第一章

2055年 9月19日(日)

第1話

 目前には広大な世界が広がっていた。パソコンのキーボードのように隙間なく敷き詰められた構造建造物帯。それが数千メートルほど下方に展開されている。

 すでに時刻は夜のとばりに挨拶が出来るくらいで、下方の闇中には人工的な光が絨毯のようにしかれていた。

 

「マジで、飛ぶのか」


 大型ヘリの後方に位置するハッチ。展開されたその場所から、烏川時雨からすがわしぐれは無限に広がる闇を覗き込む。

 はるか下の地点を鳥の群集が束になって飛行しているのを見て、時雨は背筋が寒くなる感覚に身を震わせた。これは死ぬ。確実に。

 

「まじで……飛ぶのか」

「マジだ」


 心中に湧き出してくる恐怖心を読み取ったのか、あるいは無関心なのか、時雨の後ろに佇んでいた立華薫たちばなかおるが端的に肯定した。

 刃物のような鋭利な瞳に無造作に伸びた髪。だが不潔さはなく、きつい青の色に染められたその髪は一種の芸術のようにも思わせられる。


「流石に死ぬと思うんだが」


 時雨は救済の意を込めて薫と目を合わせる。彼は物を言わせぬ態度で鼻を鳴らすと見下したように時雨を見た。


「この暗闇だ。狙撃されたとしても、着弾なんかしねーだろ」

「兄さん。烏川時雨は多分、狙撃を気にしているのではないと思う」


 薫の脇に佇み、特徴的な形状の対物ライフルを抱えた少女が、薫の発言を訂正する。

 薫の青に劣らぬ強調性の血のような赤の髪。この対照的なようで似通っている二人は兄妹で、ことあるごとに妹の紫苑しおんは兄である薫のサポート的な発言をする。


「なら何が問題だってんだ」

「今この機体は標高2300メートルの高さで滞空している。この高さから飛び降りれば、空気抵抗を加味しないで演算すると――」

「んなお膳立てはいらねえ。何が言いたい」

「つまり、生身で飛び降りたら、百パーセントの確率で体が押し潰れるということ」


 紫苑は時雨が言いたかったことを薫に告げる。薫はその発言に対し、怪訝そうな顔を浮かべるだけだ。


「何言ってんだ。俺たちが着地する地点は、18階建ての高層ビルだぞ。数十メートル分くらいは降下距離少なくなるだろ」

「数十メートル分降下距離減ったところで、押しつぶされることに変わりはないぞ」


 そもそも着地地点は屋上ではない。どうでもいいことだが。


「あーくそうぜえな。どうせ着地しても死なねえだろ」

「いや確実に死ぬ」

「この間の制圧作戦の時、22階建てのビルから落下してもぴんぴんしてただろうが」

「ぴんぴんしていたのはリジェネレート・ドラッグを投与したからであって、決してダメージを負わなかったわけじゃない。そもそもビル22階の高さと2300メートルを比較してどうするんだ」


 リジェネレート・ドラッグというのはある種の特効薬である。時雨のような肉体に改造を施されたサイボーグにのみ真価を発揮する万能アイテムだ。

 致命傷を負った際それを体内に摂取することで、肉体細胞が加速度的に治癒される。

 全身の骨という骨を粉砕されようが、臓器という臓器を押しつぶされようが、それを摂取すれば肉体は完全回復する。勿論時間は要するが。


「相変わらずプラナリアみたいな身体してますね。というよりは、ゴキブリ並みの生命力というべきでしょうか」


 冷やかしを飛ばしてきた人物は、先ほどまで対話していた兄妹ではない。

 左手首の腕輪型通信端末ビジュアライザーから響いた電子的なノイズ。端末上には立体ホログラムの少女が浮遊していた。

 赤を基調としたネオンホログラムを使用した未来的衣装に身を包み、同色のショートヘアをなびかせながら腰を折り人差し指を突き出してくる。

 時雨の戦闘をアシスタントするAI、Nano Evolutionary Interface──通称N.E.Iネイである。


「人を人外みたいに言うんじゃない」

「あながち間違ってはいないではないですか。時雨様はれっきとした人外、なのですから」


 彼女は悪戯気で不敵な笑みを浮かべていた。

 言われてみれば確かに時雨はもはや人間ではない。肉体改造を施されただけでもすでに異常な環境にあるわけだが、致命傷が完全回復などもはや人間だとは言えないだろう。

 しかし肉体改造・サイボーグと言えど、機械化兵士になっているわけではない。バイオパーツを移植されているわけでも強化筋肉を埋め込まれているわけでもない。

 肉体はあくまでもただの生身なのである。治癒力がプラナリアと言えど、身体は相応の衝撃を受ければ破壊される。

 刃物は皮膚や筋肉を貫通するし爆撃でも食らえば木端微塵。

 機関銃掃射で蜂の巣にもなるし、当然高標高から落下すれば押し潰れる。枝から落下した熟れすぎた果実みたいに内臓器がぶちまけられることだろう。


「マジレスすれば、多分大丈夫です」


 誰がみても危機的状況だと言うのに、ビジュアライザー上に浮遊するホログラムのAIは無責任にもそう述べた。


「その自称ハイスペック人工知能も大丈夫って言っているじゃねえか。飛び降りたところで死なねえよ」

「他人事だから鼻で笑えるんだろうが」

「他人事じゃねえよ。俺も飛び降りるんだからな」


 この目の前の高飛車な俺様思考のオニイサマも、その隣の比較的無口な紫苑も。時雨と同じサイボーグだ。

 全く同じ肉体改造を施され全く同じ体に改造された防衛省のポーンである。

 

「よし解った。立華兄、お前の自信は評価に値する。というわけで先に飛び降りてくれ」

「あ? ふざけんな。それで死んだらどうすんだ。てめえに先に飛ばせて検証する必要があるに決まってんだろ」


 どうせそんなことだろうと思っていた、と時雨にはため息をつく以外の選択肢はない。


「というかネイ、何を根拠に大丈夫と言った」

「私の統計学的推測です。というか勘です」

「失陥だらけの人工知能の勘に、俺は命を賭けなければいけないのか」


 失礼ですねと人工知能は指先を時雨の顔面に突きつける。


「私は自他ともに認める最高のAIですよ」

「現状、他に認められていない気がするけど」

 

 紫苑の的確なツッコミに、一瞬ネイは二の句を噛んだ。


「この場における自他とはすなわち人間のことを示します。人外な紫苑様方はカテゴリ外ですよ。時雨様だって、物事の論点を語るべく他の意見を仰ぐ際、ハエやゴキブリの意見を求めはしないでしょう?」


 さりげなく時雨たちサイボーグのことを害虫扱いしていた。


「というのは冗談で、これまでの統計からです」

「何の統計だ」

「時雨様のマゾ肉体のです。どれだけの痛みや肉体的損傷であれば、その生粋のマゾフィスト精神で緩和できるかという――」

「マゾ云々はともかくとして、この標高から飛び降りても、死なないということか」

「ええ」


 彼女は自信に満ちた顔で肯定する。本当かよと疑いつつも、時雨は再度開閉したままのハッチから下界を見下ろした。

 すでにランディングゾーンに到着し、遥か下方にシトラシアの屋上が見えている。どう考えても飛び降りて生き残れる気がしない。


「うまく足から着地できれば、脳の損傷は回避できます。おそらく首から下の肉体構造が原形を留めないほどにぐっちゃぐちゃになるでしょうが」

「それは大丈夫だとは言えないだろ」

「大丈夫です。時雨様には多少の物理法則など完全に無視しうる万能ツール・リジェネレート・ドラッグがありますから」

「原型留めなくなったら、投与することもできないだろ」

「大丈夫です」


 全く信用のならない大丈夫ですが連呼される。

 

「時雨様が見るに堪えないぐっちゃぐちゃな肉塊になったとしても、他の者に投与してもらえばいいわけですから」

「他の者って……立華兄も原型留めなくなっているだろ」

「違いますよ。後ろに待機している彼らにですよ」


 ネイは親指を立ててその切っ先を時雨の後方に向ける。薫や紫苑を指しているのではない。大型ヘリの内部に並び立つ兵士たち。

 全身強化アーマーに覆われた無機的な部隊。グレー加工のされたバイザーからはその顔立ちなど殆ど伺えず、全て精巧で同一に作られたアーマー故に体格の区別もつかない。外見だけで言えば彼らは完全なる同一体である。

 彼らは揺れる機体の中、強風にあおられていてもなお微動だにせずアサルトライフルを胸前に構え佇んでいる。十数名の彼らは皆同じ姿勢のまま静止していた。


「……確かに、連中なら無傷で着地できるだろうが」

「何か問題でも?」

「リジェネレート・ドラッグで刺殺されそうで怖いんだが」


 彼らは防衛省直属の組織U.I.F.に所属する人間たちである。防衛省と言ってもU.I.F.という物は自衛隊とは全く異なる組織団体だ。

 Unmanned Iron Forceアンマンド・アイアン・フォースの略称で、その名の通り『鉄のような無人軍隊』である。

 無人と言っても中に人間が入っていないわけではない。この兵装はあくまでも装備であり防衛省の人間である。

 その冷徹な殺戮性、非人道的な精神からそう呼ばれているのだ。

 U.I.F.から発令される命令には絶対的な忠誠を示し、それがたとえ無実の民の殺害であっても一切の躊躇を抱かない。本当の意味での無人兵器部隊のようなものだ。


「時雨様が防衛省に仇なすことがない限り、U.I.F.の兵士が殺意を向けてくることはないのでは?」

「そうだが、どうにも不気味だからな……」


 彼らが一言でも言葉を発する様子を見たことがない。革命軍の迎撃により肉体的な損傷を受けても、悲鳴の一つすら上げないのである。無論彼らが死に追いやられるような状況に直面したことはない。

 見た目の通りU.I.F.の兵士は完全無欠なる強化アーマーにて防護されており、銃弾もまともに貫通しない。

 唯一関節部のみ装甲が薄いが、そこをピンポイントで狙うのは至難の技だろう。それこそ接近戦に持ち込み刃物による強襲でもしなければ。

 とはいえ軍役のない一般人による暴動の場合、そのような思考に至ることはまれだ。革命軍は考えなしに銃火器で応戦し呆気なく蹂躙される。

 時雨や薫のような戦闘訓練を受けている兵士ならば一対一で負けることはないだろう。だがこの兵士たちが軍を率いて襲ってきたらその恐怖は身の竦むものだろう。

 今回シトラシアにて革命を起こしている蜂起軍に同情心を隠しえない。まあ彼らの心配をする余裕など本来時雨にはないわけだが。


「前提的に肉体損傷を受ける作戦はおかしいと思わないか」


 降下地点までの距離を確認し改めて戦慄を体感する。


「提案なんだが、エアボーンの降下よりも、地上から攻めた方がいいんじゃないか」

「アホか。この降下は敵に感づかれないようにするための奇襲なんだぞ。地上から仕掛けたら捕捉されて、最悪迎撃されるだろうが」


 確かにその通りではあるのだが死ぬ痛みなど体験したくはない。そして、あの兵士たちに自身の命運を任せたくもない。

 そう考えつつ時雨は振り返る。そうしてU.I.F.の兵士を見ているうちにふと名案が脳内に弾けた。

 

「そもそも俺達もU.I.F.の強化アーマーを着ればいい話じゃないか」

「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと行け」


 背中で何かが弾けた。大した衝撃でもない。だがその僅かなる衝撃に時雨はよろけ思わず一歩を踏み出した。


「へ……?」


 足は予測していた地点には着地しない。それよりも少しばかり位置の下がった足場に接触し、その足場が地上とは並行ではないことに気が付いた。開かれたハッチ。そこに足を踏み出したのである。


「ぇ、ちょ……」


 気が付いた時には遅かった。予備姿勢など取ることもできず前方によろけた時雨は、そのまま自身の体勢を保つことが出来ず開かれたハッチの末端にまで誘導されていく。顧みたヘリ内部、そこには片手をつきだした体勢の薫が佇んでいた。

 まずい、と脊髄反射的に状況を理解した脳。その思考に体が追い付かない。その場に踏み留まろうと力んだ右足は足場を捕らえることはなかった。

 空を掻き落下する。


「これは、確実に、死――――ッ」


 そもそも、どうしてこんな事態になったのだろうか────。

 

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