3-4.貶す者と貶される者

 誰が作ったのかと思うほど深く暗い大穴に真っ逆さまに落下するシンデレラ。星空に向けて手を上げるが、掴む場所もなくただ落ちていくのみでハタから見ると何とも情けない姿。


「ああ、もうっ」


 シンデレラは自分と共に落ちているガラスの破片を手に取った。すると周囲の細かなガラスが一斉にシンデレラの周りに集まり、とある形へと姿を変える。それはガラスでできた大きな鳥。シンデレラを背中に乗せ、ガラスの羽根を上手に動かし宙に浮くと、これ以上落下するのを防いだ。


「さっきの鳥がヒントになって助かったわ」


 突如地面から噴き出るように飛び出してきた大量の鳥。鷲、燕、スズメ、鳩などお馴染みの鳥から、初めて見るような種類の鳥まで数えきれないほどの群れであった。シンデレラはそれらをヒントにガラスで巨大な鳥を形成。思わず安堵の息を漏らす。


「いったい何なのっ」


 シンデレラは怒りを露わにする。ただでさえ暑いところは苦手なシンデレラは、熱のこもり易い地下に真っ逆さまに落ちていく自分の姿をイメージし、更に怒り狂った。


「ああ゛っ、くそ! ふざけんじゃないわ‼」


 自分を光の方へと運んでくれるガラスの鳥に向かって、何度もガラスの靴で踏みつける。強度の強いガラス同士のぶつかる音が、真っ暗な大穴に響き渡り、共鳴する。


「おもしろくないおもしろくないおもしろくないおもしろくないおもしろくないおもしろくないおもしろくないおもしろくない、なんであたしがこんな目にッ‼」


 シンデレラの怒りは治まることなく炸裂する。怒濤の声を上げ、ガラスの鳥に八つ当たりをする。ガラスの鳥の体はどんどん欠けていき、ぱらぱらと破片は大穴へと消えていった。

 穴に落ちる瞬間、少しでも『誰か助けて』と思ってしまった自分がいた――プライドの高いシンデレラからすればそれは屈辱であり羞恥であり、の情けない自分の姿と被ってしまったのだ。継母と義姉たちにいじめられる毎日。それはシンデレラにとって毎日が大変苦痛であり、地獄のような人生。生きていくのも辛く、時には死を選択しようかと迷いが出るほど。


 なんであたしがこんな目に……。誰か、誰か助けて――


「ああ、忘れたい思い出が何でこんな時に」


 シンデレラは美しく長い髪の生え際をぐしゃっと掻きむしった。


 ――オオォ


 すると下から呻き声のような低い音が聞こえてきた。シンデレラは足を止め、下を睨み付けるように覗いた。


「は? 何よ」


 穴の底に向かって文句を垂れる。シンデレラはぷるんとした唇を血が出そうなほどに強く噛みしめた。

 そしてそこに見える黒く蠢く物体に、思わず唇を開放する。

 大穴の壁を這うようによじ登ってくる巨大な。何本もの手が土や岩に器用に手を引っかけ、物凄い速さでシンデレラの方に向かって這って来ていた。


「ちょ……っ!」


 シンデレラは異物を見るような目つきで黒い手を見ると、ガラスの鳥を強く踏みつけ、上に向かって飛ぶように合図を出した。鳥はそれに応えるかのように透明な羽根をはばたかせ上へ上へと飛び上がる。そんなシンデレラを追いかけるように、更にスピードを上げて壁を蠕虫ぜんちゅうのように這う黒い数本の手。黒い手が通った後は壁が崩れ落ち、土埃で穴が曇っていく。


「くそっ! うっとおしいのよ!」


 シンデレラはガラスの鳥に触れ、スライドさせると、鳥の羽根からまだらな大きさのガラスの破片が現れ、黒い手に向かってまるで雨のように降り注ぐ。黒い手はその破片に気付いたのかいったん動きを止めると、反対側の壁に向かって大きく飛び移った。


「はぁ⁉」


 黒い手ではなくただ土の壁を攻撃しただけのガラスの破片は、更に激しく壁を崩壊させ、まるで土砂崩れのように崩れていく。余計に状況を悪化させただけのシンデレラはまたもや怒りに狂いそうになっていた。きちんと黒い手に攻撃を与えなければ、壁が崩れてしまいこの大きな穴が壊され塞がってしまう可能性が高い。こんな深い底まで落下していたのかと思うほど未だに遠く感じる地上へと繋がる光。まっすぐ一直線に空へ向かって飛ぶガラスの鳥と並び壁を這う黒い手。手は鳥を捕まえようと手を伸ばす。シンデレラを乗せた鳥はそれをひらりと交わし、それと同時にシンデレラは破片の雨を黒い手に向かって発射させる。しかしどうもうまく交わされてしまい、黒い手は鳥とシンデレラを捕えるために勢いよく飛びかかる。


「し、つっこいわね!」


 互いの攻防戦。逃げては攻め、避けては相手を潰そうと襲い掛かる。


「キリがないわね。どこを狙えばいいのかしら」


 シンデレラは暗い大穴の中で黒い手の攻撃を交わしながら、目を細め相手を良く観察する。そして黒い手の根っこにやたら触手のように蠢く箇所を発見した。それは何かを包み、守っているような盾にも見える。


「あら」


 シンデレラは化粧で大きく魅せた瞳をぎょろりと開き、赤いグロスで染めた唇を顔の端から端まで大きく広げ、ニタァと笑う。


「食らいなさい」


 シンデレラはガラスの鳥のボディをサラリと撫でた。すると鳥が変形し、巨大な翼の生えた大砲へと姿を変える。それに横坐りで跨り、声高らかに笑うシンデレラ。

 そしてその笑いがピークに達したその時、大砲から巨大なガラスの砲弾が撃ち放たれた。その勢いに、翼の生えた砲弾は大きく仰け反り、後ろへ飛ばされる。ただ一直線にその塊へと向かって飛んで行くガラスの砲弾。その勢いは止まることを知らずに、風を切り、先程のガラスの破片とは比べ物にならない速度で蠢く塊へと突っ込んだ。その速さに黒い手はうまく避けきれず体勢を崩す。


「うわぁっ!」


 と言いながら黒い塊から放り出されたのは、とても醜い醜いアヒルの子。黒か廃の色か、はたまた濃い緑色か、そんな色に髪の毛から足の先まで覆われた少年。太く長い髪の毛はボサボサに広がり、唯一白い目だけがちょこんと見えている。

 黒い手はそのまま数メートル下へ落下したが、数本壁から飛び出る岩に何とか捕まり、残りの一本は放り出されたアヒルの子を拾い上げると手のひらに乗せた。どうやら黒い手はすべてアヒルの子から出ているようにも見受けられた。アヒルの子は「イテテ」と言いながら痛そうに頭を撫で、上を見上げるとシンデレラの存在に気付く。「ひゃあ!」と悲鳴を上げると、黒い手にしがみ付き、ガタガタと震え始める。


「い、いじめないで……」


 シンデレラに懇願するアヒルの子。


「こわい、やめて……怖い」


 次第にアヒルの子のクリッとした瞳から涙が溢れ落ちるのが見える。涙といっても黒いどろっとした液体のようなもの。とても綺麗と呼べる涙ではなかった。


「……ったな」


 シンデレラは、まるでゲテモノを見るかのようにアヒルの子を見下した。


「きったな、何なのアンタ。あんたみたいなクソとさっきまで殺り合ってたっていうの? 冗談じゃないわぁ。あたしの体にあんたのくっさい臭いがついちゃいそう」


 シンデレラの眉は垂れ、瞳孔は大きくカッと開かれ、口をへの字に曲げアヒルの子を罵った。その額には血管が浮き出ていた。


「あんたみたいなゴミ虫に追っかけられて、ちょっとでも焦ってしまったあたしがバカみたいじゃない。なんであたしがこんなやつと戦わないといけないわけ? あの蟲を使うチビもそう。ああ、イライラする。とっととあたしの前から消えてくれない? 汚いそいつらと一緒に落っこちればいいのよ。誰からも必要とされない、生きる価値もない醜いガキ」


 アヒルの子の涙がぴたっと止まる。固まったまま動かず、シンデレラをじっと眺める。


「はぁ? 何見てんのよ。舐めてんの? あんたみたいなやつを見ているとねぇ――」


 シンデレラを乗せた大砲がアヒルの子に標準を合わせる。


「虫唾が走んのよ!!」


 シンデレラは再び砲弾を射ち放った。何一つ狙いに狂いのない砲弾は、先程と同じようにアヒルの子目掛けて風を切る。「アハハハッ!」とシンデレラは皮肉な笑みを浮かべ、愉快そうに笑っている。


 ――すると、


 シンデレラの目の前が一瞬真っ白に光る。


「え?」


 状況を理解できずに思わず声に出す。今自分がいる場所は、光の当たらない真っ暗な穴の中。そんな場所に、こんなに強く眩しい光があるなんて、とシンデレラは思った。


 これは自分にはない光。

 ずぅっと前になくしたはずのあったかい光。


 継母と義姉たちにいじめられ、どこかで復讐を誓い始めたシンデレラ。もうこの時から、人としての暖かさはどこかに置いてきてしまったのかもしれない。王子様が探しているガラスの靴の持ち主になろうと小さなガラスの靴を無理やり履こうとしていた義姉たちに対し、


 ――『つま先と踵を削ぎ落せばよい』


 と助言し、それを実行したのはシンデレラだった。血まみれになった両足をガラスの靴にあて、さぞピッタリのように苦痛で泣き笑う義姉たちが滑稽で仕方がなかった。やがて出血多量と激痛で苦しみ悶える義姉たちを他所に、見事ガラスの靴を履いてみせたシンデレラは、勝利に悶え、継母と義姉を散々馬鹿にした。存在を否定した。これまで自分が受けてきた屈辱を恨みをすべてぶつけた。人をコケにするのはこんなに楽しいことなのかと、シンデレラは知った。あの表情、悔しそうに歯を食いしばるあの表情がとても快感だった。

 それからシンデレラは人を罵倒して歩いた。しかしそんな日々が続いても、最終的にはみなシンデレラに対して頭を下げる者しかいなかったのだ。とても気持ちが良かった。人として扱われなかった人生の大逆転であった。


 そして自分の目の前に現れた醜い少年。ただほんの一瞬、ほんの少しだけ、アヒルの子とあの頃の自分が被って見えたのだ。継母と義姉に怯えて暮らしていたあの頃の自分に――


 そして、そんなシンデレラが意識を現実に戻した時には――黒い手がシンデレラの腹を貫いていた。

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