第6話

「――――目を醒まして」


 押し開けられた瞼。それによって視界に映り込む様々な視覚情報。

ㅤ脳震盪によってインターフィアは強制解除されていたようで、視界に映り込む光景は肉眼では酷く薄暗い。先ほどの爆発によって蛍光灯の類がすべて破壊されたが故だろう。

 時雨は無意識的に自分の手のひらを掲げ見やる。他でもない時雨自身の手のひらである。どうやら死に損なったようだ。

 軋む身体を起こし未だ明瞭ではない思考のまま周囲を見渡す。

 確かに致命傷を負っていたはずだ。しかしリジェネレート・ドラッグを投与することが出来ずに気絶してしまった。

ㅤだのに全身どこも骨折している様子はない。瓦礫が突き刺さった背中の痛みもまるでない。


「背中に混入していた破片は全て摘出したわ」


 後ろから投げかけられた声に時雨は一瞬郷愁のようなものが湧き出してくるのを感じた。同時に激しい焦燥感。

 数秒脳内で考察が繰り広げられ、やがてとある可能性を導き出した。まさかそんなことはありえないと鼓動が徐々に加速していくのを肌で感じながら振り返る。


「真那……?」

 

 色素の薄い唇、闇の深奥であるかのような紫がかった長髪。それよりもさらに暗く、それでいて生気に満ち溢れた双眸。

 間違いない真那だ。端正な顔立ちには、感情の起伏が乏しそうな表情が張り付いている。怪訝な色をその顔に浮かべていた。

 

「どうして私の名前を知っているの?」


 そして二度目の驚愕。狼狽しうまく言葉が導き出せない。


「解らないのか?」

「……私の記憶している限り、私とあなたは初対面のはずだけれど」


 真那はやはり不審げな表情で時雨のことを見据えてくる。冗談を言っているわけではない。

ㅤそれでも時雨は確信していた。目の前のこの少女が自身の知っている真那であることに間違いはないと。

 暗闇で顔がよく見えないため単なる勘違いという可能性はある。だが直観的にそうではないと理解していた。


「それとも、どこかで会ったことがあったかしら」


 真那に関しては時雨の確信など不信感の種にしかならぬわけで、赤の他人でも見るように明らかなる猜疑の目を時雨に向ける。

 不審者でも見るような目。時雨にとって、真那にそんな目を向けられることは絶句以外の何物でもない。


「俺は烏川時雨だ」

「その名前は知っているわ。さっき、あなたのAIに教えられたから」


 本当に解らないのだ。落胆やら焦燥やら色々な感情が時雨の頭の中を駆け巡る。それらは激しい感情となって口から吐き出されようとしていたが、無理矢理それを抑え込んだ。

 これ以上言及しても、真那の時雨を見る目がさらに冷たくなるだけだ。これ以上不信感を抱かせるのは好ましくない。

ㅤそんな判断から、時雨は内心の狼狽を無理やり押さえ込み話題の転換を試みる。


「なぜネイが見える」

「ネイ? AIのこと?」


 無理矢理話を逸らしたことに違和感を禁じ得なかったようで、真那は勘繰るような視線を時雨に浴びせる。

 あえて問い詰めるつもりもないようで不信感丸出しの視線は逸らさぬままに応じた。


「ネイは軍用コンタクトじゃないと視認できないはずだ」

「それは……私のお父さんが、防衛省の局員だったからよ」


 確かに時雨の知る聖真那の父親、聖玄真は救済自衛寮を運営する寮長兼監視役の中級陸自員だった。

 しかしそれを念頭に置いても、時雨の目には真那がどうにも一瞬言いよどんだように見えた。

 

「レッドシェルターに居住権を有している人間ならば、レベル3まで角膜コントロールできる軍用ARコンタクトを家族に流通させていてもおかしくはないでしょう」


 ネイはそう分析するものの、そもそも角膜操作レベル3以上の軍用ARコンタクトと言えばかなり厳正なる管理の元配布されているはずだが。

ㅤたとえ管理職の人間の娘と言えどそれを手にしていることに違和感は隠せない。

 何故なら現に真那はこうしてレッドシェルター外にいるからだ。時雨のような軍人やその他外交関係あるいは防衛省の定めた人間以外、基本レッドシェルター外に出入りすることはできない。


「そう言えば、俺の身体が完治していることに関してだが」


 あきらかにその話題には触れるなという顔を真那が浮かべていることを察して、時雨は再度話の転換を図った。

 足元に転がっているリジェネレート・ドラッグ。時雨が試みて失敗したはずだが針が突き出ていて中身は無くなっている。すべて体内に打ちこまれたからだろう。それをできる人間がいるとすれば真那しかいない。


「私の声を知覚できるようでしたので、私が指示し時雨様に投与させたのです」

「でも、体内に混入していた瓦礫の破片は自動排出されていないようだったから……私が摘出したわ」


 そう呟く真那の足元には血だらけの小さな破片がいくつか転がっている。はっとして背中に手を伸ばし包帯が巻かれていることをようやく理解した。


「あまりドラッグの無駄遣いは出来ませんからね。破片の摘出後は真那様に治療をお願いいたしました」

「そうか」

「お互い様よ。あなたが助けてくれなければ私は既に死んでいたでしょうから」


 彼女は視線で通路の先を示す。そこには無数の瓦礫が山積していた。奥の光景は何も確認できないほどの山。

 向こう側は人質の離脱を行っていた場所であるから、その瓦礫の場所が時雨が真那を救った場所ということになる。


「退路が絶たれたわけだがな……一体どうしてあんな場所にいたんだ」


 最大の疑問はそこにある。収容されていた人質は全て救出したはずなのだから。


「……蜂起軍が攻めてきた時点で、見つからない場所に隠れていたのよ」


 一瞬言いよどむ。何かを隠している。時雨が察するには十分過ぎる躊躇だ。

 あえてそれについて問い詰めることはしない。何であれ民間人の彼女の命が救われた。今はそれでいい。時雨の判断基準はそこにある。


「それにしても……いったい何がどうなってる」


 先ほどの爆発はほぼすべてのフロアで同時に起こったように思われた。明らかに人為的な爆発である。

ㅤ少なくとも上層におけるU.I.F.と蜂起軍の銃撃戦が原因ということはない。


「簡単な話です。私たちは最初から蜂起軍の目的を見誤っていたのです」

「目的?」

「てっきり、このシトラシアにおける三度の爆発事故は、ここに私たちの目を向けさせ、レッドシェルターの警備状況を散漫にさせることだと思っていました。まあ前者は正しいんですがね。ただ、その陽動の目的が異なっていたのです」

「つまり、ここで爆発事故を起こした目的は、レッドシェルターではないということか」

「ええ、彼らはおそらく、私たちにそのような勘繰りをさせる目的で動いていたのです。その上でU.I.F.の一個中隊をこのシトラシアに誘導した」


 そして先ほどの連鎖爆発。シトラシアの各フロアを半壊させるほどの的確なタイミングでの暴動。しかもそれは時雨が人質を全て救助し終わった直後に引き起こされた。


「俺たちを一掃するための爆破……」

「おそらくはそうでしょうね。それも、自爆テロです」


 シトラシアには蜂起軍が残っていた。時間的に考えても彼らに離脱する余裕などなかった。つまりこの陽動作戦のきもは彼らにあるということである。

 自分たち自身がシトラシアに留まることで防衛省の推察から爆破テロの線を無くさせた。

 実際問題、時雨達はまんまとその策略に乗せられ陥落したシトラシアに閉じ込められたわけである。身を呈した革命運動。見事に裏をかかれたわけだ。


「薫様に連絡をつけようと試みましたが、反応がありません。おそらく、上層はここよりもさらに壮絶な状態に陥っていることでしょう」

「くそ……」


 全滅した可能性もある。いくらU.I.F.の兵士の強化アーマーが強靭だと言えど、数階層分の瓦礫に押しつぶされればひとたまりもない。


「あなたは……防衛省の人間なの?」


 会話を黙って聞いていた真那だったが眉根を僅かに寄せながら疑問を口にした。


「一応な。ここには人質の救助と、暴動の鎮静化のために送られた」

「そう……」

「紫苑様に救援要請は出しています。ただシトラシアの崩壊状態がかなり酷いようで、救援は難しいだとか」

「ここから自力で出ろっと言うのか……無茶ぶりが過ぎるぜ」


 この様子だと非常階段は確実に逝っている。エレベーターは動くわけもなく、下に向かう手段すらない現状だ。


「このフロア以外への経路を探ってみたけれど、まともに降りられる場所はなかったわ」

「となると、まずはあの瓦礫をどうにかするしかないか」


 シトラシアの内部から下に降りられないとなれば外から試みるしかない。そのためには退路を塞いでいる瓦礫をどうにかする必要があった。


「無理よ……私も試してみたけれど、人の手でどうこうできる重量ではないわ」


 確かに真那の言うように、積み重なる瓦礫の量は到底生身の人間がどかせられるような度合いではない。これをすべて撤去しようものならブルドーザーでも持ち出さないことには不可能だ。

 が今の時雨は完全なる生身というわけではない。常識を覆しうるアナライザーを持っているのだ。


「ネイ、あれを特殊弾で破壊した場合、最悪このフロアが崩れたりしないか?」

「その心配はありません。一階層上の床が陥落しただけですので」


 安全面の確認をして時雨はアナライザーを抜銃する。先ほどシリンダーに特殊弾を装填したままの状態であることを確認し、照準を瓦礫の山に併せる。


「真那、危険だから離れてろ」

「……?」


 不審そうな顔をするのは当然だ。たかがマグナムで瓦礫を吹っ飛ばせるわけがないのだから。構わずトリガーを引き絞る。


「指向性マイクロ弾、装填確認完了。発射アナライズ


 瞬間対象の瓦礫が吹っ飛んだ。コンクリ片を散乱させながら瓦礫の山には抉られたような巨大な穴が出現している。

 マイクロ特殊波が空間に存在していた物質を抹消したのだ。硝煙と砂塵が晴れ通路の先から仄かな光が差し込んでくる。


「今の――」

「行くぞ、また崩れるかもしれない」


 驚いたように瞬きを繰り返す真那の手首を掴みたった今開通した通路に時雨は足を踏み出した。

ㅤ慎重に瓦礫の山を乗り越え崩れないようにと注意する。その甲斐あって何とか件の窓辺にまで寄ることが出来た。

 巨大なガラスは全て砕け散り通路が強風に晒されている。時雨は真那が風に煽られ落下しないようにその手首をきつく握る。


「ここから、どうやって離脱するの?」

「ここまで来れば、救援要請も通るはずだ……立華妹、聞こえるか?」

「――聞こえる」


 少しして、彼女の声が無線越しに聞こえてくる。


「さっきの人質を回収した場所まで移動した。俺たちを拾ってもらえないか」

「……確認できた。待って」


 確認できたという言葉の意図にすぐに理解が及ぶ。近くの高層建造物に狙撃ポイントを置き、照準器越しに時雨たちの様子を伺っているのだ。

ㅤ何が起きてもおかしくない状況だ。彼女のような観察眼の狙撃手の存在は非常に頼りになると言える。


「ブラックホークを一機手配した。すぐに向かわせる」

 

 彼女の言葉の通り周辺区画に停滞していた物と思われる汎用ヘリが一機、こちらに上昇してきていた。

ㅤブラックホークはそのまま時雨たちのいる地点まで上昇してくるとスライドドアを開閉させる。飛び移れということだ。


「俺が先に飛ぶ。後から飛べるか」

「ええ」


 ヘリとの距離は1メートルもないがその下には30メートル以上の空間が続いている。彼女くらいの年齢の少女ならば普通足もすくむような状況だろうに、真那は少しも臆している様子もない。

ㅤこの様子ならば心配いらなそうだ。そう判断し時雨は飛び移ろうと跳躍体勢を取る。


「――待ってください時雨様」


 ネイの静止が入った。何が理由で唯一の離脱手段を拒むのか。それが解らずに確認しようと時雨が視線をビジュアライザーに向けた時だった。

 鋭い破砕音が空間を引き裂いた。続いてぴしりと亀裂が走る音。

 目を背けたばかりのブラックホーク、その操縦席にて。蜘蛛の巣状に白い亀裂が無数に走ったフロントガラス。その内側にべっとりと赤い飛沫が吹き散らされていた。


「狙撃――ッ! ッ、伏せろッ」

「きゃっ……!?」


 異常事態を肌で感じ取り、時雨は脊髄反射的に真那に覆いかぶさる。突き飛ばす形で窓辺から距離を取らせ物陰に隠させた。

 数瞬遅れて時雨たちが先ほどまでいた地点を激甚な破壊が抉り去る。操縦士が絶命し、コントロールの効かなくなったブラックホークのローターが迫っていたのだ。

ㅤ目で追えないほどの速度で回転するローターは、時雨の鼻先すれすれを通過し離れる。それに伴うように異常を知らせる機械音と共に機体は旋回を始めた。フロントガラス越しに副操縦士が無線機に怒涛を散らす。


「メイデイ! メイデイ! 墜落する!」


 ぐぉんぐぉんと制御の効かなくなったブラックホークは下降を始め、シトラシアの外壁を粉砕しながら落下していく。

 頭が揺すぶられるような破砕音は機体が外壁に衝突する度に炸裂し、十数メートルほど降下した時点でローターがへし折れた。

ㅤとたんに機体は体勢を崩し外壁に突貫する。コンクリと機体の破片を撒き散らしブラックホークは破裂した。

 

「立華妹! 狙撃を受けた!」

「確認済み。スナイパーを捕捉中」


 動揺し目を白黒とさせている真那を地面に押さえつけたまま時雨は無線機に怒鳴り散らす。この状況でも冷静さを欠かない紫苑に感服しつつインターフィアを発動した。

 詳細化された視覚情報の中、時雨は抉られ鉄筋がむき出しになったコンクリートの外の光景に目を走らせる。瞬間、1ブロックほど離れた場所の高層建造物の上層階でマズルフラッシュが弾けた。

 弩にでも弾かれたように時雨は真那を抱えたままその場から飛び退った。紙一重で飛来した弾丸を回避する。時雨たちが先ほどまで隠れていた地点の床が弾け、弾丸が跳弾した。

 

「捕捉した。排除する」


 今の狙撃にて敵狙撃手の狙撃ポイントを割り出したのだろう。紫苑との無線越しにトリガーを引く音が響く。サイレンサーを付けているのだろうが、射撃したことは敵の狙撃ポイントがマイクロ波によって抉り去られることで認識できた。

 インターフィアによって視界の中拡大化された狙撃ポイント。流石の精度と言ったところか、数百メートルほど離れた地点であっても正確に着弾したようである。

 時雨が用いている指向性マイクロ特殊弾とは異なる、精度調整型大口径弾。それは対象者の潜伏するすぐ真下の壁面の空間を抹消していた。

ㅤ硝煙と砂塵の合間、生体反応がビルの内部へと駆けていくのが見える。


「仕留め損ねた」

「狙撃ポイントを破壊しただけでも上出来だ。助かった」

「その場所は捕捉されてる。他のスナイパーがいないとも限らない。退避を推奨する」


 紫苑に促されるようにして後退を試みようとしたが、退路は瓦礫によって塞がれていた。どうやら先ほどのヘリの爆破によって更にシトラシアの崩壊現象が促進されていたようである。

ㅤこの様子だと迂闊に特殊弾で破壊することもできなそうだ。最悪この場所まで瓦礫に埋もれかねない。


「退路は塞がれてる。別の救援ヘリを要請できないか?」

「二機残っているけど、どちらも屋上付近を停滞中。そこまで誘導するのには時間が掛かる」

「何でもいい、すぐに回してくれ」


 退路が失われた以上もはや経路は目の前にしかないのだ。

ㅤしかし目の前には標高三十メートルほどの致死率100パーセントな地獄が存在する。時雨だけならば飛び降りても生き残れるかもしれない。だが真那は確実に死ぬ。


「爆発はまだ終わっていない」


 紫苑の警告。それに次いで爆音が下層から轟いた。鉄筋に掴まり外界に身を乗り出しながら下界を見下ろすと、最下層辺りから火の手が上がっている。瓦礫が周囲にまき散らされ辺り一帯が火の海と化していた。

 

「時雨様、衝撃に備えてください」

「真那、捕まってろッ」


 相次いで轟く爆音は全て最下層にて勃発していた。すべての爆発源が最下層に位置している。尋常ならざる振盪は、明らかに先ほどよりもその幅を拡大化させていた。

 時雨は真那を地面に押さえつけたまま、最悪の事態を想定する。

ㅤ先の無差別的な各階における爆発。そして時間差で最下層に集中して行われた炸裂。これは典型的な爆破テロの手口だ。


「シトラシアの構造を熟知したテロリズムですね。どうやら私たちは、この革命軍の実力を見誤っていたようです」

「まさか連中は……このビルを倒壊させるつもりなのか……!?」


 その発言に対する回答を誰かが紡ぐことはなかったが、代わりにビル自体がそれを肯定する。大きく傾くことによって。

 先ほどの爆破はシトラシアの基盤構造を的確に狙ったものだったのだ。自立して直立していたこの建造物は基盤を損失し、そして体勢を保てなくなった。


「まずいですね、このままではあと数十秒ほどで崩壊します」

「くそ――――立華妹ッ、まだか!?」


 コンクリにしがみ付きながら時雨は必死に上方を仰いだ。建物そのものが傾き始めていることによって容易く外の光景は伺える。

 すぐにブラックホークのフラッシュが視界に収まったが、おかしなことに一向に降下してくる気配がない。十メートルほど上方で急旋回し機関銃を乱射している。


「メイデイ! メイデイ! 対空射撃を受けているッ! 援護射撃を要請する!」


 無線から流れ込んできた応援要請は、下方から飛来した何かが機体に弾け装甲が弾け飛ぶことによって掻き消される。

ㅤブラックホークは急旋回しながら煙を巻き、時雨たちの目前を回転落下していった。爆発するかと思いきや制御を取り戻したのか煙を吐き出しながらも再び上昇してくる。


「こちらブラックホーク002、基幹部の損傷を確認。作戦から離脱する」


 生還の可能性はその無線とともに急激に遠のいていく。時雨たちを救助する余裕すらないということだろう。

 しかし対空射撃ということは地上から対空砲でも食らったのか。しかし40メートル近い高さへの爆撃など……。迫撃砲的な爆発がなかったことを鑑みれば、重機関銃の類か。

ㅤどちらにせよただの蜂起軍になせる業ではない。そもそもそのようなことが出来る兵器など、そうそう仕入れられるはずがないのだ。

ㅤそんな思考が時雨の脳内を駆け巡り、形をなさずに浮遊し続ける。


「地上に10式戦車を観測。狙撃する」

「狙撃はいいが、俺たちの救助を優先してほしいんだが」

「もう一機のブラックホークを手配した。後はあなた次第」


 投げやりである。

 溜息も焦燥に掻き消されつつ下方を見渡すと、紫苑が言うように地上シトラシアから数十メートルほど離れた地点に戦車が一台停車している。


「戦車まで……いったいこの蜂起軍はどんな交易ルートを……」


 戦車に設置された重機関銃の銃口はこちらに向けられている。だが目標は時雨達ではない。それよりも上、降下してきているブラックホークに他ならない。

ㅤ先のような対空射撃で撃墜されることを見越してか、中々時雨たちのいる地点にまで到達できないようであった。


「予想外な事態ですが、しかしそのようなことを勘繰っている時でもありません。今はこの事態を打破しなければ」


 少しずつシトラシアは傾いていく。度重なる爆音と崩落音に併せて立つこともままならなくなっていた。

ㅤ下方を見下ろせばガラガラと外壁が巨大な瓦礫となって路上に吐き出されている。炎上し黒煙と粉塵が立ち込め始め、そのこともあって10式戦車も視認できなくなっていた。


「来たわ」


ㅤ対空射撃が止んだすきを見計らって下降してきた機体。それは時雨たちのいるフロアの高さで降下を止め機体のドアが開く。


「乗れ!」


 開け放たれた機内へと時雨は真那を抱えたまま飛び移った。


「っ、届かない……!」

「いやぎりぎりセーフ」


 かなりの距離が離れていたため危うく落下しかけたが、金髪の搭乗員に間一髪で襟を掴まれる。そのまま機内に引きずり込まれる形で時雨と真那は九死に一生を得た。

 背中側でシトラシアがガラガラと崩壊していく。時雨たちがいたフロアも瓦礫に飲み込まれ見る影なく失われ始めていた。

ㅤやがて完全に倒壊する。倒れ込んだ建造物は隣のビルに全体重を叩き付け、ジェンガのように崩落させた。

 大地を震撼させる衝撃。搭乗する機体の標高にまで砂塵が巻き上げられ視界が悪くなる。それを阻むように時雨たちを引きこんだ搭乗員はドアを閉めた。


「確保した。離脱してくれ」

「解った。高度は下げたまま航行する」


 金髪の男は操縦席の後ろから操縦桿を握る男に声を掛ける。自衛官の制服を身にまとった操縦士は、操縦桿を下げて機体を降下させていく。

 砂塵のせいで周囲の光景はあまり明瞭には認識できない。この状態で高度を下げすぎれば周辺の建造物帯に衝突しかねないが、対空射撃対策なのか。


「真那、大丈夫か」

「ええ」


 何度も死の瀬戸際の状況を潜り抜けたというのに、真那は存外落ち着いている 普通ならば発狂していてもおかしくはないだろうに。

ㅤもともと真那は胆の据わった性格をしていたわけだが、しかし。


「助かった、お前たちが危険を冒してでも救援に来てくれたおかげだ」

「当然よ。お前さんたちは死なせるわけにはいかねえしな」


 改めて時雨たちを救助した金髪の男の全体像を視界に収める。

ㅤ操縦士とは違って、くすんだ金の髪の男は自衛隊服を身にまとわず特徴的な戦闘衣を着用している。もしかすれば今回の作戦に出動する際、緊急収集されたのかもしれない。

 二十代前半であろうか。かなり若いが時雨とてたいした年齢差はないし気にかける要因でもない。

 何であれこの機体まで撃墜されずに幸運だった。今回動員された機体は四機。一機は人質を安全圏に離脱させるためにここから離れたであろう大型ヘリで、残り三機はブラックホーク。

ㅤそのうちの二機が狙撃と対空射撃で撃墜されたわけであるから、もしこの機体まで撃墜させられていたら。時雨と真那は今頃瓦礫に押しつぶされて永眠していたことだろう。


「!? 上方から飛来物、回避してっ!」


 外を俯瞰していた真那が弾かれたように声を張りつめさせる。はっとして時雨もまたドアに駆け寄り上方を伺った。何やら巨大な金属塊が旋回しながら落下してくるのが見える。


「掴まっていろ!」


 操縦席の男は操縦桿を一気に傾け、機体の軌道を急変させる。軋むような衝撃と遠心力にその場に膝をつかされるが、その咄嗟の回避行動もあって飛来物を紙一重で避けることに成功する。

 今にも接触するのではないかという位置を落下していった何か。通過した瞬間、時雨はその金属の塊が何かであるかを認識した。

ㅤ『UH-60J』と記された焼けただれた装甲。ぐしゃぐしゃにひしゃげた機体はローターを失って時雨たちの直下で爆発した。


「ブラックホーク……?」


 何故だ。防衛省が出動した機体は四機だったはず。残されていた機は今搭乗しているこの機であったはずなのに。

 しかしそれならば今撃墜したのは一体どこの所属の物か。革命軍の物か。10式戦車まで所有していた連中だ。ヘリを調達するルートを確保していてもおかしくはない。

 ――いや違う。あの機体には『UH-60J』と記されていた。この『J』とは日本防衛省の用いている軍用機であることを示す表記である。

ㅤしかし、今回の自爆テロを引き起こした革命軍が軍事的支援をどこかから受けていたにしても、それはあくまでも海外諸国からの支援である。

 つまり今撃墜した機体は革命軍の物ではない。防衛省所属の機体ということだ。

 ここから推察できる事実は一体何か。そんなもの熟考するまでもなく明白である。

ㅤ目の前の男。自衛隊服でもU.I.F.の強化アーマーでもない戦闘服を身にまとっている男。

 すべてを理解した。今搭乗しているこの機体こそが革命軍の機体なのだ。


「――真那、伏せてろ」

「!? が……っ」


 とっさの判断で時雨は目の前の金髪の男に組み付いた。対応の遅れた彼の顔面を拳で殴打し機体の床に叩き付ける。

ㅤ彼の上半身に乗りかかる形で拘束し、反射的にナイフを抜刀しようとした彼の手を掴み力任せに握りしめる。


「ちっ――――」

「動くな」


 さらなる抵抗を試みようとした男にその暇を与えない。彼が手放したナイフをその首筋に押し付けその手をもう片方の手で床に束縛する。


「和馬――」

「動くなと言っているだろ」


 機内で異常事態が生じたことを察知したのか操縦士が組み伏せている男の物と思われる名を呼ぶ。

ㅤ副操縦士がライフルを手に掴みかかってこようとするのに対し、時雨は凄みを利かせた声で静止を掛けた。


「妙な動きをしてみろ。この男の首が落ちるぞ」

「――ッ」

「武器を捨てろ」


 副操縦士は硬直し時雨の指示に存外素直に従った。ゆっくりとライフルを機体の床に置いて、手のひらを時雨の方へと向ける。


「機体の進行方向を変更しろ。東北東だ」

「…………」

「早くしろ、仲間を殺されたいのか」

「……解った」


 操縦士の男は一瞬間を置いて操縦桿を傾ける。そのまま直進していくうちに、機体は砂塵の渦中から逃れ周囲の光景が明瞭になっていく。

ㅤすでに倒壊したシトラシアからは結構な距離が取られていたようで、明らかにその進行方向は本来の帰投目的地である千代田区レッドシェルターではない。


「やっぱりな……お前ら、革命軍だろ」


 その質問にに操縦士も副操縦士も答えない。否定しないところを見ると、この沈黙は是であると取っていいだろう。そう時雨は確信する。

 

「まんまと嵌められたものですね……あの砂塵に紛れて、U.I.F.の機体に扮し時雨様方を誘い込むとは」

「革命軍がヘリまで手にしているとは考えていなかった。だが、みすみすこの場から離脱させる気はない」

「そうはいっても、お前さんは敵陣の中にいるんだぜ」

「黙れ」


 ナイフの刃を軽くその首に食い込ませる。流石に和馬と呼ばれた金髪の男も危機感を感じたようで言葉を噤んだ。

 時雨はネイに視線で無線を繋ぐように指示する。


「こちら烏川、聞こえるか」

「感度良好。聞こえているよ時雨くん」


 間を置かずにインカム越しに山本一成アダムの声が聞こえてくる。時雨はフロントガラス越しに機体の進行方向が逸れていないことを確認しつつ、返答を急ぐ。


「状況は……って聞くまでもないね」

「革命軍にこっちの機体は全部撃墜された。人質を乗せた大型ヘリは既に離脱している」

「君は今どこにいるんだい?」

「革命軍の機体の中だ。兵士の一人を拘束して膠着状態に陥ってる。それから民間人を一人保護している。爆撃は駄目だ。救援要請を頼む」

「任せてくれたまへよ、アダムムムーン」


 理解不能な発言と共に無線は遮断される。彼のことだ、少々不安は絶えないが救援要請は早急に出してくれるだろう。


「残念だが、お前らの革命とやらもここまでだ」


 時雨は操縦士に機体を地上に着陸するよう命令する。航行中のまま、均衡状態を保つのは好ましい状態とは言えない。

 自らの命を犠牲にしてでも、U.I.F.の兵士を抹消しようとした自爆テロの主犯なのである。捕虜に取られるくらいならと自分たちもろとも機体を撃墜させかねない。


「悪いことは言わない。これ以上の抵抗はやめておけ」

「そうですね。U.I.F.の兵士はその名の通り、血も涙もない連中ですので。あなた方の抵抗が度を過ぎていた場合、おそらく銃殺処置が行われることでしょう」


 時雨の言葉を補足するネイ。実際現在のエリア・リミテッドにおいて蜂起軍に人権は存在しない。

ㅤU.I.F.や自衛隊それから町中を循環する警備アンドロイドには、無許可で対象を銃殺する権限が与えられているのだ。


「もう袋の鼠だ。大人しく投降して、」

「……そいつはどうかね」


 時雨の言葉をまた金髪の男は遮った。首にナイフを突きつけられてなおその顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

 明らかにこれから敵に折檻を受けるかもしれない状況にいる人間の表情ではない。何かを確信したような、そんな。

ㅤ瞬間、後頭部に凄まじい衝撃が弾けた。


「が――――!」


 脳みそがミキサーでかき混ぜられるような震動。頭蓋にひびが入りそうなほどに遠慮もへったくれもない強烈な一撃。思わず時雨は男を拘束していた手を緩めてしまった。

 その隙を彼は見逃さない。拘束から逃れた手を力任せに振り上げ時雨の顎を殴打した。頭の中で火花が飛び視界が真っ赤に染まる。

ㅤさらに一発腹部に貰う。抵抗することすらできずその場に背中から倒れ込んだ。

 朦朧とし行く意識の中、行き場のない疑念が脳内を循環する。おかしい、機内にいた搭乗員の動きには目を走らせていたはずなのに。いつの間に背中に回られたのか。

 いやそんな予備動作はなかった。彼らは少しも動いてはいない。彼らではない別の搭乗者が時雨の後頭部に一撃叩きこんでくれたのである。


「敵の裏をかくこと……あなたが言ったことよ」


 霞み行く視界の中、拳銃を逆手に持った真那が見えた。


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