2055年 10月1日(金)
第37話
校内に潜入してから五日が経った。未だに任務の方はほとんど成果を出せていない。
紲とも日常的な雑談をすることはあってもこれと言って踏み出して接触することも出来ず。本筋の任務であるアイドレーター局員との接触も依然滞ったままだ。
その懸案が浮上するのは時間の問題でもあった。
「普通に考えて、呼び出しに応じない学生がいるのは当然ね」
「男子4人に、女子5人か」
「ちなみに和馬翔陽、あんた女子の中では相当の女たらしみたいにカテゴライズされてるみたいよ」
「ひどい言われようだぜ」
この作戦が穴だらけなのは解っていたがやはり呼び出しに応じない者たちがいた。
和馬、凛音に一切の興味を示さない者。あるいは不審に思った者か。どちらにせよこの方法で再度試みても来ることはないと踏んだ方がいいだろう。
「そう言えば、輸送車両襲撃の際に、
「なんでそれを早く言わないのよ」
「すまん、意識が飛びかけていたから記憶が曖昧なんだ……声音からして俺たちと大差ない年齢だった。それならそいつが潜伏してる可能性も大いにあるわけだ」
「となると、五人に絞れるわけか」
薫との激戦で致命傷を負った時雨。その時雨を窮地から救ったのは禍殃でありリジェネレート・ドラッグを打ち込んで回復させたのはその少女だった。
あの時は時雨以外に目撃者はいなかった。何か少しでも思い出せれば何か手掛かりになるかもしれないのだが。
「……待て、そういえばあの時ネイ、お前は敵の顔を見なかったのか?」
「残念ながら確認できませんでした。そもそも私は時雨様がARコンタクト越しに見ている正解を視認しているので。それにフードをかぶっていたので髪型も判別できませんでした」
真那に近寄り彼女のビジュアライザーに表示されている女子リストを黙視する。そこには何度か見たことのある名前がいくつか並んでいた。
「やっぱり、
「織寧紲と燎鎖世はともかく、残り3人の情報を集めるわよ」
「それよりも、この三名をシエナ様に照会していただいて、データの偽装を探ったほうがよろしいのでは?」
「それもそうね……三人くらいなら、短期間で解析できると思う」
「それなら私たちの課題は織寧紲、燎鎖世の調査ね」
紲がアイドレーター局員であるとは考えにくい。現時点において最も可能性が高いのは鎖世だろう。彼女が防衛省局員ではないと踏んではいるが、だがアイドレーター局員でないとは誰も言っていないのだから。
「燎の曲はレジスタンスを支持するように、と一般では言われてるが。可能性としてはアイドレーターの指針を示してる可能性もある」
「ノヴァに関する究明を深くしてるからな……ノヴァをフォルストと呼んで、神の遣いだと崇めてる偶像崇拝連中と共通点がないわけじゃねえ」
「今日の放課後、行動に移しましょう」
だがどのように行動に移すのか。呼び出しても来ないことはわかっている。
「幸い、その二人は学生寮を使っていないわね。他の学生の目に留まらずに、インターフィア出来るタイミングがありそう」
「織寧紲の自宅は織寧重工グループの本社よ。あそこに入られたら流石に追跡は難しいわ。そこに到着するまでの下校時間中に成功させる必要があるわね」
織寧重工グループの本社と言えば、確か以前行った襲撃作戦の輸送車両の出発した地点だ。ソリッドグラフィで確認しただけだがかなり厳重な施設だった。あの内部に侵入し紲をインターフィアするのは確かに難しそうだ。
「燎は?」
「燎鎖世に関しては、自宅情報が記載されていないわ。それ以外にも、出生や生年月日まで。何も書かれてないわね」
ますます怪しくなってきた。
「まずは燎鎖世から追跡しましょう。でも時間はあまりかけていられない。今日は二手に分かれて、織寧紲と燎鎖世を同時追跡した方がいいわ」
「それもそうね……まず、インターフィアのこともあるし、烏川時雨は燎鎖世側ね。ほかに有事の際、対象の意識を引き付ける役がほしいところだけど……」
「私がやるわ」
「リオンに任せるのだ」
「アンタはダメ、峨朗凛音」
「なんでなのだっ」
「NEXUS相手だし、任務のこと忘れて接触しそうだからに決まってんでしょ」
もっともである。だがそうは言っても鎖世を追跡するに当たって凛音の力は不可欠だ。
「凛音は鼻が利く。それに何より他人に無関心な燎が、凛音に関心を示したっていう経緯もある。こっちに任せてくれないか?」
「まあアンタがいいならいいわ。それなら私と和馬翔陽で織寧紲の下校ルートを追跡する。こっちの解析は明日の放課後に行うわ」
「それならすぐに動くべき。もう放課後よ。織寧紲は既に下校してるわ」
真那の言う通り放課後の教室に彼女の姿はない。課せられた彼女との接触の任務。それがあって彼女の私生活を観察していたが彼女は部活にも所属していない。もう既に校舎から出てしまっているか。
「時間はないわね。私たちは織寧紲を追跡する。烏川時雨たちは燎鎖世を追跡して、うまく情報を解析して」
「万が一の場合もある。もし燎鎖世がアイドレーター局員だったとして襲撃を受けたら臨機応変に応対しろよな」
「応対って……戦えということか?」
「場合によっちゃ、連中はレジスタンスを誘い出そうとしてる可能性もあるわけだからよ。連中の方針が明確じゃねえ以上何とも言えねえが、最悪、お前らみんなハチの巣だ」
「幸い烏川時雨にはアナライザーがある。それを使って状況を切り抜けて。生存することを第一に、よ」
「こんな町中で連中が仕掛けてくるのか? 銃撃戦なんてなおさら」
「言ったろ、万が一の場合よ。備えるに越したこたねえ」
そう言い残して和馬たちは教室から小走りで出ていく。教室の隅を見やると窓辺の端の席にまだ彼女がいた。
「なぁなぁ、それで、どうするのだ?」
「燎鎖世の行動に関しては、私たちはまだ未着手だったわ。放課後どういう行動に出るのかは把握してない」
「しばらくは様子見するしかないな」
席に静かに座っている鎖世。夕焼けに染まって彼女の髪が幻想的に煌めく。
鎖世はじっと目を瞑ったまま姿勢を崩すことなくその風景に同化している。唯奈曰く『作曲』しているらしいが。それも実際のところは定かではない。
もしかしたら彼女は時雨たちがレジスタンスであると知っていて、こっちの様子を窺っているのかもしれない。ああして微動だにしない間にもアイドレーターの作戦は着実に進行しているのかも。
「時雨、肩の力を抜いて」
「え?」
息を止めて鎖世を窺っていたのかそんな時雨の背中に何かが触れる。真那が手のひらを重ねたのだろう。
「勘ぐるのは大事だけど、憶測が過ぎると時に状況は悪化するわ。柔軟に状況を捉えるべき」
「そうは言ってもな」
「今の時雨には、あの子くらいの率直さが必要かも」
真那が見つめているのは鎖世の席。そんな彼女の机の上には凛音がお座りの体勢で鎮座している。
「なぁなぁサヨ、今どんな曲を作ってるのだ?」
「凛音に自制しろなんて言っても無理か」
「時雨は少し気張りすぎ。和馬翔陽が言っていた通り臨機応変に対応するのが第一条件よ」
真那は少々無頓着すぎる所がある気がしないでもないが。どちらにせよ、今は深く勘ぐっても意味はなさそうだ。
「あなたは、どう思う?」
「むぬぅ、そうだな……リオンは曲には詳しくないのだ。だがNEXUSらしい、ジャンジャンしててヌァァンな感じの曲なのではないか?」
どんな曲だ。
「私にとって、作曲は特に意味をなさないもの」
「歌詞に意味がないということなのか?」
「違うわ。歌詞は考えて作るものじゃない。私は作曲して、その曲に命を吹き込んでるだけ」
「なんだかよく解らないのだ。ジョジョ的と言うやつなのか?」
「…………」
どうやら頭のネジが三本ほど外れている凛音のことは無視することに決めたようである。彼女は目を閉じて再び黙り込む。
「なぁサヨよ、どうしていっつもここに座ってるのだ? 家には帰らぬのか?」
「…………」
「もう放課後なのだぞ? 授業はないのだぞ?」
「静かだから」
鬱陶しそうな顔をするわけでもなく彼女はそう答えた。そうして立ち上がり鞄を手に取る。
「ぬ? 帰るのか? 何故なのだ?」
「……さっき言ったとおりの理由」
「なるほど、よく解らないがそうなのだな!」
鎖世にとって凛音は騒がしい存在だったらしい。しかして手段はどうあれ鎖世が下校するようである。
教室から出て行った彼女の背中を数メートルほど間隔をあけて追う。極端に隠れながら追跡するよりは、この方が不審がられないだろう。
「スネーキングの開始なのか?」
「スニーキングな。まあある意味間違ってない気もするが」
「とーさまに聞いた話なのだが、かーさまはそのスネーキングなヒゲが好きだったらしいのだ。スネーキングなヒゲとは何なのだ?」
「さぁ、なんだろな……」
そういう著作権侵害に該当するような発言は控えてくれ。
そもそも幸正には髭はおろか毛の一本も生えてないわけであるが。峨朗一家の家庭事情の謎は深まるばかりである。
「あまり喋らないで。燎鎖世に気が付かれるわ」
「……燎に関しては、現時点では何の情報もないんだったか」
「ええ。住所や出生も、家族構成も、何も」
「その時点で十分怪しい」
校門から出て彼女は台場公園から台場へと向かう。
「記録通り、学生寮に住んでるわけではなさそう。あの方向だと……台場外に住んでるのかしら」
「あそこはレインボーブリッジがあるとこか。モノレールを経由して通学しているのか」
彼女が向かったのは台場と本島を繋ぐ唯一の懸け橋。数本のモノレール高架が存在するそのレインボーブリッジを越えれば台場外に出ることになる。学生寮を使う学生が多い以上、台場外から通学してくるものは多くない。
少しでも目を離せば彼女の姿を見失ってしまいそうだ。
「モノレールとは、地上から向かうものなのか?」
凛音の指摘に今一度鎖世の姿を目で追う。彼女はモノレール搭乗口のある高架へつながる階段には向かっていなかった。少し道を外れ高架下にある停留所へと向かう。
「もう既にモノレールは着てるのに……何を考えてるのかしら」
「どうやら、モノレールに乗るわけでもないみたいだな」
鎖世はそのまま停留所を抜けてさらにその奥へと向かっていった。エリア・リミテッド建造前、レインボーブリッジ管理課が停泊していた場所だ。
だがモノレールの完全無償化、かつ人員の削減によってそこは廃止されていたはずだ。そっちには宿泊施設はおろかまともな建造物もなかったはずだが。
鎖世はそのまま階段を下りていく。
「今は使われていない空間があるみたいね」
階段の下へ消えていった鎖世の背中を見つめながら真那が眉を寄せる。こんな場所に彼女が住んでいるとは考えにくい。
「罠の可能性は?」
「ないとは言い難いわね……この先は地形上袋小路になってるはずよ。そこに私たちをおびき寄せる目的、なのかもしれない」
「どうするのだ?」
「立ち往生していても仕方ないわ。二手に分かれましょう。有事の際に備えて、誰かがこの場所で待機する」
「インターフィアの関係上俺は中に向かわないと。凛音は……真那、たのめるか?」
「ええ、背中はまかせて」
「ちょっと待つのだシグレ! リオンは、リオンは何なのだっ? アレなのか、戦力外忠告とか言うやつなのか?」
戦力外通告な。平たく言えばそういうことである。
「凛音、あなたは私とここで待機。衝動的に問題を起こされたりしたら、この状況では笑って済ませられないもの」
「ぬぁあっ、二人とも酷いのだっ、なんでなのだ、リオンもNEXUSのプライバートンを覗き見したいのだぞっ」
「プライベートな。それが理由だ」
両腕を振り乱してもだえる凛音を真那が押さえつける。凛音には悪いが今回ばかりはミスが許されない。
時雨は彼女たちに背を向けて鎖世が消えた階段を下っていく。
「時雨様、万一に備えアナライザーを」
「インターフィアで対処できる相手ならいいが」
「ですから、アナライザーに弾丸を装填しておいてください。特殊弾を」
「こんな場所でか? 最悪中にいる燎が死ぬぞ」
「ですから、万一に供えてです。中にいるのが燎鎖世様だけとは限らないのですから」
その言葉に意識を引き締める。彼女の言う通りだ。もしアイドレーターが時雨たちをここにおびき寄せたのだとしたら。時雨たちを掃討しうるだけの戦力を以て待機しているはずだ。尻込みしていては息を吸う間もなく殺害されるだろう。
用心に越したことはない。アナライザーを握ったまま音を立てずに階段を下りていく。そしてすぐに視界が開けた。
「なんだここ」
「設計ミスで、レインボーブリッジ高架下にできた空間ですね。あれは……スリープボックスでしょうか」
「あれは普通、カプセルホテルみたいに複数配置されてるものだよな。何故こんな場所に」
「なんであれ、捜索してみないことにはどうにも、ですね」
彼女に促されるようにして、物陰に隠れながらスリープボックスに接近する。
高架下と言うこともあって死角も多い。もしどこからか狙撃手に狙われてでもいたら回避のしようがない。
「監視センサーの類はない……ネイ、人体反応は?」
「対人ソナーの限り、反応は一つだけですね」
「ボックスの中か?」
「さぁ? そこまでは」
おそらくは鎖世のものだろう。ボックスの扉に手をかざすと掌紋認証も何もなく開閉する。静かに内部へと身を滑り込ませ彼女の姿がないかを探った。
「なんと言いますか、酷く生活感のない部屋ですね」
「さらに怪しくなってきたな」
狭いボックスの中だが内部にはいくつか部屋があるようだ。鎖世がいるとすればこの先の部屋だろうか。
アナライザーに手を添えたまま他の部屋の扉を少しだけ開く。そこから中の様子を窺うが人の気配はない。
「シャワー室か……」
「ここにいなくて残念でしたね、しエロ様」
「いないことは問題だが、そういう目的じゃない」
「他にも部屋はありますが……」
「あそこはトイレだな」
「何想像してんですかこの歩く猥褻物様。現行犯逮捕されてください」
ここが敵の罠だとしても流石にその扉を開ける勇気はない。その行為そのものにモラルが欠けすぎている。
「まあエンプティ表記になっていますので、中には誰もいないでしょうけど」
「それを先に言え」
「と言うかあれですね。今更過ぎですが、時雨様がしていることは完全に空き巣、もしくは下着ドロですね。きゃー、どろぼー、へんたいー」
まったく抑揚のない声でネイはそう紡いだ。
だがしかし鎖世は一体どこにいるんだ。このボックス内にいないとなると他には……そんなことを考えているうちに清潔なベッドに目が留まる。
生活感の感じられない部屋だがそのベッドは使っている形跡があった。白いシーツの上には丁寧にたたまれた制服が置かれている。
「燎の物か?」
「おまわりさんついに現行犯写真ゲッチュしました。この時雨野郎様が、瑞々しい女子大生の脱ぎたて下着を手に取りました。飽くまで眺め、そして突然顔に押し付けては、その芳醇な香りを残さず堪能するように嗅ぎ分け――」
「下着はないだろ」
「下着の有無を第一に確認していた時雨様、流石です」
不意に鼓膜を何かがかすめた。耳の奥、頭の中に残留するような微かな音色。どこか懐かしさまで感じさせるような、そんな歌声だった。
「……NEXUSの曲だな」
「紲様に聞かせていただいたものと同じ楽曲ですね。外から聞こえてきますが……」
ボックスの外に出て音源を手繰る。音の反響の仕方からして上方からだ。
だがこの方角に進めば海面が待ち受けているはずなんだが。となると考えられる場所は高架上しか存在しない。
「あんなところにいたのですね」
歌っていたのは言うまでもなく鎖世。彼女はモノレールの走る高架上と時雨のいる地点との中間地点にいた。
制服ではなくアーティスト衣装なのか闇に溶け込みそうな黒のドレス。
設計上の空隙に腰を下ろし静かに歌詞を口ずさむ。聞き惚れるような飲み込まれてしまいそうなほどに奥深い、印象的な歌声で。
足音を立てぬようにして鎖世のいる地点の真下に歩んでいった。じっと魅入っていると彼女は歌うのを止める。その場に足を投げ出した体勢のまま鎖世は本島の方をじっと眺めていた。
「ここからの景色、酷く澱んでる」
「え……?」
時雨を見やるわけでもなく彼女は静かにそう言った。彼女に促されるようにしてその見据える先を見やる。この位置からでは高架の支柱に閉ざされ何も見えない。
「あなたには、どう見える?」
「俺に、聞いているのか」
その問いに彼女は答えないが沈黙が肯定を示していた。
「悪いが、ここからじゃ何も見えないな」
「それなら、来て」
時雨を彼女は静かに見下ろす。何かを訴えかけるようでもなく何かを諭すようでもなく。
「現実を、
「不詮衡な、世界……」
「あなたにはその覚悟がないの? 私にはあなたの内側が見える。あなたには、その覚悟がある」
「何言って……」
問いかけようとしてやめる。彼女の言った不詮衡な世界。その本意は読み取れないが、なんとなく防衛省に操られているエリア・リミテッドのことを示しているような気がした。
ネイと目を見合わせる。彼女は何も言わなかった。
「時雨、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
響く電子音は真那からの通信だ。できるだけ声を抑え鎖世に聴き取られぬよう努める。
「燎鎖世に接触した。現状、アイドレーター局員かは解らない」
「そう……指示は出さないわ。あなたの意思で行動して。臨機応変に、ね」
「なぁなぁシグレ、サヨにはもう会えたのか? NEXUSのプライベーテはどうなのだ? ぬぁぁあっ、リオンも見たいのだぁっ、シグレばっかりズルいの」
そこで通信は途切れた。十中八九、真那がブチったのだろう。
ここからは完全に時雨の判断で事を進めなければいけなくなった。鎖世がアイドレーター局員だった場合、敵の仕掛けた罠に自分から掛かりに行くようなものだが。
「まあ、時雨様はチキン野郎なので、いけないでしょうが」
「用心には越したことがないだろ」
「まあ、レジスタンスの意向としても、なかなか手詰まりですね。アイドレーター局員である可能性がある以上、接触の必要がある。ですが、指針としては不可解なNEXUSと言うネットアーティストには極力接触しないほうがいい」
「まあ、そうなんだが」
「でもそんなの、どうでもいいじゃないですか。来て、と言われて行かない男なんて、ただの玉無し野郎です。据え膳食わねば男の恥。時雨様はそんな覚悟のない男ではありませんよね」
「話が曲解してるが」
確かに個人的にも燎鎖世には興味がある。知的好奇心に過ぎないが。夕日に照らされ幻想的に灯った彼女の影はどこか魅力的で。
高架に設置された簡素な階段を上がっていく。そこには鎖世の後ろ姿が待ち構えていた。高架から足を投げ出し時雨が押せば簡単に落下してしまう位置取り。そんな無防備な姿をさらしていて。
「
振り向かず、彼女はやはりリミテッドを眺めていた。
「学業積んでいない俺には生憎その不詮衡という言葉がよく解らないが。だが、言わんとしてることは解る」
「その歪さが白昼の下にさらされる日は、来るのかな」
感慨深そうに鎖世は呟く。それに答えず彼女の見つめる下界に視線を落とした。
ここからだとリミテッドが一望できた。ここ数年のうちに飛躍的に革新の進行した東京23区。目まぐるしい変化の中には防衛省のあまたの手管が施されているわけだ。ラグノス計画という形で。
「お前は何を知っている。この世界の、エリア・リミテッドの実情に関して」
「…………」
それに彼女はやはり答えない。
「あなたは、何を知っているの?」
「……当然知らないことがあっても、何を知らないかなんて解らないからな。むしろ何を知らないのか解ってたら、それは全知全能の神様に他ならない」
彼女がアイドレーター局員である可能性が払拭しきれない以上、迂闊な発言は控えなければ。レジスタンスのメンバーであると確信させてはならないのだから。
「それって……哲学?」
「それらしいことを言いたかっただけだ」
すこしおかしそうに彼女は時雨を一瞥する。初めて彼女の顔に表情らしい表情が浮かんだ。
「神ってなに?」
「おいおい、燎も哲学か?」
「神の遣いだなんて酔狂」
その言葉に息詰まる。ここでその話を持ち出してきたか。ノヴァをフォルストとして神の遣いと崇め奉る宗教団体・アイドレーター。この言葉に込められた意味は一体、
「烏川、時雨」
「……」
「あなたを、待っていたの――――」
ぞくりと背筋が凍る。立ち上がりゆっくりと振り向いた鎖世。
今度はその目には感情らしい感情はない。ただ無機質的な目で。あたかも鉢の中の金魚を俯瞰するような、そんな。
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