第9話

 拘禁状態は驚くほどあっさりと解除された。護送用車両の外部に配備されていたレジスタンススタッフと思われる彼らは武装解除し、時雨の監視体制から引いたのである。

 無論、現時点で真那が時雨と二人車両内部に残され単独行動を許されているわけではないが。

ㅤたった先ほどまで自分たちとは敵対関係にあり、かつ捕虜として捕縛していたはずの時雨を、そんな簡単に放任していい物なのか。


 車両はそれからしばらく走行しやがて停まる。外に連れ出された時雨は深夜帯の真っ黒いキャンパスみたいな暗闇の中、自分が自衛隊広報センター跡地に連れてこられたことを理解する。

 窓などがところどころ割られ、壁には亀裂やら弾痕やら悲惨な現実が刻み込まれていた。建物の外壁は抉られ路上には瓦礫が山積している。

ㅤ敷地内に並べられていたのであろう戦車は無残にも全壊している物や横転している物ばかりで、まともに稼働しそうなものはない。そもそも稼働するものがあったのならば、防衛省がこんな野ざらし状態で放棄しておくとは思えないが。

 周囲を見渡せば、ほとんどすべての建造物が見るに堪えないような廃墟と化している。

ㅤ亀裂弾痕はさることながら、コンクリ壁は赤く滲み鉄の壁は赤錆が浸食を始めていて。配管が剥き出しになっていたり、路上のアスファルトが陥没し下水管が付きだしたりしている始末。

 まさに世紀末とでも表明したくなる異世界的な廃れた街並み。それを見てようやく自分がどこにいるのかを理解した。


「アウターエリアか」

「ええ、偽りの平穏な領域の外――唯一の現実よ」


 真那はそう述べて広報センター敷地内の戦車に触れる。彼女の指先が触れた場所からパラパラと錆が剥がれおちた。


「こんなに、酷い状態だったんだな……」


 思わず驚きの声が漏れ出した。


「ここだけではないわ」

「全部、こんな状態なのか」

「ええ。あなたは、イモーバブルゲートの外に出るのは初めて?」

「ああ……外がノヴァウィルスに侵されて滅茶苦茶になっているのは知っていた。だが、実際にこの目で見たことはなかったんだ」


 アウターエリア。それは東京23区エリア・リミテッド以外の領域のことを示す。すなわちイモーバブルゲートによって防衛されていない領域。

ㅤ高周波レーザーウォールがノヴァウィルスの侵攻を阻む領域内とは違って、ウィルスを阻む壁がここにはない。それゆえのouter aria。


「一応確認しておきますが……デルタサイトはありますよね?」

「ええ、この広報センターの地下に格納しているわ」

「デルタサイト?」


 聞いたことのない言葉に関して、その意を確かめようと疑問の目を送る。


「なんですか時雨様、防衛省局員のくせにデルタサイトを知らないんですか」

「あ、ああ」

「今は説明を簡略化しますが、まあノヴァウィルスを阻害する万能アイテムです」

「…………」

「…………」

「終わり?」

「終わり」


 簡略化しすぎだろ。

 だがそれ以上の対談をするつもりはないようで、ネイは顎先で広報センター内部を指し示してくる。さっさと入れよという意志表明だろう。

 しかし今の簡潔すぎる説明でも、大まかなデルタサイトとやらの用途は理解できた。高周波レーザーウォールに囲われていない場所で人間が生存するための何か、ということか。詳細は後から聞けばいい。

 大事なのは、今このアウターエリアにいても感染しないという事実なのだから。


「てっきり、アウターエリアに人間なんていないものと思っていたが」

「あながち間違っていないわね。私たちも、基本的には壁の内側で生活しているもの」

「ということは、この広報センター跡地が本拠点ではないのか?」

「ここはあくまでも駐屯地」


 施設内部に足を踏み入れると、外からは解らなかったが比較的荒廃が進行していないように思われる。

ㅤ調度品などが元の状態のまま保たれていたりしていて、それでも壁の内側とのギャップ感は否めない。窓という窓が煤け、台風でも吹けば割れてしまいそうな有様だ。

 通常の施設よりも頑丈に作られているであろう広報センターがこの有様なのだから、通常の家屋では壁が腐食していたりするかもしれない。


「それにしても……どうしてこんなに荒廃しているんだ?」


 広報センター施設内の廊下を真那に次いで歩みながら、時雨は窓越しに外の光景を俯瞰する。凄惨な現実は依然として変わらず、そこに染みついていた。


「ついにぼけましたか。ノヴァの侵攻が原因に決まっているじゃないですか」

「弾痕が残されている所を見ても、ノヴァと銃撃戦をしたことは解る。そう言った被害が原因で町が崩れていくのも。だがアウターエリア全体が、あまりにも廃れすぎな気がしないか? 人間による管理体制が瓦解してから三年しかたっていないんだ。それにしては金属の腐食が早すぎる」

「雨風に三年間も晒されていれば、そりゃ錆くらいできますよ」

「そうかもしれないが、」

「まあ言いたいことは解ります。実際、時雨様の疑念は的を射ています。ちなみにそれに関する回答は至極単純。時雨様、荒廃の侵攻したアウターエリア、見ていて何か違和感はありませんか?」


 違和感しかないが。彼女の言う違和感というのはすなわち荒廃しているという前提でおかしな点ということだろう。彼女が何を言わんとしているのか解らぬ以上、答えようがなかった。


「今の聞き方は少々問題がありましたね。質問を変えます。このアウターエリアにおいて、あるべきものがないことに気が付きませんか?」


 あるべきものがないこと。抽象的な発言だがそれはおそらく言葉通りの意味だ。物質的に無くてはならないものが存在していないということだろうか。

ㅤ足を止めて窓の外を必死に睨み頭を働かせる。だが結局解答には行き着かない。


「死体――ですよ」


 ぞわりと冷たい感触が背中を伝う。


「死体……?」

「ええ。考えても見てください。ノヴァが進行してきたことによって、日本も領土の90パーセント以上が浸食されました。それに伴って、総人口が現時点で720万人まで減らされています。つまり日本全土に、1億数千万人以上の死体が放置されているわけです」


ㅤ防衛省が回収したのではないのか。


「衛生上の問題もありますし、その可能性も無いとは言えません。しかし、ノヴァの闊歩するアウターエリアに出て来てまで、わざわざあの防衛省が死者の弔いなどするでしょうか」

「腐食土と化したんじゃないのか?」

「もしそうであるならば、そこらじゅう白骨だらけになってます。しかしそれすらない……これは、おそらくノヴァウィルスの影響でしょう」

「どういうこと?」


 真那にも理解が出来なかったようで彼女はしかめ面で言及する。ネイはどこか偉そうに教鞭を振るう仕草をして見せる。時雨以外の人間に享受できる機会だから得意気になっているのだ。


「ノヴァウィルスの性質は不明ですが、しかし、あれは人間の体内に侵入し、細胞を食らって崩壊させます。このことから、人間の肉体を構成する要素を分解することが出来ることは確かです。であるならば、そこらじゅうに散乱した遺体を全て分解し尽くしてもおかしくはありません」

「つまり……ネイは、アウターエリアがここまで荒廃しているのは、ノヴァウィルスの浸食作用が腐食を進行させているからと言いたいの?」

「流石ですね真那様。やはりニワトリ頭の時雨様とは考え方が違います。まあ、つまるところそう言うことです」


ㅤしかしそうであるならば、建物も何もかも全て抹消させてしまっているべきではないのか。


「先ほども申しあげましたが、おそらくノヴァウィルスが食らう物質は、人体にも含まれている何かの物質なのです。たとえば炭素とかですね。ウィルスはそれらだけを食らった。その結果、全ての腐食が進行したとは考えられませんか?」


 正直時雨の頭では理解しかねる難題だった。だが真那は得心が言ったような顔を浮かべる。

ㅤこれ以上ネイに聞いてもおそらく時雨の理解できる言語を介してくれないことだろう。そう時雨は判断し追及することは避けることにした。

 再び時雨たちは施設内部を歩み始める。当然通電はしていないため通路の蛍光灯は灯っていない。

ㅤ幸い今日は雲が晴れていて、月明かりがひび割れた窓越しに差し込んできている。そんな月明かりの中を真那が先行して歩いていた。

 背を向け離れていく真那の後姿、その揺れる長い黒髪をじっと見つめる。彼女はどうしてレジスタンスに加担しているのか。


「何故いやらしい目線を真那様の御尻に向けているのですか」

「お前はARコンタクトを介して俺の視覚情報にアクセスしているんだから、俺がどこを見ていたか解っているだろ」

「えぇえぇ解っていますとも。時雨様はひざ裏フェチでしたね」


 どうしても時雨を変質者に仕立て上げたいらしい。

ㅤ真那をじっと見ていればネイの冷やかしが入る。だが目線をどうにも反らせない。その後姿を眺めていると様々な疑念が渦を巻いては蟠るのだ。

 懐かしくずっと追い求めていた彼女の存在。三年前に別たれてからずっとその消息を掴めずにいた。

ㅤその彼女がまさかレジスタンスに属していたとは。時雨の記憶を失っていることもあるしどうにも不可解な点ばかりであった。


「なあ真那……聖って呼んだほうがいいか」

「別に呼び方なんてどうでもいいわ」


 心の底から興味のないように彼女は淡々と述べた。ならば遠慮なく下の名前で呼ばせてもらうことにする。そうして本当に時雨のことを忘れているのか確かめる。


「あなたがどうして私の名前を知っているのかは知らないけれど……少なくとも私たちは初対面。あなたのことを知ったのは、棗が見せてくれた任務概要事項の資料を見たのがきっかけ」

「……もしかして、レジスタンスに何か弱みを握られてるのか? それで、俺を知らないふりを強いられてるだとか」


 おそらくそれはないとは思いつつも、問うことをやめられない。真那は足を止め、視線だけ振り返らせる。


「違うわ」

「たとえば、そうだな……父親を捕虜に取られている、とか」

「お父さんは死んだわ」


 感情の起伏が極端に乏しい表情のまま彼女は端的に告げる。その声音に時雨はもはや何を言うことも出来なくなっていた。

ㅤ無表情の中に、僅かに哀愁の色を感じ取ってしまったから。


「見苦しいですよ時雨様。いい加減現実を受け止めてはどうですか。それにほら、ここには可愛い子がいっぱいいるかもじゃないですか。心を入れ替えて、さっさと乗り換えましょうよ」


 何がなんなのかさっぱり判別できない。判るのは、今の真那は確かに時雨のことを覚えていないと言うこと。時雨の知っている真那の笑顔を今の彼女は有していない。

ㅤいつの間にここまで歯車が噛み合わなくなっていたんだろう。


「おぬし、レジスタンスに入ったのだな!」

「がッ……!?」


 皆が集合しているという会議室に足を踏み入れると同時、鳩尾に鈍い感触が沈み込む。腹部を押さえながら何とか体勢を整えると、記憶に新しいその鈍痛に既視感が滲みだし始めていた。

 無駄に鳩尾にフィットする肘の感触。絶妙な小ぶりさと力加減からして凛音のエルボーで間違いはない。


「どうしたのだ?」

「たった今理不尽な暴力を受けたんだ」

「暴力だとっ? そんなひどいことをするのは誰なのだっ、リオンがシグレのかたきを取ってあげるのだ」


 確信犯である気がしてきた。


「敵はいいから、鳩尾は今後狙わないでくれ」

「おぅ鳩尾は狙わないようにするぞシグレ、でもおかしいのだ、リオンは別に鳩尾を狙ってないのだ」

「嘘つけ」

「う、嘘はついていないぞっ、リオンは鳩尾なんて狙っていないのだ。挨拶しようとしたら勝手に肘が出てしまっただけでな……」


 それは余計性質悪い気がする。本能的な症状なのだろうか。

 

「…………」


 ふと視線を感じて目線を上げる。するとすぐに、会議室内部のソファに腰掛けている少女と目があった。

 こうして真正面から対面するのは初めてだ。しかしすぐに先ほど車両の外にいた少女であることに気が付く。あの毛虫くらいならば射殺せそうな鋭利な目は間違えようがない。

 しかしそれにしても明らかに嫌悪感丸出しな目を向けられている。先ほどまでは彼女たちの方からスカウトしてきたというのに。


「……ちっ」


 舌打ちされた気がする。


柊唯奈ひいらぎゆいな、21でお前さんより年下だが、年上に敬意を払うタイプでもない」


 部屋の中にいた金髪の男がそんな少女を見て苦笑しながら近づいてくる。この男にも見覚えがあった。


「ちなみに俺は和馬翔陽かずましょうような。初対面じゃないよな」


 ブラックホーク機内にいた彼だ。

ㅤ齢は時雨と同じ23かその辺だろう。染髪に失敗したようなくすんだパンプキンブロンド。整った眉目はどこぞの映画俳優のような双眸だが、どこか軽薄さも感じるいで立ちだ。


「……さっきは悪かったな」

「ああいいっていいって。あの時あそこは戦場だった。そして俺たちは敵対関係にあった。お前さんは自分のために、ついでに聖のために、レジスタンスである俺たちを排除しようとした。それだけのことよ」


 ちなみに最後にぶん殴って気絶させたしな、と補足。


「まあとにかく、お前さんは聖のために命を張った。少なくともただの民間人でしかないと思ってた聖をな。その事実だけで、お前さんを拉致って来たことにも意味があるってもんよ」

「どういう意味だ」

「そのままの意味よ」


 意味深に彼は軽く笑う。無駄にイケメンな笑顔だ。癪に障る。


「どうやらそこのちっこいの一号とはもう打ち解けたみたいだな」

「ちっこいのじゃなくてリオンなのだ」

「簡単な紹介を済ませておいた方がいいかもしんねえな。ちなみにさっきの柊だが、お前さんを睨んでるのは別に入隊が疎ましいからじゃない。そこのちっこいの一号を独占されて嫉妬してるだけよ」

「だからリオンなのだ!」


 頬を風船のように膨らませて抗議する凛音を無視した和馬。


「つまり……どういうことだ」

「生粋のツンデレってことだな」


 意味深な笑みを浮かべ彼は時雨を部屋の中へと招きいれる。部屋の中には、先ほどの柊唯奈と熊のような体系のスキンヘッドの姿がある。

 一見談話室然とした雰囲気を醸し出してはいるが、時雨は第六感的にこの部屋のいたるところに立体赤外線センサーが張り巡らされていることに気がつく。

ㅤ同時にARコンタクト越しにこの部屋の中に僅かな電磁波が生じているのもわかる。護送車両にてネイが言っていた外部干渉を妨げるECMと同じようなものだろう。


「集合していることを棗に伝えてくるわ」

「んじゃ、皇のやつが来るまで皆の紹介をしてやんよ」

「皇……?」

皇棗すめらぎなつめ、このレジスタンスのリーダーよ」


 その解説で、おそらく先ほど顔出しをしなかった声の主であるのだと推察できる。

ㅤ和馬に促されるがままに硬いソファに腰掛けた。それと同時、時雨に隣り合う位置取りで凛音が腰を任せる。

 好奇心から視線を彼女に向けピコピコとアンテナのように小刻みに動く耳に視線を注ぐ。間違いなく造形物のたぐいではない。

ㅤ視線に敏感に気が付いたのか、凛音はフード耳で頭の頭頂部ほどまでを覆い隠しながら不安げな目で見据えてきた。


「またリオンの耳を引っ張るのか……?」

「その予定も興味もない」


 先ほどのことがよほど堪えているのか。


「クレア、コーヒー三つ頼むわ」

「は、はい……お待ちください」


 和馬は時雨のすぐ隣に腰掛け、どこに向けるわけでもなく指示を出した。すぐに声が返ってくる。給仕アンドロイドでもいるのかと思って部屋の中を見渡してみるもののそれらしい姿はない。

 そもそもアンドロイドが一般化されている時代になったとはいえ、この時勢では数も限られる。軍用A.A.や観測ドローン。あとはエリア・リミテッドを巡回する無数の警備アンドロイドくらいのものだ。

ㅤ給仕アンドロイドなど開発している余裕があるのならば、防衛省はその技術をエリア・リミテッドの防衛力強化に回すだろう。


「…………」


 釘が地肌に突き立つような鋭い視線。目の前に腰掛けている柊唯奈と呼ばれた少女が飽くことなくじっと時雨を睨んでいる。正確には凛音の隣の席に座る時雨をだが。


「あの新入り野郎、私のモフモフ一号に気安く接して、絶対に許さない……とでも考えているんだろうよ」

「モフモフ……気が合いそうですね、唯奈様とは」

「だがそれを本人に指摘するのはご法度だ。そんなことをしたら悪魔の一撃必殺がおまえの脳天を――」


 瞬間、時雨たちの後ろ、据え置き型の電子レンジが破裂した。どきもを抜かれて振り返ると突貫された電子レンジは貫通し、巨大な穴の向こう側の金属の壁になにやら筒状の金属がめり込んでいる。大口径弾だった。


「何度一撃必殺の悪魔ワンストライカーデビルって呼ぶなって言ったら解るの? 次言ったらそのニワトリ程度の脳内HDDを吹き飛ばすから」

「いや今撃ったろ!? 確実に撃ったろ! この超至近距離で!」

「うっさいわね。大きな声出さないでよ」


 しっしと虫でも払うように手先を上下に振る彼女のもう片方の手には狙撃銃。銃口から硝煙が立ち上ってるのをみても和馬に対してそれをぶっ放したのは明白だ。


「というかそもそもその名称は言ってない、確かにそれっぽいことは言ったが正式名称は言ってない」

「暗示させるようなワードを発するだけでも死刑だから」

「……悪魔」

「あ?」

「すいませんすいません……ってそもそも狙撃ライフルで仲間を、それもこの距離で撃つやつがいるかよ」

「そこのどこぞの輩のせいで照準器が無くなっちゃったから、ちゃんと外れちゃったじゃない」


 スナイパーライフルを地面に降ろしながら彼女は恨めしそうに時雨を睨む。なるほど対面早々不機嫌なのはそれが原因か。

 

「もう解ったと思うが、そこの柊唯奈は、目黒区のシトラシア付近でお前を狙撃してた張本人だ」

「照準器というのは……」

「なんでも、光学照準器にかなりレアなカスタムをしてたみたいだぜ。それを破壊されたもんだから悪魔、じゃなくて柊はご立腹みてぇだな」

「破壊……立華妹の狙撃の時か」


 U.I.F.のブラックホークを撃墜した唯奈をいち早く捕捉した紫苑。彼女の的確過ぎる狙撃によって唯奈の狙撃ポイントは抹消させられた。

ㅤ指向性マイクロ特殊弾によって。おそらくその際にスコープが逝ったのだろう。

 

「スコープが壊れた原因は立華妹にある。俺が恨まれる理由はない」

「連帯責任でしょ」

「でしょでしょ」


 何故か便乗するネイ。


「ほぉ、これがうわさのシール・リンクってやつか」

「ネイを知ってるのか」

「当然よ、おまえさんを引き入れた理由の大半はそのAI嬢ちゃんだしな」


 そう言えば、棗と呼ばれた人間も唯奈も皆してネイのことをシール・リンクと呼んでいる。一体どういう意味なのだろうか。


「ま、目当てはあとお前さんのマグナムかね」

「アナライザーのことまで知ってるのか」

「勿論よ、レジスタンスの情報網は舐めないほうがいいぜ」

「……指向性マイクロ波を用いている兵器でしょ」


ㅤ興味のなさそうな面持ちのまま唯奈はライフルの整備をしながら補足してくる。


「機能は三つ。通常弾を使うパターン。それから、そのシール・リンクが特殊な解析電波を飛ばして、対象の分子配列を読み解くインターフィア機能。敵の動きを読んだり、あらゆる電子機器にハッキングを掛けられる。その応用を利かせた機能がサイバーダクトだったかしら? そして指向性マイクロ波を用いた、対象物の分子配列を分解させて消失させる機能」


 どれだけレジスタンスに情報が漏洩しているのか。実際にこの新型兵器が対レジスタンス戦で大々的に使用された事例はこれまでなかったはず。


「現代の日本の軍事力から鑑みれば、人間が個人で運搬・運用できる中で、最も単発破壊力の高い兵器ですからね。外に漏れることがないよう、アナライザーの開発データはAAレベル機密事項にされていたはずですが」

「で、そのアナライザーはどこにある。返してくれ」

「そういうわけのもいかねえんよ。ま、あっちをみなよ」


 彼が指差した先にはこの部屋に入るときに見かけた屈強な男の姿があった。なにやら資料に目を走らせている。右こめかみに巨大な傷跡が走り、陸上自衛隊一等陸尉であることを示す紋章が胸元についている。

 今のエリア・リミテッドにおいて自衛隊の階級はあまり意味を持たない。だがそれほどの階級のものがレジスタンスに加担していたという事実に驚愕する。


「な……っ!」


 いつの間にか彼の向かい側に腰掛けていた人物が視界に入り、時雨は更なる驚愕に見舞われる。

 乾き始めの血痕のようなどす黒い髪と同色の瞳。小さな丸いサングラス。そして彼女が蒸かしている電子タバコには強烈な既視性がある。


妃夢路ひむろ恋華れんか……!?」


 他人の空似、そんなものではない。普段から対面してきたその血色の特徴的な頭髪にサングラス、極めつけの電子タバコ。間違えようがない。彼女は紛れもなく防衛省の人間である。


「やあ烏川時雨。一日ぶり……いや、ここでは始めましてかな」

「どうしてTRINITY統括長のアンタがここに……」

「悪いが烏川時雨、今はごらんの通り忙しくてね。あとから皇棗が来たらそのときに説明があると思うよ」


 そう言って彼女は、目の前の男に何かしらの資料を差し出しては話し始める。あの様子では時雨のように拉致られて来たというわけではあるまい。

 

「まあ本人がああいってるから端的に言うと、妃夢路は主に情報局管轄、それから支援団体との流通を担当している非戦闘隊員だ。それから……」

「防衛省へのスパイ、ですね」


 納得の言ったようなネイの声。確かにそれが事実ならばアナライザーの情報が漏れていることも頷ける。

 妃夢路恋華、彼女は陸准尉である。TRINITYと呼ばれる、防衛省の武力掃討部隊を統括する人間であり、それと同時に科学兵器開発部顧問の補佐でもあるのだ。彼女ならば、アナライザーの機密情報アクセス権を有している。


「だだ防衛省のそんな高級の人間がスパイだなんて……」

「化学兵器開発部門顧問である佐伯・J・ロバートソンは、相当のインテリ根暗野郎です。補佐である妃夢路様も、我慢がならなかったのかもしれませんね」

「インテリネクラヤロウというのは何なのだ?」

「部屋の中に閉じこもり、類まれなる知能指数を駆使。インターネットを使って若い女性の部屋の監視プログラムにアクセス。生着替えを覗き見る裏社会の勝ち組ですよ」

「なんだかよく判らぬが、ヘンタイっぽいのだ」


 幼い少女にあらぬ知識を植え込もうとするんじゃない、自称ハイスペ人工知能。


「で、妃夢路と話してるあの熊体系のスキンヘッドじーさんが」

「リオンのとーさまなのだっ」

「……は?」


 思わず妃夢路の体面に腰掛け事務作業に没頭している自衛隊服の男を凝視する。真っ先に視線が止まったのはその頭部。どこを見渡しても無毛である。


「絶対そんな反応すると思ったわ。まあ誰だって、あんな筋肉ハゲダルマの娘だなんて思わないわよね。こんな愛く……鬱陶しい子供がね」

「今想定外の発言が」

「指摘するだけ無駄無駄。ぜってー認めないからそのツンデレ悪魔。21にもなって年甲斐もなく……」

「だから悪魔って呼ぶなって言ってんでしょ」


 鋭利な視線を向けられ、和馬は咳払いをして誤魔化そうとする。


「とにかくあのじいさんの名前は峨朗幸正。そのちっこいのの母親と結婚してるわけだが、その母親の所在はわからん」

「ちっこいのじゃなくてリオンだといってるではないか」

「あの、コーヒー三つ、お持ちしました」


 不意に誰かが後ろから声をかけてくる。振り返るとそこには小学生、高く見積もっても中学生程度にしか見えない少女がトレイを持って佇んでいる。

 銀色の髪に室内であるのに背負われたリュックサック。だが何より異彩を放っていたのは、小さな頭を覆い隠すガスマスク。


「どうぞ……」


ㅤ彼女はガスマスク越しにでも目を合わせたくないとばかりにおっかなびっくり近づいてくると、勢いよくトレイを差し出してくる。

ㅤきっと早く受け取ってくれという意思表明だったのだろうが、カーリングもかくやと言わんばかりの速度でトレイ上を滑り込んできたマグカップ。ふちで一瞬侵攻を阻まれ、そして中の液体が一斉に噴出してきた。

 反射的に回避した時雨であったが、ガスマスクの重量でバランスが取り辛かったのか、少女は零したばかりのコーヒーに足を滑らせ背中から横転する。

 途端に背中のリュックが開き中から大量の金属筒が転がりだしてきた。カンカンと音を立てて転がってきたそれを取り上げる。

ㅤ見慣れたそれにはセイフティピンが突き刺さっていた。見紛うことなきグレネードである。


「なんて物騒な物を」

「……痛いのです」

「だいじょうぶかクレア?」


 中身のグレネードが全て飛び出したせいで後頭部を打ち付けたのか、少女は頭を摩る。ガスマスクは曇っていて顔が見えず更に少女の異彩さが際立つ。

 そんな少女に気味の悪さを感じて距離を取ろうと立ち上がったときだった。不意に不安を掻き立てるようなアラーム音が響き渡る。


「……緊急出動ね」

「どうやら何の滞りもなく烏川の歓迎パーティをする、ってわけにもいかなそうだな」


 アラーム音に際して唯奈が狙撃ライフルを取り立ち上がる。何が起きているのか判らず問おうとすると同時、不意に部屋の中央に巨大なホログラムコンソールが出現する。そこにはやはりSOUND ONLYと詳記されている。


「緊急指令だ」

「防衛省の奇襲か?」


 凛音の父である峨朗幸正が問いかけるのに対し、応じているこの声がリーダーである皇棗だろう。


「いや、ノヴァだ。支援団体の物資輸送車両への襲撃が観測された」


 支援団体というのはレジスタンスに物的援助をしている団体のことだろうか。しかしノヴァの襲撃ということは、十中八九エリア・リミテッド内部におけることではない。

 アウターエリアにおける襲撃だ。つまりその支援団体とは、アウターエリア側からの支援ということになる。


「その支援団体って……海外からのか」

「そうだ。M&C社という、軍需運送会社からの支援になる」

「ロッキードマーティン的なもんだな。基本的には分け隔てなく志望する組織団体に対して、兵器を売りさばいてる団体だ。まあ、実際は商社と運輸を兼ね持った企業だな」

「それで? 詳細な状況は?」

「大田区の貿易港に上陸した後、ここに輸送車両で向かっていた道中、襲われたようだ。M&C社の車両は八台。アラクネが数十規模で追跡している、ということは解っている」


 アラクネと言えば鉄柱のように太く長い八本の足を備えたノヴァとして認識されている固体だ。

ㅤその形状が蜘蛛に酷似していたために蜘蛛を意味するアラクネという名称を付けられているわけだが、アラクネの攻撃特性は蜘蛛のそれとはまったくもって離反している。

 特徴は、最長2メートルにもわたる巨大な体躯と肩部装甲から突き出す機関銃のような形状のオブジェクト。

ㅤ弾丸ではなく直径数センチほどに凝固した金属粒子をそこから無数に発射する。単発の火力は人工機関銃のそれを凌駕するほどだ。

 危険度指数は比較的低い固体ではあるが、数十という数となると話は別。


「救援に向かう。おそらくもってあと数十分だろう」

「正確な位置情報は?」

「座標は情報局にすでに解析させている。君たちは直ちに航空部隊を編成し、現地に向かってくれ」


 コンソール上にマップ情報が投影される。今時雨たちがいると思われる地点から数キロ離れた地点を、いくつかの反応が動いている。おそらくはM&C社のコンボイだ。


「航空部隊? 防衛省の連中に観測されたらまずいんじゃねえのか?」

「極力奴らのレーダーに観測されるような事態は避けたいが……だが今回はそのようなことを気にしていられる事態でもない」

「何か深刻な事態でも?」


 不審そうに唯奈が眉根を寄せて見せる。その反応は当然の物だと言えよう。レジスタンスの外交関係がどこまで発展しているのかは解らない。

 軍事力をレジスタンスが獲得するためには、国外からの支援が不可欠であるのだ。それ故に、基本的に支援を受けられる環境を失うことは芳しくなく、支援団体が機体に陥っているというのならば救援に向かうのが普通である。

 だがしかし今の話を聞いたところによれば、M&C社とは各地を渡り歩く軍需運送会社であり、レジスタンスはその顧客の一つでしかないのだと推察できる。

 持ちつ持たれつの相対関係にある支援団体ならばまだしも、M&C社はあくまでも一方的な利潤関係でしかない。防衛省に俺たちの居場所を特定される危険を冒すほど、価値のある相手だとは考えにくい。

 またアウターエリアは防衛省の管轄外ではあるものの、イモーバブルゲート周囲に対する防衛省の索敵の目は鋭い。車両ならばともかく航空部隊など出動すれば、真っ先に観測されかねないわけだが。


「M&C社は軍需運送会社だが、レジスタンスに多大な支援を供給する組織の一つでもある。その供給が絶たれることは、今の俺たちにとって痛手に他ならない。また、今M&C社が運送している軍需は、今の俺たちにとって必要な物だ」

「核でも積んでんのか?」

「それに関しては全てが解決してから伝達する。時間がない、すぐに出動してくれ」


 その指示を耳にその場にいた者たち皆が立ち上がる。そんな彼らの手際よさを見て思わず息を呑んでいた。彼らは日常的にこうしてノヴァに相対しているというのか。


「君はどうする、烏川。ここで君が戦線に参加するのならば、俺は君が正式にレジスタンスに加盟したのだと判断する」


 皆が室内から出て行ったのを確認するように間を空けてから、彼は問いかけてきた。一瞬返事に窮する。この出動を通して彼は時雨に一つの選択を強いているのである。

 あくまでもその選択権を時雨に委ね、だが選択の時を今この瞬間に制限することで心中の意識を固めさせようとしていた。


「……俺が、内部から情報を探るためレジスタンスに接してることも気づいているんだろ」

「俺にとって、そんな推察など意味を成さない。エリア・リミテッドを牛耳る防衛省、その連中たちに正義の鉄槌を下すレジスタンスに、協力する意志が君にはあるのか。その回答だけを求めている。だがよく考えろ。本当に生存している人間たちに害厄を齎しているのは俺たちレジスタンスなのか。それとも」

「そんなこと、どうやって信用しろと?」

「……信用するかしないかは、あなたの勝手よ」


 視線だけ振り返らせる。部屋の入り口には真那が佇んでいた。彼女は目の前で足を止め手に持っているものを差し出してくる。


「……俺のことを全面的に信用すると?」

「違うな。今の君は信用には足らない。だが俺は、君に賭けている。君ならばエリア・リミテッドの現状を変えられると確信している。故に、全てを無に帰す危険性を天秤に賭けてでも、君にそれを返す」

「より一層、信用ならなくなったぞ」


 手を伸ばし真那の手のひらからそれを取り上げる。ずっしりとした、ひんやりとした感触。それをきつく握り締め腰のホルスターに収めた。


「言っておくが俺は防衛省の飼い犬でも、お前らの駒に成り下がるつもりもない。物事の善し悪しは自分で決める。実際にこの目で見て、身の落とし所を考えるさ」

「その疑り深さこそ、レジスタンスに必要な物だ」


 そこで通信は遮断された。ホログラムが消失し代わりにどたどたと喧しい音が廊下から響いてくる。出動を促す警告らしい。


「五分以内に出動するわ。あなたに戦う意志があるのなら、ついてきて」


 時雨をじっと見据えていた真那は目が合うと同時に踵を返し、入ってきたばかりの扉を抜けていく。留意することもなく消えた彼女の背中を追いかけた。

 レジスタンスの行動原理だとか彼らの言う防衛省の謀略だとか。それらは今行動に出る要因にすらなりえない。こうして出動の指示に従っているのは、ひとえに、通路を早足で先駆けていく少女の存在があるが故だ。

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