第17話


「ここもはずれか」


 この区画の路地裏から繁華までくまなく情報収集に努めたものの、情報という情報は収穫できなかった。


「これから、どうしますか?」


 クレアに関してはだいぶ慣れたもので時雨との距離感も大分縮まってきている。とはいえ今回の失踪事件の真相にはさっぱり接近で来ている気がしない。まったく情報が入ってこないのである。

 和馬や唯奈から連絡が入らないことを鑑みても、彼女たちもはずれくじを引きっぱなしなのだろう。


「っ……」


 熟考し立ち止まっているとくぅぅと腹の虫が聞こえた。クレアは羞恥の前に言葉が出てこないせいか、頭の中で沸騰しているように湯気でも出そうな勢いだ。


「もう二時か。この辺の飲食店の位置情報を探ってくれ」

「それではクレア様、お好きなものなどはありますか?」

「え? あの、えっと、その……」

「あれです、今度案内してもらう時の前金分ということで。どんな高級料理店でも、快く時雨様がおごってくださります。それで、何がお好きですか」

「――――ラーメン、です」


 彼女は覚悟を決めたようにぼそっと呟く。わずかに耳が赤く染まっているのは、女性らしからぬ好みを恥じているのか。年相応な羞恥心だなと時雨は感じる。


「ラーメン屋……この辺りに店舗はありましたかね」

「あ、あの、私はどこでも構いませんので……」

「ちなみにお好きなラーメンの種別は?」

「とんこつ濃いめバリカタ! ……ッ、は!」


 本能的にその言葉が出たのか言いきってクレアは途端に顔面を朱の色に変えた。普段の内気ぶりからは考えられない揚々さ。不安と怯えが背広を着て歩いている様なクレアにも、その殻を破って貫きたい欲望はあるらしい。

 結局彼女が入り浸っているという(常連らしい)店舗に向かうこととなった。十数分ほど歩んで辿り着いたその場所。

 てっきりラーメン屋の店舗があるものと思っていたが、六本木の街中、その中央に聳えている巨大な建造物が目の前には聳えている。


「シトラシア……」

「倒壊しないか不安になりますね」


 先日の暴動のこともある。不安にならないといえば嘘になるがまあここは大丈夫だろう。別に革命軍はシトラシアを占拠するという定例に基づいてあの暴動を起こしたわけではあるまい。

 内部に足を踏み入れテナントのラーメン屋の暖簾をくぐった。とたん、むわっとした魚介系の匂いが漂ってくる。匂いからしてかなりのこってり系。


「豚骨沸きチャーシュー躍る、濃厚スープの滾るいい香り……とんこつ濃いめバリカタ、お願いします」


 ガスマスクがカウンター席に腰かけているのを見てだが店主は特に驚いた様子も見せない。顔(というかガスマスク)を覚えられるほどに入り浸っているようだ。

 しかし客に関してはそうでもないようで視線がクレアに集中していた。言わずもがな気色なクレアに対する好奇心の表れだろう。だがそんな中で一人だけ時雨の隣に腰かけている人物だけはクレアのことを一切見ていない。


「ジャパ……ズ……ジャ」


 特徴的な衣装を身に纏った彼女。何やらぶつぶつと呪詛のようなものを唱えながら、ラーメン鉢の中身とにらめっこしている。時期尚早に思える厚手のマフラーで首元を覆い隠し、スープ上にフロートする脂分を凝視していた。

 だがやがて突然何かを決意したような顔を浮かべたかと思えば、おぼつかない手つきで割り箸を割る。そうして、スープ上に浮いていたナルトを持ち上げる。


「ナルト……あなたが噂の落ちこぼれですか」


 著作権に引っかかりそうなことを呟き始めた。超至近距離でナルトと対面し、瞬き一つせずに渦巻きを見つめている。


「教えてください。どうやったら一流のジャパニーズニンジャになれるんですか……なるほど、たゆまぬ努力とド根性ですか。さすが本物のジャパニーズニンジャの言うことは違うっすねぇ。ですが今の時世、頑張ればどうこうなる時代でもないんですよ。ですので、私はあなたを越えるジャパニーズニンジャになれるわけっすね」


 真顔で少女は冷めたナルトと対話していた。これは関わらないに越したことがなさそうだ。と判断しつつもどうにも気になって視線を逸らせない。


「見るからに、あなたは刃こぼれを起こした手裏剣みたいな形状をしていますね。殺傷性のないジャパニーズニンジャなんて、日常感のない京○アニメーションみたいなものです」


 どんな例えだ。


「ありがとうございます」


 目の前にラーメン鉢を置かれクレアはくぐもった声を出す。ふと、彼女がどうやってラーメンを食べるのかに疑問が湧いた。当然ガスマスクを着けてではラーメンは食べられない。


「ぶフォッっ!!!」


 クレアの斜向かいに座っていた中年客が思わずラーメンを噴いた。時雨もまた噴出しそうになるのをぐっとこらえる。クレアはガスマスクの双フィルター中間部分の開閉機構を外し、露出した部分に箸を突っ込んでいた。

 ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

 ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。


「まるで……サイクロンタイプの吸引機みたいですね」


 麺が次々とガスマスクの中に吸い込まれていく様はまるで掃除機。ガスマスクのレンズは白く曇っていて表情も何も見えない。よくその状態でラーメンを食べられるものだと感心さえした。

 瞬く間に麺を食べ終えガスマスクにスープを流し込んでいくクレア。物理法則に則れば確実に溢れ出してきそうものだが、器用にも全て飲み干して音もなく器をテーブルに置く。


「ごちそう、さまでした」


 開閉機構を閉じ、左右のフィルターをコキュッコキュッという音を立てながら回転させる。すぐに、コシューコシューという排気音が響き始めた。



 ◇



「よ、遅かったな」


 旧東京タワーに戻るなり唯奈に展望エリアへと招集をかけられた。時雨とクレアが到着するころには、現状この基地に待機している構成員全員が集まっていて。彼らは展望エリアの中心に配置されたソリッドグラフィを囲っている。


「来たわね烏川時雨、二号。アンタたちを呼び戻した要件について端的に説明する。和馬翔陽と一号には説明するまでもないだろうけど……失踪事件の真相にたどり着いたわ」


 一部のスタッフが驚愕の息を漏らすが、他の者たちは特に取り乱すこともなく神妙な面持ちで応じる。

 口ぶりからして和馬たちが何かしらの痕跡を発見したのかもしれない。中央区側の区画、つまり港区区界を捜索したのが功を奏したのだろうか。


「何を発見したんだ? 情報か?」

「違うわ。和馬翔陽たちが発見したのは、犯行現場よ」

「現行犯か」

「ああ。ホームレスと思しき人物が逃走を図ったと思われる痕跡があったから追跡をした。そしたらどっこい、一般車両に気絶させられたホームレスが引きずり込まれてるところを目撃したって話よ」


 高架モノレールが一般化し一般車両はほぼなくなった時代だが……完全に廃絶しているわけではない。富裕層ならば有している者たちが多いし、利用していなくても趣味の一環で所有している一般層だっている。

 となると車種を調べ、その車両に関する目撃証言を追う必要がありそうだ。

 

「その必要はないわ」


 だが時雨の表情から考えていることを読んだのか唯奈は小さく首を振る。不審げに彼女を見やると顎で足元の立体観測機を見ろと示してくる。

 範囲がエリア・リミテッド全域にまで拡張されていたそれは縮小され、この東京タワー周辺数十キロが表示されていた。

 そんな中でひときわ目を引く建造物があることに気が付く。一般市民エリア・港区の郊外区画、比較的人口密度の少ない地点。そこに屋上にヘリが停まっている建物を発見する。

 

「これは……」

「すでに廃棄されている民間重工会社ね。たぶん、防衛省で用いる軍用A.A.のパーツを生産していた。でも今の時代、織寧おりね重工グループが軍用A.A.の量産を担ってるから、多分この施設は経営困難で閉鎖されたんでしょうね」


 A.A.と言うのは、対ノヴァ・暴動鎮圧兵器として開発されている四足型武装戦車のことである。キャタピラではなく関節のある四肢で走行する脚式駆動装甲戦車である。


「確かあの施設は、織寧おりね重工のA.A.装甲パーツを製造する工場だったように思います……市場競争に負けて、潰れたみたいですけど」

「で、この施設がなんだと?」

「この施設の外にポイントマーカーがあるのは解る?」


 彼女の言う通りA.A.重工駐車場には赤い光が点滅している。なんとなく言わんとしていることが解った。


「発信機か」

「そういうことよ。奴らの車に何とか仕込むことが出来た」

「罠の可能性はないのか?」


 なんとなく嫌な予感が胸を鷲掴む。レジスタンスが嗅ぎまわっていることが防衛省に知られているかは分からないが、今の時代自動車など用いていれば人目につく。その上で利用したということを鑑みると、罠である可能性が一番に浮上してくるのだ。


「可能性がないわけじゃねぇが……だが気になるのはこの位置取りだ。なんで連中はレッドシェルター内部じゃなく、一般市民エリアを選んだ。俺たちをおびき出すことが目的なら、大前提としてレッドシェルター周辺が最適じゃねえのか?」

「敵陣営の思考は甚だ理解しがたいが、屋上のヘリポートに稼働しているヘリがあることを鑑みても、一度あの重工にホームレスを集めてから、ヘリでレッドシェルターに向かっていることが解る」


 発見・追跡した和馬自身も疑念が絶えないようでその疑念の補足になる答えを船坂が提示するが、やはり皆の表情は思案げだ。

 何故発見され、防衛省のラグノス計画が露見する危険を冒してまであの施設に皆を集めているのか。

 

「あれが防衛省であることは間違いないのか?」

「言いたいことは解るが、総人口推移と死亡件数から割り出した差異は看過できない度合いだ。だのに防衛省が動いていないのは、その矛盾に奴らが関与しているからと踏んで間違いはないだろう」

「加えてあのヘリを見ろ。UH-60 ブラックホーク。あれは一般企業が用いるようなものではない。自衛隊配備の物だ。間違いはないだろう」


 船坂の指摘に幸正が補足する形でソリッドグラフィのホログラムでできた建造物の屋上を顎で指す。


「考えられるとしたら、こうしてホームレスを拉致している人物は、私たちレジスタンスや一般市民以外に、レッドシェルター、というより防衛省そのものの目を欺こうとしている、ということかしら」


 防衛省内部における機密の行動ということか。レッドシェルターにそのまま連れて行かずに一度このパーツ製造重工を経由するのは、普通に越えようとしてもレッドシェルターに入れないから、ということになる。

 だがそもそもこの行動は防衛省の人間によるもの。そこから推測できる可能性は――――。


「防衛省内部での、工作行為……」


 真那の言葉を耳にやはり皆が神妙な面持ちで押し黙る。考えにくいがありえなくはない。実際にレジスタンスのメンバーのほとんどが、防衛省に反旗を翻した者たちばかりであるわけだし。

 しかし罪のない一般人を攫っていることを見れば、正義の人間というわけでもなさそうだが。


「なんであれ、こうして拉致現場を目撃した以上、敵陣営の動きが活発であることは間違いがない。拉致された人間がどうなっているのかはまだ判断しかねるが、さらなる犠牲者を出す前に早急に手を打つ必要がある」

「決行は今夜、21時からだ。闇夜に紛れて行う。それまでおのおの、武器の整備を済ませておけ」



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