第10話
時雨と真那が到着するなり、すでにエンジンを稼働させていた汎用ヘリブラックホークは離陸した。四機の機体は空気をローターでかき混ぜながら上昇し、目的地点へと向かい始める。
地上を数台の装甲車両が走行しているのは地上からの遊撃のためであろう。時雨たちを乗せた航空部隊は地上部隊に先んじて、目的地店へと航行する。
「こちらブラックホーク01、ランディングゾーンの指示をお願いします」
操縦桿を握るブロンドの少女が無線機に向けて発声する。気品の漂う衣装を身に纏いながらも、操縦桿を縦横無尽に操るその姿はどこか勇ましい。
「こちらHQ、ランディングゾーンの指定はない」
対し、コンソールに表示された無線の相手は、先ほどまで話していたばかりの棗の物である。どうやら彼はどこかに位置する指令塔から、操縦士に指示を出しているらしい。
「指定がない……というのはどういうことでしょうか」
「M&C社のコンボイ、及びノヴァは現在進行形で移動中だ。スファナルージュ、君達航空部隊には、上空からの支援射撃を命ずる」
「了解しました。では、現在のコンボイの座標を指定してください」
「座標はモニタに表示してある」
「確認しました、これよりコンボイへと向けて進路の変更をします……お兄様、座標をコンボイのビーコンに併せてください」
「了解しました、シエナ様」
シエナと呼ばれた少女は、ブロンドを揺らし隣の席に腰を付けている副操縦士に何やら指示を出す。
ㅤその彼もまた気品の漂うブロンドの持ち主で、だがその顔にはシエナとは正反対にどこか威圧的である。兄と呼んでいることから、二人が兄妹であることは推察できた。
「しかし、本当にイモーバブルゲートの外の世界には、ノヴァが蔓延しているのですね」
全開にされたヘリのドア。そこから身を乗り出して流れゆく荒廃的な下界を俯瞰していると、不意にネイが感傷的な声音で呟いた。
「実際に対面したことはないからな。何となく新鮮に思えるな」
「見渡す限り、全ての腐食が進んでいるように思えます。実際にこの目にしてようやく、ノヴァの脅威性に直面させられた気分になりますね」
下界は東京都大田区の街並みではあるが、だがその光景には、数年前までは当然にあったはずの物が欠陥している。
人間の気配を感じさせない、限界にまで廃れ始めている世界。駐屯地であった自衛隊広報センター周辺の建造物に留まらず、ノヴァウィルスの影響はやはり、アウターエリア全域に及んでいるようだった。
建造物帯はその光沢を失い窓は煤けてひび割れ、外壁には無数の亀裂が走っている。これは紛争による亀裂ではなく風化による物だろう。風化とは言っても自然現象ではなく、ノヴァウィルスによる腐食が生じたが故の物だ。
流石に苔やツタのような積年の象徴は蔓延ってはいないものの、そこはかとない虚無の感覚を感じずにはいられない。
ㅤ生という概念が存在しないような、死んだ世界。それがアウターエリアなのだ。
「見えてきたわ」
理解しているようで何も理解していなかったその現実に直面されていた時雨だが、真那の声によって正気を取り戻す。
中腰になって前方を凝視していた真那の指差す先を目で追うと、時間が止まったように微動だにしない空間の中、蠢いている何かが視認できた。
ㅤ僅かの砂塵を巻き上げながら走行している輸送車両のコンボイである。そのコンボイに後続し包囲するように、巨大な奇形の物体が疾駆していた。
歪な形状の、鋭利な脚のような物が八本胴体に接続された個体――ノヴァである。
「こちらレジスタンス、B-23ブロックを走行中の車両、応答せよ」
幸正が無線拡声器越しに、遠隔からのコンタクトを試みる。数秒ほどしてもそれに応答の信号は送られてこない。
「通信機能がやられているのか?」
「いやちげえな。ノヴァ因子による電波障害だろうよ」
「電波障害?」
「ノヴァウィルスはつまりは大気中に分散する超微細な金属粒子だ。それが大気中で摩擦を起こすことによって、電波の妨害をするのさ」
「一種のECMのようなものですね」
簡単に言えばジャミングのようなものか。つまりノヴァウィルスが大量に溶け込んでいるアウターエリアでは、無線はまともに使えないということ。
「まずい、ノヴァが強襲を始めたようだ」
コンボイを囲う数十体のアラクネ。そのうちの数体が突如進路を変え車両に突撃をしかけていた。
M&Cの乗員が応戦しているようで機関銃から弾丸が撒き散らされる。その迎撃射撃に牽制され、突撃をしかけた個体は一瞬動作が止まる。そこにすかさず弾幕が降り注ぎアラクネの強靭な脚を抉り去った。
アラクネはバランスを保てなくなり激走の勢いを殺せず、そのまま横転して廃ビルに突っ込んだ。
「運送会社とは言っても、それなりの戦闘力は有しているのか」
「あくまでも軍需運送会社だもの。銃火器の扱いには長けているわ」
狙撃銃に弾丸を装填しつつ、真那はこちらに一瞥をくれることなく答えてくる。航行するヘリの上から百キロ近い速度で走行中のノヴァを狙い撃つことは至難の業であろうが……。
「でも、今彼らは走行中よ。それも全方位をノヴァに囲われている……機関銃だけで切り抜けられる状況じゃないわ」
真那のその言葉を助長するように、下界から爆音が轟いた。はっとして視線をコンボイに向けると、それらの後方数百メートル地点のビルから火の手が上がっている。
あれは先ほどのアラクネが突っ込んだ建造物ではない。その周辺には金属装甲がいくつも飛散し、ガソリンへの引火を示す黒い煙が上がっていた。車両が爆破したのである。
炎上する装甲には無数の小さな穴が穿たれている。弾痕のように見えるそれは、おそらくノヴァが発射した機関粒子銃によるものだろう。
「ちっ……あれが軍需輸送団体なのが災いしたな。あのコンボイは爆薬の貯蔵庫みたいなもんだ」
軍需輸送団体である故にかなりの武器弾薬を積んでいるのだろう。引火すれば、かなりの規模の爆発を生じさせてしまうほどの。
「スファナルージュ、機体をコンボイの後方上に据えろ」
「了解しました。コンボイの後方上を航行します」
シエナは操縦桿を横に倒し機体を旋回させる。そうしてコンボイの後方上空につく中、幸正はドアガンのガトリングを屈強な腕で掴んだ。
「和馬、貴様はもう一基でアラクネを狙え」
二人がガトリングを縦横無尽に操りアラクネに無数の弾雨を降り注ぐ。弾丸は建築物の外壁を抉り突貫してアラクネに襲いかかる。
ㅤ甚大な殺戮の雨となって降り注いだ弾丸は、たちまち数体のアラクネを瀕死にまで陥らせた。
タイヤがパンクしたバンのように胴体を地面に突っ込ませ、アスファルトを粉砕してぶっ飛んでいく。それでもコンボイを囲う包囲網は全く薄れた気がしない。
アラクネによる迎撃射撃をシエナの操縦で回避しながらも、状況把握に努める。
「ちっ……数が多すぎんよ」
「このままでは埒が明かないわ。全て討伐しきる前に、車両がすべて爆破されてしまう」
その危機感を知らしめるように下界で再度衝撃音が轟いた。側面からアラクネの激甚なる突進をもろに食らった後部車両は、装甲に惨たらしい突貫を穿たれ脇に横転する。
装甲をひしゃげさせながらアラクネを巻き込んで建造物に突っ込んだ車両は、凄まじい火炎と黒煙を吹き散らして爆発する。M&Cの車両はもう六台しか残されていない。
「これ以上の損失は避けねばならん。スファナルージュ、降下させろ」
「これ以上近づいていいのか?」
降下していく機体、すでにアラクネとの距離は十メートルほどしかない。建造物の合間を縫って航行するヘリの中で、幸正は巨大な筒状のロケットランチャーを担ぎあげる。
砲塔から間抜けな音を噴出して発射された弾頭。それは前方のノヴァの足元に着弾しコンクリートを抉り去る。弾き上げられた個体は後続の個体を巻き込んで後方に吹き飛ばされた。
コンボイの戦闘車両、その左側にノヴァのいない空間が生まれていた。
「烏川、行け」
「は?」
彼の突拍子もない命令に狼狽する。どこに行けと。
「貴様は先頭車両に直接コンタクトを取れ」
「直接って……直接か?」
「ECM効果が生じている以上、無線によるM&Cとのコンタクトは無意味だ。であれば、直接彼奴等に接触するしかない」
幸正は次弾装填しながら淡々と述べる。彼が言っていることは理解できる。このノヴァの激走をどうにかするにあたって、まずM&Cにはレジスタンスの誘導に従ってもらう必要がある。
ㅤ通信が遮断されている以上その誘導をする手段がないわけだ。
であるからして、時雨に直接車両に向かい誘導しろと彼は言っているのである。それは分かる。
「どうやって、接触しろと?」
「言った通りだ。行け」
この筋肉スキンヘッド、ECMなどという以前に情報伝達能力が著しく欠如しているのではなかろうか。非難の目を向ける時雨のことなど意にも止めず、彼は再度ロケットランチャーによる牽制を試みる。
「この高さからならば、車両上に着陸できるはずだ」
「できたとしても無傷では済まない気がするんだが」
「貴様は件のシトラシアの暴動を鎮静化するために、標高2200メートルの位置からエアボーンを行ったはずだ。だが生存している。であるならば、ここから飛び降りても死ぬことはあるまい」
極論過ぎる。下界では車両とアラクネが時速百キロ近い速度で激走しているのである。無論、それに合わせてこのブラックホークもだ。そんな状況下で車両の屋根という狭い空間に着地できる保証などはない。
もし失敗すれば車両の合間に落下して粉々に粉砕されるか、アラクネに撥ね飛ばされて肉体剥離しかねない。そもそも運転手に接触したとして何を伝達すればよいのか。
「作戦がある」
「作戦?」
「それについては暫時伝達する。貴様はまず降下しろ」
「暫時って……無線機は繋がらないんだろ? どうやって俺は情報を受け取ればいいんだ」
「その心配はいらねえよ。俺たちが使ってる周波数は独自の回線を使ってる。このECMの中でも、数百メートルくらいの距離なら無線も繋がる」
ガトリングを用いてノヴァを強襲し、強風にその金髪を乱しながら和馬はそう述べた。
「そう言うことだ。十秒後に再度、戦闘車両の左地点を爆撃する。それに併せ車両に着陸しろ」
どうやら反論の余地はないようである。よもや加入から数十分とたたずに生と死の瀬戸際に立たされるとは。こんなブラック企業他にあるだろうか。
恐怖心に心の中を煽られながらも自分の決断を早くも後悔し始めていた時、幸正の第三爆撃が行われた。火炎が吹き散らされノヴァが吹っ飛ぶ。降下の合図だ。
「ち……くしょう!」
四の五の言っている猶予などなく時雨は機内から飛び出した。
トラウマを駆り立てられそうになる浮遊感、だがそれが恐怖心に変換される前に足が足場に接触する。どうやら車両上に着地できたようだ。
「よし、運転手にコンタクトを――」
その瞬間、激甚なる衝撃に体勢を崩された。車両の脇で爆発が勃発しタイヤが数十センチほど跳ね上げられたのである。
「が――――!」
そのまま車両上に叩き伏せられ、最悪なことに衝撃はそれには留まらない。車両上をすべり転がりそのまま外に弾き飛ばされた。
反射的に手を伸ばす。間一髪で指先が車両の窓枠に引っかかった。すんでのところで体を引き上げ地面への衝突を回避する。
だがしかし高速で走行していることもあって、屋根に這い上がるどころか窓枠にしがみ付いているだけでもやっとな状況。
「くそ……あいつ、爆撃しやがった……」
上方を航行しているブラックホーク、その内部から再びロケットランチャーの砲塔が突き出る。だが今度は時雨に対する被害を考慮したのか別の地点に着弾させていた。
「時雨様左です!」
「……ッ!?」
切羽詰まったようなネイの指示に触発され、はっとして視線を下げる。追いすがってきたアラクネが車両の側面にしがみ付く時雨に向けて迫ってきていた。
振り下ろされた巨大なかぎ爪が時雨のしがみ付く装甲を薙ぎ払った。その状態では回避することは不可能であったため、手を離しノヴァのかぎ爪に組み付く。
「インターフィア!」
途端に視界全体が情報化されアラクネの体組織が明晰化される。肉体全体が金属の塊で構成された個体。その首の部分に赤い球体が埋め込まれているのを確認し、時雨は腰からナイフを抜刀した。
時雨を振り落とそうとその場で脚をアスファルトに叩き付けようとしたノヴァ。撲ちつけられる前に、脚を軸に自身をアラクネの胴体の上に移動した。間髪入れずその首目がけナイフを力任せに叩き付ける。
明晰化された視界の中、アラクネの首の内側に埋め込まれていた赤い球体にナイフがつき込まれる。
「時雨様、車両に!」
即座にその頭部を蹴り飛ばし反動を活かして跳躍する。車両の後部ハッチにしがみ付き振り返ると、その瞬間ノヴァの肉体構造配列が一瞬にして瓦解する。
強固な固体を成していたはずのノヴァは、数秒と掛からずに無数の微細な金属粒子となって分散した。
「上手く行ったな」
「コアの破壊、それに伴う構造配列の瓦解――理論は正しかったようですね」
ノヴァにはコアと呼ばれる部位が存在する。金属素粒子結合体でしかないノヴァだが、その体内に時雨が叩き潰したあの赤い球体が必ず存在するのだ。
原理は解析されていなかったが、そのコアを破壊することによってノヴァの構造を瓦解させることが出来る。そうすることで、ノヴァウィルスは結合を保つことが出来ず乖離してしまうのだ。
その時、時雨のしがみ付くハッチが重低音と共に開いた。
「はいれッ!」
車両内部から男の声が響いてくる。指示されるがままに内部に着地した。それを見計らったように背後で堅牢なハッチが閉まる。
車両内部には、軍需の詰まっているであろう資源箱が無数に配置されている。
「烏川時雨だな。無線は生きているか?」
時雨を招き入れた自衛隊服の男には見覚えがあった。拉致られるきっかけとなったブラックホークを操縦していた人物である。
彼はアサルトライフルを片手に、無線を繋ぐようにと指示してくる。
「無線?」
「このECMの中でも電波妨害を受けない周波数だ」
彼のその発言に促され無線を繋ぐ。数秒砂嵐音が流れていたものの、やがてノイズのかかった声が流れ出す。
「内部に入り込めたようだな」
「峨朗、作戦は?」
「船坂か、いつその車両に侵入した」
「最初からだ。M&Cコンボイの誘導に同伴していたんだ」
幸正の訝しむような問いに船坂と呼ばれた男は早口で応じる。この男はレジスタンスのスタッフなのだろう。
「それで、俺たちはどうすればいいんだ」
「運転手に伝達しろ。指定する座標に向かえとだ」
船坂はそれに返すことなく、車両の中の資材の合間を縫って運転席に駆け寄った。そうして運転手に座標の提示をする。その光景を傍観しつつ防弾ガラスの車窓から外の光景を伺った。
ノヴァはこの車両に突撃をしかけようとし、だが上空の複数の機体による対地爆撃を受けてそれを阻害されている。周囲で幾重にも爆発が折り重なっていた。
「その座標に、何がある」
「この状況を覆しうる打開策だ。聞け烏川。目的地点までは大よそ3800メートルほどある。だがしかし、そこまで辿り着ける保証がない」
「すでに半数以上の車両が破壊されているの」
真那の補足をかき消すような爆音。後続の車両が炎上し数メートルほども跳ね上がった。それはアスファルトを撥ね、車内の軍需を巻き込んで連鎖爆発する。音からして残り三台ほどしか残っていない。
「だが貴様等が搭乗しているその輸送車両だけは、破壊させるわけにはいかん」
「この車両は、他と何か違うのか?」
「皇が言っていただろう。レジスタンスに必要な物を乗せていると」
確かにそんなことを言っていた。てっきり軍需全般を示していたと思っていたが、この車両に限定してきた辺りそう言うわけではないらしい。
視線だけ振り返らせ、車両内部に無数に積み込まれている金属製の箱を見やる。一体それには何が詰められているのか。
「何であれ、その車両を目的座標につくまで、死守しろ」
「死守って……どうすればいいんだ?」
「応戦しろ」
彼のその言葉に併せるように、先ほど閉まったばかりのハッチが重低音と共に開いていく。途端に銃撃音やら破砕音やらが車内に紛れ込んできた。
開けた視界の中、その凄惨な光景に時雨は思わず絶句する。この車両が走り抜けてきた路上、その至る所から火の手が上がっている。
ㅤもとより廃ビルと化していた建造物も明らかなる損壊を被り、路上にはいくつもの瓦礫が山積している。
この車両の両脇には数十というアラクネが激走し今にも突進してこようとしていた。
「ッ――ネイ、
即座にアナライザーを抜銃しトリガーを振り絞る。シリンダーに装填された指向性マイクロ特殊弾が銃口から吐き出され、今にも車体にショルダーブロックを叩きこもうとしていたノヴァに着弾した。
瞬間頭部が消失する。胴体をも巻き込んで球体状にその肉体が抉り去られていた。
ㅤ指向性マイクロ波による物質の強制崩壊現象。それがアラクネの堅牢な装甲もろとも抹消させたのである。
「次きます」
敵の強襲は当然止まない。相次ぐように突進してくるノヴァに再度アナライザーの銃口を向ける。
ㅤ右半身を失ったアラクネは、横滑りに他の個体に叩き付けられ後続を巻き込む。
砂塵とコンクリ片が撒き散らされる中、無傷のノヴァが粉塵の合間から飛び出してきた。
「切がないぞ……!」
その瞬間にも二つ後ろの車両がアラクネに群がられ破壊される。他の車両とは違って爆破することはなく横転したその車体に、ノヴァはあたかも巣の中に落下した獲物に群がる蟻のように食らいつく。
だがほとんどの個体はこの先頭車両に追従したままで、時雨は新たなる強襲が迫ってきていることを観測する。
予想外の事態が起きた。というよりも対処しきれない事態が。
「三体……!」
三方向から接近してくる巨大な影。接触まで数秒と掛からないだろう。迅速に特殊弾を装填しトリガーを振り絞るも当然のように一体しか抹消することは出来なかった。
アナライザーを構え直す暇すらなく二体のアラクネは圧倒的な破壊力を有して跳躍してくる。確実に対応しきれない状況だった。
「潰れろなのだ!!」
視界に割り込む形で雷光のように接近した小さな少女。彼女は接触ざまにアラクネの脳天に踵落しを炸裂させる。
今にも車体を撥ね飛ばそうとしていた巨大なノヴァは視界外に吹き飛ばされた。呆気なく蜘蛛の半身が粉砕し辺りに銀色粒子の嵐が降り注いだ。
破片を撒き散らしながら飛び上がった瞬間、薄暗い蛍光灯に反射してその姿が明らかになる。
「凛音――!」
朱銀の頭髪からは大きな耳が覗きその瞳は蠱惑的なほどにドス紅い。だが何より、その臀部からは鋭利な金属の尾のようなものが生えていた。
「まだまだ、終わらぬのだ!」
跳躍した凛音はそのまま別の個体へと肉薄する。接触の寸前に彼女は肉体を急旋回させ、その漆黒色の尾でアラクネの首を両断する。
コアが破壊され肉体の結合が失われる瞬間、彼女はそれを足場に車両内部にまで跳躍してきた。時雨の佇む内部に着地し彼女はその長い髪を振り乱す。
明らかに彼女の動きは人間のそれではない。硬化したその耳も臀部から延びる金属粒子の集合した尾も。
「目的の座標まで1000メートルを切ったぞ!」
アサルトライフルを構える船坂。彼は牽制射撃をしながら後ろ目に車両の向う先を見据える。
「1000を切ったって……だがこの先には市街地があるだけだ」
高層建造物の立ち並ぶその先に何かめぼしい特異点は見受けられない。幸正の言ったような、この状況を打開しうる要素などは何もない。一体彼は何を考えているのか。
その狼狽が隙となったようについに最後の後続車両までもが破壊された。内部の爆薬にでも衝撃が加わったのか、車体は炸裂と共に跳ね上げられた。
ㅤ弧を描きながら時雨たちの乗る車両の脇に落下した車両は、装甲をアルミ箔のように破れさせて炎を噴く。
ㅤ急速に離れていく車両の残骸。その炎はさらに巨大化して天に向かって猛々しく咆えていた。
「目的の座標に着く直前合図を出す。それに併せてブレーキを踏め」
「ブレーキ……? そんなことをすれば、追走してきているノヴァに一網打尽にされる!」
得策とは言えないその作戦に時雨は思わず声を荒げるものの、もはや憂慮の余地はない。
ㅤ座標まで数百メートルに迫り、数秒と経たずに出来ることがなくなってしまうが故だ。
このまま走り続けては数分と持たずにこの車両も破壊される。であるならば、一縷の望みにすがり、幸正の作戦に賭けるしかない。弾かれたように踵を返し運転席へと駆け寄る。
「指示をしたらブレーキを踏めッ」
「……はァ!?」
運転席の男に指示を出す。当然のように運転手は頓狂な声を上げるがそれに構っている暇などなかった。
「――今だ」
「今だッ」
「だ、だが――」
「ッ……退けッ」
尻込みする男を引き剥がすようにして押しのけブレーキを力任せに踏んだ。
ㅤハンドルを手放していたことが災いする。無理に運転手を退かせたことでハンドルが制御されぬままに大きく回転し、車体がその進行方向を変えてしまった。
ㅤ装甲車両の重量で耐えられるはずもなく、車両は遠心力を中和できずにそのまま横倒しになる。
最大級の衝撃が襲い来た全身を内部装甲に叩き付けられる激痛。ブレーキを踏み続けることなど出来ず、時雨は衝撃に撥ね飛ばされ車外に転がり出した。
アスファルトに叩き付けられる痛みに呻いている余裕すらない。状況を認識しようと視線を上げると、車両はガードレールに突っ込み横転している。大破も炎上もしていない。爆破の心配はなさそうだが問題なのはノヴァだ。
ㅤ予想外の軌道変更を行った車両の動きに対応できなかったのか、全てのノヴァがそのまま直進していた。すぐにその進行方向を切り替える。このままでは足のなくなった時雨たちは無残にも食い散らかされることになるだろう。
「――伏せてッ」
脊髄反射的にその場に屈む。その途端世界が揺れた。
「なん――――」
前方ノヴァが走行していた地点の地面が一瞬にして陥落する。アスファルトが瞬く間に瓦礫と化し崩れ去った。尋常ならざる震撼と骨の髄にまで伝わるような衝撃。耳を負いたくなるほどの崩落音。
地面が突如消失したかのように、その場所はノヴァを巻き込んで完全に陥没する。周囲にコンクリの瓦礫が撒き散らされ、粉塵が巻き上がった。
やがて崩壊が収まったころ、時雨は痛む身体を無理やり引き起こしノヴァの消えたその場所に這い寄る。
ㅤあたかも巨大な落とし穴のような、そんな巨大な陥没が地面に穿たれていた。超重量の瓦礫に押しつぶされたのかアラクネが這い出してくる気配はない。
「何が……」
「地面が陥落したようですが……かなりの深さまで崩壊していますね。私たちがこの座標にまで車両を誘導している間に、この馬鹿でかい落とし穴を掘ったとは到底考えられませんが」
思案顔でネイは考察を繰り広げる。陥没は十メートルほどの深さにまで刻まれている。これはこの地点の地下にかなりの空間が存在していなければ、あり得ない状態だと言える。
「地下運搬経路よ」
考察に答えるように後ろから真那の声が響いた。振り返ると、すぐ近くの地上にブラックホークがランディングしている。
そこから時雨たちの元へと接近してきたのか。真那に手を掴まれ引き起こされつつ時雨は彼女の言う経路に関して思考を馳せる。
「地下運搬経路って……昔運送系統で使っていたあれか」
「ええ。その地下運搬経路に降りることができるターミナルが、この座標には分布しているのよ」
真那の言うように確かにターミナルを示す標識が路上に設置されている。無論、荒廃が進んでそれが本当にそうであるのかは判別しようがないが。
「なるほど……ターミナルは本来重工業系統の運搬もできるように、かなり巨大な敷地を用いて建造されています。つまり、かなりの規模の空間が地下に造られているということ」
「ええ。だから、それを利用することにしたのよ。地上から向かっていた部隊に先にこの座標に向かってもらって、地下に爆薬を設置させた」
「で、ノヴァを即席落とし穴に嵌めたわけか」
正直あそこでブレーキを踏んでいなければ車両もろとも海の藻屑――というよりも地の瓦礫と化していたことだろう。
ハンドルが狂って車両が横転したことも或る意味幸いしたと言えるかもしれない。ブレーキを踏んでいても、あのまま直進していたら最悪陥落に巻き込まれた可能性があった。
「かなり穴だらけの計画だと言えますね……落とし穴だけに」
「…………」
「……さて、そろそろ積荷に関する情報が欲しいところですね」
頬すら緩めない真那にたじろぐようにネイは話題をすり替える。
実際、積荷に関しては非常に気になっていた。こんな危険まで侵して死守したのである。一体中身は何であるというのか。
「申し訳ないけれど、私も中身は知らないわ。でも棗のことだもの。無駄な物ではないはずだわ」
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