第56話

「現在、鎖世様のライブが開始されてから1分11秒時点。このままでは間に合いません」

「黙ってウィルスを打ち込め」


 五機目にウィルスを叩き込んだ時点で第一サビまで十秒を切っていた。


「デバック完了。最終目標に照準を切り替えます」

「残り何秒だ?」

「残り七秒。物理演算では……間に合いません」


 カメラを足場に跳躍し照明用鉄骨に着地、それを足場に最後の自立型カメラに接近するがこのままでは確実に間に合わない。

 既に五機にはウィルスを仕込ませている。それだけの下準備が出来ているから、この最後の一機は撃墜してしまってもいいだろうが距離的にも間に合いそうにない。


「あの一機がウィルスの干渉を妨げる可能性があります」

「……ッ、指向性マイクロ特殊弾で破壊する」


 中空での射撃。実弾で当てられる気がしない。となれば広範囲にわたってマイクロ波を放出する特殊弾で対応するしかない。

 だが直前で棗の静止が入る。


「だめだ、特殊弾では民間人を巻き込みかねない!」

「だがどうすれば……!」

「残り四秒です」

「っ――――」

「烏川時雨、回避!」


 インカムから響いた唯奈の声に脊髄反射的に体を逸らせた。

 中空ゆえに身動きの取れない体勢。わずかに逸れた時雨の頭部脇。その空間を激しい衝撃波が抉った。遅れて後方のガラスが粉砕する音が遅れてやってくる。

 はっとして残っていたカメラを見やると内部構造から弾け飛んだ。施設外部から狙撃したのだ。


「助かった柊」

「それよりモールス信号っ」

「準備はできている」

「サビに入るわ……シール・リンク」

「心得ております。バラージウィルス、発動」


 背中から落下しつつ向けたアナライザー。そこから微弱な周波数が発射された。周波数は自律型カメラに作用していく。



 ◇



「……省長! 監視中のワールドラインTVのサーバーがクラッシュしました!」

「なに……?」

「識別不能な莫大なウィルスが繁殖中! 修復までしばらくかかります!」

「ウィルス……? 種別は?」

「デリーターではありません。単純なデバック作用のウィルスです」

「M&C社か?」


 伊集院はとっさにそう判断した。以前レジスタンスあてにワールドラインTVを用いてコンタクトを取ったのもM&C社だ。世界共通サーバーであるワールドラインTVを用いていることから考えても彼らの仕業である可能性がある。

 リミテッド外部にいる彼らがどうやって防衛省のサーバーに侵入したのかは甚だ判断しかねるが、彼らは全米最大の軍需運送会社だ。やりかねない。

 

「いえ、そうではありません。どうやら我々のサーバーがクラッシュしただけのようです。おそらく一時的にコメントが爆発したのが原因でしょう」

「ウィルスではなかったのか?」

「そう思ったのですが……観測したはずのデバックウィルスが消失しています。それ以前に、サーバーに何らかの悪影響も観測されていません。やはりサーバーへの負荷が巨大すぎたが故のクラッシュです」


 局員の言うように確かに中継中の画面には無数のコメントがあふれんばかりに飛び交っていた。

 だがこの防衛省のサーバーがそんな簡単にクラッシュするものか。伊集院は悪寒を抱きつつもその回答を見つけられずにいた。


「サーバーの回復を確認。これより現場状況の確認を行います」


 修復された中継画面。そこでは燎鎖世が先ほどまでと同様にライブを行っていた。

 コメントの弾幕は変わらずさらに増したようにも思える。増幅を続けるコメントの数々。だがサーバーが再度落ちる様子はない。

 

「どうなっている……」




「なるほど……防衛省の使っているサーバーを落としに来ましたか……考えたものですね」


 当惑する伊集院の後ろ姿を見ながら佐伯は感心していた。

 銃火器を吹き散らすことしか能のない連中だと思っていたが。レジスタンス、なかなかに侮れない。彼らはただの蜂起軍の連中とは質が異なるらしい。

 

「アダム、そろそろ我々も動きましょう」

「局長。現場検証は済んだのかな?」


 無線越しに聞こえてくる一成の声。


「ええ。そちらはどうですか?」

「予定通り重役の避難は済ませたよ。織寧重工の社長もいるけど……どうしようか?」

「構いません。棄ておきなさい」

「相変わらず、血も涙もないね、局長は」


 彼の声に咎める様子はない。むしろ何かを楽しんでいるかのように薄気味悪く笑っていた。


「決行は、NEXUS、燎鎖世のライブに便乗して行います」

「発射タイミングは?」

「曲の終了と同時でいいでしょう。会場の一同、NEXUSのライブを楽しんでいるようじゃあないですか。曲が終わるのが嫌に決まっています。それなら、その思いを汲んであげましょう。永遠に、曲の終わりを聞けなくなるように――」


 佐伯局長は静かに会合室を後にする。そうしてとある相手に連絡を付けた。


「繋がっていますかね……ああよかった。そっちの進捗状況は?」

「勿論。準備はできているよ」

「デルタボルト。使用弾頭のナノマシン含有量は?」

「指示された通り、2.3グラムに抑えてあるよ。織寧重工本社が消失しきるだけの含有量さ」

「よろしいですね。これですべての準備が整いました」


 佐伯は順調に進んでいく計画に喜悦を抑えられない。

 デルタボルトの無断使用。あとで伊集院にとがめられようと、ここですべてが成功すれば後の祭りだ。もはや佐伯たちの行動を束縛する存在は何もいない。


「私の合図とともに、発射してください」

「……わかってるよ」

「何か懸念事項でも?」

「いやあの場所には、」

「まさか今更デルタボルトの使用を躊躇してしまっている……と言うことはありませんよね」

「……何でもないさね」


 通話の向こう側で相手は何かを口籠る。だが結局、その内情を語ることはなかった。



 ◇



 床に着地し時雨は再び人混みに紛れ込む。ネイがバラージウィルスを発症させてから数秒が経過した。


「モールス信号の打ち込み完了。作戦は成功した」

「……はぁ」


 インカムから作戦成功の旨が響いてきて思わずため息を漏らした。

 オペレーション・バラージ。色々と穴の多い作戦だが無事に成功してどっと安堵感が湧き出してくる。


「あとは、M&C社がモールス信号を受け取ってくれたら完璧ね」

「見逃すことはないでしょう。M&C社はこのαサーバーを用いてレジスタンスにコンタクトを取ってきました。となれば私たちもこのαサーバーを用いると考えるのが当然。24時間体制で監視していたはずです」

「そう……まあ、でも帰るまでが任務なんだからね。調子乗って捕捉されないでよ」

「幼稚園の遠足じゃないんだぞ」


 実際まだ気は抜けない。この会場には山本一成を含めた防衛省局員が紛れ込んでいるのだから。任務が成功したからと言って、すぐに会場から出て行こうとすれば見つかりかねない。


「……なんか、人少なくないか」


 山本一成の姿を探そうと周囲を見渡し、時雨は不意に人間たちの姿が極端に減っていることに気が付く。


「何だと?」

「気のせいじゃない。確かに減っている。さっきまではもっとごった返して居たはずだ」


 少なくとも人混みに紛れることで姿をくらますことが出来る程度には人がいたはず。だが今はその数も半分ほどにまで減少し姿を隠すのがやっとなほどだ。


「嫌な予感がするな」


 ライブは未だに続いているが、その喧噪も確かに鳴りを潜め始めていた。

 鎖世を取り囲んでいたはずの観客たちの数が明らかに減っている。今もなおその場にとどまっている者たちもまた予測不能の事態に直面したかのように狼狽し、何やら新たな喧騒を生み出し始めていた。


「一体、何が――――」

「時雨!」


 インカムから鼓膜が破れんほどの声が響く。真那の取り乱した声。


「今すぐその会場から逃げて!」

「真那? 一体何言って……」

「いいから早く逃げて!!」


 普段の冷静な彼女からは考えられない取り乱しよう。彼女にここまで焦燥を抱かせるなど、一体どんな問題が発生したというのか。


「そこにいると危険よ! この会場は包囲されてる。ただそれよりも問題なのは、この会場に照準が向けられていること」

「照準……何のだ?」

「デルタボルト、レールガンよ」

「――!」


 抑えきれぬ驚愕のままに周囲を見渡す。まさか会場から人がいなくなっているのは、そういう理由なのか。

 よく見れば正面ゲート付近に数名の警備員が佇んでいる。それらは一律して武装していた。あたかも時雨たちをこの監獄に閉じ込めるかのように。



 ◇



「皆さん、突然の介入、失礼いたします」

「っ、君は――――」

「ぼくは、エリア・リミテッド・現皇太子である、東・昴と申します」


 和馬たちの前には、齢十五かそこらの少年が佇んでいた。


「皇太子……? たしか、皇族はノヴァ侵攻時に崩御したんじゃねえのか?」

「いやそうではない。確かに天皇皇后は崩御した。だが皇太子である昴様は、生き残っていた。だが、なぜ君がここに……」


 船坂が驚いたように昴を見やる。


「それについては私がお話ししますぞ」


 昴に次いでもう一人巨体の男が通路から歩みだしてくる。豪快だが清潔にそろえられた白い髭に左目を醜く抉ったような傷跡。


「……酒匂さかわ、陸上幕僚長」


 幸正は彼に面識があった。防衛省に所属していた時代、上司である彼とも会ったことがあるのである。船坂もまた同様に。

 一等陸佐である船坂。一等陸尉の幸正。だが酒匂泰造は彼らよりも上の階級、陸上自衛隊におけるもっとも高級な位置に存在する男なのだ。


「……防衛省の犬が何のつもりだ」

「少々勘違いがあるようですな。昴様は確かに身分こそ皇太子とあれど、決して防衛省に屈した御方ではありますまい」

「どういう事だ? 詳しく話せ。さもなくば命はない」


 ルーナスはアサルトライフルを構えたまま少しも引かずに威圧する。


「ルーナス殿。貴殿のことは尊敬はしてはいますがな。昴様に銃口を向ける行為がどういうことなのかは理解できておらぬようですな。それは紛れもない愚行ですぞ」

「どういう意味だ」

「昴様に手を上げるということは、陸上幕僚長・酒匂泰造を相手にするということと同意」

「最初からそのつもりだ」

「ならば、かかってきなさい。何を躊躇しておられぬのかな?」


 挑発するような泰造の言葉。一瞬それに苛立ちを覚えつつもルーナスは挑発に乗るような男でもない。ましてや言葉とは裏腹に泰造の表情がこちらを試すようなものであるとなれば。

 

「私はシエナ様の忠実な側近。そのような挑発には乗らない」

「どうやら、印象通りの芯のある御方であるようですな」

「それに、あなたとやり合っても私に勝ち目はない」


 対峙した時点でルーナスは半生物本能的に直感していた。この初老の男性が相当の軍歴を積んでいる人間であると。


「酒匂さん、それくらいにしてください」

「昴様」

「レジスタンスの皆さんが、僕たちが協力するにふさわしい志の者たちであることは、重々承知なはずです」

「申し訳ありません。昴様のことを防衛省の犬扱いしたことが赦せませんでな」

「多分、酒匂さんのことを言ったのだと思いますが……」

「私たちに協力だと? そもそも、どうして私たちの正体を知っている」


 ルーナスは銃口を下げぬまま問い詰める。それに昴は両の手のひらを掲げて応じた。


「まずこちらの話をお聞かせする前に、その銃を下げてはもらえませんか?」

「何故だ」

「それが礼儀だからです」

「戦場において礼儀など必要とされない。ましてや、淘汰すべき対象に属す人間と対峙しているのであれば。今ここで重要なのは警戒心と猜疑心のみだ」

「関心は致しますが、今この状況においては、その心がけは時間の浪費にしかつながりません。仕方ありません……酒匂さん、お願いします」

「仰せのままに」

「なにを……がっ!?」


 ルーナスが脊髄反射でトリガーに指をかけるころには。彼は地面に打ち据えられていた。


「ちっ……!?」


 反射的に和馬はライフルの銃口を向ける。だが照準を合わせる間もなく手のひらから感触がなくなるのを感じた。いつの間にか肉薄していた酒匂に取り押さえられ、地面に叩き据えられる。ほんの数秒の攻防だった。


「く……っ」

「その行動はお勧めしませんな」


 腰の刃物に手をかけようとした船坂に、振り返ることなく酒匂は平坦に声をかける。


「皆さん。お願いします、武器をしまってください」

「そう言われてしまうとでも思うのか? たった今、部下が二人のされた状態で」

「あなた方が束になってかかっても酒匂さんには敵いません。ここで全滅してしまうか、あるいはぼくの話を聞いてくださるか。どっちが正しい選択か分かりますよね」

「……話を聞きましょう」


 抜目のない視線を参入者たちに注ぎつつルーナスを助け起こした真那。各々もそうすべきだと判断したのだろう。構えていた武器を下ろす。和馬もまた立ち上がり、武器を拾い上げながらもそれを構え直すことはしない。

 実際に酒匂に叩き据えられることで分かったことがある。やろうと思えば、今の攻防で和馬とルーナスを殺すことも出来たはずだ。それをしなかったということは、少なくとも真っ先に敵対心をむき出しにするつもりはないということ。


「それでは端的に説明いたします。ぼくたちがここにいる理由についてです」

「皇太子東・昴はレッドシェルターに幽閉されていると聞いたことがあるわ」

「はい。ぼくは皇太子ではありますが、事実上、防衛省にいいように扱われている傀儡的な存在でした。ですが酒匂さんが味方に付いてくれて、防衛省、いえラグノス計画の何たるかを知ったのです」

「ラグノス計画……あなたも意を反するの?」

「当然です。防衛省のいいように世界を、秩序を操らせたりはさせません。ぼくは酒匂さんに防衛省内部で行われる定期軍法政策会議に参加してもらい、情報を集めていました。それでレジスタンスと言う存在を知ったんです」


 普通ならば、今のリミテッドにとってレジスタンスと言う存在は社会現象にも等しい。知らぬものなどいないと言っても過言ではないだろう。勿論悪い意味でだ。防衛省に盾突く災いをもたらす悪の組織だと。

 そこから考えても昴が幽閉されていたという情報は誤りではないのだろう。リミテッドの情勢にとことん疎いのを見ればそれは明らかだ。


「ぼくは、ずっとそのレジスタンスと言う組織にコンタクトを取ろうとしていました」

「しかして、その度にことごとく防衛省、TRINITY、U.I.F.によって邪魔をされてきましたがな。ホームレス収監施設、A.A.輸送作戦。なおかつ今回の新型A.A.講演会」

「ですが今回は少し勝手が違いました。皆様にコンタクトするにあたって、共闘以前に忠告することがあったのです」

「忠告?」

「レジスタンスがこの講演会で動くことは予測していました。もちろん防衛省がそれを見越していることも。ただ問題として防衛省内で伊集院純一郎省長とは別途に動いている者がいることが判明しました」

「別途って……内部分裂でも起きてるのか?」

「現状ではそこまで発展していませんが、近いうちにそれもあるかもしれません。ですが今はそれよりもまず伝えなければならないことがあります」


 真剣な表情のまま昴は話を続けた。


「佐伯・J・ロバートソンを筆頭とした複数名の幹部級局員が、デルタボルトを再起動しました」


 その言葉に皆の間に衝撃が走る。和馬もまた心臓を鷲掴まれているような衝撃を感じた。


「デルタボルトだと……?」

「まさかまたあれを用いようとしているのか?」

「あれをこの会場に撃ち込めば死傷者の数は計り知れない。確実に民間人の犠牲者が出る」

「それなのに、佐伯はデルタボルトを撃とうとしているの……?」


 真那の声は震えていた。当然の反応だと言えよう。

 前回それが投射された時、織寧智也おりねともやという人間一人の被害ではあったものの発症する結果に至った。発症はすなわち慢性的な死を意味する。

 そんなものが民間人の密集する織寧重工に向けて発射されれば……被害は収束不可能なものと化す。


「はい。間違いありません。正確な時間指定は解りませんが、先ほど盗聴した情報だと……」

「NEXUSのライブ終了の直前に発射するようですぞ」

「ライブ終了って、今、もう二分二十秒時点よ」

「後、二分以内ですね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る