第62話

 男子寮に辿り着く。のちに唯奈たちとも合流する予定であるため真那とともにそのまま時雨の部屋へと向かった。


「おかえりなさいなのです、時雨さ――――!?」


 時雨が担いでいる凛音を見て扉を半開きにしたクレアが固まる。


「り、凛音さん……?」

「強烈な臭いで気を失ってしまっただけだ」

「臭いですか……?」

「ああちょっとな。悪いが凛音の看病してくれ」


 さすがに先ほど見た凄惨な光景をクレアに事細やかに解説するわけにもいかない。レジスタンスに所属しているとはいえクレアはまだ十三歳なのだから。


「この作品に登場するキャラクターは、皆18歳以上なので」

「それはもういい」

「失礼いたしました。全年齢版なので合法でしたね。セロレーティングZ指定レベルであるあの惨状を、十四歳の凛音様が垣間見ることが合法であるのかは、断言できかねますが」


 そんなネイの発言は聞き流しベッドに深く腰を沈める。今日の調査でめぼしい点と言えば死体の発見くらいだが、どっと疲れが出てきたのだ。

 

「ベッドが汚れるわ」

「ああ……」


 どうやら衣服に血が付着してしまっていたようである。既に乾いていた血であるから洗えば取れそうではあるが。べっとりと染みついたその死の臭いは簡単には洗い流せそうにない。


「私の制服にも付いてしまってるわね」

「これはあれですね。『こんな汚らわしいもの付いたままでいられるか! 俺は行くぞ! 括弧かっこバスルームに括弧閉じ』『待ちなさい! 私だってこんな姿でいられないわ! 私が先よ!』『いや俺だ!』『私よ!』『じゃあ間を取って二人で入るってのはどうだ』『名案ね』と言う、死亡フラグから始まる役得的、混浴シチュエーションが期待できそうです」

「期待するな」

「私は構わないけれど」

「構えよ」


 平気でブレザーを脱ごうとする真那を止める。まったく真那はどうしてこういうところで警戒心がないのか。貞操観念はどうなっているのか。


「時雨様、少し目に入れていただきたいものが」


 ビジュアライザーから据え置き端末に移動したネイ。彼女はそのホログラム画面に何やら映像を出現させる。どうやらワールラインTVではないリミテッド内で最大の報道チャンネルであるようだ。

 そこには何やら見慣れた建物が映し出されている。見紛うことなどない、スファナルージュ第三統合学院だ。


「どうやら失踪事件が校外に漏れたようですね」

「ついにこの時が来たか……」

「いくらスファナルージュの力でも情報を抑制するのには限界があるわ。ただのデータなら難しくはない。でも今回の事件では、学生たちの心も大きく揺すられているでしょうしね」


 情報の漏えいは時間の問題だった。

 ニュースでは大きく失踪事件について取り上げられている。失踪した学生の人数、失踪した日時。細かい情報までマスメディアにはリークされているようである。


「この事件が収まるまで別の場所に引っ越す学生が続出しているようですね」

「当然といえば当然ね。この学校の安全性なんて狼の群れの中に、羊を入れたケージを扉をあけた状態で放り込むようなものだもの。生き延びるためには、羊は扉を閉めるという、従来ではできなかったことをする発想を得なければいけない……」


 あまり感情的ではない表情で真那はそう語る。

 彼女が言う従来の発想とは、すなわち防衛省の手の内で生活するということだ。この状況を変えるためには真実を求めなければならない。


「これ以上問題が表面化する前に、全部解決しないとな」

「あくまでも私たちの目的はアイドレーター局員の特定。でも、その中途にこの失踪事件が立ち塞がるなら……解決するのもやぶさかではないわ」


 真那は相変わらずの無表情でそう呟く。そんな中で、なんとなく真那の中に決意らしきものを見つけた。

 彼女は正義感が強い。時に辛辣なところがあるが、それでも真那はリミテッドのために戦っている。

 新たな情報が入ってきていないかとテレビを見やる。


「さあ今回レポートするのは、最近発掘された港区住宅街辺境のラーメン屋。一見普通のたたずまいですが、その反面、ここで作られる豚骨スープは絶品の一言! 豚骨と太麺の合わせ技は簡単には模倣できない独特な────」


 液晶にはニュースキャスターではなくラーメンが映っていた。


「ま、間違ってチャンネルを変えてしまっただけなのです……」


 ゆっくりと振り返ってジト目を向けるとリモコンを持ったクレアが目を逸らす。こんな時に限って緊迫感のない少女だった。

 することもなく無言でその食レポを眺めていた。真那の後にシャワーを浴び四、五十分してその番組も終わる。

 時間を潰そうとして番組表を見るもほとんどがニュース番組で埋まっている。どうせその番組の殆どが、織寧重工グループ銃口本社の陥落や台場メガフロートにノヴァが出現した話題で持ちきりなのだろう。

 先日の身寄りの無いものたちが収監されていた中小工場の施設においても出現はしたものの、幸いあの時は民間人の目には触れなかった。だが今回は完全に衆目に晒されたわけで。

 マスメディアがそれを取り上げないわけがない以上、こうして臣民たちの知識として拡散されるのは時間の問題だったわけだ。


「まああんなニュース、見るだけ無駄ね」


 特にめぼしいものがないことが解った真那は液晶の電源をオフにした。


「あんなものは世論操作。聴衆の意思を操作するものでしかないもの。必ずしも情報は与えられることがいいとは限らないの。知らない方がいいこともある。知らなければ、のちのち後悔することもないから」

「後悔にまみれまくってるレジスタンスのいうことじゃないな」

「なんであれ今私たちがすべきことは一つね。動くべき時を正確に見極めて、それを逃さぬように行動する。それが、犯人を捕縛する上で最も大切なこと」

「悠長過ぎると思わなくもないが、実際そうだな」


 せかす感情が胸の奥から湧き出してくるのを感じながらも、ゆっくりと体をベッドに沈めた。いろいろなことが重なりすぎて疲労が蓄積しているようだった。


「そう言えば、和馬翔陽から聞いたのだけれど……」

「ん?」

「今朝、私の夢を見ていたというのは本当?」

「へぁ?」


 突拍子もないその問いに思わず頓狂な声が出る。


「……和馬の奴」

「それで本当なの?」

「まあ本当といえば、本当だな」

「情けなく、女々しく私の名前を呼んでいたという話だけれど」

「自分の寝言なんて聞けやしないから何とも言えないが、そう言っていたなら確かなんじゃないか」

「そう」


 彼女は特に感慨もなく端的にそう答えた。

 しばらく時雨と彼女の間に沈黙が流れる。あまり心地のいい静寂ではない。お互いの腹の内を探り合うような、そんな。


「ぇ、うぇぇ」


 そんな空気に耐えられなかったのかクレアが困ったように情けない声を出す。

 

「私も、時折夢を見るわ」

「夢見ない方が珍しいだろ。人間は夢を見て一日の情報を整理するみたいだからな」

「あなたの夢よ」


 思わず押し黙る。なんと返すべきか判断しかねた。


「時雨様のUMN細胞数値が上昇中……ってそうでもないですね。万年発情期の時雨様がどうしたのですか。興奮の仕方を忘れてしまったのですか? 歩く自主規制の時雨様が」

「具体的にどういう夢なんだ?」

「不思議な夢ね。まったく知らないのに、どこかで知っているかのような、そんな夢」

「…………」

「私の記憶の中に、私が経験した世界に、あなたと言う不安定な要素が紛れ込んでいるの。あなたがそこにいるはずがないのに。私の記憶にはないあなたと言う存在。その行動が夢の中の私の記憶を色づかせてる」

「不思議なことも、あったもんだな」


 記憶にはない時雨の存在。やはりこの真那には時雨の記憶は存在していないようだ。だが記憶喪失と言う感じでもない。


「毎日、あなたの夢ばかり見る……いえ、あなたがいないはずの記憶にあなたが出てくるの。ネットで調べたら不明確だけれど合致する症状があったわ。これって、恋なのかしら」

「まあまず違うと思うが……俺に聞くな」

「恋ですね」

「おい変なこと吹き込むな」

「恋です。統計学的に見て間違いなく」

「そう」


 真那は特に感慨もなくそう答えた。この反応を見てもそれは間違いなく恋愛感情ではあるまい。

 しかし彼女の見る夢の内容はなかなかに興味深い。彼女がいかなる夢を見ているのかは知らないが、その状況は時雨の記憶に重複する気がする。


「時雨、少し聞いてもいい?」

「答えられるかどうかは、まあ質問によるが」

「あなたの過去について教えてほしい」

「過去か……それはこっちのセリフなんだが」

「あなたの?」

「ああいや……何でもない」


 さすがに面と向かって、『君は俺の知ってる真那なのか』なんて聞けない。頭がおかしいと思われて終わりだ。


「で、具体的に何を教えてほしいって?」

「あなたはA.A.輸送作戦の時、倉嶋禍殃を見てこういったわ。『俺はもともと孤児だったんだが、その孤児院・救済自衛寮の院長だった聖……自衛隊員と禍殃は関係があって、よく自衛寮に出向いてきていたんだ』、って」

「よくもまあ、そこまで一言一句覚えてるもんだな」


 勿論言った記憶がある。当時防衛省その化学開発ナノゲノミクス顧問だった倉嶋禍殃とは、救済自衛寮にいたこともあって面識があった。


「救済自衛寮。私のお父さんが運営していた孤児院よ」

「ま、そうだな」

「私は孤児の名前も顔も覚えていない。沢山いたもの。でも、あなたの口ぶりからして、お父さんと面識があるように聞こえたわ」

「……あったらどうする?」

「何もしないわ。でも、お父さんのことについて、何か情報を握ってるんじゃないかって、そう思ったのよ」


 そうだろうと思った。まさか彼女は時雨が数年間を共に過ごした仲だなんて思ってはいまい。詳しく聞かれても説明のしようがなかった。


「真那の親父……玄真のおっさんのこと残念だったな」


 彼女の父親の死については以前彼女の口から直接聞かされた。それと同時に、旧東京タワーの慰霊碑でも聖玄真の名前を目にしている。それを前に、声もなく静かに感情を垂れ流す彼女の姿も。


「時雨、あなたはお父さんの死を悼んでくれるの?」

「……よくしてくれたおっさんだしな」


 真那の父親であるから、関係が深かったということもある。だがそんなことを話しても仕方ない。

 あえてただの孤児であるだけだと装った。真那とは一切の関係を持っていなかったと。


「時雨、あなたは時折、おかしなことを言う」

「前にも同じようなこと言われたな」

「あなたの言葉は時折私の心を乱すの。何も考えられなくなってしまう。何が正しくて、何が間違っているのかも分からなくなってしまう」

「恋ですね」

「お前はもう黙れ」

「でも、私はあなたのことを信頼してる。だから、あなたにも話そうと思うわ。お父さんの死に関して」

「それは光栄な事で。だがいいのか俺なんかに話して」

「あなたも無関係ではないと思うから……お父さんは、今から二年前、三月の上旬に死体になって発見されたの」


 その言葉に眉根を寄せる。切り出し方からして、自然死と言うことではあるまい。殺人が絡んできているというのか。


「お父さんは、一月下旬ころには既に消息を絶っていたわ。防衛省も事件の証拠がないって言って捜索を取りやめた。それに伴って、救済自衛寮の運営も休止されたわ」

「あの孤児院潰れてしまったのか」

「もとより、あの孤児院は防衛省が運営していたもので、色々と疑惑もあった。きっとラグノス計画の実験体にするための人材を養成していたのでしょう」

「おっかない話だな」

「そういえば以前、時雨様が仰っていましたね。救済自衛寮では月に十人ほど失踪する孤児がいたと」


 その話は記憶に新しい。第三統合学院に出向く前にネイに少しだけ孤児院時代の話をしたのだ。


「今考えれば辻褄が合うな。ラグノス計画の実験に必要な実験体、それを養成する施設なら。あの失踪が防衛省によるものっていう憶測も際立つ」


 まったく胸糞悪い話だ。時雨ももしかしたら、それらの孤児たちのように連行されたのかもしれない。そして実験体に――――。


「いや、俺も同じか……」

「確かに時雨様も実験素体とされていますが、それらの孤児とは少々異なるように感じられますね。時雨様は強化兵士部隊であるTRINITYのプロトタイプでもありますし」

「……話を戻していい?」

「ああすまない、続けてくれ」

「お父さんは、それから二ヵ月して腐乱した状態で発見された。死因は毒性薬物の摂取。結局自殺だって判断されたけど、私はそうじゃないと疑ったわ」

「どうしてだ?」

「いろいろと状況を見ての判断よ。その結果、防衛省がお父さんを殺害したんだと思ったの。だから私は防衛省を抜けて、レジスタンスを立ち上げたのよ」


 だけど結局お父さんが殺害された理由は解らなかった。と真那は静かに告げる。

 何らかの情報に触れてしまい、その隠匿のために消されたのか。詳細は分からないようだった。


「それが本当に防衛省によるものなら、」

「レジスタンスとして防衛省に相対し続ければ、おのずと答えが見えてくることでしょう」

「ええ。そのために私はここにいるんだもの。そのために戦ってる」


 彼女の双眸には明確な決意があった。そんな彼女の中に、かすかに懐かしさを感じる。その強い意志は間違いなく時雨の知る真那のものだったから。 


「戻ったわ……って、お邪魔だった?」


 お互い真面目な顔をしていたのか、部屋の扉を開けて入ってきた唯奈がきょとんとした表情をする。何やら勘違いしているようだが、それを訂正するよりも今はすべきことがある。


「これで全員集まったな」

「ああ、会合を始めるとすっか」

「まず、私と和馬翔陽の進捗からね。私が監視していた風間泉澄だけど、少なくとも今は際立った行動には出ていない。厳格な監視体制を解くわけにも行かないけど、でも可能性は低いといえるかも」

「アイドレーター局員だという可能性?」

「そうよ。んで? 和馬翔陽のほうは?」

「霧隠月瑠に関しちゃ何とも言えねえな。怪しいっちゃあ怪しいし。怪しくないかと聞かれたらそうとも言える」


 なんとなく嫌な予感がよぎる。これ以上、月瑠を疑うような材料が出てきてほしくはないのだが。

 いや何を考えている。個人に感情移入していい時じゃない。


「行動に出てるわけじゃないが、女子寮の自分の部屋にはあまり行かねえ。寮の屋上から、寮の全体を見回し続けてる」

「次に襲う相手の物色?」

「何とも言えねえな。その可能性もあるが……それにしても動きがなさすぎる。監視を始めてから、そこから動いた形跡はねえ」

「奇妙ね、日に日に失踪者数は増加してるのに。ネイ、今夜の出席者数は?」

「少々お待ちください。本日深夜のサーモセンサーの更新プログラムを照会いたします。……現出席数812名。今朝から二十人ほど減少していますね」

「校舎にいたときに襲われた可能性がないではないけど……でも私たちが目を光らせてるのに」

「考えられんのは、俺たちが寮を調査してる間に葛葉美鈴が学生を拉致ったって線だな」

「そうね。迅速に葛葉美鈴の居場所を特定しないと……」


 またあんな被害が出てしまうかもしれない。そう真那は悲痛そうに呟く。

 これ以上の被害を出さないためにも早急に動かねばならない。だがそれにしたってなかなかうまくはいかない現状だ。葛葉美鈴の居場所にまったくもって見当もつかない。


「でも、失踪した学生皆さんが……殺されているのでしょうか」


 黙って聞いていたクレアがひかえめに挙手をした。なんとなく模範学生のようだ。


「時雨さんのお話を伺って、その先ほど発見された遺体の傷は、無残なものだということだったので」

「確かに、あの傷痕は綺麗なものとは到底言い難かったですね。何度もインジェクターの針を突き刺した痕跡がありました。体内には折れた針も。脳髄ではなく、心臓を狙ったのでしょう。ですが相手の抵抗を受け急所を外した。その結果、がむしゃらに銃殺せざるを得なくなった。ここから推測するに加害者はまちがいなく殺しの初心者」

「ほかの学生は生きてる可能性があるってことだな。不幸中の幸いってやつか」

「果たして、それが幸運となりえるのかは、はなはだ微妙なところではありますが」

「どういう意味だよ」

「失踪した学生は、死よりもつらい苦しみを受け続けているかもしれない……ということです」


 ぞっとする話だった。レジスタンスのように覚悟を持ち合わせている兵士ならばまだいい。だが失踪しているのは何も知らないただの学生たち。

 そんな者たちが想像をも絶するような仕打ちを受けていると考えるだけでも心が痛む。拷問かあるいは――――。


「とにかく今は、死に物狂いで葛葉美鈴を探しましょう」

「そうね……検視官があの学生の死体から何か手がかりを見つけてくれれば話は別だけど。そうも言ってらんない」


 現状行動あるのみだ。できることなど限られているだろうが。

 動けるのは時雨たちだけなのだから。

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