第48話

 

 唯奈たちとは別れ時雨は一人紲のもとへと向かっていた。まだシエナと一緒にいるらしい。おそらくは紲を一人にするわけにはいかないと彼女が気を利かせて、一緒に待ってくれているのだろう。

 足早に彼女たちが待つ場所へと向かっていた。繁華を抜けレッドシェルター赤外線ウォールを目指す。その近くのカフェで待ち合わせと言うことだったから、あと数分で着く距離だろう。


「あ、時雨様、止まってください」


 だが近道にと通った路地裏を向けた辺りでネイに制止させられる。


「どうした?」

「耳を澄ませてください。エマージェンシーコールです」


 彼女に指摘されて耳を澄ます。すぐにサイレンのような音が遠くから聞こえて来た。


「何か事件か?」


 このサイレン音はリミテッドでは不吉な音だ。警備アンドロイドが緊急事態時に慣らす音だからである。

 大抵は事件が起きた場合。通り魔事件だとか破壊工作だとか。これがなったときアンドロイドは銃殺抹消プログラムのリミッターが解除される。そうして犯罪レベルを見極め罪人を射殺するのだ。

 つまり、アンドロイドが抜銃するほどの犯罪が現在進行形で起きているということである。


「命知らずな奴だな。エリア・リミテッドで犯罪犯すなんて」

「近年まったく聞かなくなったコールですからね。大方、酒に寄った中年オヤジが、道行く女性を犯しそのまま殺害してしまったとか」

「当然といえば当然だが、それで殺害されるのは嫌だわな……ん?」


 不意にビジュアライザーに着信が入った。


「誰だ?」

「月瑠様ですね」

「霧隠? なんでこんな時間に」


 たしかに表示されている連絡先画像は月瑠の間の抜けた表情である。


「大方、やっぱりあたしも連れて行ってくださいよ~、とかそう言う旨の連絡でしょう」

「いまさらそんなこと言われても困るんだが」

「月瑠様は筋金入りのアホ様ですので。まあ早とちりな時雨様には、それくらい遅れ気味の月瑠様がお似合いで――――!」


 冗談半分で応答してきていたネイが不意に息を詰まらせる。


「時雨様、急いでその場から離れてください!」

「何故だ」

「いいですから、早く!」


 普段は聞くことなどないネイの切羽詰まった叫び。あまりにも鬼気迫る声音に、理由を問い質すことすら出来ずにその場から離れる。そうして建物の物陰に隠れた。


「隠れたには隠れたが、サイレンが鳴っている地点、ここから結構離れてるが」

「それでもです、すぐに逃げてください!」

「逃げるって、さっきから何言って――――」


 銃声が轟いた。弾幕のような炸裂音の嵐。暗闇の中に無数のマズルフラッシュが弾ける。


「アンドロイドの銃殺が始まったか。それにしても、だいぶ過激な、」

「何悠長なことを言っているのですか! これはアンドロイドの銃撃ではありません!」

「え……?」


 嫌な予感が背筋を伝う。そしてその悪寒が核心に切り替わった。

 何かが暗い空を舞い時雨のもとへと吹き飛んでくる。それは隠れ潜む場所からほど近い十数メートル地点に落下した。瞬間――――真っ赤な飛沫が吹き散らされる。


「な……っ!」


 地面に弾けてバウンドしたものは人体。血潮を吹き散らしながら全身を打ち付け転がる。その遺体はあたかも枝から落ちた熟しすぎの果実のように、ぺしゃんこに押しつぶされていた。

 あたりに民間人の悲鳴が反響する。


「一体、何が……」

「早く逃げて……いえ、もう間に合いません、隠れてください」


 反射的にアナライザーを引き抜こうとしたところでネイが再度囁く。

 彼女に言わるがままさらに奥に身をひそめる。そこから地面に転がっているピクリとも動かない人体を見据えた。真っ赤に染まった姿を見ても確実に息はないだろう。

 だがそれよりもその人物の着ている服に意識を奪われる。いや服と言っては語弊があるか。それは屈強な鉄板のようなアーマーで構成された戦闘衣。


「U.I.F.……っ」


 見間違えようもない。だがしかし何故こんな場所で死んでいる。

 弾丸ですらまともに貫通しないアーマーには亀裂が走り、そこから血潮が滲みだしている。近くに落ちているアサルトライフルを見ても、先ほどの銃撃はあの兵士の物だろう。一体、誰と戦っていたのか。


「なあ、ネイ」

「黙ってくださいっ! 可能な限り息をひそめて!」


 何がどうなっているのか解らずアナライザーを構えながらネイに問いかけようとする。だがやはり彼女は取り乱したままだった。インカム越しに聞こえる彼女の声は心なしか震えてすらいる。


「いいですか時雨様、落ち着いて聞いてください」


 声を出してはいけないため無言で応じる。


「あのU.I.F.が襲われる直前、私はノヴァウィルスを検知いたしました」

「!?」


 まさかノヴァが攻めてきたとでもいうのか。だがここはリミテッドだ。イモーバブルゲートを越えてノヴァが侵入してくることなどできない。


「敵はノヴァではありません。もっと強大な……危険な――――」


 隠れ場所から見える路上に人の影が差した。闇夜に呑まれ姿は明瞭ではない。その人物は路上に倒れているU.I.F.の元まで歩み寄りじっと見降ろしていた。

 やがて月を覆っていた暗雲が晴れていく。月光が路上を照らしていき飛散したどす黒い赤い色に染め上げて行った。

 やがてその場に佇む人物の姿が明らかになっていく。


「ッ!!??」


 乱れた髪と悪趣味な片眼鏡。具合が悪くなるほどに真っ白な白衣には一切の返り血が付着していない。

 

「挨拶も何もなく、突然殺そうとしてくるなとは……何たるギルティ」

「倉嶋、禍殃――――!?」


 衝撃に一瞬言葉を失う。だが見間違うはずもない、そこに佇んでいるのは確かに倉嶋禍殃だった。


「どうして、あいつが……!」

「落ち着いてください! この場所を捕捉されてはなりません!」


 思わず声を出していた口を塞ぐ。ゆっくりと息を吐き出して逸る鼓動を無理やり抑え込んだ。

 彼は時雨の存在に気が付いている様子はない。禍殃は遺体の傍に立ったままビジュアライザーを展開する。


「U.I.F.三課・陸上自衛隊佐々木五郎……ふん、また一成の差し金か」


 彼は特に感慨もなさそうにそう呟いていた。一成――山本一成のことか。何故ここで彼の名前が出てくるのか。


「それにしても、ギルティの気配がするな」


 ビジュアライザーを消灯した禍殃。彼はその場に立ち止まったまま周囲を見渡していた。

 

「時雨様、絶対に動かないでください。このままやり過ごします」


 もし彼に見つかったらどうなるか分からない。

 彼に顔を見られている以上、時雨がレジスタンスの人間であることは見識のうちであろうし、それ以前にもともと彼とは顔見知りだ。

 前回は薫から逆に救ってもらった形になったが、今回はきっと殺されるだろう。そう思わせるだけの殺戮性が彼にはあった。

 大量の血を噴き出す遺体。路面を赤く染めるそれを見ればそれは一目瞭然だ。

 禍殃はしばらくその場を見回していたが、やがて視界から消える。このままやり過ごすことが出来そうだった。


「っ」


 のに。ビジュアライザーが再度鳴り響く。発信者は確認するまでもなく月瑠だ。


「まずいですっ! 倉嶋禍殃が戻ってきています!」


 反射的に着信を止めたが時は既に遅かった。カツンカツンと路面を歩む音が近づいてくる。嫌な汗が頬を伝い落ちるのを感じながらアナライザーを構えた。

 対面して倉嶋禍殃に勝てるとは思えない。時雨が散々痛めつけられた薫をこの男はモノの数秒で戦闘不能にまで陥れたのだ。見つかれば生きて帰れる保証はない。

 無慈悲にも足音はすぐ近くにまで迫ってきていた。かつんかつんと音が大きくなるたびに、自分の心臓の音も大きくなっていく。

 肋骨と胸を突き破って、心臓が飛び出してしまうのではないかと言う苦しさ。そして――――。

 

「あ、や~っと見つけましたよ、センパイっ」


 時雨の隠れ潜む物陰に頭をのぞかせたのは月瑠だった。見違えるはずもない霧隠月瑠の姿。

 呆気にとられ、反射的にアナライザーを隠しつつ彼女の後ろに禍殃がいないことを確認する。彼女以外には誰もいなかった。


「お前、どうしてこんな場所に……」

「なんでって、センパイを探しに来たんですよぉ」


 どこか怒ったように彼女は時雨をねめつけてくる。そんな彼女に問い返そうとしてそんなことをしている場合でないと再考した。彼女を護るように背中側に押しやり潜んでいた場所から身を乗り出させた。

 赤く染まった路上には誰もいない。正確に言えば生者はだが。

 月瑠は死体のもとに屈み込んで、血を噴出させているU.I.F.の遺体をまじまじと眺めていた。


「しっかし、物凄い遺体っすね。前に見たジャパニーズニンジャの映画で、こんなのありました。カタナでこうシュパシュパーって首切るんすよ。超クールっすよね! まあ、こっちの遺体はお世辞にもクールとは言えませんけど」

「霧隠、お前……」

「時雨様、それより今はここから離れてください。新たな警備アンドロイドがこの場所に向かってきています」


 遺体を前にしても少しも動じない月瑠。そんな彼女に激しく動揺を思えながらも、ネイに言われたようにその場から離れることにした。

 甲高いエマージェンシーコールがそこら中から響いてきている。今はできるだけ早くこの場所から離れることが先決だ。捕縛される可能性があるし、それ以前に禍殃がまだどこかにいる可能性もある。


「センパイ、あたし、何度も電話したんですよ~」


 その場から十分離れ雑踏に紛れた辺りで月瑠がそう言った。シエナに連絡し紲を匿うよう指示を出していた時雨は、一安心しながらもその場にくずおれる。最悪の事態にならなくてよかった。

 

「その電話のせいで……いやそれはいい。何か用事か」

「何か用事かって……ひっど~い、あたし、センパイに帰れって言われて、すっごくつらい思いしたんですからねっ」

「大げさな」

「まったく誇張してませんよ。あたし、センパイの言葉は守らないといけないんで自分のゼミに行ったんですよ。そしたら委員長らしき学生から、自分のゼミに戻りなさいって言われたんです。あたし、超ハートブレイクされました」

「普段から自分のゼミにいないのが原因だ。自業自得だ。そもそも返事になってないぞ」

「それであたしやっぱデイダラボッチは嫌なんで、センパイ探しに出てきたんですよ。でも電話しても出てくれないし、おまけにセンパイはかくれんぼしてましたし」

「かくれんぼって……別にお前から隠れていたわけじゃない」

「ならなんであんなところにいたんですか? センパイの着信音が鳴らなかったら、あたし気が付きませんでしたよ」


 少し責めるような目線。責められるのはお門違いな気もする。


「そもそも、どうしてそんな平気でいられてる」

「平気なんかじゃないです。センパイ見つからなくてあたし寂しかったです」

「そういう意味じゃない、どうして――――死体を目にして、そんな平常心なんだ」


 結局はそこだ。この少女は何故こんなにも快活に無駄話をしているのか。たった今、月瑠の目の前で人が死んでいたのだというのに。

 アーマーで覆われているとはいえ肉体を押しつぶされ、周囲に流血を噴き散らした凄惨な地獄絵図。ましてやこの少女はその血の海の中を歩んで時雨の場所にまで来たのだ。

 時雨のような戦場をいくつも越えてきた人間ならばともかく。月瑠のような少女がそれを見て何も思わないわけがない。

 時雨は彼女の中に冷たく冷え切った何かを見ていた。同時に僅かな恐怖心まで芽生えてくる。この少女は普通ではない――――やはり月瑠はアイドレーターなのか。


「えーでも、死体なんて別に珍しいものでもないじゃないですかー」

「いや、珍しいだろ」

「あたしは、これまで何度も見て来ました。ジャパンに来るまでに、何度も」


 その言葉を耳にしばらく意味が解らなかった。だがやがて思い当たる。月瑠は海外からやってきたと言っていた。それがいつだとは明確には知らされていなかったものの、今考えればノヴァ侵攻のあとだったんじゃないのか。

 世界が死と絶望の渦に呑まれる中、彼女はリミテッドに亡命してきた。そう考えれば死体を見慣れているのもおかしくはない。これまでいくつもその屍を越えてきたのなら……感性が狂っていてもおかしくはない、普通なのだ。


「時雨様の感性も、おかしくなっているようですけどねえ」

「え……?」

「死体を見慣れているからと言って、死体を見て感心することが、果たして普通と言えるでしょうか」


 油断はやはりできなそうだ。考えてみれば、月瑠がアイドレーター局員ではないなんて証拠はどこにもないのだ。

 ただインターフィアで彼女のビジュアライザーにらしいデータがなかっただけである。データがないからと言って局員でない理由など存在しない。

 だからかまをかけることにした。


「倉嶋禍殃、知っているか」

「どこかで聞いたことがある名前っすね。それがどうかしたんですか?」

「……聞いたことがあるのか」

「はい、えーと……あ、思い出しました。アイドレーターの首謀者っすよね」


 どこか白々しい月瑠の反応。アイドレーターは毎日『アイドレーター日報』と言う名前で動画を配信している。たしかにその中で禍殃は自分の名前を名乗ってはいた。

 だがこの月瑠の反応はやはり白々しい。とってつけたような回答。それでいて彼女は少しも取り乱した様子がない。あくまでも素の反応だとも思わせられる。


「禍殃センパイが、どうかしたんすか?」

「セン、パイ……?」


 聞き捨てならない言葉が彼女の口から漏出した。これはもはや確認するまでもなく――――。


「なんですかセンパイ、あたしの顔をじっと見つめて。ジャパンではイケメンに見つめられすぎると、それだけで妊娠してしまうらしいんでやめてください」


 そっと彼女から目を逸らす。月瑠は自分の迂闊な発言を訂正しようとすらしなかった。

 それでも間違いない。信じたくはなかったがもはや信じざるを得まい。本人の口から疑わしい言質が出てしまっては。もはや撤回のしようがなかった。


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