第54話
「あ、ああ……解った」
インカムの向こう側で、交渉が成立された瞬間だった。
「俺が視察に織寧重工に行ったときに聞いた会話を交渉材料に持ち出したのか……」
「え? 視察って何のこと?」
棗の手際のいい交渉に思わず感嘆の声を漏らす。棗の交渉を聞いていない紲には当然何のことかもわからないわけで。訝し気に時雨を見つめてきていた。
「ああ、いやなんでもない」
「あの時の録音データを何度も確認していたのでしょうね。そうして織寧社長の声色や動揺の仕方から、その精神状態を分析した。ただの根暗かと思っていましたが、棗様なかなかできますね。いえ根暗だからこそ人間観察に長けているのかもしれませんが」
しかし資金的な面で織寧重工はそこまで困窮していたのか。リミテッド随一の重工業社であるからてっきり資金は潤沢なのだと思っていたが。
だがそれにしても少し引っかかることがある。前に盗聴した佐伯と社長の会話では、社長が提示した額を佐伯はきっかり工面する手はずを整えると言っていた。それならば織寧社長は資金面で不足していたわけではないのではないのか。
「紲」
「どうしたの?」
「こんなことを聞くのは不謹慎だし失礼だとは思うんだが。聞いてもいいか」
「う、うん……?」
「最近の織寧社長の様子、どうだったか教えてくれないか。何かおかしな様子はなかったか」
「お父さんの? うーん、特に変わったところはないと思うけど……どうして?」
不審そうな表情。まあ当然だろう。家庭事情について突然聞かれたら誰だってそうなる。
「いや、なんでもないんだ」
「特に変わったところはない、ですか。通常、資金的な面で自分の会社が存続不可な状況に陥っていたら、もう少し日常生活に支障が出てくるものだと思いますが」
まあ愛娘とはいえ紲の印象だけで判断するのは問題だ。実際に本当に織寧社長は資金面で困窮していたのかもしれない。疑念は絶えないが、今は勘ぐっても致し方ないだろう。
「あ、そろそろ、公演が始まるよ」
紲の発言ではっとしてホールの中央を見やる。棗の姿はすでになくホールには織寧社長の姿だけがあった。
「本日は当講演会にお越しいただき、誠にありがとうございます。今回は、わが社が全技術力を駆使して開発しました、陸軍用機RG2ワイヤラブルの公演となります」
社長の様子には先ほどの棗との商談時の取り乱しようは見られない。
「この機体は名称の通り軍用機になります。現在のリミテッドでは、新法改正により防衛省様のみの購入が可能となりますが……同時にわが社は家庭用アンドロイドの開発も致しました。こちらが新型の自律型マールジーユXとなります。それからこちらが……」
新型アンドロイドの解説が成される中、時雨はホール内を見渡す。宙にはハンドボールサイズの球状の機械がいくつか浮遊していた。
「あれ、なんだ」
「自立型のカメラだよ。スファナルージュ・コーポレーションが開発してるもので、あれが撮影したものが、生放送枠で、ワールドラインTVで流れるの。今も、ちゃんと流れてるはずだよ」
ワールドラインTVと言うのはαサーバーのことで間違いはあるまい。スファナルージュ・コーポレーションが私営警備会社としての活動を行う上で活用しているツールだ。
ビジュアライザーでαサーバーに接続する。すぐにこの公演の様子が配信されていることを確認した。
「予定通りですね。あとは、このまま配信が鎖世様のライブまで継続されれば問題ないわけです……それにしても稚拙なコメントが多いですねえ」
生配信では画面に無数のコメントが流れている。視聴している人間たちがこの配信にコメントをしているのだ。日本語のコメントが多いかと思っていたが、英語なりドイツ語なり時雨の理解できない言語なりでごった返している。
これがαサーバーがワールドラインと呼ばれる所以だろう。リミテッド内のサーバーで唯一国外の人間が閲覧できるサーバーだからだ。
「NEXUSに関してばかりだな」
コメントのほとんどにはNEXUSと言うワードが含まれていた。
「『NEXUSはまだか』、『ハゲ社長かえれNEXUS出せ』、『I want to hear the song of NEXUS!』、『Sayo! of! NEXUS! Moeeeeeeeeeeeeeeeeee!』……大人気ですね、鎖世様」
「まだ燎出てきてないんだがな」
「うわぁ、すごいコメントだね」
ビジュアライザーを覗き込んでいた紲が少し引いたように感嘆を漏らす。
「そんなに凄いのか?」
「ワールドラインTVは昔でいうテレビみたいなものだから、毎朝見てるんだけど……ここまでコメントが殺到することは珍しいよ」
「そんなに燎、人気なのか」
「この様子だと、燎さんが出てきたらサーバー落ちしちゃうかも」
サーバー落ちか。さすがにそうなれば時雨たちの目的は達成できなくなったと言っても過言ではない。サーバーが耐えてくれることを願うほかあるまい。
「――以上が一般家庭用アンドロイドの解説となります。それでは、公演の主役である陸軍用機RG2ワイヤラブルを御覧に入れましょう」
公演の方は着実に進行しているようである。ホール中心の床ハッチ、そこが開閉していく。そうして展開された場所から何やら巨大なものがゆっくりと回転しながら上昇してくる。
ホールの蛍光灯を反射してまがまがしく煌めく巨大なフォルム。その風貌は先日の視察時に格納庫で見たものと同じだ。間違いない、新型A.A.だろう。
「こちらが新型機となり、掲載している武器も旧型より一新しています。本機体には生じている犯罪指数を識別する機能がありまして。識別した犯罪レベルに応じて、展開する兵装もまた複数に分岐します。なお旧型には搭載されていなかった高高度対空射撃機能も備わっており──また、自立駆動のための駆動機関は、アルファモデルよりもさらに回転数を上げたデルタモデルに改良しておりまして――」
「うわぁ、おっきい……私もこれ見るの初めてなんだ」
「…………」
「烏川くん?」
織寧社長の解説も紲の声も耳に入ってこない。何故か時雨はこの新型軍用機に目を奪われていた。
その奇怪な荘厳なフォルムに魅了されたわけではない。それを目にした瞬間、否ホールの中央に鎮座した瞬間、凄まじい胸騒ぎに襲われたのだ。
なんだ……この感覚。背筋に液体窒素でも落とされたようなゾクゾクとした焦燥感。
悪寒とも恐怖とも取れる名前の付けられない衝動。周囲の雑踏や機械音。それら全てが時雨の感覚から遮断されていく。
「――――――まって――――――」
――――ドクン。
痛いほどに鼓動が爆ぜた。
「っ、なんで……」
思考が回らない。
「なんで……こんな、」
A.A.のすぐそばに少女が佇んでいた。
長い黒髪のまだ成人していないくらいの幼さを残す面持ち。
記憶を掘り返されるようなそんな彼女の顔。そこには何の感情も張り付いていない。
いや違う、無感情と言う表情が張り付いていた。冷たい瞳で時雨を見つめていた。
「嘘、だ……どうして……」
記憶の片鱗を刺激されるような感覚に陥る。ドクンドクンと。底知れない衝動が胸の内側から湧き出してくるようだった。
「烏川くん……どうしたの?」
紲の声はちゃんと聞こえていた。だがそれに応えることすら時雨にはできない。
彼女の姿を前にして目を逸らすことなんてできない。
「初対面、いえ対面すらしていない少女に目を奪われたのですね。時雨様のUMN細胞数値が未だかつてないほどにまで増幅中……なるほど、時雨様のストレートポイントは黒髪ロングの18歳ほどの少女ですか。ぎりぎりイリーガルですね。つまり有罪です」
そんな冷やかしに対応する余裕も時雨にはない。たった今視界の中にいる少女の存在で頭の中がいっぱいになっていたのだ。
ありえないと。こんな場所に彼女がいるはずがないと。いやそういう次元の問題ではない。何故、彼女はそのままの姿で存在しているのかと。
底知れない疑問と疑念が頭の中を駆け巡る。時雨の脳では処理しきれないほどの激流のような疑問の数々。
「どうして……お前が」
「時雨様?」
「嘘だ、ありえない……」
「落ち着いてください、時雨様。注目を集めてしまいます」
「お前は今、俺と、俺たちと一緒に――――いるはずだろ」
脳髄を引きずり出されているような感覚だった。絶え間ない激痛が頭部を走り抜ける。この場所で見るはずのなかった時雨の記憶の中だけの存在。それが確かにこの会場にいる。
少女がゆっくりと腕を持ち上げていく。そして、そのひとさし指を自分の唇に押し当てる。静かにしろと言うように。
少女の姿が薄れていく。少しずつだが着実に彼女の存在が時雨の手の届かない場所に離れていく。
「待てよ……」
「烏川、くん……?」
「待て……待ってくれ、俺を置いていくな」
「烏川くん? ねえ、どうしたの? 大丈夫っ?」
誰かが耳元で騒いでいる。うるさい彼女との空間に入ってくるな。そんな自己中心的な思考が力任せに振り払った右腕をもって紲の気遣いを跳ね除ける。
「時雨様、落ち着いてください。時雨様が見たものはただの幻覚です」
「幻覚のわけが――――」
「幻覚なのです。時雨様の本能が心の弱き部分が見せているだけのただの幻です。目を覚ましてください」
「幻……?」
そうであるとは到底思えなかった。
ネイから目を逸らし少女がいた場所に視線を戻す。小女の姿は既に透けはじめていた。
「烏川くん……」
全身が小刻みに震えていた。心配そうな紲の声。それがようやく頭に入ってくる。
同時に周囲の目線が集まっていることに気が付く。このままでは一成たちに時雨の姿を見つけられる可能性があった。だがそれがなんだというのだ。そんなことより今は彼女のもとに行かなければ――――。
「時雨様、気をしっかりと持ってください。幻に惑わされないでください。時雨様は今ここにいるのです」
うるさい。
「あなたがどうなろうと勝手なことです。ですが他のレジスタンスの皆を巻き込む行為は――――」
「うるさい……俺はあいつを……真那を――!」
ネイの声が雑音にしか聞こえない。彼女の言葉を振り切るようにして、その場から歩みだす。彼女がいる場所にA.A.の鎮座するその場所に向かっていく。
もう何も見えない。目の前にいる少女の姿しか見えない。
少女はゆっくりとその手を時雨に向けてくる。おいでおいでと誘うように……。
だが同時にその姿もすでに消えかかっていた。
「行くな、置いて行くなよ……もう、二度と」
「……時雨」
耳の中に響いたその声に思わず伸ばしかけていた手を止める。全身が硬直したように動かない。
彼女が目の前の少女が時雨の名前をよんだ。
「時雨、しっかりして」
いや違う。その声はインカムの中から聞こえてきていた。
「真那……」
「今あなたがいるのは任務の最中、その場所。あなたの行動ですべてを破綻させないで」
「俺は、だが……」
「あなたが何を見ているのかは分からない。でもそんなの知らないわ。私たちには関係がない。あなたは今レジスタンスの人間なのよ。それなら自分がすべきことを見極めて」
その言葉とともに通信が途絶える。もうA.A.の傍に彼女の姿はなかった。
「時雨様、急いで人混みの中に隠れてください。山本一成に捕捉されてしまいます」
「あ、ああ……」
抵抗する余裕もなく促されるままに後退する。少女の姿がなくなると同時に、枷から外れたように冷静な判断を下せるようになっていた。
「烏川くん、大丈夫?」
「ああ、取り乱して悪かった」
「調子悪いの……? 病院に連れて行こうか?」
「いやすまない……もう大丈夫だ」
本気で心配そうな目で見られて大きく頭を振るう。これ以上心配をかけるわけにはいかない。
「時雨様、今見たものの存在は、しばらく忘れてください」
「……ああ」
「幸い、時雨様の存在に感づいたものはいません。山本一成、またそれ以外の防衛省関係者だと思われる人間も、時雨様には気が付いていません」
「そうか」
今は真那の言うように任務の真っ最中だ。ここでは一つの判断ミスが失敗につながる。私情を挟んでいい時ではない。
拳を力任せに大腿部に食い込ませ我を無理やりにでも覚醒させる。こんな精神状態ではまともに任務も遂行できたものではない。
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