第28話
台場はエリア・リミテッド建築に伴って、本島からは切り離されたメガフロートとなった。
首都高速11号線すなわちレインボーブリッジ。それでのみ本島と繋がる台場はある種の異郷の地区なのだ。モノレールはやがてその領域に進行する。
「確かに、本島とは違うな」
圧巻。その言葉しか浮かばないほどの工業発展区域。様々な工場と思われるものが台場メガフロートの半域ほどを覆っていた。それらには一律してスファナルージュ・コーポレーションのロゴや、織寧重工の文字が刻まれている。
用途不鮮明な工場ばかりだが、どうやらスファナルージュはC.C.Rionやレーション以外の生産にも進出しているようだ。改めてシエナやルーナスがかなりの影響力のある人間たちなのだと実感した。
「レジスタンスの活動資金、どこから仕入れているか、誰かに聞いた?」
その発展区域を抜けながら真那が問うてくる。
「リミテッドの外部から、主に海外からの資金援助を受けてると聞いたが」
資金的な面は判断しえないが物資的な面で言えば件のM&C社もそのうちの一つであろう。
「それもあるけれど、そもそもエリア・リミテッドでは、海外の貨幣はただの紙切れに過ぎないの。そもそも外交そのものが基本的に失われているから、一般が使える両替機構はない。だから、外国からの金的援助だけでは、レジスタンスは武器の調達すら難しいわ」
「……考えれば解る話か。スファナルージュ・コーポレーションだな」
「ええ。その通りよ」
知っている限りスファナルージュ・コーポレーションの製造するレーションは無償配布だ。C.C.Rionも同等であると考えると、そもそも資金が発生しないのではないのか。
「スファナルージュが製造してるのは、その二つだけじゃないわ。他にも家電や衣料品、生活必需品業界にも進出してる」
「オールマイティだな。その資金をレジスタンスに回してるのか?」
「ええ、防衛省に貢献し、エリア・リミテッドを支えている大資産家なのに。実質はレジスタンスを援助してるの。皮肉な話ね」
「だが……それによる資金は小規模なんじゃないのか」
その問いに真那は答えない。代わりに金色に輝く一枚のカードを取り出した。一見普通のクレジットカードに見えるそれには見覚えがある。
「IDカード……それもマイノリティカードか」
リミテッドの住民には等しくIDカードの保持が義務付けられている。そのカードは住民にとっては我が命にも等しいもの。それがなければ買い物もできないしモノレールにも乗れない。あまつさえ自宅にも入れなくなるのだ。
同時にそれはクレジットカードと似たような機能もある。IDカードのグレードによって上限額が指定されていて、その額までは誰でも使用できる。それは各世帯の所得に関係のない数値だ。
職業困難による食糧飢饉回避の対応策ともいえよう。エリア・リミテッドにおけるそのシステムは生存権の保証にもつながっているわけだ。無職でも、生活できる程度の資金額が指定されているのだから。
「マイノリティカードは確か、特定指定区域のみの発行じゃないのか?」
IDのグレードはその総資産金額により決定される。一般市民はツートンカラーのマジョリティカード。富裕層民はゴールドのマイノリティカードだ。
リミテッド23区のうち中央区と新宿区は一般市民エリアではなく富裕層エリアと言われている。故にその区画以外には、マイノリティカードを有している人間はいないと思っていたのだが。
「区画は関係ないわ。総資産額で更新されるのよ」
「真那様がマイノリティカードを使われていることを見ても、レジスタンスにはかなりの資金援助が入っているということが分かります」
「リオンのもキラキラなのだ」
彼女が取り出したカードは金の色。紛れもなくマイノリティだ。
マジョリティの月間使用可能額が10万円程度。マイノリティの可能額は確か最低ラインでも180万円相当だったはずだ。こんな小さな少女にそんな金を扱わせていいものか。
「お前それ使ってるか」
「モノレールにの乗るのには必要なのだ。でも、とーさまが何も買うな、というからお買いものはできないのだ」
残念そうに凛音は項垂れる。幸正の判断は正しいが、レジスタンスに入る資金に関してはスファナルージュのマスコットをしている凛音にも恩恵があってもいいんじゃないのか。
「でも、シエナがユイパイマンを沢山くれるからいいのだ」
「いいように扱われてますね」
餌付けされているだけではないか。騙されていることに気が付かない凛音が不憫だった。納得しているようだからあえて指摘はしないが。
「まあそれで、その莫大な資金はいったいどこから動いているんだ」
「あれよ」
真那が指し示した先。そこには巨大な建造物が配置されている。ほかの工場とは一風変わった縦に高い建造物。見慣れた大型商業施設である。
「巨大商業施設、シトラシア。あれがレジスタンスの資金源ね」
「なるほどな……そう言えばスファナルージュ・コーポレーションの施設だったか……」
「ええ。シトラシアは23区のすべての区画に配置されているわ」
「それほどの規模なら、レジスタンス活動資金としても事足りるか」
「他にもあるわ」
真那が指し示すものは商業地帯から少し離れた地点。リミテッド建造以前は台場公園があった離れの人口島だ。だがその土地自体も増設され、かなりの面積になっていた。
今やそこには異国風な建造物が聳えている。外装からして分かった。あれは学校だろう。
「スファナルージュが学校も運営していることは知ってたわね」
「ああ。確か23区のうち10区で、小中高大一貫の教育機関を設けてるんだよな」
「ええ。その中でも最も新しい校舎が、この台場メガフロートの第三学園」
「もしかしてさっき言っていた他の施設というのは、これか?」
「ええ。一般市民が台場に渡るための高架モノレール、これが台場にも開通した理由は大半がここにあるわ」
曰く、既存の校舎だけでは23区全域の子供たちの教育を賄えないのだとか。それ故に施設縮小によって土地の浮いた台場に第三統合学院が増設されたらしい。
「話が読めました。つまり、この学校自体は無償運営していますが、そのための寄付金を募って、それをレジスタンスに回すというわけですね。ここ以外の九校からも多額の寄付金が発生していることでしょう」
ネイの読みを真那は肯定する。話を聞いていると、エリア・リミテッドを循環する金がかなりレジスタンスに動いているのが解る。
それだけの資金が動いて防衛省に察知されないのも不自然な話だった。それだけレジスタンスの情報隠匿技術が進んでるんだろう。
「まあ、レジスタンスの資金源は、大半はそこかしら。他に何か聞きたいことはある?」
「スファナルージュ・コーポレーションがその経営術によって資金を調達していることはわかった。寄付を募っていることも。だが何故スファナルージュはそこまでの支持を市民から受けることができているんだ?」
リミテッドの食を支えているということからスファナルージュ・コーポレーションそのものが市民の心の支えになっているのであろう。
だがしかし皆が皆スファナルージュの存在を既知としているとも考えにくい。実際時雨もまた詳細を知らずにいた。それだのにレジスタンスの活動を維持しうるだけの資金源となるほどの寄付を何故市民が行おうと考えるのか。
「スファナルージュの知名度的な問題なら、簡単な話よ。シエナが率先して、エリア・リミテッドにおける私営警備会社を運営しているから」
「私営警備会社?」
「コーポレーションとしての機能は、何も第一次・第二次産業や商業施設の活動にとどまるものではないの。防衛省直属ではなく、あくまでも私営。民間企業や一般個人の市民、それにNPO法人やNGO活動団体……対象を定めずに、広々とした範囲内の問題を解消する機関としても、世に知られているの」
真那の端的な説明からすると、どうやら日常的な民事問題から刑事問題、その他事故や小規模の事件といったアンドロイドなどの防衛省の警備機能ではまかないきれない問題を、率先して解決に導く活動をしているという。
実際に時雨がレジスタンスに加入した後も、数十という膨大な数のアクセスが有ったという。殆どが個々間で解決しうる小規模なものであるらしいが、麻薬問題や密入、銃の不法製造などの告達なども稀にあるらしい。
「一応慈善事業として行っているけれど、全くレジスタンスにとって利がないわけではないわ」
ターミナルから降り生ぬるい軟風にその長髪をさらわれるのを手で抑えつつ、真那は付け加えるように振り返る。
「有益な情報も入ってくるわけですね」
「ええ。先日のホームレス収監に関してだって、民間からの情報がなければ知る由もなかったわ。平民層からすればホームレスのような貧民層は鼻つまみ者でしかないし、関心を向けることのない相手ではあるけれど、でも、日常生活の一部として意識の中にとどまるの。自分たちは異なる異色の存在としてね。だから、それが日常生活から突然フッと消えたりしたら、違和感だけが残ってしまう」
ホームレスがいなくなった。何かしらの問題を起こそうとしているかもしれない。そのような情報を民間人が何となしにスファナルージュ・コーポレーションに送ったとしても、それが数十・数百といった数の情報になれば、些末な変化には留まらなくなる。レジスタンスが目をつけるだけの異変になり得るわけだ。
「しかし人間の感性的に、果たして善意からそのような小さな変化をわざわざ他者に教えるとも考えにくいですが。ホームレスが失踪したところで、それはあくまでも赤の他人。民間人からすれば、それこそ瑣末な変化でしか無いのに」
「ええ。だから、ただの探偵機関や紛争解決団体として、民間に進出しているわけではないわ。これをみて」
真那はビジュアライザーのホログラム機構を展開させる。立体的に表示されたそれは、何やら無数のコメントや画像ファイルやらが瞬間的に更新され、流れ出る掲示板のようなもの。
四十年ほど前から加速度的に流行り始めたソーシャル・ネットワーキング・サービスである。
「αサーバーよ」
「後期型のSNSですね。ツリッターやインスタギュラム、フェイスネットのようなものでしょうか……しかしこれは見たことがありませんね。それにサーバーと名称つけていることからも、ただのSNSであるとは考えにくい」
「ネイの言うとおり。αサーバーはただのコメントやファイルを投稿するためのSNSではないわ。エリア・リミテッドのネットワーキングシステムにおける情報共有システムよ。通常のSNSとしての機能、サイトを制作共有する機能、動画をアップロード・ストリーミングしたりする機能、そして、従来のTVのようなマスメディア広報手段としての機能」
リミテッドにテレビ回線という概念はない。代わりにインターネット経由で生放送や企業のマーケティングなどが行われているのだ。
「私営警備会社としての活動は、そのうち、『Lちゃんねる』と呼ばれる掲示板サイトのようなものに書き込まれる依頼などを主に解消しているの」
「インターネットというもはやライフラインとも表せるツールにおいても暗躍するスファナルージュ・コーポレーションですか。確かに民間人に対してもインパクトは強烈ですね」
「なるほどな……ちなみにスファナルージュ・コーポレーションの本社はここにあるのか?」
「いいえ。本社はレッドシェルターにあるわ。もはや民間企業ではないから」
そんなことを話しているうちに時雨達はシトラシアのすぐ近くにまで来ていた。施設の壁には巨大なスクリーンがあり広告CMのようなものが流れている。そのうちCMがなにやらPVのようなものに切り替わる。
「NEXUSなのだ」
途端に凛音が興奮したようにその大きな瞳を爛々とさせる。
「ネクサス?」
「最近巷で話題になっている、NEXUSというネットアーティストよ」
PVの前奏部のあいだ、凛音は陽気に鼻歌を歌ってそれに合わせる。妙に音が外れているのがどこか滑稽だ。時雨もまた足を止め凛音が魅入るPVに目を向ける。
画面に映った少女の姿は息を呑むほどの美貌を兼ね持っていた。外見的容姿で言っても類い稀なるもの。
優しい歌声から入った曲はメタルともロックともつかない珍しい曲調で起伏が激しい。
◇
遠巻きに見ていた
向日葵の監獄で
ただ孤独に、君を描いていた
高嶺の君は
だけど向日葵にように
優しく僕を、包み込んでくれた
忘れてしまったのは僕だけなの?
I don’t wanna forget you.
君も何かを忘れてる
You have forgotten me.
あったはずの温もりが
いつの間にか、消え去ってた
When EDEN separate us.
I wanna grab your hand.
見失った君の背中を
僕は手繰り引き寄せる
だけど掴んだものは、君じゃなかった
Where are the real?
Locate me. Dear my precious.
君を見つけたんだ
僕の知らない場所で
この銃口は、君を捉えていた
路傍の君は
だけど
冷たく僕を、飲み込もうとした
何も忘れてなんて、いないんだよ
I don’t gotta forget you.
君はどうして忘れたの?
You have to forget me.
確かにある温もりが
なんとなく、冷たいんだ
When EDEN separate us.
I gotta grab your hand.
そばにいる君の手首を
僕は手繰り引き寄せる
だけど掴んだものは、君じゃなかった
Where are the real?
Locate me. Dear my precious.
やっと気が付いたんだ
別たれた時、君は、囚われていた
向日葵の監獄に
あの時、君が僕を庇ったから
契りを交わしたんだ
出会えた時、僕は、君を救うよ
君を縛る物から
今度こそ、僕が君を護るから
When EDEN separate us.
I gonna grab your hand.
そばにいた君だけを
僕は掴み抱きしめる
僕を支えてたのは、君だったから
When EDEN separate us.
There are the real.
Locate us. Dear my precious.
When EDEN separate us.
◇
エレトリックダンスメタルという奴だろうか。その歌声は美しい鈴のように透き通り……だがそれでいてどこか悲しげで。
そのPVには、いや彼女の歌には聞き手を引き込む何かがあった。それは単純な歌の上手さではなく。彼女が伝えようとしているメッセージを感じ取ってしまったからなのか――――。
「時雨?」
「……悪い、放心していた」
「ふふーん、聞き惚れていたのだろ、NEXUSはすごいのだ」
何故が自慢げに腕を組む凛音。確かに幻想的だった。いつまでも引き込まれ続けてしまいそうなそんな歌だったのだ。
「NEXUSの歌は、少し曰く付きなのよ」
「曰くつき?」
「まあ、詳しい話は今度はなすわ……多分、近いうちにレジスタンスでもその議題が出ると思うしね」
意味深にそう告げて真那はシトラシアの入り口に離れていく。何のことだと思いつつ、僅かな名残惜しさを感じながら液晶に目を向けた。PVの余韻が佳境に入り次のCMに移り変わる。
「突き抜けるソーカイカンっ! ほろ苦く、甘酸っぱいセーシュンを駆け抜けるのだっ!」
液晶の中でC.C.Rionを片手に凛音がウィンクをしていた。呆気にとられながら見つめる。どうやらそれはC.C.Rionの宣伝CMであるようだが。
「ぬなぁっ、べとべとなのだぁ!」
画面の中で大量のC.C.Rionをかぶった凛音。両手を上げてうがー! と叫んでいそうなポーズをしている。
「べとべと気持ち悪いのだ」
「凛音様、台本を……」
「ああすまぬのだシエナ、忘れていたのだ。えーとあれだな……青春のシュワシュワなのだ」
グダグダすぎるCMだった。しかし再収録していないところを見ると、このCMはおかしな客層をひきよせる目的なのかもしれない。
明らかにシエナたちの集客方法は間違っている気がした。実際に、シトラシアの下には十数人の人だかりが出来ている。
「凛音殿は相変わらずの健康美幼女なのでござる……スケスケな下着は相も変わらずインナーでござるか。これは小生、写真に収めずにはいられないのでござる」
その者たちは何故か液晶を激写しまくっていた。
「あれが俗にいうロリコン、またはオタクというやつですね」
「あの層を集客することに意味があるのか」
イメージダウンする未来しか見えない。しかし凛音はここまで大々的にリミテッドの市民に認知されているのか。そう考えると彼女のこのフードを外すわけにはいかなくなりそうだ。
一連の出来事を見なかったことにして真那の消えたシトラシア内部へと向かう。
「なんだこれは……」
一歩店内に足を踏み入れた瞬間あまりの衝撃に体が硬直する。一階フロアの半域ほどがC.C.Rion関連のテナントになっている。
アパレルショップから生活必需品まで凛音の顔なりシルエットがプリントされた物で溢れかえっている。勿論大半は普通の商品なのだが。
「凛音様の人気度合いが伺えますね。やはりケモミミは偉大ということでしょうか」
「この服を着て町中を歩くのはなかなかに苦行だぞ」
エプロンを手に取りながら冷や汗が伝うのを感じた。もはやリミテッドのアイドル的存在になっていないか。
いや確かに凛音には愛玩的な耳もあどけない豊かな表情もある。十分その素質はあると思うが。だが何だろうかこのそこはかとない犯罪臭は。
「時雨様、この凛音様グッズに興味津々なのは解りますが。私は他の方がいないところで物色することをお勧めいたします」
「時雨、そういう趣味があったなんて」
「言うまでもないとは思うがそういう趣味はない。そもそもこういうのは女子向けだろう。真那はこういうものに目がないのか?」
「防弾仕様の商品でもあれば、使うわ」
「銃に撃たれる前提で使われたくはないのだ」
頬を膨らませて抗議する凛音はさておき時雨は何度目か解らないため息をついた。時雨の知っている真那ならば、こういった商品にはそこそこ興味を示していたはずだ。
「あーもう鬱陶しいですね。毎度毎度、真那様の反応を窺ってため息つくのやめてくださいませんか」
「別に俺は」
「表情に出まくりです。未練たらたら不満たらたらろくでなし野郎時雨様」
ネイの言う通りだ。未練たらたらなだけだ。もうその事実を痛感させられるのが何回目かも分からないのに希望的観測に至ってしまう。
真那はそんな時雨のことを意味深な目で見据えて。
「……気になっていたこと聞いていいかしら」
「なんだ」
「あなた時折おかしなことを言ってる」
「おかしな言動をすることで有名なんだ。ネイにはよく挙動不審だとか、キチガイだとか言われるしな」
「茶化さないで、まじめな話よ」
嫌な予感がして時雨は口を噤む。彼女が何を聞こうとしているかなんて最初から予想はついているのだ。ネイが余計な茶々を入れてこなければいいが。
「時々私のことを旧知みたいに言うわ。でも私は時雨のことを知らなかった。それに救済自衛寮にいたってどういうこと?」
「時雨様は防衛省時代、真那様に瓜二つな女の子に思いを馳せていたのです。ですが交際する以前に振られ、それからずっと引きずっているのです」
アンインストールの手段があるのならば一切の躊躇をせずにこのAIを抹消していただろう。
「本当なの?」
「いやそんなわけ……いや、そうなのかもな」
否定しようとしてだが言葉を濁した。否定すれば、他の言い訳を考えなければいけないということだ。もしかしたらネイも時雨のために話を逸らそうとしてくれたのかもしれない。
「それならいいわ。でも質問に完全に答えてない。時雨、救済自衛寮にいたのね」
「……ああ、まあな」
それに関しては否定のしようがなかった。なんといっても昨日時雨は真那を含むレジスタンスの皆の前で公言してしまったのだ。倉嶋禍殃を知っている。救済自衛寮にいた時に当時化学開発顧問であった禍殃が会いに来ていたと。
「私、救済自衛寮の孤児と面識があったわけじゃないわ。それに、私――」
真那は何かを言おうとして口を噤んだ。何かが引っ掛かる。そう言わんとした顔で。だがそれ以上何も言わなかった。
「……気のせいだろ」
敢えて追求はしない。
「散々未練たらたらしてきたのに、時雨様はいざというタイミングでごまかしちゃうんですね」
「それに加担したお前が言うな」
「ふふっ、時雨様のUMN細胞数値が発情期の犬のように急上昇するのは見ていて飽きませんが。そうした方がいいと思っただけですよ。少なくとも、今は……ですが」
気を利かせたのか状況を楽しんでいるだけなのか。どちらにせよネイの思考はいつも読めない。
「もうすぐ17時を回るわね。会合が始まる前に、拠点に戻りましょう」
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