2055年 10月7日(木)

第51話

「明後日の計画、着実に進行しているようだな」


 軍法政策会議室に足を踏み入れた瞬間、髭顔が視界いっぱいに広がった。貫禄を感じさせるほどの蓄えられつつも整えられた髭。

 それを掴んで引っこ抜いたら、眼の前のこの伊集院純一郎はどんな面白い反応をしてくれるだろうか。そんな酔狂なことを目論みながら佐伯・J・ロバートソンは肩をすくめる。


「省長の望んでいた通りに事が進みましたねえ」

「ああ。その通りだ。何の滞りもなく円滑に。あまりにも円滑に進みすぎている」

「何が仰りたいのですかな?」

「当初期、君が提示した契約金についてだ。今回の新型A.A.の開発費用はまかなえても、今後の織寧重工の運営に支障をきたす度合いの額だった。あれで織寧社長が納得するとは到底思えないのだがな」


 このヒゲなかなかにカンの鋭い、と佐伯は内心で称賛する。資金繰りなどに関しては全く心得のない人物だと思っていたがそうでもなかったようである。

 伊集院の言う通りだ。最初期に織寧重工に対して提示した見積額はとても今後の運営が成り立つ額ではなかった。

 それ故にあの小心な社長が資金の再編成を要求してきたのである。自分達がリミテッド最大の重工業企業として君臨することを容認している防衛省に楯突いてまでである。

 それほどまでに織寧重工は経済的に困窮しているのだろう。それは当然だ。防衛省は今回織寧重工重厚にその存続権と天秤にかけさせ、半強制的に新型機の開発を促したのだから。

 

「さてはて、織寧重工は最近かなりの黒字運営と聞きます故。資金に余裕があったのではないですかな」


 その前提を目の前の無知なる省長に告げる必要性は皆無だった。それを告げれば自分の立場が悪化することを理解している佐伯は、あくまでも白を切る。ここでこれ以上不審がられては計画がすべて水の泡と化すからだ。

 社長に対し話したことの大半は嘘だ。本来、防衛省が彼の要求に応じることなどたやすい。いくら資金飢饉に陥っているとはいえリミテッドは防衛省の天下なのである。数十億、数百億と言う金はモノの数分で生み出せてしまう。

 あの時佐伯が伊集院に掛け合っていれば伊集院は躊躇なくその再編成を飲んだことだろう。だが佐伯はあえて伊集院にそれを隠した。自らの所属する化学開発班の資金をそちらに回したのである。全ては己の計画のために。


「口が達者な奴だ。まあいい、無事新型A.A.調達の手はずは整った。どんな手管を使ったにせよ、その事実が今は必要なものだ。解決したからには詮索はしまい」


 そう言いつつも伊集院の佐伯を見る目は抜け目ない。お前のことは監視しているぞとでも言わんばかりの目だ。


「佐伯局長が来て全員が集まったな。これより今任務についての概要を説明する」


 伊集院と佐伯が円卓についたところで軍法政策会合が始まった。その場にいるものたちはいつもの定期会合の顔ぶれ。

 TRINITYからその統括員長である妃夢路。傀儡政権の象徴たる皇太子・昴の護衛隊長である陸上幕僚長の酒匂泰造。その他防衛省の重役たちが一堂に会していた。だがTRINITYの席は相変わらず一つだけ空いている。


「全員じゃねえ。例のアサシン野郎は今回も欠員だぜ」

「むしろ会合に出たの見たことない」


 立華兄妹の言う通り、ここにいるほとんど者が久しくもう一人のTRINITYにあっていないことだろう。

 防衛省長つまりラグノス計画のリーダーである伊集院でさえ顔合わせしたのはいつだったろうか。指示のために無線連絡はしたものの、まともに任務に取り組んでいるかすら怪しいところだ。

 

「とにかく決行日は10月10日の正午からだ。会場は織寧重工本社ホール。そこでパーティーの形で開催される」

「その辺の概要は各々理解してるさ。今は必要事項だけまとめようじゃないか」


 会合中だというのに電子タバコをふかす妃夢路。副流煙を遠慮など知らずに室内に撒き散らす彼女は、円卓にその豊満な胸をもたれかけさせ何が愉しいのか意味深な微笑を携えている。

 彼女には何を言っても無駄であることは知っているため伊集院は指摘をせずに話を続ける。


「この作戦は、あくまでもこの講演会にレジスタンスが介入してきた場合に発令するものだ。会場には武力掃討である立華薫、また状況管轄のために山本一成に潜入してもらう。外部には立華紫苑が控えろ。狙撃銃の用意もしておけ」

「狙撃可能? 講演会場で」

「そのことに関しては、既に会場警備の一環で社長との間に話を付けている。君たちは難なく内部に入れるはずだ」


 そう言って伊集院はTRINITY達に入場コードを送信する。それを確認していた山本一成は不審そうに目を細める。


「質問ですが、場合によっては会場で戦闘に陥っても問題ないと?」

「今後の織寧重工との関係もある。可能な限り被害は最小限に抑えたい手段は問わない」

「了解。マイクロ特殊弾の使用は控える?」

「構わん」


 それから数十分にわたって作戦の最終確認が成された。何度も全体会合で確認をした事柄ではあったがこの作戦ばかりは失敗できないのである。

 うまく行けばこれでレジスタンスの構成員を拘束できるかもしれないのだから。


「聞きましたね、アダム」

「もちろんさ」


 会合が終わり伊集院が会合室から出ていくなり、佐伯は一成を呼び寄せる。


「局長の合図を確認次第、僕たちは会場の外へと離脱すればいいんだろう?」

「ええその通りです。同時に、会場内の重鎮をさりげなくゲートにまで誘導しておいてください。伊集院省長の言う通り、出来るだけ被害は抑えないといけませんからねぇ」


 不敵に笑って佐伯はほくそ笑む。一成はそんな彼の姿を見て捻じ曲がった感性の持ち主だなと思った。まあ自分自身も相当変わった性癖の持ち主なのだが。


「で、アンタはデルタボルトの用意、か」

「察しがよくて助かりますねぇ」

「非人道なんてレベルの話じゃねぇな。まあ俺としちゃ、戦場ならどんな場所でも関係ねえけどな」

「戦いなんて起こらないに越したことない」


 薫と紫苑の言葉に佐伯は不気味な笑みを浮かべた。この時のために伊集院に内密に織寧重工との契約を進行させたのだ。

 デルタボルト。再びあのレールガン施設を使えば確実に自分はデルタボルトへのアクセス権限を失うだろう。

 当然だ。工業発展区域とはいえ、台場フロートの一部に教育機関ができフロートに一般市民が四桁人数移住しているのだ。そんな場所に大量虐殺兵器を打ち込めば自分は幽閉されることになるだろう。そう佐伯は考える。


「ですが、それでいいのですよ」

「まったく、局長はいつも悪い顔をしてるね」

「今回のこの計画がうまく行けば、もはや我々の目的は半ば完遂したも当然ですから。その暁には……」


 その先は何も言わない。だがその場にいた者のほとんどがその言葉に続くものを理解していた。

 彼はこう言おうとしたのである。改革の兆しが見え始めましたね、と。



 ◇



 酒匂泰造は伊集院が会合室を後にした後、佐伯を筆頭にTRINITYが怪し気に会話をするのを遠巻きから見ていた。インカムから彼らの会話が流れ込んでくる。

 立華薫は武力掃討部隊の要と呼ばれる戦闘狂であるが、その実、戦闘面以外における注意力は散漫しがちだ。その抜けた部分を妹の紫苑が賄うのが立華兄妹であるが、かと言っても紫苑が兄の全てを網羅できるわけではない。

 現彼のビジュアライザーに仕込まれた盗聴プログラムに感づいたものはいなかった。なお気づかれた場合に際して山本一成の端末にも仕掛けていたわけだが。どうやらそっちにも気が付かれた様子はない。

 酒匂は彼らの会話が終了するのを見計らってホールを後にする。普段ならばこのまま昴の待つ皇太子控室に向かうのだが、彼はそちらには向けて進まなかった。

 ホールを抜け帝城関門ゲートへ。そこで彼の前に一人の少年が彼の前に躍り出る。


「待っていました、酒匂さん」

「お忍び姿もお似合いですぞ、昴様」


 到底皇族とは思えない顔を隠すためのフードで表情の殆どが隠れている。だがそれでも酒匂にとってそれが昴であることを判別するに当たっての弊害にはなりえない。

 彼もまたインカムを耳に付けている。自分が解説するまでもなく会合の内容はすべて把握しているだろう。


「講演会に関してですが、どうなりそうです?」

「現状では判断しかねますが、第三勢力の介入の可能性は大いにありますな。それがレジスタンスであるのならば昴様の計画は順調に進みそうですぞ」

「アイドレーターであった場合は臨機応変に対応するしかないですか」


 複雑そうな表情を浮かべつつも昴の顔に迷いの色はない。一度やるからにはやり切る、それがどんなに過酷な状況だとしても。

 それがこの東・昴と言う人間だ。気高く気丈で心の強い。酒匂が惚れ込んだ齢15の現皇太子。


「懸念すべきは、伊集院省長やアイドレーターよりもまず水面下組織ですな」

「佐伯・J・ロバートソンを始めとした、左翼の者たちですね」


 昴の頭を悩ませるのは基本的に彼らの行動ばかりだ。これまでの昴の計画をことごとく破綻させてきたのはすべて彼らである。

 A.A.輸送任務の時もそれ以外の様々な事例も。今回もまた妨げとなってくることは間違いあるまい。


「具体的に、彼らがどのように動くと推測していますか?」

「デルタボルトの使用を嘯いておりました故。もしかすれば、会場の破壊工作すら考え及んでいるかもしれませぬな」

「デルタボルト……ローレンツ力を用いたレールガンですか」

「デルタボルトの脅威は、使用する弾丸に依存します。通常弾ではなくナノテク弾頭。基準ナノマシン含有量として、180グラムと規定。先日の廃工場狙撃の一件では、極端に含有量を減らした20グラムほどの弾頭だったという話ではありますが。それでもあの規模の損害でしたからな。もし基準値の弾丸で狙撃することになれば、最悪リミテッド全域が火の海……ナノマシンの海と化すかもしれませぬな」


 さすがに佐伯もそこまで思い切った行動には出ないと思うが。

 たとえどれだけ含有量を抑えたとしてもナノマシンの自動複成作用は侮れない。1グラムとて織寧重工を壊滅させることもたやすいだろう。


「そんなことはさせません」

「勿論ですとも。そのようなことがあってはなりませんな」

「それでは、行きましょう酒匂さん。妃夢路陸准尉に申し立てて作ってもらった偽造IDの有効期限が切れてしまいます。酒匂さん、ぼくに力を貸してください。リミテッドのために。そしてこの領域で生きるすべての民のために」

「仰せのままに」 


 頼もしい昴の後ろ姿に酒匂は深く敬礼をする。

 勿論どこまでもお供する所存でありますと酒匂は心に誓った。

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