第11話

 積荷をレジスタンスの車両にすべて移しその場を発ったころには、既に空は絵の具で塗りつぶしたような黒の色に染まっていた。

ㅤ長時間ノヴァウィルスの渦中にいれば、発症の確率が飛躍的に高まってしまう。それ故に迅速に駐屯地に帰投する必要があるのだとか。

 なおM&Cの乗員はこの襲撃で21人もの死傷者を出したようだ。唯一先頭車両の運転手と搭乗員のみ生存していたが、彼とて五体満足というわけではない。

ㅤアウターエリアではこんなにも簡単に人の命が奪われてしまうものなのか。


「任務御苦労だった」


 駐屯地自衛隊広報センターに戻るなり召集された会議室。そこには初対面の男がいた。声の質、喋り方からその人物にはすぐに見当がつく。


「アンタが皇棗か」

「いかにも、俺が棗だ。君もご苦労だったな烏川」


 比較的長く無造作なしかし不潔感は一切感じない頭髪に切れ長の目。鋭利な印象を持たせられる面持ちからは年齢不詳だが、おおよそ二十代後半であると推察できる。降下後に車両で合流した船坂なる人物と同じくらいの年齢だろう。

ㅤソファに腰掛け、相変わらずガスマスクな少女の注いだコーヒーに口を付けていた。

 

「多数の死者が出てる中で、アンタはここで高みの見物をしていたわけか」

「まあそう言うなよ烏川。皇はこのレジスタンスの司令なんだ。こいつがもし命落としたりでもしたら、レジスタンスは一瞬で崩壊しちまうんだ」

「それでもだ」

「……ごめんなさいなのです」


 なぜかガスマスクを被ったままのクレアがしきりに頭を下げて謝る。時雨はそんな彼女の痛ましい姿を見て対応に困り、致し方なく皆の腰かける固いソファに身を沈める。

ㅤ今はけんか腰になって言い争いしているときでもあるまい。代わりに状況の明確化を図ることに尽力することにする。


「皇とやら、帰還早々だが、お前に確かめたいことがある。ノヴァは団体行動をしていた。フェンリルならともかく、アラクネは本来単独行動をするノヴァだ。あれは明らかに司令塔が存在している証拠だ」

「重ねて言えば、あの場所にノヴァが密集していたことも気になりますね。あなた方レジスタンスもバカではないでしょう。M&C社との貿易に関して、ノヴァに観測されない手段を見出しているはずです。それだのに、コンボイはアラクネの襲撃を受けていました。これは、ただの不注意がなした結果でしょうか。それとも――」

「まあ落ち着け、シール・リンク。それに烏川もだ」


 棗は室内備え付けの巨大なホログラムコンソールを点灯させる。無数のウィンドウが展開される中、一つの周波数グラフがクローズアップする。


「これは、ノヴァ出現直後のM&C車両周囲の周波数だ。著しく起伏が上昇しているところを見ても、外部からの電波妨害を受けたことは間違いがない。そしてこれが、周波数の乱れから割り出した傍受障害電波の周波数。これをみて、何か気がつくことはないか?」

「……なるほど、そういうことですか」


 新たに表示された周波数を目にした途端、ネイは納得が言ったような声を出す。

ㅤその分野に精通していない時雨は周波数など見てもよく解らず、ネイに教えろのアイコンタクトを送る。


「一致しているんですよ、これ」

「一致って……何の周波数とだ」

「防衛省に決まってるじゃないですか」


 衝撃に目の裏側が熱くなる感覚。頭がくらくらとなり始めそうになるのをぐっとこらえて言葉の真意を探る。考えるまでもなかった。


「まあそういうことよ、解ったか? 烏川」

「ノヴァが防衛省の生み出した物、という言葉はこれが根拠か」


 ノヴァの出現に伴って防衛省の周波数が発せられたというのは、つまり防衛省がノヴァに何かしらの信号を飛ばしたということである。断言は出来ない。

ㅤしかし確かに、防衛省とノヴァには何かしらの関係性があると考えるべきだろう。

 

「だが確証がもてない。これが偽造じゃないというな。何か証拠はないのか?」

「そんなもんないわよ。アンタ自分の目で見て、それでもまだ信じないっての? 私たちがアンタなんかを引き入れるために、自作自演でこれだけの損失を出したって? 笑わせないでよ。アンタは自分の存在を過大評価しすぎね」


 ライフルを杖の形にして身を預けていた唯奈は、時雨に対してどこか不快そうに鼻で笑って見せた。


「言いすぎだぜ。まあ烏川、あんま気にすんなよ。前も言ったがこいつはツンデレなだけで」


 まあまあと実際に口にしつつ和馬がそんな彼女の華奢な肩を叩いて宥める。気安く触るんじゃないわよと言わんばかりに和馬の手が払い除けられたところで、時雨も偏った思考を切り替えることに専念する。


「……とにかく言い分は理解した。だが、それだけじゃ信用するには値しない」


 唯奈がライフルで和馬の頭をぶっ飛ばさないうちに述べる。

 危険を冒す手はない。疑わしきは罰せよ。現状数の暴力という形で罰せられる立場があるとすれば、それは時雨の立ち位置なのだが。

 それでも偽造かも知れない情報に踊らされているかもしれないのに、無条件に信頼するのは危険すぎる。


「……ふっ」


 敵愾心を顔に出して油断も隙もない目で皆を睨んでいた時雨。だが棗はそれに対して苛立つでも宥めるでもなく、小さく含み笑いで応じて見せる。


「何がおかしい」

「いや、何もおかしいことはない。君のその警戒心はあって当然の物、否、無くてはならないものだ。レジスタンスとして活動するならば、常に人間の汚い部分に接していくこととなる。そうした勘繰りや推察は欠いてはならないものだからな」

「……共感するふりをしても騙されないが」

「騙すつもりなどない。俺はあくまでも、現実を君に突き付け能動的に賛同させるつもりだからな」


 その言葉の意味を理解する間は与えられなかった。その前に後ろから羽交い絞めにされる。


「ッ!? お前――!」

「落ち着けよ。これは保障よ」


 時雨を拘束する和馬を振り払おうとするがそれも適わない。抵抗するまもなく床に組み伏せられた。


「ちょっくら痛むけど、堪忍な」


 首の背面に刃物が突きたてられる。鋭利な冷たい感触が皮下にまで沈み込み、背筋が冷たくなるような戦慄が痛みとなって走り抜ける。

 最悪だ。どれだけリジェネレート・ドラッグによる治癒力がプラナリアに匹敵するとは言っても、あくまでも肉体は生身だ(サイボーグだが)。流石に脳髄は修復しようがない。このまま貫かれて死ぬのか。

 

「ほい、終わり」


 そんな危惧などいざ知れず、和馬は拘束していた時雨の腕を離し立ち上がる。手にしていた刃物は血を拭き取ってそのまま腰に仕舞う。

 一体何が起きたのか理解が及ばず、気を動転させながらも立ち上がる。さらなる奇襲に備えて身構えるが、和馬は無防備にも武装解除してしまっている。


「……何のつもりだ」

「あんま警戒してくれんなよ。別にその首を落とそうとしたわけじゃないんだからよ」

「なら何を――」

「これよ」


 和馬が差し出した手のひらには何やら手の爪程度しかサイズのないチップのような物が乗っていた。問題なのはそれが血だらけであること。


「まさか」

「そういうこと、お前さんの皮下に埋め込まれていたんよ」


 絶句する。和馬はそれを摘出したというのか。思わず抉られたばかりの首の背面を触るが激痛が走るだけである。

 見たところかなり極薄であるようだから触っても気づかないほどではあっただろう。

ㅤ何故そんなものが体内にあるのか。そもそもこれはなんなのか。


「ユニティ・コア──超小型発信機能付き自動応答デバイスよ、それ」


 唯奈は和馬が卓上に置いたチップを手に取ると、時雨の血で手が汚れることを忌避する様子もなく自身の目の前にかざす。

 そのマイクロチップを凝視していた彼女は途端にその表情を歪め、それを再度卓上に据え置いた。そうしてナイフを抜刀し予備動作なくチップに突き立てる。


「……何してるんだ」

「言ったでしょ。これは小型の発信機。破壊しとかないと後々厄介になる代物なのよ」

「発信機って……それが俺の体内に埋め込まれていたというのか?」

「発信機なんて可愛いもんよ。これは一種の自爆装置のようなもの。場合によってはこれを遠隔で作動されて、アンタの脳髄は木端微塵になっていたことでしょうね」


 返答に窮して時雨はただ唯奈の顔を凝視した。彼女が冗談を言っているだけなのだと判断したかったためだ。

ㅤ当然そんな様子は一切見受けられない。何より未だ疑いの目をそらさない時雨に呆れた視線を投げかけるばかりだ。


「アンタ、これでも信じないつもり? このマイクロチップは、アンタを統制するために埋め込まれている物。たとえばアンタが謀反でも起こしたり、今回みたいに敵に捕虜にされた時、遠隔で自爆させられる状況にあったわけ。アンタだけじゃない。U.I.F.の兵士も。全員埋め込まれてる」

「……だが、実際に爆破されていなかっただろ」

「それはこの駐屯地に最初に連れてくる前に、皮膚越しに超小規模な電磁パルスで破壊したから」


 だからこの存在を認知していてもこれまで摘出しなかったのか。

 

「本当に……これを防衛省が」

「何をいまさら驚いているのですか。家畜にマイクロチップを埋め込むことなんて今の時勢当然のことでしょう」


 茶化すネイは無視して時雨は頭の中で思考を加速させる。

ㅤ正直未だに実感が湧かないが、確かにこのマイクロチップは彼らの発言を信用するに値するものと言えるかもしれない。


「つまり……防衛省は日本の治安を維持するための機関じゃなく、ノヴァを自在に操り、エリア・リミテッドに圧制を強いている連中、ということか」

「ご名答」

「だが一体何が目的だ? そもそもノヴァとは何なんだ? 防衛省はどうやって生み出したんだ?」


 防衛省に騙され続けてきたという事実に動揺を隠せず、時雨は質問を弾幕のように吐き出さずにはいられない。


「世界軍需の掌握でしょうね。実際に今諸国はノヴァの侵攻を受けて既に壊滅してしまってる所もあるし……こうしてエリア・リミテッドという防衛区間を造ってノヴァに対抗している日本の軍事力を、そういう国は頼らざるをなくなるから」


 真那は混乱する時雨を落ち着かせるつもりはないようで、淡々と事実を述べる。


「ノヴァはナノテクノロジーによって生み出された大量破壊兵器だ」


 まったくの見当もつかない言葉が出てきた。ナノテクノロジーといえば、10億分の1メートルのデバイスを用いた技術のことではなかったか。


「正確にはナノマシンだ。ナノサイズの機械が防衛省の発する特別な周波数に応じて群集化し、形を成したものがノヴァだ。元々は炭素やケイ素を主成分に増殖する自己増殖ナノマシン」

「アラクネがどこからともなく突然出現したのは、あの場所において、その周波数に応じて形を成したから、ですか。これは防衛省への猜疑が強まるばかりですね」


 難しい話過ぎてついていけない。

 

「なぁなぁジコゾーショクと言うのは何なのだ?」

「生物本能的に、異性を見るとすぐさま性的欲求に駆られてしまうことです。気付いたら事後というのもよくある話。あ、これ豆知識ですよ」


 時雨と同じ知能指数の人間が数人いた。


「待て、そんなもの、完全に軍事兵器じゃないか」

「最初からそう言っているだろう」

「だが何故諸国はそんなものを日本が作ることを認可した。性質の悪い人工感染ウィルスみたいな物だ。非戦争国の日本がそんな物を開発してたら、介入が入るはずだ」

「当然の疑問ね。ま、これを見たら解るわ」


 唯奈はホログラムコンソールに近づくなりウィンドウに触れて操作をする。すぐにウィザードがいくつも出現しそのうちの一つを開封する。なにやら新聞記事の写真のようなものが表示される。


 ◇


 2052年 5月3日

 日本政府が医療の発展に際して用いた技術は、ナノテクノロジーである。

 ナノテクノロジーは従来においてもある程度の試行がなされていたが、実際に医療への運用を成功させたのは日本が始めてであった。

 自律制御型の超小型機器を用いた医療機器は海外進出し、然れど日本政府は技術の拡張を計りはしなかった。

 諸国は医療技術拡散による人類種の生存率上昇を妨げるその独創的思想に憤慨した。

 英国政府は日本政府がナノテクノロジーの医療以外への転用を目論んでいると推測し、更なる調査を計画している。

 また近年、日本政府が政令指定都市である東京、その23区における大規模な改築をすることで外界から隔絶したことが発表された。

 外国からの来日も基本的には拒んでいるようである。

 なおイモーバブルゲートと呼ばれる巨大な防壁上には、あらゆる物質の進入を拒む高周波レーザーウォールが建造されていることも判明。

 日本政府はそれが諸国からの核ミサイルテロ対策としてのものと豪語しているが、英国政府は壁の内側で何らかの非合法実験が行われているのではないかと踏んでいる模様。

 場合によっては、軍事的制裁が下るかもしれない。


 ◇


「これは今から三年前の5月3日に報道された、英国の新聞記事よ」

「諸国には、あくまでも医療への運用であると公言していたわけですね。諸国としても、ナノテクノロジーが開発されることは好ましいこと。ガン細胞の除去なども可能になるわけですから」


ㅤ確かに考えてみればノヴァが出現するほんの数ヶ月前に東京都都市化計画が試行されたというのもおかしな話だった。

ㅤ核兵器対策と豪語されているイモーバブルゲートが今はノヴァに対する絶対的な盾になっているという事実もある。ノヴァが現れることを予知していたとしか思えない。


「信じる気になったか?」


 バラバラだったパズルのピースがはまっていくような納得感。棗はこれらの情報を提示することで時雨が信じざるをえないと確信していたのだろう。

 確かにこれだけの情報を与えられては防衛省のあり方に疑問を覚えずにはいられない。だが。


「もう少し、待ってくれないか」

「俺たちが待つことは可能だが、防衛省は待ってくれないぞ」

「解ってる。だが心の整理時間がほしい。今は突然価値観が変わりすぎて、どうすればいいのか……」


 そう応じた時雨を棗はじっと見つめてくる。レジスタンスのこの駐屯地の位置を防衛省に流す心積もりなのではないかと探っているのだろう。

 

「……いいだろう。俺たちは明日の明朝、エリア・リミテッド内部の拠点へと向けてここを発つ。それまでに決めることだ」


 そう言って彼は会議室から姿を消した。明朝と言うことはあと数時間くらい時間がある。既に深夜を回りそうな時間帯ではあったが、不思議と眠気はない。


「あなたの決定には誰も口を挟まないわ。でもあなたの助力がリミテッドに確かな変化をもたらすのは事実」

「まああんま急かすな聖。好きにさせてやれよ。ま、烏川、なんならレジ面の皆と話をしてみるがいいさ」


 そう言って和馬と真那はソファへと腰掛ける。確かに彼の言うとおり、他の者たちと話をしてみて考えるのもいいだろう。

 比較的親近的に接してくれている和馬や凛音ならお互いの身の上話もしやすそうではある。

ㅤそう考えて彼女達のいるソファに向かおうとすると、ネイがじと目で見つめてきた。


「時雨様、一度今の自分の顔を鏡で確認することをお勧めいたします」

「その心は?」

「犯罪者の顔をしていて気持ち悪いです」


 なんとしてでも時雨にロリコンのレッテルを貼りたいようである。しかし時雨にそういった性癖はまったくない。


「和馬。ちょっと話いいか?」

「おまわりさんこいつ変態です。変質者です、ロリコンです。凛音様だけでは飽きたらず、和馬様にお縄を巻こうとしています。頭の腐った人が黄色い声を上げるようなことにまで手を付けるほど、フェティシズムが進行して……」

「お前は一体、何を言っているんだ」

「これは、お縄は時雨様が一番必要としている気がします。素直にお縄に巻かれるか、家畜のようにチャーシュー巻きにされるか。亀甲縛りか。あるいは……吊るのに使うか」


 今の時勢警察など存在しないのだが。エリア・リミテッドを警備しているのは警備用巡回アンドロイドである。そもそも壁の外のこのアウターエリアは無法地帯だ。

 

「和馬、さっき皇の奴、明日の明朝にと言っていたよな」

「ああ、エリア・リミテッドに拠点があるんだ。東京23区を要塞化したのがエリア・リミテッドだが、その中にも防衛省の手の行き届いていない区画は多数ある」

「DNA認証ドローンや、警備アンドロイドも巡回してないということか」

「いや流石にそれはない。たとえば渋谷の原宿だな。あそこはノヴァの侵攻から、完全な無法地帯になってやがった。ゴロツキやチンピラが支配してるようなもんだ」


 基本的にエリア・リミテッドには犯罪者を無条件で銃殺する権限を持つ警備アンドロイドが無数に巡回している。

 それゆえに本来無法地帯などが容認されるはずもなく、当然防衛省の制裁が行われるはずなのだが。


「連中は、それを社会からのあぶれものの住処として容認してんだ。そうしておけば、エリア・リミテッド中のチンピラどもはこぞってそこに集中する。勿論、連中が何かやりださねぇように、そこの区画の外周区には軍用A.A.が配置されてるが」

「つまりスラム街ですね。防衛省の認可の元でチンピラの楽園が成り立ってるわけです。一番蜂起を起こしそうな者たちを、そうして一箇所に纏めることで無力化してるわけですね」


 ネイの補足でなんとなく概要は理解できた。つまるところ防衛省の支配の手が及んでいないとが言っても管理下ではあるわけだ。


「まあただ、もうその区画も今や法の適用内だ」

「どういうことだ?」

「ま、昔ちょっとあったのさ」


 答えたくなさそうに言葉を濁らせる。彼のいでたちは確かに少し不良らしいところもある。彼にも関係することなのかもしれない。


「それに、レジスタンスの本拠地がそこにあるわけじゃあないぜ」

「つまり防衛省の手の行き届いていない場所ということだよな……どこだ?」

「それは明日のお楽しみ、ってことでよ」


 意味深な表情。こいつは既に時雨の中で防衛省とレジスタンスへの考え方が揺らぎ、そしてその位置取りが入れ替わりかけていることに気がついているのか。

ㅤ内面を覗き込まれているようでいい気分ではない。


「ところで和馬様、先程から時雨様が凛音様の髪を触りたくてウズウズして気持ちわるいのですが」

「おーい、峨朗、烏川がお前の髪を触りたそうにしてんぜ」


 彼は数名の構成員がいるソファへと呼びかける。


「…………」


 筋肉スキンヘッドと目が合ってしまった。峨朗違いである。彼には一本たりとも髪の毛がない。サバンナばりに。


「ちっこいほうな。ハゲじいさんじゃなくて」

「ショーヨーよ、とーさまは禿げているのではないのだ」

「そうなのか?」

「うむっ、とーさまはいつも、『時の流れってやつはときに残酷だ』っていってるのだ。吟遊詩人なのだ。だから風評被害にあってストレスで抜け落ちちゃっただけなのだ」


 要約すると禿げただけではないのか。


「それでどうしたのだ。リオンの髪をさわりたいのか?」

「どちらかと言えば興味があるが、知的好奇心であって邪な感情はない」

「誰も詮索してねえよ」

「こう言っておかないと、ネイがあらぬことを吹聴して回るからな」

「リオンは別に構わないのだ」


 彼女の滑らかそうな朱銀の髪と同色の大きな耳が視界に広がる。


「うぎにゃああああああああああああ!!!」


 それではと遠慮なしに時雨はその耳を引張る。案の定凛音は発狂した。


「ひ、ひどいのだ千切れるのだ痛いのだ……」


 涙目になって耳を擦る少女は無視して考察を重ねる。

 明らかに作り物や装飾品ではない生身の耳。奇怪な現象。言い方は悪いが一般的には奇形児に分類されるこの少女。しかし時雨はこの耳が奇形ではないと言うことを知っていた。


「時雨様。凛音様に関することですが……」 

「お前もそう思うか」

「ええ。間違いはないでしょうね。人間と他種動物との異種間遺伝子交配でもなければ、先天的な多発奇形現象でもない……これは明らかに、人間の手によって成されたもの」

実験体アナライト……」


 嫌な汗が背筋を伝う。実験体アナライト。これは防衛省内部でもSレート機密情報に分類される関係者以外は絶対不可侵の研究である。

 生身の人間に何らかの人体実験を及ぼすことによってその肉体の遺伝子配列そのものを組み替える。それにより肉体は多数の観点で変貌を遂げるのだ。


「防衛省内部で、ちっこいの一号、お前によく似た奴を見たことがある」

「だろうな」


 いつの間にか凛音の背後にまで歩み寄ってきていた幸正が何故か会話に介入してきた。

 

「だがそれらの個体は、皆総じて――」

「ああ、原形を留めないほどに変貌してしまったか、もしくは、試験薬を投与、変貌を遂げてから600秒以内に全員死んだ」


 一度だけその光景を目にしたことがある。TRINITYの幹部の一人である山本一成に連れられ出向いた研究施設において、薬品が投与されてから全てが終わるまでの一部始終を。

 そこに集められていたのは皆、凛音と同じくらいの歳の男女ばかりで、その時点ではまだ普通の人間だった。だが何らかの薬品を投与してすぐ、凛音のように人外の耳や体毛が生えたり肉体の骨成分が異常発達したりし始めたのだ。

 だがそれらは皆すぐに生命活動を遮断された。


「俺やTRINITYの受けた実験と、凛音が受けた実験は明らかに勝手が違う」


 その違いとは、すなわち実験の際に何を体内に取り込んでいるかと言うことだ。

 時雨やTRINITYはノヴァウィルスの抗体因子を体内に取り込みその活動を抑制させる。対し実験体アナライトはそのウィルスそのものを取り込むのだ。肉体は浸食を受け最悪破壊される。

 この実験体アナライトの研究──アナライト・プロジェクト自体は、サイボーグのプロトタイプである時雨の肉体改造以前に行っていた物である。だが成功例はなく結果としてノヴァ因子をそのまま取り込むことは不可能と言われていたのだ。


「確か研究が成功した例はないと聞いたことがありましたが……どうやら防衛省は何らかの情報を隠匿しようとして、成功例をゼロに書き換えたようですね」

「それは当然だ。唯一実験に成功し遺伝子の組み換えに耐え切ることが出来た素体が、公にされる前に外部へと流されてしまってはな」

「それも防衛省の幹部級の人間によって、な」


 思い当たる節があって幸正の着ている服を見やる。その左襟には陸上自衛隊一等陸尉であることを示す勲章がある。もともと幹部級の自衛隊員であった幸正がレジスタンスに身を投じたのはそういう理由か。

 見た目は厳格で何を考えているのか解らないが、だが娘のことを一番に考えられる思いやり深い男なのかもしれない。


「リオンはな、なんだかよく判らぬのだが特別らしいのだ。これを打ち込むことでな、凛音は一時的に強くなれるのだ」


 彼女が差し出してきたものは細長い円筒状の金属。先端には小さな穴がありその反対側には小さなボタンがある。リジェネレート・ドラッグである。


「時雨様の使っているヤクと同じですね」

「ヤクじゃねえ……そういえば、アラクネを排除したときの凛音は少し肉体が変化していたな」

「リジェネレート・ドラッグによる外面的な変化は、この耳が金属状に硬化し尻の辺りに尻尾みてぇなものが出現することだ」

「何故そんなものが……」

「これは私の推測に過ぎませんが……その正体は、ナノマシン、なのではないですか?」


 ネイが突然、突拍子もないことを言い出す。

 

「おいどういう意味だ」

「そのままの意味ですよ、凛音様、いえ、時雨様やTRINITYの者たちも、人体実験の際に用いられた薬品と言うのは、おそらくナノマシンです」


 胸騒ぎがした。つまり時雨自身の中には、10億分の1メートルサイズの金属が無数に巡回しているということ。

 その推察に対し幸正は勘がいいなと感心したように小さく首肯した。


「リジェネレート・ドラッグを使った際に凛音の肉体を変貌させるものはナノマシンに他ならない。更に、俺たちはリジェネレート・ドラッグの組織査定を行った。その結果は紛れもなくノヴァの肉体構成因子と同じものだった」


 自分の中にノヴァが存在している。その事実を知りえ時雨は全身の血が凍り立つような戦慄を覚えた。

 だが曰くノヴァウィルスと同種と言っても、あくまでもその抗体因子であるらしい。つまりサイボーグ化された時雨の体内に流れている物と同じものを摂取しているのだとか。


「故に防衛省の画策するナノテクノロジー計画はラグノスと呼ばれている」

「ラグノス?」

「Reconstruction and AUGmentatioN of HOmo Sapiens、略してRAUGNHOS。人類種の再構築・拡張計画、と言う意味だ」

「しかし、それならば何故、凛音様にリジェネレート・ドラッグを投与し続けているのですか?」

「肉体に悪影響が観測されていないからだ。何らかの影響が見受けられた場合、即使用は控えさせるがな。だがラグノスに対抗できる要素を、危険性が発覚していない時点で使わない手はない」


 そういう発言を聞いているとやはり彼はただやさしいだけの人間なのではないと解る。非道なのか、もしくはレジスタンスの指針のためならば私情などすべて排除してしまっているのか。それほどまでにラグノスを打倒しようとしている証拠なのだろう。


「ここのスタッフにはもともと防衛省に配属していた奴が多いのか? 防衛省の闇を知ってその悪を正すために奮闘している奴が」


 聞いている限りただの民間人であっただけの人物は少なそうである。

 

「幹部級は大体そうだが、構成員のほとんどは違うぜ。それに俺も、割と特殊なほうだしな」

「特殊?」

「……ま、それはまた今度な」


 和馬は言いよどみ言葉を濁す。首に掛けられているネックレスを指先で弄んでいた。そこにはシンプルな指輪が通されている。


「まあ大体がそうだな。悪魔……じゃなく柊も、聖もだな。皇については詳しくしらねぇ」

「……待て、真那もなのか?」

「ああ、まあな。とはいえ俺がここに入る前から、アイツはレジスタンスにいたから詳しいことは知らねえけどな」

「シグレはマナと顔見知りなのか?」

「ああまあ……いや、顔見知りなのか」


 断言できない自分がいた。自分の中に眠る真那との記憶。それが紛い物などではないことは確信しているが、だが真那はその記憶を共有していない。そう考えると自分だけ鏡の中の世界にいるような気分になる。

 自分がいるのが現実の世界だと疑わず、本物の現実を鏡の世界だと思って覗き込んでいる。何も知らず奔走している真那を目にし、歯車が狂い始めていると自分の中で現実の世界に歪を生んでいる。

 もしかしたら自分は現実を見据えられていない滑稽な人間なのかもしれない。


「気をしっかりと持ってください時雨様。リアルで盛大な夢落ちなんてありえないんですから」


 そうだと願いたいものだ。

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