第12話
凛音たちとの会話を済ませた後。時雨は一番気になっていたことを確認しに行くことにした。
防衛相時代となんら変わらない燃えるような赤い頭髪とサングラスを携えて、妃夢路は備え付けの業務用机に腰を落ち着かせ船坂と論議をしている。
話の邪魔をするのは悪いが、こちらとしても疑問を晴らせずにいるのは腹の底が落ち着かない。
「妃夢路」
「やあ烏川時雨」
彼女は操作していたウィンドウを消灯させこちらを見やる。小さな丸いサングラスが蛍光灯の光を反射する。
「どうしたんだい……と聞くのは野暮だったね」
「色々聞きたいことはあるが、まずはっきりさせておきたい。アンタはどっちの人間なんだ?」
「奇妙な質問だねえ。まるで私が2種族の間に生まれた奇怪児みたいじゃないか。まあそれも面白いね。人体における異種間遺伝子交配。今のところそれは確認されていないが、もし臨床実験に成功したのなら、私は世界的に有名になれるねぇ」
ㅤ茶化すなと視線で叱責しつつニコチン中毒の防衛省の人間を観察する。
ㅤ妃夢路恋華は重役の
「だから言ったじゃないですか。佐伯・J・ロバートソンは相当のインテリ根暗野郎だって。嫌になって逃げ出してきたんですよ」
「はははっ、相変わらずの洞察力だねネイ君。だけど外れさ。そもそも私の正規の役職はTRINITYの統括部長だしね」
「だから言っているんだ。TRINITYは防衛省における機密組織だぞ。その管轄をする妃夢路がだなんて……考えもつかなかった」
TRINITY。これは三つの班で編成されるリーダー格四人を総称するものだ。
「武力掃討部、立華薫・立華紫苑兄妹。執行部、人物不明。そして総合開発部の自身をアダムと称する時雨様なみに頭の痛い山本一成……この四人を総括しているわけですから、妃夢路様の階級は防衛省においてかなり高級であることは確実。だのに、」
「電子タバコ中毒で、禁煙体制をしいていた防衛省からリストラを食らった、それじゃだめなのかい?」
「……別に隠すことでもないだろ? 恋華」
誤魔化そうと軽口を叩くタバコ中毒末期患者に見かねたのか、呆れたように船坂が口を挟む。
ㅤ逆立った短髪と強靭な肉体から兵士然とした印象を受けるがその面持ちは幸正と違って感情豊かにも感じ取れる。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな、すまない」
「お前は確か」
「
「元、と言うのは……」
「レジスタンスに加盟した時点で俺の階級は当然剥奪されている。まあ、そこの万年タバコ中毒の恋華は少し違うんだが」
確かに彼女は防衛省において準陸尉としての階級を持っている。
「私はスパイなのさ。勿論、レジスタンスのね」
「だがどうやってそんな階級に」
「元々がその階級なのさ。私は防衛省からレジスタンスに亡命した人間だからね。まあ、ここの幹部級構成員は殆どがそうだろうけど」
それは初耳だった。確かに腕利きのものが多かった。あれは特別な訓練を受けていなければありえない。
勿論、真那も――――。
「しかし恋華、相変わらずタバコばかり吸って」
「また抗弁垂れるのかい? 義弘。君は私に会う度、一度はそれを言わないと気が済まないのかい。それにこれは電子タバコさ」
「かく言うお前は……シャトー・オー・ブリオンどうのとは言わなくなったな」
満足そうな顔で副流煙を吐き出した妃夢路。そんな彼女のことを呆れたように見ていた船坂だったが、心情の読み取れない複雑な表情を浮かべて溜息をつく。
妃夢路はそんな彼のことをどこか面白がるように見返す。時雨は妃夢路が他人を名前呼びしているところを見たことがなかった。
「あんたたちは同期なのか?」
「ああ、業務上義弘との関わりはあまりなかったがね。だがプライベートではそれなりに関わりがあったよ」
感傷に浸るように妃夢路は電子タバコを蒸す。自衛隊業務ではなくプライベートということは、ただの同期としてではなくもっと深い関係であった可能性がある。
「関係って……悪い」
「なんで謝るんだい?」
「いや、面と向かって聞くことじゃなかったな」
一瞬何かを考え込みすぐに結論に行き当たる。
「君は若いくせに何故そう悟ったように喋るかな。大人の男女の関わり合いってのは、君が考えている以上に冷めているものさ」
「その口ぶりから察するに、おふたがたは男女交際をしているわけではないのですか」
ネイの質問を耳にして妃夢路はなめらかな笑い声を立てた。
ㅤ普段からは想定出来ないような笑い方に時雨はど肝を抜かれて黙り込む。船坂に関しても小さく笑い声を漏らしている。
「はっはっは、君は本当に面白いね。私がそんな女に見えるかい?」
「全く見えない」
タバコを仕舞い彼女は少し待っているようにと告げ立ち上がる。そうしてデスク脇の鞄の中からなにやら引っ張り出す。その手には紅いワインボトル。
彼女はボトルを机の上に載せコルク抜きすら使わずに指だけでコルクをはじき飛ばした。
「酒盛りしようじゃないか」
「おいおい……お前、明日は大規模出動だぞ。酔っ払って上官の顔が立つか?」
「義弘は硬すぎるんだよ。まあいいじゃないか、さあ飲もう」
「遠慮する」
アルコールを入れたい気分ではないのだ。
「まあそう言わず、老人の晩酌に付き合ってくれるつもりで、どうだい?」
「いいじゃないですか時雨様、こんなにも美人な年上の女性とお酒を飲める機会なんてそうありませんよ? それにあれです、シラフじゃなければどんな間違いが起きても、アルコールのせいだと言いきれるじゃないですか。チャンスです」
未だ二十代後半であろう妃夢路。彼女が口角を吊り上げながらボトルを揺らすのに躊躇っているとネイがとんでもないことを言い出す。
ネイの発言を耳にして流石に大人気ないと思ったのか、妃夢路はグラスを3つ取り出しワインを注いだ。
「シャトー・オー・ブリオン。1814年のウィーン会議、その晩餐会でももてなされ、その時期から貯蔵されてきた二百年ものの果実酒さ。“フランスの救世主”とも言われてる」
「はぁ」
「ずいぶんと懐かしいものを」
突然妃夢路が語り始めたワイン談義について行くことが出来ず、時雨は相槌を打つことしか出来ない。対し船坂はまたその話かと呆れたように肩を竦めている。
ㅤとくとくとグラスに注がれたワインは赤い血のような色で、彼女の頭髪の色によく似ている。
電子タバコ中毒である妃夢路はアルコールになど興味が無いと思っていたが、彼女とワインはなぜか絵になる。
「現役時代、確かに私は義弘とプライベートで関わるような親密な関係を築いていたさ。当時から陸自の中で英雄と呼ばれるだけの戦果を残していた義弘に、私はたしかに特別な感情を寄せていた」
「そうだったのか」
とくに関心もなさそうに船坂が口を挟む。
「過去の話さ。鵜呑みにするんじゃないよ」
「時雨様、これはあれです、言うなればおとぎ話のような一見綺麗に終わるラブロマンスの舞台を終えた後、舞台裏でドロッドロの三角関係に発展するあれです、間違いないです」
何故か火が付いているネイを黙らせるべく、ビジュアライザーのスピーカー部を手で塞ぐ。ネイの声は軍用ARコンタクトに直接音声データが送信されることで認識されるため、なんの意味もないのだが。
ㅤ話がさっぱり見えないが、妃夢路が何かを言おうとしているならば邪魔してしまうのも忍びない。飲んでいるふりをして彼女が酔い潰れるのを待とう。
「だから私はフランス遠征時、戦地でちょっとした全滅の危機に陥った際、義弘に晩酌を提案したのさ。銃撃戦の真っ只中。物陰から出たら死んでしまうことは間違いなかったから」
「第二次EU戦争の時のことだな。国外派遣された俺たちは軍支給が目的だったんだが、不慮の出来事で戦争に巻き込まれてしまった。致し方なく、武器を手に防衛網を張ったんだったな。いやぁ、あの時は悲惨だった」
「当時
感傷に浸るように、二人は
「私は死を覚悟し、最後に義弘と酒を飲もうと思ったのさ。あの時は私たちもまだ二十歳かそこらだった。誰よりも信頼を置いているこの男と最後に酒を飲めるなら、それでもいいかと考えたのさ」
「その話しぶりからするに、船坂は飲まなかったのか」
「それならこんな場所で話したりしないさ。何も面白くないからね」
ワインを揺らしながら妃夢路は記憶を掘り返すように目を瞑る。
確かに船坂がその場で断るとも思えない。と言うより、この妃夢路が戦地で愛の告白などと洒落たことをするとも思えない。そもそもそんなことがあったのならば、もう少し気まずくなってもおかしくはない。
「私はこう言ったさ。『義弘、君のこれまでの功績を祝して、この
彼のとったと言うあまりにも突拍子のない行動に驚きつつも、ここまで饒舌な妃夢路の姿にも少し戸惑う。
どうやら本当に彼女にとって船坂とは同期であったこと以上に特別な存在なのだろう。そして何より、妃夢路もまた船坂たちと同じようにもともとは戦地に赴いていたのか。
「義弘は突然、『そうだな、
「
「そういうことだね。結果、アルコール度数が低いから大した爆発もしなかったが、地面に蔓延していたガソリンに着火し、輸送車両貨物の火薬物に引火、敵軍装甲車は二台大破、大規模な火災と敵勢力に多大な人的被害を与え、戦争を優勢に導いた。そして晴れて、フランスですら英雄と呼ばれるようになったのさ。そのとき吹っ切れたように、自分の中で何かが冷め切ったのを感じたさ」
船坂ならばやりかねないと思った。英雄と呼ばれるだけの所以はそういうところにもあるのだろう。
「お前よくそんな一言一句まで覚えてるな」
「それほどまでに衝撃的だったってことさ。まあとにかく、銃火器が恋人みたいな奴さ義弘はね。だから私も、電子タバコを恋人にしたわけさ。男女の交際関係なんて有り得ないだろう?」
妙に納得出来る話ではあったがそれならば何故その時のものと同じ
妃夢路自身、同じ疑念に行き着いたのだろう。赤ワインの注がれたグラスをじっと見つめていたかと思うと弾き飛ばしたコルクを拾い上げる。そうしてボトルに無理やりねじ込むとそれを手に立ち上がった。
「全く、無駄話が過ぎたね」
「明日に備えて寝ておけ。片付けは俺がしておく」
「そうさせてもらうよ」
彼女は欠伸をしながら背を向け部屋から退室する直前、開け放たれた扉に手を掛けながら動きを止める。そうして一瞬間を空けてから尻目にこちらを伺った。
「それから私の救世主は、
そう言うと、段差に足を掛け盛大にぶっ倒れた。
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