2055年 10月10日(日)

第52話

 講演会当日、時雨は着慣れないスーツ姿になっていた。


「ほんとにこんな格好しないとダメなのか?」

「当然だ。戦闘服でパーティー会場に入るバカがどこにいる」


 かく言う棗はいつも通りの服装だ。まあ彼の服はドレスコードとしても併用できる汎用性のあるものなのだが。

 

「この格好、凄まじく動きにくいんだが」

「それくらいでちょうどいいんじゃないの? 会場にはドンパチしに行くわけじゃないし」

「万が一のこともある。まあ確かに銃撃戦にはならなそうだな。任務内容みる限り目的はM&C社にコンタクトを取ることと、織寧社長と交渉をすることだけだしな」


 目的として織寧社長に接触する必要があるようだった。

 棗の目的はすなわち社長と交渉し新型A.A.をレジスタンスに流すことにある。それ以外にも今後の軍事的化学貢献、つまり軍事提携をする目的となる。


「俺たちは、金だけは無駄にあるからな」


 レジスタンスの有する金と言うのは何もリミテッドにおける電子マネーのことだけではない。

 この区画内では何の意味も価値もなくただの紙切れに過ぎない外国紙幣。そう言った物の貯蔵も有り余っているのだ。それは今回M&C社が提携を申し立てて来る以前から利害関係はあったものの支援物資を提供していたことからも伺える。

 棗がどこからそれだけの資金をかき集めたのかは知らないが、織寧社長が求めるだけの額を工面する余裕はあるという。


「だが、この交渉に乗るのか?」

「そのための交渉だ。もちろん現状のリミテッドについて、事細やかに説明する。すべてはそれからだ」

「説明したとして、それをうのみにする保証は?」

「そんなものはない。決裂した場合は臨機応変に動くまでだ」

 

 酷く粗雑な計画だが織寧社長の意思を確かめる手段はない。それが最善策だろう。


「案ずるな。烏川、君が重工本社で盗聴した、佐伯・J・ロバートソン、及び山本一成との会話。それを聞く限り、織寧社長は防衛省の資金繰りに不満を見せているようじゃないか。それなら付け入る隙はいくらでもある」

「そううまく行けばいいが」

「万が一に備え、前回の偵察で烏川が内部から開錠した地下通路に、船坂たちを待機させておく。まあ、彼らが動かない結果になれば一番いいが」


 一瞬その地下を経由して全て盗み出せばいいのではないかとも思った。だがそう言えばあの地下通路はA.A.が通過できない規模なのだ。結局は交渉で得るしかないだろう。


「船坂たちは武装してるのか?」

「ああ俺たちはあくまでも牽制目的だ。防衛省の人間やU.I.F.がいるかもしれない。それにA.A.輸送作戦時のようにアイドレーターが横槍を入れてこないとも限らないからな」

「俺や聖たちも同行する。いざという時の脱出口は地下だ。脱出経路の確保は任せておけ」


 船坂と幸正の話を聞く限りそのあたりの計画には抜かりはないようだ。まあ最初から交渉決裂なんて起きないに越したことはないのだが。


「そもそも、今更だが俺が潜入する必要性ってなんだ。この任務内容的に俺が関わる所はないだろ」

「解ってるじゃないですか。時雨様は能無しなので基本的に役割はありません。時雨様が任務に抜粋されるとしたらどういう場合か。決まっています。デコイです」

「囮前提で適地に突っ込むほど馬鹿になったつもりはない」


 まあそんなことだろうと思ったが。

 時雨が潜入して何か意味があるというのか。当然時雨はネゴシエートなんて出来ない。できて他の者たちの目を逸らしておくことくらいだろう。


「安心しろ、烏川にも役割はある。それも重要な」

「そうなのか」

「そうでもなければ同伴させたりはしない。今回の任務において君のアナライザーは必要不可欠だ」


 そういうことならば賛同しないわけがないが。だがどう関与していくことになるのか。


「改めて、今回の任務の役割確認をする」

「会場内部に潜入するのは、烏川、皇だ。それ以外にも、昨晩のうちに地下から潜入し、警備員、ボーイに扮して、メンバーが数名潜入している。地下運搬通路を経由し会場の地下に控えるのは、俺、船坂、聖、和馬、ルーナスの五人だ。シエナ・スファナルージュが逃走手段として外部で待機、間違いないな」

「そういや、あのちっこいのはどうした? 朝から見当たらねえんだが」


 幸正の確認を聞いてふと思い立ったように和馬は周囲を見回した。探しているのは言うまでもなく凛音だ。展望台の中には彼女の姿は見えない。


「本来ならば凛音も地下待機班だったが、姿が見えない以上、奴は参加不能と見なす」

「他に質問があるものはいるか?」

「結局、M&C社とのコンタクトはどうするの?」


 真那のその質問に皆の視線が棗に集まる。皆それについては気になっているようだ。

 防衛省の監視の下、M&C社にコンタクトを取る必要がある。だが問題としてリミテッド外部とのコンタクトは事実上αサーバーしか方法がない。当然そのサーバーも防衛省の監視下にある。


「これまで任務の概要を極秘にしていたのには理由がある。先日、この旧東京タワーで侵入者を観測したのは覚えているな」

「ああ、あれどうなったんだ?」

「未だに発覚していない。だがそのこともあって、レジスタンス内部にスパイが入り込んでいる可能性を考慮していた。そのため漏洩対策で直前まではなさなかった」 

「つまり、私たちも疑われてるってわけね」

「そういうことだ」


 逡巡も忌憚もなく棗は断言する。誰か激昂するかと思ったが意外と取り乱す様子すら見せない。棗がそういう人間だと深く理解しているのだろう。

 実際ここで時雨たちの機嫌取りをされたところでそれは信じがたい。彼の良くも悪くも正直な点が幸いしたとも言える。


「敵を欺くならまず味方からだ」

「それで、結局計画は?」

「この作戦の名前は……オペレーション・バラージ」



 ◇



「ここが、講演会会場か……」


 そつなく時雨たちは内部に潜入することに成功した。潜入と言っても時雨と棗の分の招待コードを照会しただけなのだが。

 金属探知機を通過するわけでもないためアナライザーが見つかることもない。生体認識の際に解析レーザーで持ち物の検査はされてるのだが。アナライザーはIDカードと同じ扱いのため武器と認識されないのである。

 もし会場の人間の目視による持ち物検査でもされていれば銃刀法違反で即警備アンドロイドに囲われていただろうが、今は何でもかんでもAIが統制を取る時代である。ハイテク化が幸いし最悪の事態は回避することができた。


「あ、烏川くん、こんなところにいたんだね」


 いかにもなドレスコードやドレスを身に纏う老若男女の中、場違いな空気に呑まれそうになっていると紲に声をかけられる。

 振り返ると彼女はあまり派手さはないが華やかなドレスを身に纏っていた。

 

「探したんだよ、この会場、人が多くてごちゃごちゃしてたから」


 たしかに彼女の言う通り会場内はかなりの人口密集率である。それだけこのA.A.の開発に金がかけられているということなのだろう。

 もちろんこれだけの人間がかかわっている開発なのだ。棗が今回の交渉に乗り出したのは、もしかしたらそう言ったパイプがほしかったからかもしれない。


「烏川、紹介してもらえるか?」

 

 当然紲のことは知っているだろうに。棗は普段の服装のままであったが妙にこの空間に溶け込んでいる。時雨のように子供が背伸びして正装を着ているような印象もない。

 

「今回この講演会を主催されている織寧社長の娘さんだ」

「織寧紲です。よろしくね」

「ご丁寧に痛み入る。俺は皇棗だ」 

「皇……えっと、学校の教職員さんではないよね……?」


 紲は少し戸惑いながら棗の姿を見やる。当然だろう。彼女には皇棗と言う男が教職員として会場に入りたがっていると言ったのだ。

 だがそもそもスファナルージュ第三統合学院には教職員は存在しない。全て自律型教職アンドロイドが執り行っているからである。

 紲は時雨が頼み込んだ時点で不審に思っていたのであろう。皇棗と言う人間の存在について。


「今回は無理を言って招待してもらって申し訳ない。個人的にA.A.には目がなくてね。新型の開発講演会と言うことでぜひ参加したかったんだ」

「そうなんだ。えっと、皇さんは烏川くんとどういう関係なの?」


 関係が気になるのも致し方あるまい。時雨と棗の年齢差は4、5歳ほどで親子と言うことはあり得ない。だが兄弟と言われても似ても似つかないだろう。


「同じ軍役志望者と言うことで教習所で知り合った関係だ」

「あ、そうなんだ。烏川くんの知り合いだからきっと軍役志望なんじゃないかって思ってたんだっ」


 根も葉もない嘘設定に紲はまんまと騙される。棗に対する不信感もいくらか払拭されたようだ。紲に対しては常日頃から嘘を重ね続けていて罪悪感が半端ないが必要な嘘だ。


「烏川くんと皇さんは、講演会の間どうするつもり?」

「申し訳ないが、この講演会のスケジュールプランを教えてくれないか」

「えっと、基本的には普通のパーティーみたいなものかな。途中から迎賓へのあいさつとか、いろいろ業務的なものがあるみたいだけど……午後一時から、このホールはダンスホールになるみたい一応パーティーだからね」

「よもや軍用機開発工場で、そんな洋画の一部みたいな催しがあるとは」

「あはは……半ばお父さんの趣味かなぁ」


 ちょっと照れくさそうにそう言った紲。さりげなく棗と目配せする。会場がより混雑するタイミングになりそうだ。第一ミッションをこなすにはいい機会である。


「その後に新型A.A.のお披露目があって、えっとその次はアーティストのお披露かな」

「アーティストというのはNEXUSのことか?」

「うん。本当はね、その枠に他の重工業社とのコミュニケーション企画があったんだ。でも相手側が急遽これなくなっちゃったみたいで、それでNEXUSのライブを取り入れたんだよ」

「と言うことは、そのライブの時もαサーバーでの生放送は継続されているか?」

「αサーバー? ワールドラインTVのことかな。それなら講演会が開催されている間は、ずっと流れてるよ」


 紲の言葉に、棗が少し安堵したように目元を緩める。つまり第二ミッションであるαサーバーを用いたM&C社とのコンタクトは可能と言うことか。


「そうか、ライブは最終項目になるのか」

「しばらく時間があるな……どうする?」

「俺は下準備をしておく。烏川は会場の視察をしておいてくれ。何が起きるか分からないからな」

「防衛省の人間はいるかね」

「居たとしてもこの人間の中では探りようがない。俺たちが連中を探すよりはまず連中に見つからないようにするのが先決だ」


 それもそうか。

 第一ミッションをこなすためにはどうしても織寧社長に接近する必要がある。もし防衛省の人間がこの場に張り込んでいるならば、時雨たちが社長に接触することも読んでいるはずだ。

 そもそも棗はともかく時雨は完全に顔が割れている。先日の装甲車両襲撃の際に薫にバッチリ顔を見られているため、レジスタンスに寝返っていることも周知の事実だろう。そのうえで誰にも感づかれずに接触する手段を考えなければならない。


「皇さん、何か用事あるの?」


 人混みの中に消えて行った棗の後ろ姿を見つめて紲が問うてくる。


「楽しみにしてたみたいだし、会場に来て居てもたってもいられなくなったんじゃないか」


 あの棗がそんな子供みたいな思考してるとは思えないが。


「そうなんだ……せっかくだし私が案内してあげようと思ったんだけど」

「ああいや皇のことは気にしなくていい。正直俺も皇が何を考えてんのかはさっぱりだからな」

「烏川くんは皇さんと仲良くないの?」

「仲良くは無いだろうな。俺たちの関係は言うなれば仕事上の物だからな」


 実際問題、時雨と棗は確かに仲間だが別に友達と言うわけではない。深く考えたこともなかったが、少なくとも時雨は棗とは本当の意味で分かり合うことはできない気がする。

 あの男がこれまでに非人道的な手に及んだことがあるわけではないが、どうしても時雨は棗と言う男の全容が図れずにいる。あの男は目的のためならばきっと手段を択ばないだろう。そんな強迫観念にも似たカンが働いているのだ。


「烏川くんは、どうする?」


 あまり触れて欲しくなさそうにしているのを見てか話を逸らしてきた。その気遣いは素直にありがたい。あまりレジスタンスにかかわる話をしているとうっかりボロが出かねない。


「予定はないな」

「それなら私と一緒に回らない?」

「構わないが紲はいいのか? 織寧重工の一人娘なわけだし。色々忙しいんじゃないのか?」

「ううん、そういうのは全部お父さんが仕切ってるから。それに私、あんまりこういうパーティーとか慣れてなくて。烏川くんと一緒にいたらちょっと安心するしね」

「場慣れしていないのか。結構こういう宴場に頻繁に参加してそうな印象だったが。そのドレスも妙に着こなせている感じするけどな」

「これ今回のためにお父さんが新調してくれたドレスで、着慣れなくて不安だったんだけど……変じゃないかな」

「いや、似合ってると思うぞ」

「そ、そう? ありがとう」


 照れくさそうにえへへと返す紲。まさに一般人ぜんとした反応だ。唯奈や真那であったら機能性や防弾性能がどうのと言って聞かないだろう。


「今のはポイント高いですね時雨様。第一印象として出合い頭に指摘するわけでなく、会話の中でさりげなく指摘し褒める。ホストの常套手段です。まあ基本的にはそれが評価に値するのでしょうが、あれですね。時雨様がすると下心があるように思えて致し方ありません。『似合ってると思うぞ。機能性も高そうだし。主に脱がすときとか。半分脱いだ状態でのピーとかもピーのピー企画モノみたいで最高だぜ』という意図があるように思えて仕方ありません。自首してくださいピー犯罪者」

「……で、講演会が始まるまで、何をしてればいいんだ?」

「華麗にスルーしましたね」

「うーんそうだなぁ、普通は挨拶回りとかすると思うけど義務じゃないし。出されている料理とかを食べて回るのもいいかも」


 口元に手を当てて考える紲。


「挨拶とはいっても、顔すら見たことのない連中ばかりだがな」


 彼女の言う通りであろうが挨拶回りは危険だ。うっかり忍んでいる防衛省局員などに接触したら騒動に発展しかねない。

 紲が言うように料理の試食でもしながら、会場観察をするのが得策だろう。


「あれ、何かあったのかな」


 しばらく会場を回っていると不意に会場の入り口辺りが騒がしくなる。警備員が正面ゲートに立ち塞がり外にいる人物と口論をしていた。

 警備アンドロイドが発砲していない点を見ると紛争が起きているわけではなさそうだが。


「あれ……あそこにいるの燎さんじゃない?」


 ゲートの入り口をもう一度見やる。たしかにそこには見慣れた姿があった。制服姿であってもその特徴的な色彩の髪は見間違いようもない。

 彼女の足元には明らかに不審なデカいカバンが置かれていた。ライブの音響機材か何かであろうかと思ったもののその類は彼女の後ろに別途で用意されている。


「どうして、入れないの?」

「規定だからだ」

「ダメ?」

「ダメなものはダメだ」

「……ダメ?」

「っ……だ、ダメじゃ、ない……と言うわけにはいかない!」


 鎖世に上目遣いで見られて正面ゲートの警備員は一瞬たじろぐ。だが職務を思い出したのか踏みとどまる。

 まあ鎖世は外見からしてまさに美麗と言わざるを得ない風貌だ。綺麗だとか美しいだとかそういう話ではない。彼女には独特な物言わせぬ幻想的な魅力がある。

 警備員が職務怠慢しかけた理由もわからないわけではないが……さすがのカリスマ。織寧重工重厚に努めているだけあって己を抑制することに長けていた。

 

「どうして入れないんだろうな」

「おかしいな……お父さんにお願いして受理してもらったんだけど。燎さんの入場と必要機材の持ち込みの無条件承認」

「警備員にその話が行き渡っていなかったのか」

「それはないかなぁ。あの警備員さん、私がお父さんにお願いしたとき、直接指示されてたもん」

「よく解らんが助けてやるか」


 万が一にも彼女が入場できないなんてことになったら問題である。当初の目的が果たせなくなる。彼女なくして本作戦は成功し得ない。


「燎、どうした?」

「烏川時雨を発見した」

「まあ俺はここにいるが」

「入れない。どうにかして」

「あの、佐野さん。この方はNEXUSのヴォーカルの燎鎖世さんで、先日申請が通ったはずなんだけど……」


 紲が警備員に掛け合ってくれる。手違いか何かかと思っていたが警備員はそれに対して表情をしかめるばかりだ。


「紲お嬢様、お騒がせして申し訳ありません。燎鎖世の申請受諾の件は心得ています」

「それなら……」

「ですが同伴者の存在は承認されていません。承認なく部外者を会場に入れさせるわけには……」

「同伴者?」


 一瞬警備員が言っている言葉の意味が解らなかった。どう見ても鎖世は一人である。付き人などがいるわけでもなく周囲には野次馬もほとんどいない。

 一体この佐野という警備員は何を言っているのか。


「燎鎖世、荷物の確認をしなければここは通せない」

「必要?」

「ああ、必要だ」

「佐野さん、燎さんの入場許可に関して、ライブ用の音響機材の持ち込みは無条件承認のはずだよ?」

「あくまでもそれは機材の話です。人間は機材には含まれないでしょう」


 嫌な予感がした。通せない荷物。同伴者。人間。ここから推測できる事実。

 鎖世の足元に置いてある不自然なカバンを見やる。本来衣装などを入れる大型業務用の物なのか鎖世が運んでこれたとは考えがたいほどの大きさ。

 子どもなら人間でも簡単に収納できそうなサイズである。人間ですらだ。ひしひしと湧き上がってくる強烈な既視感。


「荷物の確認してもいいか」

「あなたの要請なら、受け入れないわけにはいかない」


 鎖世は存外素直に一歩下がる。警備員に確認を取ってからゲートを通ってカバンの傍に屈みこむ。そうして一気にジッパーを開けた。


「くぅ……くぅ……」

「…………」

「ぬぁぁ……ユイパンマンは、やっぱりおいしいのだぁ……」


 鞄の中には予想通りの人物が丸くなっていた。だが予想外なことにその本人は、散々自分のことで口論が起きていたというのにのんきなもので。


「おい凛音、起きろ」

「ぬぁっ!? な、なんなのだっ」


 問答無用にその額にデコピンをさく裂させる。凛音は驚いてかカバンの中から跳びあがった。寝起きで焦点が定まらないようだったが、やがてその大きな双眸で時雨の顔を捉える。


「何するのだっ、びっくりしたではないか」

「それはこっちのセリフだ。なんで鞄なんかに入ってやがる」

「カバン……?」


 まだ思考が回らないのか凛音は呆けたように瞬きを繰り返す。だがやがて自分が上半身だけ出しているカバンを見下ろす。そして思い出したようにはっとした表情を浮かべた。


「そうなのだカバンなのだ、ぬふふ、すごいだろシグレ」

「何がだ……?」

「ネイに前に教えてもらった通りにやったのだ。リオンは教訓を活かしたのだ。カバンに隠れてリオンはまんまと会場内にしのび込んだのだっ! 驚いたろ? リオンマンマなのだ、リオンはコーメーと言うやつなのだ、おコメは美味しいのだっ」

「確かに驚いたが、会場には忍び込めてないぞ」

「何を言っておるのだ?」

「言葉通りの意味だ」


 得意げに胸を張る凛音に現実を突きつける。しかし朝から見ないと思ったがまさかこんなところに潜んでいたとは。そう言えば先日、時雨の部屋で鎖世と何か怪しい話をしていた。考えてみなくてもこれがその内容だろう。

 しばらく意味を理解していなかったようだが彼女は周囲を見回す。警備員や遠巻きに見つめてくる野次馬たちの姿。そして自分がまだ外にいることを確認した。


「シグレ、おかしなことが起こってるぞ」

「現実だ」

「お、おかしいのだ、リオンの計画なら今頃、おいしい料理にかぶりついていたはずなのだ。コーメーの罠なのだっ」

「お前が孔明じゃなかったのか……そもそも何してるんだこんな場所で。カバンなんかに入って」

「シグレがリオンを招待してくれないと言い張るからなのだ」

「仕方ないだろ、棗の言いつけなんだ。ここには入れない」

「なんでなのだっ、いやなのだっ」

「招待されてない以上、入ることはできないだろ」

「いーやーなのだぁ! NEXUSのライブを見るのだっ!」


 駄々をこねる彼女にアメは与えない。何と言おうがここに入りたくても無理なのが現実だ。

 

「入れるのだぁっ」

「無理だ」

「リオンは絶対に帰らぬのだっ」

「あまり目立つようなことは……」

「今おとなしくしてくだされば、あとから時雨様がユイパイマンを百個ほど餌付けして下さいますよ」

「ユイパイマンなぞよりNEXUSの方がいいのだ」


 唯奈が聞いたら卒倒しそうなショッキング発言だった。


「シグレはケチなのだ」

「仕方ないだろ」

「ぬぅ、うなぁああっ!」

「……ね、ねえ烏川くん、可哀そうだよ」


 鞄の中で暴れまわる凛音を見かねたのか、紲が肩をつついてくる。


「せっかくここまで来てくれたのに……NEXUS、すごく見たがってるじゃない。それに一人で帰れ、なんて可哀そうだよ」

「それはそうだが……はぁ、何とかしてみるよ」

「シグレ、よいのか?」

「ここから歩いて帰れなんて流石に言えないしな……」


 しかしどうすべきか。


「時雨様、私に考えがあります」

「考え……?」


 ネイがいたずら気な表情で提案してくるのを聞いてなんとなく嫌な予感に苛まされる。ネイがこういう顔をしている時は大抵ロクなことを考えていない。


「私の言う通りに行動してください」

「まあ、いいけど……佐野警備員、ちょっと頼み事なんだが」


 ネイに指示され警備員に声をかける。


「なんだね。申し訳ないが、入場許可の下りていない人間を通すわけには」

「ああ、そうじゃないらし……そうじゃないんだ」

「そうじゃないのか?」


 入場許可の申請をすると思っていたのか凛音は訝し気に時雨を見上げてくる。当然の反応だと言えよう。自分のフォローをしてくれると思っていた相手が自分の予想から外れようとしているのだから。


「凛音様を歩いて帰らせるわけにもいきませんので、」

「凛音を歩いて帰らせるわけにもいかないから、」

「このカバンに入れて輸送したいのですが」

「このカバンに入れて輸送したい……ってなんだそれ」

「しっかりと復唱してから突っ込むあたり、時雨様は分かっております」

「酷いのだっ!?」

「ふむ、そうだな。斜向かいに建っているコンビニで可能だ。大き目の鞄だから定形外郵便になるだろうが。まあ人間を郵送なんて聞いたことはないが。この鞄に封をすれば荷物として受理されるだろう」

「こっちも酷いのだっ!」


 まあこんなことだろうとは思ったが。だがまあ実際凛音を会場に入れるのは無理なんじゃないだろうか。


「そうは言っても、どうしようもないよな」

「シグレ、ひどいのだっ!」

「ごぉぁ――――!」


 容赦のないエルボーが炸裂する。さらに容赦のないことに位置関係もあって彼女の肘は股間に吸い込まれていた。視界が真っ赤に染まっていく。


「大きな声を出さないでください。そもそも使い慣れてないからそんなことになるんです。その部分も佐伯・J・ロバートソン様に改造してもらった方が……あぁ、騒がないでくださいうるさいですね。どうせ一生使いませんよ!」


 さりげに恐ろしいことを言ってくるネイだったがそれに構う余裕すらない。激痛に蹲った時雨に紲が駆け寄ってきた。あまりの羞恥に死にたくなる。


「凛音様の怒りによる渾身の一撃ですね。あの凛音様が突っ込み役に回っている時点で驚きを隠せませんでしたが。我を失うほどの怒りだったのでしょう。その憤怒を抑えるためならば、時雨様の貧相な睾丸の一つや二つ軽い損害です」

「冗談抜きで潰れてそうなんだが」

「マジレスしますと、時雨様の場合、リジェネレート・ドラッグを用いればその程度の損傷の修復は可能ですので」

「怖っ……今後エルボーは禁止な」


 時雨でなければ痛みでショック死してるところだ。

 

「ショードーに任せただけなのだ」


 その衝動がいけないのだが。死傷者が出る前にやめてくれ。


「リオンは怒ったらショードーまかせに肘が出るのだ」

「絶対故意だろ」

「『恋』だなんて……痛みを快楽として受け取り、恋愛感情にまで発展させるなんて。時雨様は舞台裏のルーナス様以上のマゾフィストですね」

「舞台裏……? まあとにかく凛音、送ってやるから今日は帰れ」

「ぬぅぅ……」


 ぷくぅと頬を膨らませ恨めしそうに彼女は見上げてくる。基本的に人を嫌ったりしない凛音がこんな顔をするとは。先ほどの輸送うんぬんの冗談が相当気に障ったのかもしれない。


「けちんぼ」

「小学生みたいなすね方をするな」

「もう、いいのだ」


 彼女は静かに立ち上がりカバンの中から出る。そうして背を向けた。まさか本当に帰るつもりか。自分で帰れと言った手前さすがにそれは気が引けた。


「まあ待て凛音、悪かった」

「べつにシグレは悪くないのだ」

「冗談言って悪かった。ちゃんと掛け合ってやる」


 唆したのはネイだが。


「ほんと、か?」

「ああ、もうふざけない」


 と言いつつもあの警備員は職務を怠慢したりはしなそうだ。正面ゲートから牙城を崩すのは難しいか。いやそう決めつけるのは早計だ。まだ最終兵器が残っている。


「紲、織寧重工嫡女の権力に期待する」

「え? 私っ?」

「早速他力本願ですか」


 ネイのジト目には気が付かないふりをする。


「頼む、流石にこんな凛音は見ていられない」

「う、うん。尽力はしてみるけど」


 体裁などを気にしていても仕方ない。

 

「えっと、佐野さん」

「いくら紲お嬢様のお願いと言えども……」

「お願いっ、お父さんには私の方から説明しておくからっ」

「しかし……」

「お願い、ダメかな……?」

「……解りました」


 鎖世の無垢なる干渉には屈しなかった警備員も、どうやら紲には頭が上がらないようである。まあこの講演会の開催主の愛娘の申請とあれば、通さないわけにもいくまい。実際問題、時雨たちもその点に付け込んで会場に潜入したわけだが。

 

「約束は果たしたぞ凛音」

「うむ、やっぱりシグレは頼りになるのだ」

「約束は果たしたし、凛音、今後エルボーは封印だ」

「わかったのだっ」

「姑息な誘導術ですね……」

「もう、入っていい?」


 ひと悶着あったものの何とか騒動は収まった。それを見極めて鎖世が音響機材を乗せた荷台に手をかける。


「ああ、通っていいぞ」

「アンタにも迷惑かけたな」


 野次馬の目線が痛くてそそくさと会場内に入る。あまり目立って防衛省の人間に感づかれてはいけない。そもそも時雨の存在を知っている防衛省の人間もそんなに多くはないと思うが。

 

「どっと疲れたな」

「凛音の計画、ほころびあった?」

「ほころびしかなかったな。鞄に忍んだ所で生体探査でばれる。凛音もあまり目立つことはしないでくれ。俺たちは隠密に行動すべきなんだから」

「なぁなぁ、あのおっきなブタさんは何なのだ? こんがり焼けててすごくおいしそーなのだ、食べてくるのだ!」

「……聞く耳もちやしないな」


 人混みの中に消えていく後姿を見て思わずため息が漏れる。

 凛音はリミテッドにおいても有名な存在だ。まさかスファナルージュ・コーポレーションのマスコットがレジスタンスメンバーだと勘繰る人間もいまい。任務に支障をきたさないのならばほっといてもいいだろう。


「予定の時間までまだ時間あるな……燎はどうする予定だ?」

「私の出番までもっと時間ある」

「よかったら、一緒に見て回らない?」

「遊びに来てるわけではないわ」

「まあそう言わずに」


 鎖世の掴んでいた音響機材を押してスタッフに預ける。

 鎖世は時雨の顔をじっと見つめ何か言いたそうにしていた。ここに来る前に、今日の任務について詳細を棗から預かっているのである。その詳細を鎖世に話し聞かせるいい機会だと思ったのだ。


「でも生でNEXUSのライブが見れるなんて、思わなかった」

「まあ、実際にライブはしないと公言していたしな」

「どうして、燎さんはライブしてくれるつもりになったの?」

「必要とあれば、私は詮衡された役割を果たすだけ」

「せんこう……?」


 紲の問いかけに鎖世は感情の起伏もなく答える。親近的な紲も鎖世のそういう反応には困るようで返答に困っているようだ。


「確かに俺たちが頼み込んで来て貰ったが、普通にこのパーティーを楽しんでもいいんじゃないか」

「あなたがそれを言うの?」

「え?」

「あなたも心のどこかで沈着出来ずにいる。目的のことしか考えていないわ」


 見透かすような鎖世の発言に思わず押し黙る。

 そういうつもりはなかったが確かにそうかもしれない。せっかく紲に案内してもらっているのに周囲の監視の目ばかり気にしている。


「あなたが楽しむ気がないのなら、私もそのつもりはないわ」

「何故に」

「前にも言った。違うものに向かい合っていてもどこかで重なってるかもしれないって」

「…………」

「肩の力を抜いて柔軟に取り組むといい」


 そう言って彼女は時雨がたった今機材を預けたばかりのスタッフのもとへと向かう。

 もしや彼女は、時雨の中にある緊張や張りつまった感情を読み取っていたのか。それを気づかせるために無関心を装っていたのか。彼女が人混みの中に消えたいまそれを確かめるすべはなかったが。

 と思いきや人混みの中から消えたばかりの鎖世が歩み出してくる。


「時間まで何するの?」

「持ち場に付きに行ったんじゃなかったのか」

「機材の設置をお願いに行っただけ。私も無意味に時間を浪費するつもりはないわ。時間は待ってくれないもの。不詮衡な世界は常に流動してる」


 よく解らないがこの講演会で楽しめばいいということか。この後に難関な任務が控えている以上、素直に楽しめる気もしないが。

 まあせっかく案内してくれている紲に対する礼儀として満喫させてもらうか。


「あ、そろそろ講演会が始まるね」

「最初の題目はダンスパーティだったか」

「うん。ダンスって言っても、ただそれらしい雰囲気の曲を演奏されるだけなんだけどね。踊るか踊らないかは個人の任意だよ」

「俺はダンスなんて出来ないからな。遠巻きに眺めてるか」

「私も、特別なダンスレッスンは受けたことがあるけど……あんまり踊りたくはないかな」


 まあ紲がそういうのも当然だろう。洋画などではありふれたものだとはいえ、通常パーティでダンスなど開催されない。ましてや紲は主催者の愛娘とは言ってもまだ19か20歳の少女である。公衆の面前で踊るなどとは羞恥心からできないのだろう。


「私、興味あるわ」

「まじで……?」

「凛音と踊りたい」


 会場の人間たち十数人たちが踊っているのを見て何かを勘違いしたのかもしれない。鎖世は料理にがっついては回っている凛音のもとへとむけて歩んでいった。

 

「まあ燎は、こういう舞台的な企画とかも苦手ではなさそうだよな」

「燎さんは他とは違った感性を持ち合わせているよね」

「不詮衡な世界とか、そんな意味の解らないことばかり言っているからな」


 何も知らない人間からしてみれば少し頭の痛い子なのかと思われがちだろう。


「俺たちじゃこんな場所にいても場違いなだけだが」

「この講演会開催中は、しばらくずっとダンス自体は続けられるから……そういう意味では肩身が狭いかも」

「確か次にあるのは、迎賓への挨拶だったか?」

「そうだね。そろそろお父さんが始めると思うんだけど……あ、ほら見て」


 紲が指し示す先はホール会場の中央部。そこの一段高くなった場所には先日見た恰幅のいい初老の男性が経っている。織寧社長だ。


「既にお話してるみたいだね。話し相手は……この間見た人かな」

「…………」

「烏川くん?」

「あ、ああ、そうだな」


 そんな彼に対面している人物を見て思わず茫然自失としていた。

 

「社長、本日の講演会、僕も無事ここに参加できる形になって満足だよ」

「山本、一成──」


 反射的に紲の手首を掴んで人混みの中へと姿をくらませる。あの男が何故社長と……?


「か、烏川くん……?」

「すまない、もう少しそのままでいてくれ」


 紲は驚いたようにテーブルの陰に隠れる時雨の後ろから声をかけてくる。彼女を匿う必要はなかったが、あの男を見ると脊髄反射的に最悪の状況を危惧してしまう。


「貴方がたのおかげ様ですよ。あなたと佐伯局長が化学開発班の資金を回してくれなければ、我々も今後の運営を再考慮敷かねばならなくなっていました。その工面で講演会もそつなく開催できたというものです」

「いいや、これは等価の契約と言うやつだよ。防衛省と織寧重工、それぞれに損のない契約を結ぶべく尽力したにすぎないさ」


 皮肉げに社長は一成に応じる。それが皮肉とはわかっているだろうに一成は飄々とした態度で答えた。


「それで例の一件だけど」

「勿論、心得ております」

「まあ、これだけの数の警備兵を見れば、それは分かるけどね。でも中には僕の知らない顔ぶれもある」

「どういう事ですかな」

「君が厳戒な警備態勢を敷くことを怠ることで、もし不測の事態に陥ったらどうなるか、と言うことだよ」

「そのようなことは……」

「あると言い切れるかい? 僕は織寧重工の全てのスタッフの顔を記憶してる。でも警備員の中に知らない顔がある。これがどういうことか解るよね」


 一成は胸に差していたどす黒い薔薇を手に取り、その切っ先を社長の顔に向ける。鋭利な切り口が社長の目に接触しそうになったところで、一成はふっと体の力を抜いた。


「まあ、僕の記憶違いと言うこともあるからね。今回は見過ごすよ」

「わ、我々の警備体制に穴などありません。あなたたちの計画を妨げるようなこと我々がすると思いですか?」

「ふっ……まあそれもそうだね。でも次はないよ」


 一成はバラを社長の胸ポケットに差し込む。そうして社長の脇の通り抜けざまにそっと呟くのが聞こえた。


「その次が訪れることも、なさそうだけど」


 一成は社長の元から離れていく。そんな彼の後姿を見据えながら社長が舌打ちをしたのが解る。彼の姿が人混みの中に消えた時点でインカムを軽く小突いた。


「確認している。山本一成は現在警備員の照会をしている」

「俺たちの構成員が忍び込んでいることがばれたか?」

「レジスタンスの人間であるとまで断定されたわけではないだろうがな。何かが発覚する前に、早めに織寧社長に接触をする」


 紲に来賓の紹介をしてもらいながらインカム越しに棗からの指示を仰ぐ。


「接触自体は難しくない。俺はスタッフに扮して接近する」

「だが交渉の間、どうやって注目を浴びずにいるつもりだ?」

「調べたところ、ダンスパーティー自体はこの後に活性化するらしい。その騒ぎに便乗して接触する」

「万が一のこともあるだろ」

「そのための君の存在だ。防衛省関係者その他が俺に感づいたのを察知したら、すぐに知らせろ。場合によってはアナライザーを使っても構わない」


 粗雑な計画だが、まあ今はそうするしかなさそうだ。棗の言うように、数分後には演奏の曲調が激しい物に変化した。それに合わせるように、会場も騒がしくなっていく。

 会場内に目を走らせ、棗を監視している人物がいないかを探ることにした。


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