2055年 9月21日(火)

第16話

「ここにもヒントはナシ、か……」


 日付が更新し、前日に引き続き港区全域をくまなく調査していた時雨たちであったが、目的の情報という情報は一切入ってきていなかった。

 調べているのは言わずもがなエリア・リミテッド全域で起きているという失踪事件。

ㅤ人間が失踪しているわけだから、その実情はおのずと明らかになると考えていたが。どうやらその考えは極端すぎたようだった。


「失踪しているのがホームレスや身寄りのない者たちばかりとなると、知人を辿るというわけにもいきませんからね」


 提示された資料からそのことは理解していた。

ㅤエリアリミテッドにはホームレスなどが集まる乞食連盟のようなものが存在している。端的に言えば社会不適合者のグループである。

ㅤそういう連中が徒党を組むことで、内乱や暴動とはいわねども富裕層にちょっとした圧力をかけるようになっているのである。

 そういうものが結成されてしまうのも仕方がないことかもしれない。

 

「まあ、今のリミテッドの情勢じゃあな」


 長時間の探索に疲労がたまったように和馬は深いため息をついてみせた。時雨の考えを読んだように呟いて。

 彼が見据えているのはたった今時雨たちが出てきた路地裏である。他もそうであったから予測はしていたがここもはずれだった。


「イモーバブルゲートの存在で、この区画はアウターエリアから隔絶されちまった。外との外交やらで生計を成り立たせていた奴らからしてみれば、職を奪われるようなもんだしな」

「確かにそんな情勢なら、これだけホームレスが増えたことも頷けるな」


 エリア・リミテッドにおける政策としてこの領域の住民であるならばその食生活のみは保障している。

 東京都都市化計画に伴う失業などの問題が続出することは見越されていたため、住民には毎日一定量、レーションと呼ばれる携帯非常食が分配されるのだ。それ故に領域内部で餓死するということはない。

 同時に全ての臣民にはIDが配布され、それぞれに毎月一定額の電子マネーが振り込まれる。

ㅤ貧民層、富裕層とその額に変動はあるが、貧民層であっても一か月間切り詰めて生活すれば生きられる程度の額はあるのだ。

 それだのに何故こうしてホームレスが存在するのか。その答えは単純明快。電子マネーや食を保証されていても土地の保証はされていないからである。

ㅤもともと東京都23区の住民でなかった人間などは住める場所を持たず、こうして宿無し生活を強いられることとなったわけだ。


「まあノヴァが進行する以前から、壁の内側はこんなもんだった。むしろ、今は比較的落ち着いたくらいだぜ?」

「そうなのか?」

「ああ。前に話したろ? 渋谷の原宿だ」


 彼のその発言を聞いて何のことか思い当たる。エリア・リミテッド、正確には東京23区における防衛省すら手を付けようとしない区画がある、という話。

 原宿は23区にはびこっていたチンピラやゴロツキ連中のたまり場になっていた。そこに、本当の意味での社会不適合者がすべて隔離されたことを考えれば、今はだいぶ落ち着いているほうなのだろう。


「まああの頃は社会が不安定で、誰だってそういう人間になりかねない環境だったからな」

「何か心当たりでもあるのか?」

「んにゃ、余談よ気にすんな」


 何やら物思いに耽るような和馬には似合わない表情。彼は時雨の問いかけに無難な返答で応じてきた。

 何かありそうではあるが他人の時雨が踏み込める領域ではなさそうだ。


「まあ、どうせ壁の外はノヴァの生存領域だ。あそこを越えようなんて考えた暁には、職だけじゃなく命も失うことになるだろぅけどよ」

「そもそもイモーバブルゲートを越えることなんて可能なのか?」

「なんだ烏川、お前もともと防衛省の人間なのに知んねえのか」


 訝しそうな顔。何か常識でもあるのか。


「イモーバブルゲートは超合金の物理障壁、おまけにその上の空間には高周波レーザーウォールが設置、しかも固定荷電粒子砲がずらりだ」

「それは当然知ってるが……だから」

「まあ聞けって。それは確かに外部からの侵入に対する最強の障壁だがな。だがよ、それはあくまでも乗り越えてエリア・リミテッドに入ってこようとする奴に対してだ。アウターエリアに出てこうとする奴は、だれも止めたりしねーんだ」


 普通に考えてその様な政策はあり得てはいけない。イモーバブルゲートなどというものまで建造し住民の私生活にまで圧迫を与えた防衛省。その連中が住民のそんな行動を容認するとは到底思えなかった。


「簡単よ。誰も出てかねーからだ」

「それはそうですね。壁の外が三年前のままであったのならば、外に行こうとする住民たちの雪崩となるでしょう。ですが今のアウターエリアは感染地帯です。ノヴァの巣窟に自ら足を運ぶ命知らずはそういないでしょう。よく考えたらわかることですよ、退化前頭葉の時雨様」


 ネイのさりげない罵倒を受けながらも納得する。確かにあの壁を抜けて、レジスタンス以外に人類が生きているのかさえ解らない感染地帯に踏み出すのは明らかなる自殺行為である。

 今のところ全世界でノヴァに陥落されずに堪えている諸国は、両手の指で数えられるほどにしか存在しない。

ㅤ実際に日本国内で考えても、エリア・リミテッドのように完全なるノヴァ対策措置が取られてでもいなければ生存することは不可能だ。

 ノヴァの侵攻を阻む術があったにしてもそれだけでは対策になりえない。

ㅤノヴァの構成要素ナノマシン。アウターエリアはそれらが大気中に溶け込んでいて長期間その場に滞在すれば感染と呼ばれる現象が起きる。

ㅤ簡単に言えば肉体内部が金属物質に変性し細胞が破壊されてしまうのだ。

 

「……なあ和馬、リミテッド内部がナノマシンの変成作用をうけて感染しないのは、イモーバブルゲートの高周波レーザーウォールがナノマシンを分解して侵入を阻んでいるからなんだよな?」


 これに関しては外の駐屯地を出た時に皇に教えられていた。


「ああ解ったぜ。なんで駐屯地のスタッフは感染しないのかって聞きたいんだろ?」


 察しのいい男だ。


「答えは簡単よ。あの本拠地は自衛隊広報センター跡地なんだがな。あの施設の中央管制室には、デルタサイトっつう微弱だがナノマシンの機能を抑制する機械が設置されてんだ」

「デルタサイトといえば、確か……」

「ええ。防衛省が生存している諸国に多額の資金で売り出している、対ノヴァ障壁ですね」


 デルタサイト。その名称は耳にしたことがあった。というより昨日アウターエリアに誘導された時、真那とネイが話していたのを聞いただけであるが。

 あの時はデルタサイトに関して詳細を聞きそびれたわけだが。ネイ曰く、デルタサイトとは世界の安寧を確立させるために不可欠な要素であるらしい。

 ノヴァというナノマシンの襲撃を受けてなお一部の外国が壊滅せずに機能しているのは、それらの国の軍事力あってのものではない。そもそもナノマシンに対して通常の軍事兵器など無力にも等しい。

 ノヴァのように形を成している場合ならばともかく、10億分の1メートルサイズのナノマシンを完全に抹消しようものならばそれこそ核しかない。

ㅤだがナノマシンは世界全土に蔓延し、核でどうこうできる次元ですらなくなってしまっているのだ。


「外国諸国は生存のため、ナノマシンの機能を抑制する電磁波を拡散するデルタサイトを日本国から輸入せざるを得ない状況を強いられている……日本の防衛省がすべての元凶という事実は、熟考すればすべてが明白でしたね。筋書き通り、日本はすでに世界を掌握しているようなものなのですから」

「でもなんでそんなものがレジスタンスのアジトに……妃夢路か」

「そーいうことよ」


 言いかけて気が付く。峨朗幸正と船坂義弘はもともと陸上自衛隊の高級士官である。現状退役しているようだが、妃夢路に関しては未だに防衛省の人間である。彼女ならばデルタサイトの横流しも不可能ではないだろう。


「だがまて。今のエリア・リミテッドには壁の外と外交できる手段はないんじゃないのか?」


 イモーバブルゲートを築いた時点で日本は国内だけでなく国外との貿易にすら見切りをつけた。

 外とつながる手段は時雨たちが経由している地下運搬経路くらいしかないであろうし。そこが使われているということはあり得ない。

ㅤもしそうならばそもそも壁を越えてレジスタンスが侵入することなど不可能だからである。


「さぁな、その辺はよくわかってねえ」

「というか時雨様、これらの情報は昨晩船坂様から頂いた資料にすべて記載されています。たまには他人の力を頼らず、自分で努力することを学びやがってください、このトリ……カラス頭。昨晩から本日の任務まで、六時間はあったじゃないですか」

「無理言うな。あの資料、文書だけで3メガもあるんだぞ」

「私はすべて記憶しましたが」

「お前はプログラムAIだろ。俺は人間だ。そもそもネイの場合は、記憶じゃなくて記録だろ」

「ひ、ひどいです時雨様。私はただのデータで心などない能面たんぱく女だというのですね。ああなんてことでしょう……おろおろ」


 わざとらしく顔を手で覆い隠すネオンホログラム。まったくネイに構っていると調子を狂わせられる。

 確かに今は任務中である。説明ばかり仰いで捜索を蔑ろにしていてはいけない。

 しばらくその場所で待機していると向かいの路地から小さな影が二つ歩みだしてくる。


「何か見つかったか? シグレ」


 そのうちの片方、凛音が時雨の顔を見上げるようにして問うてきた。その頭はフードで覆われ、彼女のトレードマークの一つでもある大きなケモノ耳はすっぽり隠れてしまっている。

ㅤそれは一般市民に彼女の存在を認知させないための対応策である。路地から出ればここは港区の中央。

 総人口が少ないとはいっても真っ昼間のこの時間帯、路上は人々でごった返している。時雨たちと合流出来て嬉しそうにフード越しに耳をピコピコさせるのを見れば、あまり効果はなさそうだが。それよりも問題なものが一つ。


「クレア、それ……ずっとつけてるのか?」


 凛音の隣に佇む少女。ガスマスクが陽光を反射していた。

 呼びかけられ彼女はあたふたと戸惑うように凛音の背中に隠れる。時雨のことを恐れているというよりは、単純にガスマスクをつけていると人目に付くとわかっているからだろう。

 人の目にさらされるのが苦手なのはわかるが明らかに逆効果である。道行く通行人のほとんどが不審そうに時雨たちのことを眺めてきていた。


「通報でもされたら厄介だ」

「いやまあ警察なんかいねーけどな。暴動起こしたり、銃火器所持してなきゃ警備アンドロイドに銃殺されることもねーし」


 警備アンドロイドは赤外線センサーを用いて、常に民間人が銃火器を所持していないかを点検している。

ㅤそれは理解しているため、原則として作戦決行時でも時雨たちは銃火器を持ち歩かないようにと指示を出されていた。

 なお時雨はアナライザーを今も携帯している。これはただの武器ではなく時雨の防衛省局員としてのIDとしても用いていた。

ㅤこれに関しては防衛省内部にのみ、それも数台しか配備されていないこともあって銃殺対象にはカテゴライズされないのである。


「……解りました」


 視線を集めているのが堪らなかったのかクレアは存外素直にガスマスクを外す。


「……眩しいのです」


 視界が急に広がったためか彼女は腕で目を隠す。陽に当てられ先にもまして銀色の髪がきらめく。これはこれで人目を引きそうだが少なくとも不審な目を向けられることはあるまい。


「ここら辺の路地は大体探しつくしちゃったぞ? 次はどこを探索するのだ?」

 

 凛音の言う通りこの区画の路地という路地はすべて回ってしまった。その目的は失踪したホームレスについて他のホームレスに知っていることを問い質すことであったのだが……。


「まさか失踪してるのが、乞食連盟にも所属してない奴らばっかりだったわけだからな……お手上げだ」


 これによって情報を持っていそうな人間はいなくなってしまったということになる。見て回った限りでは、路地にも失踪した人物の痕跡という痕跡もなかったし目撃者もゼロ。

 失踪している数百人すべてがこうして失踪を認知されない者たちであったことを考えると、何者かの計画的犯罪であると考えるのが筋だ。そしてそれは間違いなく防衛省だろう。

 乞食連盟に属していない乞食など、自身の明日の生活すら見通せないような存在だ。そんな者を襲おうと考える者はいまい。


「ま、引き続き捜査をするしかねーだろうな……柊と聖が今、ソリッドグラフィをエリア・リミテッド全域に拡張して、関係のありそうなものを探索してる。なんかありゃ連絡がくんだろ」

「それまでは……無いもの尽くしでも、探すしかないですよね」

 

 探す当てがないなどとぼやいていても致し方がない。聞き込みはもうしようがないし新たな捜索方法を考える必要がありそうだ。

 

「そういえば、犯人はどうやって連れて行ってるのだ?」

「失踪したホームレスをか」

「普通に連れて帰るなら、レッドシェルターまで行くのに路地ではなく皆がいるところを通るのではないか?」


 彼女が言う皆がいるところというのは十中八九人通りが多い区画のことだ。

ㅤ一理ある。防衛省区画であるレッドシェルターの境は千代田区の区界に敷かれている。あそこまでこの港区から向かう場合、一度も路地から出ずに向かうことは到底不可能である。

ㅤそう考えれば一般人の中にも目撃者がいるかもしれない。

 

「んじゃ二手に分かれっか」

「何があるかわからないし、もし戦闘に巻き込まれでもしたら大変だな。俺と凛音は別れた方がよさそうだ」


 二手に分かれた場合それぞれに戦う手段がある人間がいた方がいい。時雨以外の皆は銃火器を所持していないわけで。

 和馬は近接戦闘に慣れているかもしれないがそれでも結局生身の人間である。相手が銃火器を持ち合わせていれば勝機は薄い。

ㅤそれならば素手でノヴァと対等にやりあえる凛音のほうが優先順位は高い。リジェネレート・ドラッグは常備しているはずだ。


「それもそうだな……んじゃ俺は鼻の利くちっこいの一号と行動するぜ」

「ちっこいのじゃなくてリオンなのだぁ」

「鼻が利いても情報収集には役立たない気がするが」


 必然的に時雨とクレアのペアになったが、少女は特別挙動不審になったりいやがる素振りを見せる様子もない。

 現状、彼女にどれくらい心を許されているのか。彼女の反応からはやはり判断しかねたが、拒むほど嫌悪感があるわけではないらしい。

ㅤそれだけでも一歩前進か。仲間として認められたのかもしれない。

 

「ぐへへ、しめしめ。難なく銀髪貧乳ロリっ子ガスマスクルートに入ることが出来たぜ。こういう内気系のほうが攻略難易度は安定して低いもんなんだぜ。と、時雨様のUMN細胞数値の著しい上昇が物語っています。このロリコン野郎」

「ひどい言いがかりだ」

「!」


 ネイの根も葉もない発言を素直に信じたのかクレアが血の気の引いた顔を向けてくる。ガスマスクを掻き抱く腕に力を籠め心なしか半歩ほど後退した。

 反射的にガスマスクを被ろうとするのを和馬が上からひょいっと取り上げた。そうして時雨に放ってくる。


「それもっときゃついてくんぜ」

「……酷いのです」


 恨みがましい目で和馬を見つめるクレアだったが、しぶしぶといった様子で時雨の元まで近寄ってくる。居たたまれなくなってガスマスクを返却した。


「嫌々ついてこられても困る。再編成するか」

 

 戸惑い気味にそれを見つめていたクレアだったが、そっと手を伸ばして受け取った。そうしてしばらくガスマスクをじっと眺めていたかと思いきや、何度か目を瞬かせながら小さく頭を振るった。


「んじゃま、編成はこれでいいな。レッドシェルターのある千代田は北方面にある。俺たちは中央区沿いのほうから回り込む形で、聞き込みをしてくぜ」

「それなら俺達は……六本木方面の聞き込みを進める」


 そこで和馬たちとは別れる。六本木は比較的人口密度が高いため目撃証言がないか、あってもたどり着けないかもしれないが、もしかしたらの可能性がある。

 近隣の高架ターミナルへと向かうとすぐに高架モノレールが定時でやってくる。

 今のリミテッドには基本的に自動車といった概念は存在しない。いやそこまで言うと大げさではあるが、天然資源の削減のため基本的に一般人の私的利用は制限されているのだ。富裕層となると高額の税金を納め私的利用しているらしいが。

 それ故に、住民が移動の際に用いる交通手段はリミテッド23区中に設置されている高架を用いたモノレールだけだ。

 モノレールは五分に一度程度の間隔で各駅に停車するため、実際問題そんなに不便に感じる人間は多くないだとか。おまけにこのモノレールに関しては一切の運賃が発生しない。


「こういう構造になっているのか」


 乗り込んだモノレールの窓に手を付ける。高層建造物の合間を縫って伸びている高架は、だいたい10メートルから30メートルの高さに配置されている。車窓から流れる世界はなかなかに絶景だ。

 時代の流れを感じさせる高層ビルばかりが立ち並び、周囲には無数の探査ドローンが巡回している。さらに地上にはいくつもの警備アンドロイドがうかがえた。


「モノレールは初めてなのですか?」

「ああ、俺は東京がエリア・リミテッドになってからすぐに防衛省に所属したからな。基本的に俺たちの仕事はレッドシェルター内部に攻めてきた蜂起軍を鎮めることにあった。だからほとんど、レッドシェルターの外に出たことはなかった」

「クレア様は幸正様や凛音様と一緒に、防衛省から逃げてきたのでしょう? ここでの一般人に扮しての生活は長いのですか?」

「私たちがレッドシェルターを出たのは、去年の六月ごろです」


 2054年六月。その時期は確か、防衛省内部でのリジェネレート・ドラッグを用いた人体実験が佳境になりかけていたころだ。つまりは凛音が実験に扱われた時期だろう。

 ということは一年以上この辺で生活してるわけだ。



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