3-5.敗退する孤独な姫

『そうねぇ。相手を変えてみるのはどう?』


 親指姫はアヒルの子に提案する。


『あんたが戦った女の子と狼、だっけ? 空飛ぶんでしょ? やっかいすぎるし、そんなの卑怯だわ』


 親指姫は腰に手を当て、アヒルの子にほぼ一方的に話しをしている。明らか親指姫よりも体の大きいアヒルの子はそんな小さな姫の風情に圧倒されてしまい、ただコクコクと頷いている。


『あんたの攻撃はすっごく強いし良いんだけど、相手がそれよりも小さいから捕まえるのが困難なのよ。あんたが素手であたしを捕まえるようなもんよ。実際やってみて分かったでしょ?』

『う……、うん……』


 アヒルの子は泣きそうな顔で必死にうんうんと応えている。まるで妻の尻に敷かれている旦那のよう。親指姫が正論を述べていることもあるが、アヒルの子は何も言い返すことなくただ素直にそれを受け入れていた。


『となると、まず叩くのは――』


 親指姫は顎に手を当て、作戦を考えているのか『うぅん』と唸り、考えている。




『――ていう感じ。どう? できそう?』


 一通り相談をし終えたのか、親指姫は小声でアヒルの子に作戦の確認をしている。


『あんたは性悪しょうわる女担当よ。すんごいむかつくけど、強いわ。油断していると一瞬でやられる。やっかいなのは、ガラスを自由自在に操れるところ。あたしの蟲たちだとちょっと分が悪いのよね。ただガラスには限りがあるし、押され負けしなかったらあんたなら余裕で勝てるんじゃないかしら』

『そ、そんな人怖いよ……やだよ』

『ええい、つべこべ言わずやるの! 分かった⁉ じゃああたしはモグラさんたちにお願いして穴を掘って性悪女をおびき寄せるから。そっからは頼んだわよ』


 親指姫は燕に跨り、手綱を握る。『ああ、待って……っ』と親指姫に待ったを掛けるアヒルの子を無視して数羽の燕に囲まれながら飛び立って行った。


『アヒルくん、ごめん。あたしあの女には、あんただと勝てる気がするのよね』


 土の中から地上に向けて、瓦礫を上手にすり抜ける燕。そんな燕の手綱をしっかりを握り締めながら親指姫は呟いた。


『何だか利用している気がしてちょっと罪悪感も感じるけど、あの自分以外の人間を完全に舐め腐っている表情に言動……、そしてきっとアヒルくんに対しても、ものすごく罵倒するでしょうね』


 親指姫の向かう先に光が見える。


『――頼んだわよ。アヒルくん』


 そして燕は、暗くじめった地下から外へと飛び出した。






「……なっ⁉ ガハッ!」


 シンデレラは両頬を膨らませると、大量の血をまるで嘔吐するかのように吐き出す。血はそのまま胸を染め、黒い手に吹きかかると、重力のある方へと流れ落ちていく。

 あまりの激痛に意識が朦朧とする。激しく貫かれた勢いで脳が大きく揺さぶられ、目の前が回転し、なかなか焦点が合わない。ぼやけた視界を何とか動かし、自分の腹部に穴が開いているのを微かに動く指で這い、実感する。ああ、腹を貫かれるとこんな感覚なのか、と変に冷静に考えもした。

 その拍子に砕かれたガラスの鳥は、粉々に砕かれ真っ逆さまに下へ下へ落ちて行く。ぶらんと腹部を貫く黒い手によって下には落ちずにその場に保たれている自分の体。だらりと力の入らない足から、するっとガラスの靴が片方抜け、穴底へと落ちていく。


「……あ、たし」


 シンデレラは呟く。いったい自分の人生は何だったのだろうか、と残り少ない灯の中、頭の中でふと考えた。継母と義姉に散々苛められ、しごかれ、やっと苦痛から解放されたというのに。


「……な、で……あた、し……こんな……」


 シンデレラの瞳には、涙がたっぷりと溢れ出た。それは留まることなく頬を濡らす。透明なガラスのような涙は、頬のほとんどを覆い尽くし、顎を伝い、落ちていく。

 シンデレラは、人を馬鹿にし、嘲笑うことで、自分を保ってきた。本当は家族みんなで仲良くしたかった。新しいお母さんがやってきて、新しくお姉ちゃんができることに本当に大変な喜びを感じていたのだから。友達と観光へ出向いたり食事をするのも密かな夢だった。それが、どこから狂ってしまったのだろう。こちらから歩み寄っても塵扱いされ、存在を否定される。だったら――こちらから跳ね除けてしまえばいい。そのうち、いつか、きっと、必ず、あたしを必要としてくれる人が、現れるはずなのだと毎日毎晩星に願った。


 しかしそれは叶うことはなかった。みんなシンデレラから離れていった。


 ――どうすればいい。あたしはこの先、どうすれば普通のひとりの人間として生きていけばいいの?


 孤独。それはシンデレラを強くもしたが、弱くもした。


「ひと……りが……」


 シンデレラは血反吐に塗れた泣き顔で、最後の力を振り絞るように声を上げた。


「ひとりが……っ、いやな、だ……けだった、のに……っ!」


 するとシンデレラの腹から伸びる黒い手の根元にいるアヒルの子に、光を感じた。アヒルの子の黒緑で灰色の体は、まるで卵の殻が破れたように一部が欠けている。そこからシンデレラに差し込む一筋の暖かな光線に薄れゆく意識をすべて向けた。

 アヒルの子の目の部分、そこがひび割れ、中身が見える状態にあった。くりっとしたアヒルの子の瞳とは打って変わり、何とも眩しく勇ましい瞳が数回瞬きをし、シンデレラをまっすぐに見据えていた。


「なんだ……」


 シンデレラは微笑む。それはこれまでのシンデレラの態度からは考えられないほどの優しい微笑み。まるで周りを癒す聖女のような美しい女性がそこにはいた。己の血で真っ赤に染め上げた体と、ぼろぼろと零した涙。そして黒い手に抉られた腹部。そんな見るに耐えない悲惨な状況にも関わらず、シンデレラは大変満足そうな、あるいは幸せそうな表情にも見えた。


「あんた、綺麗じゃない――」


 シンデレラがそう言うと、黒い手はシンデレラのど真ん中をくり抜いた黒い手を一気に引き抜いた。その反動でシンデレラの体は大きく仰け反り、ぽっかり開いた穴からは止まらぬ鮮血が噴き出す。もう悲鳴すら聞こえぬ女性のしなやかで細い体は、そのまま重力に逆らうことなく、底の見えない無限に続く暗闇へと吸い込まれていった。


 ――結局は、こんな暗い場所で、ひとりぽっちで、死ぬのね。


 シンデレラの体がポゥと輝いた。




 シンデレラを仕留めたアヒルの子は、シンデレラがただゆっくり落ちていくのを視線を外さず眺めていた。壁に視界から外れようとすると、土台となってくれている黒い手から身を乗り出し、シンデレラの姿を見えなくなるまでじっと見つめる。その時も欠けた箇所から覗く美しい瞳も一緒だった。くりっとした瞳と同じタイミングで瞬きをする。着ぐるみを着ているかのようなアヒルの子の姿は、まだそのほとんどを黒く醜い姿が包み込んでいる。


 すると――底からまるで星屑のような輝かしい光が天に向かって登ってきた。それはアヒルの子の横をゆっくりと通過し、浮遊していく。


「あ……」


 アヒルの子は、何かに気付いたようにまた数回瞬きをする。そしてアヒルの子は手を伸ばし、その光を掴もうと試みた。しかし、光はひょいっと逃げる。まるで『捕まえてごらんなさいよ』と言っているかのように――




 親指姫の狙い通り、シンデレラの巧みな罵倒によってアヒルの子。同じ作者から生まれた者同士、その特徴をよく理解をしていた親指姫。罵られることはアヒルの子が傷つくこととなる、それが故罪悪感を感じていたが、その傷ついた心こそがアヒルの子を強くさせるひとつの要因であるということを利用した。その光と闇とような対となる眩しい瞳の子はアンデルセンを勝利へと導く鍵となり得るのか。

 こうしてアヒルの子は、シンデレラとの激戦ののち、見事勝利を収めた。




 【敗北者】

 シンデレラ(グリム兄弟)


 【残る主人公】

 グリム兄弟 4 ー 5 アルデルセン

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