第32話

 一限終了を知らせる中間チャイムが鳴ってから数十分が経過していた。今は二限目、つまり昼休みの前の授業中である。だが時雨はと言えばサボタージュという名の校舎内調査を継続していた。

 校舎の隅々まで探索したが構成員の潜伏は見られない。盗聴器の類、爆弾などのテロ兵器が隠されている様子もなかった。

 だが一つ用途不鮮明なものがあった。この施設の地下につながる通路の最奥部に、開かない超厳重な扉が存在していたのだ。まるで銀行の金庫を護るかのような堅牢な扉。ここには侵入は無理だとそそくさと離れたが。


「あとは、ここだけか」


 階段を上り最上階にまで到着。だがそのまた上に続く階段を渡った先には屋上につながる扉がある。だが漫画やドラマなどであるような普通の扉ではなかった。ステンレスなどよりも硬質な窓のない分厚い扉だ。


「電子ロックがかかってるな」

「解除しますか? これくらいのセキュリティなら、サイバーダクトでハッキング可能ですが」

「……いやここはいい。鍵が閉まってるってことは、誰も出入りしていないってことだろ」

「その考えは軽率では? 誰もいないと確証付けるのは少々、早計だと判断します。もしここに大量爆殺兵器でも設置されていたら、時雨様、あなたは全校学生の命の責任を負えるのですか? ない頭をフル回転し、よく考えなおして――」

「ああ解った解った、開ければいいんだろ開ければ」


 半ばネイに強制されるようにして扉の前に仁王立つ。一応近くに学生がいないかを確認してからアナライザーを抜銃した。

 これまで解析したゲートよりも圧倒的にセキュリティレベルが低く、ほんの数秒で解析が完了する。セキュリティが甘いとはいっても普通の学生ではここを開けることなんて出来ないが。


「これ、ヘリポートか? なんでこんなところに」


 屋上には見慣れないHの字。だがレッドシェルター内部にいた時にこのマークは何度か見たことがある。ヘリの離着用マーカーであることは確かだ。


「スファナルージュ・コーポレーションはブラックホークを所有していました。有事の際に緊急脱出用、また緊急突入用にでも設けられているのでしょう」

「だがここは学校だ。軍の保養基地じゃないんだ」

「物騒なご時世ですので」


 ネイの言葉は的を射ていなかったが、まあ実際ここをただの学校と言っていいかは怪しい。そもそも現在進行形でアイドレーターの構成員が紛れこんでいるわけで。

 いつここが戦場になるかもわからないのだ。シエナたちのその予防策が功を奏すこともあるだろう。


「まあこのヘリポートはともかく、怪しいものはないな」

「ちゃんと調べてください。あの給水塔とか非常に怪しいじゃないですか」


 屋上には巨大な給水塔が鎮座していた。通常の軽く五、六倍はある。正午の日差しを受けて眩い光を放っているそれに歩み寄る。

 アイドレーターがこの学校に爆弾なりを仕掛けていたとして。まさかこの給水塔に仕掛けているということはなさそうだが。


「給水塔とは何なのだ? おっきいのだ」

「水をためておくための機構です。ここに水を備蓄することで、この学校全体に水道を供給しているのです」

「しかしなんでこれこんなにデカいんだ? 校舎の屋上にあるサイズには到底思えないぞ」

「昨晩台場フロートに赴いて全体を観察した限り、この辺りには給水ラインが存在しませんでした。おそらくは、この給水タンクが台場全体への供給を担っているのでしょう」

「台場全体? さすがにそれだと小さすぎないか?」

「これは特殊なタイプですね。正確にはこれは給水タンクではありません。おそらくは循環制御器です。台場の地下ダムの水を組み上げ、供給するためのものでしょう。直接地下ダムから水を組み上げるため、ダムの水が枯渇しない限りは無限に供給できます。水道が機能しなくなった場合に備え、この学校がおそらく避難場所にされているのだと思います」


 なるほど。つまりある意味この学校が台場の給水ラインを支えているということだろう。

 

「満足したか? この屋上には何もなかっただろ。しまってたところ勝手に開けたりしたらシエナに迷惑かけてしまう。さっさとセキュリティを回復させないと」

「わかりませんよ。ここに何かが、いえ、誰かがいるかもしれないじゃないですか」

「まだそんなこと言って……」

「……だれかいるのだ」


 何故か自棄にこの屋上に執着するネイ。呆れてため息をつこうとすると静かにしていた凛音が突然時雨の裾を引っ張った。


「誰かの匂いがするのだ」

「匂いって、」

「凛音様は実験体アナライトとして実験を施されているので、感覚が鋭敏化しています。時雨様よりも鼻が利くのは当然かと」

「……どこからだ?」

「上の方からなのだ」


 上。校舎の中で最も高い位置にある屋上で上と言えば一つしか存在しない。時雨は背中を向けていた給水塔のてっぺんを見上げる。


「……」


 そこには人影があった。凛音が着ている物と同じ女子制服。だが特徴的なのは、その首から垂れ風に煽られている赤いマフラーだ。グレーのセミロングを二房に結分け肩口から胸元に垂らしている。

 給水塔には梯子が備え付けられているためそれを使ったのだろうが。何故そんな場所に佇んでいるのか。よく見ると少女はずっと目を閉じたままだった。

 外見的な印象を見れば清楚な少女に見えなくもないが、佇むその相貌、そしてどうにも黙秘を続けるその面持ちからは何者をも近づかせぬ威圧感に似たものが感じ捉える。


「様子を窺いながらもスカートの中も窺う時雨様、流石です。しかしこれだけ喋っているのに無反応とは……寝ているのでしょうか」

「立ったまま寝るってどんな大道芸人だ、馬か」


 実際少女は一切の関心を時雨たちに示さない。結構な高さがあるとはいえこれだけ話していれば気が付くはずなのだが。

 無視しているというよりは気づいていないような気もする。何かに集中しきっているかのような――――。


「おぬし、そんなところで何をやっておるのだ?」

「て、いつの間に」


 黙り込んでいた凛音が少女に問いかける。超至近距離、給水塔の上。少女の後ろからだった。


「…………」


 だがその距離で話しかけられても少女は無反応だった。

 それにしてもあの少女どこかで見たことがある。どこだったか。確か初めて23区をクレアと回った時──ああ思い出した。ラーメンチェーンでナルトに話しかけていた変な奴である。


「どうしたのだ? 耳が聞こえぬのか? ……ぬぁ」


 反応を示さない少女を訝しんだ凛音がその肩に触れた瞬間、指先が触れたことによって少女はバランスを崩し、そのまま給水塔から落ちた。


「ひぎゅぁっ!」


 変な悲鳴を上げて少女は屋上に落下した。ビターン! という効果音でも出そうな貫禄を感じるほどの漫画的な見事な落下。


「痛いじゃないすかぁ……なんなんですか?」

「だ、大丈夫か?」


 顔面を激しく強打したはずだが、幸い大きな怪我もないのか上体を起こした。赤くなった鼻を指先で摩っている少女に手を伸ばす。


「ああすみません、お気遣いどーもっす」


 時雨の手を掴んで立ち上がった彼女は乱れたマフラーを直していた。目元に涙をためているのを見てもかなり強く打ち付けたはずだが。怪我はないのだろうか、いやないわけがない。


「本当に大丈夫か、4、5メートルの高さはあるが」


 普通なら骨折の一つや二つあっていい気もする。

 

「大丈夫っすよ。こういうことを見越して、普段から鍛えてますんで」


 普段からどんな危機的状況を見越しているんだ。少女はどこか自慢げに細い二の腕をぐっとしてみせる。筋肉のきの字もない。


「すまぬのだおぬし、落ちるとは思ってなくてな……」

 

 給水塔の上から飛び降りた凛音が少し離れた場所から不安そうに少女に謝る。あまり人前でそういう人外な耐久力を見せられると困るのだが。


「お、お? アナタ、なかなかいいフードしてんじゃないですかっ」


 ピョンピョンとうさぎ跳びの要領で凛音の下へと詰め寄った少女。彼女は凛音のフードに触れるや否や、感嘆したようにフード越しに凛音の耳をまさぐる。


「なんなのだっ? リオンの頭に何かついておるのか?」

「ついてるのはこのキュートなお耳くらいじゃないっすかね。そんなことより、このフードどこで買ったんですか? あたしもほしいんすけどっ」

「フードか? これは売ってないのだ」

「えー、売ってないんすか? つまんないですね。なかなかいいジャパニーズの匂いがしてたんですけど。これあれっすよね、ジャパニーズの最古のカルチャーって言っても過言ではない、ジャパニメーションの萌えってやつっすよね」


 意味不明なことを言う。確かにノヴァ侵攻以前ジャパニーズアニメーションは海外外交において大きな役割を成す要素ではあったが。だが少なくとも最古ではないだろう。それに文化の代表みたいな言い方をしてるが、あくまでも一部の層に受けているだけである。

 

「それよりもおぬし、本当に大丈夫なのか? 怪我はないのか?」

「それはアナタも同じじゃないすかー、同じ高さから飛び降りてアナタが大丈夫だったように、あたしも大丈夫っす」


 お前は顔面から落下したわけだが。


「細かいことはいいじゃないっすか。それより、あたしに何か用ですか? というか今、授業時間ですよ? サボりっすかぁ?」

「それはお前にも言えたことだろ……」

「あれ? アナタどこかで見たことあるような顔をしてますね」


 少女は俺の顔を見上げ直視するなりそう言った。記憶の奥底を掘り起こそうとしているかのように瞼を閉じて考え込む。


「ああ多分、前に港区シトラシアのラーメンテナントであったからじゃないか。偶然だったが」

「そうでしたっけ? ……まあいいっす。覚えてないってことは、多分どーでもいい気のせいないんでしょう」

「初対面、出会って早々の女子高生にどーでもいい気のせい扱いされた時雨様。ふふっ、可哀そうに」


 相手には聞こえないからといって嫌味たらしく嘲るものじゃない。


「時雨って言うんですか。よろしくお願いします」

「ああ、よろし……何?」


 反射的に返そうとして思いとどまる。今この少女は時雨の名前を特定した。だが記憶の限り時雨も凛音も名前を発した記憶はない。それにこのタイミング。まさかこの少女にはネイの姿が見えているのか。

 

「なぁ、もしかして」

「おぬしは何というのだ? リオンはリオンなのだぞ」


 その疑問は凛音に遮られた。

 

「あたしは月瑠るるです。霧隠月瑠きりがくれるる。一年です。にしても凛音さん、ちっちゃいすねえ。ここは大学部の校舎ですよ? 小学生は入っちゃダメです」

「リオンは小学生じゃないのだ、14歳なのだ」

「中学生ですね。どっちにしろ大学部ではないです。つまり、子どもってわけです。しかしなかなか触り心地のいいフードっすね、ますます欲しくなります」

「リオンは子どもじゃないのだっ」

「はいはい、なでなで~」

「む、むにゃぁ……なかなかのテクニニャンなのだぞ」


 激昂していた凛音だが頭を撫でられ沈静化する。だらしなく大きな耳を垂れさせ喉をゴロゴロとさせていた。本当に犬みたいな反応だ。


「凛音に関してはまあ諸事情がある。ちゃんとした大学部の学生だ」


 このままだとフードを略奪されそうだったため月瑠に声をかける。


「何か深い事情がありそうですが、詮索はしません。あたしも聞かれたら嫌なこともありますからね」

「そうしてくれると助かる……自己紹介が遅れたが、俺は二年の烏川だ」


 後から怪我でも発覚したら大変なので名前を教えておく。


「カラスガワシグレ……? なんかどっかで聞いたことあるっすね」

「今日編入してきたからな。風のうわさで聞いたんじゃないか?」

「そうなんですかね? あ、ていうかセンパイだったんですか。じゃあセンパイって呼ばせて貰いますね」

「シグレずるいのだ、リオンもセンパイと呼ばれたいのだっ」


 じたばたとごねる凛音。月瑠の言っている通り紛れもない子供である。


「わかりました。それでは今後は、凛音センパイと呼ばせてもらいます。色々教えてくださいね、センパイ?」

「やったのだ、リオンはセンパイに昇格したのだ」

「え、いやあたしはちょっとしたからかいのつもりで……」

「むふふ、クレアに自慢するのだ」


 月瑠の言葉など一切聞かず凛音は素直に喜ぶ。さすがのお気楽精神に月瑠も困惑したように瞬きを繰り返す。


「それにしても、霧隠。あんな場所で何してた」


 給水塔の上を眺めながら問いかける。


「時空と同化してたんすよ」

「は……?」

「だから同化っすよ、同化。調和って言った方がいいですかね」


 その返答に返事に窮した。頭の痛い子か。初対面の際にナルトに話しかけていたくらいだしあながち間違っていない気もする。


「そうか」

「センパイ今ちょっと引きました? 酷いっすよぅあたしは大まじめなんですよ」

「……同化っていうのは、つまり」

「言葉通りの意味っす。ジャパニーズニンジャは暗闇に同化して、何時間でも心を無にできるって聞いたことがあります。ですので、あたしも心を無にしていたんすよ」

「ジャパニーズニンジャ? 何故忍者なんだ?」

「何言ってんですか、ジャパニーズニンジャっすよ? ジャパニーズと言えばニンジャ以外に特徴も何もないじゃないっすか!」


 なんだそのムカつく偏見は。


「ジャパンと言えばニンジャ、ニンジャと言えばジャパン。略してニンジャパン。常識ですよ? センパイって教養意外とないんですね」

「それはだいぶ外国的な偏見だな。日本の実情を知ったら軽くカルチャーショックを受けかねない考えだ」

「発言から察しますに、月瑠様は帰国子女か何かなのですかね」

「せーかいですホログラフィさん。と言っても、ジャパンに来てからしばらく経つんですけどね。にしても、ジャパニーズの技術はすごいですね。今の時代、ビジュアライザーに女の子を閉じ込めて三次元化できるんすねー」


 ネイは時雨に語り掛けたはずだが月瑠はそれに返事をする。

 あまつさえ前かがみになって時雨の手首のビジュアライザーに話しかけていた。間違いない、明らかに彼女はネイの姿が見えている。


「何故ネイが見える」

「なんでって、当然じゃないですかセンパイ。だってここに……ああ、もしかしてホログラフィさん、レベル3プログラムですか」

「仰る通りです月瑠様。いかにも私ネイは角膜操作レベル3のARコンタクトのみの視認が可能の存在です」

「ということはやっぱり、軍用コンタクトか」


 ネイの存在を視認するためには軍用に発売されているコンタクトを使用せざるを得ない。

 これは本来赤外線レーダーを目視するために開発されたものだった。今ではホログラムを視認するためのものとして作られているが、このレベルのものは一般人は持っていないはず。

 それを持っているのは基本的には防衛省局員や国家重要人員。例外を上げれば、防衛省内部からシエナたちの手を借りて密輸しているレジスタンスくらいで。

 

「ああこれですか。あたしの両親が軍役経験があるんすよ。それで、あたしも使ってるんです」

「確か、レベル3ARコンタクトは通常のビジュアライザーじゃコネクト出来ないはずだが」


 そう呟きながら彼女のビジュアライザーを見る。このARコンタクトの取得情報をキャッチできているとしたら、彼女の使っている端末もまた軍用であるはずだ。

 だが軍用も市販のビジュアライザーも外装は変わらない。見た目の印象では何とも言えなかった。


「そんなことよりセンパイ、結局こんなところで何してるんですか? 授業は受けないとダメです」

「給水塔の上で瞑想してたお前が何言ってる」

「瞑想じゃなくって同化です、そこ間違えないで下さいよぅ」

「で、結局何してた。授業サボって」

「それあたしの質問なんですけど……まあいいじゃないですか。そんなことよりセンパイ、凛音センパイも。一緒にどうですか?」


 急な話に転換に先の質問の答えをはぐらかそうとしているのではないかと勘ぐる。だがそう言った様子は特に見せてこない。


「どうというのは、何がなのだ?」

「給水塔の上でランチタイムですよ、決まってんじゃないですか」


 凛音の鼻先を人差し指で軽くついて月瑠は給水塔に向かっていく。すぐに二限目の終了を告げるチャイムが轟いた。こうして授業はサボってるくせに、この霧隠月瑠、昼飯時は守っているようである。


「食事もなにも、俺たちは何も持参してないが」

「あたしのお弁当分けてあげるんで大丈夫ですよ」


 遠慮するよりも早く凛音は目を輝かせて月瑠を追いかける。ため息をついてさり気なくネイに目配せをした。


「早とちりはいけません。現状維持、ですよ」


 小声でネイがそう言った。月瑠という存在。何かが怪しいとは思いつつも核心には迫れない。今はまだ様子見をした方がよさそうだ。

 凛音に次いで給水塔のはしごを上り詰めた時、視界に光が差し込んだ。巨大な給水塔で隠されていた光景である。


「絶景ですよね、知ってますかセンパイ、DAIBAのここからの景色は、ジャパン三大珍景のうちのひとつなんすよ!」


 珍景なのかよ。


「間違えました、三大絶景ですね」

「私の情報網に狂いがなければ、日本三景は1689年3月19日から、継続して松島、宮島、天橋立であるはずなのですが」

「海外でのジャパンドリームでの話です。それに今、このエリア・リミテッド以外の場所はノヴァに破壊されて、景色なんて残ってないじゃないですか多分」

「まあ、確かにな」


 三大絶景というのは言い過ぎだが確かにここからの景色は絶景だ。

 綺麗だとか美しいだとかそういう意味ではない。ここからの一望。そこにはリミテッドの全てが詰まっている。この辺りは工場群でそこまで背の高い建築物はない。それ故に台場全体の光景が見通せるのだ。

 閑散とした発展区域。そんな中にもシトラシアのような超高層建造物群が立ち並ぶエリアもある。きっとこの台場はエリア・リミテッドにおける巨大な集合施設のようなものなのかもしれない。

 織寧重工グループ本社があることから考えても、ここが失われればエリア・リミテッドは大打撃を食らうことになる。


「それじゃ、お弁当にしますか」

「別にいいが、教室で食えばいいんじゃないのか。友人とのスキンシップの場だろ」


 なかなか渋い色合いの風呂敷を取り出した月瑠。その結び目を解こうと四苦八苦。

 学生生活は送った経験がないため何とも言い難い。だが授業までサボっているのを見ても少し心配になる。


「いいんですよ別に、あたしはここで一人で食べるのが好きなんです」

「……もしかしてあれなのか? ルルはボッチなのか?」

「人が指摘しないように努力してたことを何の躊躇もなく聞くものじゃない」

「ボッチ? なんすかそれ」


 そういう世俗の言葉には疎いのか。帰国子女と言っていたくらいだしありえなくもない。


「……ああ! あれですか! あのなんかすっごく大きい奴ですね」

「大きい?」

「なんか大きくて、ぬめぬめしてて、何本も触手の生えてる奴ですか?」

「…………」

「歩く生殖器時雨様。なに下世話な想像してんですか汚らわしい。死ね」

「なにも想像してねえよ」


 すごいナチュラルに死ねと言われた。しかし月瑠は月瑠でいったい何を言っているのか。確実に話が噛み合っていない。


「そのうえ全身に呪印みたいなのが浮かんでて、まさにジャパニーズニンジャって感じの奴ですよね。ジャパニメーションはやっぱすごいっす」

「なんの話をしている。ジャパニメーション?」

「えー? 烏川センパイ知らないんですか? ミヤザキハルオだかなんだかって名前の監督が作った奴です。ジャパニメーションを代表する、けものの姫に出てくるあれですよ」

「デイダ○ボッチですね。しかもいろいろ間違えています……月瑠様、俗にいうボッチというのは、友達や仲間などという親しい関係の人間が身近にいない人間のことです。時雨様みたいな。例を挙げますと、学校の授業で二人組作って~と言われた瞬間に死にたくなれば、それはボッチ確定です。時雨様みたいに」

「何故二回言った。そもそも俺が学校に来たのは今日だ」


 一限しか受けていないのにさすがにそんな経験はしていない。


「あ、ならあたしボッチですね」


 死にたくなるのか。


「でもいいんです。友達なんかいらないです」

「そんなこと言ってるとな」

「いいんですよ、だってあたしは――――仲良しワイワイするために、ここにいるわけじゃないんです」

 

 静かに月瑠はそう言い切った。怒気も激しい感情も感じられない。だが何故か近寄りがたい口調で。自然とかけるべき言葉を失う。


「あたしがここに通ってるのは、ジャパニーズニンジャをリスペクトしてるからですから!」


 先ほどまでの暗鬱とした印象はいつの間にか消え去っていた。

 月瑠は風呂敷を解き包んでいたものが露出した。そこに鎮座している物は米。


「おにぎりですか。華の女子高生にしては、色気がないですね」

「ひっどーい! おにぎりは偉大なんですよ? 昔のジャパニーズニンジャは、これを乾かして日持ちさせたり、固くなったこれを潰して、シュリケンにして戦っていたんすよ? 超リスペクトじゃないですか」

「なんだその捻じ曲がったリスペクトは。そもそもそんな事実はない。食べ物粗末にしすぎだ」

「本当なのかルル、オニギリは手裏剣なのか? すごいのだ!」


 真に受けてるんじゃない。


「はい、どうぞ」

「あ、ああ」


 月瑠に一つ差し出され受け取る。海苔などもつけられていない典型的なおにぎりを前に、時雨は少し緊張した。

 見知らぬ相手から渡された食物、通常であれば毒物などが仕込まれている可能性を考慮して口をつけないべきだが……。

 

「これ、霧隠が握ったんだよな、これ霧隠がにぎにぎしたんだよな。これ、霧隠の可愛い女の子の手でモミモミされたんだよなはぁはぁ。とでも言いだしそうな顔でおにぎりを凝視しないでください」

「ああ、心配しないでくださいよセンパイ。手はちゃんと洗ってますんで。まあ洗浄のつもりで、中性洗剤流さない手で握りましたけど」

「確実に有害だろ」

「冗談です」


 冗談をそんな真顔で言うんじゃない。本当に冗談か解らなくなってくる。一瞬躊躇しつつもおにぎりに控えめにかぶりつく。絶妙な塩加減は、まさにいかにもなおにぎりの味。そして歯が具材に接触する。

 バリッ。


「到底普通のおにぎりからは鳴らないような音が鳴ったんだが」

「え? そうっすか? おにぎりと言ったら乾きモノじゃないですか」


 かぶりついた断面を見やると黄色い何かが米に挟まれていた。たくあんである。


「渋っ、渋すぎますこのチョイス! 月瑠様もまた通なものを……」

「なんか黄色い物が入ってるのだ。甘くて少し苦くて変な味なのだ」

「それはたくあんです」

「タクアン? なんなのだそれは」

「かの有名な宮本武蔵の師匠の、天平時代ズ・プリエストっす。心がピュアなら、どんな痛みも苦しみも感じないって教えた、ジャパニーズニンジャの起源の人っすね! 超リスペクトです」

「嘘吹き込んでるんじゃない」

「天平時代、臨済宗の僧・沢庵宗彭ですね」


 そもそもその教えは確実に忍者は関係ない。


「え? 嘘じゃないですよ~やだなぁ。知らないんですか? 烏川センパイ。ジャパニーズのプリエストは、錫杖を使って魔物と戦うんですよ。おまけに手のひらに穴が開いてて、ブラックホールなんすよ? 超すごいじゃないですか」

「どこの犬人間漫画ですかねえ。ジャパニメーションに影響受けまくりです」


 なるほどな。だから初対面時ナルトに話しかけていたのか。


「そう言えば、凛音センパイもあのジャパニーズレジェンドに出てくる主人公みたいな耳がついてるっすよね。もしかして半分妖怪なんすか?」

「リオンか? リオンはリオンなのだ」


 月瑠がボッチな理由がわかった。これは重傷だ。しかして凛音の返答も返答として意味を成していない。


「凛音、それから霧隠、お前たちの尊厳遵守のために敢えて言っておくが、このたくあんは日本の歴史上の人物じゃない。大根だ」

「知ってますけど? 当然じゃないですか、流石のあたしも人肉食べてるつもりなんてありませんよ。頭大丈夫ですか? センパイ」


 ムカつく返答をしておきながら月瑠は素知らぬ顔で、少しずつおにぎりを頬張っている。たくあんなどと全く色気のない具材だが、月瑠がパリパリと食べている姿は小動物のようでどこか庇護欲を駆り立てられる。

 返す言葉も忘れてため息とともにその場に沈み込んだ。


「何故おにぎりなんだ。まさか手裏剣になるからなんて馬鹿げた情報で、好きになってるわけじゃないだろ」

「当然じゃないですか。おにぎりはジャパンの伝統です。和と言えばにぎり、にぎりと言えば和。海外でも沢山嗜まれてるくらいですし、NIGIRI超リスペクトです」

「……それってもしかして、寿司と勘違いしてないか?」

「何言ってんですかセンパイ。これがそうですよ。おにぎり、別称NIGIRI・SUSHI。常識です」


 ふふんと控えめな胸を張ってみせた。


「握り寿司とおにぎりは……まったくの別物だ」

「も~……センパイ、そんな冗談つまんないです。というかおにぎりに対する冒とくですよ。修正してください」

「…………」

「え、マジですか……?」


 月瑠は何度か瞬きをして自分の持っている食べかけのおにぎりを見下ろした。そして何もしゃべらなくなる。よほどショックだったのかもしれない。

 並んで給水塔の上に座るとこの校舎がU字になっているのが解る。ここからだと先程まで講義していた教室がよく見えた。そのうち始業のチャイムが鳴る。

 窓際に座っている真那の長い黒髪が見える。その姿を見ているうちに時雨はなんとなく安堵感を覚えていた。授業を受けている真那の姿が何故かしっくり来たのだ。

 救済自衛寮時代も真那の学生姿なんて見たことはなかったが。真那にはやはりレジスタンスとして危険な任務に就いているより、こうした普通の生活を送ってほしかった。


「慈愛に満ちた目で見てないでください気持ち悪い。パッと見変質者の目ですよ」

「その相反する種類の目がどうして並べられているんだ」

「他の人ならば慈愛の目線でも、時雨様がやると変質者の目になるということです」


 言いがかりも甚だしいが確かに凝視しているのもよくない。そっと目を逸らそうとして、真那のビジュアライザー上に通話中だと思われるウィザードが映っているのに気が付く。どうやらまじめに授業を受けているわけではなさそうだ。


「それにしてもセンパイ」

「ん?」

「今日ここに編入してきたんですよね」


 声をかけられて月瑠を見やると彼女もまた時雨と同じあたりを眺めている。

 

「そうだが、それがどうかしたか」

「いえ……何でもないです」


 何かを言おうとして月瑠は口を噤んだ。意味深なその挙動に時雨はあえて反応しない。


「この学園長いのか?」


 代わりに違う方面で攻めてみる。

 

「あたしですか? そうですね、あたしは入学式からここの学生ですね」

「そうか」


 編入してきたわけでもなし、か。まあただ彼女の言葉しか証言はないため嘘の可能性もあるわけか。

 そもそも月瑠は二年生ではなく一年生である。懸念事項は空振りに終わりそうなものであるが。


「何か聞きたいことでもあるんですか? センパイ」

「いや、そういうわけじゃない」

「時雨様は月瑠様のスリーサイズに酷く興味をお持ちのようですよ。月瑠様、時雨様は月瑠様のようなスレンダーな女性には目がないです。てか性犯罪者の目になります。気を付けてください」

「言われもない嘘を吹聴するな。少し聞きたいことがあっただけだ」


 勘ぐってくる月瑠をごまかすべく話の転換を図る。ネイも多分それに加担してくれたのだろうが相変わらずその手段はえげつない。


「聞きたいこと、ですか?」

「この校舎、地下につながる通路があるだろ。その深奥部に、あかない堅牢な扉があった。その用途を知らないかとだ」

「扉ですか? そういう話は聞いたことがないですね」

「そうか……まあ大したものでもないのか」

「さあ、どうなんでしょうかね。あたしはボッチなんで、知らないだけかもですが」

「それもそうか」

「センパイひっどーい、否定してくれてもいいじゃないですかぁ」

「実際ボッチですからね」


 そんなくだらない雑談をしているうちにさらに二度のチャイムが鳴った。それを耳にするなり不意に月瑠は立ち上がる。


「教室にもどるのか。まじめに授業受ける気になったか」

「今日は四限授業なんですよ。もう放課後です」


 なるほどな、確かに校門から学生たちの姿がまばらに出てきている。

 

「それじゃセンパイ、凛音センパイ。それから、ホログラフィのネイさん、あたしはそろそろお暇させてもらいます」

「さよならなのだ。おにぎりありがとうなのだ」

「どうせ余分に作ってるんで、また食べたくなったら来てください。あたしは多分、ずっとここにいるんで」

「講義受けろ」


 自分たちも教室に戻ろうかと立ち上がる。午後はずっとここで校舎の全体の様子を見ていたが何もなかった。もしかしたら構成員なんていないのかもしれない。


「……ここに来るまでずっと校内探索していたセンパイ方には、言われたくないっすね」


 何?


「お前、」

「まるで借りられてきたばかりの猫みたいに……ああ、凛音センパイはどちらかと言えば犬ですかね」


 振り返るとそこには既に彼女の姿はなかった。はっとして端に駆け寄る。どうやら普通に梯子を下りているだけのようで。その姿もやがて校舎の内側へと消えた。


「そういえば、どうやってこの屋上に入ったのか聞き忘れたな」


 見た感じ普通に扉をあけて出て行ったが。


「ふふっ……なかなか面白い方ですね、霧隠月瑠様」

「どう思う?」

「判断材料がまだ圧倒的に足りな過ぎて何とも言えませんね。ただまあ時雨様が、月瑠様に直接問い質してみれば話は別ですが」

「なんて聞くんだ」

「そんなの、決まってるじゃないですか」


 意味深に、ネイはほくそ笑む。

 

「月瑠様が、アイドレーターの人間なのか、とですよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る