3-6.一〇〇年の眠り

 空は星の瞬く美しい星空。本来の夜の世界よりは不思議と視界が明るくハッキリとした下に存在するのは、日本にある東京都渋谷区。その場所では今、世界中に名を知らしめる童話の主人公たちが激戦を繰り広げている。それは、童話作家であるグリム兄弟とアンデルセンの互いのプライドを掛けた些細な喧嘩から始まった。


 ――どちらが世界最強の童話作家か、勝負だ。


 互いが選りすぐった各主人公たち。戦争を喜ぶ者、恐怖で怯える者、それ自体をよく理解していない者、策を練る者、創造主のために奮え立ち上がる者たちが集まった。そんな中、ひとりの美しき孤独な姫が敗戦した。孤独な姫はアヒルの子との戦いで無念にも散り、輝く星屑へと姿を変えた。星屑は空高くゆっくりと舞い上がり、星空の中へその身を紛らわせる。それは敗北者のなれの姿。必死に身を削り戦い負けた後、誰もが目をやる眩しい星と化す。ふわふわと天に消え、星空と一体化したのを確認すると、他の戦士を星へと返すために次の対戦相手を探す。


 これは誰のため? 決して自分の欲のためではない。すべては自分を生み出しこの世に送り出してくれた創造主のため。思う気持ちはそれぞれであるが、どちらかを負かすまで続くこのゲーム戦争


 では今の戦況を解説しておく。――渋谷駅周辺にいるのは赤ずきん、アヒルの子、そして親指姫。そして怒りがこみ上げ渋谷駅に向かっているマッチ売りの少女ホルト。そこから東側に位置する長く続く明治通りにいるのは、人魚姫、ナイチンゲール、そして妹グレーテルを失った兄ヘンゼル。更には死から蘇りナイチンゲールの後を追う白雪姫と、どこで皆の様子を窺っているのか分からない眠り姫。


 シンデレラが離脱した今、大きく事態が動くことはあるのだろうか。舞台は一度、上空へと移動する――






 轟々と蠢く鳥の群れ。少しずつ膨らんでいくのを、同じ高さから観察しているのは親指姫であった。

 アヒルの子との作戦会議を終え、地上へと飛び出した燕に跨った親指姫。身近な鳥に合図を送り、一斉に集まった鳥の大群がモグラとタッグを組んで地面から噴火するかのように飛び出したのだ。本来であれば、この時点で二人、あるいはどちらかだけでもダメージを与えることも狙っていたが、さすが戦闘能力に優れた赤ずきんとシンデレラ。特に難なくあっさりと交わされてしまった。


「まぁいいわ。あたしの狙いは、だから」


 燕とともに空中を優雅に飛びながら状況を確認する親指姫。

 そして作戦通りモグラがシンデレラの真下に掘った大穴へ、彼女を落とし込むことにも成功した。


「ふぅ。正直アナログみたいなやり方で上手くいくか心配だったけど、これで何とかお互いやれそうね」


 親指姫は安心したのか、一番近くにあった高層ビルの屋上に降り立つ。少し身を乗り出して下を覗くと、ブルっと身震いし、安全な場所まで下がった。その小さな体から見下ろす高さは想像を遥かに超えた恐怖心があったのだろう。親指姫は冷静さを取り乱さぬように、服を整え、背中に背負った針の位置を整える。


「――この高さから見下ろした世界は、そんなに怖かったかい?」


 突如聞こえた中性的な声に、親指姫は地から足を離すほど驚き飛び上がる。先程整えたばかりの針を抜き出しながら、後ろを振り向いた。

 そこにはフードを被り、現在っ子のような佇まいを見せるひとりの人間。パーカーのポケットに手を突っ込み、ふふふっと笑う不思議な雰囲気を醸し出していた。ひとり心臓をばくばくさせている親指姫はそれを相手に悟られないように、必死に声を出す。


「な、なによあんた! いきなり後ろから声掛けるなんてデリカシーのないやつね! 驚いて落ちちゃったらどうすんのよ!!」

「ああっ、ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなかったよ」


 あまりの親指姫の動揺っぷりに悪い気がしたのか、パーカーを着た人間は両の掌を相手に見せながら謝罪する。


「ってあんた、グリム側の人間?」


 親指姫は針先を相手に向けながら訪ねた。


「そうだよ。俺は眠り姫っていうんだけど」


 眠り姫は歯を見せ、親指姫に笑いかける。両手は再びパーカーのポケットへとしまわれた。


「はぁ。何だか調子狂っちゃうわね、あんた」

「そりゃどうも」

「褒めてないんだけど」

「え、そうだったの?」


 親指姫は「はぁ」とため息をつきながら額に手をやる。本当に呆れてしまったようだ。


「ところで、キミの名前は?」

「ああ、あたしは、親指姫と呼ばれているわ」


 針を持ちながら腰に手を当て自分の名前を吐き捨てる親指姫を見つめながら、眠り姫はクスリと笑う。


「おんなじ“姫”だね。プリンセス同士だ」

「何言ってんのよ。あんた自分のこと、“俺”って言ってたじゃない。ていうか、よく見るとあんたって男か女か分かんないわね。中性的ってやつ?」


 眠り姫の表情が一瞬曇った。


「そうだよね。俺も聞きたいくらいだよ」


 ヒヤッと感じるその冷笑。パーカーから両手を出した眠り姫に対し、親指姫は持っていた針を再度構える。


「なんなの、この殺気。こいつこんなの今まで……っ」


 針を持つ手が震えているのが分かった。と同時に冷や汗がした垂れ落ちる。ただ冷たい笑みを見せているだけにも関わらず、その周辺の空気がガラリと変わった。


「教えてよ。俺が、どうやって生きていけばいいのかを――」




 昔々、誰もが憧れるような素敵な城に、それはそれは美しい子が生まれました。

 名を――眠り姫。成長と共に誰もが目を引くようなとても可愛らしい子供に育っていった。まだまだ幼い年齢だというのに長くしなやかな髪に、クスッと笑うだけでも周りに花が咲き誇って見える容姿の持ち主。誰に対しても優しく振る舞う眠り姫は、町中の皆の憧れであった。


 ある日、そんな眠り姫の誕生を祝い、国中の仙女がこの城を訪れ、王様と王女、そして眠り姫を祝福した。ひとり、ふたり、と仙女は眠り姫のことを『可愛い女性へと育ちますよ』『将来は素敵な王子様と結婚しますよ』と占っていったが、七番目の仙女が『姫が一五歳になったとき、“糸つむ”に刺さって死ぬ』と占った。仙女の予言は、いったん口にすると取り消すことのできないものだった。しかし八番目の仙女は『姫は死ぬのではない。一〇〇年もの間、眠ってしまうだけです。しかし一〇〇年後、素敵な王子様が現れ、姫の眠りを覚ましてくれるでしょう』と言った。


 それからというもの、王様と王女は眠り姫の教育にどんどんナーバスになっていった。国中の“糸つむ”をひとつ残らず燃やした。更に“糸つむ”が男性性器に似ていることから、眠り姫に男性との接触を完全に遮断した。それだけではなく、眠り姫を男性として育てれば、今後如何わしい男との性行為も絶つことができる、そう考えた王様と王女は、眠り姫を男性として育てていくことに決めた。まだ幼い眠り姫。子供が故、自分は男と信じて人生を歩むことになる。


 そんなある日、十五歳になった眠り姫は城の地下で小姓と会う。男性として育てられた眠り姫であったが、その美しさが故、小姓は眠り姫に襲いかかった。逃げ惑う眠り姫を捕まえては、頬を殴り黙らせた。眠り姫は強制的に与えられる痛みに悶え、ショックに震えが止まらなかった。泣いても叫んでも誰も来てくれない地下室。そして眠り姫は小姓の“糸つむ”に、欲望のまま貫かれることになる。あまりの痛みに、衝撃に、眠り姫は意識を失い、そのまま深い深い眠りについた。こうして仙女の予言通り、眠り姫は“糸つむ”に刺され、一〇〇年もの眠りにつくこととなる。仙女は、眠り姫だけ眠らせるのは可哀想だからと、王様も王女も、そして番兵など城中の皆を眠りにつかせたのである。


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