第7話

「さっさと目覚めやがってください、屠殺場という現実に直面することもなく平和ボケしている養豚場の家畜野郎時雨様」


 視界が開けると同時とんでもない罵声を浴びせられる。時雨はそれに応じることもなく、かすんだ目とまともに動かない脳で自分の置かれている状況を把握することにした。

 どうやら狭苦しい空間にひとり取り残されているようである。三、四畳ほどしかない空間には対面するように両側に椅子が設置され、その一つに座らせられている。

 床も天井も窓の覆われた内壁も。部屋というよりは車両の中か何かか。実際にガタガタと揺すぶられていることから考えても、護送車両か何かに隔離されているようである。かなりの速度で走行しているようで脱出はかなり危険そうだ。


「それ以前に、縛られてるしな」


ㅤ体のほとんどが言うことを聞かず不思議に思って見下ろしてみた自分の体。椅子に荒縄で縛り付けられていた。


「なんて古典的な拘禁だ」

「最近は囚人の拘束を電子ロックや警備アンドロイドを用いてする傾向が強くなってはいますが、実際荒縄は効果的ですし。それに、荒縄って非常にマニアックですしね。そういうプレイが好きな人もいると思いますよ。亀甲縛りとか……ああ、時雨様は子豚さんなので、どちらかといえばチャーシュー縛りのほうが好みですか?」

「お前はどうしてそんなに冷静なんだ」


 束縛され明らかに怪しい車両に取り残されているという状況。何が起きているのかはなんとなく察しがつく。

ㅤレジスタンスに捕縛され抵抗することも出来ず間抜けに気絶している間に、彼らの車両に拘留されたのだろう。捕虜としてだ。

 その目的は熟考するまでもなく、防衛省の飼い犬である時雨からレッドシェルターの情報を引き出すことか。


「えぇえぇとても滑稽でした。形容するならば、まるで市場に売られに行く家畜のように……ドナドナドーナードーナー」

「茶化してないでここから脱出する術を考えてくれ」


 みたところ堅牢な扉以外に脱出できる場所はない。この車両は走行中だ。また走行音はこの車両の物だけではない。後続車両があると考えていいいだろう。

ㅤ迂闊にも扉から飛び出そうものならば、後続の車両に撥ね飛ばされ死ぬのが落ちである。

 であるならばこの車両をジャックする方が現実的か。しかし時雨の拘禁されているこの場所と運転席との間には、分厚い金属の敷居が敷かれている。

ㅤまずはこの縄を切ることが先決だろうが、装備していた刃物は全て抜き取られていた。ご丁寧にも靴に仕込んでいた刃物まで無くなっている。


「アナライザーもないか。当然といえば当然だが」

「あれを革命軍が見過ごすことはまずありえないでしょうからね。まあ、どうせ扱えないでしょうけど」

「防衛省との連絡は?」

「残念ですが、この車両内部では電波障害を及ぼすECMが発信されています。まあ電波暗室みたいなもんです」

「それはつまり応援要請も望めない、ということか」


 絶体絶命。それ以外に適した言葉が見つからない。

 

「まあしかし、これは完全に時雨様の落ち度ですね。あの真那と言う少女、最初に解放した人質の中にいなかった時点で、革命軍の人間であると考えて然るべきでした」

「…………」

「何か留意する点でもあったんですかね?」


 訝しげに発せられた言葉に返す言葉が見つからない。

ㅤああそうだ、普通ならば彼女が民間人ではなく敵陣営の人間であると考えるべきの状況であった。時雨は前提的にその可能性を排除していたのである。それはその少女が真那だったから。

 彼女とあの場所で思いがけない再会をしたことで、猜疑よりも先に驚愕が出てしまった。結果、真那が革命軍の人間であるという可能性を完全に頭の中から排除してしまっていたのである。


「ははーん、わかりましたよ時雨様。あの真那様という少女。思わず一目惚れしてしまったのですね。恋に狂って、思考力が前頭葉の退化した老人並みに衰退してしまったのですね。はぁまったくこれだから野蛮な男というものは」

「見当違いもいいところだ」

「ではあれですか。昔のオンナに顔が似ていたとか」

 

 図星を突かれ否定できなかった。表現の仕方に多少の御幣があるにしても昔の知人であるということに間違いはない。


「まったく見苦しい男ですね。どうせ相手は敵なんですよ。それに、そんな過去の産物に囚われてるから、器もスケールも、ちなみにその自主規制な物も貧相なんですよ……まあ一生使う機会なんてないでしょうけど」


 何故こんな下世話な会話をしているのか。現在進行形で革命軍の物と思われる輸送車両に監禁されているというのに。

ㅤ今この車両が向かっている先は確実に革命軍の本拠点だろう。そこまで到達すればどのような非人道的な拷問を受けることになるのだろうか。

 防衛省に一矢報いるためならば自爆テロすら厭わないような連中なのだ。敵の肉体など、細切れにすることすら躊躇しない可能性もある。

ㅤ正当な捕虜の扱いを時雨に適用してくれるとは希望的観測にすがっても到底思えない。

 

「もう諦めたほうがいいですよ、時雨様。アナライザーが失われた今、私たちは何も出来ない籠の中の小鳥です……いえ、屠殺場へと連れて行かれる道中の車両の中の家畜です。主に時雨様が」

「わざわざ言い直すな」


 だが彼女の言葉は正論だ。ネイは電子端末に侵入してハッキングすることが出来る。車両の扉だって電子ロックを解除することなどいとも容易い。

ㅤだがそのためにはアナライザーが必要なのである。デバイス干渉システムを用いることが出来なければ時雨もネイも何も出来ない無力な存在だ。


「しかし……この革命軍に関して、どう思う?」

「少なくとも、我々が予測していたよりは確実に軍事力の秀でた組織だと言えますね。武装していることは斥候の報告から解っていたことでしたが、しかし、まさか10式戦車やブラックホークまで持ち出してくるとは……予想外です」


 それにシトラシアを倒壊させた爆薬に関してもだ。あれだけ巨大な施設を倒壊させるとなると、かなりの爆薬が必要となることだろう。

 軍需工場がすべて統制化されているエリア・リミテッドでは、当然爆薬の類は生産できない。

ㅤつまり、ネイの指摘した10式戦車やブラックホーク、そして大量の爆薬なども、全て海外から仕入れたものということになる。


「海外のバックアップを受けているとなると、おそらく規模はそこそこの物だと考えられますね。こうして自爆テロを起こした彼ら以外にも構成員がいることを考えても、もしかすれば、数百人規模の革命軍の可能性もあります」

「消耗品みたいに仲間を死なせて……野蛮な連中だ」

「そのことですが、少し疑問も残りますね」


 ネイは思案顔で腕を組む。拘束されたこの状態ではほかに何かできるわけでもないため、時雨は彼女の疑問とやらの詳細を仰ぐことにした。


「何がだ?」

「自爆テロに関してですよ。それほどの規模の革命軍ということは、かなりの準備を整えてきたということになります。戦車や戦闘ヘリまで用意しているとなると、自爆テロなどという一発屋のような、軽率な見切り発車には出ないと思われますが」

「どうしてそう思う?」

「一方的に対象を陥落させるテロリズムならばともかく、自爆とは、それすなわち自分たちも多大な損失を被ることになります。そもそも自爆テロは、犯人側も死亡することを前提としたテロリズムであり、長期的な改革運動を目論むもののとるテロであるとは考えにくいのです」


 確かに彼女の疑問も理解できる。革命軍は戦車などまで手に入れていたのだから。

ㅤそれは明確な軍事力の保有を意味しており、爆発のみで自分たちの損失を前提としたテロに及ばずとも明確な損失を防衛省に与えることは可能なのである。

 自爆テロを起こす理由は、正攻法では防衛省の絶対的な牙城に傷すらつけられないからだ。

ㅤ正攻法が通用しないのならばと、爆発という広範囲な暴動を試み無作為な被害を齎す。それが一般的な蜂起軍の手口だと言える。

 だがもし傷をつける手段を有しているのならば、的確な攻撃を試みることで自爆テロなどよりも確実なダメージを防衛省に与えることが出来る。

ㅤこの革命軍はその手段を有しているのだ。戦車やブラックホークと言った物質的な軍事力によって。


「シトラシアにて最上階から潜入したU.I.F.とは別に、最下層からも放棄軍を挟撃する編隊がありましたね。もしかすればそれが……ここから考察できること。もしかすれば、暴動の主催と時雨豚をドナドナっているこの革命軍、同一の組織では無いやもしれませんね」


 その可能性はありえそうだ。自爆テロという近視眼的な効果しか見据えていない暴挙に及んだ革命軍はおそらく民間の蜂起。

ㅤそして戦車やヘリを持ち出し時雨を拉致した革命軍はかなりの規模だと想定できる、本当の意味での革命軍――――

 

「レジスタンス、か」

「……かも、しれませんね」


 ネイは少し間を置いて、そう述べた。

 これほどの軍事力をレッドシェルター外部の人間が有しているという事態はかなり稀だ。この革命軍が時雨達の炙り出そうとしていたレジスタンスである可能性は非常に濃厚である。


「なぁなぁ、さっきから何をぶつぶついっているのだ?」


 となれば、今時雨を連行している側の革命軍は、やはりただ破壊活動で強引なる革命を試みるような短絡思考ではないという事実確認が出来る。

 時雨を捕虜に取りどのような行動に出るつもりなのか。尋問し防衛省の情報を可能な限り捻出することか。あるいは時雨を人質にして交換条件として何か提示するつもりなのか。


「なぁなぁ、だから何をいってるのだ?」


 しかし防衛省が時雨の救出のために何かを犠牲にするとも思えない。

ㅤ時雨は確かに希少なサイボーグではあるがあくまでもプロトタイプである。

ㅤ薫や紫苑と言ったTRINITYの人間よりもさまざまな点で劣っているし、人体改造は替えも効く。志願する人間がいれば時雨の代わりになることもできるのだ。

 きっと時雨は防衛省にも見捨てられ、レジスタンスにも不要とされ、日本海にコンクリ詰めにされて沈められ――――、


「なんで、無視するのだぁっ!」

「ぐふぉぅっ!?」


 鳩尾に形容しがたい鈍痛が走りぬける。昼間食べた柑橘類の皮の味がする携帯非常食レーションのかさついた触感が一瞬舌を刺激し、全部ぶちまけるわけにもいかず飲み下した。


「ぷんぷんなのだ」

「なんだ、こいつ……」

「む、やっと気づいたのか。リオンはもうかれこれ数分くらい前からずっとおぬしのことを呼んでいたのだ」


 たまらず腹部を押さえこもうとして、だが荒縄のせいでそれすら出来ずに身悶える時雨。見上げた目の前には少女。たった今鳩尾に遠慮なぞ知らぬと言わんばかりのエルボーを叩き込んだはずの少女だ。

 彼女は小首を傾げて時雨の顔を覗き込んできている。憤怒のあまりに殴り込んできたのかと思ったが。しかして先ほど鳩尾に狂気の肘を叩きこんだときのこの少女の顔たるや、嬉々したものにあったように思えたが。

 薄く朱のさした柔らかそうな長髪は地毛だろうか。立華紫苑のようなどきつく染髪したような色合いではないものの、その色はひどく非現実的だ。

 だが何より、リオンと名乗ったその少女の頭に乗っかった二つの大きな耳に目を釘付けにされる。明らかに人間の耳ではない。それは時雨の見識を頼りに表現するとすれば、オオカミのものに酷似していた。

 絶滅危惧種もかくやと言わんばかりの減少傾向にある、いわゆるコスプレと言うものか。


「どうしたのだ。リオンの顔に何かついているのか?」

「時雨様は家畜の分際でありながら、凛音様の愛らしい御耳に興奮を隠せずにいるのです。豚は犬に追い掛け回される立場にあるというのに……あ、羊でしたかね。まあ関係ありません。身の程を知りなさい時雨豚野郎様」

「ブタさんなのか?」


 どうやら彼女にはネイの声が聞こえているようで、不思議そうに時雨の顔を覗き込んでくる。

ㅤ穢れなど知らぬような純真無垢を極めたような大きな双眸。特徴的な、非人間的な赤い瞳に魅入られ一瞬硬直しつつも、無理やり硬直状態から抜け出す。

ㅤそうして思考を可能な限り素早く回転させて状況把握に努める。

 この車両は間違いなくレジスタンス、もしくはそれと同じ目的・思想を掲げる反政府軍の輸送車両だ。

ㅤ連中に拉致された時雨はこの車両で何処かに連行されている最中──この認識に誤りはあるまい。

 であれば、目の前のこの幼いという形容詞以外が思い浮かばぬ見た目年齢層の少女もまた、革命軍の人間ということになる。

 そんな考察は 彼女の伸ばされた指先が解いた。時雨の鼻先をぐぃっと押し上げることによって。


「あんまりブタさんっぽくないな」

「申し遅れておりました。時雨様の肉体は家畜の物ではありません。あくまでも人間の物なのです。シェパードに襲われ死に絶えたみじめな豚の魂が、成仏しきれず、人間様の肉体に宿って生まれたのです。生まれ変わったら、自身を死に追いやった憎き犬のケモノ耳を、今度は全力でモッフモフにしてやんよ! という未練を抱いて」

「生まれ変わりなのか? アンビリバボーなのだっ」


 凛音は驚嘆したようにその大きな目を見開いた。どうやら真に受けたようである。どれだけ猜疑という概念を知らぬのか。いやただの馬鹿か。


「しかし困ったのだ……未練があるということは、成仏できないのだろ」

「はい、犬の耳を全力でモッフモフすることで成仏できます」

「成仏させてあげたいのだが、リオンの耳は犬ではなくオオカミの耳なのだ……」


 真剣に悩むところではない気がするが。


「イヌ科なので問題ありません。あーしかし、荒縄で拘束されていますから無理ですね。あーあー、緊縛されていては凛音様のケモノ耳を存分に、全力でモッフモフにすることが出来ません。あー、どうしましょう、どうしましょう、困りましたね」


 ネイはあからさますぎる演技で困ったような声を上げた。ようやくして彼女が何を考えてこの凛音という少女と戯れていたかを理解する。どうやらこの流れで時雨の荒縄を解かせようという魂胆なのだろう。

ㅤこの少女がどれだけ無垢なる精神の持ち主だとしても、流石にそのような迂闊な行動に出ることはあるまい。

ㅤ警戒心丸出しな目で睨み据える時雨を、自分にとって無害な存在であると認識することなどまずありえないからだ。


「それは迂闊だったのだ! 凛音はどうすればよいのだ?」

「この最悪の状況を唯一打破しうる方法があります……それは、凛音様が荒縄を解くという選択肢です」


 もう少しまともな誘導の手段はなかったのか。


「て、天才的な発想なのだ……」


 本当に革命軍の人間なのかと疑いたくなってくる反応である。


「待つのだシグレ、すぐに解いてあげるのだ」


 彼女はネイの明らかに怪しい誘導を少しも疑うことなく、時雨を拘束している縄に手を掛けた。

 本当に拘束を解く気なのか。そもそもこの凛音という少女は一体誰なのか。見た目の年齢は精々十四と言ったところだろう。そんな少女がレジスタンスの人間であるとは考えにくいが……。

 レジスタンスの人間だとして時雨の拘束を解くメリットがどこにある。あるはずがない。

ㅤということは彼女もこの輸送車両に囚われているだけの被害者なのか。だがそれにしては彼女が拘束されていない理由が解らない。そもそも凛音は先ほど現れるまでどこに潜んでいたのか。

 呑気に鼻歌を歌いながら時雨の荒縄を解いている所を見るとどちらの線も薄れるが。しかも超絶音痴である。


「全部とれたのだ、って、今度はリオンがぐるぐるなのだ」


 何が楽しいのか自身もその場で回転しながら時雨の縄を解いていたため、拘束が解かれるのに反比例するように、凛音が簀巻き状態に陥いる。

 この行動を見ていれば、彼女がレジスタンスの人間であるとは到底考えられない。とはいえ拘束もされずにこの車両の内部に放置されていたとも考えにくい。

 彼女が革命軍の人間であるのならば、拘束が解かれた今すぐにでも彼女を拘束すべきではある。しかしもし少女がただの民間人であったのならば、手荒な仕打ちは極力さけるべきだ。

 なりより一番理解に苦しむのは、彼女の頭に装着されている大きな耳である。素人目に見ても、その精巧さには目を見張るものがあった。

ㅤ縄をほどこうとやっきになってはさらに状況を悪化させ、その精神状態を表わすように大きな耳はピンとたっている。


「なんですか時雨様、じっと見つめて。あれですか。やっぱり犬の耳を全力で完膚なきまでにモッフモフにしたいのですね。解ります、魅力的ですからね」


 そんな彼女の謂れもない言いがかりは聞き流し、叫んで暴れている少女の傍に歩み寄る。荒縄を解いてもらった義理もある。放置していてはさらに悪化しそうだったためその縄をほどいた。

 散々暴れまわったためか疲弊したようにその耳を垂れさせている凛音は、立ち上がった時雨を見上げては不思議そうに小首を傾げた。大きな耳が震える。あたかも生きているかのように。


「……取れないな」

「い、いたいのだっ、何をするのだ!」


 反射的にそれを指で掴んで引き剥がそうとするが、一向に外れる様子はない。あろうことか少女はあからさまに痛そうによがる。

 時雨から咄嗟に離れて大きなフードで耳を隠し恨めしそうに睨み付けてくる。その姿を見て嫌な汗が背筋を伝うのを感じていた。


「痛いだと? 今の時代、装飾品は人間の痛覚にすら干渉するのか」

「馬鹿ですか。どう見ても本物でしょう」

「……あの耳が?」


 まさかと思いつつも再度凛音の耳を凝視する。小刻みにぴくぴくと震えさせ僅かに毛が逆立っている。犬歯をむき出しどこか警戒するような目で時雨のことを伺っていた。

 反応からして確かにあの耳は彼女の肉体に繋がっていると考えるのが妥当か。もしそうであるのならば彼女の正体に一つの仮説を抱かずにはいられない。


「まさか……感染者か?」


 感染者。その言葉を耳にして少女はフード越しに大きな耳を一瞬震わせる。時雨の出方を伺うようにじっと注意深い目で見据える。肯定することも否定することもしない。


「ネイ、どう思う?」

「感染者ではありません。感染者は確かに肉体的な変質作用を受けますが、しかしそれはあくまでも肉体構成要素の決壊が主です。もともと存在しない組織細胞が顕れるという現象は聞いたことがありませんね」


 感染、それすなわち世界中を最も震撼させた疫病的な物である。

 三年前の2052年にノヴァと呼ばれる金属粒子結合体が地球に侵略を開始したわけだが、その生命体が海外諸国を壊滅にまで追い込んだのではない。

 ノヴァは基本的に人工的な火器に酷似した遠距離射撃兵器を用い人間に襲いかかるが、それはあくまでも金属粒子の集合体である。

ㅤそれ故に弱点は無数に存在する。たとえば劣化ウラン弾などを大量に用意し一斉射すればノヴァの侵略を退けることは可能だろう。

 未知なる金属生命体とは言っても、海外諸国の軍事力は当時日本の保有していた軍事力に劣るものではなかったのだから、いくらでも対応の策はあった。

 それだのに諸国が壊滅の危機に瀕しているのは、ノヴァの本質が微細な金属粒子であるからだ。大気中に充満し世界全土に行きわたった粒子――ノヴァ因子ウィルスとでも言ったところか――を完全に抹消しきる手段などは存在しなかった。

 それをなそうというのならば人類滅亡を伴う危険覚悟で世界中に核でも落とすしかない。

ㅤそれは事実上不可能であるわけで慢性的なノヴァ因子の蔓延の手が各諸国に忍び寄ったわけだ。

 物質化したノヴァとは違ってノヴァ因子はナノサイズの金属粒子である。それ故に大気感染し肉体内に侵入する。

ㅤノヴァ因子を一定以上体内に取り込んだ人間は、徐々に体細胞をノヴァ因子に捕食され細胞の結合が乖離し消失していく。

 感染し『発症』した者は。少しずつ、だが着実に肉体が崩壊していくのだ。


 時雨も感染した人間が指先から消えていく様を実際に見たことがあった。

 エリア・リミテッドはイモーバブルゲートの高周波レーザーウォールによって、ノヴァ因子の侵入を妨害できている。

ㅤそれ故に綻びのない安寧の環境で過不足なく生活できているわけであるが、もしエリア・リミテッドの外に出ることでもあれば数時間としないうちに感染することだろう。


「確かに、崩壊現象が起きている様子はないな」

「逆に、凛音様には本来ない肉体構造が生まれている……この現象に、見覚えはありませんか?」

「……解らないな」

実験体アナライトですよ」


 ネイの提示した可能性によって、時雨はようやくして自分の頭の中で合点が行く感覚を得た。凛音が実験体アナライトであるのならば、この耳が生えている理由もつく。

 しかし、そこには最大の疑問点が付きまとう。


「だが実験体アナライトは確か――――」

「レジスタンスの護送用車両に拘禁されているって言うのに、随分と気楽なもんね」


 時雨の考察は妨げられた。耳にしたことのない女性的な滑らかな声によって。

 目の前の凛音が発した声ではない。声は後ろから聞こえて来た。内壁の両側面に設置された椅子に腰かける時雨の後ろから。

 はっとして振り返ると、外側から遮光カバーで覆われていたはずの格子窓から薄暗い光が差し込んできていた。月明かりではない。どうやらどこぞの通路の内部にいるようで、その天井に陳列した蛍光灯の放つオレンジ色の人工光だ。

 いつの間にか車両は移動を止めていたようで、格子窓越しに誰かが装甲に寄り掛かっているのが見える。


「……誰だ」

「答える義理はないわね。ま、レジスタンスの人間だとだけは教えておいてあげる」


 背中を寄りかからせている少女はこちらを一瞥することすらせずに肩を竦めて見せた。

ㅤくせっけのある長髪。特徴的な戦闘服。見た目の年齢は20か21と言ったところか。僅かにうかがえる横顔はあまり表情の起伏の感じられない物で。

 反射的に車窓を叩き割って格子越しに彼女を拘束するという行動選択肢が脳内に展開される。だが見る限りこのガラスは防弾ガラスだ。素手で叩き割るのは少々骨が折れるだろう。


「一応言っとくけど、そこから脱出しようなんて考えない方がいいわよ」


 思考を読んだように少女は釘を刺してくる。

 腕を組む彼女は相も変わらず時雨に背を向けたままだが、無防備というわけでもない。

ㅤうかがえる切れ長の瞳には凍てつくほどの沈着さが感じられ、時雨は直視されていないのに頭の中を覗きこまれているような感覚に陥る。油断も隙も感じさせない佇まい。


「アンタは今、籠の中の鳥」

「違いますよ見知らぬナイスバデー様。家畜運搬車内のブタです」

「アンタの言葉を借りれば、袋の鼠状態ね」

「それも違います。まな板に連行されるまでの袋の中のニワトリ状態です」


 無駄に少女の揚げ足を取るネイ。自分たちの状況が極めて深刻な物であることを本当にこのAIは理解しているのか。逆に楽しんでいるようにまで感じられるが。


「皮肉な物ね。私たちを捕らえようとしていたアンタが、今は私たちに拉致られて捕虜になろうとしている」

「正当な捕虜の待遇を期待しています。あ、時雨様はがち目なマゾフィストですので、時雨様にとっての正当な扱われ方とは拷問という名の嗜虐プレイのことを指します」

「その減らず口をどうにかしてくれない? シール・リンク」


 そこでようやく少女は視線を振り向かせる。そうして蛇睨みもかくやと言う強烈な視線をネイへと向けた。

 どうやら彼女の声が聞こえていなかったわけではないようだ。流石のネイも多少は怯んだようで、その口を噤む。

ㅤそもそもシール・リンクとは何か。


「……滑稽だと思っているんだろうな」

「別に。私たちは最初から互いに排斥し合う立場で生きてきた。その環境の中で状況が一歩動いたに過ぎないし、私たちは運が良くてアンタは不運だった……それだけのこと」


 彼女は鼻で笑う。この少女は自分自身で発言していたようにレジスタンスの構成員で間違いはないだろう。であるならばこの状況が動く可能性も大いに考えられる。

 車両が止まっていることを鑑みてもレジスタンスの本拠地についたのだろうか。であるならば多少強引な策を取ってでも、抵抗できる体制を整えなければいけない。

 そのために最も有効な手段――時雨は、未だに自分の耳の付け根を触っては異常がないことを確認し続けている少女を見やる。


「一応言っておくけど、そこのモフ――、一号を人質に取ろうだなんて考えているなら、無駄な努力だから」


 今一瞬何かを言いよどんだ気がしたが……いや今はそんなことを考えている時でもない。一号というのは凛音のことで間違いがないだろう。


「その心は?」

「もしその一号が私たちの弱点なら、わざわざアンタを隔離している車両に搭乗させたりなんてしない」


 それもそうである。


「それなら、どうして中に入れた」

「アンタを監視する役目だからに決まってんでしょ」

「はっはっは、冗談がきついです。このような愛くるしいケモノ耳の少女様が監視など出来るはずもないではありませんか」

「ま、そう言う反応するわね、普通……一号、やって」


 唯奈の指示。その指示の意図を認識するまで一瞬の時間を要する。その一瞬の時間すら必要としない人物が車両内部には潜んでいた。

 

「が――――ッ!」


 気が付けば時雨は車両の床に組み伏せられていた。両の手首を拘束され、力の限りにその拘束を振りほどこうとしてもびくともしない。

 自由の効かない体に鞭打って首だけ振り向かせる。視界には、時雨の上に凛音が覆いかぶさっているという予測不可な光景が浮かんでいた。


「これで良いのか?」

「上出来。もう降りていいわよ」


 車両の外の少女に確認を取った凛音は素直に時雨の上から立ち退いた。

 時雨はしばし何が起きたのか理解できずにいたが、だが一連の行動が凛音を人質に取っても無意味である、という少女の発言の立証であるという結論に行き着く。

 痛む手首をさすりながら立ち上がりたった今自身を組み伏せていた少女に視線を向けた。


「大丈夫か? おぬし」

 

 確信する。少なくとも凛音はただの生身の人間ではない。それを示すように、その臀部からは驚愕的な物が伸びていた。

ㅤ先端に鋭利な刃物が接続された尾。ぶぶぶと空気を小刻みに震えさせるような超振動を発するその尾は実体ではない。あたかも黒金属の粒子が群集と化し形を為しているような。

ㅤ心なしか彼女の元々赤い瞳が更に血のようなどす赤い色に滲んでいる気がする。

ㅤ時雨の思考力では当然名前をつけられない状況であったが、間違いなく言えることは先程まで凛音の臀部にはそのようなものはなかったという事だ。


「……それで、何がしたいんだアンタらは」

「さぁ? その一号が入りたそうにしていたから入れただけ」


 そんな杜撰な監禁体制でいいのだろうか。実際組み伏せられたわけであるが。本当の意味で時雨を監禁するのならば、それこそ床に縛り付けるくらいの環境にて護送するべきではないのだろうか。


「目が覚めたようだな」


 突然眼前にホログラム液晶が点灯した。前面の壁全体を覆い隠すようなホログラム。そこにはSOUND ONLYの表記。反射的に身構えつつ時雨はアナライザーを奪われていたことを思い出す。

 

「……誰だ」

「名乗るまでもないだろう。君は自分がどこにいるのかを正常に判断できている。つまり、そういうことだ」


 重低音だが、そこまで年老いている印象はない。声の質からして、この声の主の年齢はおおよそ二十代後半だと推測できる。


「お前も……レジスタンスか」

「今の君に語る理由はない。U.I.F.上層統括機関TRINITY・プロトタイプ001・烏川時雨」

「俺の名前を、」

「この状況において、それは些末な問題だ。君はまず、自分の置かれている状況を正確に認識した方がいい……指摘するまでもなく、認識は出来ているようだがな」


 彼の声しか聞こえないわけだが、どうにも彼が時雨のいるこの車両内部を隅々まで監視しているような気がしてならない。

 先ほどの機内でのように後ろを取られぬようにと車両の内壁に背中を押し付ける。今はあどけない無垢な表情で不思議そうに時雨を俯瞰している凛音すら、油断はできない。

 彼らの目的が不明瞭である以上、いかなる事態にも対応できなければいけないのだ。


「目的は何だ」

「提案がある」


 通信の向こう側の男は改まったように一拍を置く。一瞬の沈黙。時雨は僅かに場の空気が変容するのを肌で感じていた。

 

「俺たちに助力しろ」

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