3-7.弱者の言葉

 城は仙女たちの力で茨に囲まれ、まるで人を食らう魔女の住むようなどんよりしたお城へと変貌してしまった。城の中では、みんな仙女たちによって眠らされている。眠り姫も、すやすやと寝息を立てて可愛らしい寝顔で眠っていた。それから一〇〇年もの月日が流れた。


 そんなある日、城の近くをひとりの王子様とその召使いが通る。白馬に乗った王子様は、誰もが惚れ惚れするような容貌の持ち主。そんな王子様は城のことが気になり近付いてみると、城の周りを覆う茨は自然とその道を開けていく。そして中に入った王子は驚き、目を大きく見開いた。そこら中に、人が倒れているからだ。更に奥に入っていくと、ベッドに眠るひとりの美女がいた。


「なんと美しい人なんだろうか」


 王子様はそう言うと、美女に口づけをしていた。すると――美女が目を開け、体を起こしたのだ。城中の人々も、次々に目を覚ましていった。そして見事、王子様のキスで目覚めた眠り姫は、王子様のことを好きになった。これに喜んだ王子と王女は、眠り姫と王子様の結婚式を執り行うこととなった。たくさんの人たちに祝福され、それはそれはめでたい式になったという。


 そして眠り姫と王子様の二人の生活が始まったが、王子様にはちょっとした嗜癖があった。それは女性が男性の格好を召す、つまり男装をした女性をとても好んだ。しかし眠り姫は己のことを男性だと思い込んでいるため、どうすれば良いのか分からず混乱することもあった。なぜ王子様が自分と式を挙げたのか、それはあなたが男性が好きで、この身も男性だからではないのか、と。

 それから更に眠り姫は錯綜の渦に飲まれていくこととなる。眠り姫が目覚めたのは一〇〇年後の時代――つまりは今を生きる王子様と価値観が全く合わなかった。どんなに王子様のことを考え努力しても、王子様はどんどん眠り姫から距離を取り始めた。帰りが遅くなる日がしばらく続いたかと思うと、帰ってこない日が何日も続くこともあった。また両手に男装女性を纏い、城へ戻ってくる日もあったのだ。

 眠り姫は夜な夜な涙を流した。自分はどうすればいいのか。自分は心から好きになった王子様と結婚をし、幸せな生活を送っていくはずだったのに、と。心の底から、愛を感じただったから。それなのに王子が浮つくのは、なぜか男装をしたばかり。私はどうすればいいのか。結局王子はどちらの性が好きなのか。


 泣いた。考えた。唸った。苦しんだ。


 それから眠り姫は、あるひとつの答えにたどり着く。




 ――性に捉われるのは、もう疲れた。






「教えてほしいもんだね、俺の生き方っていうのを」


 風の動きが一瞬にして止まる。ささやかな音でさえ静まりかえってしまう。何も動かない、何も聴こえない、まるで時間が止まっているかのような空間に親指姫はいた。針を構える手が震えている。いつもの強気な態度が出せずに、冷や汗を流す。


「そ、そういうのはあんたんところのにでも聞きなさいよ」


 のどの奥からようやく絞り出した言葉。しかしそれに対して眠り姫は眼球をぎょろりと開いて笑みを浮かべる。


? だって? クックック」


 その表情は親指姫に、恐怖心と押し潰されそうなほどのプレッシャーを与えた。息をすることすら苦しく、そして音を立てれば食われてしまう、そんな圧に逃げてしまいたくなる気持ちに襲われた。額に手を当て、何がそんなに面白いのかと誰もが思うほど腰を沿って、くるりと回りながら笑っている。


「こいつ……」


 くるりと回るたびに耳に掛かるピアスがフードから見え隠れしている。


 親指姫は震えの止まらない自身の腕を口元へ運ぶと、大きな口を開け思いっきり噛みついた。激痛に耐え、肉に更に歯を食い込ませる。女の子の力で噛みついたとはいえ、血は噴き出し、痛みに顔を歪ませる。それに気付いた眠り姫も「わお」と言いながら、笑っている。

 しかし自分で生み出した焼けるような痛みにより、震えは止まり、より冷静に目の前の状況に意識を集中させることができるようになった。


「い……った」

「へぇ。そんなに小さな体をしているのに、血は俺と同じく赤いんだね」


 親指姫は改めて体制を整えると、血が滴れ落ちる手の方の指で輪を作るとそれを口に入れピィッと音を鳴らす。すると、ビルの下から大量の蠕虫ぜんちゅうが壁を這いよじ登ってくる。次々と集まってくる虫たちは、二の目を赤く光らせ、一斉に眠り姫を見入る。それは地面を埋め尽くすほどの赤い花畑のよう。瞬きするたびに消えてはつき、そして動くたびにゆらりと波打つ。


「蟲使い、か」


 虫たちを見ながら眠り姫は冷笑を見せる。瞳は薄く開き、口角を上げる。


「じゃあ、あの蝶を仕向けてきたのはキミだね」


 親指姫はハッと肩を震わせた。

 蝶――それは親指姫が周辺の偵察へと向かわせた姫の仲間。


「……あんたまさかっ!」

「うん。一匹残らず死んじゃった」


 親指姫はまるで獣のように吼え眠り姫にを向けた。瞳孔はカッと見開き、仲間が殺された胸の悲痛に心が脈を打つ。

 眠り姫はポケットに手を入れながら、またもやにたりと笑う。


「いやいや。僕は殺してなんかいないよ。からね」

「仲間を、友を殺されたあたしの怒り、すべてあんたに叩き込んであげるわ!」


 親指姫が飛んできた燕に飛び乗りそう言うと、蠕虫は一斉に「ピィイ」「ギイィ」と鳴き始め、眠り姫を取り囲むと、体の唸りをうまく使い地面を蹴り上げ、まるで鉄砲玉のような速さでその体が放たれた。

 一斉射撃。それも避けるにはとうに遅い距離まで迫る虫。しかし眠り姫はその場から動こうとも逃げようともしない。ただ微笑みながら、その光景を見入るだけであった。


「ごめんね」


 くすりと笑う眠り姫から出た言葉は、謝罪の言葉。表情と言葉の不一致に、親指姫は違和感を持つ。


 そして、そう思った直後の光景を、親指姫は猶更理解することができなかった。


 虫たちが、眠り姫ではなく互いにぶつかり合い破裂していく。ただその中央には、しっかりと立っている眠り姫。眠り姫を避けるかのように、まるで攻撃の対象が眠り姫をではなく互いの虫であるかのような異様な光景。


「ちょ……、な、何してるの、あんたたち!」


 親指姫の声は届かない。破裂を免れた虫も地面を這い、仲間同士噛みつき、緑の血を流していく。

 燕に乗りながら空から見下ろすその戦場は、大きな巨人の周りで殺し合う、小さな小人たちのよう。しかしなぜかその対象が眠り姫に向く気配すらない。

 どんどん小さな命を失っていく蠕虫たちからは、ぽつぽつと赤い光が消えていった。


 すると次は地面が唸り始める。建物全体が揺れ始め、眠り姫の足元からモグラが出現した。工事用の黄色ヘルメットにサングラスをつけ、鋼の爪を装着したモグラたちが地より眠り姫に襲いかかる。


「おっと」


 足場を失った勢いで、宙へ舞い上がる眠り姫。未だポケットに手を入れたままで、驚いた表情をしている。

 そんな眠り姫に対し、モグラが鋼の爪を向ける。煙が噴き出し、まるでロケットのように爪が発射された。重たい塊が凶器となり、次々と眠り姫へ襲いかかる。

 しかし、眠り姫へと触れる直前まで飛んできた爪は全てその進行方向が変わり、モグラたちへと向かい、落ちていく。重力にのった鋼の塊は更に勢いを増し、モグラたちを攻撃した。身は裂け、血が飛び、あっという間に血の海へと化した。


「言ったでしょ?」


 眠り姫が親指姫の方に、ぎょろっと瞳を向けた。


「僕は、とても弱いって」

「く……っ!」


 親指姫は再び針の矛先を眠り姫に向けた。そして燕とともに一直線に舞い落ちる。


「許さないっ!」


 仲間を、友を、家族を、これほどまで死に至らしめた眠り姫への怒りは相当なものであった。親指姫は自身で噛みちぎった腕の痛みなど忘れ、小さな姫が自ら、もう一人の姫へと飛び込んでいく。


「ああ。かわいそうな子だ――」


 眠り姫はフードから微かに見えるイヤリングを手でいじると、自身に向かってくる姫に向けてにたっと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る