第3話
「ウェルカムトゥーリバティ。薫る桃源郷へようこそ」
ㅤ無謀なるエアボーン作戦の一時間ほど前、リミテッド中枢機関『帝城』内の会議房室にて。
視界いっぱいに広がった均整の取れた顔立ちーー思い返せば、それが全ての元凶だ。
均整といっても美形というわけではない。シミひとつなく髪の乱れひとつない顔。三十代前半に見られる彫りの浅いシワが僅かに額あたりに目立ち始めているが、その眼光は未だ衰えを知らぬ狼のような鋭さだ。
とりあえず気味が悪いほどに左右対称な顔が、視界の中に張り付いていた。髪の毛一本一本までしっかりシンメトリー。
「どうしたんだい、時雨くん、人の顔をまじまじと見て」
「見ているのはアンタだ」
「おっと失礼」
彼は納得したように時雨の鼻先すれすれにまで近づけていた顔を離した。そうして腕を組み、どこか偉そうに時雨のことを再びまじまじと凝視してくる。
そうしてキャッチコピーの感想を述べよとしつこく関わってくる。
「キャッチフレーズ?ㅤさっきの桃源郷がどうのというやつか」
「もちろんそれのことさ。『ウェルカムトゥーリバティ。薫る桃源郷へようこそ』。素晴らしいフレーズだろう。これで防衛省局員志願者倍増待ったなしさ」
誇らしげで満足げに彼は無い前髪を払う仕草をする。当然指先は空を掻いていた。
「よく解らないが、それが例の如く、防衛省のキャッチフレーズなら却下だ。怪しい新興宗教の勧誘フレーズにしか聞こえないな」
「むぅ……相変わらず君は手堅いね」
不満そうに片眉だけ上げて見据えてくるこの男・
ㅤ毎日、こうして意味の解らないキャッチフレーズを考えては時雨に提案していた。ここ数か月にわたってすでに百回以上。こっちの心労も考えてほしいものであると時雨は内心吐露する。
「毎度のことながら、そのリバティというのは何だ」
「自由という意味さ。僕たちは常に、自由のために戦っているだろう?」
防衛省のキャッチコピーにそれはどうかと思うが。
「僕の生涯で、過去未来現在、すべての時間軸において、唯一無二と言える親友の受け売りなのさ。まあ、彼の場合はリバティではなく、ギルティだったけど。イントネーションが似ているだろう?」
ㅤ類は友を呼ぶと言うやつだろうか。日常的にギルティなどと発している人間がまともなわけが無い。もちろん目の前のこの変質者も。
そう可哀そうなものを見る目で見ないでくれと肩をすくめる一成。
「そういう目で見られたくないなら、とりあえず発言のたびに前髪……というか額の前の何もない空間を手で払う癖をやめるべきだな。局員の連中にも、山本一成は防衛省幹部の中でも生粋の変人だと言われているぞ」
「失礼だね、僕のどこが変だというんだい。というか時雨くん、僕のことはアダムと呼んでくれと何度も言っているだろう」
「そういう発言が変だってんだよ」
依然として不満げな一成にどう対処したものかと時雨が考えあぐねていると横槍がはいる。いつの間にか後ろに立っていた
「キメエ」
「ひどいなぁ、薫、なんて素晴らしくスメルな名前を授かっているんだ。そんな汚い言葉を使っちゃだめだよ」
「兄さん、同感」
同調するように薫の傍に歩み寄ってきた紫苑。彼女は感情という感情を読み取れない目で一成を見据えている。
「はぁ、これだから立華兄妹は……」
「そもそもそのアダムってなんだよ」
「創世記を知らないのかい? 旧約聖書に記された、アダムとイヴの話。禁断の果実を食すことによって、神から罰を受けるという話さ」
「んなこたしってんだよ。それよかあんたが自分のことをそう呼ぶ理由が解んねえっつってんだ」
「談笑されているところ水を差すようで申し訳ありませんが、そろそろ軍法政策会議のお時間では?」
それまで黙秘権を行使し一成の餌食となることを拒んでいたネイ。ネオンホログラムの彼女は時雨の
「会議? 何のだ?」
「近日活動が活発になっているレジスタンスに関する議題です。先刻伝達されたばかりではありませんか。あれですか、時雨様の頭はニワトリ並ですか」
「そう言えばそうだったな」
自分がいる巨大な室内。ここは防衛省中枢施設『帝城』の最上階に位置する軍法政策会議室だ。
十数名ほどの人間が同時に会談できる円卓が配置されたその部屋は、無数のコンソールがあることを除けば一見何の変哲もない会議室。
だがその実、この部屋は現状日本を牛耳る組織の人間たちが集まる場所でもある。すなわち防衛省の人間たちが。
「皆の衆、軍法政策会議を始める。各自着席してくれ」
数分と経たず、初老の男性・
特徴的な幾何学的ラインの刺繍されたスーツに身を包み、首元からはしわのない真っ赤なネクタイが垂れている。手入れの難しそうな短くも蓄えられた髭をさすりながら、彼は円卓に着席するなり他の席の空き具合を確認した。
「空席は三つか」
「欠席の連絡があったのはU.I.F.総括部長。それから
応じたのは、紫苑よりもさらにどす黒い血のような色の髪をした女性。二十代半ばと推察できる、サングラスが特徴的な
「佐伯か。ここ数回奴の出席を確認していない。妃夢路、ナノゲノミクス補佐の君の仕事だろう。次の会合には奴を引き出したまえ」
「若い相手の扱いが相変わらず雑さねえ、伊集院省長」
妃夢路は不適な笑みを携えて電子タバコをくわえる。とたん副流煙が室内に充満するが咎める者はいない。見慣れた光景だ。電子タバコも先ほどの会話も。実際時雨もここしばらく佐伯局長の姿を見ていない気がした。
「まあいい。U.I.F.総括部長に関しては私が直々に警戒網強化の指示を出した。それよりも、もう一人の欠席者だが……」
「まぁ、省長の考えている通りさ。TRINITYの彼女さね」
「奴か……困ったものだ。まあいい、奴には私から直接連絡しておく」
奴、つまりこの会合に無断欠席している人物。時雨にはその人物に心当たりがなかった。
何故ならば、この会合に一度も姿を見せたことがないからである。理由は時雨にはわからないが、その名前も素性も何も知らされていない。
TRINITYとは、U.I.F.の上層に位置する、防衛省の象徴的組織である。
ㅤ武力掃討部、総合開発局、そして執行部によって構成される。前者が薫・紫苑であり総合開発局が山本一成、そして執行部に関しては今回欠席している『奴』である。
そもそも、執行部なるものが何のために設置されているのかも、時雨は理解していない。
「んで? 御託はいいからさっさと要件を言え」
「口を慎みたまえ。知っての通り、今回の会合は定期ではない。緊急事態により、急遽集まってもらった」
「緊急事態というのは、例の如く、レジスタンスに関わることですかな」
この会談に参加している中でも、もっとも筋骨隆々な
ㅤ明らかに軍人的な体格の割に身にまとっている服はスーツだ。伊集院のものにも似ているが、こちらは酒匂の筋肉を押さえ込むために張って一見タイトなスーツに見えなくもない。
彼はこの会合の趣旨を大体把握できているのか、ひげを触りながら問う。獅子然としたその容姿とは裏腹に、どこかその物腰は紳士的。
「その通りだ。先刻、午後6時11分、目黒区のシトラシアにて、レジスタンスの襲撃と思われる事態が発生した」
「思われるってのはどういうことだ? ひどく曖昧じゃねーか」
「実際にレジスタンスの姿を確認できたわけではない。ただ、爆破事故が三フロアで同時に引き起こされた」
爆発事故が同時に複数箇所で生じたというのは少々偶然であるとは考えにくい。おそらくそれを根拠にレジスタンスによる暴動であると踏んだのだろう。目的は一体何か。
「おおよその憶測で語れば、陽動作戦かね」
時雨の表情から考えていることを踏んだのか妃夢路が考察を言葉にする。電子タバコをあたかも教鞭のように振るう。
「陽動?」
「事実上、レッドシェルターに連中が襲撃を仕掛けたところで、この牙城を崩すことは難しい。それ故に、私たちの目を、レッドシェルターのある千代田から一定距離離れた目黒区に向けさせた、とは考えられないかい?」
「つまり、目黒区で騒ぎを起こし、私たちの注意、監視の目をそこに向けさせる。その間にレッドシェルターに侵入しようとしている、ということですか」
ネイが妃夢路の発言を要約した。
ㅤレッドシェルターとは、防衛省区画である千代田そのものを指し、同時に、その区画を防衛する三つの防壁のことを示している。
ㅤ今から三年前、2052年以前、防衛省の区画として、千代田区が改築された。
帝城と呼ばれる防衛省の牙城をその中央区に築き、千代田の外周を囲うように高周波レーザーウォールと呼ばれる壁を設置したのである。
全ての事象を抹消しうる高周波を展開したレーザーウォール。圧倒的壁を前に、どれだけの軍事力をもってしても通過することは適わない。一般市民の立ち入りは不可能なものとなっているのだ。
「なるほどな……だが、レッドシェルターは難攻不落の牙城だ。そう簡単に侵入されるとも思えないが」
「もちろん、万が一にも侵入なんてありえないさ。高周波レーザーウォールは知っての通り、イモーバブルゲートにも採用されている機構だからね」
妃夢路はサングラスを指先で押し上げ享受するように語って見せる。
イモーバブルゲートとは東京23区の外周区に設置されている絶対不可侵なる防壁だ。
ㅤ地上から数十メートルの位置までを自動砲台付きの鋼鉄の物理障壁が覆い、その上部には23区を覆う形でドーム状に高周波レーザーウォールが築かれている。
物質的な干渉を一切受け付けないレーザーウォール。文字通り虫一匹通すことはない。数ミクロ単位の病原菌すら23区に侵攻をすることは出来ないだろう。
ㅤそれほどまでに、高周波レーザーウォールとは絶対的な防御壁なのである。
「ちなみにどうしてイモーバブルゲートなんてものが設置されているかというとだね……それは、未知なる金属生命体が、地球に侵攻してきたからさ」
「妃夢路様、それに関してはいまさら享受するまでもなく、皆理解していることかと思われます」
突然脈絡のない話題に転換した妃夢路に、怪訝な表情でネイが指摘をした。
「この場にいる人間は、だね。だがしかしね、シール・リンク。この場にはいないけど、間接的にこの場にいる人間たちがいるのさ」
「はて、どういう意味でしょうか」
「この小説を読んでいるユーザーに対して……おっと、これ以上は規制対象になるから口を慎んだ方がよさそうだねぇ」
「すでに十分規制対象な気がしますがね」
不敵に笑う妃夢路の発言は聞かなかったことにする。
2052年、ノヴァと呼ばれる武装型金属生命体が世界中に蔓延した。
金属粒子の結合体であるノヴァには、一切の軍事兵器が意味を成さず、世界は恐慌に陥った。
ノヴァは大気中に充満する金属粒子が収束し、形を成した物。
ㅤどういったギミックであるのかは未だに判明していないが、金属粒子の集合体であるにも関わらず、ノヴァは自動小銃を始めとした遠距離兵装を装着している。人類の生み出した化学兵器に酷似するそれは、人工物を軽く凌駕するほどの破壊力を有している。
ノヴァに対し人類は対抗策を持たなかった。世界は瞬く間に数十億という人的被害を受け、そんな中、ノヴァに対する対抗策を得た国があった。それが日本である。
ㅤ防衛省はノヴァの性質を分析し、その干渉を妨げる障壁として高周波レーザーウォールを開発することに成功していた。
日本とて被害を受けなかったわけではない。ノヴァの進出に伴い国土の90パーセント以上が失われた。しかし23区を囲うように高周波レーザーウォールを築いていたため、都心部の壊滅は免れたのである。
防衛省は23区を独立軍事都市エリア・リミテッドと名付け、外の世界との境に明確な境界線を築いた。
高周波レーザーウォールを上部に展開させる鉄壁イモーバブルゲート。それによって隔離されたエリア・リミテッドは、ノヴァによる一切の介入を許さず、暫定的な平穏を獲得することに成功している。
23区外部との境にイモーバブルゲート。そして千代田区外部との境に高周波レーザーウォール。二つの難攻不落な壁によって隔絶されたレッドシェルター、それが時雨達の位置する防衛省の領域なのだ。
「で? 結局俺たちが収集された理由はなんだってんだよ」
収集された側の皆の疑問を、薫が遠慮など知らずに問い詰める。
「レジスタンスの目的が陽動であるとして、連中のその作戦に乗せられることはない。すでにレッドシェルターのセキュリティを強化している」
伊集院は髭をなぞりながら、告げた。
「だが、外部の捜索には手が回っていない」
「外部というのは、一般市民エリアのことかな?」
「いかにも。それ故、君たちにはレッドシェルター外への派遣をお願いしたい」
「は? おいおい、一般市民エリアがどんだけ広いと思ってんだよクソが。23区分だぞ、俺たちだけで捜索できるわけねーだろ」
「兄さん、下品」
妹が兄の頭側面を無表情で叩いた。おうむ返しのように、その数倍ほどの威力で、薫の拳が紫苑の後頭部にめり込む。
「君たちに向かってほしいのは、件のシトラシアさ」
「革命軍の潜伏している可能性のある?」
「陽動に乗せられる理由はないが、現在進行形で、連中は暴動を起こしている。被害は住民にも及んでいるだろう。防衛省として、この事態は看過できない」
「そう言うわけで、暴動の鎮静化をせねばならん状況だ」
「そうはいっても肝心のTRINITY、今いるのは山本一成と、立華兄妹だけだ。もう一人の執行部の誰かさんは、例の如く無断欠席中だしな」
しかも、山本一成の所属する開発局とは、佐伯・J・ロバートソンの牽引する
武力とは無縁な部で当然山本一成は戦闘などとは無縁なわけだ。つまり動員できるのは薫と紫苑だけということになる。
「その通りだね。それで、烏川時雨、君にも出動してもらいたい」
「俺が?」
「TRINITYのプロトタイプの君なら、まあ他の三人にも引けを取らないだろう? レジスタンスに直面しても、まあ生存できるじゃないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます