第8話
「俺たちに助力しろ」
彼は端的に言い切る。一瞬その言葉の意図を理解できず、それを認識し始めると同時、形容しがたい感情が喉元にせり上がってくる。嘔吐感にもにた激情だ。それは冷たい感情となって腹の底に沈殿していく。
「誰がレジスタンスなんかに手を貸すか」
「落ち着いて話を聞け。これは君にとっても有力な提案であるはずだ」
「ふざけるな。たとえどんな拷問を受けることになろうと、俺はレジスタンスの手に下るつもりはない」
「落ち着けと言っている」
反射的に口を噤む。左こめかみに冷たい感触が押し付けられていた。銃口である。
「……真那」
視線だけ流してこめかみにリボルバーの銃口を押し付けている少女の姿を見やる。
ㅤ隙のない佇まい。トリガーに駆けられた指先は少しも狂うことなく、引かれる時を今か今かと待ち望んでいる。無感情的な眼差しは時雨の顔をじっと見据え反らされることがない。
確かめるまでもなかった。彼女は真那である。そしてそれは決して時雨の知る真那の他人の空似などではない。見紛うことない時雨の知る真那であるのだ。
「何、考えてる……レジスタンスなんかに加担して」
「…………」
「お前はそんな人間じゃなかったはずだ。もっと公正で、それでいて――」
「……あなたに、私の何が解るというの?」
頭の中が白く解け落ちるようなそんな衝撃だった。恐怖にもにた戦慄が胸の深い場所で蠕動する。得体の知れない感情に嘔吐感まで芽生えてくる。
勿論、こういう反応をされることは予測していた。シトラシアで遭遇した時点で、彼女が時雨の存在を忘却していることなど、火を見るよりも明らかであったのだ。
ㅤそれでもこうして他人を見るような否、明確な敵愾心を向けられ時雨は胸の中が煮え返るように動顚していた。
「ふふっ、何を鳩が豆鉄砲を食らったような……いえ、豚がシェパードに遭遇したような顔をしているのですか」
わざわざ言い直すなと、言い返す気力すらわかない。
「だから言ったじゃないですか。過去の産物、今は敵なのだと」
まったくこいつ状況を楽しんでいるんじゃないか。狼狽する姿を見て絶対に楽しんでやがる。そんな考察が時雨の脳内を巡っては消える。
しかしいつの間に車両の扉が開けられていたのか。離脱のチャンスのように思えなくもないが、開かれた車両の外には武装した兵が十数名確認できる。少しでもおかしな真似をすれば即射殺ということだろう。
「埒が明かないので、時雨様ではなく私がお話を伺いましょう」
「冷静すぎるのも考え物だな、シール・リンク」
「人工知能に何を求めているのですか。それともあれですか、人間様の叙情的・変動的な感情を装って、取り乱し泣いて怖がる真似でもすればいいのですか。マニアックですね」
ネイが何を考えそのような軽率な発言をしたのかは解らないが、それでこの状況の空気が緩和されるわけでもない。
ㅤ今にも空気摩擦でも生じそうなほどに張りつめた状態の中、最初にその沈黙を破った人物は、依然として装甲に背中を付けたままの少女だった。
「アンタのこと、ちょっと調べさせてもらった」
「嫌ですねえ。コンタクトもなく身辺調査という名のストーカー行為ですか」
「烏川時雨――U.I.F.上層統括機関TRINITY・プロトタイプ001」
案の定ネイの冷やかしは完全にスルーされる。
「防衛省の掃討部門でもある団体U.I.F.の上層機関であるTRINITY。武力掃討部、開発局、執行部の三柱からなる抽象的機関の構成メンバーのうち、開発局を除いた二柱が『ノヴァ抗体生成実験』をその身に受けたサイボーグ。前者から立華薫・立華紫苑。開発局が山本一成、そして執行部に関しては詳細不明。そのサイボーグ連中のプロトタイプとなった人間が、アンタ――烏川時雨」
「…………」
そこまで知られているのかと、内心息を飲む。
「何ですか時雨様。私に隠れてこっそり婚活でもしていたのですか?」
「履歴書を作った記憶すらない」
ネイも同じことを考えたようで(着眼点は明らかに相違点だらけだが)、感心したようにその肩をすぼめて見せる。
ㅤしかしここまで自分という人間の本質に迫られるのは、身体の内側を覗き見られているようであまりいい気分ではない。
「防衛省には2053年一月に所属。当時年齢21歳。局員としては異例の年齢。契約までの流れは不明。それ以前の情報もナシ。2052年以前まで、日本国籍に烏川時雨という人間は存在していなかった。一体どこから湧いて出たんだか」
車両の外の少女はお手上げねとでも言わんばかりに手のひらをひらひらと振るって見せる。調べても時雨の国籍情報が見つからないのは当然だ。
「まあ、逆に、所属後のことに関しては無駄に資料が存在してた。探せば探すだけ。アンタの携わった制圧任務に関する資料を読破するだけでも、軽く発明の母になれるくらいの分量がね。時間無駄したわ」
そんな恨みがましい目で見ても時雨に非はない。
「ノヴァが世界全土を侵略したのち、日本政府はとあるプロジェクトの推進に努めた。『アナライト・プロジェクト』。ノヴァの肉体を構成する超光学微細金属粒子を体内に取り込むことによって、人体の超組織細胞複製を目論む頭のいかれた計画ね」
少女の言うように確かにその計画が2052年に発令された。ノヴァは燃焼以外の方法で肉体的損傷を受けた際、加速度的にその肉体の超回復を試みる。
ㅤ体の一部が破壊されても、大気中のノヴァ因子濃度が高いとその組織配列を組み替えることによって修復されるのである。
その超回復効果を防衛省は人体にも及ぼそうと画策した。つまり人体のノヴァ化である。
その研究自体は失敗に終わる。能動的にそれを体内に取り込もうと研究の過程で取り込もうと、肉体にノヴァ因子を組み込んでいることには変わりないのだ。
結果、被検体になった人間はその全てが崩壊現象を被って死去した。つまり発症したのである。
生存者はいないと記録されていたが、しかし……。時雨は脇目に同車両内に大人しく座っている凛音の姿を見やる。憶測が正しいのならば彼女は――。
「まあアナライト・プロジェクトは当然ご破算になったけど、その代わりに、新たな計画が始動した。それが、『ノヴァ抗体生成実験』」
「時雨様が施されたものですね」
「……捕虜側のアンタが補足してどうすんのよ」
「いえ、こうして情報提供すれば、司法取引が出来るのではないかと。……というのは名目上で、読者様に解りやすい解説もかねての発言で」
「と、に、か、く!」
あらぬことをしゃべり始めそうになっていたネイを見かねて、少女は語調を強めた。
「シール・リンクの言うように、烏川時雨が最初の被検体として受けたのが、その『ノヴァ抗体生成実験』だった。この実験の本質は、ノヴァウィルスの抗体に当たる物質を体内に取り込んで、抗体を作るという物。ま、ワクチンみたいなもんね。半永久的な効力の。被検体自体は20余名が志願したけど、その中で発症せず、生存できたのは一人だけだった……こんな所かしらね」
「読者様に親切な、懇切丁寧な解説ありがとうございます」
どうやらレジスタンスの情報網は想定していたよりもよっぽど莫大な物であるらしい。彼らはきっと局員である時雨よりも防衛省のことを熟知している。
しかし何を考えて自分たちの見識をこうして明かしたのか。どれだけ情報を有していようとも、軍事力や影響力、その他の多様な面で見ても、一つとしてレジスタンスが防衛省に匹敵出来るものなどないだろう。
これが時雨の裏切りの皮切りになることなどは決してありえない。
「その君の立場を前提としての、スカウトだ」
顔を見せぬ音声だけの男は話を原点回帰させる。つまりサイボーグのプロトタイプである時雨の身体が欲しいということか。
「捕虜に人権はないわけだな」
「君がそうやって拒むことは想定の内だ。だが言っただろう。これはあくまでも提案だ」
「都合のいい言葉遊びです」
ネイが鼻で笑う。
「いいか、俺達には、君の今後をどうするか決定する権限がある。この場で射殺するもよし、大衆に晒しあげ、レジスタンスの広報活動の礎になるもよし」
「どれだけ弾薬を撃ち込まれても、時雨様はプラナリアかつ軟体生物なので、肉体の修復が出来てしまいますよ」
「それはリジェネレート・ドラッグがあってのことだろう」
服の中にもうあの万能特効薬はないのだろう。当然かすめ取られている物とは思ったが。
「その特異な超回復性を買って、通常ならば肉体が耐えられないような苛烈な拷問をその肉体に施すこともできる」
「……それは出来れば御免こうむりたいね」
「つまり俺が言いたいことは、君の命運は俺たちの手にかかっているということだ」
流石はレジスタンスである。手段を択ばない連中だ。だが確かに今のことを聞かされて心が揺るがないわけではない。
時雨だって生身の人間であり肉体的損傷を受ければ同様に痛覚に苛まされる。致命傷ですら修復できるとは言っても、それはつまり死の痛みを体験しそれでもなお死にきれないということでもあるのだ。
ㅤ彼の言う苛烈な拷問とやらに関しては絶対にお目にかかりたくないものである。
それでもだ、時雨は拷問に屈するようなやわな意識で防衛省に所属しているのではない。
「だが……俺たちはそんなことはしない」
時雨の覚悟はそのレジスタンスの指令と思われる人間によって粉砕された。
「君に危害を加えるつもりはない」
「……拉致って拘禁しておいて良く言うな」
「君は敵派閥の人間だ。それ故に解放するわけにはいかないが……もし君が俺たちに加担しないという意志を貫いても、決してそのような悪逆非道な仕打ちを強いることはない。正当に捕虜として受け入れることになる」
胡散臭すぎる話だ。脇目に真那と車両の外の少女の反応を伺うがどちらも際立った反応を見せることはない。欺こうとしているのか否か判断しかねた。
「だが、俺達は君の力を欲している」
「サイボーグとしてのか」
「そうであり、そうではない。俺が君をスカウトする理由、それは、君ならば俺たちの在り方を理解してくれると確信しているからだ。君は聖を身を呈して救おうとした」
何を根拠にそんなことを言っているのか。それは分からなかったが、伊達や酔狂で言っているという様子でもない。本気でそう考えていると言わんばかりの声音であった。
しかし時雨が確信を抱く条件にはなりえない。何故エリア・リミテッドの安寧を崩そうとするレジスタンスに防衛省所属の時雨が協調しようと考えるのか。
「だがまず、君に真実を伝える必要があるな」
考え方が変わらないことは想定していたのか彼は抑揚なくそう述べた。
「真実……?」
「エリア・リミテッドの在り方に関してだ」
「ただの革命軍に過ぎないアンタらが、俺よりも何かを知っているとは思えないけどな」
「そうでもない。むしろ君は無知だ」
遠慮など知らずに彼は時雨の見栄を否定して見せた。いちいち癪に障る。
「まずは君の頭の中の凝り固まった誤った常識から覆そう。まず、エリア・リミテッドを混沌の渦中に陥れている物は、俺たちレジスタンスではない。防衛省だ」
まったく大きく出たものである。流石にそれを聞いてはいそうですかとは納得できない。
「だが事実だ」
「悪人はたいていそう言うんです。それは彼らが自分たちを善人だと思い込んでいるが故の自信。余計性質悪いですねえ」
「簡単に信じてもらえないことは想定済みだ。だが、現状世界全土を蝕んでいる金属生命体・ノヴァ。もしあれが防衛省の生み出した物だったとしたら……どうだ?」
「……何言ってる」
声の主の発言に一抹の胡散臭さを感じつつも訝しむ心を隠せない。少し間を置いてから真偽の詮索をした時雨に、声の主はどこか満足そうに鼻を鳴らす。
「その真偽を確かめるのは君次第だが……今俺が提示する事実はそれだけだ。どうするかは自分で決めろ。俺の言葉を信じ、まずは話を聞くつもりで賛同するか、凝り固まった価値観に固執して、防衛省の犬として捕虜となるか」
こめかみに押し付けられている冷たい感触。それが更に強く押し付けられる。誘導されていることは分かっている。しかし先ほどまでと同じような反抗姿勢を貫けない。
脇目に、時雨のことを冷ややかな目で見据えている真那の姿を伺った。今の真那は時雨の知っている真那張本人でありながら、まったく違う真那なのである。
ㅤきっと彼女は返答如何では躊躇なく引き金を引くことだろう。時雨のことなど、微塵も覚えていないからだ。
彼女と疎遠になってからの三年、その長いようで短いブランクの間に一体何があったというのだろうか。一体どうして真那はレジスタンスなどに所属しているというのか。
「ふふふ……男女間の色恋沙汰という物は、常に人間の思考力を著しく低下させますね」
色恋沙汰だとか、そう言う単純な思考ではない。時雨にとって、この真那と言う人間は、恋愛感情だとか、家族的な親近感だとか、そう言う次元を超越した関係の人間であったのだ。
ㅤその彼女がこのようなマリオネットかくやと言う無感情な性格になってしまっていることに、動揺を隠せないでいる。
「まあでも、いいんじゃないですか? レジスタンスの口車に乗せられて、内部から探ってみても……時雨様の気になることを」
確かにこれはレジスタンスについて探るチャンスではないのか。構成員としての立場を装うことが出来れば、内部からレジスタンスの諜報を行うことができる。それに何より真那に一体何があったのかを知りたい。
選択肢など最初から一つしかなかった。
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