ明日なんですからね、ジャパニーズカルチャーフェスティバル。あたし、もうすでに楽しみすぎて胸が超ビーティングなんすよ」

「毎日のようにカルチャーフェスティバルまでの日数をカウントダウンして……何がそんな楽しみなんだ」

「楽しみに決まってるじゃないですか! だってジャパニーズなんすよ? カルチャーなんすよ? ジャパニーズカルチャーといえば、ジャパニーズニンジャ、常識です」

「お前の常識は非常識だ」

「何であれ、あたしがこの高校に入学したのも、それが目的だったといっても過言ではありません。あたしがここにいる意味、それこそがカルチャーフェスティバル。いえむしろ、あたしの存在意義なんです、このフェスティバルは」


 時雨の発言を無視して、何やら力説する月瑠。正直どうでもよかった。


「って、こんなことを話しに来たわけじゃないんですよ」

「何か別の用事でもあるのか?」

「はい、一応念のため、センパイがおぼえているか確認に来たんです」

「確認? なんのだ?」

「どうせそんな反応が返ってくると思ってました。当日、明日の予定に関してです。忘れてませんよね? センパイ。明日はあたしと回るって約束」

「すまん、忘れた」

「やっぱり、ひっどいっすよセンパイ!」


 ぼこぼこ胸元を殴打してくる月瑠。実を言えばそんな約束をしたことは覚えている。とは言えそれに応じるわけにも行かない。


「あんなもの単なる口約束だろ」

「うわ、これは最低ですね。ゴミですね」

「約束を反故にするなんて、ジャパニーズニンジャの風上にも置けないです」

「忍者じゃないから無効だな」

「センパイ、嘘はえたひにん街道の始まりっすよ。それに、ジャパニーズニンジャにとって、約束を破ることは何よりも罪深い行いです。それを破ったら、HARAKIRIするというのが相場で決まってるんす」


 何時代だ。


「いいですかセンパイ。ジャパニーズニンジャ業界では何よりも信用と信頼、これが重要なんです。信頼を失ってはエンプロイヤーは離れていきます。信用は大事です。売上げを上げるだけでなく模範になることもできます。つまり、信用は市場経済の運営の最も重要な条件なんすよ」


 お前は忍者の会社でも立ち上げるつもりなのか。


「そんな簡単に立ち上げられませんよ。『信なくば立たず』。これは、あたしが最も尊敬しているジャパニーズの言葉っす」

「孔子の言葉ですね。ちなみにジャパニーズではなく、宋の人間です」

「…………」


 揚げ足を取られて月瑠は気まずそうに眼をそらす。

 

「と、とにかくですね、センパイもオオカミ少年は知ってますよね? 最後には狼に食べられてしまうんです。超ミステリティっすね。センパイもそのオオカミ少年みたいに食べられたくなかったら、明日はあたしと行動を共にしてください」

「狼なんかどこにいるんだ」

「えっと……凛音センパイ。その時は烏川センパイを食べてください」

「シグレは食べられないのだ」

「実はここだけの話、烏川センパイの体内には、肉まんが無限に存在しててですね」

「おい自称ジャパニーズニンジャ社長、自分で嘘ついてるじゃないか」

「すべては秘書の責任です。HARAKIRIは秘書がやってくれるんですよ」

「なぁなぁシグレ、本当なのか? シグパイマンなのか? がるるるるる」


 がぷりと二の腕に凛音の犬歯が突き立つ。地味に痛い。それにしてもとてつもないほどに中身のない会話だった。

 

「なんだろうな、この二人と話してると疲労感が半端ない」

「アンタも大変そうね」


 同情したような目で唯奈が時雨のことを見ていた。だがそんな視線とは裏腹に、どこか羨ましそうな様子を見てとれる。腕にかみつく凛音を見ているのを見れば動機は明白だったが。


「それでは、明日のスケジュールに関してですが……」


 教室の前のほうでは風間泉澄が進行を務めていた。すでにゼミの出し物の準備は整っているようで。そもそも何の出し物なのかも時雨は把握していなかったが。


「俺たち、何販売するんだったか」

「C.C.Rionのスタンド販売よ」

「リオンがオレンジをモミモミするのだ」

「そのオレンジがうらやま……私は馬鹿か」


 そういえばそうだった。なにやら自答自問からの自嘲を繰り返している人物がいるが。

 実際にそのスタンド販売で使う柑橘系果実の調達には、時雨と紲が出向いたのである。


「それで、当日つかう果実に関しては、」

「ああ、それならシエナ理事のほうから連絡があったよ。明日開始前に直送してくれるって」

「仕入数はどれくらいになっていますか? 不足していれば僕のほうのコネクトでどうにか処置を図りますが」

 

 絆と伊澄が会話に参加してくる。

 

「港区の栽培工場のオレンジが30キロ分、檸檬が15キロ分あるみたいです」

「それくらいあれば足りますね……それでは皆さん、会場設営に取り掛かりましょう」

「当日は結局どこでスタンド販売をするの? 中庭は確保できなかった?」

「申し訳ありません紲さん……中庭は激戦区ですので、獲得できませんでした。明日、当日はこの教室での販売になると思います」


 泉澄はどこか毅然たる面持ちで申し訳なさそうに頭を下げる。

 今の紲の様子を見る限り、そこまで精神的にまいっている様子はない。いやその様子は見てとれないだけだ。

 実際のところはきっとかなり精神的にまいっていることだろう。臆面には出さず、きっと心の内側に言い知れない切望を抱えているはずだ。

 彼女が失ったものはただの一般人に過ぎない彼女にはあまりにも大きすぎた。紲の母親の存在に関しては何も知らないが、その話が出てきていないところを鑑みればもともと片親だった可能性もある。

 そんな状態から父親と弟を失った彼女は事実上の孤独になったわけだ。まいっていないわけがない。

 それらもすべてレジスタンスの行動の結果だ。副次的被害セカンダリーダメージ。副次的というにはあまりにも痛すぎる損失。彼女を孤独にしたのはまぎれもなく時雨なのだ。


「烏川くん? ねえ、烏川くんってば」

「すまない、なんだ」


 自己嫌悪、悔恨。そういったものに苛まされていると紲の呼びかけによって意識を切り替えさせられた。

 

「なんだ、じゃないよ。明日の烏川くんの役割なんだけど」

「俺にも役目あるのか。気が乗らないが……」

「当然でしょ? 皆でやってこその文化祭なんだから」

「え~、センパイ経営側なんですか」

「何故にお前が不服そうなんだ」

「だってそれじゃあ、センパイと会場回れないじゃないですかぁ」

「だから回るつもりはないと……俺の役割というのは?」

「え? あんなに嫌そうにしてたのに」

「人格が現れる取捨選択ですね」


 先輩酷いっすと吐き捨て膨れ面をする月瑠だったがとはいってもこればっかりは譲れない。

 文化祭はスファナルージュ第三統合学院における最大規模のイベントだ。当然校外からの一般参加枠も設けられており、当日はかなりの人間が集まる。

 危惧しているのはそこだ。人で混雑すれば監視も散漫になってしまう。アイドレーターが何か行動に出るのはそのタイミングである可能性が高い。


「烏川くんは当日の販売係とかは嫌かなって思ったから、設営側に回ってもらったけど……大丈夫?」

「それは問題ないが……具体的には?」

「教室自体の設営はほかの人たちで事足りるから、烏川くんには他のことをしてもらうつもり。というか……してもらわないといけないって言うか」

「どういう意味だ?」

「この学校の理事であるシエナ・スファナルージュさんの指示なんです。どうにも今回のオレンジやレモンの調達の代わりとして、校舎内設備の点検をしてほしいとのことでして」


 紲の言葉を片耳に挟んでいたのか泉澄が介入してくる。


「校舎内設備の点検? それ、俺たちの出し物に関係あるのか?」

「関係はないと思います。多分、雑用みたいなものですね」


 泉澄は苦笑いをしながら、どこか申し訳なさそうにそう言った。


「それはいいが、その点検に俺が選ばれたのは……シエナの指名か?」

「はい。そういうことになっています」


 彼女たちに不信がられない程度に眉根を寄せる。あのシエナが無意味な指名などしてくるはずがない。ましてや雑用だなんて何か考えがあるのだと疑ってよさそうだ。


「その点検というのは、どの設備をなんだ?」

「二か所あります。まず屋上の貯水槽です。それから地下のセキュリティゲート? らしいです」

「セキュリティゲート? あの閉ざされた扉のことか」


 少し考えてその正体にたどり着く。この学校に潜入した当日、時雨と凛音は授業をさぼって校内の点検をした。

 屋上で月瑠と遭遇する直前に、この学校の地下に通ずる通路を見つけたのである。だがその通路には高度なセキュリティの掛けられた扉が存在していた。


「例の防衛省が設置したというものですね。確かシエナ様の仰ることでは、この校舎が建設される以前から、台場公園の地下に存在していたとか」

「風間、そのセキュリティゲートをどうしろと?」

「詳細は聞かされていませんが……どうやら、セキュリティに綻びがないか点検してほしいそうです」


 シエナのことだ。明日の学園祭当日にアイドレーターの襲撃などが生ずる可能性を危惧し、万全な状態を保とうと考えているのだろう。

 

「屋上の貯水槽に関しては?」

「それに関しては、屋上についてから説明させていただきますね」

「風間も同行するのか?」

「あ、ご迷惑でしたでしょうか……」

「いや、構わない」


 シエナが直接時雨に通さなかった理由。それはおそらく時雨の行動を他学生に不信に思わせないためだ。

 時雨はもとより目立って変な噂も立っている存在である。シエナの雑用での点検となれば不信がられることも少なくなるだろう。

 そしてそのシエナが委員長である泉澄を介して時雨に指示を出した。これはあくまでも一学生としての雑用で点検をしているようにふるまえ、という指示に他ならない。

 それに風間泉澄に対する疑惑も晴れたわけではない。行動を共にすることで彼女のことを探る機会もありそうだ。

 

「…………」


 唯奈に目配せをすると彼女は無言で小さく頷いた。行って来いという意思表明だろう。

 


「ここも、久々な気がするな」

「烏川さんは、ここには来たことがあるのですか?」


 数日ぶりに出た屋上で泉澄が不審そうに問うてくる。まあそれもそうだろう。この屋上には地下のゲートほどではないにせよ高度のセキュリティが掛けられている。

 結局月瑠がどうやってここに入っているのかもいまだに謎のままで。

 

「シエナに頼まれて、定期的にこの貯水槽の点検をしているんだ」

「なるほど、そういうことでしたか」

「で、この貯水槽をどう点検しろと?」

「シエナ理事さんの話によりますと、最近、この貯水槽の調子が悪いようでして。汲み上げポンプが過剰に動作してしまっているとかで。同行しておいてなんですが、僕はこういった機械に関する知識がなくて……烏川さん、普段この貯水槽の点検をしているということでしたが、症状について説明していただけませんか」


 その泉澄の発言に思わず言葉に詰まる。そんなこと聞かれても答えられるわけがない。そもそも点検係なんてしていないし貯水槽の知識なんて皆無なのだ。

 そもそもなんでこんな質問をするのか。時雨のウソを暴くための発言か。だがそれにしては泉澄は反応を注意深くうかがう様子もない。


「何故気になるんだ?」

「ちょっとした知的好奇心でして」


 至極冷静な返答であったが時雨の反応を窺っている様子も見て取れる。

 それが不審な噂の吹聴されている烏川時雨という人間を疑ってのものなのか、レジスタンスの人間としての烏川時雨を疑ってのものなのかは定かではなかったが。

 

「仕方ないですね。私がこの貯水槽について説明いたします。時雨様は黙って復唱してください」

「ああ頼む」

「? 僕は今、何を頼まれたのでしょうか」

「いやなんでもない気にするな……まあで、この貯水槽はどうやら特殊なタイプらしい。正確には、これは給水タンクじゃないんだ。循環制御器と言って台場の地下ダムの水を汲み上げて供給するためのものなんだ」

「台場の地下ダムですか? ということは、この校舎内だけで循環する水ではないということですか?」

「あー確かそうだったはずだ。一番高台にあるこの校舎が台場全体の水道のポンプを担ってる。それでこの循環制御機が台場各地に水を供給しているらしい」

「でも、どうしてそんな機構になっているのですか?」

「直接地下ダムから水を組み上げるため、ダムの水が枯渇しない限りは無限に供給できるからです。ここに循環制御機が設置されている理由ですが。水道が機能しなくなった場合に備え、このキャンパスがおそらく避難場所にされているからでしょう」

「……このキャンパスが台場の避難場所だかららしい。まあそういうことなんだ」

「それは興味深い話ですね」


 口調の抑揚はさながらその瞳も爛々と輝いている。本当に興味津々といった様子だ。あながち知的好奇心という話も間違ってはいないのかもしれない。何か裏はありそうだが。


「ですがその話を聞く限り、この循環制御機が故障したら大変なことになりそうですね」


 少し考えてから泉澄はそう切り出す。その疑問は身に覚えがあった。時雨もまた同じ疑念をこの話を聞いたときに抱いたものだ。


「給水が止まったら台場全体が水不足になるな。それにこの汲み上げポンプが故障して制御が効かなくなったら、文字通り、循環してる水が一気にここからあふれ出すわけだ」

「私が復唱しろと申し上げたわけではありますが。時雨様が得意顔で知識をひけらかすのは、なぜかムカつきますね」

「理不尽すぎる」

「それはとても恐ろしいですね……」


 おののいた様子で泉澄は体を軽く抱きすくめるような仕草をする。


「具体的にどう故障したらそういう現象が起きるのですか?」

「おそらくは強化資材を使っているでしょうが、設置型のリモート爆弾で容易に破壊できるでしょう」

「……さ、さぁ、それはわからないかな」


 さすがにネイの言うような武器を扱った解説はできずはぐらかす。


「じゃまあ点検するか」

「故障しているのはその汲み上げポンプという話でしたね」

「故障、ねえ」


 正直この屋上の貯水槽が故障したと聞かされた時点で、とある疑念を抱いていた。

 そんなにも重要な役割を担う貯水槽なのだ。となればそう簡単に故障などするはずがない。それも万が一の場合、水害が起こりかねない汲み上げポンプの故障。何よりこの文化祭直前という時期であるのが気になる。

 何者かの手によって人為的にポンプが破壊された、という可能性はないだろうか。


「その可能性があるとすれば……犯人は明白ですね」


 思考を読んだようにネイがほくそ笑む。実際彼女も同じ疑念を抱いていたのかもしれない。

 もし人為的な工作であるというのならば、それが可能な人物は限られる。なぜならこの屋上は頑丈なセキュリティによって隔離されているのだから。

 この場所に足を踏み入れられる人物を時雨はごくわずかしか知らない。考えたくはないが普段からこの屋上で暇を過ごしている彼女。

 月瑠しか考えられなかった。


「しかし、これを故障させるメリットなんてあるのかね」


 泉澄に聞かれない程度の声でネイに問いかける。


「いくつかその目的に推測はつきますが、どれも有力とは言い難いですね。もし月瑠様がアイドレーター局員だとしても、これを破壊する意味は測りかねます」

「霧隠はあまり疑いたくないんだがな」

「なんですか時雨様、個人に対して感情移入はしてはならないと散々豪語しておきながら……これは時雨様の心が浮ついていると、真那様に報告するしかありませんね」

「一応友人なんだ、仕方ないだろ」

「しかし、実際月瑠様がこの屋上にいつもいることは事実です。なぜこの屋上なのか。秋も深まり肌寒い季節にです。何か意図があると踏んで間違いはないのではないですか?」

「この屋上にいるのは、ジャパニーズニンジャがどうとか、そういうくだらない理由だろ」

「やけに月瑠様の肩を持ちますね……まあ別にかまいませんが」


 いたずらげな表情でネイが循環制御機の点検を始める。何であれ、故障しているのならば直さなければならない。


「あの……烏川さん」

「なんだ?」

「霧隠月瑠さんは、この屋上にいつもいらっしゃるのですか?」


 どうやら会話は聞こえてしまっていたらしい。きっと時雨は独り言をぶつぶつつぶやく変人だと思われていることだろう。


「ああまあ、いつもここにいるな」

「いつもですか。ここで何をされているのですか?」

「授業さぼって、基本的にはこの循環制御機の上でぼーっとしてるな」

「そうですか」


 泉澄はとたんに興味を失ったように質問をやめる。なぜ月瑠の話に興味を持ったのかは知らないが。点検役でもない彼女が自由に屋上に出ていることを不審に思ったのかもしれない。


「それにしても、この屋上、なかなか風情のある場所ですね」


 循環制御機に片手を当て身を預けながら、伊澄は屋上から見える世界に没頭していた。

 そよ風にショートヘアを揺らしどこか優しげな表情で世界を俯瞰する少女の姿はどこか浮世離れしていて。


「何がだ?」

「この位置からは、台場だけでなくリミテッド本島も一望できますので。この街の発展を垣間見ているように思えます。それに、位置を変えればいろいろな教室を窓を通して見渡せますね。僕もたまにはここに来ようかな。学級委員長として外側から自分のゼミを見つめ直すいい機会かもしれませんし」


 実際に以前、教室にいた時雨はこの位置から月瑠にたくあん入りのおにぎりを投擲されたことがある。間一髪着弾は防げたが。死角にはなっていないことだろう。

 実際に、いま時雨がいる位置からでも窓際に立つ紲の姿が見えた。その紲の脇では月瑠が凛音と戯れている。どうやら凛音のフードを脱がそうと躍起になっているようだ。

 何となしに俯瞰していたが、ふと泉澄の発言の真意に行き当たる。月瑠はただここで放心していたわけではない。彼女は常に時雨たちのいる教室を俯瞰できる位置に陣取っていた。その目的は……。

 思考によぎる月瑠の横顔。その瞳に映る感情は読み取りえないが、何となく冷徹な何かを宿していたかのように思えた。


「時雨様、点検は終了しました。次に行きましょう」

「整備はいいのか?」

「はい、問題ありません」


 ネイに促されるようにして屋上を後にする。


「そういえば遅くなりましたが……烏川さん、ありがとうございました」


 階段と踊り場を何回か経由した辺りで、不意に泉澄がそんなことを切り出してくる。


「以前、お願いしていた設計図の件です。C.C.Rion花火の」

「ああ。そういえばそんな話あったな」


 記憶の奥底から引っ張り出す。

 以前、C.C.Rionスタンドの果実調達の件でシエナに会いに行った。その時、泉澄に頼まれてとある花火の設計図のデータをシエナに渡すよう頼まれたのだ。


「結局全部紲に任せたけどな」

「いえ、烏川さんにも感謝しています。おかげで花火の制作が完了したようです」

「あの複雑な設計図を……流石スファナルージュ・コーポレーションの技術力は伊達じゃないな」


 あまり製作期間はなかったはずだが。


「実は、花火が爆発する瞬間のデモ映像を頂いていまして」

「デモ?」

「はい、事前に試射実験をしたみたいです。それで、これなんですが」


 彼女はそういって少し近寄ってくる。隣に並び立ちビジュアライザーを展開した。

 ホログラムウィンドウが出現し動画のようなものが流れる。ウィンドウの中で、打ち上げ花火特有の光の尾を引いて上っていく花火。それは上空で突如はじけ飛んだ。かなりの爆音が轟き驚いて反射的に耳をふさぐ。


「通常の爆発システムではなく、爆弾の原理を使ったので……かなり迫力がありますよね」

「確かに……」


 ウィンドウの中にはピンク色の花が咲いていた。いやこれを花と呼んでいいのかは甚だ疑問だが。空に描かれているモノはC.C.Rionを握った凛音の姿。


「こんなくっきり描かれるものなのか」

「理事さんのおかげです。僕だけじゃこんな素晴らしいもの作れませんでしたから」

「うまく打ちあがるといいな」

 

 正直花火の柄が凛音だとかシュール以外の何物でもないが、あえていすみの努力を無碍にする必要もないため黙秘する。設計した本人が喜んでいるのであればいいだろう。

「はい。いろいろと物騒な時代ですから……凛音さんの笑顔で皆さんの心の疲労や不安も癒されればいいですね」


 嬉しそうに泉澄は笑みを見せる。そういうところは年相応な女子学生らしい姿だった。

 そんな笑顔を見せられると、どうにも泉澄に対する疑念を払拭させられかける。だがこれもすべて演技の可能性だってあるのだ。油断など一切できない。


「あ、あそこですね」


 そんなことを話しているうちに目的地である地下への扉へと赴いた。


「ここが例のセキュリティゲートか。ここも点検か」

「えっと、はいそうです、点検をするよう指示をいただきました。セキュリティに綻びがないかどうかの点検、らしいです」

「こっちも故障してるのか?」

「いえ、定期的な点検のようです。明日は大規模なイベントなので、管理体制も行き届かなくなるから、とか」

「まあ点検すればいいのか」

「はい、ですが、僕たちではこんな大きなセキュリティゲート、点検しようがないですよね」


 困ったように泉澄は苦笑しながらそう言った。まあそう考えるのも当然だ。

 この扉にかけられているセキュリティのレベルは確か5。当然民間人がアクセスできるレベルではない。


「あー、一応点検用のコードはシエナからもらってるんだ」

「そうなのですか?」

「ああ、だからまあ点検は可能だ」


 苦し紛れの説明だったが泉澄の納得は勝ち得たようだ。ネイに目配せをしてセキュリティに綻びがないかの点検を始めた。


「当然といえば当然ですが、綻びは見受けられませんでした」

「ま、だよな」

「スファナルージュが管轄するセキュリティゲートならともかく、これは防衛省が設置したものですので。自動的にバグを修復する機能も備えられています。故障なんて、滅多に起きるものでもないですね」

「まあ、何もおかしなところはなかったみたいだ、風間」

「そうですか。それでは教室に戻りましょうか」


 先行する泉澄の背中を追いながらネイのことを見やる。そうして小声で問いかけた。


「実際に、あの扉の向こうには何があるんだろうな」

「皆目見当もつきませんね。まあですが、確かめようと思えば不可能ではありませんが。ですが校舎内ではアナライザーを極力使わないほうが得策ですね」

「開けるとすれば、ほかに手段はないのか?」

「あるにはあります。セキュリティ異常が発生した際に、アクセス権限関係なく、セキュリティを解除する方法ですが」

「そんな物があるのか」

「はい、もちろん痕跡が残ってしまうのでおすすめはしませんが。というかあまりここを開けようとすることもおすすめしません。ちなみにコードは『ahfks97skn』です。下位アクセス権限でも、これを入力すれば解除できます」

「お勧めしないとか言っておきながら、教えるか? 普通」

「私も扉の向こう側には興味がありますので」


 不敵な笑みを携えネイは対岸の火事だと笑う。時雨が勝手にゲートを開けて問題に発展する分には自分は無関係ですのでどうぞということだ。

 しかしネイはすぐにその表情を改めた。どことなく真面目な、そんな。


「それにしても時雨様。少々不可解なことが」

「なんだ?」

「先ほどの屋上にあった循環制御機に関してなのですが、正常でした。どこも故障してはいませんでした」

「汲み上げポンプが故障してるとシエナが」

「いえ間違いなく故障していません。正常に稼働していました」


 どういうことだ。ひとりでに直ったということはあるまい。


「破壊した人物が、直したということか?」

「考えにくくはありますが、ありえないとは言い切れませんね。あるいは――――」


 そこでネイは言葉を切る。まだ言うべきではないと判断したのか。もしくは違う理由からなのか。

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