第33話
「アンタたち何してたの? もう放課後なんだけど」
教室に戻るなり唯奈が詰め寄ってきた。合流せずには行動できなかったため痺れを切らしていたのだろう。
「どこで何してたのよ」
「時雨様はかれこれ数時間、下級生の少女をたぶらかしていました。少女のモノを貪り、嗜み、味わい、舌の上で弄んで余暇を過ごし」
「はぁ?」
「誤解が生じているようだがおにぎりの話だ」
「どっちにしろ、遊んでたわけね」
はぁと、唯奈はため息を以って呆れを表明する。
「何かわかったことはなかった?」
そんな時雨たちの下に真那と和馬が歩み寄ってくる。和馬の後ろでは数名の女子学生が何やらヒソヒソ話している。どうやら和馬は女子学生に相当人気のようだ。
「とりあえず、めぼしいものはなかった。校舎全体を調べたが、これと言って不審な物はな。だが、この校舎の地下に厳重なセキュリティの変な扉がある」
「アイドレーターの仕業?」
「いやどうだろうな。明らかに構造上元々あった物のようにも思えたし、違う気もする」
「それならまあ、シエナに聞いてみた方が早そうね。それより、ちょっと問題が浮上中よ」
「問題?」
唯奈は何から説明したものかと悩むように目を閉じる。だがまずは見ろとでも言わんばかりに教室の隅を指さした。
そこには女子学生が一人腰かけている。特徴的な赤みがかった長髪に、更に濃い赤色の瞳。カラーコンタクトなのか生まれつきのものなのかは定かではない。
真那たちと同じ制服で机に向かって身を落ち着かせるその横顔には、幻想的な美しさがある。一見何か問題らしきものはない。だがやがて違和感にたどり着く。
少女が纏っている目には見えない独特なオーラ。幻想的なまでの直感的なそれは。
「NEXUS、なのだ」
凛音が突然驚嘆の声を上げる。驚嘆とはいっても大声で歓喜のままに感情を露わにするでもなく、凛音らしからぬ静かな驚き。それほどまでに予想外だったのだ。
そこに座っている少女の姿には酷く見覚えがあった。つい昨日真那たちと出向いた台場にて、シトラシアの壁面スクリーンで流れたPV。その中で歌を歌っていた人物、それがその席にいた。
静かに目を閉じて座っている。そんな彼女の周りには不自然な空白が出来ている。他の学生たちは皆彼女に近寄りがたいのか極力距離を取ろうとしていた。
「NEXUS……確か、最近巷で有名になってるネットアーティストだったか」
「ええ。
「時雨たちが教室から出た後、登校してきたの」
「確かに凄い偶然だが。何が問題なんだ?」
真那たちがそこまで懸案している理由が解らない。有名人が同じゼミにいたと言うだけではないのか。
「これ、聴いてみて」
真那が指しだしてきたものは彼女が普段使っているインカムである。ビジュアライザーと無線接続している。
「NEXUSの曲か」
「ええ、この間のPVの曲よ」
「……これがどうかしたのか?」
「よく聞いてみて。歌詞をよ」
要領を得ない時雨に苛立つこともなく真那はそう促してきた。言われた通り曲に集中する。
しばらくは何を言わんとしているのか解らなかった。エレクトリックダンスメタルの独特な激しい音。そんな中に紛れるどこか静かな優しい旋律。そういうものが調和した曲は幻想的で。
思わず取り込まれそうになるのをこらえながら聞いているうちに、真那の真意を掴む。
「もしかして……レジスタンスに関する歌詞か?」
それに真那は無言で首肯する。レジスタンスに関する歌詞だ。だがそんな中にもノヴァを暗示するような歌詞も紛れている。
「曲名はDear – Alternate──酷く叙情的な歌詞だけど、でも明らかにこれはレジスタンスについて書かれてるわね」
「レジスタンスを風刺する曲、ってわけでもなさそうだな」
レジスタンスはリミテッドの市民から見れば有害な存在だ。なんといっても社会に変革をもたらそうとしている武装蜂起軍なのだから。故に一般市民のほとんどはレジスタンスが悪だと考える。防衛省の策謀通りにだ。
だのにこの曲はまるで違う。レジスタンスを擁護するわけでもなく批判するわけでもない。ただつぶさにリミテッドの現状、その真実を抽象的に語るような。そんな歌なのだ。
「前に、NEXUSは曰くつきって言ったでしょ。こういうことなのよ」
「NEXUSは……燎鎖世は、レジスタンスの味方なのか?」
「そうとは言い切れねえな。レジスタンスに加入する姿勢を見せたりもしてねえ。明確に何が悪で何が正しいのか。そういうことも語ってねえしな」
彼女は何のためにこんな行動に出ているのか。自分の立場を明確化していないとはいえ、この行為は明らかに防衛省に対する挑発だ。
燎鎖世が何を思ってそして何をもってノヴァの存在について語っているのかは判断しえない。
だが確かにこの歌詞にはノヴァが防衛省の生み出したものであるという事実を暗示していた。最悪、彼女は反逆罪で捕縛される可能性だってある。
「燎鎖世が防衛省にリークされる危険まで冒して、何故こんな行為に及んでるのかはわからない。だから私たちも、燎鎖世に接触することはなかったの」
「未だに無事であることを見ても、もしかしたら防衛省の罠って手もあるんよ。俺たちをおびき出すためのな」
「事実を把握するまでは、下手に動けない」
どういう状況なのかは分かった。とりあえず接触することは避けて様子を見た方がいいということか。
「なぁなぁおぬし、カガリビサヨなのだろ?」
「おぃい!?」
だが時雨たちのそんな問答など一切の意味も持たず。凛音は憂慮の欠片もなく、静かに座っている鎖世に声をかけていた。鎖世は前席の椅子の背もたれから超至近距離で見つめてくる凛音を見つめる。
「あなたは?」
透き通るような声。メタルを奏でていたとは思えない静かな美声だ。
「リオンはリオンなのだ。おぬし、NEXUSのヴォーカルだろ? リオンはおぬしのファンというやつなのだ」
「そう」
尻尾が生えていたら今にも振り乱しそうなほど陽気に、凛音は鎖世に語り掛ける。だが鎖世の方は一瞬凛音のことを見つめたきりすぐに瞼を閉じた。
「何をしておるのだ?」
「私にできることを、しているの」
「できること? おぬしが出来ることは、目を閉じることなのか? なんだかおもしろそうなのだリオンもやってみるぞ」
問いかけられてもう一度目を開いた鎖世。彼女は屈託のない凛音のことをどこか不思議そうに見つめている。
当の凛音は実際に目を閉じて沈黙を貫いている。いつもはアホみたいに動いている耳も硬直したようにぴんと立っていた。
「サヨ」
「なに」
「おもしろくなかったのだ」
当然だ。
「すべきことが楽しいことなことだなんて、限らない」
「それは難しいのだ。リオンはいつもショードーで生きているぞ? やりたいことだけやっているのだ。それとは違うのか?」
「……あなたはそれでいいかも」
「サヨはだめなのか?」
「私には使命があるから」
そう言って鎖世は凛音の返答を待たずに目を閉じる。さすがの凛音も困ったように時雨たちに振り返る。
「作曲、してるらしいわよ」
目を瞑っての作曲ということか。
「ええ。ネットアーティストとしてかなりのファンがいるわけ。そいつらが燎鎖世の動画を見てそう推察コメントしてるだけなんだけど。確証はないただの憶測。作曲してるって」
「作曲がすべきこと、ねぇ。なんつーかアーティスト魂ってやつ?」
俺には理解できないぜ、と付け加えつつ和馬は片方だけ眉根を釣り上げてみせる。
「さぁ……詳しいことは解らないわね。でも少なくとも、かなりの熱狂的なファンがいるってことは確か。燎鎖世がレジスタンスの意向に近い考えをもっていると理解してる上でね。そう考えても、今のエリア・リミテッドに不満を持ってる市民は多いってこと」
「んで、この腐った世界は変えてく必要があるわけ、ってことだな」
燎鎖世のネットアーティストとしての活動はラグノス計画を知らない一般市民に何かを伝えようとしている。それと同時にレジスタンスにも何かを語りかけてもいる。エリア・リミテッドそのものに、確かに影響を及ぼしているわけだ。
「凛音」
不意に鎖世が言葉を発した。語り掛けなければ反応しないと思っていたが、自発的に他人と接することもあるようだ。
「なんなのだ? サヨ」
「あなたは私のファンだと言った。それ、やめて」
「何故なのだ? リオンはサヨの歌が大好きなのだ」
「私の歌は汚れてる……ねぇ凛音、あなたは、何が間違ってると思う?」
「何がか? まちがっておるものが、まちがっておるのではないのか?」
返事になっていない。凛音のその返答は鎖世の心を動かしたのか、それとも何も琴線に触れなかったのか。それはついぞ分からなかった。彼女は目を閉じて静かに作曲を始める。
「ビックリしたぁ……燎さんが喋るなんて」
まだ教室に残っていたのか紲が二人の会話を聞いて驚いたようにそう言った。
「そんなに無口なのか、燎は」
「うん、少なくとも私は、歌ってるとき以外に、燎さんの声は聞いたことがなかったかな」
どうやら登校初日に希少体験できたようである。
「烏川くんは、NEXUSに詳しくないの?」
「詳しいも何もつい昨日存在を認知したレベルだ。
「詳しいって程ではないけど……普通の人と同じくらいには理解してるかな。烏川くん、NEXUSのPVは見たことある?」
「ああまあ一応。シトラシアスクリーンの短い奴だが」
「新曲のかな、多分。これ見て」
紲は少し考えて自分のビジュアライザーを起動させた。展開したウィンドウを確認するにはだいぶ彼女に近づく必要がある。必然的に肩が触れた。
「なに鼻の下のばしてんの」
「時雨様のUMN細胞数値がランカークラスの値にまで上昇中。凛音様にくっつかれている時とはケタ違いですね。やはり胸の大きさが判断基準ですか」
「あのな……」
「どうしたの?」
ネイの存在を認知できない紲が不審そうに時雨を眺めてくる。液晶には以前見た物とは違うPVが流れている。同時にコメントが弾幕のように飛び交っていた。
「見ての通りの人気さだよね。でも、このコメントでも言われてるけど、ネット上で、歌以外に燎さんが声を発したことはないの」
「確かに声聞きたいとか、狂信者的なコメントが飛び交ってるな」
「それでこのゼミでも、あんまり燎さんに接しようとする学生も多くなかったんだよね。燎さんってなんていうか、ちょっと異次元な感じするし」
「幻想的ではあるな。高みの華というやつか」
「だから、凛音ちゃんが話しかけた時はどうなるものかと思ったけど……意外と親近的だったみたい」
その口調には少し含みがあった。燎鎖世を疎んでいる様子はないが積極的に関わろうという意思はないかのように。
紲は比較的フレンドリーな印象があるが。明らかに怪しい時雨たちに声をかけてくるくらいだのに。
「織寧は、燎が嫌いなのか」
「え? ううん、そんなことないよ!」
紲は大げさに手を振ってみせる。大げさだがごまかそうとしている様子でもない。
「だってほら、NEXUSって、レジスタンスの行動を助長するような歌を歌うし……」
「……ああ」
言葉に詰まりそうになるのをこらえて声を絞り出す。紲はレジスタンスを悪だと考えているのか。何ら不思議なことではない。それが普通の考え方だ。
かなりの有名なネットアーティストと言ってもその行動が皆に認められているわけではない。むしろほとんどの民間人は鎖世を排斥する側に立っている。
「レジスタンスが悪、か……」
「悪って思ってるわけじゃないんだけどね。これは個人的なこと、だから」
そういう彼女は何を考えているのか解らない表情で。時雨はそんな彼女にかける言葉を持たずそっと目を逸らした。
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