第55話

「これにて、公演自体は以上となります。本来ならば、これより他社様との会談企画がありましたが、先方のご都合の問題で、それがなくなりました。代わりと言っては何ですが、その枠に、ライブを組み込んでおります」

「あ、燎さんのライブが始まるね」


 織寧社長が開設していた新型A.A.。それが配置されていたホールが沈み込み見えなくなる。その後ろに用意されたライブセットが登場した。

 αサーバー内では一気にコメントの数が増幅している。まだ鎖世は現れていないのだが。

 『キター!』『鎖世たそprpr!』『NEXUS待ってました!』などと数々のコメントが濁流のように弾幕と化している光景を見れば、鎖世がそれだけ人気だということが解った。


「紲、ちょっと離れる」

「え、烏川くん、ま――――」


 紲の制止がかけられる前に人混みの中に紛れ込む。


「皇、ミッションポイントは?」

「ラウンジに来い。U.I.F.に捕捉されぬよう人混みを利用しろ」


 足早に人混みの中を駆け抜けホールの端の方へと向かう。たしかに壁際には暗幕に覆い隠された形でラウンジが存在していた。

 人目につかぬようにしながらその真下にまで接近し、そこに待機していたボーイにまで近寄る。彼は自分が着ていた制服を脱いで時雨に手渡した。そうして時雨がたった今出て来たばかりの人混みに消えていく。

 彼は昨日の時点で地下通路からここに潜入していたレジスタンスのメンバーだ。時雨が極力不審がられぬよう、この場所でスタッフ用の制服を渡す段取りだったのである。

 制服をスーツの上からはおり階段を上る。そうして暗幕に覆われたラウンジへと躍り出た。


「来たな。あれがαサーバーにこの講演会を中継しているカメラだ」


 時雨の姿を見やるなり、棗は暗幕の隙間から会場に浮遊しているカメラを指さす。先ほど紲に確認を取ったハンドボールサイズのあの球体だ。


「この会場に計8機のカメラが存在する」

「正確な地点は?」

「正面ゲートに2機、これは警備用だろう。ホール中央に3機、それから正面以外の3方の壁に1機ずつだ」

「ということはこのホール全体にか……可能か?」

「当然です」


 ネイの自信ありげな返答を耳にする。ネイは自信家だが出来ないことを出来ると嘯いたりはしない。こともない。


「時雨様、万全を期すためにまずはこのホール全体の解析を」

「ああ。インターフィア」


 アナライザーを抜銃し解析プログラムを送信する。ホール全体が解析されていきARコンタクトに干渉した。

 武装している人間たち――すなわち昨日の時点で会場にしのび込んでいたレジスタンスメンバーとU.I.F.。位置情報を取得していく。


「レジスタンスメンバーの数は凛音を抜けば八人。防衛省の人間は山本一成を含めて六人か」

「もし銃撃戦に発展しても切り抜けられるな」


 レジスタンスに関しては地下に幹部級の人間が五人待機しているのである。もし奇襲をかけられても遊撃が可能な数だ。

 インターフィア解析が進行しカメラの数や配置が棗の言う通りであることを確認する。


「問題ない。予定通りだ」

「予定通りに着実に進行しすぎて、逆に怖いほどだがな」


 棗は少しも表情を弛緩させることはしない。

 

「今回来場頂いたのは、皆さまもご存じワールドラインTVで有名なNEXUSのヴォーカルで――」

「いいか烏川」


 織寧社長が演説をするホールの光景を眺めていると棗が少し声色を変えて声をかけてくる。


「この作戦は、これからの四分間にかかっている」

「四分って……オルタネートの間だよな」

「そうだ。この曲が終われば俺たちの予定通りにはいかなくなる可能性がある」


 鎖世が歌う曲。それはαサーバーで最も総視聴回数がケタ違いだった曲だ。リミテッド内部だけでなく海外の人間にも絶大な人気を誇る曲。


「この四分間にすべてをかける」

「それでは、燎鎖世さんに演奏を始めて貰いましょう」


 社長の長ったらしい解説もやがて終わる。社長が立ち退いた場所に鎖世が歩み出た。


「…………」


 何かコメントするかと思ったが彼女は何も言わない。じっとその場に佇んだまま目を閉じていた。だがその代わりにαサーバーのコメント数は爆発する。あたかも雨のように流れ中継自体がほぼ見えなくなっている。


「燎……大丈夫か」


 未だに何も言わない鎖世を見て心配になる。ホールも来場客による喧騒に支配され始めていた。人前で歌うことに慣れていないため緊張してしまったのか。彼女が歌いださねば始まらない。

 だが違った。時刻が二時の音を告げた時、鎖世は歌い始めた。指定していた時間きっかりに合わせて始めてくれたのだろう。

 幻想的な静かな音色からメタル調にもつれ込む。エレトリックダンスメタル。美しい鈴のように透き通った抑揚の激しい歌声。それでいてどこか悲しげだった。

 聞いているだけで呑み込まれてしまいそうな彼女の音色。時雨もまたその歌の中に閉じ込められそうになり――――。


「準備は整った。これより……オペレーション・バラージを開始する」


 棗の声に目を覚まされた。これが今回の潜入任務の本当の開始の合図。Operation Barrage。今回発令された作戦の名前だった。


「ネイ」

「はい、セカンドセクションを開始します」


 ラウンジ全体に収まらないほどのエフェクトモーションが発生する。暗幕がなければ薄暗いホールに漏れ出すほどのだ。鎖世のライブが始まるまでこのセクションを試みなかったのは、この暗幕の関係性もある。

 スタングレネードでも目の前で暴発したかのように光の奔流の中、アナライザーは幾何学的な赤いラインの走る異物へと変貌していた。


「よし、行くぞ」


 躊躇なくラウンジから飛び出した。足のばねを利用し力任せに跳躍し一番近くの自立駆動カメラに肉薄した。


「複合技能・サードセクション――」

「オーバーライト」


 アナライザーからまばゆい光が放たれ、間髪入れず銃口を自立カメラの外部入力ポートに叩き込む。激しい衝撃音が届いたがそれも鎖世のライブ音にかき消された。

 カメラ機体に接触し幾何学ラインがアナライザーを介してカメラに侵食していく。


「解析プログラムをインストール。さらに防衛省のアクセス権限をデバック。バラージウィルスに書き換えます」

「急いでくれ」

「黙ってください集中力がそがれます……完了しました」

「よし次行くぞ」


 自立駆動カメラを足場にして中空で跳躍する。浮遊駆動系は破壊していないため、カメラは落下することなく浮かんでいる。

 スポットライトを設置している鉄骨に着地、そのまま足場として経由し次のカメラに接近した。下から会場の天井を見上げている人物がもしいたのならハクビシンでもいるのかと勘違いすることだろう。

 

「デバック完了。バラージウィルス、書き換え――――完了」

「次だ」


 もう一度跳躍。会場にあるカメラは八機だが、ゲート付近にあるものは警備用で配信用ではない。となればその二機は潰さなくていいわけだ。

 この調子ならばあと一分以内に残り四機に細工することが可能だ。カメラに対して自分の姿が映らぬよう後ろ側から接近する。



 ◇



「オペレーション・バラージ?」


 作戦決行の直前。旧東京タワーで問い詰めた時雨に棗が答えたのがそれだった。


「ああ、オペレーション・バラージ。それが今回発令する作戦の名前だ」

「バラージ、直訳すれば弾幕。ただこの場合は軍事的な意味ではなさそうですね」「当然だ。あくまでも今作戦は武器の使用は控える隠密作戦だからな」

「それネットワーク用語よね。αサーバーでのみ存在するコメント機能。動画が視聴者のコメントで埋め尽くされる状態、だっけ」


 弾幕作戦。すなわちそれはαサーバーのコメント機能を利用した作戦だ。


「NEXUSというネットアーティストについて独自の解析ラインで調べてみた。かなりの視聴率とリミテッド内外関係なく絶大な人気を誇るようじゃないか」

「すべての動画がミリオンいってるみたいだしな。だが、それが何だというんだ?」

「柊が言ったように、αサーバーではそのコメント機能が採用されている。もし防衛省の監視の目を潜り抜ける手段があるとすれば、それしかない」


 棗の意図が読めない。弾幕をどう利用すればその監視の目を潜り抜けるのか。


「現状、防衛省は海外とのコンタクトの取り締まり政策として、αサーバーの監視を厳戒態勢にて築いている」


 確か一世代前の高性能解析プログラムで監視してるのだったか。


「その監視の目は音声認識、動作認識そしてコメント機能認識に分かれる」

「音声認識は動画自体の音声。動作は動画内の人間の挙動や、動作を確認できるものの監視。そしてコメント機能認識は言わずもがなコメントの監視ですね。海外とのコンタクトのためのコメントが存在しないか」

「待て、それがあるんじゃ監視の目を潜り抜けるも何もないだろ。前提的に監視されてるわけだし。俺たちの手も読まれてるということじゃないか」

「違う。だからこそそこを利用するんだ」


 どういう事だ。時雨たちの手を読まれて事前に設けられている機能。それをかいくぐるなど無理に決まっている。


「現在リミテッドに存在する解析プログラム。それがどこで開発されているか、知っているか? スファナルージュ・コーポレーションだ」

「シエナたちが? だからって」

「つまり、俺たちはその解析プログラムのレベルを熟知している。解析レベルはセキュリティレベル4だと鑑定結果が出た」


 セキュティレベル4。レッドシェルターの防衛セキュリティがレベル5であったはずだから、最大ではない。だがレベル4ほどのセキュリティを解析できる解析プログラムの目をかいくぐるなど……。


「柔軟な発想をしろ。強引に突破できないときはどうすればいいか」

「そんなの策を講じるしかないだろ」

「それはあくまでも思索段階の話だ。実際に突破するにあたって強引な手口が使えないとなれば手段は限られてくる。ならばそれは何か」

「……敵の目を欺く」

「その通りだ」


 唯奈の推察にどこか満足そうに棗は頷く。


「なるほどそう言うことですか」

「どういうことだ?」

「簡単な話です。強行突破が出来ないのならば、そもそも突破したことを気づかせない」

「αサーバーは監視されているんだぞ? 気づかせないことなんて」

「出来ますよ。そのための……コメント機能。弾幕機能とはそういうことです」

「そうだ。弾幕に紛れさせ、M&C社へのコンタクトをとる」

「そんなの無理だろ。弾幕なんかで解析の目を欺けるわけが」

「そこで燎鎖世の出番ってわけね」


 合点がいく。鎖世ほどの人気があるならばかなりのコメントが期待できる。だがそれも問題点は絶えない。


「たとえ、それで防衛省の監視の目を欺けたとしても……それはM&C社にも言えた話だろ。防衛省のセキュリティ解析プログラムで見つけられない情報を、M&C社が見つけられる保証なんてどこにもない」

「その通りだ。おそらくこれだけでは、防衛省の目を完全に欺ききることなどできない。そのためにお前を潜入させるんだ、烏川。このファイルには特殊なウィルスが仕込まれている。待て開くな」


 棗から送信されてきた圧縮ファイルを開こうとすると止められた。


「そのファイルは累計で50テラほどある。お前のビジュアライザーでは容量不足でパンクしてしまうだろう」

「50って……何のためのものだよ」

「一時的に、αサーバーに投稿される動画全てを移植するウィルスだ」

「どういう意味だ?」

「まあ待て他にもある。こっちのファイルは一時的に防衛省のアクセス権限の一部を消失させるウィルスだ。あくまでも一部、それもコメント機能を解除できなくするだけのものだが」


 コメント解除機能の抹消。本来ならば問題にならない機能だが今回の任務には不可欠だ。M&C社のコンタクトをどういう手段でとるのかは未だに不明だが、コメント機能をオフにされれば弾幕作戦の意味がなくなる。


「簡単にこれらのファイルの説明をする。アクセス権限を抹消した後に、この50テラ分のウィルス、ここではバラージウィルスと呼んでおこう。これを防衛省のアクセス権限から書き換える」


 現時点で要領の得られていないバラージウィルスとやらの内容物に関んして言及する。


「簡単に言えば、一秒の間にワールドラインTVにに投稿される動画を、すべて防衛省のサーバーに流すというわけだ」

「ワールドラインTV自体はアメリカのサーバーです。そこに投稿される分には負荷は大したものではなくとも……防衛省のサーバーにかかれば落ちますね」

「ワールドラインTVに投稿される動画の総容量は、一秒当たり平均5ペタバイトと言われている。一瞬でペタバイト単位の負荷がかかれば確実にサーバー落ちする。だが、その負荷自体は防衛省のサーバーにしかかからない。M&C社は通常の生配信として閲覧することが可能だ」


 たしかにそれならば、事実上M&C社にコンタクトを取ることが出来る。防衛省に気づかれずにだ。だがそのためには防衛省がサーバー落ちした瞬間を狙わなければならない。


「作戦の決行、と言うよりM&C社にコンタクトをとる瞬間は、最もNEXUSの曲で弾幕が発生する瞬間だ」

「オルタネートの中でいえば、サビの瞬間ですね」

「そうだ。第一サビの時点でモールス信号を配信に組み込む。ちなみに第一サビは曲の開始から1分23秒時点だ。それまでに烏川、君にはこれらのウィルスを会場のカメラに仕込んでもらう必要がある」

「カメラというのは……?」

「これだ」


 棗はビジュアライザーでホログラムを展開する。そこにはハンドボールほどの大きさの球体の機械が表示されている。


「自律型カメラ・GHX-H8。織寧重工が開発しているモデルだ。カメラは3Dレンズの採用をしていない。後方から迫れば烏川の姿も映らない」

「これに……ウィルスを叩き込めばいいのか」

「そうだ。なおサーバー落ちという事実に不信感を抱かせないため、その50テラ分のコメントファイルも同時に組み込む。役割自体は明白だが、簡単ではないだろう。またサビ時点までに完了させなければいけない。君の役目に俺たちの作戦の全てがかかっている」


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