第26話
作戦が満了し旧東京タワーに帰還後、ソリッドグラフィの場所に再集合した頃。既に作戦前に会議でここに集められてから七時間以上が経過していた。
前回とは違いそこに集まっている者たちの表情は硬い。作戦目標の軍用A.A.の奪取に失敗したからではない。新たな第三勢力の出現に今後のレジスタンスの活動方針が大きく変わっていく可能性があったからである。
「件の第三勢力に関する情報が入った」
ホログラムとして映し出された棗の姿。彼は手元で何やら操作すると同時に全員のビジュアライザーに資料が届く。展開してみると、そのファイル名には『IDORATER』と表記されている。
「アイドレーター……偶像崇拝の意ですか」
さすがは欧米人と言ったところか横文字の意味を瞬時に和訳してみせたシエナ。偶像崇拝、その言葉を耳に時雨はあまりいい印象は抱かない。カルト信教的なものか。
「巷ではそう呼ばれている。これまでは大々的な活動を公にさらしてきたことはなかったが、どうやらリミテッド全域にて奇妙な活動に出ている組織があるらしい」
「奇妙、ですか?」
「そうだ。各世帯にて家宅訪問したり、住宅街のど真ん中で布教活動をしていたりだ。ファイルCの4項目を見てくれ」
彼に指示されビジュアライザーを見やる。ネイが操作したのかすぐにその資料が表示された。
「フォルスト教……? なんだこれ」
「それがその布教活動をしている偶像崇拝団体だ。フォルストというのは、どうやらその新興宗教内ではノヴァのことを示しているようだ」
「ノヴァ? もしかして、ノヴァを崇めているのですか?」
「正気の沙汰ではないが、その通りだ」
耳を疑った。ノヴァを崇めるだと? これだけの被害を地球、人類に及ぼした害悪でしかないノヴァを。どれだけ気がふれていたらそんな思考に辿り着くのか。
「ノヴァを神の遣いと信じているらしい。地球を汚染しつくしてきた人類を掃討するために神に遣われた……フォルストであると」
「狂ってやがる」
「どんな時代にもそういう人はいるものよ。むしろ、こんな時代だからこそ、そういう団体が発足したのかもしれない。空前絶後の大災厄。これを前に、何かに縋りたいと思うのは誰もが同じ。ただ、その頼るものを……間違えてしまっただけ」
「聖の言う通りだ。だが事態はそれでは収まらない」
彼は新たにファイルの指定をする。そこに表示されていたものはムービーファイルだ。
「見てみろ」
彼の指示を受け船坂が自分のビジュアライザーを会議用ホログラム端末に接続する。画面全体に拡大されたムービーファイル。それは棗の再生ボイスコマンドで再生される。
「やぁギルティ諸君」
画面いっぱいに展開された男の顔。乱れた灰色の髪に悪趣味な片眼鏡。時雨は思わず息に詰まり鼓動が速まるのを感じた。
小汚い白衣は見間違いようもない。先の襲撃作戦において乱入してきた第三勢力の男だ。
「君たちは自分たちが安寧の中で生きていると考えていることだろう。だがそれは間違っている。この世界に安寧などという物は存在しない。それは支配し淘汰するものの欺瞞と策謀、そういったギルティの上に成り立つ偽りの平和だ」
「なんだこいつ……中二病でもこじらせたのか?」
「第三勢力の人間だ」
訝し気な声を上げた和馬。彼に返答しながらも男の顔から目を逸らせない。
「そしてその事実に気が付かない無知、それもまたギルティだ。自身も関わっている以上、諸君はすでに他人事などと言い切ることはできない。そのような諸君ら罪の種に、私は一つの提案をしよう。種は果実にならなければ害悪ではない。君たちの罪を私たちアイドレーターが払拭し、種のまま神の言葉のままに、身を任せるという選択肢が諸君らには与えられている。それとも、罪の果実と成り果て、摘み取られるだけの存在になるつもりか? 私たちアイドレーターは神の遣い、フォルストを信仰する。そしてその神の遣いを駆除しようとする、エリア・リミテッドにはびこるギルティの集大成、その存在を見過ごすことはできない。ここに私は提言しよう。後日、防衛省諸君、君たちにアイドレーターが正義の鉄槌を下す」
そこで再生は終わった。
「これは一週間ほど前に、エリア・リミテッドのネットワーク上に一斉アップロードされたものだ」
「なるほど、犯行声明か」
「このアイドレーターと自称する偶像崇拝連中の活動は小規模なものだ。これまではいたずらか、もしくは気の狂った男の世迷言だと世間では噂の種にすらならなかった」
そりゃそうである。ノヴァが神の遣いだなんてそれこそ偶像でしかない。これを見た誰もが思ったことであろう。何言ってんだこいつと。
「その口ぶりから察しますに、何かしらのことがあったのですね」
「ああ。俺が、このアイドレーターが件の第三勢力であると踏んだのには理由がある……だがそれを提示する前に、烏川、君は何かを知っているのか?」
彼の介入があってからというもの時雨は終始動揺しっぱなしであった。それを不審に思った構成員の誰かが棗に報告したのだろう。とは言え隠すことでもない。
「俺は、あの男を知っている」
皆の視線が集中する。その中には当然真那の視線もあった。彼女の瞳に何かしらの変化を求めたが、やはりその視線は他の者と変わらない。
ああやはり彼女は幼少期のことを何もかも忘れてしまっているのか。
「あの男の名前は、
「……!」
時雨の言葉を耳にして真那が驚いたような顔をする。当然だ。なにしろ救済自衛寮を運営していた自衛隊員というのは真那の父親・聖玄真であるのだから。
「その時から面識があったんだが……問題なのは、あの男が、防衛省の人間だった、ってことだ」
その言葉に皆が息をのむ。同様に時雨もあの場所で禍殃の顔を見たとき驚いたのだ。
救済自衛寮はそもそも防衛省管轄の孤児院だった。それ故に運営関係者は皆防衛省の人間であり、それは倉嶋禍殃も例外ではない。
「それだけじゃない。あの男は、もともと
禍殃ではなく佐伯にその役割が代わっていること。それ禍殃がアイドレーターなどという組織を発足させた直接の原因があるのかもしれない。詳しいことは解らないが。
「なるほど。それは有力な情報になる。開示に感謝する」
棗はそう言ってさらに別のファイルの指定を促す。船坂が展開したファイル、それはまたもやムービーファイルのようで。
『2055/9/20 14:18』
その日付と時刻は、つい数時間前のことであると示している。
「そしてそれは今から一時間半ほど前に、リアルタイムでネットワークに配信された動画だ。そして……これが第三勢力であると、結論付けたきっかけでもある」
再生ボイスコマンド。展開された画面の中には二人の男が映っている。片方は先ほどの動画と一切の変化のない身だしなみの倉嶋禍殃であり、そしてもう一人は、
「――――!?」
それを見た瞬間、全身に怖気が走るのを感じていた。口にはガムテープが貼られ、尋問椅子のようなものに固定された自衛隊服の男性。
その服は所々が焼け焦げ破け男自身も全身に火傷を負っている。それは彼が先ほどの襲撃作戦の現場にいた人物であることを物語っていて。
「やぁギルティ諸君。本日も楽しいアイドレーター日報だ」
不敵な笑みを携え倉嶋禍殃はその場から歩みだす。そうしてその場でぐるぐると歩き回ると、何やら考え込むように額に手を当てる。
「ああ、紹介が遅れていたね。彼は今回限りのゲスト出演者である、神崎自衛隊員だ。つまり、ギルティの生み出してしまった罪の果実、ということだね」
彼は歩みを止め再び隊員の隣に並び立つ。隊員は相当痛めつけられているのか、禍殃が椅子の背もたれに手をかけるのを見て戦慄に身を震わせた。
自衛隊員として尋問や拷問にも屈しない精神力の強さは養っているのだろうが、しかし彼はU.I.F.ではなくただの隊員。その瞳には明確な恐怖が現れている。
「このギルティの果実は、本日昼過ぎ、防衛省のとある作戦に同行し、罪を重ねる行為に加担していた。故に、私はアイドレーターの先導者として罰を与えるためにこのギルティを拘束したのさ。我々は戦争を否認するわけではない。ギルティを裁くためならば、武力をもってそれに天誅を下す」
禍殃は背もたれに手をついたまま、隊員の口を塞いでいるガムテープをはがした。隊員は恐怖のあまり声すら出ないようで、ただ全身を震えさせている。
「君は防衛省がギルティの塊であると理解しているうえで、加担しているのかい? それとも、罪深い連中の口車に乗せられ、加担していたのかい?」
「わ、私は」
「恐れることはない。アイドレーターは罪深きを罰し正しきを尊重する。君が本心を語るのならば然るべき処遇をしようじゃないか」
「私は……ッ」
「君のギルティ度合い次第では、その罪を軽減することだって出来る。さぁ、君の本心を」
「――――っ! つ、罪深いのは、貴様らの方だ! 偶像に歪んだ信仰心に狂うイカれた人殺しどもが! 貴様ら全員、裁かれる側だ!」
最後の見栄と正義感。隊員は自身を震え立たせ叫び散らす。禍殃はそんな彼のことを一切表情を変えることなく俯瞰していた。
だがやがて彼から離れると背中を向けて深いため息をつく。
「やはり、ギルティはギルティか。一度腐った果実は、決して元の瑞々しさを取り戻せない。ギルティは……払拭しえない。諸君、その目に刻みたまえ。今からアイドレーターは、ギルティに然るべき罰を与えることにしよう」
禍殃の片眼鏡。その奥の鋭利な目が座る。何かを感じ取ったのか隊員が目を大きく見開いた。
禍殃は右腕を掲げ手のひらを隊員に向ける。
「ひゃっ!? 時雨さん……?」
脊髄反射的に時雨は彼がしようとしていることを読み取った。隣に佇んでいたクレアの襟首を引き寄せ無理やり目元を隠させる。彼女に見せていいものではない。
唯奈も同様に判断したのか凛音の目を掌で覆い隠した。
「フォルストに抗うものは全てがギルティ。その重さは――」
「っ」
「死を以てしても、償えるものではない」
禍殃が伸ばした腕。その掌が握りしめられた瞬間。隊員の胸部が爆散した。肋骨の破片や血潮を撒き散らし絶命する。悲鳴を上げる瞬間すらなく――液晶は真っ赤に染まった。
びしゃりと血潮に椅子ごと何かが横転する音が響く。時雨たちは絶句し何も発言することが出来なかった。
そんな沈黙の中で、ぴちゃりぴちゃりと血の上を歩いてくる音が大きくなる。真っ赤な画面に彼の手のひらが押し付けられ血潮が拭われる。その向こう側に佇む彼は時雨たちのことを見ていた。
「
翻る白衣に悪趣味に光る片眼鏡。鋭利な色を張り付けた凶器の顔が、その口元を不気味に吊り上げた。
「腐った世界に破綻を齎す────
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