3-3.死のない少女

「きゃあっ」


 暴風がひとりの少女を巻き上げようとする。耳を塞ぐほどの爆発を、少し距離のある場所で察知した少女だったが、あまりの威力に風が建物に激しくあたる。屋根は剥がれ、巻き上がったベンチや街頭は凶器と化し、壁はえぐれ、次々に破壊する。




 ホームセンターを出た少女はひとり彷徨っていた。眠り姫に抱かれ連れて来られたこの場所を後にし、うさぎのアップリケのついたブーツで駆ける。右も左も分からず、走っては戻り、走っては曲がりを繰り返す。

 ここは渋谷駅の北西に位置する様々なショップが立ち並ぶ賑やかな街並み。客寄せのための手書きの看板、様々な形をしたアルファベットやロゴ。少女は見たことのあるお国の言葉を見つけると、時に足を止めた。ぐるりとその場で一周回ってみる。窮屈そうに建ち並ぶ建物とそこに施された賑やかな装飾。人こそは存在しないものの、ここは多くの人が集まる場所なのだと少女が感じることができるほど。


 少女は人を探した。マッチがたくさん入った籠を揺らし、ぱたぱたと靴音を響かせ道路を走る。

 少女は首を傾げる。こんなに楽しそうな場所なのにどうして誰もいないの? と思わせるきょとんとした顔。


 少女がまた走り出そうとすると、電柱に貼られたビラに目がいった。そこには男性向けに作られたであろう肌の露出が多い女性の写真が加工された広告。盛りに盛られた髪に豊満な胸。少女は自分の胸に視線を落とす。


「おっきい」


 少女はもう一度広告に視線を上げる。


 ――ホルト。


 そんな時、眠り姫の言葉が頭をよぎった。


「ホルト」


 眠り姫がつけてくれた、少女の名前。その名前を、少女は声に出して呼んでみる。嬉しいのか、くすっとはにかむ。

 普段誰かが近くにいる時は、呪文のように「マッチ」「マッチ」と繰り返している少女だったが、今このひとりの時間には「マッチ」の代わりに「ホルト」と何度も繰り返す。


「眠り姫――会いたい」


 少女が思いを口にした瞬間、地響きとともに爆音が響く。少女は突然の事態に耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。


「きゃあっ」


 と小さいが悲鳴ととれる声を上げ、建物の影に身を潜める。その場から顔を出さずとも、黒い煙がもくもくとまるでドームのように空に出来上がっていくのが見えた。それはどんどん広がり、面積を広げていく。それを何も言わずにじっと見つめる少女。

 そしてその直後、ふわりとそよ風が吹く。気にするほどでもない風に思えたが、次の瞬間爆風となり、少女を襲う。時間差で訪れた爆発で起こった台風のような風に、少女はすぐに近くの電柱にしがみついた。周囲のガラスは音を立てて割れ、自動販売機やベンチは浮力が生まれたように簡単に空を飛ぶ。先程おっきいと感じた女性のビラがバサバサとなびき、剥がされ、宙を激しく舞う。少女は足が浮いてしまいそうになるのを必死に堪えるが、籠に入ったマッチはどんどん出ていき、吹き飛ばされてしまう。そんな暴風に耐える力もない綺麗に咲いた一輪の花。周囲を囲っていたマッチもなくなり、眠り姫から貰った花もふわりと籠から出ていく。「あっ」と声に出し、マッチではなく花を片手で取ろうと試みるがそれも叶わないまま、花はどこかへ飛んでいってしまい、風は収まった。

 電柱を抱き締める腕の力を緩める少女。乱れた服も気になるが、ひとつもマッチが入っていない空っぽの籠をじっと見降ろし、泣きそうな顔で辺りをきょろきょろと見渡す。


「花……っ。眠り姫からもらった……、あの花っ」


 少女はぼさぼさの頭のまま下を向いて走り始めた。その表情は焦りと悲しみが入り混じり、まるで宝物を無くした子供のようにも見受けられた。

 少女は探し回った。電柱や建物の裏、突起物の多い壁、広い道路。それでも花は見当たらなかった。


 すると少女の視界の端に黒い塊が入り、視線を上げる。黒い塊はどんどんその大きさを増し、まるで生きているかのように蠢いている。


「さっきの」


 少女はそれを先程の爆発で出来た黒煙と捉えた。


「花……あたしの花。返して」


 瞳に光を失った少女は、まっすぐ黒い塊に向かって走り出した。



 ▼


 何もない大通り。

 ただ吹く風に、砂埃がさらさらと舞う。


 その場に倒れている、人としての形を失ったひとりの少女。四肢の関節は伸び、千切れ、ワンピースで隠れた腰の辺りもおかしな方向へと曲がっている。


 その少女は先程ナイチンゲールにより壊された白雪姫。周囲の雑草の根が伸び、白雪姫を拘束すると、何度も何度も硬い地面へと叩きつけた。まるで人形を壊すかのように、好き勝手弄ばれた白雪姫はその場に放置され、存在さえも忘れられようとしていた。




 ――『鏡や、鏡。この世で一番美しいのは誰だ?』


 この言葉は、継母けいぼの口癖であった。継母は不思議な鏡を持っており、何でも教えてくれるこの鏡に、この世で一番美しい者を尋ねていた。


『女王様。あなたがこの世で一番美しい』

『まぁ』


 継母は喜んだ。しかし直後――


『でも、白雪姫の方がその何倍も美しい』

『は?』


 白雪姫――それはこの女王様の再婚相手の娘。とても肌が白く、ほっぺがピンク色の可愛らしい娘であった。怒った女王様は、狩人に白雪姫を殺すように命じた。しかし可愛らしい白雪姫を見るなり狩人は、白雪姫が死んだことにして森に逃がしてあげた。森の中を逃げていた白雪姫はとある小屋を見つける。そこには七人の小人が住んでおり、白雪姫はそこで小人たちと一緒に暮らすこととなった。


 白雪姫の死の報告を受けて、大喜びの継母。継母はもう一度鏡に問いかけた。


『鏡や、鏡。この世で一番美しいのは誰だ?』


 すると鏡は、こう答えた。


『女王様。あなたがこの世で一番美しい』

『まぁ』


 継母は喜んだ。しかし直後――


『でも、白雪姫の方がその何倍も美しい』

『は?』


 白雪姫は死んではいなかった。継母は狩人を処刑し、白雪姫の居所を探った。そして白雪姫が森の中で七人の小人と暮らしていることを知る。継母は変装して小屋に近付いた。


『綺麗な締め紐があるよ。おひとついかが?』

『まぁ綺麗。頂くわ』


 継母は紐を結ってあげるふりをして、白雪姫の首をその紐で締め上げた。継母が小屋を後にすると、直後に帰ってきた小人に紐を解いてもらい、白雪姫は一命をとりとめた。そして継母はまた鏡で白雪姫が死んでいないことを知る。継母は再び変装して、小屋に近付いた。


『綺麗な櫛があるよ。おひとついかが?』

『まぁ綺麗。頂くわ』


 継母は髪を解いてあげるふりをして、毒を塗った櫛で白雪姫の頭を刺した。継母が小屋を後にすると、直後に帰ってきた小人に櫛を抜いてもらい、白雪姫は一命をとりとめた。そして継母はまたもや鏡で白雪姫が死んでいないことを知る。継母は再び変装して、小人の小屋に近付いた。


『美味しい林檎があるよ。おひとついかが?』

『まぁ美味しそう。頂くわ』


 白雪姫は林檎を受け取ると、継母の目の前でにこにこ微笑みながら噛り付いた。すると白雪姫は痙攣し、苦しそうにもがき、その場に倒れこんだ。やがてピクリとも動かなくなり、継母はにたりと笑う。継母が白雪姫に渡した林檎、それはまさに毒入りの林檎だったのだ。白雪姫は死んだ。継母は城へ戻り、再び鏡に問いかけた。そして鏡は白雪姫の名を呼ぶことはなかった。


 小人たちは帰ってくるなり小屋の前で倒れている白雪姫を見つけ、毎日涙に明け暮れた。棺を作り、白雪姫を寝かせ、声に出しておいおい泣いた。


 そしてある日、そんな白雪姫の噂を聞きつけた大きな国の王子様が小人の小屋を訪れた。王子様は棺に眠る白雪姫を見て、こう言った。


『なんて美しいだ。小人たちよ、この死体を頂いてもいいだろうか』


 王子様は、死体を愛する嗜癖の持ち主であった。


 継母に殺され続け、死んだ後は王子様に愛され続けた白雪姫は、死後の自分の方が価値があると認識するようになった――




 ひゅるりと風が吹く。風は明治通りに無残な姿で倒れこむ白雪姫のワンピースをなびかせる。


 ぴくりと指先が動く。

 めちゃくちゃに壊され、動くはずのない指が動き、手首が回り、伸びた関節がかくかくと動く。


 変形し、千切れた四肢を使い、その場にゆっくりと立ち上がる。一度は倒れることもあったが、学習しているのか再びその体を使い、先程よりも上手に立ち上がる。


 不自然に曲がった片足と、砕けた片足で、その場に起き上がり、固まった。

 乱れた髪で表情が見えない。すると再びそよ風が吹き、白雪姫の髪がさらりとかき上げられた。


 そこに見える表情は――笑っていた。折れて無くなったまだらな歯を剥き出しにし、にたりと笑っている。まるで白雪姫に毒林檎を食べさせ、殺した後の笑みにそっくりであった。


 白雪姫は歩き出す。初めは歩きにくそうにぎこちなく、傾きながらの歩行であったが、次第にコツを掴み、その速度も速くなる。


「アハハハハッ!」


 白雪姫は走り始める。不気味な笑い声を響かせながら、ナイチンゲールが向かった先へ。


「リンゴ、リンゴ食べて!」

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