第39話

「あーっ、センパイじゃないですかっ、おっそーい!」

「げ……何やってるんだ、そんなとこで」


 一旦真那と別れ学生寮の自室の前に戻ってくるなり、月瑠るるが扉の前で無知丸出しに手を振り乱していた。この後時雨の部屋で全体会合があるのだが。


「何って、忘れたんですかぁ? センパイ」

「最近痴呆現象が顕著に出てきていてな……該当項目は残念ながらゼロだ」

「ええ? ひっどいですよセンパイ、約束したじゃないですか。お昼の休み時間はあたしは屋上には立ち入らない。その代わり、あたしの条件に答えてくれるって」


 月瑠とは昼休みは億劫ながらも毎日のように屋上であっている。それが約束のはずだったが。


「ああ。その顔は覚えてないって顔ですね、酷いですよ、甲斐性なしっす」

「月瑠様、時雨様が甲斐性なしで貧乏顔の超絶悪魔級残念系イケメンなこと、お許しください。何分バカなもので」

「まあ確かに、先輩ってそこそこイケイケ顔ですもんね。ジャパニーズの腐れガール御用達キャラって言うやつですか? 超インタレスティングですね」

「日本に興味持つのはいいが、別の文献を参考にしろ」

「シグレシグレ、腐れガールとは何なのだ?」

「脳みそが腐り溶け落ちて、鼻から垂れ流している女の子のことですよ。つまり、ゾンビです」

「ああ、凛音センパイじゃないですか、ちょうどよかったです」


 柏手を打って凛音にズリ寄った月瑠。何がちょうどいいというのだ。


「だーかーらー約束のことに決まってんじゃないですか。忘れたとは言わせませんよ。あたし覚えてますもん。センパイ、あたしを部屋に招待してくれるって言ってました」

「ちなみに月瑠様はこうおっしゃられていましたね。烏川センパイのサムライカタナカッコ意味深にすっごい興味があったんですって。よかったですね」

「そのことなんですけどー、考えてみたらですね。プリゼントジャパニーズの部屋なんてどうでもいい気がしてきたんです」


 それはいい判断だ。ならこんな不健全な場所にいないで女子寮に帰れ。


「嫌です。もう一個約束あったじゃないですか。一緒に行ってほしいところがあるって」

「ああ、そんな約束したな」


 約束をした時のことを思い出す。たしかどこに行きたいかなどとは言っていなかった気がするが。

 なんであれレジスタンスの会合場所として指定されているこの部屋に彼女を招き入れるよりは、どこかに付き合って出向いたほうが幾ばくかマシであろうか。

 会合までの時間はおおよそ一時間程度あるため、そこまで時間を要さない用事ならば付き合ってやってもいいだろう。目的地次第だが。


「NIGIRIっす」

「は?」

「だーかーらNIGIRIですってば! ジャパニーズNIGIRIっす」

「もしや寿司屋のことですかね」

「そうそれですよ! これまではおにぎりにアイアムNIGIRIだと欺かれては来ましたが、あたし、我慢ならないんです。あたしがジャパニーズカルチャーに疎いままだなんて」

「欺くも何も……単純に霧隠が勘違いしてただけだ」

「ひっどーい! センパイそんなこと言うんですかぁ? それに知ってますよセンパイ。NIGURI・SUSHIとかいうのは、ネタなんですよね。つまりあたしをネタでコケにして、笑いものにしようとしてるんですよね。ジャパニーズ侮れないっす! 超デンジャラスで」

「お前の思考回路どうなっているんだ」


 彼女が頭の痛い子であることは重々承知していた。この会話に付き合っていたら日が暮れてしまいそうだ。スルーして脇を素通りしようとする。


「あっ、センパイいかないでくださいよー」

「そう言えば用事があることを思い出した。早く出かけないとな」

「そう言いつつ颯爽に部屋の中に離脱しようとするのやめてくださいよー。ニーギーリー、ニーギーリーっすセンパイ!」

「あの……?」


 部屋の中に逃げ込もうとする時雨の背中を引っ張る月瑠。その構図はかなり異形なものに見えていたのかもしれない。部屋の扉を開けて、いつの間にかその隙間からクレアと凛音が時雨たちを見ていた。


「クレア様、騒がしくて申し訳ありません。こちらの物乞いみたいなものをポリ袋に入れて捨てれば解決いたしますので。時雨様、月瑠様はなんだか燃やしたら有害物質出しそうですし、不燃ごみをお勧め致します」

「ホログラフィさんひどいですよぅ、凛音センパーイっ」

「ぬ……リオンはその約束を知らぬのだ。シグレ、どうすればよいのだ?」

「センパイに聞いたら追い返されるじゃないっすか、凛音センパイ、お願いしますって。センパイの許諾、貰ってくださいよー。凛音センパイ、凛音センパーイ」


 やけにセンパイの部分を強調する。その度に凛音の大きな耳がぴくぴくと震えた。どうやら単純な凛音の攻略法をすでに会得しているようである。


「し、仕方ないのだ。なぜならリオンはセンパイなのだからな」

「さすが凛音センパイです! 超リスペクトっす、扱いやすいです」

「それにしても、センパイとは何なのだ? ユイパイマンの仲間なのか? センパイマンなのか?」

「いきなり、凛音センパイはあてにできない気がしてきました」


 霧隠、それには激しく同意する。お前も同類だが。


「ぬぬぅ……センパイマンの貫禄を見せてやるのだ。なぁなぁシグレ、リオンも寿司とやらを食べてみたいのだ」

「解った解った」

「ふふんっ、どうだルル、これがセンパイマンと言うものなのだ」

「完全にあしらわれてる感じがしますが……超! エキサイティン! っすね」


 胸を張ってどこか偉そうにふんぞり返った凛音。そんな彼女を見て月瑠は姑息な表情を浮かべてほくそ笑む。この少女侮れない。


「と言うわけです、センパイ」

「何がどう言うわけなのかは判断しかねるが、仕方ない。で、いつ行くんだ」

「今でしょ。善は急げですよ、センパイ。これって、お膳は急いで食べないと鮮度が落ちるって意味なんですよ」

「いや知らないが違うだろ」

「あの時雨さん、少しよろしいですか……?」


 月瑠と話していると疲れる。言葉にはしないが溜息で本人に察させようと試みているところ、クレアがドアに身を隠したまま時雨を呼んだ。何度も月瑠のことを見て気にしているのは人見知りが絶賛発動中なのだろう。


「お出かけになられるのでしたら、会合については変更しておきますか」

「それもそうですねえ。それよりもクレア様、ご夕食は済まされておりますか?」

「まだなのです、時雨さんたちの帰宅を待っていたので……」

「そういうことでしたら、クレア様もご一緒いたしましょう。もちろんお代は時雨様持ちで」

「い、いいのですか? 私が同伴しても……」

「あたしは構いませんよー、それにその髪、もしかしてあなた、フランス系っすか? あたし、フランス人と話したことないんすよ。そういう意味でもちょっと興味ありますし」


 まあ確かに先日クレアもこの部屋の外に出たいのではないか、という話になった。これはいい機会だ。夜も更け始め人目に付きづらい時間帯でもある。

 結局四人で向かうことになった。


「クレア、大丈夫か?」

「だ、大丈夫なのです」


 その場から出発してからというもの彼女の様子がおかしい。気遣う凛音の身体に隠れるようにして極力月瑠に近づかないようにしている。こうなることは予想できていたが。


「センパイ、あたし何かしちゃいましたかね」

「初対面の相手には大抵こうらしい」

「……ごめんなさいなのです」

「あんまり隠れないでくださいよ~。あたし、友達少ないんで、そういう風に嫌煙されるのは慣れてますけど」

「ルルは友達少ないのか?」

「そうすね、まあデイダラボッチなもんでして。あ、たまに見える気がする透明な架空の会話相手が友達と言えるなら、少なくないですけど」

「自分で架空と仰っているではないですか」

「行くと決めたはいいわけだが。寿司なんてどこで販売されているんだ。そもそも今の時世、魚なんてまともに捕れないだろ」


 三年前イモーバブルゲートの建造に伴ってリミテッドが構築された。それからというもの時雨はまともに魚介類を口にしていない。


「センパイ、散々待たせた挙句、NIGIRI屋のリサーチもしてないんですか? あたし的に、それはセンパイとしては超タッキーすっよ」


 月瑠は呆れたように肩を竦めて見せる。


「ターキー? ルル、シグレはターキーなのか? あのおっきくてジューシーなお肉がリオンは大好きなのだ。シグレ、噛みついてもよいのか」

「お前に噛みつかれたら最悪肉が剥がれ落ちる」

「タッキーと言うのは、まあダサいって意味ですよ」


 さり気に馬鹿にされてたわけだ。


「ちなみに時雨様の仰る通り、現在リミテッド内部における魚介に関する状況ですが……もともと港区で計画されていた漁業開拓は、イモーバブルゲートの建造に伴って白紙になりました。知っての通り、建造による汚染水の海中への混入が原因ですね。それ故に魚介類の生産ラインは必然的に壁の内側で賄うしか方法がなくなったわけです」


 そのことについては知っている。そもそもとして壁の外側に出る必要がある以上、天然の魚を捕るのはあまりにも危険だ。

 海には遭遇したことなどないが地上とは比べられないほどに危険なノヴァがいるという。呼称はリヴァイアサン。アラクネやフェンリルよりも危険指数が高いとなると人間の手に負えるのか。

 

「天然ではありませんが一応魚は養殖できています。それ故に貴重なんですよ。月瑠様風に言えば、超プレシャスですね」

「センパイ、ごちそう様です」

「と言っても、実際のところ新鮮な魚とは言えませんが、最近は供給が需要を上回る程度に魚類の養殖が進んでいるようですよ」

「そうなのか。確か港区の漁港は汚染水が完全に抜け切れていないとかで、未だにまともに機能していないんじゃなかったのか?」

「港区の漁港は確かに復帰不可能な状態にありますが、その非常事態に際して別の場所にも水産業のための漁港が増築されているんですよ」

「この台場フロートのこと……なのです?」


 クレアの回答にネイは短く『ご名答』と応じる。

 台場メガフロートの東部区画は全て水産業をメインに促進させている。

 この地で養殖した魚類がリミテッド全域に流通されている状態であり、つまるところ台場は現状23区で最も魚が取れるのはこの台場であるらしい。

 運が良ければ新鮮な魚を食べることもできるやもしれない。


「とは言っても一般市民が満足して食べられるほど魚類は供給されているのか?」

「数人の人間が一度に食せる食料量など、たかが知れているではありませんか」

「いや一概にもそうとは言い切れないだろ。凛音は健啖家だしクレアはサイクロンだしな」

「サイクロンですか?」


 その意を解釈しきれなかったのかクレアは小首を傾げる。ラーメンを食う姿が掃除機みたいだったとは口が裂けても言えない。


「お金の心配ならいりませんよ、センパイ」

「いや金の問題じゃないんだが」

「あたし、カルテブランシェなので」


 カルテブランシェ。その名称を耳に息をつまらせずにはいられない。

 Carteカルテ Blancheブランシェはリミテッドにおいて、夢のカードと言われている。利用限度額の設定がない。さらに使用者のどんなわがままな注文も実現させる。

 これはレッドシェルターの中でもごく一部の人間しか持っていないと言われている。時雨が知っている人間で言えば防衛省官吏である人間たち。

 防衛省長の伊集院純一郎いじゅういんじゅんいちろう化学開発ナノゲノミクス顧問の佐伯・J・ロバートソン。TRINITYの立華兄妹、自称アダムの山本一成。あとはそれを束ねる妃夢路もかもしれない。憶測で語れるのは、スファナルージュ関係者などか。

 ちなみに時雨のアナライザーに定められているIDは残念なことにマイノリティである。もしこれがカルテブランシェであったのならばレジスタンスが資金的な面で悩むことはなくなっていたはずだ。そもそも未だ時雨のIDが剥奪されていないことがおかしいのだが。

 他にもたくさんいるだろうが、少なくともそれを所有できるのはごく限られた人間たちなのだ。

 

「おい、まじか」

「はい、この通りっす」


 懐に手を突っ込んだ月瑠は制服からカードを引き抜いた。血のように真っ赤な硬質のカード。間違いないカルテブランシェだ。


「お前、なんでそんな物……」

「前も言いましたけど、両親が軍役経験あるんですよ。階級持ちの自衛隊員っすね」

「だがレッドシェルター居住権を持ってでもいない限り、カルテブランシェなんて」

「そもそも以前から思っていましたが、月瑠様には西洋系の血が流れていますよね。そして、日本に来てからそう長くないと思われます。その月瑠様のご両親が防衛省に人間と言うのは、些か……」

「そんなこと、どーでもいいじゃないですか。それよりセンパイっ、あたし、早くジャパニーズNIGIRIが食べたいんですけど~」


 月瑠は特に焦った様子もなく話を逸らしてくる。何か隠したいことがあるのはなんとなくわかった。

 気にならないわけではないが時雨に詮索する権利はない。致し方なく止めていた足を動き出させる。

 

「でも、お寿司を取り扱っているお店なんてあるのです?」

「割り出すことは可能ですよ」

「リオンのおさかなレーダーが反応中。クンクン……あっちなのだ」

「その必要は、なさそうですが」


 凛音に引っ張られれようにして南下する。以前出向いたシトラシアの建造されている地点までは進まず、やがて行き着いた場所は寂れた店々の立ち並ぶ繁華。シトラシアを含むデパートメントから少し離れた郊外に寿司屋はあった。


「凛音センパイの鼻、超エキサイティンっす」

「生のおさかなは強いニオイがするから、すぐに解るのだ」


 ここまで軽く一キロはあったはずだが。店のたたずまいを目にして月瑠はその外装を見上げる。


「これがジャパニーズNIGIRI専門店ですか。なんというか……あんまり変わり映えしないっすね。海外のNIGIRI屋と」

「そう言う物だろ。そもそも寿司屋いったことあるのかよ。まあいい入るか」

「ちょっと待ってください」

「なんだ」

「なんで何気なく暖簾を適当にくぐろうとしてんですか、センパイ」

「暖簾をくぐらないと中に入れないだろ」


 当たり前のことを言う月瑠に何を当然のことをと目を向ける。何故か彼女は呆れたようにため息を吐き出す。


「その暖簾のくぐり方に問題があるんです。暖簾は左から三つめの切れ込みの左側、斜め48度、3.2インチ上がった部分。そこを手の甲でめくるんですよ、知らないんすか?」

「何だその知識」

「あたしなりにジャパンを研究したんすよ。その時に購入した講座動画に、ジャパンカルチャーラボラトリーというのがあってですね。ジャパニーズNIGIRIの正しい食べ方があったんです」

「数十年前に全国に配布され、一時期話題になったネタ動画ですね……月瑠様のように海外の人間が日本を勘違いしたと言う話がいくつもあります」

「やっだなぁ、何言ってんですかホログラフィさん。これこそが、ジャパンカルチャーの楽しみ方なんですよ。さあセンパイ、早く入りましょう」


 意気揚々と言った佇まいで月瑠は時雨の手首を鷲掴む。そうして暖簾をくぐった屋内には通常の寿司屋の光景が広がっていた。


「堪らないカオリなのだっ」

「へい、らっしゃい」


 空気をいっぱいに吸い込んで燦燦と凛音が目を輝かせるのに併せ、寿司を握っていた大将が相槌で返す。


「あれ、このジャパニーズNIGIRI専門店は回らないんすね」

「回転寿司はノヴァ侵攻以前時点ですでに衰退していました。日本古来な趣のある寿司を楽しみたいという需要が高まったが故でしょうかね。とはいえこのようなカウンター式の寿司屋は、値段的にも雰囲気的にも一般人には少々敷居が高いようにも思えますが」

「回らないなら、ここでは使い道の解らない変な工具は出されなそうですね」

「いたって普通の寿司屋だと思われますが……ちっ」


 何故舌打ちしたのか。そもそも月瑠の母国では変な工具が回ってくるというのか。皆がカウンター席についてようやく落ち着ける。


「知ってますかセンパイ」


 席につくなり月瑠は大将が出してきた湯気の上がる布巾を広げてみせる。

 

「この布はですねゾウキンっていうんです。大将が机拭いたり、汗を拭いたものを洗わずにカウンターに置いてるらしいですよ」

「お手拭きな。あとちゃんと洗ってるはずだ。とりあえずお前はまず日本について勉強し直せ」

「むぅ、センパイのり悪いっすよ。まぁいいです。それより大将、ジャパニーズNIGIRI専門店には、法的に認められていないネタがあるんですよね? 超イリーガルなネタ、よろしくお願いします!」

「違法な寿司ネタがあるわけないだろ」

「ガラパゴスゾウガメ、おまち!」

「あるのかよ……そもそもそれは特別天然記念物だ」


 リミテッドにおいて言えば新法こそが厳守すべき法であり、従来の法観念とは多少異なっている。だがしかして従来の法律が規範として遵守しなければいけないものであることは変わらないわけで。


「あーでも、やっぱやめとくっす。カメはちょっと気持ち悪いので。大将~、太巻きお願いします。あ、切らないでそのままでお願いします」

「へいよん、黒光りするぶっとくて大きくてかたい太巻き一丁!」


 この場所にいるだけでごりごりと精神力を摩耗させられる。

 

「へい、おまち! 太巻き一丁!」

「見た目は普通ですがね……何かおかしなものでも入れられていませんか?」

「そんなことより、こんなぶっとくて大きくて固い、おまけに海苔で黒びかりする太巻き、食べられませんよぉ」


 月瑠は恵方巻感覚で太巻きを頬張っていた。太すぎてなかなか噛みきれないのか、苦しそうに顔をわずかに高揚させている。


「ああ、これは無修正では絶対に放映できない光景ですね……私がモザイク補正かけておきます」

「そういう意味の分からない発言やめろ」

「タイショーよ、リオンにはこの店一番のおすすめ商品を出してほしいのだ」

「よし、では当店自慢の一品を提供しましょう、ポチ」


 たまらず口に含んだばかりの茶を噴出した。


「うわっ、汚いっすよセンパイっ、リアルに噴き出す人初めて見ました。ある意味、超リスペクトです」


 引いたようにその身をのけぞらせて月瑠は口角を引くつかし拒否反応を言葉にする。

 そんな彼女の反応など気にもならぬ発言が大将の口から発せられた。この耳が節穴でないのならば、たしかに今凛音のことをポチと呼んだように聞こえたが。


「これは……レーションなのか?」


 おすすめということで出された皿にはレーションが乗せてあるだけだ。しかも横たえるでもなくビルのミニオブジェのようにそびえ立つ形で。


「俺も寿司屋の大将の端くれよ。寿司らしい寿司を食ってもらいたいっつうプライドがあってよ……だが最近じゃスファナルージュ・コーポレーションの開発しているレーションが主食みたいなもんでなぁ、寿司は流行らねえのさ」

「そうなのか、おぬしも大変な思いをしているのだな……」

「というわけで俺なりに寿司ネタとしてこのレーションを活用できる品を考えたのさ。ここでお稲荷さんをトッピングよ!」


 凛音の前に置かれた皿にははたまた歪な形状のネタが鎮座している。稲荷寿司にレーションが突っ込まれ、高くまっすぐに聳えていた。


「っぶは!」

「うわっ、だから噴出さないでくださいよ超ダーティーっす!」


 月瑠が手元にあったお手拭きを時雨の口に押し込んでくる。さっきそれ汚いぞうきんだと勘違いしてなかったか。


「ああ、これまた修正なしでは語れない造形に……モザイクかけます」

「ではご賞味あるのみなのだ……あむっ」

「ポチ、なかなかいいしゃぶりつきだ!」

「ついでに大将の顔にもモザイク修正をかけておきますね」


 メタ発言ながらナイスアシストと思わざるを得ない。


「とんこつらーめんは、ないのです?」

「ここ寿司屋だが」

「へい、おまち!」

「何であるんですか」


 クレアの目の前に置かれた器は確かにラーメン鉢だ。到底回らない寿司屋には不釣り合いな光景だった。


「いたって普通の豚骨ラーメン……モザイク修正の必要はなさそうですね」

「何故にちょっと残念そうなんだ」


 クレアはそれを前にしてだが箸には手を付けない。抱えていたガスマスクをおぼつかない手つきで小ぶりな頭に装着した。


「ガスマスク装着は必要な過程だったのでしょうか」

「お母様のいいつけなのです」


 どういう言いつけだ。

 クレアや凛音の母親と言えば既に死去していると聞いたことがあるが。

 考えてみれば母親を失いレジスタンスとして常に防衛省に追われる日々。それはとてつもない過酷な日々だったのだろう。こんなにも小さな少女たちなのに。

 

「はふっ……熱いです」

「そんなものを装着していれば当然熱いでしょうね」

「あう……何も見えないのです」

「そりゃ曇りますね」


 マスクの透明部分が曇って彼女の顔は見えない。あたふたしながらもクレアはガスマスク左右のフィルターの間のハッチを開く。そこから熱気が排出され同時に彼女の口元が露出した。

 彼女は箸を手に取りラーメンに手を付ける。


「いただきます、なのです」

「ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ」

「あついのです……ふぅ、ふぅ」

「ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ」

「効果音やめろ」


 やりたくなる気持ちはわかる。ガスマスクの中に麺が吸い込まれていく光景は確かに掃除機。


「新型クリーナー・サイクロンデラックス」


 おいやめろ。


「気密性を向上することにより圧力を高めています。上昇気流を発生させることにより、吸引力を最大限にまで向上」

「ずぞぞぞぞぞぞ」

「目の保養にも、毎晩のお供にも欠かせない新鮮採れたての一品! 一家に一台は置いておきたい! しかし実家に置いておくと家族の養豚場のぶたを見るような視線で針のむしろ! サイクロンデラックス! 100台限り! 今冬リリース開始!」

「量産するな」

「何の話なのです?」


 ラーメンをすするのに夢中でクレアはネイの言葉は殆ど聞き流していたようである。


「あ! クレアセンパイ、それナルトじゃないっすか!」


 寿司屋でラーメンを前に座っているサイクロンなガスマスク。それだけでも滑稽な光景だったが月瑠の着眼点はそこになかった。彼女は時雨の肩に手をつく形で、肩越しにクレアのラーメン鉢の中を覗き込んでいる。


「こんなところにもジャパニーズニンジャの片鱗が! ジャパン超リスペクトっす!」

「うぇっ?」

「隙アリっす! ナルトはあたしがもらいました!」


 時雨の目でも捉えられない速度で彼女の箸がナルトを掬い取った。

 

「あー、やっぱりジャパン超すごいですね。ジャパニーズカルチャーの先駆けともいえるナルトと言うこともあって、超デリシャスです」

「私のぐるぐる……」

「クレア、このお肉は多分あれなのだ。リオンに食べられたそうにしているに違いない。いただくのだ」


 ナルトが月瑠に略奪されているのに気を取られているうちに、凛音がチャーシューをかすめ取る。クレアが気付いたころには既に凛音の胃袋に収まっていた。


「ひ、酷いのです」

「そんなに食べたかったのか? 仕方ないのだ、リオンのユイパイマンを上げるのだ」

「いらないのです!」


 普段の彼女からは想像できない憤慨だった。頬を膨らませている姿は怒っているというよりはハムスターのようだったが。ガスマスクでよく見えないが。

 それほどまでにラーメンが好きなのかもしれない。獲物を横取りされて我慢がならなかったのか。


「大将~、ぶっとくて大きくて固い、おまけに海苔で黒びかりする太巻き、意外と食べられましたよ」

「んなら次は俺の、ぶっとくて大きくて固い黒びかりする太巻きおまち!」


 いそいそと胸元に手をかけ始めた大将。このままでは疲労感にぶっ倒れかねないため時雨は立ちあがる。


「どこいくんですか?」

「帰る準備だ」

「え~センパイ、もう帰っちゃうんですか?」

「夜遅いしな。まだ足りないか?」

「いえ、あたしは大将の黒くて……めんどうですね、太巻きでフルネスなんで」

「結局寿司らしいネタは食べていませんが……満足されたのでしょうか」

「はい。じゃあそろそろ、出ましょうか」


 月瑠のその言葉を区切りに、時雨たちは店から出ることにした。


「屋上に一定期間寄り付かないという要求に対する条件の話だがこれで任務満了だ。約束通り、こうして霧隠の行きたかった場所に同行した」

「ああ、そのことですか。まあもう満足したんで結構ですよ。ジャパニーズNIGIRIは意外と海外と変わらないものということが解りました。でも昼休み一緒にお昼っていう約束は解消されてませんよ?」

「そのことだが、俺たちの用は済んだからな。もうお前を拘束するつもりもない。いつでも屋上を使っていい」

「それってどういう意味ですか?」


 もうその条件はなくなったということだ。


「なんですかそれ、酷いっすよぉセンパイ! あたし、唯一お昼の駄弁られる時間が、ジャパンハイスクールのピースモーメントだったんすよ?」

「月瑠様はつまり捨てられたのです。必要な時だけ呼び出し、やりたいことをやる。その時は最高にハイって奴だ状態でも事が済めば罪悪感が半端ない。いわゆる割り切った関係と言うやつですね」

「……まあ、仕方ないですね」


 両腕を振り絞って抗議をして見せた月瑠。だが彼女は間を置かずに溜息で時雨の言葉を受け入れた。


「意外と簡単にあきらめたな」

「だって約束は絶対じゃないですか。ジャパニーズニンジャのネームプレートと、約束遵守のプライドは紙一重なんです」

「理解あるやつでよかったよ。まあ時間が空いたら屋上に顔を出すかもしれない」

「いつでもウェルカムです。たくあんのおにぎりも用意しときますね」

「いつぞやみたいに、屋上から俺の教室目がけて投げるなよ」


 と言いながらも今後学校に訪れる機会はそう多くないかもしれない。

 学生たちのインターフィアによる解析。その手順として呼び出しは難しくなった。そして現状鎖世を抜けばアイドレーターの局員は四人にまで絞れている。特定できれば時雨たちはもはや学生である必要もなくなるのだ。

 月瑠とはまあそれまでの関係になるだろう。


「気を付けて帰れよ」

「なんですかそれ、送ってくださいよぅ」

「お前どこに住んでいるんだよ」

「センパイと同じで学生寮っすよ。まあ女子寮ですけど」

「……そう言うことなら同伴してもいいが」

「なんか物凄くついで感があるんですけど。あたしの気のせいじゃないですよね多分」


 ぺしぺしと背中を叩いてくる月瑠をあしらって学生寮へとむけて歩みだす。そんな時雨を追い越して月瑠は凛音とクレアと談笑しながら歩いていた。

 そんな彼女たちを一歩引いた位置から俯瞰しつつ時雨は意識を切り替える。


「それで時雨様。そろそろ仕上げといきませんか?」

「何の話だ」


 不意にネイに声をかけられ訝しく思って彼女をみやる。等身大にまで拡大された彼女は隣をゆっくり歩みながら、じっと月瑠の後姿を見つめていた。


「とぼけたって無駄ですよ。時雨様が月瑠様に連れられて寿司屋にまで来た理由。それは彼女との約束の為だけ、と言うわけではないですよね? 時雨様は霧隠月瑠と言う人間に興味があった。でもそれは知的好奇心によるものではなく……レジスタンスとして彼女を監視していた。違いますか?」

「その根拠は」

「まあ、半ば私のカンではありますが。レジスタンスの時雨様が、授業時間や昼休み時、他の学生の挙動をもっともうかがえる時間帯に、月瑠様に会っていたという事実。約束だからと言うには、時雨様の情緒的に考えて少々疑問が残りました。ましてや、霧隠月瑠と言う存在は酷く不可解です。まず本来自衛隊などしか使えないはずの軍用コンタクトを使っていること。また、そのレベル3プログラムを操作する権限を月瑠様が持っていること。他にも、月瑠様がレッドシェルター内部の人間しか有していないはずのIDカード、カルテブランシェを持っていることも」


 それだけならまだ説明が付きますと、ネイは指を数本立てて彼女の疑わしさを示唆して見せる。


「月瑠様の言う通り、ご両親が軍役関係者、レッドシェルター内部の人間ならば。ですが月瑠様はレッドシェルターのある千代田区ではなく、この港区に住んでいる。レッドシェルターにもスファナルージュ第一高等学校があるのにです。あまりにも不可解、平たく言えば怪しいです。だから時雨様は勘ぐった。霧隠月瑠と言う人間が――アイドレーターの局員である可能性を。違いますか? 時雨様。いえ……センパイ?」

 

 いたずら気な顔でネイは時雨を見ていた。だがどこか有無を言わさぬその態度。最初から隠すつもりなどなかったわけではあるし否定する理由も存在しない。


「回りくどい言及だな。解っていたなら率直に聞けばよかったろ」

「それではつまらないじゃないですか。一度見ててみたかったのです。動機や犯行手管を露にされ、足場を失っていく容疑者みたいな反応が。考えてみればあのアニメの高校生探偵、相当サディストですね。舞台裏のシエナ様とタメ張れそうです」

「お前の言う通りだ。最初に月瑠にこの大学部に入学してから長いのかと聞いた理由も、探るためだった」


 シエナや妃夢路の情報では局員は最近になってこの学校に潜入したらしい。学生名簿を改ざんしてだ。そしてその改ざんによる学生の人数が増えていたのは、時雨の属する二学年のゼミだという話だった。

 月瑠については古いデータから、彼女の言うように入学式に正式な手順を踏んで入学したということは確証つけている。ましてや彼女は二年ではなく一年生なのだ。彼女が局員である線はひどく薄い。


「まあ念のためだ。注意するに越したことはない」

「実際、月瑠様の素性はひどく怪しくはありますし、時雨様の行動は間違っていないと思います。時雨様が今回この寿司屋にまで彼女と赴いたのも、本当は、」

「霧隠を解析するためだ」


 ゆっくりと息をつく。この場でインターフィアを行うつもりであった以上結局話すつもりではあった。

 目配せをするとクレアは時雨の意図に気が付いたように小さく頷いた。彼女には寿司屋に行くまでにその作戦について話し聞かせている。

 クレアはその内気な性格もあってかなり萎縮しているであろうに月瑠に積極的に話しかけている。時雨に意識を向けさせないためだ。

 凛音には悪いが状況を引っ掻きまわしかねないため状況は伏せた。


「準備は完了しています。時雨様、アナライザーを」


 ネイに指示され暗がりの中でアナライザーに触れる。

 周囲には人影と言う人影もない。ここならば誰にも気が付かれずに月瑠を解析できそうである。だがそのことを月瑠が知ればどう思うだろうか。

 本当に彼女はアイドレーター局員で時雨たちがレジスタンスだとわかって接しているのか。あるいは彼女は時雨や凛音のことを、何の気兼ねもなく普通に先輩として接してくれているのか。

 前者だった場合はこの行為は必要不可欠。後者だった場合、この行為は月瑠との信頼関係を崩しかねない。


「別に、ばれませんよ」

「ばればきゃいいという問題でもない」

「実質ばれなければ問題ありません。自分の心に嘘をついて善行に徹することの方が、よっぽど偽善的ではありませんか?」


 もちろん彼女に気づかれることはないだろう。アナライザーによるインターフィアはただのハッキングとは違ってその痕跡を一切残さない。それでも心の中に僅かの葛藤が残るのも事実だった。


「どうやら時雨様は、初めての学生生活で少々レジスタンスとしての使命感が薄れてしまっているようですね。遠足前の小学生ですか」

「俺は、ただ」

「別に月瑠様に危害を加えるわけでもありませんし。ただ、月瑠様のプライベートにずかずかと土足で踏み込み、プライバシーを侵害するだけではありませんか」


 十分躊躇する理由になると思うが。


「確かに友人に対して行う行為としては誉ざるものです。ですが忘れないでください時雨様。あなたは悠々と退屈な学生生活を満喫する現役男子高校生ではないのです。あなたは……レジスタンスなんです」

「……解っているさ」

「リミテッドを悪の手から解放する。そのために人生を売り渡した偏屈のうちの一人なんです。あなたには、自分自身以外の責任も背負って生きていかなければいけないんです」

「分かってる、そう言ってるだろ」


 そんなこと分かってるさ。自分は最初から普通の人間なんかじゃない。防衛省に属した時点で肉体そのものを改造された。ナノマシンを体内に組み込まれ強化兵士と化したのだ。

 最初から時雨に与えられた運命に安寧なんてものは存在しない。


「ネイ、インターフィア」


 だから躊躇を打ち消す。

 リミテッドには一刻の猶予もないのだ。時雨が堕落すればするだけこの世界はラグノス計画に蝕まれ腐っていく。変えられるのはレジスタンスだけなのだから。


「解析完了。達成率100パーセント。月瑠様のビジュアライザー内のデータをすべて解析しました。結果を照会します」


 月瑠が振り返る前に時雨はアナライザーをしまった。掲げた左手首のビジュアライザー上に月瑠の端末に眠っていたデータがインプットされている。


「総容量は22.3ギガバイト。これまでインターフィア解析してきた学生の平均値と大体同じですね」

「それで……」

「アイドレーターに関与しているという物的証拠を割り出しています。該当データは……ゼロですね」

「何もないのか?」

「リミテッド内部では使われていないデータが存在しましたが……おそらくこれは海外にいた時の物でしょう。動画データだったので、月瑠様が日本について学んだという、講座動画のジャパンカルチャーラボラトリーかもしれませんね」

「……白、か」


 それを聞いて思わず胸を撫で下ろす。拍子抜けすると同時に安堵を覚えていたのだ。

 月瑠がアイドレーターではないという事実に安心したのである。


「まあ、月瑠様にも家庭の事情と言うものがあるのでしょう。かなり特殊ではありますが、レッドシェルター内部の人間がここで暮らしている可能性もゼロではありませんしね」

「そうか……」

「センパ~イ、何してるんですか? 早く帰りましょうよ~」


 足を止めていた時雨に月瑠が振り返り腕を振り乱して呼んでくる。


「さて時雨様、一難去ったところで大変申し訳ありませんが……」

「なんだよ」

「実は寿司屋にいた時点から数十件近いメッセージが端末に届いていました。いつまで経っても燎鎖世様の追跡から帰ってこないのろまな時雨様に、唯奈様は大変お怒りのようですね」


 そう言えば月瑠と会ってから結局唯奈たちに連絡を入れていなかった。約束していた部屋での会合時間はとっくに過ぎている。

 今は月瑠のことよりまず、唯奈に対する無難な言い訳を考えないといけなそうだ。



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