第二章

2055年 9月26日(日)

第27話


 どうやらリミテッド内部におけるレジスタンスの拠点は、大きく分けて4か所にあるという。千代田のレッドシェルターを囲う形で23区の都心エリアの渋谷区、新宿区、中央区、そして時雨たちの住む港区にあるそうな。


「だが何故レッドシェルターの周りに? 捕捉されてしまわないか」


 リミテッド全体ホログラフィ・ソリッドグラフィ。それで拠点の位置を確認しながら時雨は疑問に思う。自分ならばそんな危険な配置に置くよりかもっと離れた場所から様子を窺うが。


「灯台下暗しと言うものかしら。確かに都心から離れればドローンもアンドロイドも数が少ない。でも、私たちはそもそもそれらの影響を受けない場所に拠点を張ってる。ここはもともと禁止区域だから」


 まあ確かにそれもそうか。レジスタンスが発足してからどれほどの期間になるのかは分からないが、これまでは拠点を一度としてリークされたことはなかった。


「だがそれなら、最初から地下に拠点つくればよかったんじゃないか」


 地下の運送ラインを連絡通路としていることから考えても、地下はドローンの探査プログラムが及んでいない。確かにこの東京タワーなどは盲点ではあるだろうがわざわざ危険を起こさなくてもいいではないか。


「それは無理よ。確かにレジスタンスには他方面からの資金援助ラインはある。でも実際、そこまで大規模な構築作業をしてたら、確実に防衛省に察知されるわ」

「それに、地上の方がいいんです」

「なんでだ?」

「こうして巨大な電波塔を拠点にすることで、防衛省の使っている周波数を傍受できるので。無線などの傍受にも、最適なのです」


 真那の解説に補足を加えるクレアの発言に納得する。前にもそんな話を聞かされた気がする。しかしレジスタンスに周波数を傍受されるというのも、なかなか防衛省もまぬけなところがある。

 

「それにしても二号……って呼ぶのも今更か。クレア、ガスマスクはどうした」

「うぇ?」


 突然話題を逸らされその矛先が自分に向いたことに驚いたのか。クレアは頓狂な声を上げる。


「前まで常につけていただろ」

「つけた方がいいですか……?」

「そういうことはないが、逆に何故つけていたのかは気になるな」

「それはその……ぅえ」


 抱えていたガスマスクに顔を隠しクレアは情けない声を出した。なるほど、心を許してもらえたのかと思っていたがまだまだらしい。


「クレアをいじめるのではないっ」


 みぞおちに炸裂した鈍い衝撃。腹部には見事にちっこい少女のエルボーが沈み込んでいた。

 

「……エルボーはやめろと、」

「リオンはクレアのおねーちゃんとして、ボディーブローする必要があるのだ」

「姉なのは解るが、何故ボディブローを……」

「とーさまが言っていたのだ。姉は妹のボディブローをしなければならぬのだと。クレアに触ろうとする精神異常でロリコーンな奴は、リオンが倒すのだ」


 多分ボディーガードなんだろう。そもそも凛音がやったのはブローではなくエルボーである。


「それにだなシグレ、クレアのガスマスクはアイデンテテーでインデビジュアリテーなのだ」


 この陽気な姿を見ていると怒りも飛んでいく。だがこの少女、人外の身体能力を有しているから注意が必要だ。もしリジェネレート・ドラッグを投与して『獣化』していたのなら。腹部には修復不可能なミステリーホールがぶち空けられていたことだろう。


「それより凛音、どうしてここにいる。確かアイドレーターの情報収集で一般市民エリアに行ってなかったか」


 昨日、偶像崇拝団体アイドレーターが未曾有の殺戮劇を見せた。防衛省の隊員を惨殺する光景をリアルタイムでネットワークに流したのだ。レジスタンスはその直後からアイドレーターの追跡を開始した。

 実際に倉嶋禍殃に接触した時雨と凛音が情報の収集に駆り出されることになったが、時雨に関しては傷が完治できていなかったため、昨日今日は療養せよとの命が下されたのである。

 結果戦線には参加しないクレアと基地管制のための真那と共にこの場に留まったわけだ。


「よく判らぬのだが、新たな情報が入ったらしいのだ」

「アイドレーターに関することか?」

「うむ、それで皆に説明するために、戻ってきたのだ」

 

 具体的に彼女たちがどのような調査をしていたのかはわからない。だがこんなにも早期にアイドレーターの情報が入るとは。予想してる以上にレジスタンスの情報網は侮れない物なのかもしれない。


「会合は、夕方かららしいのだ」

「夕方ということは、まだ4時間ほどあるわね」

「そう言えばレジスタンスは、普段どんな生活を送っているんだ? 人目に触れないような生活か?」

「私たちはレジスタンスといってもリミテッドにおける居住権を持っている住民よ。顔が割れていないから普通に生活は送れる」


 確かにこの間の情報収集のこともそうだが皆普通にアジトの外に出ていた。考えてみればレジスタンスとはいえ常に隠れ蓑というのは厳しい。なんといっても外には無数の探査ドローンが巡回してるのだから。


「だが学校には通ってないんだろ?」

「そうね。私たちは学校で教わるようなことよりも、まず率先して、学ばなくてはならないことが沢山あるから」


 気のないように言った真那。実際にそう思ってるのかもしれない。時雨はそんな姿を見て少し言葉に詰まる。


「それはレジスタンスだからだろ、通ってみたいとか……いや、また通いたいと思わないのか?」

「また……? 私は元から学校に通ったことなんてないわ。それに率先して通いたいとは思わない。そこで戦闘の基本を享受されているなら、話は別だけど」

「本当か?」

「……何が言いたいの?」


 訝し気に時雨の出方を窺ってくる真那。やはりもうこの真那の中には、時雨の知っている真那という人間の欠片すら残ってはいないのか。

 時雨の知っている聖真那という人間はもともとはただの少女だった。孤児であった時雨とは違い真那は普通に高等学校にも通っていたのだ。

 前提的に学業を先んじて学ぶべきだという価値観があったはずなのに。その彼女がどうしてここまで……。


「前は学校に通っていただろ。どんな経緯でここに入ってしまったのか解らないが、本当はこんな――――」


 彼女の事情と探ろうとしてそこで言い淀む。彼女の何かを責めるような目線にあてられてだ。

 

「私は最初からこっち側の人間よ……それに、私は自分の意思でこのレジスタンスに入った。あなたが言っていることはいまいちわからないけど……そんな憶測で語らないで」


 強い反発の目、いやこれは明確な拒絶だ。

 真那が時雨の知っている真那ではないとすでに何度も痛感してきたではないか。いつまで自分は引き摺っているのか。いつまでみっともなく藁に縋ろうとしているんだ。


「まぁ、それくらいみっともない方が時雨様らしいと言えば、らしいですけどね」


 いっとけ。


「ですが深入りは禁物です。女の子の内面というものは時雨様が考えている以上にデリケートなんですよ。解ったならさっさとその繁殖期のサルにみたいに留まることを知らない口を噤んで去勢してください。ていうか死んでください」

「ネイ、お前は知らないだろうが、意外と俺の心もデリケートなんだ」

「知っていますが、だからこそ言っているのですよ、仕方のないご主人様」


 真那とのことで一発弾丸ぶち込まれてるのに。そんな追撃されたらこのガラスハートは亀裂だらけだ。

 だがまあネイの言う通りだ。今後は必要以上な真那への深入りは避けよう。仲良くしようとしても今の状況では逆効果にしかなりえない。

 そもそもとして真那と時雨との記憶にはところどころ差異がある。真那の反応からして彼女はどうやら学校に通っていたという記憶を欠如しているようだし。


「真那はガッコーとやらに行ってみたくはないのか?」

「あなたは行ってみたいの?」

「もちろんなのだ。ガッコーは夢と希望で一杯な場所なのだろ?」

「意外だな、お前、興味あるのか」

「夢と希望でいっぱいなのなら、あれなのだ。ユイパイマンと同じなのだ。おいしいに決まっているのだ」


 サイクロンの姉なだけはある。さすがの健啖思考だ。

 そんなことを話していても実際教育機関に通うような機会がやってくることはあるまい。レジスタンスの掃討すべき敵は防衛省であり、それは千代田のレッドシェルターに集中している。敵はレッドシェルターにありということだ。


「まあいい。それよりまだしばらく時間あるのか……」

「ならシグレ、リオンとお出かけをせぬか?」

「どこか宛てがあるのか」

「あてはないが、ぶらぶらするだけでも楽しいではないか」

「そんな不用意に……というわけでもないのか」


 凛音の耳を見ながら一瞬どうなることかと危惧する。だがそんな簡単に捕捉されるならば今こうして凛音がここにいることはあるまい。彼女の服にはフードと思しきものが付いている。外にいるときは普段からそれを身に着けているのだろう。


「なら、一般市民エリアの案内してくれ。レッドシェルターにいたことが多かったから、殆ど土地勘なくてな」

「時雨様、それはクレア様にお願いしていたはずでは? 一向にその話を持ち掛けられないからと言って、凛音様に鞍替えですか。すがすがしいほどのゲスっぷりですね、このゴミ野郎。男が受け身姿勢でどうすんですか」

「約束した覚えはないが。まあ凛音よりはマシか。クレア、悪いが……」

「はい、ご案内させていただきまず……っ」

「リオンよりマシとはどういう意味なのだぁ!」


 緊張しているのか声音は少し上ずっている。一番反応が極端だのにいまいち考えていることが解らない。


「悪いが、クレアはしばらく俺が借りる」

 

 いつの間にか時雨たちの後ろには熊みたいなハゲが佇んでいた。


「少々クレアに個人的な話がある」

「あぅ、ごめんなさい時雨さん。またの機会にお願いします」


 幸正がクレアを引きずっていく。

 

「それよりも外出するなら早く行った方がいい。会合は夕方からと言っていたし、時間が無くなる」

「真那も案内してくれるのか」

「構わないわ。あなたはレジスタンスの一員だもの。作戦に支障をきたさぬよう、エリア・リミテッドの土地勘を得て貰わないと困るし」


 気のないように真那は告げる。いや実際気などないのだろう。そんな義務的な考え方で案内されても息苦しいのだが。だが凛音と二人で行くよりは効率的か。

 


 ◇



 旧東京タワーから外部に出てそのまま地下に入る。そうして1キロほど地下運搬経路を経由し、時雨たちはターミナルに足をついて地上に出た。本線から高架に上がるとすぐにモノレールは発進する。


「目的地を決めずにぶらぶらするのは非効率的。先に決めていきましょう」


 そんな効率とか気にしながら案内はされたくないのだが、ここを出る前に効率云々と自分で言った手前そういうのもはばかられる。

 代わりに静かに真那が腰かけている座椅子の後ろを見やる。車窓の外の光景は急速に流れていた。


「といっても、すでにどこかに向かって動いてるが」

「このモノレールは港区内を巡回するの。目的地が決まったらそこで下りればいいわ」

「なるほど、で目的地に関しては」

「大方、この港区について知るなら台場フロートがいいかしら。港区における工業発展区画があるのよ。この間の軍用A.A.輸送車両襲撃作戦。車両の発進地、つまり織寧重工グループの本社も台場にあったでしょう」


 その通りである。しかし工業発展区域という割には台場には高架モノレールすら開通していなかった。


「勉強不足ですよ時雨様」

「生憎防衛省の箱入り息子だったからな。一般市民エリアの風習には疎いんだ」

「それでもその程度の知識は一般常識だと言えます。ナノテク改造をその身に施され、本当の意味でノウキンになってしまわれたのですか?」

「それで?」

「モノレールが開通していない理由はそもそも台場にはそれが必要とされていなかったがためです。リミテッド最大の工業地帯であるため、市民の住宅街などはすべて排除され、その領域のすべてが工業発展区画として利用されているのです」


 その解説を耳に納得する。確かに一般市民が出向かないのならば、交通の便など必要がない。物資の運送などは別の手段で行うことが出来るからだ。一般市民は殆ど利用しないが車両を用いた運送なども行える。

 しかしその前提から考えると、むしろこれまで開通されなかったモノレールが開通された、という変化に些か違和感を禁じ得ない。


「台場は確かに最大の工業地帯だけれど、東京都都市化計画に伴って、その土地面積も数年前の数十倍に拡張されているわ」


 真那の言うとおり台場は元々の区域以外にもその領域を進出させている。江東区、中央区、港区、品川区沿岸に囲われている洋上に浮遊する島々。それらすべてが都市化計画に伴って全て台場に置換された。

 つまり今や台場は港区に限らない、23区南部の区画の独立フロートと成り果てているのである。その名称も台場メガフロートと仮称され、本島から遠巻きに見てもその発展度合いは一般市民エリアとは一線を画す状態になっていた。


「これまでメガフロートの東部は水産業のための区画だったわ。それ以外のフロートには織寧重工を始めとした重工業、第一第三産業の施設が建設されていたの。けれど実際問題、重工業は織寧重工が、その他の商業系列は全てスファナルージュ・コーポレーションが担う形になって、必要な生産工場も縮小される結果となったわ」


 スファナルージュ・コーポレーションという富豪に関してここ数日で色々と聞かされた話がある。シエナとルーナスはもともとイギリスの爵位持ちの家系だったとか。しかしノヴァの進出によって様々な偶然が重なり、爵位を剥奪されて日本に亡命してきたのだとか。

 詳しいことは分からないが、当時鎖国状態と言っても過言でないような国外排斥政策を貫いていた防衛省が彼らを招き入れたきっかけは、当然彼らの善意によるものではない。スファナルージュ兄妹が、エリア・リミテッドに対して多大なる貢献を行ったのが主たる理由だとか。


「つまり、これまで過密状態だった土地に、少し空きが出来たってことか」

「ええ。本来の台場であった地点、その南部まで陸続きのフロートから、工場の類がすべて無くなったのよ。結果、そこに工業系列以外の機関が配置されることになったわ」


 それがモノレールの開通に直結しているということか。話の流れから考えて一般人が利用する施設ということになる。


「まず配置される施設は、スファナルージュ系列の延長だけれど、シトラシアよ」

「大型商業施設を置くのは、おそらく工業地帯における労働者のための物でしょうか」

「ええ。この改築に伴って一般市民の住宅街が増築されるわけではないから既存の住民向けの施設となるわね。それから、単純にそれらの労働者が本島への行き来に不便していたからという理由もあるかしら」

「なるほどな……それで、俺達が今から向かう場所は、工業地帯の方ではなく、改築された方の一般市民向けの区画ということか」


 モノレールの車窓から進行方向を俯瞰する。台場メガフロートへ連なる唯一のレインボーブリッジ。それは先日パージ作戦で崩落を起こしたはずであるのに、すでに修繕されていた。それどころか高架もすべて開通しモノレールが往来しているのが確認できる。

 防衛省の対応力の高さは流石と言ったところだろう。


「他にも増設される施設があるのだけれど……それに関しては後から話すわ」


 まああんな暴動があった直後だ。レインボーブリッジを渡ろうだなんて考える猛者はそうそういないと思うが。


「台場ではシエナの意向でC.C.Rionが無償配布されているらしいから、興味本位で渡る人も多いのではないかしら」

「C.C.Rionってなんだ?」

「知らないの? 防衛省から、レーションと一緒に各世帯に配給されているビタミン接種用飲料水よ」

「聞いたこともないぞ」


 防衛省が飢饉回避で住民に配給しているのはレーションだけでなかったのか。


「時雨、本当に世俗に疎いのね」

「真那様の説明意欲が急激に右肩下がりなので、私から説明させてもらいます。ほら不真面目学生の時雨様。補習授業を割り当てられたくないのでしたら、早くメモを用意してください。トリ頭がパンクしますよ」

「早くしろ」

「2052年のイモーバブルゲート建設、すなわち、エリア・リミテッドの確立。これはつまり、23区と外部との交流の断絶を意味していました」

「でも、そもそもノヴァを発生させたのは防衛省。だから彼らは、事前にイモーバブルゲートを建造し、同時に、隔絶したあとの自給ラインも視野に入れていたの」


 それについては聞いたことがある。千代田のレッドシェルターの一角には栽培エリアがある。そこで様々な食物の栽培を促進させているのだとか。


「港区では、それに加えて漁業関連の促進も図っていたわ。でも、イモーバブルゲートの建造によって工業汚染水が海水に流れて、そっちのラインは断絶したの」

「つまり……慢性的な食糧不足か」

「そうですね。時雨様の30キロバイト容量の脳内ハードディスクにも記録されているはずです。そういった飢饉を回避すべくレーションが配給されていると」


 その通りである。実質時雨自身もレッドシェルター内部にいる間も、レーションの携帯はしていた。


「ですが、それらはもともと防衛省が予防策として考案していたものではないのです。エリア・リミテッドは一度飢饉に陥り、ですが、外部からの援助を受けて復興しました」

「それって」

「はい、時雨様でさえもご存じのスファナルージュ・コーポレーションです。スファナルージュ・コーポレーションは、イギリスの公爵家であるスファナルージュ家が、日本に亡命してきた後に発足した企業です。エリア・リミテッド内部で急速な柑橘系の栽培をしていたことで、難を逃れました」


 なるほど、レーションに柑橘系の皮が使われているというのはそういうことか。皮は全てレーションに使い他の部分はC.C.Rionなる飲料水に用いる。無駄のないエコロジー精神というわけだ。


「なんの話をしておるのだ?」


 しばらく車窓に手をかけて流れゆく光景に魅入っていた凛音。会話が一段落着いたのを見計らってか声をかけてきた。なおその大きな耳はフードですっぽりと覆い隠されている。


「C.C.Rionとかいう飲料水に関してだ」

「おお、時雨も好きなのか? リオンはあのシーシーした感じが好きなのだ。こうシュワシュワ~となって、口の中でパチパチするのだ」

「炭酸飲料なのか。しかしそのC.C.Rionなるものだが、俺の勘違いに過ぎないかもしれないが、その名称に些か既視感的なものを覚えずにはいられないんだが」


 気になっていたことを述べる。


「既視感も当然。これよ」


 真那が差しだしてきたものは500ミリリットルのペットボトル。全体的に黄色っぽいラベルの張られたそれには、大きなケモノ耳の生えた少女を象ったシルエットがプリントされている。

 特徴的な犬型の耳。そしてピンク色の頭髪。満面の笑顔。口元から覗く愛らしい犬歯。既視感はどうやら気のせいではなかったようだ。

 『突き抜けるソーカイカンっ! ほろ苦く、甘酸っぱいセーシュンを駆け抜けるのだっ!』

 そんなキャッチフレーズまであるようだ。


「リオンがC.C.Rionのマスコットなのだ」


 凛音は誇らしそうに胸を張ってみせた。どういうことだと目線で真那に問いかける。


「C.C.Rionはスファナルージュ・コーポレーションの商品だと言ったでしょう。シエナもルーナスもレジスタンスのメンバーだもの」

「それはそうだが、いいのか? 凛音をこんな大々的に表に出して」


 結局のところ懸案事項はそれである。凛音は紛れもないレジスタンスメンバーだ。レジスタンスは顔割れしていないとはいえ目立つことは悪影響しか及ぼさないだろう。それなのに、こんな大企業のしかも誰もが毎日のように目にする飲料水に使うだなんて。


「これは暗示。いずれ来る、防衛省を完全に叩き潰すときのための布石なの」

「確かに、どれだけレジスタンスが力を付けても、防衛省を陥落させることは難しい。そう考えれば、その時にある程度の住民の支持を得られる環境を配備することは正しい判断かと思います」

「いやそうじゃなく凛音は耳もあるし、明らかに防衛省にリークされてしまう……実験体アナライトだろ」


 最後の部分を一瞬言い淀む。実験体であることを凛音が気にしているのではと思ったためだ。だが彼女はその言葉を聞いても表情一つ歪めない。


「その心配はないわ。そもそも防衛省は、そのうちの大多数が実験体アナライトの中に生存者がいることを知らないの。皆、実験の中で死亡したと思ってる」

「リオンは特別らしいのだ。オンリーワンでマイノリテーなのだ」


 マイノリティならばオンリーワンではない気もするが。だが確かに時雨も実験体アナライトに生存者がいたということは知らなかった。実際生存率はゼロパーセントであると聞かされていたわけで。


「それに、凛音が実験体アナライトとして生存していることを認知している人物は、防衛省には一人しかいない」

化学開発ナノゲノミクス顧問の佐伯・J・ロバートソンですね」

「そう。佐伯・J・ロバートソンは、事実上人体のナノマシン融合化を推進させている第一人者でもあるわ。だから凛音のことも知ってる。でもね、佐伯は絶対に凛音に手を出せなければ、その存在を、防衛省の他の人間には流せないの」

「なんでだ?」

「いずれわかるわ」


 意味深な言葉。察するに、佐伯は防衛省本部に何かを隠匿しているということか。謎多き防衛省・ラグノス計画。そこには防衛省長である伊集院純一郎すら把握していない、何かがあるのかもしれない。


「ちなみに、その耳は?」

「コスプレ設定なのだ」


 それでまかり通るのか。時雨も初対面の時は取り外しできるものかと思ったが。


「目的地は決まったわね」

「え?」

「この説明をしたことだし、今日はエリア・リミテッドにおけるレジスタンスについて知ってもらうわ」


 なだらかな尻を向けて凛音は座椅子に逆向きで乗りあがる。彼女が見つめる車窓の向こう側には工業発展区域が広がっていた。内陸ではなく海の上にポツンと浮上する形で存在する台場だ。

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