第38話

かがりび鎖世さよ……お前、やっぱり」


 アイドレーターなのか。その言葉は紡ぎきられなかった。

 時雨のことをじっと俯瞰していた鎖世は無言で脇を素通りする。反射的にアナライザーに伸ばしかけていた手を止める。彼女は殺気や気迫のようなものを一切纏ってはいなかった。

 さり気に視線だけ振り向かせるが鎖世は無防備な後姿を晒している。その姿は彼女が階段を下って行ったことによって視界から失われた。


「どう、思いますか?」

「今同じことを聞こうとしてたところだ」

「制服では解りませんでしたが、鎖世様、あれはCではなくDカップくらいはありそうですね」

「訂正する。俺は決してそんなこと聞こうとは思っていなかった」

「そう言いつつも、鎖世様のボディラインにすっかり釘づけだったくせに」

「あのな」

「ちなみに鎖世様のスリーサイズですが、結構真那様に類似しています」


 だから何だというのだ。確かにボディラインだけでなく雰囲気や口調もどことなく真那に似通っている点が見受けられるが。だから何だというのだ(2回目)。


「まあ冗談はさておきまして、私の憶測では、鎖世様は白ですね。黒もアリだとは思いますが」

「どうしてそう言い切れる……なんだ黒もアリって」

「黒衣装に黒の下着は、少々暗すぎますので。それに黒い衣装で脱がした時に清純な白だったら興奮するじゃないですか。時雨様なら」

「さっぱり冗談はさておかれていなかったな」

「冗談です。あくまでも私のカンではありますが、なんとなくです」

「今俺たちに奇襲をかけないことや無防備なこと。それだけで判断するのは些か無理がある。アイドレーターの目的が俺たちの殲滅ではなく、協調の可能性もあるわけだからな」

「それならばそれでいいではありませんか」


 たしかにそれもそうだが……。


「まあごちゃごちゃ言ってないで、まずは鎖世様に付いていかれてはどうですか? 先ほどの口ぶりからして鎖世様も話がありそうな感じでしたし」


 そう言われて高架下を見やる。そこには既に彼女の姿はなかった。真那からの連絡がないところを見ると、おそらくはこの高架下から出ていることもない。スリープボックスにいるのだろう。

 階段を下りて彼女のいるであろうボックスに歩み寄る。ノックしようとすると勝手に扉が開いた。


「入って」


 内部に通すなり彼女は時雨にソファを勧める。それに腰かけるかどうか悩みながらビジュアライザーに意識を落とした。会話を聞いている真那から連絡がないかと考えたのだ。 


「待たせてる人がいるのね」

「……何故解る」

「あなたが単独で尾行してきたとも思えないから」


 尾行という言葉を使ったことから考えてもやはりただの一般人とは考えにくい。どう返事をしたものか迷った。


「鎖世様、いつから私たちの尾行に感づかれていたのですか?」

「…………」

「どうやら、鎖世様は私を認知はできないようですね。そこから考えて、軍事関係者でないことは確かです。アイドレーターでないとは言い切れませんが」


 ネイは角膜操作レベル3以上、つまり軍用既定のARコンタクトでしか視認できない。

 アイドレーターは防衛省とは違って軍事関係者ではない。だが武器弾薬は扱っているだろう。となるとそれらの軍事物資の供給ラインを確立させているわけで。軍用コンタクトを大量に仕入れていてもおかしくはない。

 鎖世がそれを使っていないとなると、やはり彼女がアイドレーターである線は薄くなる。


「二人、この外に待たせてる」

「連れてきてもいいわ。罠もないし、私以外誰もいない」

「……分かった。真那。聞こえるか?」

「ええ、ここから外周区を捜索してみたけど、監視者の影はないわ。たぶん罠じゃない。向かうわ」


 そこで通信が途切れる。それから数十秒後に扉が開かれる静音がした。


「それで、どういうことなの?」


 部屋に入るなり単刀直入に真那が鎖世に向けて問いかける。鎖世はそれに答えない。ただ静かに電気ケトルで沸かしたお湯でコーヒーを淹れる。

 真那はそんな彼女を見て緊張を少しほぐしたのか、眉をひそめながらも時雨の隣に座った。


「サヨ、リオンは苦いのは苦手なのだ」

「ココアでいい?」

「お砂糖多めがいいのだ」


 真那の隣の席に飛び乗った凛音が無遠慮な要望を出していく。

 鎖世は手早く淹れたコーヒーとココアをガラステーブルに置き、向かい側に腰かけるとカップに口を付ける。


「時雨、飲まないで」

「さすがに毒なんか入っていないだろ」

「分からないじゃない。毒じゃなくても睡眠薬が入ってるかも」


 鎖世に聞こえないくらいの声で耳打ちしてくる。

 まあ確かにここは敵の根城の可能性もあるわけだ。そんな場所に土足で踏み込んでいる以上は用心するに越したことはないだろう。カップに伸ばしかけていた手を落ち着かせる。


「サヨはココアの淹れ方がうまいな」

「お前な……」


 一切の躊躇もなく熱い湯気の立つコーヒーを一気に飲み干した凛音。


「とーさまがな、ココアと言って、いつもにっがいコーヒーを飲ませてくるのだ。アニエスの娘なら、コーヒーの似合うフランス人っぽい女性になれとうるさいのだ」

「別にコーヒーの原産地はフランスではありませんが……ああ、カフェイン摂取による抜け毛対策……なるほどそういうことですか」


 おいいま何を納得した。


「苦しくないか? 眠くも?」

「別に何ともないのだ。それより、NEXUSのおうちに潜入できて期待で胸がいっぱいなのだ」

「何も入れてないわ」


 鎖世は時に気を悪くした様子もなく静かにコーヒーをすする。その姿すらどこか絵になるようだった。

 

「それで燎、単刀直入に聞くがお前は俺たちの敵なのか?」

「敵じゃないわ。でも、味方でもないかもしれない」

「……どういう意味?」

「海水は、どれも進む方向は違うけれど全体がつながってる」


 そりゃそうである。


「私たちは、全く関係のない物事と対峙している。でももしかしたら。海水と同じで、どこかで巡り会うことが出来るのかもしれない。そんな運命にあった」

「詩的ね。でも私たちは、言葉遊びをしに来てるわけではないの」

「俺たちはアンタの立場を判断しかねてる。敵なのか味方なのか。まずそれからはっきりさせたい」

「さっきも言った通り。私はあなたたちの敵でも味方でもない。少なくとも今は」


 意味深に彼女はそう付け加えた。

 それはどういう意味なのか。敵になるということなのかそれともその逆なのか。いずれにせよ彼女が何らかの形で時雨たちに関与していることは間違いがない。間接的になのか直接的になのかは定かではないが。


「分かったわ。じゃあ質問を変える。あなたは……アイドレーターの構成員なの?」


 酷く率直な問いかけだった。最悪問題に発展しかねないほどの。

 だが鎖世がこうして自身の素性をさらけ出してきている以上は、こちらも奥手には出ていられない。彼女はカップを音を立てずにソーサーに置く。

  

「アイドレーターと言うのが、ただの偶像崇拝者のことを示しているなら、正しいかも。でも私はあなたたちの言う特定の団体には属してない」

倉嶋禍殃くらしまかおう率いる武装した偶像崇拝団体にか? 本当に、お前はアイドレーター局員じゃないのか?」

「それならあなたは何者? どうして時雨を待っていたの? どうして……私たちの素性を知っているの?」

「私は、あなたたちの素性なんて知らない。見当は付けているけれど……レジスタンス?」


 本当に時雨たちの素性に確信がないのか。それとも時雨達の油断を誘うための手管であるのか。それに確信を持てない以上はこちらも迂闊に肯定はできない。


「うむ、リオンはレジスタンスなのだ」

「お前少しは自制しろ」

「何を言っているのだシグレ、NEXUSが悪者のはずがないではないか」

「まあ、私たちもあなたの素性が解れば、警戒を解くことが出来る。あなたがどの団体に所属しているのかを教えてくれれば……」

「私はどこにも属してなんていないわ、だってNEXUSだもの」


 そう言って彼女は凛音のことを見つめる。直視されて凛音は一瞬たじろいだようだったが、すぐに大きな耳を立てて見つめ返す。

 意味深な視線に凛音も返事を考えあぐねていたようだったが、結局何も返さない。

 

「それならどうして時雨を待っていたの? 私たちが何らかの団体に所属していることに気が付いていたんでしょ?」

「凛音の耳、見れば解る」

実験体アナライトのことまで知っているのか」

 

 ラグノス計画により人体実験を施された被検体・実験体アナライト。その存在は当然民間には広報されていない。レジスタンスだって妃夢路と言うスパイが防衛省にいてこその、情報収集が出来ているのだ。

 知ろうと思って知りえることでもないはずだ。


実験体アナライトが何のことを示しているのかは知らない。でも、その耳が衣装の一環でないことは解るわ」

「リオンの耳が本物だとわかっても、気持ち悪くないのか?」

「ええ」

「そうなのか……ありがとうなのだ」


 何か以前、その耳に関してトラウマになるようなことでもあったのだろうか。


「待て、つまり燎はアイドレーターでも防衛省でも、それ以外の団体にも属してるわけでもない。ならばどうして俺たちのことを……」

「私が知っていることは多くない。それにそれもすべて私の憶測にすぎない。でもこの不詮衡な世界が、姑息で醜悪な糸で操られていることは解るわ」

「俺を待っていた、と言うのは……」

「IDがマイノリティだったから、あなたたちが防衛省の人間じゃないことは解ってたわ。だからレジスタンスの人間だと憶測した」

「つまり、レジスタンスだと判っていて俺に接触したのか」

「接触してきたのは、あなた」


 そう言って彼女は立ち上がる。何をしようとしているのかと注意しながら彼女の言動を窺う。

 だがお茶請けを持ってきただけであるようだ。洋菓子を凛音の前において彼女は静かに続けた。


「私たちは、敵同士でもなければ味方同士でもない。でも、あなたたちがあの大学部の内部を嗅ぎまわっていることは解ってる。私が疑われていたことも」

「その弁明のために、か?」

「ええ」

「俺たちには、それを判断する手段がある。それを用いて燎を探査しても、いいのか?」

「構わないわ」


 彼女はソファに腰を落ち着かせたまま姿勢を正す。そうして真正面に時雨のことを見つめてきた。やるならばやれとでも言わんばかりに。


「時雨、インターフィアならどこにデータを隠しても、隠しきれないわ」

「まあ順当に物事を進めるなら、ここで鎖世様を解析するのが手っ取り早い気もしますが。ですがあれですね、その行為は鎖世様の攻略難易度を、飛躍的に上げてしまうことにもつながりますね。まあでもいいんじゃないですか? 時雨様のハーレム要員枠は多少過密すぎますので。枠は既に上限突破しております。統計的に見て時雨様の甲斐性では……これ以上の側室を増やすのは好ましくないかと」

「そういう問題じゃない、だが……」


 一瞬悩み時雨はアナライザーにかけた手を下ろした。真那が何を考えているのと言わんばかりに見つめてくる。


「いいの? 私の言葉を信じて」

「アンタの言葉を信じたわけじゃない」


 端的そう告げてカップに口を付ける。真那が再び用心を怠るなとでも言わんばかりの目を向けてくるが、構わずその中身を飲み下す。

 

「燎、お前が何を考えているのか興味がある。なぜ俺に接触を図ってきたのかもだ」

「私がレジスタンスに接触した理由?」

「敵かどうかなんてこの際どうだっていい。話は平行線のままだしな。まず、燎の目的を聞かせてほしい」


 その問いかけに彼女は押し黙った。何かを悩んでいる様子は見受けられないが、表情の起伏が乏しいので判断しえない。

 じっと見つめていると鎖世は空になったカップを手に立ち上がった。


「私はNEXUSのヴォーカル。でもそれと同時に私は、この世界の不詮衡さを正したいの」



 ◇



「何を考えているの?」


 スリープボックスから出るなり真那が疑心の視線を向けてきた。責めるようなものではないがどことなく鋭利な。


「燎が俺たちに接触してきた理由。それが解らない以上は、俺たちも対応のしようがない」

「でも、だからと言って」

「実際に聞かなければどうしようもない。インターフィアは真意を量りたくて話題に出しただけだ」

「そういう意味じゃないわ。私が言っているのは、あそこでカップに口を付けた無謀さに関してよ。あそこは燎鎖世の拠点みたいなものなの。あれは自殺行為に他ならないわ」


 その言葉は少し叱責しているようにも聞こえた。身を案じてくれたのかもしれない。


「あれは、内心を探ることが目的だった」

「どういう意味?」

「あっちの内面を探るには、まず俺たちが警戒態勢を解いて柔軟に接する必要があった。だから俺は、自分のカンを信じただけだ」

「燎鎖世は多分本人が言ったように、私たちの敵じゃない。でも味方でもないのよ」


 呆れたように真那はため息をついた。まあだが燎鎖世に関しては一段落着いたと考えていいだろう。

 彼女が時雨たちに接触した明確な理由は解らない。だが口振りからして、エリア・リミテッドを汚染する有害因子をどうにかしたいと考えていることは解った。それが防衛省なのか、もしくはアイドレーターなのかは分からなかったが。あるいはレジスタンスなのか、も。


「結局サヨの目的はなんなのだ?」

「どうかしらね。燎鎖世の行動原理が解らない以上は、なんとも言えないわ」

「あれは、レジスタンスに加担するという意味だったのかね」

「その可能性は高いけど、そう言い切るのは早計よ。まだ完全に、燎鎖世がアイドレーターのメンバーである可能性を払拭し切れたわけじゃないんだから」

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