2055年 10月5日(火)

第49話

「烏川くん、少しいいかな」


 倉嶋禍殃との接触から1日が経った。大学では半月後に控えた文化祭の準備が着実に進んでいる。が、任務に関しては依然停滞したままだ。


「どうした?」

「前に烏川くんにお願いされてた招待コードの件。お父さんに了承貰えたよ」

「俺と教職員の分のことか? そんな簡単にもらえるものなのか?」


 勿論教職員とは棗のことである。あの棗が教職員などと違和感が湧き出してきてやまないが紲に彼の潜入を進言するのにはそれが一番手っ取り早かった。


「お父さんには理由を聞かれたんだけど……烏川くんの名前を出したらすぐに納得してくれたよ。たぶん、シエナ理事と知り合いだってことを知っていたんじゃないかな」

「俺の名前で……?」


 胸騒ぎがする。不信感が喉元までせりあがってきて沈んでいくような。

 とはいえこうして招待コードを出してくれたというのはそういうことなんだろう。深く考えても致し方あるまい。

 紲は簡易メモリのようなものを二つ差し出してくる。

 

「これが当日のコード二人分。端末にインストールしておいてね」

「助かるよ。それからNEXUSの方はどんな感じだ?」

「お父さんは別にいいって言っていたんだけど、燎さんの方はどうなんだろう……」

「結局、ネックはそこか」


 さりげなく教室の隅にいる鎖世のことを見やる。彼女はいつも通り目を閉じてその空間に溶け込んでいた。

 周囲の学生たちは彼女に近寄りがたいのだろう。鎖世の周りだけ不自然な空間が出来ている。


「シグレ、サヨのことをじっと見つめてどうしたのだ?」

「どうすれば燎はライブをしてくれるか、と……って、なんだその恰好」


 凛音が身に纏っているのはいつも通りの制服だ。だがその上に、『C.C.しぼっちゃうぞっ』とプリントされたエプロンが着せられていた。


「これか? ゼミの者たちが、リオンにこれを着ろとうるさいのだ」

「文化祭当日のC.C.Rionスタンド。制服だとつまらないから、凛音ちゃんにはそれを着てもらうことになったんだけど……」

「けど?」


 語尾を弱めた紲。何か問題でもあるのか?


「是非、是非でござる。小生のC.C.賢者を搾るでござる。凛音殿」

「ふんっ!」

「スンドゥフゥ!」

「ああ……」


 凛音に駆け寄ろうとして唯奈に撃沈された明智。その姿を見れば一目瞭然だった。


「そんなことよりシグレシグレ」

「ん?」

「リオンはいま聞き捨てならない言葉を聞いた気がするのだっ、NEXUSがライブするのかっ?」

「いや、どうなるか正直解らない段階だが……やってもらわないと困るな」

「リオンも見れるのか? 見たいのだっ」


 鬼気迫る面持ちで詰め寄ってくる姿は凛音にしては珍しい。それほどまでにNEXUSのライブがみたいのか。まあこの間の消沈ぶりを見たあとであるからそれも納得ではあるのだが。


「……これは任務の一環なんだぞ」


 そうは言っても凛音は同行させられない。これまでも彼女が同伴すると厄介なことが起きてしまうのが常だった。

 今回ばかりはM&C社とのコンタクトの目的もあり彼女は連れて行きたくないというのが本音なのだ。


「ずるいのだシグレ、リオンも連れて行くのだ」

「無理」

「なんでなのだっ、毎日の規定外ブラックなシャチク生活にリオンはお疲れなのだっ、たまには有給を取って生ライブに行きたいのだっ」

「観光じゃないんだぞ……というかどこでそんな言葉を」

「ネイがカンペを出してるのだ」


 凛音の視線を辿るとホログラムウィンドウを表示させたネイが素知らぬ顔で肩を竦めて見せる。確かにウィンドウには今しがた凛音が発した発言と同じセリフが綴られていた。


「ダメな物はダメだ」

「ぬぬぁ、なんでなのだっ、シグレはケチなのだっ」

「ッ……だからみぞおちはやめろ」


 腹部に突き刺さっているちっこい肘。そこまで凛音の怒りのボルテージは彷彿としてしまっているのか。


「……ねえ烏川くん、別に招待してあげてもいいんじゃないかな」


 床でじたばたとごねる凛音に見かねたのか紲が声をかけてきた。


「別に招待コードをもう一つ発行するくらいなら、難しくないよ……?」

「俺だって本当なら招待してやりたいところだが」


 脳裏に浮かんでいたのは例の廃工場での一件だ。凛音がデルタサイトのブレーカーを落としたため災害級ハザードフェンリルが発生してしまった。

 レジスタンスだけでなく拘禁されていたホームレス全員の命が失われかけたことを鑑みても凛音は同伴させられない。


「どーしてもダメなのか?」

「どうしても駄目だ」

「……解ったのだ」


 大きな耳を項垂らせて凛音は萎れたようにこうべを垂れた。


「意外と簡単にあきらめたな」

「シグレがダメだというなら、仕方ないのだ」


 そうは言うものの消沈っぷりは常軌を逸している。ここまで元気のない凛音の姿を見るのはなんとなく心に来た。


「解った……皇に確認してやる」

「ほんとなのか?」

「確認するだけだ」

「ありがとーなのだ!」


 感極まったように典型的な万歳をして感情の高揚を表現してくる。

 端的に凛音参加の旨を棗に送る。数十秒とせずに返事が来た。


「許可できん」

「らしい」

「ひどい仕打ちなのだぁっ!!!」

「くぉっ……!」


 先ほどの数倍の圧力とインパルスが鳩尾に爆ぜた。凛音の一切の遠慮も知らないエルボーに時雨はうずくまる。

 この衝動的に手が出ると言うか肘が出る性格を直してもらわないと。腹部がいずれ不全に陥りそうだ。


「サヨーっ、シグレがいじめるのだぁっ」

「……凛音?」


 昏倒した時雨のことなど構わず凛音は鎖世のもとへと向かっていく。鎖世は少しも驚いた様子も見せずに目を開けて凛音を見つめた。


「シグレがサヨのライブに連れてってくれないのだぁ」

「ライブ……?」


 当然のように彼女は不審そうな顔をする。ライブの予定なんてないだろうし当然の反応だった。


「ライブをするのではないのか?」

「予定はないわ。どこで聞いたの?」

「シグレが言っていたのだ。講演会だかどこかでサヨがライブをするのだと」


 そうだろ? とでも言わんばかりの表情で凛音が時雨を見つめてくる。鎖世の視線がこっちに向きそうになるのを見て反射的に目を逸らした。

 

「その予定はなかったわ。でも、烏川時雨がそう言っていたの?」

「うぬ、そうだぞ?」

「それなら、ライブの予定が出来たわ」


 前後文脈を思わず読み返したくなる会話の末、鎖世が立ち上がる。そうして先ほど凛音が通った道を逆向きに通過する。すなわち時雨のいる地点へと向けて。


「詳細を教えて」

「詳細……?」


 突然の声掛けに戸惑う。そんな時雨の前に佇んだまま彼女は意味深な目で顔を覗き込んでいた。


「あなたが私の名前を出した。その意味は分かる。この不詮衡ふせんこうな世界で私の役割が詮衡されたということ」

「……燎の役割」

「意思は変わらない。この世界の詮衡を保つためなら私は動くわ」


 かなり抽象的な発言の数々。それらの意味はいまいち図りかねたがなんとなく言わんとしていることに見当はついた。

 不詮衡な世界という言葉が核心となる。

 時雨が鎖世に関して動くことがあるとするならばレジスタンスとしての活動に他ならない。それならば自分は自分が成すべきことをなそうと。そう物語っているのである。


「協力してくれるのか?」


 無言で応じる。

 異論はないようだが何故レジスタンスに手を貸すつもりがあるのか。彼女は自らで言っていたのである。自分はレジスタンスの敵でもなければ味方でもないと。


「何故だ」

「前にも言った。私たちは関係のない物事と対峙している。でもどこかで、巡り会うことが出来るって」

「つまり、俺たちの立場に肩入れするつもりはないが、目的のためならば手段を択ばないと」


 それに彼女は小さく頷いた。何の考えなしにライブをしろと言っているわけではないと分かっているらしい。

 レジスタンスの情報が洩れているわけではないだろうから、あくまでも彼女のカンによるものだろうが。

 きっと鎖世の感性はただの一般市民とは違う感受精のもとに成り立っているのだろう。時雨と同様に、もしかしたらそれ以上にリミテッドの変化に敏感なのだ。


「解った、助かる」

「日付、時刻、あと正確な地点の情報。それから憶測できるシチュエーションを可能性ごとに提示してほしい」

「それについてはあとからまとめて送る。連絡先は……凛音の端末からでいいか」

「ええ」

「さっきから、何の話をしてるの?」


 黙って会話を聞いていた紲が不審そうに問うてくる。

 教室であることもあって内情を悟られぬように話を進めていたわけではあるが。まあどう聞いても学生の会話ではあるまい。不審げになるのも当然のことだ。


「今度の講演会、燎も参加することになったということだ。ゲストというか、パフォーマンスの形でだが」

「え? あ、うん。お父さんにもそう伝えておけばいいのかな」

「ああ、燎がライブ出来る会場の設営をしておいてくれ」


 紲はビジュアライザーを展開しメッセージソフトを弄り始めた。父親に関していま決定した旨の報告をするのだろう。

 一番難関だと思っていた鎖世の攻略が案外すんなり終わってしまった。とりあえず10月10日に控えた講演会の準備はこれで完了となるだろう。


「んじゃ、あとは本来の任務に関してだが」

「こっちは未だに停頓したままだからな」

「一昨日、唯奈と和馬翔陽で追跡した風間泉澄。彼女に関してはどうだったの?」

「あの時追跡した感じじゃ、普通に学生寮に帰宅しただけだったな。監視されてる様子も、不審な行動に出る様子もなかったぜ」

「現状では、まず第一に局員として疑いにかけるべきなのは風間泉澄よりも葛葉美鈴ね。まあもちろん風間泉澄に関しても監視の目は抜けないけど」

「で、そのウワサの葛葉美鈴に関しては、一体全体どうなってんよ」


 和馬が見据える先は教室の中央付近。不自然にポツンと空いた席がある。


「私たちが潜入を開始した9月の27日から登校を確認していないわ」

「……例の失踪に関係しているかもしれないわね」

「そうは言っても、今有力なのはどちらかと言えば被害者の可能性だ」

「それはありません。他の失踪中の学生たちとは違って、葛葉美鈴に関しましては学生寮にいることは確認されています。失踪はしていないととらえて間違いはないでしょう」

「怪しいな……欠席の理由は?」

「不登校扱いされているから分からない。でも現状から察するに、学生たちの失踪に一枚噛んでいる可能性が高いわ」


 まあそう考えるのが妥当だろうか。失踪した学生がどうなっているのかは分からない。拘禁されているのかすでに殺害されているのか。どちらにせよ被害を最小限に抑える必要がある。


「ちなみに月曜からの二日間で、さらに失踪者の数が十数名ほど増加しました」

「校内の警戒は強化してる。それでその網に引っ掛からないところを見ても、やっぱり校外での犯行ととらえるのが筋ね」


 可能性としては先日上がった学生寮における犯行という筋が一番濃厚そうだ。


「校内の安全基盤はシエナの計らいで整ったわ。そろそろ、私たちも放課後動き出しましょう」

「具体的にはどうすんだ?」

「まずは学生寮に監視の目を置くわ。私たちが校舎にいる時間帯もレジスタンスメンバー数名を配備させる。徹底的な監視を置かないといけないわね」

「私たちが出来ることは失踪した学生の部屋を調査すること。あとはもちろん葛葉美鈴の部屋を調べることね」

「勝手に部屋に上がるのは忍びないが……仕方ない」

「当然でしょ。遊びでやってるんじゃないんだから」


 シエナの力を借りれば個人の部屋に侵入することもたやすい。そもそも失踪者が出た時点で早急に調査を開始すべきだったのだ。自室で殺害されている可能性もなくはないのだから。


「調査対象としては、風間泉澄、葛葉美鈴、それからほかにいくつか上がってる候補の部屋ね。少しの疑いでも徹底的に調べる必要があるわ」

「……一昨日話した霧隠に関してだが」

「霧隠月瑠に関しては既に調査隊を配備してる。部屋に八個の監視カメラと盗聴器を設置したわ。それから、常時レジスタンスメンバーの監視下に置くように命じてる」


 一昨日の倉嶋禍殃との接触。その時に月瑠に対して覚えた確信にも似た衝動を全てレジスタンスに話していた。

 月瑠と言う人間と深くかかわってきて躊躇もあったが、この隠匿が原因で問題が大きくなる可能性は十分にあったからである。個人的な感情いかんで見過ごしていい事案でもない。


「それで、どうなんだ?」

「今のところ特におかしな点はないわ。授業をほぼ受けず基本的に屋上にいることを除けばだけど。時雨からの報告と大差ない物ばかりね」


 善は急げという言葉もある。月瑠にも言えたことだがさっき話題に上がった学生たちの部屋にも監視の目を設置した方がいい。出来るだけ早いうちに。


「今日の調査が終わって、危険がないことを判断出来たらすぐにした方がよさそうね」

「万が一の時はどうする?」

「どういうこと?」

「失踪した学生の部屋も、疑いのかかった学生の部屋も、何も起こらないなんて保証はない。武装した人間がいるかもしれない」

 

 現在リミテッドにおいて武器の所有は最上級法外行為となる。だがアンドロイドやドローンは住民IDを所有している市民の居住施設内には侵入できない。だから室内に武器があっても判別できないのだ。

 まあ外に持ち出せばたちまち射撃対象となるが。


「それもそうね……でもこんな人目に付く場所で武器を所有するわけにはいかないわ。アンドロイドとドローンの目もある」

「と言っても、烏川時雨のアナライザーだけじゃいざという時に対処しきれないかもしれないわね。それじゃ私が狙撃ポイントに待機するわ」


 少し考えた様子で唯奈がそう指示を出す。自由に武器を持ち歩けない現状、それが最善だろう。


「現在エリア・リミテッドに配備されているドローンだけど、最大上昇標高は120メートルよ」

「探査ドローンの探査領域以上の高さで、かつ、狙撃銃での有効射程内に入る建築物ですと……このあたりだと、三つほど候補に挙がります」

「解った。じゃあライフルを回収したら、すぐにそこに向かう。死角になる部屋もあるから、その場合はアナライザーで何とかしてよね」


 投げやりだが今日の放課後までにそれ以上の用意が出来るとも思えない。

 

「そういやよ、関係あるかどうかは知らねえけど、変な話を聞いたんだが」


 昼休みが終盤に差し掛かってきていたため各々解散しようとし始めたころ。和馬がふと思い出したように時雨たちをその場に留めた。


「変な話?」

「ああ。ちょっとこれを見てほしいんだがよ」


 そう言って彼は懐から金属の筒状のものを引っ張り出した。


「インジェクター?」

「ああ、だが問題なのはこの中身だ」


 真那の言う通りそれは注射器状をしていた。医療用の物とは違って不透明であるため中身は見えないが。それにしても時雨や凛音が所持するリジェネレート・ドラッグにどことなく似ている。


「こいつが、今校内中で出回ってんだよ」

「これが……? いかにも怪しいが」

「見た目通りだわな。どこから出てきたもんかは知らねえけど、学生たちがこれを服用してるってはなしだ。体に危険はないらしい。科学部部長が検査したんだとよ。最近の学生失踪のこともあって不安に駆られた学生が服用してるらしい。今は少人数が使ってるみたいだが……」

「こんな怪しいもの、出回らせ続けるわけにはいかないわね」

「スタビライザーっていうらしい。まあ大方精神安定剤的意味なんだろうが、問題なのはこの出所が解らねえところだな」

「これは気になるけど今はこれを気にしている時でもないんじゃない? 危険性がないっていうなら、私たちには関係ない話だし。一応レジスタンスの物質解析班に提出して、成分を分析してもらっておけばいいでしょ」


 まあそれもそうである。今はまずアイドレーターに関して調査を進めるが先決だ。

 しかし学生たちの不安はそこまで増幅してしまっているのか。こんな薬物に頼らざるを得ないほどに。噂はあくまでも噂の域を脱しない話だと思っていたが……。

 学生たちの不安の種を取り除くためにも早急に失踪事件に終止符を打つ必要性がありそうだ。


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